堅牢城
1
「僕は……」
視界が揺らぐ。霊骸鎧を呼び出したせいで、疲労が膨れ上がった。
「シグレナスの皇帝、カレン・サザードです!」
胸を張り、高らかに宣言した。我ながら強がりである、と自覚はある。
クルトと目があった。クルトの顔は完全に自己修復している。顔から怒りは消え、目を丸くしている。
クルトは、口の中で言葉を繰り返していた。
「シグレナス……。シグレナス……」
クルトはシグレナスを知っている!
好奇心が湧いてきた。
クルトに話しかけようとしたが、隣に、ナスティの白い肩が見えた。
ナスティは、いつの間にかシーツを身体に巻き付けていた。カレンは我に返った。クルトと長話をしている暇はない。ナスティの安全が優先だ。
「行こう。ここはそう持たないだろう。少しでも距離を稼ぐんだ」
カレンは、ナスティの目の前に自分の背中を差し出した。だが、ナスティは、カレンの横を素通りした。
「……いや、自分で歩く」
ナスティは冷たく断った。発言に反して、ナスティの背中がふらついている。
カレンには強がりにしか思えなかった。強引に背負っていくべきかと迷ったが、実際にナスティは歩いている。
(歩けるほど、体力が回復したのかもしれない)
と、カレンは前向きに解釈した。
堅牢城を見た。格子戸の前で、静かに次の命令を待っている。
「クルトをここで足止めにしておいて。クルトが諦めたり、君自身が危なくなったりしたら、帰っていいからね」
堅牢城に任せておけば、大丈夫だと、カレンには不思議な確信があった。
堅牢城と別れ、ナスティを追う。
だが、すぐに追いついた。ナスティは壁に寄りかかり、一歩一歩、力を振り絞っている。
カレンは心配になって、ナスティの顔をのぞき込んだ。ナスティは、眉間にシワを寄せて口を開いた。
「どうした? 先に行けばよいだろう」
ナスティに睨まれた。
「犬でも追い払うような言い方、やめてくれないかな」
裸にシーツを巻いて、可愛い顔で睨まれても怖くはなかった。言い争っても無駄だと悟り、カレンは命令通り、先に進んだ。
(担いで歩くより、速いかもしれない。状況は良くなっている……はずだ)
通路が折れ曲がっている。死角に敵が潜んでいないか、カレンは目を閉じて確認した。
貝殻頭の気配はない。安全を確認して、後ろのナスティの様子を見た。
ナスティが通路の向こうで、小さくなっていた。床に片膝をつけて、全身を振るわせている。身体が思うように動かないのだろう。
「いわんこっちゃない。無理して強がったらダメだよ」
カレンが駆け寄ると、ナスティは悔しげに唇を噛み、瞳には涙を浮かべていた。
ナスティを背負って、通路を進む。
カレンも堅牢城を呼び出して、体力を失っている。だが、ナスティはクルトの攻撃を受け続けている。少しでもナスティを不安にさせたくなかった。自分の消耗を気づかれてはいけない。
折れ曲がった先から、明るくなった。
光源は外からだった。鉄板の壁が長方形にくり抜かれていて、外の風景が見えた。四角い穴に触れようとすると、見えない壁が指に当たった。
見えない壁をのぞき込むと、眼下には、ピンク色になった都市の全景が広がっている。
巨大な影が翼を広げ、建造物の真上を通過する。
ナスティたちがやってくるときに見た、龍だった。
龍の影は小さくなっていき、地面に向かって炎を吐いた。
「龍だ。貝殻頭たちを焼き払っている」
ナスティに報告すると、ナスティが、カレンの肩からのぞき込む。ナスティの位置からは見えないだろう、とカレンは思った。
「龍が見えたのだな? だとすれば、ガルグたちに間違いない。ガルグをお助けしなくては」
カレンは身震いした。ナスティの吐く息が首筋にかかり、くすぐったい。これまでの人生で味わった経験のない感覚である。
「……どうした?」
ナスティが異常に気づく。不審物を発見したかのようだ。
「なんでもない!」
カレンは誤魔化した。よけいな発言で平手打ちを食らう恐れがある。
こんな緊迫した状況で、僕は何をやっているのだろう?
