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卒業

        1

 セレスティア祭が終わって、数日が経った。

 ナスティは、普段の生活に戻ると考えていたが、すぐに変化が起こった。

 聖歌隊の練習場に来ると、セロンとケイトが並んで、立っている。

「あなたは、もう聖歌隊の練習に参加させられなくなったの。今日は部屋に戻って」

 ケイトの様子が変だ。いつもよりも、元気がない。

 セロンの雰囲気も違う。拒絶されている空気を感じた。

「どうかしましたか? ボク、また何かしちゃいました?」

 だが、二人とも反応がない。下を向いて、暗い顔をしている。

「次は、どんな仕事ですか?」

 聖歌隊の練習や発表は、辛かった。だが、その都度、目標があった。達成するたびに、満足感があった。仕事を取り上げられる状況は、自分の価値を否定された気分になる。

 さらに、理由も教えてもらえず、なおさら、納得がいかない。

「……追って伝える」

 セロンはそっぽを向いた。明らかに何かを隠している。罪悪感や恐怖を感じる。

(誰かに脅されている?)

 ナスティは、閃いた。

 何者かが、セロンに圧力を掛けている。

(前向きに考えよう。栄転だっけ? 出世コースのサラリーマンって、いろんな仕事をやらされるから。次は、どんな仕事をさせてもらえるんだろうって、楽しみに待っていればいいのかな? でも、嫌な予感がするんだよね)

 帰りに、モニカとすれ違った。顔の怪我は快方に向かっている。

「おはようございます、モニカお姉さん」

 ナスティが挨拶をすると、モニカが顔を逸らした。

(あれ、なんか怒らせたのかな?)

 モニカが余所余所しい。話しかけないでほしい、とモニカの気持ちが伝わってきた。

 ナスティは涙が溢れてきた。

 モニカとは、絆……お互いの命を守り合った……があったのに、一瞬で崩れたのだ。

(みんな、ボクを無視している?)

 違和感が言語化された。知らぬ間に、異世界に飛び込んだ気分だ。

 明らかに皆の様子がおかしい。

 フィディの執務室に入った。

「最近、皆さんから無視されている気がするのですが、どうしてですか? ヒルダさんが関係しています?」

 ナスティの質問に、フィディの表情が暗くなった。

 沈黙は、肯定だった。

(よく分からないけど、ヒルダが大神殿に圧力を掛けたんだね……。ボクに仕事をさせないために)

 ヒルダの憎悪する目つきを思い返した。

 親の仇敵かたきを見るような顔つきである。

(そんなに嫌わなくても良いでしょう? ボクは自分の仕事をしただけで、アナタに迷惑を掛けていないよね。……セロンも大神殿も守ってくれない。労働者の権利ぃ……)

 聖歌隊の仕事がなくなってから、新しい仕事が割り振られない。

 自分だけ、取り残されたような、置いてけぼりにされた気分になった。

「あの、ボクは何をすれば良いのでしょうか?」

 フィディに相談する。ナスティは自分が泣いていると気づいた。

「大神官様に聞いて」

 フィディは最小限の言葉で、そっけない態度で返事をした。

(その大神官様に仕事を取り上げられたんですけど! たらい回しにされている……!)

 ナスティは怒りと悲しみでもつれた足で蛇行しながら、セロンの執務室に入った。

「……あとで伝える」

の一点張りだ。

 セロンがそう言葉を発して、黙り込んだ。

 ナスティはその場を退散した。

(連絡は来なさそう。……セロンは、絶対に、誰かに脅されている。ヒルダ……? いや、もっと強い存在がいるのかな?)

