命令
1
砂煙が立ち昇る。
青銅の拳が上がると、そこには何もなかった。
カレンは上空に気配を感じた。
空中を見上げると、砂煙の中から“聖女騎士”……ナスティの姿が現れた。ナスティは“癒し手”を抱えている。治療が間に合ったのだ。
ゼームは、周囲を見回してナスティを探している。だが、上空のナスティもまた、不可視のゼームを見えていない。
見えない敵と戦うのは不利だ。たとえ怪我を回復しても、一方的に殺される未来しか考えられない。
風になびくナスティのスカートを目にしながら、カレンは思考を巡らせた。
“蛇姫”が、頭に浮かんだ。
貝殻頭に追いかけられていた頃を思い返す。建造物の十字路で、“蛇姫”を歩かせた記憶がある。“蛇姫”が見ている映像が、カレンには見えていた。
(あのとき、僕は、霊骸鎧が何を見ているか分かっていた。それなら逆に、霊骸鎧に、僕がゼームをどう見えているかを教えられないだろうか?)
霊骸鎧と視覚情報を共有する。
それには、どうしたらいいか? まずカレンは“蛇姫”の映像が見えたときの感覚を思い返した。
このとき、カレン自身が“蛇姫”そのものになった感覚である。
(この反対をやればいいんだね。……僕の感覚を皆に伝える。皆に僕の感覚になってもらう)
カレンは目を閉じて、へその奥側で、自分の眼球に映るゼームの映像を浮かべた。さらに、ゼームが見えている身体の感覚を再現する。
カレンは眉間から霊力を放出した。自分の身体感覚を、霊骸鎧に伝えていく……そんな映像を思い浮かべた。
カレンの視界が変化した。
目の前に、いるはずのない“聖女騎士”ナスティが立っていた。ナスティの額に手を触れる。ナスティが横滑りして、代わりに“伝説”が立っていた。同じように“伝説”の額に振れる。
次に“癒し手”、そして“忍者”と霊骸鎧が横滑りで入れ替わっていく。
すべての霊骸鎧に手を触れた終わったあと、カレンは目を開いた。
ナスティを含む、四体の霊骸鎧が、一斉にそれぞれの方向から、一点を見た。
見た先は、ゼームの居場所であった。
ゼームは透明だったが、輪郭がある。腰を屈めて、“伝説”に頭突きを食らわした。だが、ゼームの挙動を予測をしていた“伝説”は、簡単に受け止めた。
「なに、そ、そんなバカな! こいつら、私たちが見えているというのか?」
透明のイドルトが動揺した。
“忍者”が、背を反らし、左右それぞれの腕に巻き付けられた“炎殺鎖鎌”を解き放った。刃と鎖が爆炎となり、ゼームの後背部めがけて爆風を巻き起こした。
熱風を食らい、ゼームは身悶えした。
“伝説”に頭部を固定されているため、逃げ場はなく、自らの身体を激しく揺さぶった。騎上のイドルトが爆風の影響も相まって、吹き飛ばされていった。
ゼームの尻は焼き爛れ、両後足は、付け根の部分が溶けて無くなっている。
ナスティは着地して、“癒し手”を地面に降ろした。ゼームと相撲をとっている“伝説”の背中を確認すると、“伝説”に向かって走り出した。
“伝説”の背中を蹴り、空中に飛んだ。高い位置で全身を翻し、“天使の槍”を振りあげた。
回転しながら落下し、ゼームの首に全体重を載せた槍を浴びせかけた。
首輪が氷の結晶となって、飛び散った。
「落花流水剣! ……槍だけど」
カレンは思わず唸った。
槍が火花を散らし、ゼームの首筋を切断しようとしている。
だが、ゼームは“伝説”ごと頭を動かし、ナスティを振り払った。地面に着地をしたナスティを、ゼームは踏み殺そうとしたが、“忍者”の追撃で阻止された。
苦痛で暴れ回るゼーム。紙切れのように“伝説”がゼームの顔面に張り付いている。
