涙
先週はお休みをしていました。
“伝説”が、前傾姿勢で大地を蹴る。
砂埃を巻き起こし、クルトとイドルトの隙間を抜けていった。
カレンは唸った。
「足が速い! “加速装置”を使っているの? いや“加速装置”ほどではないけど、それでも速い!」
“伝説”は一瞬にして、ゼームの目の前に立つ。
ゼームは、苦しむ“聖女騎士”ナスティを、踏みつけていた。子どもが波乗りをして遊んでいるかのように見える。
ゼームが“伝説”の存在に気づくと、“伝説”の拳を食らった。柔らかい素材のような緑色の顔が拉げて、吹き飛んでいった。
“伝説”は両腕を広げ、ナスティを庇う姿勢を見せた。
イドルトが喚いた。
「よくもゼームをやってくれたな? 穢らわしいザムイッシュごときが」
氷の槍を作り出し、突きかかった。対する“伝説”には武器がない。殴り返すが、イドルトに届かなかった。イドルトの槍が、“伝説”の顔面を海老反りに揺らしている。
「弱っ」
カレンが、思わず“伝説”の戦闘能力を評価した。
だが、槍は“伝説”の頭部を貫通していない。顔面の表面にとどまっていた。“伝説”は両腕で脇を絞り、氷の槍を顔面で押し返した。
氷の刃が粉々に砕け散った。
「私の槍が効かないだと……?」
イドルトは烏賊頭を振り乱し、驚いた。離れた位置にいるカレンも同時に驚いた。
だが、ただ一人、クルトだけは驚かなかった。“伝説”の背後に回り込み、電撃を放つ。
カレンは、目を背けた。
(しまった! 一人で三人は無理だ)
“伝説”は、火花を散らし、身をよろめかせた。
クルトは舌を出して、ずるがしこい笑みを見せている。
「ふん、隙だらけよ。たとえどんな奴であれ、俺様の電撃に耐えられた奴は、おらん! ……プギィッ」
勝ち誇る言葉が、豚の鳴き声に切り替わった。
クルトは身体を錐揉み回転させ、砂地に豚鼻を押し付けた。“伝説”に殴られたのである。
「“伝説”はイドルトの槍も、クルトの電撃にも耐えきった。……強い?」
カレンは呆気にとられた。
両腕を振り回し、イドルトに向かって走る。イドルトは、後退しながら氷の槍で応戦した。
“伝説”が槍の穂先を胸で受けて、槍をしならせる。
「槍を脇にどければいいだけでしょ? まるで子どもの喧嘩みたい。脚が速くて、打たれ強くて、とにかく身体が強い。……でも、頭が悪い」
カレンは頭を抱えた。“伝説”は、ガルグやナスティと比べて、動きに無駄がありすぎる。そもそも、頭が悪い。
“伝説”を強いのか弱いのか、どう評価していいか分からなくなってきた。
顔が半分歪んだクルトが、立ち上がった。離れた位置から、“伝説”に向かって電撃を飛ばす。
“伝説”は、怯みながらも、電撃の中を強引に進み、クルトの首を絞めた。
「俺様の電撃が通用しない……?」
クルトは、口や鼻から液体を飛ばした。だが、カレンには、“伝説”の霊力が若干弱くなっている様子が見えた。クルトの電撃が無駄だったとはいえない。
イドルトが、氷の斧を、“伝説”の後頭部に叩きつけた。ナスティの片脚を霊骸鎧ごと切断した氷の斧を食らっても、“伝説”の頭部は二手に分かれなかった。斧が氷の粉となって崩れた。
“伝説”の締め付けが緩み、クルトが地面に落とされる。“伝説”はクルトの腹を、逞しい足裏で踏みつぶそうとしたが、イドルトが投げた氷の投げ短刀に注意を逸らされた。
「クルト。このザムイッシュは、貴様とは相性が悪い。……先にあの女の始末をしろ」
烏賊頭イドルトの顎には烏賊の触手があるが、顎を揺らして、倒れているナスティを指した。
「しかたあるまい……!」
クルトは苦々しい表情をした。“伝説”に殴られた顔と絞められた首から黒い煙が出し、自分の負傷を治している。
(ナスティが殺される!)
