天馬
“天馬”が着地する。
蹄鉄で砂地を鳴らし、カレンに駆け寄った。
“天馬”が首を振り上げる。
(殺される……?)
カレンは自分の身を守ろうとしたが、回避する体力も残っていない。
“天馬”の角に、光が集まりはじめた。“天馬”は一度、頭を振り、光をカレンに向けて放出した。
カレンは、光に包まれる。
(攻撃をされている……? 違う)
だが、光は柔らかく、暖かい。
映像が浮かび上がった。
映像とは、カレン自身の中身であった。黒い影が血管の内部を駆け巡っている。領地を増やしている黒い影は、毒そのものだ。
光が、黒い毒を追いかけている。追いつかれた毒は、熱く焼けた鉄板に降りかかった水滴のように、蒸発していった。
(毒が消えていく……)
カレンは安らぎを覚えた。
“天馬”と瞳があった。カレンを観察している。
カレンも“天馬”を観察した。
きらめく白い毛並に、吸い込まれそうになった。
(なんて美しい姿をしているのだろう……)
“天馬”の瞳は、何か宝石を埋め込まれたようだ。動物的な柔らかさはなく、鉱物的な硬さがある。
よく見れば、“天馬”に体毛はなかった。貝殻に似た表面をしている。貝殻が、馬の毛並みを模している。
この“天馬”は、霊骸鎧なのだ。
(動物の姿形をしている霊骸鎧もいるんだ。……面白いな)
“天馬”の背後で、ゲルトンが暴れていた。
砕かれた顎から、黒い液体をまき散らし、青い壁と格闘していた。
「この、この! なんで壁はビクともしないのだ!?」
自慢の蹄鉄で、蹴っているが、透明の壁はなんの反応もない。
(青い障壁……、それに毒の治療……。これが“天馬”の能力なんだ!)
霊骸鎧は一体につき、一つしか能力がないと思っていた。だが、強力な霊骸鎧の中には二つ能力を持っている存在もいる。
カレンの中で、霊骸鎧に対する知識が更新されていく。
“天馬”は、カレンから目を離し、首を返した。ナスティに近寄った。
倒れているナスティの前で、立ち止まった。
白い煙とともに、“天馬”が消えていく。煙の代わりに、老人が立っていた。
白くて長い髪、厳しい顔つきをしている。白い道着を身につけていた。老人は、杖を地面に押し当て、背筋を伸ばした。
ガルグであった。
ガルグがナスティの白い肩を抱き上げた。ガルグがナスティを呼びかけるが、反応がない。両目を閉じて、長い睫毛が見える。
ガルグは、ナスティの頭に手をかざした。
カレンには、ガルグの内部が光ったように見えた。内部の光が底から上がって、手のひらから、光が見える。川のように流れている。
ナスティの額に移って、光に満たされる。
意識を失っていたナスティの瞳が開く。
ガルグは、ナスティに霊力を送っている!
船上で、ガルグがナスティに同じ行為をしていた様子を思い返す。
ガルグの行為は、霊力を分けていたのだった。
船上では、さほど霊力に対する理解がなかったので、よく分からなかったが。
ナスティの発言を思い返す。
「“加速装置”は、ガルグが傍にいないと使えない」
ナスティが、ゆっくりと目を開いた。
ガルグの手を優しく握り、笑顔を見せた。
ガルグが厳しい顔つきを崩して、優しく微笑み返す。
二人の間に深い絆が見える。カレンは胸に苦い毒が回ったような感覚に陥った。
ナスティの両目から、涙が溢れた。
「ガルグ……。ミントが死にました。私の責任です」
悲しげな声に、カレンは押し潰されそうになった。
(なぜこの人は、自分を責めるのだろう? 違うんだ、ナスティ。レミィが死んだのは、僕のせいだ……。僕のせいにしてくれ)
ガルグは、眉に皺をよせて、口を真一文字に結んだ。言葉を失ったのか、とカレンは思った。
だが、ガルグは乾いた声で、小さく返事をした。
「そうか」
まるでただの業務連絡を受けたかのような反応である。これ以上、レミィの件については、なにも話をしなくなった。
(なにも反応なし? なにか言ったら? レミィを失って、ナスティは傷ついているんだよ。それなのに、ガルグの反応が冷たすぎる)
カレンは腹が立ってきた。
ガルグはナスティを立たせた。
「まだ戦えるか……?」
乾いた声で事務的に質問をした。
「はい、ガルグ。この身が砕けても、お国のために捧げます」
ナスティは、上目遣いで応える。だが、足下が揺れている。ナスティは、自分の体重を支えきれていない。
カレンは、ナスティが不憫でならなかった。
(こんなに傷ついているのに、ナスティをまだ戦わせようしているの? 少しは慰めの言葉もないの?)
