伝説
ルビの打ち方を変えました。
1
ベッドでオズマが苦しげに眠っている。
カレンの母親リリアンは、オズマの黒い髪をなでた。
「ゲントさんがそろそろ来るわよ」
疲れ切った表情で、カレンに伝えた。止血をすませ、処置はすべて終わった。ゲントおじさんが薬を持ってくれるよう願うしかない。
リリアンが机の上で硬貨を数えている。カレンはリリアンに尋ねた。
「お薬代、足りるかな?」
「大丈夫だから……」
母親が目を合わせてくれない。嘘をついているときの癖だ。
薬代が足りないのなら、今日獲った魚がある。オズマと自分の分を合わせれば、少しは足しになる。
腰に手をやる。
荷物がなく、空を切る。
銛とカゴ。
水たまりのベッド岩に放置していた。
「ちょっと出かけてくる。忘れ物を取りに行ってくる」
カレンは砂浜に飛び出した。
外は夕暮れだった。
「水中橋!」
呼ぶ。だが、来ない。
「家に帰ったのかな? ……貝殻頭に家なんてあるのかな」
貝殻頭の家。ベッド墓を思い返す。ベッド墓が貝殻頭の家なのかもしれない。
「もう一回、ベッド墓に行ってみようかな。でも、行き方が分からないな。もう一度、頭に岩をぶつけてみようかしら」
カレンは自分の頭を撫でた。怪我は治っている。昔から怪我の回復は早い。
砂浜を歩いて、湾に向かう。
手頃な岩を見つけた。
岩に手をつけ「せーの」と、身を逸らした。
反動をつけたが、カレンは冷静になって踏みとどまった。
「いや、やっぱり止めておこう。もしも僕が頭から血を出して倒れていたら、お母さんは吃驚するだろう」
シグレナスの皇子たる者、自分で頭を岩にぶつけないはずである。
指で岩をなぞった。
水中橋の登場を思い返した。
ベッド墓で行った作業を再現してみよう。
カレンは目を閉じた。
額からお臍に向かって、一本の道が見える。
道には六つの玉が光っている。
カレンの額から、六つの玉が飛び出る。
目を開くと、カレンの前に、六つの玉が宙に浮いていた。
手でかき回す。
六つの玉がそれぞれを頂点とした、正六角形ができあがった。
(作者註、縦書きPDFにしますと、位置がずれます。一度横書きで位置を確認願います)。
黄
赤 白
緑 青
黒
カレンは指で緑から黒、黒から青へとなぞっていった。
六つの玉が光った。光を放ち、放たれた光は水中橋となった。
「水中橋……」
名を呼んでも反応しない。
ベッド墓に続きがあった。
「スコルト・ハイエイタス」
水中橋が青い煙を立てて、動き出した。
「おはよう。水中橋。今から水たまりまで行って、忘れ物を取りに行く。ついてきてくれるかい?」
水中橋から涼しげな音が聞こえた。
「ごめんね、貝殻頭つかいが荒くって」
水中橋の球体内部に入る。水中に潜りながらも、切り立った断崖を観察しながら進んだ。木が一本だけ生えている箇所がある。
オズマを家に連れ帰るとき、見た記憶がある。周囲を窺った。一瞬だけだが木を見た。カレンは目印として木を記憶していた。
「ここだったような気がする」
カレンを潜った。
水たまりに通じる横穴を見つけた。
水中橋の球体に入った状態で中を通る。
一度通った道だ。
カレンは難なく横道を通り、水たまりの底にたどりつく。水中は暗いが、水中橋のおかげで視界は明るい。
カレンはシグレナス城の残骸を横目に、浮上した。
水中橋を水中に待たせ、いつものベッド岩に這い上がる。外はすっかり夜だ。
銛を発見する。オズマの所有物だ。自分の銛は見つからなかった。銛の代わりに魚カゴが見つかった。オズマのカゴは見つからなかった。
オズマの銛を右手に、自分のカゴを腰巻きにくくりつけて、呟いた。
「二人あわせて一人前だな」
ベッド岩が気になる。
手で触れてみると、水中橋の岩と同じ六つの穴がある。穴と穴をつなぐ線。指でなぞった。線の配置が、水中橋の場合と違う。
このベッド岩にも貝殻頭が眠っている!