 周りの巫女たちが、ナスティを見て、内緒話をしている。

(無職のボクを笑わないで……)

 惨めな気持ちになった。

 食事や入浴はさせてもらえた。洗濯の空間スペースも与えられた。最低限の生命維持活動だけは保障されている。

(仕事をしていないのに……)

 役立たずの自分だけ、らくをしている。

 罪悪感にさいなまされた。

 授業も、辛かった。

 教師役に無視されている。

 ベルザすら意地悪をしてこなくなった。

 そこだけが、せめてもの幸運であった。

 ベルザには、他の巫女を見下している雰囲気が合った。教師役や先輩の巫女も遠慮している。ただ、セロンの言いつけは絶対に守っている。

 ベルザと友人たちが、年齢に相応な笑い声をあげる。

 ベルザには、何事にも勝っている自負があった。

 意地悪をされても、平気だった。

 だが、ベルザは巫女たちやセロンと上手く人間関係を構築している。

 一方の自分は、共同体から爪弾きにされ、勝ち負けを決める同じ土俵にすら立っていない。 ナスティは耐えられなくなってきた。

(さみしいよ……)

 ナスティは、授業に出なくなった。

 周りに人がいるが、いればいるほど、自分の孤独がより浮き彫りになるからだ。

        2

 青空の下、ナスティは問題集を広げた。授業に出る時間を自習に当てた。

 だが、どれを見ても、すぐに答えが分かる。

 これまでに、すり切れるほど繰り返したからだ。

(簡単すぎる……)

 何周かすると、飽きてきた。

(何か、知識を入れたい……)

 勉強に対する意欲が膨れ上がってきた。

 大神殿の内部が、騒ぎ始めた。

 巫女たちが、集まっている。

 ナスティは、訳も分からず、壁際に立っていた。誰からも注意されなかった。

「皇帝陛下が崩御された」

 セロンが切り出す。苦々しげな顔色であった。

「崩御って何?」

「死んだのよ」

 巫女たちが、静かに動揺している。

「セレスティア祭のときも、長くなさそうだったからね」

 巫女たちの反応は、落ち着いていた。

(あのお爺ちゃんが死んじゃった……)

 ナスティは悲しかった。帝とは、お会いした時間はわずかであった。

(ひとりぼっちだったんだろうな。ボクと同じ……)

 ナスティの逡巡など、誰も気にしない。

「新しい皇帝陛下が誕生した! 元老院の中から、ゾルダー・ボルデン閣下が選ばれた」

 セロンが、話を続ける。

 巫女たちが私語をしている。

「イケメン?」

「太った普通のおじさんみたいだけど」

 セロンの説明によれば、大喪と戴冠式は、同時に行われる。

 新帝を中心に元老院が、大神殿とともに、執り行う。

 大喪と戴冠式の準備は、嵐のように忙しく、常に巫女たちが血相を変えて、大神殿を駆け巡っていた。

 ナスティは誰にも何も指示されない。

 まるで存在していないかのように。

 だが、自分だけ仕事をしていない。食事や入浴の時間になると、罪悪感と孤立感が膨れあがった。

(仕事をしているときは、辞めたくて仕方なかったけど、仕事がないと、もっとつらいよ……)

 ナスティが考え事にふけっていると、咳払いが聞こえた。

 荷物を運んでいる巫女が、迷惑そうな表情をしている。進路に立ち塞がっていたのだ。

(仕事がない上に、邪魔をしちゃっている……)

 どこにもいられなくなった。

(どこか、人目の付かない場所で過ごそう)

 ナスティは、隠れ場所を探すため、大神殿の中をさまよった。

 すぐに見つかった。

 資料室である。

 扉を開けると、棚が並んでいる。

 棚に巻物が置かれている。ナスティは一つずつ開いて、読み始めた。

 ナスティにとっては、牢獄のような日々が始まった。

 孤独から逃れる方法は、読書だけだった。

 実用書から、神話まで読んでいく。

(シグレナスが“魔王”を滅ぼした頃に、霊骸鎧が出てきた。セレスティアの時代には、霊骸鎧は出てこない。だから、霊骸鎧が出てきたセレスティア祭は間違っている)

