水中橋
のんびり更新です。
前作と違って、ストックがありません(!)
歌声が聞こえる。
目を開く。あたりは、薄暗い水中のはずだ。
音が聞こえるはずがない。
目を閉じると、また歌声が聞こえる。
声は、耳からは聞こえてこない。直接カレンの頭に響いている。
頭が痛い。カレンは頭にやった手を見ると、血糊がついていた。
岩をぶつけられた痕だ。
「唾つけとけば、治る」
カレンは手のひらに唾をつけて、傷口に塗った。大抵の怪我は治る。
カレンは足下を見た。地面がある。白い岩石が正方形に敷き詰められていた。
「ここはどこ?」
空気がある。
息が吸える。
左右を見渡す。両側に壁が見えるが、距離がある。壁も床と同じく正方形の白い岩石で覆われていた。天井は高く、暗くて見えない。
「なんか変なところに来ちゃったな」
死後の世界のようだった。
背後を振り返ると白い壁が見えた。壁の下方には巨大な空間があった。空間には、下に向かう段差がある。段差の先は砂浜で、波が満ち引きを繰り返している。波の先は暗くてよく見えない。
出口だ、とカレンは直感した。理由は分からないが、海水を泳げば、いつかは家に帰れる気がした。
出口は、ある。
「冒険しようっと!」
カレンは、好奇心を抑えられなくなった。夢だろうと、死後の世界だろうと、どうせ助かりそうな気がする。
歩き出した。
後でオズマを連れてくる。この場所は、空気もあるし、貝殻頭も侵入できない。その前に、現在地の安全を確保する必要性がある。
だが、白い床と壁の無機質な空間は、すぐに終わりを告げた。
行き止まりには、巨大な台座があった。台座には、長方形の岩が建ってあった。
岩の形状に記憶がある。
(ベッド岩にそっくりだ!)
ベッド岩はベッドのように横たわっていたが、目の前の岩は、自立している。
「お墓みたいだ」
ベッド岩と同じく、特徴的な丸いくぼみがあった。くぼみの数は六つあった。
ベッド墓のくぼみは、カレンもオズマも調理用に活用していた。手のひらと同じくらいの大きさだ。
六つのくぼみは正六角形の頂点のように配置されていた。
それぞれが不規則に線でつながっていた。
線は指一本通るほどの太さだった。
カレンは順になぞった。
だが、何も起きない。
カレンは当然だ、と思った。
反対に、なぞってみた。
何も起きない。カレンは、六つのくぼみの下に、刻まれている文字に気づいた。
「【水中橋】」
読み上げた。
当然、何も起こらない。
カレンは全身から力が抜けていく感覚に陥った。その場で膝を突く。
異様なほどの眠気である。
「だめだ、こんなところで眠っては。オズマを助けに行かないといけないのに……」
目を閉じると、暗い世界だった。
夢? 夢を見ている?
夢の中で夢を見ているような感覚だった。
夢の世界は、あたり一面の暗黒であった。
天は黒く染まり、地もまた黒く塗られていた。
だが、天地を分ける空は、赤く焼けていた。
空の中央に金色に輝く柱が現れた。
天を支える柱?
いや、天と地をつなげる道であった。
カレンは目を開いた。オズマ曰く薄い胸に、あばらの浮いたお腹、腰巻きが見える。
だが、感じる。金色に輝く道が存在する。
(今見えた世界は、僕の内部だ)
カレンは知っていた。生まれる前から、どこかで教わった気がする。
(天と地は僕の頭とお臍を意味している)
なぜ自分でも知っているのかは分からない。
カレンはもう一度目を閉じた。カレン自身の姿が見えた。銀色の長い髪をしたカレンは、目を閉じて、白い床に片膝をつけて座っていた。
カレンの額から、光が現れた。
両目の間、喉、胸、お臍の間を通っていく。
カレンの内部で、光の柱ができた。
光の柱は、六つの玉になった。いやそもそも柱が六つの玉なのかもしれない。それとも六つの玉が柱だったのか?