水中橋と同じく味方になってくれるかもしれない。
カレンは貝殻頭の名前を探った。六つの穴の下。
砂や土で埋まっている。
周囲は暗く、水中橋の放つ光でようやく手元が見える。
カレンは手で砂や土を払った。
「伝説……」
手の動きを再現した。
(作者註、縦書きPDFにしますと、位置がずれます。一度横書きで位置を確認願います)。
黄
赤 白
緑 青
黒
伝説は赤、緑、黄、青、白と線が繋がっている。
いつものようにカレンは六つの玉を額から出して、正面にかき回す。
赤、緑、黄、青、白の順になぞる。
何も起きない。
反対側からも試してみたが、何も起きない。
黄色は二重丸のくぼみになっていた。
そういえば、水中橋の緑が最初だったが、二重のくぼみだった。
「黄色から始める」
黄色から始めて、緑、赤と指を走らせた。カレンは首をひねった。
違うようだ。
線にもう一本平行に線が走っていた。
「そうか。二手に分かれるんだ」
両手の人差し指で黄色を同時に突っつく。左手の人差し指は緑、赤。右手は青、白となぞった。
「伝説……」
六つの玉が光線を発し、人型の光をつくった。
人型の光は、巨大な貝殻頭を形成した。カレンよりも、オズマよりも一回り、二周り大きかった。
貝殻頭は白かった。全体的に金色の模様がちりばめられている。
「君が伝説なのか。ずいぶん豪華な貝殻頭だなぁ」
水中橋は謎の言葉「スコルト・ハイエイタス」で起動した。
しかし、ベッド岩に続きがなかった。この伝説には「スコルト・ハイエイタス」に相当する言葉がない。
あったと思われる場所が、削られている。
「そりゃないよ……」
見上げた瞬間、頬を何かかすめた。
矢だ。
茂みから、貝殻頭が飛び出してきた。
反射的に伝説の背後に隠れた。
貝殻頭が手斧を伝説に振り下ろす。鈍い音を鳴らし手斧が跳ね返える。貝殻頭が後ろにバランスを崩した。
「硬いっ」
カレンは伝説を分析した。殻の強度が高く、手斧を受けつけない。
貝殻頭は頭を振った。信じられない、といった気持ちだ。もう一度反動をつけて手斧を伝説に叩きつけた。
金属音が鳴った。
貝殻頭は手斧の刃を見て、驚いている。
刃こぼれしていた。
「こ、こっちだよー!」
カレンは伝説の背後から飛び出て、自己の存在を示した。
「ここまでおいで!」
貝殻頭が両手を振り上げて襲いかかってくる。
直前まで引きつけておいて、カレンは水たまりに飛び込んだ。
貝殻頭はベッド岩の上でバランスを崩し、カレンに続いて身を水中に滑らせた。
貝殻頭がもがく。もがいて、下に沈んでいく。
貝殻頭は塩水に弱い。全身から泡を出している。動きが水中の蟻に似ている、とカレンは思った。全身が溶ける苦痛で、正常な判断ができなくなっているらしい。
溺れる貝殻頭が水たまりの底から泡を出す。泡を避けて、カレンは水面から顔を出した。
伝説の大きな後ろ姿が見える。微動だにしない。
「伝説。僕たち帰るから、君も帰っていいよ」
伝説は白い光を発して、静かに姿を消した。
カレンは水中橋と一緒に、家に向かった。
家につくと、浜に小舟が停泊してあった。小舟には、小麦の入った麻袋や、日常雑貨の詰まった木箱が載せてあった。
ゲントおじさんが来た。
自宅から離れた場所に、納屋がある。
そこに母親とゲントおじさんが「話し合い」をしている。
「話し合い」をしている間は、近寄ってはならない。カレンが子供の頃かの約束だった。
お話。
小さい頃は理解できなかったが、カレンは二人が納屋で何をしているか想像できる。
カレンはその場にしゃがみ、耳を塞いで、目を閉じた。
「僕はシグレナス帝国の皇子だ……」
いずれはシグレナスの皇帝になる人間が、気にすべき事柄ではない。
自宅に帰って、母親の用意した夕食を口に運んだ。小麦を練って焼いた堅いパンだった。