カレンは抗議してやろうと思ったが、自分の肉体が目の前に転がっているので、どうにもならない。
ガルグは、地面に転がっているカレンを無視して、振り返った。
「そこに漂っている者……」
ガルグは、カレンの目を見つめている。 どうもガルグは、今のカレンを「見える」らしい。カレンは、火傷した自分自身がうずくまっている姿が見える。目が合っている今のカレンは肉体を持っていない。
ナスティが怪訝な表情を見せた。ナスティからしてみれば、ガルグは誰もいないはずの虚空にむかって、話しかけているのだから。
「そなたは、ナスティの奴隷であったな。肉体から意図的に出ていったのか……。魂と肉体の分離……。そうそうできる技術ではない。それも緊急避難としての策ではあるが、そのままだと肉体が滅んでしまうぞ。霊力を回復してやるから、戻ってくるがよい」
魂と肉体の分離……?
理解を超える話だが、推測するに、今のカレンは肉体から離れている状態らしい。さきほどから視点が入れ替わっている。
ガルグは、カレンの肉体の前に膝をつき、説明をした。
「私は毒の治療と霊力の分配をすることはできるが、失った生命力を取り戻すことはできん。生き残れるかどうかは、そなた次第である」
ガルグの隣で、ナスティが目を閉じて、静かに座っていた。ナスティの眉間に霊力が集まっていく。光となった霊力が、ナスティのおへそに向かって走った。
光がナスティのおへその奥側で集まると、飛散した。散り散りになった無数の光が、身体中を駆け巡る。ナスティが目を開くと、疲れ切っていたナスティの瞳が、生気を帯びだした。
ナスティは霊力を操って、自分の怪我を治している!
(たしか移動中で元気になっていた。最初は歩けないくらいだったけど、僕よりも跳べるようになっていたな。女の子って、男と身体のつくりが違うから、怪我の治りが異様に速いんだと勝手に思っていた。僕も真似をしたら、できるだろう)
ナスティに気を取られていると、枯れ木のような筋張った掌が、カレンの額に触れた。カレンは眉をひそめた。
(なんだか不快だ。この人にこんなことをされると、なんだか腹が立つ)
ガルグの掌を払いのけたくなった。
(僕は、このガルグが嫌いだ。優しくない。冷たい。ナスティも、レミィも、この人に利用されているような感じがする。きっと悪い人だ)
心の中で悪口を吐いていると、滝の映像が見えた。
ただの滝ではない。黄色に輝く光の滝だ。光の滝から、川が流れている。ここは、どこかの山奥だ。
カレンは、青く澄んだ川に足を踏み入れた。冷たくて、心地よい。
光の滝に頭をつける。無限に湧いてくる光を浴びて、カレンは暖かくも清らかな感覚に身を委ねたくなった。
ナスティのときと同じく、カレンの身体に霊力が流れ込んでいく。
映像が変わった。
女性が寝台の上で身を起こしていた。
お腹が大きい。この女性は、妊娠をしている。
カレンは、空中で漂っていた。上から見て、女性の特徴に目を引かれた。
(この人、片腕がない……!)
右腕の肘から、先がない。寝台の隣で、椅子に座って、女性のお腹に手を当てている人物がいた。
黒い髪が肩まで届き、髭を生やし、立派な男であった。
目を閉じて、お腹にいる子供に、霊力を送っている。
(たぶん、この男の人は、若い頃のガルグだ)
カレンは一瞬で理解した。分かりやすくて、なんだか笑える。
女性が、ガルグに話しかけた。
「陛下。男の子が生まれたら、エイルと名付けましょう」
(陛下……? 国王? ガルグはどこかの国の王様だったの?)
