家族
カレンが梯子を登り終えると、ナスティが近寄ってきた。
持って帰ってきたものを、奪い取られた。奪われたものは、光だった。
ナスティは光を胸に抱いた。
「よかったぁ……」
目を閉じ、涙を流している。
光は、鎖付きの小さなペンダントであった。
ペンダントトップは小石で、表面が綺麗に磨かれている。人間の指先を思わせる形状にカットされている。石の中で、静かに光が波打っていた。
(このペンダント、見たことある)
ナスティがクルトに衣服を破られたとき、胸から見えたものだ。
ナスティが霊力を送ると、手中のペンダントから白い煙が発しはじめた。煙の中に、映像が浮かんでくる。
それは、複数の男女が肩を並べて幸せそうに並んでいる映像であった。
ガルグ、インドラ、ナスティ……他に見慣れない男女の姿が整列していた。
ガルグはそれほど変わっていないが、インドラは今より少し若い。ナスティに至っては、まだ子供だ。今よりも髪が長くて、横に結んでいる。
小さい頃のナスティも可愛いな、と思った。服装からも、かなり身分の高い家柄だと分かる。
ナスティよりも年下の、髪の毛を房のように束ねている女の子……カレンはレミィだと直感で気づいた……が笑顔を見せている。ナスティが可愛がる理由が分かる。
見慣れぬ男女は、ナスティやインドラのお父さん、お母さんかなと思ったが、どうもそうではないらしい。顔つき、髪の毛や目の色が違う。
映像を見ているナスティの顔つきが、優しげになっていった。
カレンに平手打ちを食らわせてくる、普段のナスティとは思えない。
(あのペンダントは、ナスティにとって家族の思い出だったんだ……)
カレンは、理解した。
これ以上、大切な人たちが死んで欲しくない。
残酷な世界に、知っている命が呑み込まれていく。
ナスティの悲しみが、溶けて光となって、カレンの胸の中に収まっていくような感覚になった。
(……分かった。この人は、僕と同じだ)
ナスティは毛布に目もくれず、ペンダントの映像を見ている。
カレンは、自分が皇帝になりたい理由が分かったような気がする。
子供の頃、母親を笑わせている様子が思い浮かぶ。
(僕、シグレナスの皇帝になる!)
母親が笑っている。
母親を笑顔にするために、皇帝になると嘘をついていた。もちろん、本気でなれるとは思っていない。
母親の暗い顔を明るくするためにやっただけのことである。
自分が皇帝になると言い続けなければ、母親が笑顔を失うような錯覚に陥っていた。
ナスティも同じだった。ただ、家族が幸せになってほしい。レミィやガルグが幸せになってほしいだけで、必死なのだ。
(ガルグに喜んでもらうことが、私の幸せだ)
カレンはナスティの言葉を思い返した。
(僕たちは同じだ……。いや、僕は自分や周りの人たちを騙していたから、僕のほうが、よっぽど間違っている……。それなのに、ガルグの命令ばかりを聞くだけの人、なんて言ってしまったのだろう。意地悪なのは、僕だ)
謝罪をしたくなった。
「ごめんなさい」
カレンとナスティは同時に驚いた。
同じ内容の二人の声が同時に重なったからだ。
謝罪の理由を説明しようとしたが、お互い遠慮をして、相手に先に言ってもらうよう期待している。だが、埒があかない。カレンが先陣を切った。
「ごめんなさい、レミィを置き去りにしちゃって」
カレンは頭を下げた。普段、あまり頭を下げない性格だが、素直に謝った。
ナスティは手で制した。片手で胸を隠している。
「いや、貴様は、私をかばってくれた。いつでも見捨てることができたのに……。そんな貴様がミントを見捨てるはずがない。……私のほうこそ済まなかった。貴様は本当に私を助けたいのだな。……ありがとう」
素直に謝るナスティが可愛い。