玉には、それぞれ色がついていた。カレンの額にある玉が黒だとすると、上から順に、
黒 緑 青 赤 白 黄
と、なる。
カレンが目を閉じると、額から玉が飛び出てきた。黒い玉、続けて緑の玉、と上から順番に飛び出てくる。
カレンの目の前に六つの玉が縦に並んだ。
黄 白 赤 青 緑 黒
カレンの内部に入っていた順番とまったく逆であった。
カレンが片手で触れると、玉が揺れる。動かせる。
片手で混ぜ合わせるように玉をかき回した。
玉は正六角形の位置に納まった(作者註、縦書きPDFにしますと、位置がずれます。一度横書きで位置を確認願います)。
黄
赤 白
緑 青
黒
カレンから見て、白い玉と青い玉が右側になる。
目の前の岩と見比べた。
岩のくぼみ、六つのうち三つが線でつながっている。
緑、黒、青と同じ位置だ。
緑色の玉が微妙に揺れている。
「緑が一番最初なんだね」
カレンは直感で分かった。
緑の玉を人差し指で突っついた。くぼみに倣って、緑の玉から線を引く。光る線が現れた。黒の玉まで線を引く。
黒の玉から青の玉に向かって線を引く。
青い玉まで線を引くと、玉全体が光り出した。
「水中橋」
カレンの口から自然に言葉が出た。カレンはその場で静かに驚いた。
なぜ、自分はやり方を知っているのだろう?
いや、知っていた。
六つの玉が、光線を放った。放たれた六つの光が一カ所に交わり、人型を形成していく。
光が輝きを解き放ち、中から金属の固まりが現れた。
人型は、滑らかな表面に、金属の表面を持っていた。至る所に突起があり、突起の並び方に法則性があった。
「貝殻頭?」
だが、若干違う。いつも見ている貝殻頭の突起は不規則に並んでいる。目の前の貝殻頭は、形状が洗練されている。
カレンよりも一回り小さい。
「綺麗な貝殻頭だな。小さいし。……貝殻頭の赤ちゃんかな?」
動き出さない。
カレンは銛で突っつきたくなったが、何も持っていなかった。
貝殻頭の周囲を歩いて観察したものの、何も変化はない。
ベッド墓に何かヒントがあるかもしれない。
カレンはベッド墓を調べた。
水中橋と書かれた文字の下に、続きがある。
「スコルト・ハイエイタス」
カレンが読み上げる。
貝殻頭からなにか鈍い音が響いた。貝殻頭には両目はないが、人間の顔でいうところの目の部分が光った。身体全体から青い煙を放つ。
貝殻頭は首を傾げた。
「動いた!」
カレンをじっと見た。ゆっくりと近づいてくる。
「わわわわ」
カレンは踵を返して、出口まで走った。
振り返ると、貝殻頭が向かってくる。
砂浜にたどりつき、着水した。目を閉じて、必死に泳いだ。
目を開くと、いつもの水たまりの底だった。
後ろに気配を感じる。
大きな球体が追いかけてくる。人間が数人収容できるほど大きさだった。
球体の中央には、貝殻頭がいた。
(貝殻頭は泳げないはずだぞ?)
泳いでいる。いや、正確にいうと、貝殻頭の周囲に空気ができていて、貝殻頭が浮かんでいる。
自由に水中を移動している。
しかも、速い。このままでは追いつかれる。
カレンも泳ぎにはオズマには劣るが、自信はある。
だが、すぐに手を掴まれた。金属のような冷たい手だった。
カレンは不思議と抵抗する気が起きなかった。握られる力の強さが、優しかったからだ。
カレンは、貝殻頭に誘われるまま球体の中に入った。
球体の中身は白く暖かい光に包まれていた。
貝殻頭が中央にいたが、場所を譲ってくれた。
「ここに立て、と言っているんだね」
貝殻頭と生まれて初めて会話をする。
球体の中心に立った。
「なんだこれ?」
視界が広がった。
カレンの前方には海藻の生えた絶壁が見える。同時に、背後に魚が通過している様子も見えた。
足下に他の魚が、カレンの動きを伺っている。
球体そのものが眼球と同じ役割を果たしているのかもしれない、とカレンは思った。
動きたくなった。
身体を左に軽く傾ける。
カレンたちを収容した球体も左に移動する。
右に傾けば、右に移動する。
背伸びをすると、水面に向かって上昇する。
