村
1
貝殻頭たちが茂みを隔てて、上半身だけ見せている。顔は犬や、海藻を思わせる様々な形状をしていた。
(襲いかかってこない……? なぜだ?)
ただカレンを眺めている。
お互いに顔を見合わせた。言葉を出さず、お互いの顔色を窺っている。
「待ちなさい!」
女の声が聞こえる。
「ジョムディラ」
と、貝殻頭たちが道を開ける。
蜘蛛の顔をした貝殻頭だった。
「その子は、怪我をしている。殺してはいけないわ」
ジョムディラが自分の母親より、一回り上くらいの年齢だとカレンは考えた。
犬の顔をした貝殻頭が、反論する。
「だが、人間の子供だぞ。村の中で死なれては、我らの罪が問われるかもしれぬ。このまま、村の外に放っておくべきだ」
蜘蛛顔のジョムディラは、深く考える仕草をした。
「家の前にいる人間は、どうするの? 逃げて、城に密告するかもしれないわよ。私たちが、この子を見殺しにした、と」
城!
城とは“魔王城”だと、カレンはすぐに理解した。
ジョムディラの質問を受けて、貝殻頭たちは、お互いに小さい声で言葉を交わし合った。
「ならば……」
と、貝殻頭の一体……犬顔が代表して発言した。
「あの人間も殺すまで!」
と、言葉が続くだろう、とカレンは考えた。口の中で苦みが、にじみ出る。自分のせいで、トニーも死なせてしまう。
だが、貝殻頭の提案は、カレンの予想を超えていた。
「ジョムディラよ。この人間の子どもを、お前の家で、お前が治してやれ。もし、子どもが死ねば、お前の責任だ。死体もろとも、お前を城に引き渡す。……いいな?」
カレンは驚いた。これまでの貝殻頭とは全く違う反応であった。
「わかったわ……。この子を家まで運んで」
組み合わされた木の板ごと、カレンは持ち上げられた。
揺れる……。揺れが腹痛に影響を与える。
(もっと優しく運んで!)
と、文句をつけたくなったが、余計な発言は命に関わるので、控えた。
トニーは解放されていた。
「貴方も、私のお家に入りなさい」
ジョムディラがトニーに話しかける。
木の小屋で、文化的とはいえないが、雨風から身を守るには十分だった。木造の家具に、粗末な皿や椀が置かれている。
奥の部屋に連れて行かれた。寝台には、藁が敷き詰められていた。
柔らかい藁に背をつけると、カレンの腹痛が再開した。危機は去ったと、カレンの身体が安心したのだ。
「僕の身体は、どうなったのでしょう?」
カレンがジョムディラに話しかけた。
蜘蛛の顔が、カレンの身体を観察している。カレンは身体を隠した。
顔が蜘蛛なので、表情がよく分からないが、カレンの下半身を凝視している。
「恥ずかしがらないでいいの。みんな、誰しもが体験するのだから。着ている物を脱ぎなさい。私の服を貸してあげる」
優しい口調だった。汚れた衣類をジョムディラに渡し、ジョムディラの服を受け取る。サイズが大きい。
「時間が経てば、痛みは引いていくから」
ジョムディラが何かを考えて、部屋の外にいるトニーに注意した。
「お兄さん、今からは、こちらの部屋には入らないでね」
ジョムディラが、皿を運んでくれた。
豆と芋を茹でて潰して混ぜた何かが盛られている。
カレンは顔をしかめた。
(腹痛なのに、食べられないよ)
トニーが美味そうな音を立てて、皿にかぶりついている。
隣人の食事は、美味しそうに見える。カレンも豆や穀物の潰れた何かを丸めて、口に運んだ。
甘く感じた。
一口を運ぶと、さらに一口が欲しくなった。
(美味しい。止まらない……?)
腹痛であるならば、食欲はなくなるものだ。カレンはそう考えていたが、実際は違った。カレンは自分が飢えた犬のようになったかと驚くほど食べた。
もっと食べたくなった。食事は、腹痛の苦しみを忘れさせてくれる。
何かの罠だろうか? と疑うほど美味かった。ジョムディラが食べ物に何かを盛ったのだろうか?