ベッドには、オズマが静かに眠っている。ゲントおじさんの薬を飲んだ形跡がある。カレンもオズマの隣のベッドで眠った。
朝になった。
オズマは眠っている。手で確認したが、まだ息はある。
リリアンの姿が見えない。納屋での「話し合い」は終わってないようだ。
家から出て、六つの玉を操り、水中橋を呼んだ。
黒ずんだ青色の小柄な貝殻頭、水中橋。
「スコルト・ハイエイタス」
と、唱えた。水中橋が動き出す。
次に伝説を呼んだ。
「スコルト・ハイエイタス」
と、唱えても反応しない。
「伝説は違うんだな。他に言葉を言わないと動いてくれないみたいだ」
カレンは砂浜に立つ二体の貝殻頭を見比べた。
大きさが違う。色も違う。同じ貝殻頭でもそれぞれ個性がある。
「カレン」
母親のリリアンが納屋から出てきた。乱れた銀色の髪を手で直している。
「お母さん。お話が終わったんだね。ゲントおじさんは今何をしているの?」
「ゲントさんは納屋で寝ているわ。……これは」
リリアンは白い貝殻頭「伝説」を見て、驚いた。
「レオン……」
リリアンの青い瞳孔が広がる。
レオン。
「お母さん、この貝殻頭を知っているの?」
リリアンの顔をのぞき込むが、目を合わせない。隠し事をしている癖だ。
「いえ、知らないわ。どうして貝殻頭がここにいるの?」
勢いよく話を逸らした。母親の勢いに負けたカレンは、水中橋と伝説の話をした。
リリアンは、手で口をおさえて、話を聞いていた。
経緯を話し終え、カレンは提案した。
「ねえ、お母さん。この二人なんだけど、家で飼っていい?」
「だめよ。貝殻頭を家で飼うなんて聞いたことありません。捨ててらっしゃい」
リリアンに拒絶され、カレンは悲しかった。この貝殻頭たちは味方だ。「ごめんね。君たちは大きいから、家で飼えないんだ……」
二体の貝殻頭に伝えると、水中橋は青い煙、伝説は黄色い煙、とそれぞれの色の煙を出して消えていった。
「あの子たち、ちょっと変わっているんだ」
カレンがリリアンに耳打ちしたが、リリアンは貝殻頭の消えた場所から目を離さなかった。
2
「おじさん、僕たちに薬を売ってください!」
カレンは机にぶつける勢いで頭を下げた。
頭を下げつつ、上目遣いでゲントおじさんを観察した。
ゲントおじさんが、困った顔をして自分の胸をせわしなく触っている。
ゲントおじさんは自分の胸を触りつつ、口を開いた。
「オズマの解毒剤か。何度も与えなくてはいけないぞ。まとめて売ったら、いくらかは安くしてやるが、それでも値段は高いぞ。いいのか?」
「それでもかまいません」
カレンは机に顔を埋めたまま、返事をした。リリアンが何か口を挟もうとしたが、ゲントおじさんが提案した。
「カレン。俺と来ないか?」
血縁関係はないが、カレンを親戚のように思いやってくれている。そんな口調だった。
「お前を街に連れて行ってやる。仕事を紹介するから、街で薬代を稼ぎな」
「本当ですか?」
カレンは顔を上げた。前途が明るく光ったような気がする。
「だめよ!」
リリアンが反対した。リリアンは視線を合わせない。
「貴方は、将来、シグレナスの皇帝になるのよ。街で働かせるわけにはいきません」
いつものようにリリアンは早口でまくしたてた。いつもなら、カレンが折れるところだが、
「それは間違いないと思う。でも、なんか変。なんで反対するの?」
「貴方が心配なの」
「僕を心配してくれるのは分かる。……でもさ、オズマはどうなの? オズマは死にかけているんだよ。僕の心配よりも、オズマを先に助けてあげようよ」
リリアンは、視線を下げたまま、なにも答えない。
「ねえ、お母さん。まさか僕を生かすために、オズマを見殺しにする気?」
リリアンは鼻をすする音を立てて、顔を上げた。
「そうよ。だって、貴方は私の子供なのだから」
リリアンは葛藤している、とカレンは思った。カレンを生かすか、オズマを生かすかの葛藤である。だが、葛藤するという状態は、オズマを助けたい気持ちは、残っているはずだ。