「“伝説”がゼームの頭を押さえ込んでくれるといいのだけど……」
カレンは頭を掻いた。だが、すぐに対策が閃いた。
“癒し手”に命令した。
「“癒し手”、“伝説”の怪我を治せ!」
“癒し手”が、“伝説”に霊力を投げ飛ばした。
イドルトが“伝説”をゼームから引き離そうと氷の弓をつくったが、ナスティに邪魔をされた。
“癒し手”が力を送れば送るほど、“伝説”の膂力が、ゼームを徐々に上回っていく。
ついには、“伝説”は自分の胴体をゼームの顔面に載せて、地面に押さえ込むまでに至った。
「ナスティ! もう一度、落花流水剣だ!」
カレンはナスティを呼んだ。ナスティは、イドルトの相手をしていたが、氷の槍をよけて、空高く飛んだ。
身体をひねり、回転しながら落下する。回転する槍は花びらのようだ。
ナスティの槍がゼームの首に叩きつけられた。
金属音を立てて、槍の刃がゼームの首に深々と食い込んでいく。傷口から火花が飛び散った。
ゼームは抵抗しようと首を振るが、“伝説”に身動きを抑えられ、“忍者”の執拗な攻撃で残す体力が弱々しい。
ナスティは全体重、全霊力を振り絞って、ゼームの首を斬り落とした。
ゼームの首が転がる。だらしなく舌を出し、まだ眼球は動いている。
ナスティがゼームの顔面を片手で掴みあげると、背後で、ゼームの胴体が音を立てて倒れた。
今はなき首の部分から液体金属が、血のように吹き出ていた。液体金属は空気に触れ、湯気となった。
ナスティは、ゼームの頭を空中に放り投げ、一刀両断した。
二つに分かれたゼームの顔を見て、イドルトは狼狽えた。
「そんなバカな……! ゼームは、ザムイッシュの頃から、一度も負けたことがなかったのに……。我々の切り札だったのだぞ」
ナスティは攻撃の手を休めない。駆けだして、イドルトとの距離を詰める。
「やめろ、“加速装置”を使うな!」
イドルトが慌てふためく。
ナスティが力を開放した。
“加速装置”だ。きらめくナスティの残像が、イドルトの背後に回り込み、烏賊頭の首を跳ねた。
一瞬の出来事であった。イドルトに、悲鳴をあげる余裕さえ与えなかった。
カレンは、何故イドルトがナスティを殺したがっていたのか理由が、ようやく把握した。
ナスティが“加速装置”を使えるからだ。“加速装置”を持った相手を倒すには、“加速装置”を持っていなければ勝ち目がない。
“加速装置”を持っていないイドルトとしては、ナスティが弱っているときに止めを刺したかったのだ。
敵を殲滅し、“伝説”、“癒し手”、“忍者”ら霊骸鎧から緊張が解けた。
カレンはナスティに駆け寄った。
“聖女騎士”の変身が解け、裸のナスティが現れる。
倒れるナスティを抱きとめた。
空中から毛布が舞い降りてくる。カレンは毛布を手にして、ナスティに巻き付けた。
「よかった、無事で……」
“癒し手”のおかげで、一度切断された片足が元通りになっている。傷跡も残っていない。
ナスティから力を感じ取れない。静かに眠っている。
「頑張ったもんね……。ゆっくり休んでね……」
聞こえていないかもしれないが、カレンは優しく言葉をかけた。
カレン自身も疲れた。
全身が痛いが、心地の良い疲れだった。
カレンも、暖かいナスティの体温を感じながら、静かに休んだ。
だが、休憩も、クルトの高笑いによって、すぐに中断された。
瓦礫の中から、クルトが立ち上がった。半身が溶けている。
クルトの顔半分から、肉が泥のようにこぼれ落ちていた。
「俺様は、死の淵から蘇った。さらに新しい能力を身につけた。“加速装置”だ。……感謝するぞ、銀髪の小僧!」
クルトが消えた。
一瞬にして“伝説”と“忍者”の背後に回っていた。まとめて電撃で吹き飛ばした。