カレンは咄嗟に声を張り上げた。
「やい、クルト! 弱虫のクルト! 傷ついている女の子をよってたかって虐めるのが、君らの趣味かい? この卑怯者! え~と、バーカ」
カレンなりに挑発しているつもりである。だが、カレンに誰かを罵倒する経験に乏しく、挑発に迫力がない。
カレンの声を聞き、クルトの顔色が青ざめた。
だが、クルトは、笑みを浮かべて、表情を変えた。恐怖を誤魔化している。
(クルトは、僕を怖がっている……)
「先に死にたいなら、貴様から始末してやるぞ、銀髪の小僧! ……後悔するが良い」
クルトが、向かってきた。両腕に帯びた電撃から火花を散らつかせている。
カレンの隣で、何か音が聞こえた。
ガルグが目を覚ましていた。黒みがかかっていた肌が、本来の生気を取り戻している。
ガルグが中腰になって、クルトの攻撃に対応しようと反撃の構えをとった。
(この人は、自分が危なくなると目を覚ますんだ……。ナスティが大変なときは無視なのに? そうですか)
ガルグに対して、怒りと軽蔑の念が湧いてきた。だが、ガルグから、強さを、ほとんど感じられなかった。
(ガルグは弱っている。今だったら、僕が強い。霊力も体力も。僕が十としたら、今のガルグは一くらいだと思う。片翼円舞剣もクルトには知られているので、打つ手はないだろう)
カレンは分析した。ガルグの肩を手で押さえた。枝のような見た目だが、触れると逞しい弾力がした。
「ガルグ、貴方は引っ込んでおいてください。貴方では、ナスティを守れません」
なるべく冷たい口調で、強引に座らせた。
肩から手を離すと、カレンの脳裏に、映像が流れた。
ガルグが両腕から光を放っている。その光が、メーダを消滅させていた。
(これやってみようかな? 落花流水剣とか、片翼なんとかとかは、無理そうだけど、この技なら、できそう。ガルグの得意技を試してやれ)
ガルグに対する当てつけである。カレンには、いたずらっ子のような楽しい感情と、思いつきだが、根拠のない自信が膨れ上がった。
両手を、ぶつけ合わせる。だが、何も起こらない。
(ただぶつけるだけではダメだ。ガルグは、霊力と霊力をぶつけ合わせていた)
カレンは目を閉じた。眉間からヘソの奥側に向かって走る、六つの光が見えた。カレンが胸の前で両の掌を合わせた。
掌の周辺に、体内からの光が集まってくる。
(ここは、霊力の家。集まりやすくしよう)
手と手の間に丸い空間を作ると、六つの光が中に入ってきた。
六つの光が、一列になり、空間の中心で円を作った。回転している。
カレンが手を閉じた。
六つの光が互いにぶつかり合い、強力な熱量を生み出している。
「熱っ」
左右の拳を握りしめると、手が燃えている感覚に陥った。
右手と左手の間を、強い光が行ったり来たりしている。光は左右の手に架かる空中通路となって、行き交うたびに、より強く、より熱くなった。 カレンは、火傷するほどの熱量に耐えられなくなり、両手を前に突きだした。
光が両手から放出される。放出された光は熱となり、槍となった。いや、槍よりも、建造物を支える柱よりも太い。目前に迫っていたクルトに直撃した。
クルトが、熱したバターのように溶けていく。左目を覆う肉が剥がれ、続いて左目そのものが蒸発した。左腕や左足はあらぬ方向に折れて、消えていく。
カレンは、自分が放出した熱量に、自身が吹き飛ばされないように、両足で踏ん張った。熱くて、息が苦しい。カレンはむせた。
クルトの残りが、振り回した柱に叩きつけられたように、闘技場の向こうに吹き飛ばされていった。
クルトの落下地点で、岩や砂が舞い上がる。
「できた!」
カレンは両腕をあげて、喜んだ。手のひらが熱くて、空中で指を開き、冷やした。
「どこで、それを習った?」
隣のガルグが、口元を隠して低い声で訊いてきた。カレンは、あえてなんでもないようなふりをして、答えた。
「ガルグ。貴方のやり方を見よう見まねでやったら、できちゃいました」
ガルグは立ち上がろうとしたが、カレンはガルグの肩を抑えて座らせた。
「見よう見まねだと? 私が、何十年もかけて編み出した技だぞ……」
ガルグが何かに気づき、言葉を切った。視線の先を追うと、“伝説”とイドルトが戦っている様子に目を奪われている。
イドルトは氷で盾を作り、“伝説”の打撃から身を防いでいる。
「ゼーム! ゼーム! 目を覚ませ!」
