覚醒
1
ナスティの状態が気になった。
隣のナスティを見る。
ナスティは全裸だった。裸で足を組んで、目を閉じている。
カレンの視力は回復した。ナスティの繊細な部分が、より鮮明に見える。恥ずかしくなって、目を背けた。ナスティは直視できないほど美しい。
足下に、柔らかい生地を感じた。
ナスティの毛布であった。先ほどの爆風で舞い戻ってきたのだろう。
毛布を拾いあげる。身体中が火傷と桟の影響でうまく動かない。
なるべくナスティの曲線を見ないように自分の顔をそらし、白い肩に毛布を掛けた。
ナスティを再度確認すると、心なしか、顔の色つやが良くなった気がする。霊力が体内を循環して、ナスティの怪我を治している。
ナスティの横顔にみとれていると、ナスティが気づいた。うっすらと目を開く。
「リコ……無事だったのか」
カレンを確認すると、ナスティの瞳は、涙に溢れていた。
「よかった」
カレンの口から、ナスティの発言と同じ内容の言葉を同時に発していた。
カレンも涙を流していた。
「リコ、私よりも治りが早いのだな。私よりも大怪我をしていたのに……。ガルグは霊力を分けてくれたおかげだな」
まるで自分の手柄のように、ガルグを褒めた。ナスティがガルグについて言及すると、カレンはむず痒くなる。
(この感覚は何だろう。居心地が悪くなる……。僕はナスティがガルグの話をするときがイヤだ)
当のガルグは足を組み、砂地の上に腰をつけていた。聞こえているのか聞こえていないのか、反応はない。
ナスティが、カレンの顔をのぞき込んだ。ナスティの顔が近い。カレンの胸は波打ち、身体を引っ込めた。
ナスティは口を閉じているが、ナスティの声がカレンには聞こえた。
「リコの可愛い顔を、こんな風にしたアイツ等を許せない……。絶対に仇をとってやるぞ」
可愛いだなんて……カレンは照れたが、火傷と酸の毒で自分の身体がひどく損傷している事実にあると知って、不安が心を過った。
向こうで音がした。ナスティが反射的に、音の鳴る方向に向き直る。厳しい目つきである。
瓦礫の中から、豚鼻の貝殻頭が現れた。
クルトだ。
片腕で岩盤を放り投げ、埃を払う。
クルトの両目から、鋭い殺意が放たれている。
ナスティは口を結び、立ち上がり、静かにクルトを睨み返した。
クルトの周りに、二つの影が揺らいで起きあがった。
ナスティは拳を握りしめた。
「リコ。この私が、絶対に守ってやるからな」
背筋を伸ばした後ろ姿には、決意が溢れていた。
ガルグがナスティを呼び止めた。
「ナスティ。私が回復するまで時間を稼げ。だが、帰り道の分を残しておく必要がある。これ以上、そなたの霊力を回復はできぬ。加速装置は考えて使え」
ガルグは目を閉じ、背筋を伸ばしている。
ガルグの帰り道とは、“転送魔術”を指す。カレンは、そう解釈した。
ナスティは、頷いて、二度目の変身をした。
「出でよ、“聖女騎士”。我が名は、カレン・サザード!」
黄色い光に包まれて、ナスティは霊骸鎧となった。
ナスティが自分の名前を名乗る状況に、カレンは慣れない。
霊骸鎧となったナスティは悠然と闘技場の中心に向かって歩き出す。だが、歩き方に力強さもなく、限界に来ているとカレンは気づいた。
「リコ。私に何かあったら、逃げろ……」
ナスティの声が、耳元に聞こえた。優しくも強い意思に溢れたこの声が、どこから出てくるのか、カレンには分からなかった。
三体の貝殻頭が、横一列に肩を並べた。
豚鼻のクルトは、ナスティを鋭く睨んだまま、肩で風を切るように歩いている。
白い烏賊頭のイドルトは、ナスティを見下すように胸を張っている。
最後の一体、緑色の貝殻頭はトカゲを思わせる顔かたちをしていた。クルトやイドルトと比べると背は低い。トカゲの貝殻頭は、背筋を丸め、小走りで他の歩調に合わせていた。
三対一!
