表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ジョナァスティップ・インザルギーニの物語  作者: ビジーレイク
第V部外伝「カレン・サザード」
26/173

        1

 松明(たいまつ)が照らす、暗い通路に、貝殻頭(シェルヘッド)が呆然と立っていた。

 槍と盾を手にしているが、だらりと腕を下げている。この貝殻頭から殺気を感じない。

 貝殻頭は動かなかった。

 カレンも動けなかった。

 抵抗する体力も霊力(オーラ)も残っていない。肉食動物に睨まれたウサギのようだ。迫り来る敵の攻撃を、槍の一閃を、ただ回避するためだけに意識を集中させた。

 背後でナスティが殺気を放っている。いつでも応戦が可能だ。

 カレンは、ナスティを見ず、手で制した。

(ナスティ。霊力を温存してほしい。僕なんかのためよりも、君のために使ってくれ)

 心の中で叫ぶ。ナスティが首を傾げている映像が見えた。おそらく、ナスティは理解していない。

 それにしても、奇妙だ。

 普通の貝殻頭であれば、人間を見ると、問答無用に殺しにくる。だが、この貝殻頭は何もしてこない。貝殻頭の顔は表面が滑らかで、松明の炎が映って揺れている。

 貝殻頭は槍と盾を構えた。カレンは反射的に腰を落とす。疲れすぎて、頭が回らない。ただ直感に任せて動くのみ。

 だが、カレンの心配をよそに、貝殻頭は後退しはじめた。

 カレンは呆気にとられた。カレンにとっては予想外の事態である。その隙に、貝殻頭はさらに離れた。

 十分な距離を取ると、貝殻頭は背中を見せて駆け出し、煉瓦(れんが)でできた通路の向こう側に消えていった。

「一体、どういうことなのだろう……?」

 カレンは呟いた。助かった、と素直で喜んでいいのか、何か罠があるのか疑うべきなのか分からなくなった。

 後ろから、ナスティの声が聞こえた。

「二対一で、私たちが数に勝っている。……不利に気づいて、援軍を呼びに行ったのだろう。一先(ひとま)ずだが、命拾いをしたな」

 軍人らしい分析である。

 理屈は正しい。

 だが、カレンは腑に落ちなかった。これまで何度も貝殻頭と対峙してきたカレンだったが、初めて見る反応だった。

 貝殻頭は、行動原理が昆虫に似ている、とカレンは思っていた。感情も意思もなく、ただ獲物を捕食する。

 獲物を前に、逃げる虫など見た経験がない。

 貝殻頭が消えさった道を眺めていると、髪が風に揺れて、カレンの頬を撫でた。風は横からだ。

「外の匂いがする……」

 風が吹く方向は、灯りが届かず、真っ暗だった。手を伸ばすと、空間がある。

 手探りで、暗闇を進む。

 ただの手探りではない。手で風に触れる。風の感じる方向に進む。

 薄暗かったが、徐々に目が慣れてきた。

 進む先に、両開きの扉が見えた。片側の扉が開いていて、隙間ができている。開いた隙間から、外界の明かりがこぼれていた。外は暗かったが、カレンがいる場所よりは明るい。

 カレンは、扉を押し開け、外に出た。

 最初に目に映った映像は、空に浮かぶ、星や月の光が瞬いていた。

 だが、よく見れば空は、海であった。