イドルトは遠くに転がっているゼームを呼びかけていた。
ガルグは、カレンを振り払って、立ち上がった。
目を見開き、口元は震えている。明らかな動揺が見て取れる。
カレンは、もう一度座らせようとしたが、必要性はなかった。
ガルグが砂地に平伏していたのである。
「偉大なるお方!」
額を砂地につけ、叫んだ。
「そのお姿、夜空に輝く星々に似て……。その御心、静かで雄大なる大海に似て……。この老骨、恥も外聞もなく、ただ生き延びて参りました」
震えながら、何か言葉を続けている。
「知り合いなんですか……?」
カレンは、ガルグの行動に動揺しながらも、上から覗き込んだ。
ガルグは起き上がり、埃を払った。背筋を伸ばす。
「……“友人”であった。昔のな……」
眉間にしわを寄せた。カレンには、ガルグの気持ちが読みとれなかったが、“伝説”と浅からぬ関係にあった、と理解した。
いくら考えても分からない。
カレンは首を振って、気持ちを切り替えた。離れたナスティを見る。
今は、ナスティに集中しよう。ナスティは、脚を負傷している。
「“伝説”! イドルトをなるべくナスティから引き離して!」
“伝説”が軽く頷いて、イドルトの首を掴み、走り出した。カレンの命令を理解している。
カレンは目を閉じ、先ほど教わった手の動きを再現した。
「出でよ、“癒し手”!」
水色の霊力とともに、背中に羽衣をつけた、霊骸鎧が現れた。
「汝の名前は……レミィ・ミンティス!」
レミィ……“癒し手”がカレンの足下に跪いた。カレンは“癒し手”の頭に手を置いて、霊力を送り込んだ。
「カレン・エイル・サザードとして命じる。ナスティの傷を治せ」
“癒し手”が、水平移動しながら、ナスティに向かっていく。ナスティの太股が地面に転がっている。“癒し手”が手を向けると、吸い寄せられた。
ナスティの太股を手に、“癒し手”は水色の光に包まれる。
「レミィの能力って、霊骸鎧も治せるのかな……」
カレンは不安がった。だが、ナスティの胸に残っていたゼームの爪跡が、“癒し手”の光を浴びると、消えていく。
「……ミンティスを、“癒し手”を何故、動かせる? そなたは、霊骸鎧を呼び出せるのか?」
ガルグは眉をひそめた。ナスティがよくやる表情に似ているな、とカレンは思った。
「僕は、霊骸鎧を呼び出すことができるみたいです。なんだかできるようになっちゃった」
カレンは実験をしてみたくなった。レミィに治療を受けているナスティを見て、“聖女騎士”を呼び出した。
「出でよ、“聖女騎士”!」
何も起こらない。
「……生きている人は呼べないみたい」
カレンは肩を竦めた。新しい発見である。
「あと、名前を呼んであげないと、霊骸鎧は動いてくれません」
ナスティの脚がつながっていく。苦しんでいたナスティが、穏やかにレミィの治療を受け入れている。
「ミンティスの治療が、以前よりも強力になっているな」
と、ガルグが、静かに分析した。自分の顎を軽く触った。カレンは閃いた。
「僕が霊力を分けてあげると、霊骸鎧は力をさらに発揮できるみたいです」
ガルグは目を見開いた。クルトの電撃を食らったかのような衝撃である。
「霊骸鎧を呼び出し、使役する……。さらには力を与える。このような能力を持った者は、初めてである。ナスティの奴隷。そなたは一体、何者だ……?」
名前を聞かれると、カレンは、姿勢を正し、いつもの自己紹介をした。
「僕は、シグレナスの皇帝、カレン・サザードです!」
だが、後悔した。
ガルグが小刻みに震えている。
(笑われる! また馬鹿にされる。……よけいな発言しちゃった)
急に恥ずかしい気持ちになった。いつもの自己紹介、つまり皇帝宣言は、これまで誰かが、どんな反応をしようとも、平気だった。だが、今となって、恥ずかしい行為だと自覚するようになった。
(ナスティも、レミィも守れない。そんな奴がシグレナスの皇帝だなんて、大それた夢だ。僕は僕が恥ずかしい……)
いや、ガルグは関係がない。自分が皇帝にふさわしくない証明は、これまでに何度も体験をしてきた。
カレンは背を丸め、自分の幼稚さを嘆いた。
「そなたは、なんということを申すのだ……」
ガルグは、かすれた声を出した。
(笑われなかった?)
意外な反応に、カレンは、ガルグの顔をのぞき込んだ。
ガルグの目尻に、わずかな水分が光っていた。
(この人、泣いている……?)