「電撃の威力は、これまでの十倍以上だ!」
クルトは肩を竦めた。十倍は流石に嘘だ、とカレンは思ったが、威力はさらに強化されていた。
“忍者”はおろか、今までクルトの電撃を耐えきった“伝説”でさえ、立ち上がれない。
「もういい、みんな帰って!」
カレンは“癒し手”を含めた三体の霊骸鎧を元に戻した。
クルトは指を振って、舌を鳴らした。
クルトの片手は以前と比べて細くなっていた。よく見ると、顔の肉と同様、肉と皮が剥がれ、骨だけになっていた。
肉が薄く再生するが、治りきらないうちに剥がれ落ちていく。
「俺様は、もう永くないだろう。だがな、銀髪の小僧。貴様だけは……貴様だけは絶対に生かしてはおけん。貴様は必ずや我らの神にとって、危険な存在になる」
クルトの怒声に、ナスティが薄目を開けた。ナスティの身体から、緊張が伝わる。クルトの殺意に反応しているのだ。カレンから離れて応戦するつもりだ。
(こんなに傷ついて……。それでも、まだ戦おうとしている)
ナスティが愛おしい。
抱きしめたナスティをさらに強く抱きしめた。カレンはナスティの黒髪に顔を埋めた。
「もういい、君はもう戦わなくていい。……僕が戦うからね」
負ける気はしない。
むしろ、自分の力を試したくなってきた。この闘技場は、カレンにとっての実験場のようにすら思えてきた。
カレンは静かに目を閉じる。
世界が暗転する。クルトの動きが分かる。高速であるはずの残像も、カレンにとっては、コマ送りの映像にすぎない。
いつものように回り込んで、カレンとナスティに電撃を食らわすつもりだ。
「無駄だよ。もう、僕に“加速装置”は効かない」
カレンは片手でナスティを抱き、もう一方の片手で白い剣を表出させた。
剣先を、背後のクルトを突き立てた。眉間を貫かれたクルトは、動きを止める。
カレンは、返す刃でクルトの首をはねた。
ナスティが異変に気づいた。カレンに抱かれて、不思議そうに首を傾げた。
クルトの首が、静かに転がっていく音を聞きながら、カレンは優しく説明した。
「なんでもない。もう終わったんだ……」
2
「そなた、その剣は……星白の剣ではないか。レイピアフォームといったところか」
ガルグの声が聞こえる。何の話だかわからないが、カレンは、ガルグの視線が嫌だった。ナスティを抱きしめる時間が長すぎた。ナスティを離し、咳払いをした。
「ガルグ。貴方は僕に、好きにしろ、と言いましたよね? ですから、僕は、クルトたちをやっつけました」
カレンは早口で意味不明の言葉をまくし立てた。
気まずい。この気まずさは、何なのかカレンには理解できなかった。
小石が跳ね、地面が揺れ出す。
(地震?)
カレンは左右を見渡した。揺れは止まる気配がない。
「ここは、終わりだ。もうすぐ崩壊する。インドラが戻ってきた」
ガルグが落ち着いた口調で、空を見上げる。空から“龍王”が舞い降りてきた。“龍王”の羽ばたきが、砂煙を巻き起こす。
迷惑な奴だな、とカレンは思いながらも、ナスティをかばった。
“龍王”が黒い煙とともに消える。煙の中から、日焼けした若い男が現れた。
インドラだ。駆け寄るインドラに、ガルグが小声で話しかけた。
「例のものは見つかったか?」
「はい、ここに」
インドラがガルグに何かを手渡した。
「これで、すべてが揃ったことになる」
ガルグが、懐に入れた。
「最後の一つは、見つかったのですか?」
「……うむ。セルケナを探す手間が省けた。星白の剣は、あやつが持っていた」
「あの子供が?」
カレンはインドラと目があった。眉をひそめ、訝しげな表情をしている。
セルケナ?
なんとかの剣?
