貨車
梯子を登り終えると、柵に覆われた通路に足をつけた。
通路の先は、霧に覆われている。
通路は壁に沿っていて、壁に扉があった。扉の横には突起物がある。
「リコ……!」
ナスティが慌てて呼ぶ。カレンは自分が呼ばれたのか、一瞬理解できなかった。
「奴らだ……。音が聞こえるぞ」
声をひそませ、怯えた顔でカレンに伝えた。
カレンは耳を澄ませた。霧の向こうから、金属の重なり合う音が聞こえる。
武装した貝殻頭たちが移動している。
近寄ったと思えば、また遠ざかっていった。
ナスティが軍人らしい分析をした。
「連中は、一定の経路を行ったり来たりしているのだな。警邏をしているのだろう」
「まだ僕たちの存在に気づいていないってことだよね」
カレンは安堵した。だが、現在地に敵が現れる危険性は、いくらでもある。
カレンは黒い煙を手から放ち、突起物に触れた。扉が横に開く。
内部は細い通路だった。薄暗く、向こうに黄色い灯りが見える。
カレンは目を閉じ、貝殻頭の気配を探ったが、なにも感じない。
背後、つまり、霧の方向には感じる。
安心しても良いのだが、言葉に理解できない、得体の知れない恐怖を感じる。
(この恐怖は、なんなのだろう?)
カレンは歩きながら考えた。
(もし貝殻頭に遭遇したら、どうなる? 僕には、貝殻頭からナスティや僕自身を守る力は残っていない。悔しいが、現状はガルグたちが頼りだ)
大人たちに任せるしかない。
足下は暗く、灯りに向かって歩くしかない。
鉄製の床から、冷たさが伝わってくる。
ガルグの気配を感じた。ガルグとは近づいている。
(この恐怖感は、僕自身が至らないから湧き起こっているのだろう)
カレンは結論づけて、歩みを止めた。
ナスティの姿が見えない。
従いてこない。
振り返ると、扉の近くで、不安げな顔をしている。
カレンは戻った。
「どうして従いてこないの?」
無駄な質問である、とカレンは後悔した。今のナスティにとって、理由よりも、安心が必要なのだ。
手段を切り替える。
カレンは目を閉じて、自分の手に意識を集中した。
穏やかな感情を、安心感を、思い浮かべた。手のひらに黄色い光が集まっていく。
カレンの手が、光に包まれた。目を開き、ナスティに手を差し伸べる。
「行こう……。先に進んで、ガルグたちと合流しよう。絶対に君を送り届けるから……」
ナスティは、カレンの手に驚いた。
長い睫毛を伏せて、「うん」と、小さく返事をした。
カレンは手を握られ、電流が走ったように自分の腕が勝手に反応した。
(なんなんだろう……。この心地よさは……)
ナスティの手は温かくて、すべすべしている。いや、物質的な感触だけではない。
カレンの光が、ナスティの身体に溶け込んでいった。ナスティの額が輝いた。額の光がナスティの腕を経由して、カレンに伝わった。
カレンの心が満たされていく。カレンの人生にとって、初めての感覚であった。
なんだか勇気が湧いてきた。
ナスティと手をつないだまま、通路を進む。
いつもと足取りが違う気がした。
ナスティが、口を開いた。
「実は……霊力が回復しつつある。霊骸鎧に変身できるほどの霊力だ」
カレンの気分が明るくなった。
「それは良かったね!」
喜ぶカレンとは対照的に、ナスティは怒っていた。小さい両肩から、怒りを煮えたぎらせている。
「あの豚鼻野郎、許せない……。屈辱を晴らしてやるぞ」
ナスティが息を巻いている。
(ナスティは、クルトと戦うつもりだ。……しかも、勝てると思っている)
ナスティが、クルトに勝つ要素が見当たらない。
「クルトが出てきたら、逃げた方がいい。霊骸鎧の力を、倒す方向に向けるよりも逃げる方向に向けて欲しい」
「なぜだ?」
ナスティが眉を吊り上げる。平手打ちが飛んでくるかもしれず、カレンは一瞬だけ怯んだ。
