旗本
カレンの疑問はイドルトの悲鳴で気を逸らされた。
“伝説”はイドルトを殴打している。イドルトは氷で何かを作ろうとするが、“伝説”に腹を蹴られて、集中できない。そのまま地面に倒される。
“伝説”が馬乗りになった瞬間に、時間ができた。
「ゼーム!」
イドルトは氷で、小さな笛を作っていた。“伝説”の体重に押しつぶされながらも、イドルトは自身の顎に笛を当てて、鳴らした。
どこに口があるのだろう、とカレンは疑問を感じたが、不快な高音に耳を塞いだ。
(この音は、警告をしているようだ。僕たちに、何か危険を報せるような……)
ゼームは、操り人形のように立ち上がった。目を見開き、足下の一点を見つめている。
ゼームの内部で何かが爆発した。爆発は、ゼームの皮膚にとどまり、瘤となった。身体中に爆発が起こり、瘤ができた。ゼームが瘤だらけの全身を掻き毟ったが、背中の瘤には、爪が届かない。
瘤は、ゼームよりも大きくなり、ゼームの全体を飲み込んだ。
“伝説”の数倍ほど大きくなり、弾け飛んだ。煙と緑色の破片が飛び散る。
爆発したあとから、巨大な生命体が現れた。
金属のような肌は、光沢を放ち、頭部には角が生えている。四足歩行の形態になった。
「……なんだ、あれは? ……牛?」
カレンは呟いた。
青銅の牛となったゼームが、四つん這いで走り出した。ゼームの体重が、地面を穿ち、地響きを鳴らす。
“伝説”の前で立ち止まる。
後ろ脚で立ち上がり、雷鳴のような叫び声をあげた。“伝説”とは、体格差が二倍以上ある。
柱のような右前脚で、“伝説”を紙のように払いのけた。“伝説”は、瓦礫の中に突っ込んでいった。
ゼームが、イドルトの傍まで駆け寄る。
イドルトは、巨大ゼームの背中に飛び乗った。背中の中央には、頭から尾まで毛が走っている。イドルトは背中の毛に跨がった。
ゼームの首に触れて、氷の首輪を巻き付けた。首輪から氷の手綱が蔦のように伸び、イドルトの腕に絡まった。
「ゼーム。今から私が指示をする。……奴らを、ザムイッシュどもを踏み殺せ!」
イドルトが手綱に霊力を送り込んだ。霊力がゼームの首を経由して、脳に送られる。ゼームが、向きを変えた。
向いた先には、“癒し手”がナスティを治癒している。
瓦礫の山から“伝説”が飛び出て、ゼームとナスティ達の間に滑り込んだ。
ゼームが頭部の太い角で突き殺そうとしたが、“伝説”は、それを両脇で締め付けた。“伝説”は背を反らし、地面に踏ん張った。両の脚が、砂をかきわけている。
ゼームは頭部にいる邪魔な“伝説”を、片手で殴りつけた。殴りつけられる瞬間、“伝説”が黄色の光を放った。
ゼームの拳が跳ね返った。“伝説”が黄色の光に包まれている。
イドルトが烏賊頭を振って、驚く。
「こやつ、打たれ強くなったのか? ……これが、こやつの能力なのか?」
腕力も向上している。上半身を左に曲げて、ゼームの首をへし折ろうとしている。ゼームは隙だらけだ。背中のイドルトが、氷で鞭を作って、“伝説”の頭を打つが、“伝説”は微動だにしない。
「くそ、私の攻撃が通用しない。……だが、貴様らザムイッシュの能力は、長持ちしない。……そうだったな」
烏賊頭のイドルトが笑った。カレンには、どうやって笑っているのか分からなかったが、イドルトから余裕のなさを感じた。
だが、カレンも笑っていられる立場でもない。このままでは“伝説”の消耗を待つだけだ。
「ゼームの動きを止めなきゃ。……“これでもくらえ!”はダメだ」
カレンは先ほどクルトを倒した技……“これでもくらえ!”と勝手に命名した……を使おうか考えたが、やめた。
コントロールに自信がなかった。クルトの場合は、クルトが偶々(たまたま)目の前にいたから上手く当たっただけである。
しかも威力が強大すぎて、“伝説”やナスティを巻き込む恐れがある。
(霊骸鎧を追加しよう)
カレンの隣で、ガルグが目を瞬かせた。
「あれは、ゼーム……? イドルトか……?」
クルトといい、“伝説”といい、ガルグには知り合いが多いな、とカレンは思った。
今は、ガルグの相手をしている暇はない。
「出でよ、“火の騎士”! 汝の名前はナイトハルト・ダガーロード!」
炎の戦袍を翻し、カレンの足下で片膝をついて頭を下げた。
「おおっ。“火の騎士”だと……」
いちいち驚くガルグの相手をしている暇はない。“火の騎士”の額に手を当て、霊力を送った。
「カレン・エイル・サザードの名において命令する! 敵を倒せ!」
返事をするかのように“火の騎士”が、十字突剣を天に掲げた。
だが、カレンは “火の騎士”と巨牛のゼーム、体格差を見比べて、
慌てて“火の騎士”を止めた。
(違う。たぶん、“火の騎士”だと、ゼームに吹き飛ばされてしまうだろう。こんな曖昧な命令は、無意味だ)
貝殻頭たちの戦い方を思い返す。ナスティが一体の貝殻頭と戦っているとき、いつも側面から別の貝殻頭に攻撃を仕掛けられていた。
実家にいた頃を思い返す。オズマと反対側に分かれて、野豚を落とし穴まで追い立てていった。
(戦いの基本は、挟み撃ちだ……)
と、カレンは仮説を立てた。仮説を具体的な作戦に落とし込む。
