消耗戦
身体が燃える。
熱い。
ここは、窮屈だ。
焼かれた肉の中に押し込められているようだ。
焼かれた肉に、身体全体を潰されそうだ。
カレンは身体を両側から焼かれる思いで、叫んだ。
叫ぶ自分がいる一方で、冷静になっている自分がいる。
(僕は誰だ……?)
女の子が見える。後ろ姿で顔が見えない。騎士のような甲冑に身を包んでいる。
(僕は、カレン……サザード……? いや、カレン・サザードはあの女の子だ。あの女の子は、ナスティだったはず。ただのナスティ? ナスティとか、名前にしては不自然すぎる。あだ名や偽名だったら、納得できるけれど。……ナスティの本名が、カレン・サザードだった)
カレン・サザード。
その名前がカレンの頭の中を駆け巡る。
(……カレン・サザードって、誰? どうして、僕はカレン・サザードなの……?)
夢を見ているようだ。
だが、カレンには、霊骸鎧となったナスティの後ろ姿が見える。ナスティの霊骸鎧にはスカートがついていて、ナスティはスカートを託しあげた。スカートの裾を横に払う。
カレンは片目が見えなくなったが、見えるもう一つの目で、ナスティを見ていた。
頭が痛い。頭がみるみる膨らんで、破裂しそうだ。
(どうする? この状況からどうやって脱出する?)
カレンは自分の生を諦めていなかった。助かる方法は隠されている。見落としはないか?
二人の自分が混濁している。
苦痛にのたうち回る自分と、冷静に解決策を求める自分。
冷静な自分が見た映像は、緑色に溶けたヨーガスの姿であった。“聖女騎士”となったナスティの前に、立ちふさがった。
ヨーガスは、一度身体をそらし、勢いをつけて目から酸の液を飛ばした。酸の液は、放射線を描いてナスティめがけて飛んだ。だが、ナスティの姿がなく、酸の液は地面を僅かに溶かしただけであった。
ヨーガスは戸惑い、周囲を見回した。ナスティを見失っている。
ナスティは、ヨーガスの頭上を遙か高く、飛び越えていた。空中で身体を捻り、槍を手にした腕ごと、全身を真横に回転させた。ナスティ自体が、高速回転をしている。
きらめく槍の回転が、舞い落ちる花びらのようだ。
ナスティがヨーガスの背後に着地した瞬間、ヨーガスの頭部は真横に飛び落ちていった。ただの球体となった頭部は、勢いよく砂地の上を転がっていく。
ヨーガスの頭部が、川に流れる花びらのようだ。
(あれが落花流水剣……)
カレンは、ナスティが必殺技の名前を主張していた状況を思い返すと、名前の由来が理解できた。
ヨーガスの緑色に溶けた顔面は、驚きの表情を浮かべていた。離れた胴体が、地面に音を立てて倒れる。
「いったい、俺は何をされたんだ……?」
首だけの状態で、ヨーガスは疑問を呈した。だが、両脚を揃えたナスティにハイヒールで踏み潰された。
ナスティは、次の標的……毛むくじゃらのマルハに目を移した。
マルハの体毛は茶色く、両肩から火炎放射器が突き出ている。ナスティに向かって、火炎放射器が火を吹いた。
放火と同時に、ナスティの全身から、黄色の光が解き放たれた。
ナスティが残像と光の煙を残し、水平移動をした。動きが速く、姿を肉眼でようやく追いつけるほどだ。
カレンは、ナスティの能力である“加速装置”だと瞬時に理解した。“聖女騎士”の両肩から黄色い煙が激しく出ている。
(あれが加速装置? 霊力の消耗が激しい……。ナスティ、後先のことを考えていないな)
ナスティは、マルハの背後に回り込んでいた。
マルハの首に向かって、槍を一閃する。だが、槍は金属の壁に打ち付けられたかのように跳ね返された。
マルハの体毛が、魚鱗のように白く輝いていた。いや、魚鱗に変化した、というべきか。
ナスティは手持ちの“天使の槍”を“重機関銃”に持ち替え、至近距離で撃ち込んだ。
銃弾が、跳ね返っていった。だが、魚鱗も数枚、空中に飛び跳ねている。
魚鱗のマルハは、両腕で顔を守った。防御態勢だ。銃弾の方向に身を斜めに構え、威力を受け流している。
カレンには、蓑虫のように見えた。
ナスティは重機関銃を連射しながら、左に移動した。一定の距離を保ったまま、更に左に高速移動する。ナスティの残像がマルハを取り囲んだ。
マルハは、全方位から来る弾丸の雨に、その身を揺れ動かせていた。