だが、カレンにとって守りたい対象は、ナスティの自尊心ではなく、ナスティの生命なのである。ましてや、自分の頬でもない。
「たしかに、君は強い。一対一で戦えば、君が必ず勝つだろう」
自尊心にも配慮する。
「だがクルトは怪我をしても、傷をすぐに治してしまう。戦いが長引いてしまえば、君も苦しい戦いを迫られると思うよ」
負ける、とは断言しなかった。ただ、負ける可能性が高い、と匂わせる必要があった。
カレンの分析にナスティは鼻を鳴らし、笑い飛ばした。
「心配には及ばない。あの豚鼻野郎が回復する前に、首を斬り落とせばよい。どんな霊落子でも、首を斬られて生き伸びることはできないからな」
ナスティは、殺人の方法を軽々しく説明している。可愛い顔から繰り出される発言にカレンは戦慄した。
「でも、どうやって?」
「私の必殺技『落花流水剣』で、一気に決着をつける」
「らっか……なに?」
「高く飛んで、奴の背後に回り込む」
ナスティは、自身の細い指を空中に一回転させた。
「着地する寸前に、奴の首を跳ねる。それが『落花流水剣』だ。慣れれば、すぐに使えるぞ。リコ、貴様にも教えてやろうか」
「いやいや、人殺しの技は知りたくないよ」
カレンは手を振って、拒否した。拒否しつつも、カレンの思考は冷静だった。
(一対一なら勝てるだろう。でも、敵は集団で来るから、厳しいと思う)
クルトと戦う前に、貝殻頭たちが総勢でかかってくる。消耗戦を挑まれたら、『落花流水剣』なる必殺技を発動する前に、ナスティの体力と霊力が持つかどうかである。
薄暗い通路は途中で、左右に分かれた。それぞれの道には、煉瓦作りのアーチが出入り口として開いていた。
分かれ道の中心に、燭台が架かっていた。燭台には火が灯っている。風が吹けば消えそうだ、とカレンは思った。
左側の通路を覗き込んだ。
中は暗く、光源がない。
この先を進んでも、無事だろうか?
目を閉じると、映像が見える。
貝殻頭の足だった。群れとなって走っている。
カレンは目を開いて、ナスティに振り返った。
「こっちは危ない。貝殻頭たちが来ている」
反対側の道に入ると、足裏から砂を感じとった。
壁の素材が、鉄から煉瓦に変わっている。
床は中央に向かって丸くなっていて、底には水が、僅かだが、溜まっていた。
(この道は、さっきまでの区域とは比べて、古い時代に建築されたんだ……)
煉瓦の道を進むと、道が広がり始めた。煉瓦が少なくなっていき、むき出しの砂や土になっていった。壁には、等間隔に松明が架かっている。
まるで洞穴である。
これまでカレンは貝殻頭の技術に圧倒されていたが、故郷でも馴染み深い松明を見ると、親近感が湧いてきた。
先に進むと、籠があった。カレンよりも高く、足下には車輪が見える。
背後のナスティが、声をあげた。
「貨車だ……。線路もある。……なぜこんなものが、ここにある?」
貨車の籠は、木の板で張り合わされていた。木の板は朽ちていて、崩壊寸前である。
カレンは目を閉じ、安全かどうか確かめた。
だが、貨車からは、なにも感じられない。貨車も、先の道には、危険がない……とカレンは判断した。
何も感じられなかっただけで、安全である確証はないが。
試しに、貨車を押した。
金属がこすれる音を立てて、貨車が動いた。が、すぐに揺れて止まった。
(なかなか動かないぞ……)
力を込める。貨車に全体重を掛け、格闘する。だが、まったく動かない。額から流れる汗を腕で拭っていると、ナスティが口を開いた。
「線路か車輪かが錆付いて、動かないのだろう。……貨車は諦めたほうが、よさそうだな」
貨車を押していく必要性がない。
カレンは頭を掻いた。自分の愚かさが恥ずかしい。
背後から物音が聞こえた。貝殻頭の武具が重なり合う音だ。
カレンはナスティの手を引いて、貨車の陰に隠れた。