(この人たちは、つくづく、僕の知らない話題を目の前でするのが好きなんだな)
と、カレンは苦笑した。
ガルグが鋭い声で叫んだ。
「そこの貴様! ……いつまで隠れておる?」
壁の陰から、顔に傷がある男が飛び出てきた。
カレンは記憶がある。傷跡の男トニー・チーターだ。カレンを騙し、奴隷船に誘拐し、貝殻頭にガルグたちの存在を報せた男。
そんな男が、恐怖で震えている。腰を抜かして、手を振っていた。
「我々は、これから脱出をする。貴様はどうするつもりだ? ここで死ぬか? 我々とともに地上に戻るか?」
と、ガルグの声が、厳しく響く。
トニーは、その場で膝から崩れ落ち、なにやら命乞いの言葉を発している。
遠くの方向から、高層建築物が崩れて倒れていった。
カレンにとっては意外だった。冷血なガルグなら、トニーなど放置するだろう、と予想していたからだ。
「良い。そなたら、こちらに参れ」
ガルグは、地面を足で払った。不思議な紋様で描かれた円形が現れた。
円形から青白い光が、煙のように僅かに揺れては消えている。
円形の中心に、カレンたちは集まった。
「今回の転送魔術は座標を探る必要はない。帰りであるので、方向は直線である。インドラ、力を貸せ」
ガルグとインドラは、カレンに背を向けた。何か言葉を発している。
カレンは背後にいるトニーが信用できなかったので、ガルグと自分の間まで歩かせた。
(君のことは後で見張っているよ。何かしたら、やっつけるからね)
と、耳打ちした。トニーは可哀想なくらい、首を激しく縦に振った。
カレンたちを覆う円の周囲が、もやで包まれた。桃色や青、様々な色に変わっていく。
隣でナスティがカレンに掴まっていたが、手を離した。
「もう一人で立てる?」
カレンの問いに、ナスティは力なく頷いた。瞳に涙が溢れている。
「レミィのことで泣いているのかい?」
「ミントの先が短かったことは理解できる……。それに、こんな生活を続けては、いつ死んでも可笑しくない……。だが、せめて遺体だけでも回収したかった……」
ナスティは言葉を詰まらせていた。
カレンは自分の腰巻きを見た。黒い土のような物体が付着している。
レミィの手を握ったとき、崩れた後の残りだった。
「これ……」
手のひらに載せて、ナスティに見せた。
ナスティが、カレンの手に自分の手を重ねる。カレンの胸が、熱く溶けるように鼓動した。ナスティが身体を折って、重ねた手の上で顔を乗せた。
ナスティの表情が見えない。静かに震えている。
ナスティの小さな声が、聞こえる。
「……目をつぶって、歯を食いしばれ」
ナスティの意外な申し出に、カレンは殴られてもいないのに、殴られたように驚いた。
また、平手打ちの刑!
クルトたち貝殻頭よりも、理不尽な暴力をふるうナスティが怖くなってきた。
だが、不思議とカレンは抵抗する気持ちはなかった。
(レミィを死なせてしまったのは、僕の責任だ。僕は殴られても仕方がない奴だよね。平手打ちで僕が死んでも、ナスティの気が晴れれば……)
生存本能よりも、贖罪の気持ちが強かった。
(ナスティに殺されるなら、本望だ)
カレンは歯を食いしばり、死を覚悟した。ナスティに重ねられた手を、さらに重ねた。無抵抗だとナスティに理解してもらうためだ。
ナスティの手がさらに重なる。
(防御させないつもりだな……でも、両手を使ったら、平手打ちができない……?)
カレンが疑問の回答に気づくまで、事態は起こった。
激痛と衝撃はなかった。
柔らかく、甘い感触が、カレンの左頬に広がった。
ナスティの吐息が、カレンの頬に当たる。目を開くと、ナスティが熱病に罹ったような瞳をしていた。
真っ赤な顔をしたナスティの唇から、静かに細かく息をしている。
(そんな、ガルグが目の前にいるんだよ……?)
ガルグやインドラたち、大人たちの大きな背中を見て、カレンは動揺した。動揺のあまり、カレンはナスティの手を振り払おうとした。
「あ、だめ。拭かないで!」
ナスティが誤解する。阻止する腕力が、相変わらず強い。
レミィの言葉を思い返した。
(ナッシーはね、ああ見えても甘いものが好きなんだ。小さい頃はガルグに隠れて、クッキーを盗み食いしたものさ……)
甘い感覚が、カレンのおへその奥側から湧きたって、全身に駆け巡るような感覚になった。
「分かった。絶対拭かない。だから、手を離して」
冷静さを取り戻したい。このままナスティとつながっていたら、どうにかなってしまいそうだ。
ナスティが困ったような表情で、カレンから手を離した。
眉間にしわを寄せて、人差し指をカレンの鼻先に突きだした。
「いいか、絶対に拭くなよ? ……上官の命令は絶対だゾ?」
それから、ナスティはそっぽを向いた。耳が真っ赤である。
カレンは手で空間を作って、左頬を守った。
(オズマ……。僕、女の子にほっぺをチュウされちゃったよぅ。このままじゃ、僕、僕……)
転送魔術の影響だろうか? カレンは眩暈を感じた。
(赤ちゃんができちゃいます)