ジョムディラが「もうない」と答えると、眠くなってきた。今はとにかく眠たい。
カレンは仰向けになった。寝台の藁は柔らかく暖かかった。
目を閉じると、ジョムディラの声が聞こえる。
「さあ、しばらく身体を休ませなさい。ここは、アポストル最後の村。誰もアナタたちに危害を加えません」
2
寝覚めがよい。
カレンは寝台から飛び降りた。
悩まされていた腹痛がおさまり、汚物も出てこなくなっていた。
体操をする。
ジョムディラたち貝殻頭の村にやってきてから、数日が、経った。正確な数字など、カレンは数えていなかった。腹痛と眠気と豆料理の日々であった。
豆と芋の潰れた何かを手で丸めて、口に運んだ。
驚くほど、食欲が安定している。腹が痛かったときは、食欲が抑えきれなかった。
食べ終わったあと、カレンは顔をあげた。
「おばさんは、お医者さんなの? もうお腹は痛くない。おばさんの予言通りになった」
時間が経てば、治る。
「ちがうわ。ただの女よ。……女だったと答えるべきかもね。男には分からない事情があるのよ。女だから知っているだけ」
女しか知らない事情。
カレンは、ジョムディラが子どもの看病をしている様子を想像した。
「女だった……? おばさん、子どもがいたの?」
貝殻頭の子どもを想像できない。
「アポストルは子を産めないの。私も昔は人間だったけど」
「貝殻頭……アポストルって、人間から成れるものだったんですね」
カレンは、海底都市にいたクルト、イドルトといった貝殻頭を想い起こした。
(クルトたちも人間だった……? ガルグと知り合いだったようだし……貝殻頭の中には、元人間が混じっている……ということかな。でも、妙だな。子どもが産めないのなら、どうやって数を増やすのだろう?)
頭の中で疑問が渦巻く。
「愛する人がアポストルだったから、一緒になりたくて、アポストルになったの」
カレンの疑問にかすった回答が返ってきた。
(人間が貝殻頭になる方法がある……? どんな方法か知らないけど、貝殻頭たちは数を増やしているのか……?)
「人間だったから、人間の身体について分かるの。アナタの身体は、これまでと違うの」
ガルグも似た発言をしていた。
「霊力と身体の間には、強い関係にあるって、誰かが言っていました」
カレンはあえてガルグの名前を伏せた。ガルグが“魔王”であるとカレンは確信していたし、あえてガルグの名前を出す必要もないと考えたからだ。
「身体は霊力の発射装置である……」
カレンの口から言葉が発した。カレンの意思を無視して、勝手に浮かんでくる。
「霊力が変化すると、霊力に合わせようと、身体は構造を変化させる。身体と霊力は、表裏、光と影の関係……」
まるでガルグが自分の口を利用して喋っているようだ、とカレンは感じた。
ジョムディラは首を傾げた。理解できない様子だ。
ジョムディラは発言をする前に考える癖がある。
一週間近く、同じ家で生活をしていて、カレンは気づいていた。
頷いて、言葉を発した。
「そうね。難しくてよく分からないけど、今のアナタの身体は、以前とは変わっているわ……」
身体が変わっている……。
ジョムディラは、カレンの食べ終わった皿を下げた。
「それにしても……」
カレンは部屋の中を観察した。
ただの木を組み合わせた小屋である。台風でも来たら吹き飛ばされる様相が思い浮かぶ。
もし、この村に侵略者が現れたら……侵略者とは、ガルグの姿を想像した……一瞬にして蹂躙されそうである。
「近くに“魔王城”があるのに、よく攻めてきませんよね。“魔王”は皆さんを嫌いみたいですけど」
カレンの疑問に、ジョムディラの動きが止まった。
「“城”から特別に自治を認められているの」
「自治? 自治とは、どんな意味ですか?」
「自分たちで、どう暮らしていくかは、自分たちで決めなさい。好きに生活していていいわよ、という意味よ」