カレンはガルグに話しかけた。
「ガルグ。ナスティで三人掛かりの敵は無理です。霊力吸収で敵の霊力を奪いながら一体づつやっつけていけばいいのでは? さっきの調子で戦えば、貴方一人で勝てるはず」
カレンの提案に、ガルグは、小さく首を振った。小蠅に反応した馬の尻尾のように最小限の動きで、カレンの提案を否定した。
「同じ手が、通用すると思うか?」
と、短く事務的な口調で説明を付け加えた。
カレンは口元を押さえ、ガルグを見つめた。
(自分の勝利は、敵が油断した結果だと言いたいんだね。……わざと自分が無力な老人だと、ゲルトンとメーダに思い込ませたんだ。でも、途中で敵は気づくかもしれない。そんな薄い望みに命を賭けるなんて、勇気の塊みたいな人だ)
質問を変えた。
「先に敵を倒してから、僕たちを回復すればよかったのでは?」
「後回しにしては、そなたらが間に合わぬ」
カレンは、初めて自分とナスティが死にかけていたと知った。ガルグは即時に状況判断をしたのである。
ガルグは目を閉じ、瞑想を維持している。ガルグの内部に、霊力が見えた。くすぶる火のように弱々しく、今にも消えてしまいそうだ。
カレンが質問をするたびに、ガルグの内部で動きが止まる。
(この人は、自分で自分の霊力を回復させることができるんだ。あまり質問をしてはいけない。邪魔になってしまうから)
最後の質問をした。
「僕は、なにをどうすればいいのでしょう? ナスティを助けたいです。女の子一人で戦わせるのは、酷すぎる」
見る限り、ガルグは戦いの熟練者だ。きっと良い知恵があるはず。
「好きにするがよい……」
ガルグの返事は、寝言のように消えていった。
「それだけ? 冷たいなぁ。近くで女の子が一人だけで敵と戦っているんですよ」
ガルグの反応は止まった。内部での霊力がほとんど見えなくなった。
カレンは、ガルグに失望した。頼りになるのかならないのか分からない人だ。
「これでは、みすみすナスティを殺させてしまうだけだ」
カレンは頭を掻いて、ナスティを見た。
ナスティは三体の貝殻頭に、槍を振り回して応戦している。
「その通りだ。これまで、私はナスティを殺した……」
ナスティを殺した?
信じられない内容である。
カレンはガルグを振り返り、見た。
ガルグは、目を閉じ口は真一文字に閉じられたままだ。
「四回、いや、何度も……」
だが、ガルグの声が聞こえる。声は苦悩に満ち、絶望の響きが強かった。
(ガルグの心の声だ……さっきのナスティの声といい、僕には人の心が読めるようになってきたんだ)
と、カレンは瞬時に理解した。
「私はもう一度……」
ガルグの囁き声が聞こえる。口調は乾いていて、地の底を這うように鳴り響いた。
「ナスティを殺さねばならぬ」
2
三体の貝殻頭がナスティを反包囲して、飛びかかる。
槍を振り回し、大地を踏ん張り、構えた。
イドルトが投げつけた氷の槍を躱し、重機関銃に持ち替えて、乱射する。
クルトの両手が、黒い電気に包まれた。重機関銃の弾丸が、クルトの掌に吸い込まれていった。
「これが、俺様の新しい能力だ。この俺様に、もはや飛び道具は効かん」
クルトは笑みを浮かべて、砂地に弾丸を、集めた小石のように落とした。
ナスティが、イドルトに槍で打ちかかる。
イドルトは、地面に手をやり、氷の壁を作り上げた。
ナスティの槍が跳ね返された。
「いいか、イドルト。ゼーム。さっさと決着をつけるぞ。女は手足の一本や二本奪っても、いやダルマにしてもかまわん。殺さなければ問題ない」
と、クルトが声を張り上げる。クルトの発言に、イドルトが高い声で不平をこぼした。イドルトはナスティと槍で打ち合っている。
「クルト、執着がすぎるぞ」
イドルトにとって、ナスティは強敵であった。槍を突こうが払おうが、柔軟で強靱な肉体で回避し、加速装置を使わずとも素早い動きで、重たい一撃をやり返してくるのである。
「ふむ、お前ほどの達人が苦戦するとはな。ゼーム、能力を使え」
クルトが、緑色の貝殻頭ゼームに命令する。ゼームは小さな顔に不釣り合いなほど大きな両目をしていた。別に向いた眼球が、せわしなく動いている。
ゼームの身体が、空中に溶けて消えていった。
加速装置?
