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ジョナァスティップ・インザルギーニの物語  作者: ビジーレイク
第V部外伝「カレン・サザード」
20/172

屈辱

        1

「ガルグを侮辱するな! ……ガルグのお役に立てることが、私の幸せなのだ。貴様ごときにどうのうこうの言われる筋合いなどない!」

 ナスティが息を巻いている。

(侮辱はしていないんだよなぁ……。それに、ガルグの役に立つことが幸せって、それって自分の幸せなのかな?)

 説得しても無駄だ。カレンは仕方なく目を閉じた。

 暗闇の世界が広がる。暗闇の中で、ナスティが頭から怒りを煙のように出している。この人は暗闇の世界でも怒っているのね、とカレンは思った。

 ナスティは平手打ちを繰り出した。船上の再現だ。

 だが、前回と違って、目を閉じていても、時間がゆっくりと流れる。

 ナスティの動きが手に取るように分かった。

 カレンは自分の左頬を、左腕で防御した。腕から伝わる、強い衝撃に身体を曲がる。

 前回は吹き飛ばされたが、今回は片足で踏ん張って、耐えきった。

 カレンが目を開くと、ナスティが「な、なに……?」と、たじろいでいた。

「悪いけど、今回は防御させてもらったよ。まだここで死ぬわけにはいかないからね」

 カレンは強がった。

 耳の中で膜ができたように、耳鳴りがする。防御したとはいえ、内部から破壊されるほど、ナスティの力は凄まじかった。

「貴様ッ! 私を馬鹿にするな!」

 ナスティが第二撃を繰り出した。大振りの平手打ちが飛んでくる。カレンは目を見開いたままでも、暗い世界に没入できた。

 暗い世界では、すべての動きが緩やかになる。

 カレンは身を屈めて、ナスティの平手をかわす。

 脇を抜けて、バランスを失ったナスティの背後に回った。

 すれ違いざまに、毛布の結び目を引っ張った。

 毛布がほどけて、床に落ちていく。

 ナスティが小さな悲鳴を上げて、その場で座り込んだ。

 ナスティの白い肩が露わになる。目を奪われながらも、諭すように伝えた。

「レミィは、安全な場所に隠した。君をガルグたちのところに預けて、それから僕がレミィを助けに行くからね、それまで大人しくしてもらうよ」

 ナスティの美しい背中が、屈辱と恥ずかしさで小刻みに震えている。黒い髪が流れる白い背中から、声を捻りだした。

「貴様が、この囲みを突破して、ミントを連れてくる。……そんなこと、霊骸鎧(オーラアーマー)にも変身できない貴様ができるのか?」

 怨念のようである。カレンは一瞬怯(ひる)んだが、正気を保った。ナスティの怒りに、飲み込まれてはならない。

「できるさ……。レミィには、これからも何度も会うような気がする。僕の予感はあたるのさ。僕に会う、ということなら、君にも会う、ということだよね。レミィとの約束は、必ず守る。……まず君は、君自身が生き残ることだけを考えなよ」

 なるべく落ち着いた声で諭す。

 ナスティは下を向いて、なにか意味不明の言葉を叫んだ。立ち上がり、怒りの形相となって、殴りかかってくる。

 目に涙を浮かべている。

 まるで駄々っ子のようだ、とカレンは思った。だが、子供にしては、拳が痛い。一撃一撃が重い。

 カレンは、暴風雨のようなナスティから隙間を見つけて、手首を捕まえた。腕を引き寄せ、ナスティの顔に、自分の顔を近づける。

「こんなことをやっている場合じゃない。僕にはレミィを助ける時間が必要なんだ!」

 ナスティの表情から、怒りは消えていた。熱を帯びて、驚いたように惚けている。なにを考えているのか、まったく理解できない。

「そして、君も……」

 ナスティの黒い瞳に、カレンの顔が映る。カレンはナスティの瞳に吸い込まれていくような感覚に陥った。いや、ナスティがカレンに吸い込まれていっているようにも感じる。

 カレンはナスティから手を離し、毛布を拾ってナスティに渡した。

「さあ、早く着て。僕たちは一歩でも先に進まなくてはいけない。この場も安全じゃないから」

        2

 梯子(はしご)を掴んだ。自分の体重が腕に乗ると、痛みが走った。

「痛てて……。これはね、骨が折れているよ」

 腕が、発熱して腫れている。

 下から、無言で従いてくるナスティが憎たらしくなってきた。

 地下室の船を思い出した。あの船底にロープがあった。

(あのロープを持ってくればよかった。ナスティをグルグル巻きに縛って黙らせるのに)

 本当に、意地悪(ナスティ)な子だ!

 カレンは腹が立ってきた。

 この怒りを、力に変える。梯子に向かって、手を繰り出すと、次の回廊に到達した。

「休憩しよう」

 ナスティに声をかける。

 ナスティは、何も喋らない。返事もしない。

(少しくらい返事をしてくれてもいいだろう!)

