嘘
1
青空が眩しい。背中が痛い。
カレンは甲板の上で目を覚ました。
「ここは船……?」
周りでは、船乗りたちが仕事をしている。
どれくらい時間が経過したのか、カレンは気になった。近くの船乗りに、事情を聞いた。
「部屋から物音が聞こえなくなって、みんな不思議に思っていた。真夜中に物音が聞こえて、貴方たちが部屋から出てきた。みんな、とても驚いていたよ。部屋で一日中、何をしていたんだってね」
カレンは説明を受けて、耳の穴を指でほじった。
(クルトとか貝殻頭とか、すべて一日の出来事だったんだ。一日の内容が濃すぎる)
ガルグもインドラも、姿が見えない。自室にこもっているようだ。
(夜中、僕が甲板で寝ていたのに、誰も起こしてくれないなんて、みんな冷たいよな……)
数日が経った。カレンは、以前と同じく、奴隷に戻っていた。だが、以前と比べて仕事がやりやすくなった。
樽を持ち運んでいるとき、周りの人たちが、避けてくれる。道をつくって、通してくれる。
強面の乗組員も、カレンに対して一目置いていた。むしろ、可哀想なくらい怯えている者もいる。
カレンは背中に視線を感じた。青ざめたトニー・チーターが、陰から見ている。トニー・チーターがカレンの戦いぶりを船中に伝えたのだろう、と皆が優しくなった経緯を察した。
カレンは、自分に割り当てられた仕事に関して、霊骸鎧を呼ばなかった。他の乗組員を怖がらせる必要はないと判断したからだ。
あまり怖がられても、やりづらい。カレンとしては、なるべく穏やかに普通に仕事をしたかった。謙虚で勤勉な振る舞いのおかげで、カレンの船上生活は、平和で安定していた。
ただ、問題が一つだけあった。
「ねえ、ナスティ」
ナスティを見かけて、声を掛ける。だが、ナスティは、そっぽを向いて、足早に去っていった。追いかけても、追いかけても止まってくれず、自室に向かっていった。扉を開ける一瞬に、カレンを横目で見たが、中に入り、内側から鍵を閉めた。
2
昼食の時間、カレンは譫言を繰り返していた。
「ナスティに嫌われた。嫌われた……。もう駄目、無理。生きていけない」
甲板に腰をつけ、魚の干物と古くなったパンの細切れを口に運ぶ。
「僕は何か悪いことをしたんだろうか? どうすればいいんだ? もう人生の終わりだ……あれ、なんか柔らかいぞ、このパン? 不思議な歯ごたえがする。よく見れば、色も変だし」
「リコさん、痛いですよ。痛い痛い。それはパンではなく、あっしの手ですって。食べないでください」
隣でトニー・チーターが食事をしていた。カレンに手を噛まれ、困惑している。カレンはトニーの手から口を離した。
「トニー・チーター。君は何故僕の隣にいるんだい?」
「あっし、実は船の皆から虐められているんです」
と、トニーが、もじもじと返答した。意外な告白に、カレンは驚いた。
トニーが息を詰まらせながら、話を続けた。
「これまであいつら……あいつらって、化け物どものことですけど、あいつらの味方をしていたんです。人々を誘拐したり、村を襲って盗みを働いたり……。あの人たちが来てから……あの人たちって、ガルグさんたちのことですけど、一緒に悪いことをしていた仲間は、みんな行方不明になりました。……探す? 無理ですよ。こんな海の上だから生きてはいないでしょうに。船の皆を虐めていた連中で、生き残ったのは、あっしだけなんです。今度は、船のみんなから虐められているんです」
まるで堰を切ったかのように、よく喋る。普段よく喋る気質なのに、虐められている現状では封印されていたのだ、とカレンは理解した。
「それはジゴウジトクというものだよ。トニー君。誰かを虐めたら、やり返される。歴史は繰り返す」
カレンは、干物になった魚を二つに割いた。右と左を見比べて、どちらを先に食べるか悩んだ。今度はトニーが、カレンの手を握った。
「ですから、リコさん、あっしを守ってください! 一緒にいていただけるだけでもいいんです。リコさんみたいな強い人が傍にいれば、みんなから虐められない」
「情けないなぁ。君って奴は」
「なんでもします。あっしのパンでも手でも差し上げます!」
「どんなことをします、と言われてもねぇ……。別にパンが欲しいわけではないんだけどなぁ」
カレンは固い干物を咀嚼していると、閃いた。
「ねえ、トニー。ナスティ……あの黒髪の女の子、知ってる?」
