忍者
1
カレンは扉を閉めた。
いきなり飛び出しては、槍の穴だらけになる。
「貴様、行かないのか? 何か作戦を考えていたのではなかったのか?」
ナスティの抗議に、カレンは必死に自己弁護をした。
「これから考えるところだったの!」
ナスティも母親と同じだ。これからやろうとしていたのに、「掃除をしろ」と、母親にせき立てられて、やる気を失す現象に似ている。
「ガルグっぽくないな」
カレンの態度に、ナスティは評価を変えた。上がったと思ったら、すぐに下がった。
ナスティの評価を気にしていても、意味がない。カレンは眼を閉じた。
黒い世界が現れる。
黒い世界は、透明の壁でお互いの空間を仕切っていた。透明の壁は、視線をずらすと消えてなくなる。視線を戻すと、また現れる。
通路の右を進んだ先は十字路があり、十字路をまっすぐ進んだ先に、タイル部屋がある。目的地である。
十字路まで戻り、直進ではなく、右側に曲がると、二体の貝殻頭が立っていた。
二体はどうも見張りらしく、扉を守っている。
見張りの位置からだと、十字路を通る自分たちの姿が見える。強引に突破しても、ナスティを背負った状態では追いつかれるだろう、とカレンは予測した。
巡回している貝殻頭をやり過ごせても、見張りの貝殻頭をやり過ごす方法は、ない。
だが、すぐに閃いた。
(やり過ごすんじゃなくて、二体をどこか別の場所に移動してもらえばいい)
カレンは指を鳴らす。
「囮だな……」
囮は、霊骸鎧だ。霊骸鎧を囮として出すには、抵抗があった。だが、ここで何とかしないと、ナスティも自分も死ぬ。
蛇姫を呼びだした。女性を思わせる柔らかな造形である。動きがしなやかで、軽い。
「いい? あの通りの右側には、貝殻頭が二人いる。貝殻頭とは反対側の左に向かって走って。敵に追いつかれたら、帰ってね。絶対に無理しちゃダメだよ?」
蛇姫に指示を出すと、頷く仕草を返してきた。霊骸鎧は、人間の言葉を理解している。
「さっきから不思議に思っていたが、貴様は霊骸鎧を呼び出すことができるのか?」
背中のナスティが疑問をぶつけてくる。
「どうも僕の能力らしい。……僕自身は変身できないけれど」
適当に流し、眼を閉じる。貝殻頭が群となって、周囲を巡回している。巡回組が、十字路を横切った様子が頭に浮かび上がった。
蛇姫の背中を軽く押す。
出発を促すと、蛇姫が命令通り、走り出した。
十字路を左に曲がると、当然、見張りの貝殻頭が蛇姫に気づいて追いかける。
カレンは走った。ナスティを背負って、走る力が落ちているが、突っ切るしかない。
カレンの視界が変わった。
今、自分が走っている目の前の通路と、蛇姫の後ろ姿が同時に見えた。
カレンの視点は、蛇姫を追いかけている、貝殻頭のそれだった。
だが、前方の通路を見ると、蛇姫は左隅に見える。カレンの眼球内で、小さな窓枠ができたようだ。
貝殻頭の槍に取り囲まれても、蛇姫はまだ消えていない。
(早く帰って!)
貝殻頭たちが、一斉に蛇姫を槍で突く。
カレンは小さく叫んだ。
2
槍の穂先が、床を突いた。
だが、蛇姫が串刺しになる映像は見えなかった。
蛇姫が消えた。
いや、小さくなった。
槍と槍の隙間にできた空間に、小さな蛇が身体をくねらせ這っていた。
(蛇姫だ。蛇姫の能力に違いない)
カレンは、直感的に理解した。
小さな蛇となった蛇姫は、天井と壁の隙間に逃げた。
貝殻頭たちが蛇姫を狙って槍を放つが、むなしく金属音が鳴るだけだ。
(よかった!)
蛇姫が生き残って、カレンは安堵した。自身は十字路を越える。
「このまま、いけるか?」
だが、問題が発生した。
十字路の先に、貝殻頭の集団が槍を構えていた。二体の貝殻頭が弓矢をつがえている。
目的地まで、少し距離がある。
(回避しつつ、突破するか?)