 カレンは、一生口を利いてあげない、と決意した。

 ナスティを見た。

 黙って、膝に腕を組んで、座っている。()ねているのである。

(拗ねていても、可愛いな。見た目だけだったら、どこぞのお姫様に通用しそう。中身は最悪(ナスティ)だけど)

 カレンは首を振って、ナスティに見とれている状態を解除した。ナスティを許すつもりはない。

 休憩を挟み、梯子登りを再開する。

 次の段に来た。

 カレンは、疲れ果てて、床に寝転がった。このまま眠ってしまいたい。

 だが、眠れなかった。

 ナスティが勝手に登り始めている。

「ちょっと。休憩はしないの?」

 と、起きあがって声を掛けた。ナスティの母親になった気持ちである。 ナスティは降りて休んだ。カレンとは顔も合わせない。

 休憩の合図だけは、言葉を掛けてあげないといけなくない。

(ああ、もう。面倒くさい子! 本当に手のかかる子!)

 カレンは心の中で、毒づいた。子育ては苦労する。

 かくして、「一生口を利いてあげない計画」は、瞬時に崩壊したのであった。

 カレンも腰をつけて、腕を組んだ。

 また梯子に登り始めた。

 握る感覚が消えていく。握力も限界が来ている。

 ナスティの攻撃だけが原因ではない。疲労がそうさせている。

(自分はシグレナスの皇帝になって、どうする?)

 疲れから気を逸らすために、まったく関係ない話で頭を埋めようとした。

(そもそも皇帝には向いていないかもしれない……)

 霊骸鎧を上手く扱えず、貝殻頭(シェルヘッド)に追いかけらている。そればかりか、自分と同年齢の女の子にすら手を焼いている。

(いや、僕は知っているぞ。……僕は、皇帝になんかなれっこない)

 皇帝になるのやめようか?

 だが、カレンは頭を振った。皇帝になることを否定されたら、自分が自分でなくなる。

(シグレナスの皇帝でなければ、僕は一体誰なんだ? 僕が僕でなくなる……)

 不意に、突風が吹いた。下から風に(あお)られる。

 髪がまくりあがり、耐えられず目を閉じた。

 突風は、やり過ごすしかない。カレンは梯子にしがみついた。

 風が収まり、登攀(とうはん)を続ける。

 次の回廊に到着した。

 床に倒れ込む。

(疲れた……この言葉しか出ないや)

 仰向けで、口を開けたまま上を見る。あともう一段が残っている。次の梯子を登り切れば、ガルグのいる場所にたどり着ける。

 カレンは目を閉じて、クルトたち……追跡者たちの様子を窺った。

 クルトが、貝殻頭たちを集めて、地図を広げていた。

 太い指で地図をなぞり、カレンたちの行動ルートを予測している。

(クルトは、僕たちを待ち伏せするつもりだ……)

 カレンは、見えた映像から推理した。

 だが、対策が思い浮かばない。思考を巡らせるほど、体力が残っていない。

 今は休憩が必要だ。睡眠が欲しい。

 カレンは静かに闇の世界に没入しようとした。

 だが、声が聞こえる。

 泣いている声だ。

 どこかで子供が泣いているのだろうか?

 目を開くと、ナスティがしゃがんでいた。

 全裸である。顔に手を当て、すすり泣き声をしている。

 ナスティの身体に巻き付けられていた毛布が、ない。

 イヤな予感がする。カレンが疑問を呈する間もなく、ナスティは事情を説明した。

「落とした……」

 カレンは床を這って、梯子を覗いた。

 毛布が風の抵抗を受けて、霧の世界に吸い込まれていく様子が見えた。

「取りに行って……」

 ナスティが泣きじゃくり、何かを伝えている。カレンは、作り笑いをした。ナスティの発言に、思考が追いつかない。

「今、なんと仰いましたか?」

 カレンは自分の顔が引きつっている、と分かった。言葉つきも丁寧になる。

「だから、すぐに取りに行って……」

 ナスティは本気らしい。一歩も譲る気持ちはない。

「無理だよ。僕には降りて取りに行く時間はない。それに、取りに行っている間に、クルトたちが迫っているかもしれないよ」

 カレンには怒りはなかった。自分の命が懸かっているのである。冷静にナスティを説得する必要がある。

「あれがないと……私、生きていけない」

「貴女は生けていけないかもしれないけど、僕が先に殺されるかもしれませんよ?」

 ナスティは応えなかった。上目遣いでただカレンを見つめるだけだ。

(卑怯だ……。可愛すぎる)

「じゃあ、僕が履いているのを、あげるから。これを履きなよ」

 カレンは自分の腰巻に手をやった。カレンにとって唯一の衣服である。

「いや、もっといや!」

 ナスティは首を振った。

 ただ、無言で瞳に涙を浮かべ、カレンを見つめるだけだ。

「もうううううう!」

 カレンは叫んだ。

 叫びながら、怒りに任せて、梯子を降りていく。

 なんて日だ!

 ガルグたちについてこなければよかった!

 最低最悪!

 もう、どうにでもなれ!

 クルトに見つかろうがどうなろうが、知ったことじゃない!

 下の回廊に着地する。

 毛布がだらしない形状で床に落ちていた。

 カレンは頬を膨らませて、大股で近づく。毛布を拾い上げると、何かが滑り落ちた。


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