 海底都市では、上空には海が広がっている。海に映し出された星が輝いているように見える。

 ナスティが追いついてきた。

 外に出ると、足の裏から砂を感じる。

 そこは円形の広場だった。

 周囲は壁で覆われている。

 壁の向こうには、巨大な階段が見えた。

 いや、階段にしては一段一段が大きすぎる。

 広場の中心に箱があった。線路の奥にあった箱と同じ形である。

軍用食(レーション)だ」

 隣で、ナスティが両の瞳を星のように輝かせた。

 ナスティが、駆けだした。

 違和感がある。なにかが奇妙だ。

 カレンは、ナスティを止めようと追いかけた。だが、体力が回復したナスティの脚は速い。カレンの脚がもつれる。

 叫んだ。 

「待って、ナスティ。それは罠だ」

 声を絞り出すが、声になっていない。

 ナスティが箱の(ふた)を押した。蓋が砂地の上で、鈍い音を立てる。

 箱の中から、何か音がする。

 カレンは飛んだ。ナスティを突き飛ばし、自身も箱から離れる。

 ナスティを上から(かば)う。目を閉じ、罠の作動を待った。

 だが、何も起きない。

 身体を起こして、振り返った。

 箱から、白い煙が立っていた。煙は上空、いや海に向かって昇っていき、霧散した。

 蓋の開いた箱から煙は立たなくなった。

「わ、ごめん」

 カレンは、ナスティに気づいた。

 カレンの下で瞳を潤ませている。目を合わせようとはしない。

 押し倒したのが不味かったのか。

 ナスティの腕を引いて、立ち上がらせようとすると、カレンは足下が揺れた。

 ナスティに腕を引っ張られたのかと思った。

 だが、原因はナスティでなかった。地面そのものが揺れているのだ。

 音を立てて、カレンたちの周囲に何かが、せり上がった。

 黒い鉄の柵であった。

 柵はカレンたちの背丈を越え、折れ曲がったかと思うと、カレンたちの頭上で組み合わさった。

 カレンはすぐに状況を把握した。

 閉じこめられた。

 まるでカゴに入れられた虫になったみたいだ。

 カレンが柵を(つか)んだ。鉄製でかなり丈夫だ。

 壁の上方、巨大な階段の一部に光が灯った。

 光の正体は松明で、人物の顔を照らした。人間離れした、豚の顔である。

「クルト……!」

        2

 クルトは松明を片手に、もう片方の手をレバーに持っていた。

 クルトの他に、複数の影が続いた。

 影の一人が、縄を持っている。縄に引かれ、見覚えのある人物が現れた。

「レミィ!?」

「ミント!?」

 カレンとナスティは同時に、それぞれの呼び方で叫んだ。レミィは細く、小さかった。両手首を厚く縛られている。

 カレンは柵にしがみついて、クルトたちの様子を観察していた。

「リコ、そこから離れろ!」

 ナスティが悲痛な叫びをあげる。

 目の前に(ただ)れた顔をした存在が立っていた。

 その存在は、片目であった。目から緑色の液体をカレンの顔に向けて飛ばした。持ち前の反射神経で顔面直撃は避けたものの、液体が左目にかかった。

 手で(ぬぐ)いさろうとしたが、拭った手が痺れたように痛い。左目が膨れ上がっていくような感覚に陥った。

 手も目も痛い……!