「嘘をつかないで。お母さんは僕と同じくらいオズマを愛している。お母さんは、どうしてオズマを見捨てることができるの?」
「カレン。この世界はもうとっくの昔に滅んでいるのよ。人類は貝殻頭に隠れて生活をしなくてはならないの。人間が暮らせる豊かな場所なんて、どこに行ってもないわ」
いつもの台詞がくる、とカレンは直感した。
「これもすべて、魔王が悪いの。あの黒い貝殻頭のせいで、人類は貝殻頭に負けたの。人間であって、人間の裏切り者。絶対に許してはいけない」
リリアンが爪を噛んだ。怒りを感じると、噛む癖がある。カレンは、母親の悪い癖が不快感に思っていた。母親が爪を噛んでいる場所から、逃げたくなる。
「いいや、お母さん。僕は行くよ」
カレンは胸を張った。魔王だろうと貝殻頭だろうと、オズマの命が救えるなら、怖くもない。
カレンは、ベッドのオズマが起きていると気づいた。オズマは目を見開き、静かに震えていた。目に涙を浮かべ、唇をひきつらせて我慢している。オズマは、カレンとリリアンの会話を聞いていた。
リリアンが反論する。
「カレン。お母さんの言うことを聞いて。お薬はゲントさんにお任せましょう。お母さんが頑張って、お金を準備します」
カレンは母親とゲントおじさんの「話し合い」を思い出し、気分が悪くなった。だが、背筋を正した。
「僕には、シグレナスに住む人たちを守る義務があります」
カレンは一呼吸置いた。
「……なぜなら、僕はシグレナスの皇子だからです。皇帝になるからです」
リリアンは目を伏せて、黙った。カレンはオズマの手を取った。
「オズマ、しばらく待っててくれないか。君の病気を治すために、必ず薬を買ってくる」
毒の影響で、オズマは言葉を返せなかった。だが、カレンにはオズマの声が聞こえた。
「いいんだ。本当はお前こそ、ここにいちゃいけない。俺なんかより、お前はずっとすごい奴だ。世界に出て、すごいことができると思う。……シグレナスの皇帝だとか、ちょっと変わっているけどな」
カレンは、ときどき聞こえないはずの声が聞こえる。相手が何を伝えたいのか、なんとなく分かる。
分かった証拠としてカレンはオズマの髪を撫でた。
「僕よりも身体が大きい赤ちゃん。絶対にミルクを届けてあげるからね。……シグレナスの皇帝を信じなさい」
カレンはすぐに準備を始めた。銛と、魚のカゴ、虫かご、バッタだ。
バッタは数日の食糧になる。シグレナスの皇帝に手抜かりはないのである。
「じゃあゲントおじさん、今すぐ行きましょう。僕は準備は万全です。早く連れて行って」
机をリズミカルに叩いて、ゲントおじさんを煽った。
「お前は気が早いなぁ」
ゲントおじさんはパンの残りを口に押し込む。
「そうと決まれば、連れて行くぞ」
ゲントおじさんが手についたパンの粉を払い落とした。無言でリリアンに了承を迫った。リリアンは何も返事をしないが、無言が賛成を意味した。
(ゲントおじさんの言うことは聞くんだな)
と、カレンは悔しい気持ちになった。母は子供よりも「友人」の意見を尊重するらしい。
家を飛び出す。ゲントおじさんが従いてくる。
「ちょっとまて」と、小舟の準備を始めた。
待っている間、カレンは浜辺に打ち上げられる波を見ていた。
しばらくの間、見慣れた景色とお別れのような気がしてきた。
「カレン!」
リリアンが朝ご飯の残りをバスケットにつめて、カレンに突き出した。
「生水を飲んじゃダメよ。ご飯の前には必ず手を洗うこと。ちゃんと、いただきますって言うのよ? わかった?」
「わかったよ、お母さん」
母親の注意事項が面倒になり、適当に受け答えした。バスケットを受け取る。ゲントおじさんの小舟に乗り、船は浜を離れた。
「すぐ帰ってくるのよ」
リリアンが心配そうな声を出す。カレンには、砂浜のリリアンが小さく見えた。