違う。黒い影にはなっていない。カレンには、透明の輪郭が見える。透明の輪郭は小走りで、ナスティの背後に回りこんだ。
カレンは、叫んだ。
「ナスティ、後ろ! 敵だ!」
輪郭が爪を振り上げて、ナスティの背中を切り裂いた。
カレンの反応に、ナスティは身を躱し、直感と本能で被害を最低限に抑えた。
崩れた体勢を立て直そうと、前転して跳んだ。着地した瞬間、ナスティは、爆音とともに吹き飛ばされた。
吹き飛ばされ、電気と電気が起こす火花に、ナスティはのたうち回った。
ナスティから離れた位置で、クルトの高笑いが聞こえる。両の掌から、黒い煙が上がっていた。
「貴様らとの戦いで、俺様はますます強くなったぞ。飛距離だけではない、威力もだ!」
以前と比べて、電撃の飛距離が伸びている。
ゼームが姿を現し、地面をのたうち回るナスティを見下ろす。ナスティに触れようと、手を伸ばした。
「おっと、ゼーム。今のそいつに触れるなよ。貴様も感電してしまうぞ」
クルトが注意する。
「私に任せろ」
イドルトが、どこからともなく、氷の斧を作りだした。斧の刃は巨大で、反動をつけて振りおろす。ナスティの右脚が空を舞って、地上に落ちた。ナスティが激痛に身を反らした。
カレンは最初、状況が掴めなかった。
切断されたナスティの右脚が、白い生身の姿に戻った。血しぶきを出している。イドルトは氷の斧を捨て、氷の槍を作り出す。太もも部分に刃先を突き刺し、天に掲げた。
「このザムイッシュの腿肉を、我らが神インザルギーンに捧げる!」
胸を張り、高々と宣言した。血を浴びて、自らの白い頭部を赤く染めた。
カレンは不思議と何も感じなかった。氷の壁が目の前にあるような、現実の出来事とは思えない。
「イドルト、この愚か者。奴は電撃で戦闘不能になっていたであろう? 美しい脚に何をする!」
クルトが怒って、イドルトの肩を、拳で小突いた。
「何を言うか。こうでもしない限り、安心できまいぞ。第一、手足の一本や二本と言ったのはクルト、貴様だろうに」
イドルトが自己弁護する。イドルトの態度が、クルトをさらに激怒させた。
「だから、女は生け捕りにしろ、と言った意味が分からんのか?」
目は血走り、豚鼻から、白い息が湯気のように吹き出ている。イドルトは氷の槍をナスティの右脚ごと放り捨てた。両腕を広げて、首を傾げる。
「何をザムイッシュの女にこだわっているのだ? クルト?」
クルトがイドルトに掴みかかる。イドルトもやり返す。二体の貝殻頭は、押したり引いたりしている。お互い手加減をしている、とカレンは分かった。
ゼームは、苦しむナスティの身体に爪を突き立てて傷を着けている。退屈な子どもが、大人の会話についていけず、手遊びをしているかのようだった。
カレンは隣のガルグを見た。ガルグの肌は黒く変色し、息を引き取ったかのように動かない。
カレンは足元の砂地を見た。
(僕にできることは、地面を眺めるだけだ。何もできず、ただ、そこにいるだけ……)
もだえ苦しむナスティの姿が見える。カレンは目を背けた。目を閉じ、何も感じずに、ただ暗闇の中に入っていった。
暗い闇の中、誰かが叫んでいる。
聞き取れない。叫び声も小さくなって、囁き声になった。
「リコ、逃げて……」
ナスティの悲痛な願いが、小さな槍となって、カレンの胸を刺した。
(君って人は、まだ僕のことを心配しているのかい)
カレンの目から涙がこぼれた。胸を刺した小さな槍は、ナスティの優しさと勇気だった。小さな槍はカレンの心に溶けて、全身に広がった。
「いい加減にしろ……。ナスティは、お前らの玩具じゃない」
カレンは呟いた。貝殻頭たちが憎たらしい。
「……いい加減にしろ」
呟いているだけでは、駄目だ。奴には聞こえない。
「……いい加減にしろ!」
そうだ、もっと伝えたい奴に聞かせたい。
この声は、僕自身に向けられるべき言葉なんだ。
僕は臆病者の卑怯者だ。
ガルグが頼りない人だ?