トニーはクルトの電撃に打たれたかのように、姿勢を正した。
「あのお嬢さんですか? リコさん、あの人はやめたほうがいい」
トニーは、カレンのナスティに対する気持ちを一瞬にして理解し、途中経過を省いて、結論だけを指摘した。
「なんでやめたほうがいいの? 僕じゃ釣り合わない?」
「違います。あのお嬢様は、ガルグさんのご親族かなにかだと思います」
「僕もそう思う。それになんの問題があるんだい?」
カレンの疑問に、トニーは周囲を窺って、声をひそめた。
「あのガルグという人、とんでもねぇワルです。あっしは長年、悪い奴らの世界で生活していたから、よく分かるんです。こいつはワルか、そうでないか。見極めないと、ワルの世界じゃあ、生きていけないもんなんです」
「だったら、君らワル同士、気が合うと思うよ?」
カレンの発言に、トニーは激しく首を振った。
「とんでもねぇ。あのガルグさん、底冷えするような目つきしていますよね? これまでに何人もの人間を殺してきた人の目ですよ。人を利用しても、心が痛まないというか……正直、怪物たちよりも遙かに怖いです。あっしなんかよりも五百倍悪い人です。あの人とは、関わりにならないほうがいい」
と、ガルグの危険性を力説した。五百倍の基準がよく分からないが、ガルグが普通の真人間には見えない点では、意見が一致している。
「分かったってば。ガルグにどう向き合うかは、後から考えよう。とにかく、僕はナスティとお話をしたいだけだよ」
ナスティの話題には、必ずガルグが絡んでくる。カレンはガルグを、まとわりつく蠅のように疎ましく思った。
「……結局、あっしはどうすればいいので?」
呆れたトニーから問いかけに、カレンは口ごもった。自分の願望に、頬が熱くなった。
「ナスティを呼んできてくれないか? 二人きりで話をしたい」
「そんなの、自分で話しかければいいじゃないですか」
「できないから、頼んでいるんだよぅ。嫌われているんだ。お話ししよう、なんて声を掛けたら、一生相手にしてもらえなくなるかもしれないだろう?」
「そんな大げさな。リコさん、ナスティさんに何か嫌われるようなことをしたんですか?」
「してないよ。ホッペにチュウされたくらいだよ。赤ちゃんができちゃうかもしれない……。それで嫌われたかも」
カレンは心配になった。あれ以来、顔を洗っていない。頬に口づけされた記憶のせいで、頬がさらに熱くなる。カレンは手で扇いで冷却させた。
「でも、唇でチュウしないと赤ちゃんはできないんだっけ? ナスティと唇でチュウをすることになるの? 無理無理、恥ずかしくてできない」
カレンは自分の額に、干物を当てた。
「……さっきから、魚に向かって何を話しているんですか? もういい、分かりました。これ食い終わったら、ナスティさんを呼んできますね」
「あ、ちょっと待って」
「なんですか、面倒くさい」
「実際、二人きりになったら、どんな話をすればいいんだろう?」
「知りませんよ。……共通の話題でもすればいいんです」
3
トニーが奔走した結果、カレンがナスティの部屋に行く段取りになった。カレンは部屋の扉を開いた。
「失礼します」
寝台の上で、ナスティが座っている。袖の長い、異国の着物に身を包み、姿勢を伸ばしていた。
(可愛すぎる。ナスティが可愛すぎて、余裕で死ねる)
カレンは顔を隠した。笑みが勝手に浮かぶ。恥ずかしさと、ときめく感覚が隠しきれない。
ナスティは、大きな瞳で、カレンをずっと見ている。
黒くて長い髪を一部、編み込んでいた。自分の髪を撫でている。
カレンは、ナスティの隣を指さした。
「こちらに座ってもよろしいでしょうか……?」
ナスティは、カレンに目も合わせず、静かに頷く。カレンは、ナスティと少し距離を置いて、寝台に腰掛けた。
(なにか話さなきゃ……! )
ナスティは、ずっと黙ったままだ。目を合わせずに、ただ正面を見ている。こちらから話しかけない限り、話しかけてくれないだろう。
(今日のナスティって、お化粧をしたのかしら? いつもと雰囲気が違う)
ナスティの横顔を観察すると、瞳の周りに、紅色が細く塗られていた。
くすぐったい匂いが、カレンの鼻に漂った。
(甘い匂いがする。香水をしている? 普段と違って、おめかしするなんて、ナスティは何を考えているのだろう? ……いやいや、そんなことより、お話をしなくちゃ……!)
