戦後
風が吹いている。
強い風だ。
しがみつていないと、吹き飛ばされてしまいそうだ。
寒い。
カレンは身体を震わせた。
カレン自身が下から、柔らかい空気の抵抗を感じた。
目を開くと、青い空の中にいた。
カレンは、なにか馬のような乗り物にまたがっていた。
いや、馬ではない。
白い毛並みの馬に似せた霊骸鎧、“天馬”だ。
普通の馬と違って、背中には翼、頭上には角が生えている。
「ガルグ……? ここは、どこだ……? どうして僕はここにいるんだ……?」
と、問いかけた。だが、“天馬”ガルグからは返事がない。
(馬になっているから、言葉がしゃべられないんだ)
会話ができないと知り、カレンの興味は自分自身に移った。
(……あれ、頭が冷たいぞ)
自分の頭が濡れている。
濡れている感触が重力に負けて、カレンの額に滴り落ちる。カレンの眉間を通り、鼻を避ける。目に浸入されては困るので、手で拭った。
……血だった。
(……怪我? どうして僕は怪我をしているの? ここはどこだろう?)
足下を見れば、緑色の森林地帯が広がっている。
背後、いやさらに上空から轟音が鳴り響いた。
振り返ると、鯨にも蛸にも似た形状の巨大な飛翔体……【異形なる存在】が煙をあげていた。
【異形なる存在】の腹部から……この世にあらざる形状をしているので、腹部と呼ぶべきか、疑問が残るが……オレンジ色の爆炎が吹き出た。
肉とも金属とも見分けのつかない破片を、まき散らす。
腹部とは反対側の背中が膨れ上がり、爆発した。誘爆したようだ。さらに巨大な爆発と光を放つ。
強力な光の放出に、カレンは反射的に顔を隠した。粉々になった残骸が飛んでこないか不安になった。
“天馬”の角が光った。青い障壁が、カレンたちを球体となって包み込んだ。
【異形なる存在】の身体中に切れ込みが走り、煙と熱が吹き出る。
高度を落としていく。
カレンたちを追い抜き、陸地に落ちる寸前に、巨大な爆発を巻き起こした。オレンジ色の輪とともに衝撃波が、爆発を中心にして外部に波及していった。森林が、なすがままに揺れる。
カレンは“天馬”にしがみついた。障壁のおかげで、カレンには、なんらの影響もなかった。
“天馬”が、森林地帯を抜ける。抜けた先には、海岸であった。
海岸には、船が停泊していた。トニーたち、船員の姿が船上に見える。 カレンは、柔らかい砂浜に下ろされた。
カレンは、その場に倒れ込んだ。目眩がする。霊力を使い果たした状態だ。顔を上げる。
「何が起こったのですか?」
“天馬”から人間の姿に戻ったガルグに問いかけた。
「そなた、記憶がないのか?」
「記憶って……。船の上の記憶はありますよ。ガルグ、貴方から背後から斬りつけられて、避けました。そこから記憶がないです。……僕が気を失っている間に、【異形なる存在】と戦って、決着をつけたのですね?」
「厳密には、違う。そなたは、【異形なる存在】での戦いに参加しておった。ただ記憶を失っているだけだ」
「記憶喪失ですか……。物覚えのよい方だと思うんですけど」
「身体の変化に、心が追いついておらぬのだ。時間が経てば、いずれ記憶を取り戻すであろう。いずれにしても、我々は勝利した……。【異形なる存在】を倒したのだ」
ガルグが静かに状況を説明した。不倶戴天の敵に勝った割には、喜んではいない。だが、カレンにとって勝利よりも気になる問題があった。
「僕の記憶は、なんとかなるとして。ナスティは……? ナスティは、どこにいますか?」
カレンは周囲を見渡した。
どこからともなく、“龍王”が舞い降りてきた。“龍王”が煙とともに消え、人の姿……インドラとなった。ナスティの姿は見えない。
船から出迎えに来てくれた乗組員たちの中にナスティは混ざっていない。
ガルグはカレンの問いに答えなかった。
「そなたに、新しい霊骸鎧の名前を伝えておこう。……“星降りの女神」
ガルグは杖で砂浜に、線を描いた。霊骸鎧の呼び出し方である。カレンは瞬時に暗記した。
「この者の名前は……」
ガルグは躊躇った。
「……アナスタシア・ヴィルサイティウス。……最終霊骸鎧となるであろう」
ガルグの唇が震えていた。
カレンは眉をひそめた。事情は知らないが、いつも威厳のあるガルグらしからぬ態度である。
「これを、そなたに与えよう」
羊皮紙を渡された。
羊皮紙から、鼻をくすぐる香りがする。
羊皮紙を広げると、それは地図であった。地図の南北には、二つの大陸が描かれていた。南の大陸には何も描かれていないが、上の島には、二つの光があった。
赤と青の光。
大陸の右上端に、赤い光であった。反対側の下端には、青い光があった。
「現在地は青い光となる。赤い光が、そなたの故郷、シグレナスである」
ガルグが事務的に説明する。現在地は、大陸最南端だ。シグレナスは、島の北東の位置にあった。このまま船に乗って、シグレナスまで帰路につける。
カレンは地図から目を離し、ガルグの瞳を見た。意図が読み取れない。
「ナスティの姿が見えません……。ナスティは、どこにいますか?」
ガルグは黙ったままだ。
長い沈黙の中、カレンが何か文句を伝えようとした瞬間、口を開いた。