カレンは頭に手を当てて、照れた。髪が乱れていないだろうか? 手で直す。
「ペンダントを持っていてあげるから、ちゃんと着なよ」
ナスティが毛布を身体に巻き付けたいのだろう。カレンはペンダントを預かった。
受け取ったペンダントを見ると、鎖が切れている。
鎖の一部分が、口を開けているように隙間を作っていた。
カレンは、ダメになった輪を捨てた。無事な輪を曲げて、輪と輪の先端を結びつけた。
なかなか体力のいる作業ではあったが、修理した。
ナスティは、毛布の巻き付け作業を終わらせている。
「はい、ペンダント。直しておいたよ。背中をこっちに向けて」
ナスティは後ろ髪をどけて、首筋を見せた。うなじも綺麗だな、とカレンは思った。カレンはペンダントを結びつけてあげた。
「……ありがとう」
ナスティは首を傾げて、中途半端なお礼をした。少し照れている。
(女の子らしい仕草もするんだな)
と、カレンは思った。
休憩をした。さすがに梯子の昇降を繰り返した分、カレンは疲労している。
「貴様。私の部下にしてやってもいいぞ」
ナスティが声を掛けてきた。
「どういう意味ですか?」
理解が追いつかない。
「私の部下にしてやる、と言っているのだ。貴様を一流の軍人に育ててやるからな」
ナスティは楽しげに語った。何か美味しい食べ物を目の前にしているかのようだ。
「貴様、という呼び方は止めていただけませんか? 僕には、カレン・サザードという立派な名前がありますので、是非そう呼んでいただけますか?」
カレンは思い切って提案した。当然の権利なのに、不思議な罪悪感である。
「……貴様はカレン・サザードにふさわしくない」
ナスティが自信たっぷりに切り捨てた。カレンにとっては、理不尽極まりない。
「親につけてもらった名前なので、僕にはどうしようもないのですが」
カレンは低い声で拒絶した。
ナスティは少し考えた。
「……リコ」
「なんですか、急に?」
「リコはどうだろう? 今から貴様は、ジョアン・リコだ。なかなか可愛い名前だな。似合っているぞ」
可愛いと言われて嬉しかったが、勝手に改名されたのである。
カレンは、「いやです」と抵抗した。
「上官に逆らうな。上官の命令は絶対だゾ」
ナスティは眉間にシワを寄せて、口を尖らし、人差し指で、カレンの鼻を突く仕草を見せた。
ナスティの動作が可愛くて、カレンは反対する気持ちが消えていった。
(ナスティは可愛すぎる。……卑怯だ)
カレンは唇を噛んだ。だが、胸の奥から、暖かい何かが込みあがってきた。癒されていくような感じになった。
ナスティが続ける。
「ヴェルザンディでは、母親が子供の名前を与える風習がある。女が男の名前を決めて当然なのだ。……だがそれでは、私が貴様のお母さんになってしまうな」
「母親が決めるんだったら、尚更カレンでいいと思うけどね」
カレンが不満を告げた。
ナスティは、軽く笑っている。カレンの意向など、無視である。
カレンはナスティの笑顔を初めて見た。
(こんな顔をするんだ……)
カレンはナスティの顔を観察した。見ているだけで、すべての不安や苦しみが晴れていくような気になった。
(この感覚は、なんなんだろう……?)
初めての感覚に戸惑っていると、ナスティがカレンの視線に気づく。カレンは目をそらして、話題を変えた。
「そろそろ梯子を登ろう。これで最後だから」
カレンは梯子に手を掛けた。
(また突風が来たら、どうしよう。また下まで降りなきゃいけなくなる)
そんな心配から、カレンはある事実を連想した。
自分は腰巻きを身につけている。
突風に飛ばされなかっただけでも幸運である。
だが、腰巻き以外に、何も履いていない。
「どうでもいいけど、梯子を登っているときって、何か見なかった?」
そんな質問をしたら、ナスティの顔が真っ赤になった。