時折、火炎放射で反撃をするが、ナスティが間合いを完全に読み切っているので、届かない。
ナスティの重機関銃が十字の光を放つたびに、マルハの全身から、魚鱗のような体毛が吹雪のように舞い上がった。
ナスティは、連射を止め、マルハに接近した。マルハの背中は体毛が剥がれ落ちて、地肌を露出していた。
ナスティは武器を天使の槍に換装して、マルハの背中に突き刺した。
槍は、マルハの腹を突き破った。マルハは前後から、黒い液体が飛び散った。ナスティは、震える両手で、マルハごと槍を高々と持ち上げた。
天に生贄として捧げられたようなマルハが、なにか天に向かって悲鳴をあげた。人語を喋らないため、意味は分からないが、響きに恐怖が含まれていた。生に対する未練のような、命乞いにも聞こえる。
ナスティは槍を返し、容赦なくマルハを地面に叩きつけた。
地面は崩れ、岩と砂をまき散らす。マルハだった物体が顔面が液体を飛び散らかしていった。
貝殻頭から驚きの声がわき起こった。
遠く離れているのに、カレンには、クルトの声が聞こえた。
「さすが俺が惚れた女だ」
仲間に聞きとれないほど小さい声で呟いている。カレンには、クルトの様子が分かった。
クルトは、目を細めて自分が褒められたかのように喜んでいる。
クルトの隣にいる貝殻頭が、クルトに耳打ちをした。さきほど、レミィを氷の槍で貫き殺した奴だ。白くて、烏賊を思わせるような頭部をしている。貝殻頭、というより烏賊頭という風貌である。
「クルトよ。ヨーガスとマルハを打ち破るとは、あの小娘、なかなかやるのう。加速装置をもっておるとはのう」
同僚の心配を一蹴するように、クルトは豚鼻を鳴らした。
「案ずるな、イドルト。一番恐るべきは、あの銀髪の小僧だ。奴は女よりも、遙かに危険な存在なのだ。銀髪の小僧を倒してしまえば、女は恐れるに足らん。俺は、あの小娘に一度勝っている」
クルトは顎をしゃくった。
「それに、見てみろ、あのエーギルの放出量を。あんなに使ってしまえば、もう長くは持たん」
顎の先には、ナスティが立っていた。
全身から立ち上る黄色い煙は、徐々に量を減らしている。
クルトの隣に座っていた貝殻頭が前に進み出た。骸骨のような白い顔には、くぼんだ両目があった。全身は霧に似たモヤを解き放っている。
クルトが同僚を見て、笑みを浮かべた。
「メーダか。お前は加速装置を持っていたな。次はお前が行け」
だが、他の貝殻頭が割り込んだ。馬を思わせる顔つきだった。
「まて、加速装置なら、このゲトルンも持っているぞ」
二体の貝殻頭が、クルトに押し寄せた。どちらがナスティと戦うか競っているのである。クルトは穏やかに命令した。
「メーダ、ゲトルン。二人掛かりでいけ。時間を稼ぐことだ。徹底的にな。戦いを長引かせ、奴の消耗を待て」
二体の貝殻頭が頷いた。メーダは白い煙、ゲトルンは黄色い煙を放って、高速移動した。ナスティに向かう。
イドルトがクルトに提案した。
「クルト。もう一度レバーを引け。そうすれば闘技場が海水で満たされるだろう。女の変身もすぐに解ける」
イドルトの提案に、クルトは笑い、顔を手で隠した。
「実は、さっきの発言はハッタリだ。一度注水すると、次の海水が溜まるまで時間がかかる。あと三十分と言ったところか。……もっとも、奴が三十分持てば、の話だがな。海水は必要なかろう」
クルトは予想した。
骸骨頭のメーダは、高速移動中のナスティに向かって、正面から飛んだ。
メーダの腕から鞭が伸びる。ナスティの槍よりも遠い位置からナスティを捉えた。
鋭い棘がついた鞭が、ナスティの胸部に絡みつく。メーダが鞭を引くと、不快な音を立てて、ナスティの霊骸鎧を傷つけた。
空中のナスティに、側面からゲトルンが飛び込んできた。
ゲトルンの脚は、馬の蹄に似ている。蹄の先には、凶悪な形状をした蹄鉄が装着されていた。
鞭の苦痛で揺らぐナスティのわき腹めがけて、ゲトルンが跳び蹴りを食らわした。蹄鉄がめり込み、ナスティが身体を曲げて苦しむ。
吹き飛ばされたナスティは、縦回転をして、着地した。
体勢を立て直す。
槍を重機関銃に持ち替え、銃口をゲトルンに向けた。
だが、メーダの鞭が、重機関銃を絡めとった。ナスティとメーダの間で綱引きが始まり、放たれた銃弾は上空に消えていく。ゲトルンが、ナスティの背後に向かって手斧を振り上げ、迫る。