震える腕をおさえて、カレンは口を開いた。
「ええと、本日はお日柄もよく……って、僕は何を言っているんだ」
天気といった当たり障りのない話題はいいとして、なにか共通の話題をしなくてはならない。
(……ガルグ? そうだ、ガルグだ……!)
「ガルグって、悪い人ですか……?」
よけいな発言をした、とカレンは頭をかかえた。ガルグを信奉しているナスティに、ガルグの悪口は御法度だ。
ナスティがどう反応していいのか困っている。
「いや、ガルグの体調が悪いのかな……って思いまして」
カレンは質問を訂正した。
「ガルグは、いたって健康だぞ……。大事な話って、リコ。貴様はそんなことを聞きに、私を呼び出したのか?」
ナスティが驚いているのか呆れているのか、よく分からない口調で応えた。
(僕は、失敗した! ガルグの健康状態なんて、人生最大のつまらない話題をしてしまった! こんなんじゃ、ナスティに嫌われる! でも、久しぶりにナスティの声が聞けて、幸せすぎるっ)
ナスティが眉間にしわを寄せて、怪訝な表情を浮かべている。カレンは必死に話題を作った。
「ガルグって、ナスティのお祖父さんなのかな?」
カレンの質問に、ナスティは自然と応えた。
「私はガルグの孫ではない……。遠い血のつながりだそうだ。ガルグは過去の話題をお話しされない」
たしかに、ガルグが身の上話をしている様子が想像できない。
「二人は親戚だったんだね……。ナスティの本名は、カレン・サザードなんだよね」
……僕と同じ、とカレンは付け足したくなったが、やめた。空気を読んだからだ。
「なんで、普段、その名前を使わないの?」
「その名前は、人には知られてはならない、とガルグに教わった」
「何故? せっかくの名前がもったいない。本名を言っちゃだめとか、なんで名前なんてつけたのだろう? 本名禁止ルールって、ヴェルザンディの文化なのかな?」
カレンは理解できなかった。文化の違いを何度も目の当たりにしてきたので、否定はすべきではないと思ったが、それでも納得できない。
「ヴェルザンディでは、みんな本名を名乗っている。実は、私は別の国の生まれらしい。小さい頃、お父さんやお母さんにヴェルザンディに連れてこらえたが、そこの文化なのかもしれない」
「じゃあ、お父さんやお母さんがカレンと名付けたんだね」
「違う。お父さんとお母さんとは、血はつながっていない。私を育ててくれた人たちだ」
「どうにも理解できない話だなぁ……」
カレンは額に手をやった。頭が痛くなってきた。情報が少な過ぎる。
カレンは閃いた。
「海底都市でクルトと戦っていたとき、ほら“伝説”っていう霊骸鎧がいたの覚えている? “伝説”の名前は……レオン・サザードっていうんだけど、何か心当たりがある?」
「知らない。初めて聞く名前だ」
ナスティが、意外そうな表情を浮かべた。
嘘をついている顔ではない。カレンは質問を重ねた。
「リリアン・サザードは? 僕のお母さんの名前なんだけど」
「知らない。……ひょっとして、貴様も貴様のお母さんも私の親戚かなにかなのか?」
ナスティの質問に、カレンは応えられなかった。
「……分からない。リリアン・サザードという響きは、なんだろう、変な感じがする。この変な感じは、なんだろう? 母さんがサザードを名乗っているところを見た記憶がないな。サザード、サザード……」
サザードがたくさん出てきて、カレンは頭を抱えた。
「リコ、貴様は名前に対するこだわりが強すぎるぞ。私はこれまで、自分の名前なんて、気にもしてなかった」
と、ナスティが優しく諭した。お姉さんのような口調だ。
「でも、同姓同名の女の子が出てきたら、不思議でならないよ。……なにか意味があると考えちゃう」
と、カレンが反論すると、ナスティは、上を向いた。何かを思い返したようだ。