「好きに生活していいって、けっこう“魔王”の支配はユルいんですね」
「“魔王”は気まぐれで、私たちの世話をする気などないのよ。怒らせなければ、“魔王”を私たちを襲ったりしない」
ジョムディラの発言に、カレンは意外な印象を受けた。“魔王”の支配は恐ろしいものだと考えていたからだ。
だが、ガルグの口癖……「知ったことか」……から、興味のない相手には、本当に興味がない性格だと分かる。興味がない、というか、むしろ相手の意思など尊重する気もないのかもしれないが。
「はじめ、ここに来たとき、皆さんに殺されるかと思っていました」
「アナタたち人間を襲うアポストルは、ごく一握りよ。ほとんどのアポストルは、私たちのように人目につかないところで生活をしているわ。……アナタたちは、どこから来た誰で、どこに行くつもりなのかしら」
カレンは、ジョムディラの蜘蛛顔を見た。
数日経って、初めて気づいた。
自己紹介が、まだだったのである。
素性も知らない自分を匿ってくれた。カレンが体調が良くなるまで、自己紹介を待っていてくれたのだ。
(なんて優しい人なのだろう……。あ、人ではないか。元人間?)
この村に来る前に、トニーは自分を茂みに隠してくれた。逃げようと思えば、いつでも逃げられたはずなのに。カレンは涙が出てきた。
(みんな、優しい。それに比べて僕は自分のことばっかりだ。少し強くなったからといって、威張りすぎだ。人と違う能力を持っているから、自分を偉いと勘違いしていた)
内心では、ガルグよりも強くなった自負がある。だが、それでもカレンは、トニーやジョムディラの優しさに負けている気がしてきた。
「僕は、シグレナスから来た、ジョエル・リコといいます。相棒は、トニーです。……“魔王城”に行って、“魔王”に会うつもりです」
外で何かが倒れる音がした。
カレンは、貝殻頭たちが壁越しに聞き耳を立てていた、と分かった。
ジョムディラは、冷静だった。
「やっぱり、そうだとは思っていたけど。……“魔王”に会って、どうするの?」
今度は、カレンは返答を考える番になった。しばらく言葉を選んで答えた。
「僕はあの人に、返して欲しいものがあるんです。返して、とお願いするだけ。返してもらえないなら、在処を聞き出します」
カレンは、ナスティの事情を遠回しに表現した。ジョムディラがいつものように、少し考えてから答える。
「悪いことは言わない。“魔王”に会うのは駄目よ。取引なんてしてはいけないわ。……アナタは人間だから、ヴェルザンディに行っても、何もされないと思うけど」
“魔王”と言うと伝わる。
カレンは不安になってきた。
この不安の源は、なんなのだろう?
ジョムディラは“魔王”を恐れている。
恐怖の大魔王、という感じがする。
だが、実際にガルグと会話した身としては、ガルグは恐ろしい人物ではなかった。
ガルグは地図をくれたり、故郷に帰ることを勧めたり、毒を治してくれたりした。こちらにお願いをするとき、頭を下げていた。
頑固で自分勝手で、こちらの言い分は一切却下するし、説明不足で子どもの名付けが下手な人だが、悪い人ではない。
「“魔王”は二重人格なのでしょうか?」
と、カレンは推理した。
「分からない」
本当にガルグが“魔王”なのだろう?
心配になってきた。
「“魔王”に名前があると思いますけど、何か分かりますか?」
「本当の名前……分からない」
ジョムディラは苦しげに答えた。
「“魔王”は勇者シグレナスに倒された……と歴史で学んだわ。シグレナスが“魔王”を地中深く封印し、皇帝となって帝国を築いた。後の皇帝が地の底から“魔王”を甦らせた……」
話をしながらも、ジョムディラの様子が奇妙だ。落ち着きがなくなっている。
体調が悪そうだ。
(“魔王”の話題は、貝殻頭たちにとって気分が悪くなるのかな?)