「帰れ。……そなたの故郷に」
乾いた口調であった。だが、カレンには、ガルグがどこか諦めているような感じがした。
「【異形なる存在】を倒した。霊落子どもは、もう地上に降りてこない。あとは生き残りを根絶やしにするまで」
「待ってください。ナスティはどこにいるんですか? 説明してください」
カレンの叫びに似た呼びかけを無視して、ガルグが背を向けて、離れていく。
「今、そなたに顔を見せることはできない」
「どうしてですか? ガルグ、貴方の仰る意味が分かりません」
カレンは追いかけたが、脚がもつれて、砂地の上に倒れ込んだ。砂浜に足をとられたのではなく、単純に疲労と負傷のせいだとカレンは理解した。
「知ったことか」
ガルグは目を細めて、険しい顔をした。
悲しみを覆い隠している、とカレンは感じた。
「……ナスティに逢わせてください。ガルグ」
カレンの要求を、ガルグは聞こえないふりをしている。“天馬”となって、飛び上がった。
「逃げないで、ガルグ!」
と、カレンは叫んだ。意識が消えてしまいそうだ。残る力を振り絞って、声を出した。
「……“魔王”!」
“天馬”が空中で振り返った。宝石のような両目で、しばらくカレンを見下ろしていたが、何事もなかったかのように飛んでいった。
インドラも“龍王”となって、後を追う。
カレンであったが、肩を抱かれた。
顔に傷跡のある男、トニー・チーターであった。
トニーがカレンを呼びかける。叫び、困惑する様子が可哀想になってきたので、カレンは無事を示すために口を開いた。
「トニー。船の上でガルグに 従いていくと決めてから、記憶がない。それ以降の出来事を知っているかい?」
カレンが返事をして安心したのか、トニーの頬に赤みが帯びてきた。
「あのあと、船をここに停泊して、ガルグさん、インドラさん、リコさん、そしてナスティさんの四人で出ていかれました。そのあと、あの大爆発が起こって、ここまで帰ってきたのは、あなた方三人です」
「……ナスティだけ一人が途中で帰ってきた、とかないんだね」
カレンの質問に、トニーは悲しげな表情を見せた。
「はい。帰ってきませんでした。……リコさん」
カレンは、全身から力が無くなっていく感覚に陥った。最悪の状況、レミィ・ミンティスと同じ状況を想像してしまう。
頭が痛む。血が流れ、視界が赤く染まる。
トニーに傷の手当てをしてもらった。
トニーがカレンの頭に包帯を巻き、話題を振った。
「ガルグさんのことを“魔王”とか呼んでいませんでしたか? “魔王”なんてお伽話の世界だと思っていましたよ」
「トニー、“魔王”について、何か知っているのかい?」
「昔、子どもの頃、ばあちゃんの話を聞いたことがあります。もともとは神の軍勢のために働いていた戦士だったけど、いつしか、この世の恐ろしい悪魔たちを集めて、神に刃向かった存在がいるって。神に負けて、地の底深く封じ込められた。結局、シグレナスの愚かな皇帝が、自分の野心のために“魔王”の封印を解いた……と」
「それは興味深い話だね」
「子どもたちを誘拐して、二つに裂けて楽しむそうです。悪さをしたら、ばあちゃんに怒られたもんです。“魔王”にさらわれるぞ、てね」
「あのガルグが子どもを真っ二つにするとは思えないけど。ガルグは、その“魔王”であり、この世界を滅茶苦茶にした張本人なんだ。僕の推測が間違っていなければ、だけどね」
「仮にそうだとしても、リコさん、どうしますか?」
「ガルグを追いかける」
「でも、どうやって? リコさんは、ヴェルザンディがどこにあるか知っていますか?」
トニーが困っている。
カレンは、地図を取りだした。地図から放たれる香りが気になっていた。
カレンは地図に顔を近づけた。
嗅覚が記憶している、香水の匂い……。
(この地図は、ナスティの所有物だ)
と、カレンは推理した。
(ナスティは、普段から、この地図を使っていた。僕は、ナスティをシグレナスで見た記憶がない。ナスティがシグレナスに来るとも思えない。だとすれば、目的地をシグレナスに決めた人は、ナスティではなく、ガルグだ。……この地図は、目的地を変更できるはず)
カレンは目を閉じた。
(地図よ、僕をヴェルザンディまで連れて行ってくれ)
カレンのおへその奥側から、光があふれ出す。カレンの額から光が地図に、まとわりついた。
光に覆われた地図に異変が起こった。赤い光……目的地が動き出したのである。意思をもった生き物のように、地図上を横断している。
「やっぱり……。霊力を送れば、目的地を操作できるんだね」
赤い光は地図上の右上端……北の大陸から、海を越え、南の大陸まで直線的に移動した。大陸の左下端に止まった。
「ここがヴェルザンディか。シグレナスとは正反対の位置にあるんだね」
青い光……現在地は、北の大陸、最南端の海岸沿いである。南の大陸には、船が必要だ。
「……目的地は、ヴェルザンディの“魔王城”だ……みんな、ヴェルザンディまで連れていってくれるかい?」
カレンが、船乗りたちに訊いた。
船乗りたちが威勢よく快諾した。
「ありがとう。近くの海岸まで降ろしてくれたら、そこから陸地を歩く」