「リコ。私もそれが気になっていた。貴様が、上官である私と同じ名前だとは、納得いかん。貴様は本当にカレン・サザードなのだろうな? 霊骸鎧を呼んで、証明してみせろ」
上官命令により、カレンは“最終勇者”を呼び出した。
“最終勇者”から放たれた、眩い光にナスティは手で目を守った。目が慣れるまで待って、指の隙間から、眺める。
ナスティが胸に手を当て、“最終勇者”の姿に見惚れている。
「凄まじい力を持った霊骸鎧だ……。この懐かしくて暖かい感じは、まるで吸い込まれそうになる。この霊骸鎧さえあれば、どんな奴でも簡単に倒せるだろう……。そうすれば、これまで犠牲者は出なかったのに……」
ナスティが瞳を潤ませている。失った人たちを思い返しているのだ。
(これ以上、ナスティを泣かせたくない。……ナスティの笑顔は、僕が守る)
カレンは決意を胸に秘め、一歩進み出た。
「我が名は、カレン・エイル・サザード……あれ、変身できない」
何も起こらない。“最終勇者”は、静かに光を放出している。
「霊骸鎧に重なるイメージをしてみろ」
ナスティの横顔が、カレンの耳に触れる。
「わ、分かった!」
動揺を隠そうと大声で返事をしたが、声が上ずって動揺を隠しきれない。
目を閉じて、“最終勇者”と重なる自分を想像する。
ナスティの息づかいが、聞こえる。
(だめだ……ナスティが近すぎて、集中できない。駄目駄目、チュウのことは考えるな……。重なるイメージ、重なるイメージ……。“最終勇者”じゃなくて、ナスティと重なりたい……。いやいや、僕は何を考えているんだ?)
集中できない。カレンは変身できなかった。
「リコ。やはり、貴様はカレン・サザードではない。カレン・サザードは私の名前だ。貴様に、あげるわけにはいかないな」
ナスティが明るく笑った。
カレンは肩を落とした。
自分が自分自身でない感覚に陥った。特に名前に強い執着心はないが、これまでの生き方が否定された気がしてならない。
(僕は、カレン・サザードではなかったんだ。本当の名前は、なんなのだろう? 僕は誰なんだ……? あ、でもナスティの笑顔が可愛いから良かった)
カレンは思いついた。
「ねえ。まさか僕たちって、兄弟だったりする?」
「まさか。貴様と私では、髪の毛の色が違いすぎるぞ」
ナスティは長い髪を撫でた。ナスティは黒髪、カレンは銀髪である。
「でも、インドラと君も似てないねえ」
「インドラか? 奴は全くの他人だぞ」
ナスティが、片方の眉毛を曲げて、眉間に皺を寄せた。インドラが嫌いらしい。
「インドラって、ガルグの息子なの?」
「違う。だが、後継者として育てている」
カレンは、ガルグを思い返した。
背筋を伸ばした状態で「知ったことか」と、ガルグの物まねをして、ナスティを笑わせた。
ナスティの笑顔で、カレンは気分を良くした。話を続けた。
「ガルグって、いろんなところから子供を集めているんだね」
「ガルグは、インドラと私を結婚させたがっている。……許嫁ってやつだ」
ナスティが苦々しく説明した。だが、カレンはナスティの感情など理解できなかった。
「こ……っ」
カレンは、意味不明の叫びを小さくあげた。
船の天井がうねりを上げて歪んでいく。視界が白い霧に包まれる。
(ナスティとインドラは許嫁……? そうだよねぇ、そうですよねぇ。僕みたいな野蛮人よりも、インドラみたいな大人っぽい、都会の人がナスティにふさわしいですよねぇ)
カレンは、自分が白骨化していくような感覚に陥った。もう、生きたくない……。
ナスティが、カレンの異常事態を感じ取った。慌てて話題を変えた。
「そ、そうだ。貴様は霊骸鎧を他にも呼び出せるんだったな。いろいろ呼び出してみろ」
「隠し芸みたいな扱いだね」
カレンは霊骸鎧を一体ずつ呼び出していった。