「俺様はヨーガス。俺様の酸を食らって、生き残った者はいない。銀髪の小僧。俺様の酸は特別だぞ。貴様が溶けてなくなるまで、酸は消えることはない」

 爛れた顔のヨーガスが、高笑いをする。毒の酸を操る貝殻頭だった。ヨーガスの隣に、毛むくじゃらの貝殻頭が現れた。

「そして、こいつが俺様の相棒、マルハだ」

 毛むくじゃらのマルハは、両肩の前方に、それぞれ小さな砲台が体毛の隙間をぬって突起していた。

 二門の砲台が、カレンに向かって火を放った。

 カレンは悲鳴をあげた。

 今、浴びている炎は、これ以上耐えられないほどの熱さであった。

 熱よりも呼吸ができない状態が苦しかった。周囲の空気が焼き尽くされる。

 自分の身体が燃やされ、カレンは両膝を砂地につけて前のめりに倒れた。

「貴様らぁ!」

 ナスティが、怒気を含んで声を荒げた。ナスティの霊力の動きに反応し、ヨーガスはクルトに手を振って、合図を送った。

「おおっと、変身はさせないぞ。クルト!」

 マルハとともに、柵、いや牢屋の天井に空中二段跳びで飛び乗った。

 クルトが、二本目のレバーを動かす。

 広場を覆う壁の一部が開く。中から、水流が押し寄せてきた。

 水の勢いが、牢屋に侵入し、ナスティとカレンを格子の内部側面に叩きつけた。

 水の中で視界が回る。ナスティに肩を掴まれた、とまでは分かった。

 ナスティがカレンを天井まで連れていく。

 牢屋の天井ギリギリまで、海水が満たされていた。ナスティの細い腕が天井の格子を掴んだまま震えている。

 顔を天に向けてさえすれば、なんとか呼吸ができる空間はある。ナスティが反対の腕で、支えてくれていた。 

 天井の上で、ヨーガスが同僚のマルハとともに、カレンとナスティを見下ろしていた。薄ら笑いをしている。

「銀髪の小僧、俺様とマルハの攻撃を受けて、まだ生きているのか? なかなかの生命力だな。貴様のようなザムイッシュは、初めて見たぞ。……褒美によいことを教えてやろう。この水は、海水だ。これで貴様ら変身もできないし、得意の術を使えまい」

 霊骸鎧(オーラ・アーマー)は、貝殻頭と同じく海水に弱い。霊骸鎧を呼び出せない。呼び出した瞬間、海水で溶けてなくなってしまう。

 カレンはナスティを見た。海水の中では、ナスティも変身できない。

 クルトの声が響く。

「ここは、かつては闘技場であった……。貴様らザムイッシュがまだ華やかりし頃、闘技場で奴隷や猛獣を戦わせていた。あるときは、闘技場に海水を入れ、船を浮かばせて遊戯にふけっていた。その装置がまだ動いていたのだ。まさか貴様らの繁栄を証していた機械で、貴様らザムイッシュを捕まえるとはな。なかなか皮肉の利いた話だ」

 話の途中でクルトは、豚鼻を盛大に鳴らした。くしゃみであった。

「今、ここでレバーを引くと、さらに水位があがる。貴様らは一巻の終わりだ。ここで取引をしようではないか。……余計な動きをするなよ。貴様らの上には、ヨーガスとマルハがいることを忘れるな」 

(しまった……)

 カレンは、自分の愚かさに後悔した。

 クルトのやり方は、魚の追い込み漁に似ている。

 上流から川魚を追いこんで、下流に張った網で一気に捕まえる。

 さきほどの貝殻頭といい、巡回する貝殻頭といい、カレンたちを「殺す」必要はなかった。逃走ルートを制限し、追い立てるだけでよかった。

 まともに戦えば、むしろ返り討ちにあう、とクルトは経験で理解していたのである。カレンは、クルトの想像以上、いや自身が自覚している以上に危険な存在なのだから。

 カレンは梯子を登る前に、クルトの策略は映像として見ていた。

 そのときに気づくべきだった。いや、貝殻頭が不自然な動きをしていた時点で、気づくべきであった。軍用食の入った箱も、今ではカレンたちを油断させるための罠だったように思えてきた。