2
見えない壁の隣に、空間があった。三方を壁に囲まれ、小部屋を思わせる形状だが、扉がない。
足下には、タイルがあった。円形の模様が施されている。クルトやカレンが、屋上から、この建物内部に移動したときに使った装置だ。
模様にあわせて、脚を揃える。
カレンは、目を閉じ、意識を集中した。
前回は、頭から黒い煙を出していた。だが、足先に集中した。
足裏から煙を出す。
「何をやっている……?」
ナスティがカレンの肩から足下をのぞき込む。
足裏に冷たさを感じた。泥に足をつっこんだ感覚に陥った。ナスティを背負ったまま、沼地に静かに沈んでいく。
「この感覚は……! 貴様、転移魔術を使えるのか?」
ナスティの驚いた声が聞こえる。背負っているのに、遠くから聞こえた。
(転移魔術? さあ、よく分からない。僕は意識しているわけじゃないけれど。足下の仕掛けが転移魔術の手助けになっているのかもしれないね)
言葉に出なかった。口に出したくても、身体が命令を聞いてくれない。そもそも返事をする必要がない。今は、ただ集中して、足の裏から煙を出すだけだ。
頭から煙を出すよりも、身体に負担は少なかった。
問題は背中のナスティだ。
映像が見える。
ナスティが、冷たくて黒い岩に押しつぶされていた。前方に折れ曲がった身体から汗を出て、苦しそうな表情をしている。
転移魔術の影響だ、とカレンは推測した。
この海底都市に来るときも転移魔術を使った。そのとき、意識を半分失った状態のナスティを思い返した。
下に引きずり込まれているこの現状は、ナスティの負担になる、とカレンは予測した。
カレンは足裏に黒い煙を出しつつ、カレンは暖かい黄色い光を背中から放出した。
ナスティの光と同じ色だ。同じ光の色を出せば、何か効き目があるかもしれない、とカレンは仮説を立てた。
映像が見えた。
黄色に輝く水滴が、黄色の水面にはじけて、波紋となった。
穏やかな光となって、カレンの周囲を明るく照らした。
(暖かい……)
ナスティの声が聞こえる。ナスティから苦しみがとれ、どこか苦しみが和らいでいく。
カレン自身も心地よさを覚えた。
目を開いた。
カレンたちは、個室にいた。クルトの個室よりも、さらに狭い。大人が二、三人立っていられるかくらいの広さである。
目の前に扉がある。押せば開く構造になっている。
扉の隙間を覗くと、通路の壁が現れた。
先ほどのクルトがいた通路に似ているが、絨毯がない。比べると、どこか貧相で無機質な印象を受けた。
「ここは、どこだ……?」
背中のナスティが周囲を見渡す。
「下の階に降りたみたいだね。なんちゃって転移魔術は成功だ。……ナスティ、体調はどう?」
「……悪くはない。いや、同じ転移魔術であるが、ガルグと比べて……」
カレンには、ナスティがむしろ爽快な気分であると感じた。
3
カレンは目を閉じた。
「さっきから何をしている……? それではまるで」
ナスティが怖々と訊いてきた。
だが、カレンは聞こえないふりをして、貝殻頭の居場所を探った。
透明の人影が、複数見えた。
通路の向こう、曲がった先、通路につながっている小部屋……つまり、至る所にいる。
この階層は、貝殻頭の居住区だとカレンは理解した。
クルトは貝殻頭の中でも身分が高いのだろう。他の貝殻頭とは独立した区域を与えられ、違う待遇を受けている。
「ここは危険だ。貝殻頭しかいない」
ナスティに説明した。我ながら当たり前の分析である。
小部屋に戻り、円形模様のタイルに足を乗せる。目を閉じるが、身体が浮き上がる感覚に襲われた。
「だめだ、ここはさっきの階に戻ってしまう」
クルトと鉢合わせになるだろう。
カレンは、慌ててタイルから足を外した。
小部屋の隣には、扉があった。半透明の突起物がある。カレンが目を閉じると、下から貝殻頭の集団が見えた。高速で上昇し、こちらに向かっている。
「ここもダメだ」
突起物の扉を諦め、他に脱出経路がないか、カレンは探った。
壁の向こうに、丸い模様のタイルが見えた。
ここだ!
カレンは眼を開いた。
「ナスティ、敵に囲まれた。もうじき、ここにも敵が来るだろう。だけど、目的地は見つけたから」
状況を説明する。ナスティに心配をかけないためにも、できるだけ毅然とした態度を見せたつもりだ。ナスティは、状況が把握できないようである。
「霊落子の居場所や次に行く場所が分かるのか? まるで……」
「霊落子とは、貝殻頭のことかい? そうとも呼ぶらしいね。まあ薔薇をどう呼ぼうが薔薇だけど。貝殻頭を薔薇に例えるのは変だっけ。……突破するよ」
扉を出て、左右を窺う。
通路の向こうから、貝殻頭たちが列をなして横切った。
カレンは扉を閉めて、小部屋に戻り、やり過ごす。
「貴様はまるで、ガルグのようだ……」
ナスティの声に、熱がこもっている。