「これが“蛇姫”。蛇に変身できる」
と、カレンは一体ずつ説明した。半ば自暴自棄である。
最後に“癒し手”が現れた。
「……あ」
ナスティは“癒し手”を見るなり、抱きしめた。
(二人きりを邪魔しちゃいけないから、部屋を出なきゃ)
カレンが立ち上がると、腰巻きをナスティに抓まれた。
「行かないで……。ここにいて」
弱々しい声で懇願された。
カレンが立ち去らないでいると、ナスティはカレンから手を離し、“癒し手”を両腕で抱きしめた。
“癒し手”の肩に顔を埋めて、静かに小さく鼻を鳴らしている。
カレンは、ナスティの肩を優しく摩った。ナスティは一瞬、驚いた反応をしたが、カレンを拒絶しなかった。
(ナスティの苦しみや痛みが、消えてしまいますように。僕が代わりに引き受けても構いません。どうかどうか、ナスティの笑顔が守られますように……)
カレンは祈った。ただ、ナスティの幸せのみを願った。
カレンの祈りが通じたのか、ナスティは大声をあげて泣いた。
(いっぱい泣いていい。思いっきり、すべてを出し切っていい。……これから何が起きても、絶対に君の笑顔を守ってあげるからね)
何時間経ったのか、カレンはナスティを優しく抱きしめていた。
ナスティが泣き止み、肩を揺すった。
「もういいよ、リコ。そろそろミントを離してやってくれ」
“癒し手”から顔を離すと、瞳が腫れぼったくなっている。
カレンは静かに返事をして、“癒し手”を消す。
水色の煙を見て、ナスティは笑顔をカレンに見せた。カレンには、ナスティが無理をして笑顔を作っているかのように見えた。
「リコ。貴様のおかげで、私はいつでもミントに出会える。だから、貴様がいる限り、私は寂しくなんかないぞ! ……あ」
ナスティは両手で口でおさえて、俯いた。ナスティの耳が、真っ赤になっている。
(なに、この恥ずかしような、嬉しいような感情は……?)
カレンはナスティの心情がよく分からなかったが、不思議な勘定で胸が爆発しそうになった。
「ナスティ、入るぞ」
扉の外から、ガルグの声が聞こえる。カレンは、爆発物のようにナスティから飛び離れた。
ガルグが、カレンを見て、口を開いた。
「そなた……外に出ろ。ナスティの奴隷。そなたに用事がある」
深い皺に刻まれた顔は、厳しい表情で満たされていた。
4
「ここに座れ」
ガルグが甲板の一部を、杖で指した。
「何のためですか?」
カレンは甲板のうえで足を組んだ。命令に従いながらも、言葉では反抗的であった。
「そなたの都合など知ったことか。目を閉じよ」
カレンはおへその前で手を置いて、目を閉じた。世界が暗転する。
暗闇の世界でカレンは、カレン自身の姿が見えた。
背後には、ガルグが歩いている。
杖を両手で持ち、杖の先を天に向けていた。
(妙だな。普通、杖なら、地面を突くはず。……杖で僕を殴る気だな)
カレンはガルグの意図を見抜いた。
「喝っ!」
ガルグが、カレンの頭上めがけて杖を振り下ろした。杖から膨大な霊力が活火山のように吹き出ている。
だが、どれもコマ送りの映像だ。
カレンは立ち上がり、ガルグの斬撃が当たらない位置まで歩いて移動し、もう一度足を組み直して座った。
目を開くと、ガルグの斬撃が空気を焦がす臭いがした。
船上で、驚きの喚声が沸いた。いつの間にか、船員たちが集まって、観客になっていた。
「何が起こった? どう見えた?」
船員たちが、お互いを肘で突き合って、どよめいている。
「瞬きした瞬間、リコさんが別の場所に座っていた」
と、トニーが、自分の顔をおさえた。
「リコが横に飛んだように見えた……」
と、ナスティが息を呑んだ。
ガルグが無駄のない動きで、杖を床に向けて打った。
「ナスティの奴隷よ。そなたは、なんらかの方法で、背面からの攻撃を察知し、なんらかの方法で回避したのだな。……そなた、齢はいくつだ?」