「取り乱すな、リコ。軍人たるもの、どんなときでも平常心でいろ」

 ナスティがカレンを抱き寄せ、呟いた。カレンの頭を優しく頬ずりした。

 瞳から涙が溢れ流れている。

「取引とは、なんだ?」

 ナスティは、声を張り上げた。少しでも気丈に振る舞うつもりだ。

 クルトの顔から、いやらしい笑みが横切った。

「女。それは貴様だ。貴様が俺の女になるなら、考えてやってもいいぞ。ひざまずいて、俺の両脚に口づけをしたら、な」

 ナスティは息を呑んで、黙った。クルトの無礼な申し立てに、怒りで震えている。

 カレンはナスティに助言したくなった。だが、酸の毒と火傷のせいで、身体が燃えるように熱く、言葉が出ない。

 ナスティは、クルトに訊いた。

「ミントとリコ……他の者はどうなる?」

 落ち着いた声だった。だが、どこか不安が混ざっていた。クルトが笑顔で返事をした。

「助けてやる。もちろんだ。俺が保証してやる」

 クルトの発言を聞いて、ヨーガスは下品な笑いをした。仲間のヨーガスですら、クルトの「保証」を信じていない。

 ナスティは目を閉じ、眉間にしわを寄せた。ナスティの美しい顔が、苦悶に揺れている。ナスティの心を感じとり、カレンは胸が引き裂かれそうになった。

(ナスティ。もういい。変身できる隙を窺って、僕を捨てて逃げて)

 心に祈った。自分の無力さを呪った。

 クルトが腕を組んで、前のめりになった。

「どうする? 待っていてやるぞ。だがな、早く決めなければ、そこにいる銀髪の小僧が死んでしまうぞ」

 言葉を言い終わるうちに、クルトの隣で異常事態が起こった。

 両腕を縄で縛られていたはずのレミィが駆けだしたのである。

 縄が、レミィの腕と一緒に消えてなくなっていた。

 カレンは気づいた。軽く握っただけでも崩れる自分の両腕を、レミィは壁に打ち付けるなりして、わざと捨てたのだ。

 腕を失くしたレミィは、レバーに体当たりした。

 何か音を立てて、闘技場が揺れた。闘技場の一部の壁が開き、海水を吸い込んでいった。 

 水位が下がっていく。

 貝殻頭の一体が、掌に巨大な氷の槍を生み出した。氷の槍を投げつけ、レミィの胴体を貫いた。

 レミィは身体を反らし、黒い砂となった。風に吹かれ、レミィだった黒い砂は、散り散りになって消えていった。

 カレンの目の前に、男の子が現れた。

 長い髪を房のようにまとめている。カレンの年下だ。

 カレンの手を取り、動かした。男の子にされるがまま、カレンは手の動きを記憶した。

「これが僕の動き。覚えておくんだよ。僕の霊骸鎧は、『癒し(ヒーラー)』。僕の名前はレミィ・ミンティス。……忘れないでね」

 声が聞こえなくなると、カレンは目を覚ました。一瞬だけ夢を見ていたようだ。

 カレンは濡れた砂地の上で横になっている。周囲は牢屋だ。ナスティの後姿が見える。

 背中から絶望が伝わってくる。

「もういい。もう十分だ。……もう生きていたくない」

 死人のように身体が揺れている。死人のような声で、頭上のヨーガスに話しかけた。

「貴様らの仲間に伝えてやってくれ。降伏する、とな」

 ヨーガスはマルハに笑みを見せて、クルトにナスティの意向を伝えた。

 クルトがレバーを引くと、牢屋の天井が開き、せりあがっていた鉄格子が、地面に飲み込まれていった。

「リコ、貴様にはもっと軍用食を食わせてやりたかったぞ」

 ナスティはカレンに優しく耳打ちをした。去り際に微笑みかけた。

 カレンは、ナスティの意図を理解した。

(駄目だ、ナスティ。逃げるんだ)

 クルトを見る。クルトの両脇には、四体の貝殻頭がいる。クルトやヨーガスに似た、個性的な形状をしている。

(ナスティ。クルト級の敵が七体もいるんだよ。絶対勝てない) 

 カレンが心の中で叫んでも、ナスティには届かない。

 ナスティはクルトのいる場所に駆けだした。途中で身に着けていた毛布を投げ捨て、その場にひざまずく。自分の両手を重なり合わせた。

「出でよ、我が霊骸鎧……汝の名前は『聖女騎士(パラディネス)』!」

 ナスティの目の前に、スカートをつけた霊骸鎧が、黄色い煙とともに現れた。

「我が名は、カレン・サザード!」

 ナスティは、高らかに名乗りをあげた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