と、カレンは理解した。
「“魔王”のことは、本人に直接会って、問いただします。“魔王”の話は、この村では、もうしません」
と、ジョムディラを安心させた。
3
ジョムディラは小さな畑を持っていた。
助けてくれたお礼に、とカレンは手伝った。
まじめに働いて、村の中に溶け込んでいった。いつの間にか一番年下の孫のような扱いになっている。
畑仕事をする一方で、カレンは貝殻頭の生活を観察していた。
ひたすら農業に勤しんだり、読書したり、何か得体の知れない像を掘っていたり、それぞれ自分の生活様式に従って生きている。
ただ同じ本を何度も読み返している者、一切食事もせず、荒れ地の上で空を見ている者、一日中、大量の水を飲んでいる者……。
カレンにとっては、不気味な村だった。ジョムディラが解説する。
「アポストルは人間だったときの習慣を繰り返すの。過去の執着に囚われている……と表現するのだけど」
だが、それぞれ別方向を向いた生活を送っていても、一日だけ行動と意思が統一された。
貝殻頭たちは一週間に一度だけ“聖堂”に集まる。
村の中央にある藁葺きの建物で、“聖堂”と呼ぶには、みすぼらしい外観だった。屋根の頂点に、奇妙な形をした金属が飾られている。
カレンが中を見ようとしたが、ジョムディラに困った口調で拒否された。
「アポストルしか入ってはいけないの。……アナタも、私たちと同じアポストルになる?」
「貝……アポストルになる予定はないので……」
カレンはジョムディラの蜘蛛顔を見て、断った。貝殻頭になる方法に好奇心を刺激されたが、二度と母親やオズマに会えなくなる気がした。
貝殻頭の集会が始まると、木製の扉が閉ざされ、カレンとトニーは“聖堂”の外で待っていた。
昼になると、“聖堂”での集会が終わった。
貝殻頭の一人が話しかけてきた。
「“魔王城”に行くんだって? やめておいた方がよい」
集会で、カレンが“魔王城”に行くと広まっていた。
「子どもの身体を二つに引き裂いて、それぞれの身体に、それぞれの頭を交換させた」
ある者は、カレンに警告をした。
「子どもたちを荷台に詰め込んで、海に沈めた」
子どもを虐待する趣向の持ち主らしい。
「女の首を絞めて、半殺しにして暴力を振るうらしい」
女性に対しても容赦がない。
「美男子の脳味噌を好んで食べる」
次々と貝殻頭から溢れ出てくる“魔王”の悪口、罵詈雑言に、カレンは顔をしかめた。
(あのガルグから想像できない行動ばかりだ。貝殻頭が勝手に話をしているだけなのかもしれない。それほどガルグって、嫌われすぎだって意味なのかもね)
4
別れの日になった。
貝殻頭の中に泣いている者がいる。別れを惜しんでいるのだ。
食糧を手渡された。ジョムディラ得意料理の、豆と芋を潰した奴である。
清潔な布を渡された。
「またお腹が痛くなったら、これを脚と脚の間に敷きなさい。いいわね」
(治っていなかったんだ、僕の病気……)
と、カレンは悲しい気持ちで受け取った。腹痛は再発するらしい。
カレンはジョムディラにお返しをしたくなった。
「何かしてあげられることはありませんか? 僕が“魔王”に会ったら、ついでに文句の一つでも伝えてあげますよ」
と、ジョムディラを笑わせた。
「私たちアポストルは、ここで生活することに満足している。平和で安全な生活ができれば、それでいい。私たちはアナタたちほど強くない。そっとしておいて欲しいだけ……」
カレンは優しい気持ちに包まれた。
なんて、無欲な人(?)たちなのだろう。
「分かりました。……ありがとう。アポストルの皆さん、貴方たちの優しさを忘れないよ。“魔王城”で用事が済んだら、また顔を出します。さようなら」
と、アポストルの村を去った。