「十四になります」
「ナスティと同年であったな。私の初陣は、十七だった。……そなたの戦闘能力は、十四にして熟練の戦士、いや、八十に近い達人の境地である」
「すごーい」
ナスティが口を縦にして、驚きの声をあげた。
「避けきれなかったら、僕、死んでいましたよね? 試す、というより、殺す気だったでしょう? 『喝っ!』とか叫んでいましたし」
カレンが不満を漏らしたが、ガルグは相手をしない。
ナスティが口を隠して笑っている。ガルグはカレンの言葉を一切無視して、話を続けた。
「先日は、私の投げた豆も避けきれなかった。だが、海底都市を一日過ごして、ここまで成長するとはな」
ガルグが口を真一文字に結んび、言葉をつなげた。
「我らと従いて参れ。そなたの力が必要だ」
ガルグの申出を、カレンは驚かなかった。むしろ予想していた。
ただ、一方的すぎる。
カレンはガルグに質問したくなった。
「ガルグ。結局、貴方は何がしたいのですか?」
カレンの問いかけに、ガルグの厳しい表情がさらに険しくなった。
「霊落子どもを根絶やしにすることだ。無論、奴らを一匹たりとも生かしてはならぬ」
「貝殻頭……皆さんは、霊落子とお呼びですけど……あの人たちとは仲良くはできないのですか? なんとかすれば、友達になれるかもしれない」
カレンはトニーを思い返した。悪い人でも、頑張れば仲良くなれるはずだ。そんな信念が芽生えてきた。
「……私は、奴らに、多額の金を貸しておる。返さなければ、奴らの血で返してもらうつもりだ。最後の一滴を搾り取っても、贖えきれないほどの巨額ではあるが」
ガルグの背中から、淀んだ霊力が漂った。怒りと絶望、破壊的で破滅的な、なんだか取り返しのつかないほどの大きな力であった。
「さあ、どうするのだ?」
ガルグが、寒冷地域の谷底からあふれ出てくるような冷たい声で、問い詰める。
船上の人間たちは、恐怖で凍りついた。カレンの隣に、いつの間にかいるナスティも例外ではなかった。
ただ一人、カレンは、自分の前髪をいじった。
霊力の扱い方、霊骸鎧の呼び出し方を知った以上、もはや貝殻頭など怖くない。
むしろ自分の力がどこまで伸びるのか、通用するか試したくなった。
別に同行しても、問題はない。
だが、カレンの内部で渦巻く、別の感情のせいで、素直に賛成できなかった。
(それって、人にものを頼む態度なの?)
つまり、「お前の態度が気にくわない」のである。
第一、一番の目的がある。
「すっかり忘れていましたけど、僕、家に帰らなければいけないんです。友達が病気になっちゃって、毒消しの薬代を稼がないといけない」
霊骸鎧の力を借りれば、オズマを治療できるはずだ。
「友人だと……?」
ガルグは目を閉じた。緑かかった、青白い湯気のような霊力を開放している。
「その者の名前は、なんだ?」
目を閉じたまま、カレンに質問してくる。
「オズマ・レイトリックス」
オズマの名前を耳にすると、ガルグは目を開き、驚いていた。
「レイトリックスだと? ……レイトリックスの血筋は絶えていなかったのか」
と、再度目を閉じた。口元に笑みが含まれていた。
(知り合いが多い人だ。本当は知り合いでなかったら、どうするつもりだろう?)
と、カレンは首を捻った。
ガルグの額から、おへそに向かって、光が走る。その光が逆流して、ガルグの額に戻り、頭上に金色のもやが生まれた。
金色のもやには、カレンの故郷が見えた。いつも漁をしていた、巨大な水たまりが見える。
オズマが、ベッド岩の上に、足を投げ出して座っていた。
オズマに、誰かが話しかけてきた。日焼けをした、短い黒髪の女の子が、オズマの隣に座った。
二人とも楽しげに話をしている。
(オズマ! 僕という者がありながら、誰だい、その女の子!?)