若い頃のガルグは目を開いた。鷹のように鋭い眼をしている。眼には、力強さと賢さに輝いていた。
女性のお腹に手を当てたまま、返答をする。
「エイルとは、なんだ? 聞き慣れぬ言葉だな」
穏やかな口調で、返事をする。
「この国では“勇者”を意味するものです。貴方の子ですもの、男の子として生まれたのなら、歴史に名を残す勇者になるでしょう」
「そうか」
ガルグが低い声で返事をした。聞く側に冷たい印象を与える回答だが、カレンは、この男の口癖で、悪気がないのだ、と気づいた。
「では、女が生まれたときは、どうする……?」
ガルグの質問に、女性が笑った。
「陛下がお決めになって。私ばかり決めては、陛下は笑われてしまいますよ。我が国の王は、子どもの名前すら決められないって」
「私には、人の名前がどうとかよく分からぬ。珍妙な名前をつけるかもしれん。それでは、その子にとって一生の負担になるぞ」
ガルグの返事に、カレンは全力で首肯した。この人物には命名的才能が圧倒的に欠落している。
「娘の名前も、そなたが決めよ。どこぞの国であれば、妻……いや、母親が子どもの名前を決めるという」
「ここは、どこぞの国ではありません」
ガルグは顎を上げて、困った表情をした。ガルグが口を開こうとした瞬間、カレンは目を覚ました。
だが、大きな掌が邪魔で前が見えない。
ガルグの掌が、カレンの顔から離れると、ガルグの厳しい顔つきが見えた。ゆっくりと立たせてもらう。
カレンは、肩を回すと、寝覚めのよい朝を迎えたような気持になった。
「なんだか生まれ変わった感じがする……」
ガルグは、カレンから背を向けた。
ガルグの後ろ姿が、以前よりも細くなったような気がする。必死に見せまいとしているが、疲れが出ている。
ガルグは顔だけ振り返り、カレンに説明した。
「そなたの霊力は、まだ万全ではない。そなたの器をすべて満たすには、私が三人でも足りぬ」
カレンは、皿を想起した。ガルグが皿に、牛乳を注いでくれる。カレン自身が皿だとしたら、満杯になるには、ガルグが三人分も必要らしい。
「今は、肉体の治療に専念せよ」
ガルグは歩を進めた。やり方は教えてくれない。だが、ナスティが隣でお手本を見せてくれている。
「どうした、まだその壁を崩せんのか!」
遠くから、クルトが怒号をあげている。青い障壁の前で立ち往生しているゲルトンとメーダに向けた怒りである。
ガルグがクルトの存在に気づいた。恭しい態度で、お辞儀をした。
「お久しぶり……。“兄弟”」
ガルグは笑みを浮かべた。口元から皮肉な意味合いを、カレンは感じた。
クルトは首を捻った。
「この俺様を知っているのか……? たかがザムイッシュのくせに」
怖々とした口調で、口元に手を当てる。誰だか思い出そうとしているが、苦戦している。
見知らぬ人から「兄弟」と呼ばれたら怖いだろうな、とカレンは思った。
「私を忘れたか、“兄弟”? 心まで霊落子に堕ちていったか。つくづく哀れな奴よのう」
ガルグは笑顔を絶やさずも、冷たい口調で応えた。
手で、空を払うと、青い障壁が消えた。
青い障壁の前で立ち尽くしていたゲルトンとメーダが、一瞬お互いの顔を見合わせた。
正気を取り戻し、ナスティに向かった。
カレンは、息を呑んだ。ナスティは、目を閉じて、自分の体力を回復させている。完全に無防備である。
クルトが叫んだ。
「待て! まず、あのジジイを殺せ! 回復役が優先だ! 生身のザムイッシュであれば、加速装置に対応できまい」
ゲルトンとメーダはナスティを無視し、ガルグに向かって身構えた。標的を変えたのである。ゲルトンは、ガルグを敵というよりも、虐殺の対象であるかのような目で見ている。