背を縮めると、水底に向かって下降する。
水中を自由に移動できる。カレンはベッド墓に書かれた文字を思い返した。
「水中橋? これが君の名前なんだね! オズマを助けに行くよ。……手伝ってくれるかい?」
水中橋から涼しい音が聞こえた……ような気がする。
水上に出ると、矢が飛び交っていた。オズマを狩ろうと貝殻頭が躍起になっている。
オズマは城壁にもたれ掛かっていて、けだるそうにしている。
「オズマ、もう大丈夫だからね」
オズマの肩を担ぐ。オズマの身体が熱い。
カレンの背後で、金属音が鳴った。
一瞬、カレンたちを覆う球体が黒ずんだ。
オズマを抱え、カレンは水底に向かって進んだ。
水底に着いた。
オズマの背中を見る。矢傷の周りは青紫に腫れ上がっていた。
「解毒剤が必要だ……」
野草を集めて薬を生成できなくもない。だが、家まで連れ帰って、置き薬を探すべきだ。カレンは判断した。
経験上、日没には貝殻頭たちが立ち去る。それまでには時間がかかる。オズマの容態が不安だ。
「水中橋。オズマを抱えていてくれないか? 行ってみたいところがあるんだ」
水中橋は、辛そうに頭を下げた。
オズマを水中橋の背中に乗せた。水中橋は左肩胛骨に小さな凹みをつくっていた。矢の痕であった。
「流れ矢に当たったんだね」
さっき球体が黒ずんだ瞬間を思い返した。そのときに矢を受けたのだろう。球体と水中橋の体調は連動しているらしい。
他の貝殻頭と違って、水中橋は武器を持っていない。身体も小さく、戦いに向いていない貝殻頭だった。
水中橋は貝殻頭らしく、普通の人間よりも力がある。水中橋はカレンよりも一回り小さいのに、カレンよりも一回り大きいオズマを背中に担いでも微動だにしない。
横穴を見つけた。
カレンはくぐり抜けた経験がないが、漁の間に何度も横穴を見ていた。
巨大な横穴に入る。
人が二、三人くぐり抜けられるほどの大きさだ。
以前なら、普段なら呼吸が続かず、中まで入れなかった。昼でも横穴に光源が届かず、暗かった。
今回は水中橋のお陰なのか内部が見える。
横穴の岩壁から魚が出てきた。
魚はカレンたちの球体に衝突した。球体の柔らかい膜に反発して、一瞬方向を失ったが、すぐに正気を取り戻した。カレンたち以外、球体の中には侵入できない仕様のようだ。
球体は岩に引っかかっても破けなかった。地形にあわせて柔軟に形を変えていく。
穴が狭くなった気がする。
(このまま行き止まりだったら、どうしよう……?)
カレンの心配は、杞憂に終わった。
すぐに海に出た。
海面に上昇する。
海面から顔を出し、周囲を見渡した。横穴の最終地点は断崖の底だった。初めて見る景色ではない。崖の上は城跡の水たまりがある。断崖の向こうには、湾を挟んで対岸があった。
オズマを担いでいる水中橋に話しかける。
「水中橋。オズマは重たいけど、もう少し頑張ってくれる?」
対岸の砂浜を指さす。砂浜の先には森があり、森の近くに丸太を組み合わせた小屋があった。
「あそこが、僕たちの家だよ」
球体の内部にいる限り、水中での移動は、泳ぐよりも楽だった。
城跡の崖と、自宅のある砂浜に橋が架かったようだと、水中橋の球体内部でカレンは思った。
砂浜に足を着ける。水中橋からオズマを受け取って、背中に担いだ。オズマは完全に気を失って重力に抵抗していないので、重い。カレンは担いでいる、というより、ひきずっている。
水中橋が陸地を踏むと、球体が消えた。
カレンは慌てて、水中橋を手で止めた。
「水中橋。お母さんが見たら恐がるから、隠れていて」
水中橋の周囲から、どこからともなく光の粒が現れた。光の粒は複数で、一つにまとまっていく。水中橋は光に包まれた。
光が消えていく。光とともに水中橋の姿もなくなっていた。
「あれ? どこに行ったの?」
カレンは海面を見た。穏やかに波を打っている。水中橋の姿は見えなくなった。
「家に帰ったのかな? それにしても変わった貝殻頭だったなぁ。……とてもいい奴だったけど」
オズマを背負って、家に辿り着く。
ありがとうございました。