カレンは心の中で叫ぶと、金色のもやが消えた。
ガルグが目を開いた。
「オズマ・レイトリックスは、無事に回復しているようだ」
「みたいですね。しかも、彼女も作ったみたいですし」
オズマ・レイトリックスの裏切り者!
カレンは口を尖らせた。
「そなた……見えているのか?」
ガルグは何かに打たれたような表情で、カレンを見た。
「はい。見えました。正しくは、ガルグ、貴方が見えていた景色が見ていました」
カレンの回答に、ガルグは目を閉じた。霊力を起動させている、というより、自分の中で何かを決断しているようだった。
口元が歪み、振るえている。
「頼む、来てくれ」
と、一切無駄のない動きで、頭を下げた。
カレンにとっては意外ではなかった。
必要であれば、どんな手段でも使う人だ、とガルグを評価していたからだ。
隣でナスティが慌てている。ガルグとカレンを交互に見る。
(尊敬する人物が、こんな野蛮人に頭を下げているんだ。いたたまれないだろう)
カレンはナスティが気の毒に思った。
「分かりました……。行きましょう」
意地っぱりは、この辺でいいだろう。
「やった!」
ナスティが小さく手を打ち合わせた。
ナスティが喜んでくれている。カレンは素直に嬉しかった。
「ガルグ。貴方みたいな偉い人が、易々と頭を下げてはいけません。どうぞ顔をあげてください」
と、カレンは手を突き出した。近くで舌打ちが聞こえる。舌打ちの主は、インドラであった。インドラは不快な蠅でも見るかのような表情で、カレンを睨んでいた。
「優しい……。それにカッコいい……」
ナスティは手を合わせたまま、カレンを見た。瞳が水分で輝いている。
「オズマの奴、ゲントおじさんの薬が効いて良かったけど、他に女の子を作るなんて、許せないからね。しばらく会ってあげない」
と、冗談めかしく説明した。
(それに、ナスティと一緒にいられるし)
カレンは、ガルグに質問をしたくなった。同行するのだから、それくらいの権利があってもよいはずだ。
「ねえ、ガルグ。僕の名前はカレン・エイル・サザードと言います。僕の知り合いに、同姓同名の人がいるんですけど、どう思いますか?」
ガルグは渋い表情をした。
「……知ったことか。同姓同名なら、いくらでもいるであろう」
ごまかされた、とカレンは思った。息を吸い込んだ後、次の質問をガルグに突き刺した。
「そうですか。ガルグ。では、貴方は、僕のお父さんではないですよね?」
ガルグは何かに切りつけられたような表情をした。
だが、いつもの厳しい表情に戻った。
「……そなたと私では、霊力の構造が違う。霊力の構造が違うとは、身体の構造が違うことを意味しておる。ゆえに私たちは親子ではない。……愚かな質問は、それだけか?」
と、平然とした口調で背を向ける。
カレンは、ガルグが嘘をついていない、と直感した。だが、何か違和感がある。
「最後にガルグ。昔はシグレナスとか海底都市とか、人々が繁栄していた時代があったのですよね。今では滅茶苦茶になってますけど。その滅茶苦茶になった原因が、ガルグ、貴方も何らかの形で関与していると思うんですけど、どうでしょう?」
「……どうして、そう思う?」
ガルグが振り返った。
また誤魔化す気だ。カレンは負けてられない、とガルグをまっすぐに見た。
「これまでの話を総合すると、そう思っちゃうんですよね」
カレンの質問にインドラが反応した。
「お前、失礼だぞ! さっきから、何なのだ? この方を、これ以上侮辱したら、この俺が許さん」
インドラがカレンに掴みかかろうとした。だが、ガルグが、インドラを制した。
「子どものくだらない妄想だ。言わせておけばよい」
威厳に満ちた口調である。ガルグの態度に、カレンは恥ずかしくなってきた。
(たしかに今さっきの僕は、子供みたいだ。ガルグに対する対抗心から、ついつい変な質問をしてしまった)
と、カレンは我に返った。
「変な質問をして、ごめんなさい」
カレンは頭を下げて謝った。
インドラは顔を背けた。
ガルグが背中を見せる。
「次の攻撃目標は、【異形なる存在】だ。あれを落せば、奴らが滅亡する日は……近い!」
と、声を張り上げた。