「“火の騎士”。ちょっと僕の話を聞いて。……ゼームの動きを横から、あの君の得意技を使うんだ。……できるかい?」
“火の騎士”は頷き、十字突剣をゼームに向けて駆けていった。
炎の戦袍から溢れ出る炎が、“火の騎士”の全体に燃え広がった。“火の騎士”は巨大な一矢となって、ゼームのわき腹に体当たりをした。
青銅の肌が熱に溶け、巨牛となったゼームの目や口から、泥のような液体金属が流れ落ち、地面を焼いていった。
苦しみ、のたうち回るゼームから、“伝説”は、ナスティと“癒し手”の肩を抱いて、庇った。
“伝説”の背中に破片や小石が跳ね返る。ゼームが痛みを忘れるかのように、“伝説”を無茶苦茶に殴りつけるが、“伝説”は一瞬たりともナスティたちから腕を放さなかった。
頭上のイドルトが、ゼームにしがみつきながら命令する。
「怯むな、ゼーム。まず増援を倒せ!」
炎の戦袍と燃えている炎が消え、“火の騎士”自体も黒くなっている。
「戻れ、“火の騎士”! もう充分だ」
カレンの命令と同時に“火の騎士”は消え、ゼームの払う手が、残った赤い煙をくゆらせた。
ゼームは、“伝説”から距離をとり、左右にステップを踏んでいる。肉食獣が、獲物にフェイントをかけているようだ。
焼きただれていたゼームのわき腹は、青銅の色で、すぐに埋まっていった。燃えた分だけ、金属部分が無くなっていたが、動きを見る限り、活動には支障がない。
(時間稼ぎをしている! “伝説”の能力が消えるまで)
カレンは、イドルトの作戦を見抜いた。
「出でよ、“忍者”! 汝の名前は、リュウゼン・ミタムラ」
カレンとしては、ゼームが倒れるまで、何度も攻撃でき、なおかつ高い火力を持つ霊骸鎧が欲しかった。
異国風の奇妙な戦士が、赤い霊力をまとって現れた。
カレンの前に跪く。
「カレン・エイル・サザードとして命ずる! ゼームの背後を攻撃せよ!」
額に霊力をもらった“忍者”は、両手を合わせて、異国風のお辞儀をした。
鈍重な足取りで、肩や兜に装着された不思議な形状の飾りを揺らして、戦場に赴く。
カレンは不安になった。
ゼームの軽快な動きに比べると、“忍者”は足が遅すぎる。
(これじゃあ、反対にゼームに回り込まれちゃうよ。“伝説”に注意を引きつけてもらって、その隙に“忍者”が背後をとるのはどうだろう?)
カレンは作戦を立てていった。だが、そんな不安を吹き飛ばすかのように、笑い声が聞こえた。
「リュウゼン・ミタムラだと?」
笑いの主は、ガルグであった。カレンには、笑われた理由が理解できない。
ガルグは、笑い涙を指で払って、説明をした。
「そなた、知っておるか……? ミタムラは、他の霊骸鎧に変身することができる。それには、もう一つ霊力開放が必要であるが」
カレンは、“忍者”の墓を思い返した。“忍者”……リュウゼン・ミタムラの名前に、二つの模様が刻まれていた。
光の玉を表現した模様であった。
“忍者”リュウゼン・ミタムラは、もう一つ変身を残している!
カレンは、墓に掘られた手の動きを再現した。
「出でよ、“旗本”! 汝の名前は、リュウゼン・ミタムラ!」
“忍者”は赤い煙とともに消え、人馬の姿が、緑色の光とともに現れた。
馬上の人は武者鎧に身を包み、旗を背負っていた。馬上の人……“旗本”は、“忍者”であった頃に比べると、鎧が薄く、細身である。武装も、腰に下げた奇妙な刀剣だけだ。
ガルグはカレンに注意をした。
「“旗本”の戦闘能力は、それほど高くない。ただ、“忍者”よりも機動力に優れる。ミタムラは生前、“旗本”で敵に近づき、“忍者”となって、敵を焼き払っておったわ……。多段変身を使いこなしていたのは、奴くらいであったな……」
カレンはガルグに助言される状況が嫌だったが、ゼームに時間稼ぎをさせる余裕はなかった。
「“忍者”! いや、“旗本”……。カレン・エイル・サザードとして命じる。ゼームの背後に回り込んで、“忍者”となって、敵を殲滅せよ!」
“旗本”は馬を走らせた。
「あれが、多段変身……。一人の人間が、二つの霊骸鎧を使い分けるのか……」
カレンは“旗本”の疾走に目を奪われながらも、何故かインドラの顔を思い返していた。
イドルトが苛立つ声をあげた。
「おのれ、また増援か! 敵の増援は無限か! またもや、あの小僧の仕業か! やはり一番危険なのは、あの銀髪の小僧であったのだな!」
ゼームに命令する。
「ゼーム。貴様の能力を開放しろ。……私にもかけるのだぞ?」
ゼームの身体が、空中に溶けて消えていった。イドルトも見えなくなった。
「透明化! 巨牛の状態でも透明になれるの?」
“伝説”は、周囲を見渡した。“旗本”も走るのをやめ、消えたゼームを探している。
カレンには、巨大な透明の輪郭が残って見える。巨大な輪郭となったゼームは小走りで、“伝説”の背後に回りこんだ。
カレンは叫んだ。だが、間に合わなかった。
“伝説”は吹き飛ばされた。ただ、前回と違って、今回は隙だらけの状態だ。しかも、金色の光も終わって、力を使い果たしている。
「ナスティ! 逃げて!」
カレンが叫んだ。
ゼームの透明な拳が、ナスティと“癒し手”に向かって振り下ろされた。