「腕をもらったぞ!」
綱引きをしているナスティの右腕を、斬り落とすつもりだ。ナスティは重機関銃を手放した。重機関銃が、メーダの鞭に引かれ、宙を舞う。
「武器を捨てたか! だが、これでお前の負けだ、観念しろ! ……うげぇ」
勝ち誇るゲルトンの声が悲鳴に変わった。
ナスティの右足が、ハイヒールの先端が、ゲルトンの股間を蹴り上げていたのである。痛みに歪む顔のゲルトンに、ナスティの平手打ちが雷のように鳴り響いた。
ゲルトンが、面白いように転げ回った。
だが、メーダはナスティの首に向かって、鞭が飛ばした。
ナスティはわざと左腕に絡まさせた。鞭の棘が、ナスティの腕に食い込む。
だが、ナスティは意に介さない様子で、メーダに向かって駆けだした。
メーダは動揺している。メーダには鞭以外の殺傷武器がないからだ、とカレンは推測した。
ナスティは人差し指と中指で二本の爪をつくり、メーダのくぼんだ眼窩に、突き刺した。ナスティは全体重をかけ、メーダの眼窩をえぐった。
引き抜くと、メーダは黒い液体を二方向にまき散らした。
メーダは顔を押さえ、その場に座り込んだ。座り込んだメーダの両肩から、白い霧を発生させた。
闘技場は白い霧に覆われていく。
「メーダめ、本気を出したな。おい、その女は俺の物だ。殺すことは許さんぞ」
と、クルトは子どもの悪戯を窘めるような口調で笑った。
ナスティは周囲を窺った。霧の中、ナスティは敵を見失っている。カレンには、ナスティの背後にゲルトンが迫っている
「ナスティ、後ろ!」
カレンは叫んだ。だが、声が出ない。当然、ナスティには聞こえていない。ナスティの無防備な背中に、ゲルトンの蹄鉄がめり込んだ。
紙きれのようにナスティは飛ばされた。
地面に手を突いて、激突は免れたものの、敵の位置が分からない。
闇雲に背後を振り払う仕草をするが、ゲルトンはナスティの正面に立っていた。
「ナスティ、逃げて!」
カレンの声は届かない。
(僕に声が出せれば……。奴らの位置をナスティに教えてあげることができれば……)
カレンは自分の弱さに情けなくなった。
ゲルトンはナスティの片腕を絞め上げた。ナスティの抵抗は弱々しく、やり返す力が残っていない。
ゲルトンが叫んだ。言葉足らずだが、こういう意味らしい。
「メーダ、こっちだ! こいつを、上に飛ばせ!」
よく見ると、ゲルトンの顎は半壊している。
両目を潰されたメーダは、ゲルトンの声を頼って、鞭を放り投げた。棘付きの鞭が、不愉快な金属音を立てて、ナスティの首に絡みつく。
メーダが両脚を踏ん張り、鞭を操作して、ナスティを上空に投げ飛ばした。
ゲルトンも飛んで、ナスティを追いかけた。
上空でナスティと並び、一回転して、両の脚にある蹄鉄でナスティを蹴り飛ばした。
ナスティは受け身を取る力も残っておらず、壁に激しく打ち付けられた。壁は岩と砂となって舞い上がり、崩壊した。
黄色い煙をあげ、聖女騎士は消滅した。代わりにナスティの白い肩が露わになった。肩に黒い髪が流れる。
ナスティは傷つき、力尽きていた。必死に立ち上がろうと、地面に拳を当て、身を起こす。
「リコを守るんだ……。絶対にこれ以上、誰も殺させはしない……」
だが、力が足りず、滑るように倒れた。
ナスティの姿を見て、貝殻頭たちは笑い声をあげた。
ゲルトンが、ナスティに向かって歩き出した。これまでは加速装置での戦いであったが、その必要はなかった。加速状態は解除されている。
「やめろ、ナスティに近づくな! ナスティに何かしたら、僕が許さない!」
カレンは叫んだ。カレンは貝殻頭に対する怒りと、ナスティに対する哀れみが混ざって、身も心も破裂しそうであった。
ゲルトンがナスティの黒い髪に手を伸ばす。
触れようとしたとした瞬間、ゲルトンの手が弾かれた。
ゲルトンとナスティの間には、青白い透明の壁ができていた。
「なんだ、これは……?」
ゲルトンが指先で壁を突く。電気のような反応で、また弾き飛ばされた。
クルトたちが天を見上げて、どよめいた。
空を見ると、四の脚を持った動物が舞い降りてきた。
その動物は、白い翼を背にし、額には白い角を有している。
“天馬”
カレンには、どこからかともなく声が聞こえた。