違う、一番頼りない奴は、僕だ。
僕は恐れていた。
戦うことを。
『僕にできることは……?』と、ガルグに質問をして、自分の責任を放棄していた。
決断から時間を稼いでいた。
逃げていた。
「好きにするがよい」
ガルグの言葉を、口の中で繰り返す。
ああ、好きにするさ。
好きにしてやる!
こいつら全員殺して、僕も死ぬ! ナスティを助ける!
一番強い奴を呼び出してやる!
一番強い霊骸鎧は、誰だ?
「出でよ“伝説”!」
カレンは天に向かって、叫んだ。
隣で、音が聞こえた。
黄色の煙から、白と金の装飾品に包まれた立派な霊骸鎧“伝説”が現れた。
「うわぁあ?」
野太い悲鳴を、クルトがあげた。身は仰け反り、顔は恐怖で引きつっている。
「どうした、クルト? さっきのジジイが新しい術を出したのか?」
イドルトが、クルトの恐慌状態に動揺している。
「違う違う。ジジイよりも比べものにならないほど危険な奴が目を覚ました」
「あれは、敵の増援か? 確かに強そうだが、エーギルを感じないぞ。クルト、貴様ほどの奴が恐れるような敵ではない」
「違う!」
クルトは、全力で地団太を踏んだ。歯を食いしばり、砂地を見つめる。
「あの銀髪の小僧だ」
クルトは血走った眼を、イドルトに見せた。
だが、当のカレンは困惑していた。
“伝説”を出してはみたものの、名前が分からない。
母親のリリアンが何かを喋っている様子が目に映った。
(レオン……)
“伝説”を目の当たりにして、呟いた名前だ。
「レオン……? レオン……」
リリアンの言葉を繰り返す。レオン、これが“伝説”の名前である。
では、名字。下の名前は?
ナスティの宣言を思い返した。
「我が名は、カレン・サザード!」
サザード?
閃いた。
カレンは指を鳴らし、この閃きを維持したまま、“伝説”を指さした。
「……汝の名前は、レオン・サザード」
“伝説”の何か起動した音が聞こえると同時に、両目が輝いた。
敵に背を向け、カレンの前で片膝をついた。
この“伝説”は、カレンに跪いている!
「我が臣下となるか?」
カレンは、“伝説”に訊いた。まるで、自分でない誰かに喋らされているようだ。
“伝説”が頭を下げた。恭順の意を示している。
「ならば、認めよう。我が力を与える」
カレンは、“伝説”の頭に掌を置いた。ガルグと同じ手法だ。誰に教わったわけではないが、カレンはすでに“知っていた”。
カレンの霊力が、“伝説”に伝わり、内部で増幅され拡がっていく。
“伝説”は立ち上がり、敵の方向を向いた。
鎧から垂れ下がっている装飾品を風に揺らし、カレンの命令を待っている。
カレンは息を吸い込んで、叫んだ。
「カレン・エイル・サザードとして命ずる! ……ナスティを守れ」