対するガルグの後ろ姿は、風に手折れる小枝のようだ。
ガルグからは霊力を感じ取れない。
カレンの視界が、黒い世界に変わった。ガルグの背中から、煙が立ち昇っている。
(この煙は、霊力だ)
ゲルトンやメーダからも煙が揺らしている。二体の貝殻頭と比べると、ガルグの煙は細く、低かった。ガルグの煙は三分の一、といったところだ。
三倍の霊力を持つ敵が二体。
実質の戦力は、六対一である。敵も消耗しているとはいえ、ガルグの消耗はさらに激しい。
カレンは、ガルグに向かって叫んだ。
「ガルグ。大丈夫ですか? そんな霊力をすべて使い果たしているのに? しかも変身しないんですか? 生身の身体だったら、やられちゃいますよ?」
ガルグは、カレンに一瞥だにくれず、低い声で返事した。
「そうか」
ガルグは敵を見ている。
メーダは鋭い棘の鞭を振り回した。威嚇している。
ゲルトンは、ナスティに目を潰されたメーダにガルグとの位置関係を伝えている。
ガルグが片脚で、砂の地面に円を描いた。円の中心に立ち、両肩を下げた。右手にある杖の先端が、地面を指している。
馬面のガルトンが、面喰った表情を見せた。
「そんな無防備な構えで、俺たちと戦うつもりか? どうした、ジジイ。命が惜しければ、変身をしてみろ」
「当方はこれにて結構。迎撃の準備あり」
ガルグは、鋭い口調で、ゲルトンの発言を遮った。ゆっくりと目を閉じる。
「おのれ、ザムイッシュのジジイ。神の子アポストルを侮るかぁ!」
ゲルトンが、フェイントをおり混ぜながら、高速で動く影となった。
同僚のメーダも加速状態に移る。二対の軌道が螺旋を描いて、ガルグに飛びかかった。
カレンの視界が暗くなった。
暗い世界では、ゆっくりと時間が流れる。
ゲルトンとメーダがガルグを、左右から挟み撃ちにする様子が見えた。
ガルグは杖を右に振り上げ、ゲルトンの額を突いた。
腕を返し、杖を反対方向に向けた。杖から霊力が放出して、メーダの右肩を砕いた。
暗い世界が終わると、二体の貝殻頭が地面に倒れて悶えていた。
「そ、そんな馬鹿な……! 俺はともかく、メーダの鞭は杖よりも長いはず」
ゲルトンが身体を起こす。明らかに動揺している。
「分からぬか? 私の杖は、霊力を通す構造になっておる」
「いや、ジジイ。貴様にはエーギルは残っていなかったはずだ」
ゲルトンがまた加速状態になった。ガルグの背後に回ると見せかけて、正面に回り、どこからともなく出した斧を振り上げた。
ガルグはまるで予知していたかのように、身体を半回転させ、ゲルトンに背中を見せた。ゲルトンの斧が空を斬る。
状況を把握できないゲルトンの首に、ガルグの杖が突き刺さる。
「高速移動中の攻撃をかわしてからの、背面突きだと……。なんという技だ?」
ゲルトンはガルグの背中を、ガルグの右肩から伸びる杖を見た。
「片翼円舞剣……」
ガルグは、すでに絶命したゲルトンを放り捨てた。
メーダが距離をとって、鞭を飛ばす。
ガルグが杖で身を守ると、鞭が杖に絡まった。ガルグは杖を天空に向かって投げ、両腕を広げた。
左右の腕から、強力な霊力が集まる。
両の手を胸の前に打ち鳴らす。
霊力の光が熱量となって、メーダに向かってほとばしった。メーダを蒸発させ、クルトたちのいる場所に衝突し、爆発となった。
岩と砂と煙を巻き上げる。
カレンは無防備なナスティを守ろうとしたが、危険はナスティやカレンのいる場所までには届かなかった。
遠くの爆発に背を向け、ガルグがカレンたちの場所に戻る。
カレンは、ガルグに訊いた。
「もう霊力はないはず。どうして貴方は霊力を使えたのですか?」
「……そなたは霊力吸収を知らぬのか」
ガルグは呆れた風で応えた。