カレンは考えた。だが、遮蔽物がなく、ナスティを背負って素早く行動できない。
ただの的である。
カレンは反転して、突破を諦めた。やむなく十字路に戻り、さっき見張りがいた扉に向かった。
矢が風を切る音を耳にする。
天井を突っついて蛇姫の追跡をしていた貝殻頭たちに、気づかれた。
古めかしくも重厚な扉を押した。
仕掛けはない。以外と軽く、中に入れた。
貝殻頭たちの足音が近づく。
「堅牢城!」
堅牢城を呼び出す。堅牢城は、その能力を持って、扉を固定させた。
「さすが、堅牢城だ。ビクともしない」
部屋を見る。
大きな机があった。
左右に燭台があり、燭台の火は燃え、部屋の内部を照らしている。
正方形にくり抜かれた岩が、壁として積み上げられている。
厚手の絨毯を足の裏に感じながら、カレンは机の上を見た。
書類が散らかっていた。見慣れない文字で、何かが書かれている。
クルトに似た、存在がここに座っていた。
いや、クルトよりも強大で狡猾であった。具体的な顔の輪郭は見えなかったが、どこか神経質な表情をしている。
ナスティが、カレンから飛び降りた。カレンは軽さを感じ、肩を回した。
「ここは、誰かの執務室だ……」
ナスティは、部屋全体を見渡し、壁に向かって歩き出した。壁を手の甲で叩く。
「音が鳴ったら、その壁の先に、隠し通路があるはずだ。ガルグの執務室にも似た仕掛けがあった」
ナスティが壁を叩き始めた。カレンはナスティの姿を見ていたが、意識は別に向いていた。
「何をしている? 貴様も探さないのか?」
カレンは眼を閉じた。ナスティの声が遠のく。
ナスティや貝殻頭の存在が次第に、別の世界、別の時代の出来事のように思えてきた。
黒く、透明の世界が現れた。
確かに壁の先に、目的地であるタイル部屋があった。
だが、ナスティの言うような隠し通路はなかった。厚い壁に阻まれていて、現在地から直通する手段はない。
柱の一部が光っている。光は最初、赤く、途中で緑色に切り替わったかと思うと、また赤に戻った。
カレンは目を開いて、柱の一部を触った。
何も起きない。
「この世界には、二つの世界があるんだ。目で見えて、手で触れる世界。……もう一つは、目に見えないけど、感じ取ることのできる世界」
カレンの口から言葉が出た。まるで譫言のようである。自分で発しているのに、誰かに喋らされているかのようだ。
だが、カレンは腑に落ちた。確信をもって、自分の言葉が正しい、と身体全体から力が湧き起こった。
カレンは眼を閉じて、右手から赤い光を出した。右手から赤い煙を出す。
クルトが黒い煙で扉を開けたときの応用である。
右手から石の柱が、粉々に崩れていく感触がした。
光は赤から緑に切り替わった。
左手で緑色の煙を出す。またも柱の表面が崩れた。
ナスティの呼ぶ声が聞こえる。
カレンは、目を開くと、目の前で、柱の一部が崩れて倒れかかっていた。
後ろに飛んで避ける。足下に岩が転がった。
「貴様、何をしている? 目を閉じたままだと怪我をしていたぞ?」
ナスティが怒った。
(心配してくれたんだ)
カレンは不思議と嬉しかった。
柱の岩が崩れた跡に、窪みができていた。
ナスティが中をのぞき込んだ。
「これは、霊骸鎧の墓……?」
と、眉間にシワを寄せた。
カレンもナスティの横から、窪みをのぞき込んだ。
ナスティが反射的に顔を逃がす。カレンは、少し残念な気持ちになった。一つの墓に、二つ模様が刻まれていた。
光の玉を表現した模様である。
霊骸鎧の名前も二つあったが、人物の名前は一つだけであった。
カレンは片方を指でなぞり、片方の霊骸鎧を読み上げた。
「忍者!」
赤い光とともに、風変わりな姿形をした霊骸鎧が、現れた。
異国の鎧を着て、頭の兜には、三日月を模した飾りがついていた。
(これは強力な霊骸鎧だ)
カレンには、霊骸鎧の形状から、戦闘向きの霊骸鎧だとよく分かった。
「リュウゼン・ミタムラ!」
“忍者”が起動する。
太い腕を組んで、カレンの命令を待っている。
「忍者、あの壁を壊してくれないか?」
カレンは、壁を指さした。手が震える。視界が歪んできた。蛇姫、堅牢城、そして忍者、と三回連続で霊骸鎧を呼び出したのである。
忍者は頷き、壁に向かって、歩み出した。
忍者の両腕には、それぞれ鎖が巻き付いている。
鎖の先端には、刃がついていた。
炎殺鎖鎌という名前の武器だ。
“忍者”は腰を落とし、脇を締め、力を込めた。
何かを抱き抱えるように両腕を振ると、炎殺鎖鎌が展開して、巨大な翼のようになった。巨大な翼は炎を巻き起こし、壁に命中すると、爆発した。砂煙と飛散した壁が、衝撃とともに飛んでくる。
世界が暗転する。
まるで時間が止まったように、ゆっくりと全ての動きが見える。
ナスティを見た。
ナスティは、唖然として、状況を把握していない。
カレンはナスティを抱きしめて、忍者の背後に飛んだ。
暗い世界が終わると、世界は動きを取り戻した。
忍者の背後で爆風をやり過ごす。
カレンが目を閉じていても、ナスティはカレンを見ていた。
上目遣いで、カレンに抱きしめられている状況を、理解できない表情だ。
いくつかの破片が忍者にぶつかったが、忍者の厚い装甲がモノともしない。
瓦礫が崩れ落ちた先には、タイル部屋が現れた。
「行こう、ナスティ」
ナスティの手を引き、タイルに脚を乗せる。
身体中が痛い。
頭を数発殴られて、痛みで意識をなくしてしまいそうな感覚だ。
霊力を使い果たしている、とカレンは理解した。
カレンは目を閉じ、力を振り絞った。
隣から、ナスティの小さい悲鳴が聞こえた。
堅牢城が消えた部屋に、貝殻頭たちが殺到してきたのである。
足の裏から黒い煙を出して、タイルを起動させた。
(下だ! ……ずっと下まで運んでくれ!)
カレンは心の中で叫んだ。
2019年9月17日
炎殺鎖鎌→炎殺鎖鎌
と改名しました。