 歴史の知識と相まって、行事の時代考証をし始めた。

「セレスティア、セレスティア……」

 セレスティアとは文面でしか会えないが、生まれたときからずっと一緒に暮らしている友だちのように思えてきた。

 暑い時期も、寒い時期も、ひたすら資料室の本を読みあさった。

 行事などなかった。

 試験だけは出た。教科書と問題集を暗記しているので、試験の問題は、すぐに一位をとれた。どんな試験でも、一位になれる自信はある。大神殿の同学年たちは、それほど賢くない。 シグレナスの聖者や賢者たちが、よほど賢かった。

 ただ、ひたすら読書に明け暮れるのである。

 読む本がなくなった。

 未読の本はまだあるが、読む価値があると思えなかったのだ。

 資料室に別室があった。鍵が、壁に掛かっていた。係の巫女に許可を取ろうとしたが、巫女が、ナスティを無視した。ナスティも無視して、鍵を取り、別室に入った。

 資料室の奥に仕舞われた本を掻き出す。

 周囲に無視をされ続けた寂しさを紛らわせるためではなく、知的好奇心を満たすでもない。

 ただ、取り憑かれたように、ナスティは、本を読み続けた。自分の意思とは関係なく、身体が勝手に動く。

 見慣れない文字で、ナスティの読書が一時停止された。

 古代神聖文字エンシェント・ホーリー・シンボルだと分かった。

 読めないので、古代神聖文字の教科書を探し出す。

 探す作業に数日を費やしたが、ナスティの寂しさを紛らわすには十分だった。

 紙も筆も、使い果たした。

 申請すれば、もらえるが、誰も譲ってくれない。

 ナスティは、古代神聖文字を空中に書いて覚えた。

 孤独を打ち消すには、何かに没頭するしかない。

 古代神聖文字エンシェント・ホーリー・シンボルなんて読むのかどんな意味なのかも分からない。

 ただ、ひたすら空中に書いた。

「セレスティア、セレスティア……」

 セレスティアを古代神聖文字で書けるようになった。古代神聖文字で次々と空中に書いていった。

 誰からも教わった訳ではないのに、ナスティには理解できる。

 古代神聖文字は、文法的にも語彙的にも、ヴェルザンディの言葉に似ていたからだ。

 ヴェルザンディの神殿でも、古代神聖文字が書かれていたし、唱えられていた。

 古代神聖文字の発音と抑揚を、共通語の発音と抑揚で再現する本を見つけた。

 共通語には、巻き舌を作って、一気に息を吐き出す“r”がある。

 古代神聖文字では、“r”のほかに、“rr”という発音がある。“rr”は巻き舌を作って二回に分けて息を吐くのである。

 ヴェルザンディ語にも似た発音がある。

(共通語よりも、ヴェルザンディ語から調整したら、やりやすいかも)

 共通語にもヴェルザンディ語にもない発音があった。

 それは、“bha”である。

「息を吸い込んで、呼吸器官に集めた空気を爆発させる」

と、教科書にある。

 子どもの頃、ヴェルザンディの神殿に来たとき、僧侶たちが、呪文を唱えていた。

 爆発するような“bha”を聞いた記憶がある。

「ぐはぁ……! ウボァー! ……ちょっと違うな」

 難しい。

 教科書の記述と、幼少期の記憶を頼りに、発声練習をする。

 途中でゲップのような音が出る。誰も見ている者はいないが、やり過ぎて、顔に血が上り、涙目になった。

 身体をつかって、声を出す。

 自分自身を楽器に変える。

 聖歌隊にいた練習と同じだった。

(どんな練習も、無駄にならないんだね……)

 取り憑かれたように古代神聖文字を発声し続けた。

 シグレナス語は、母国語なのに、大神殿ではほとんど使われない。外部アウトサイドでも、シグレナスで使う者は少ない。

 むしろ、共通語がシグレナスの標準語になっている。

 シグレナス語は、“魔王”の時代よりも先史の時代に使われていた言葉である。

 ヴェルザンディ語も共通語も、古代神聖文字も他の言語が左から右の横書きである。シグレナス語だけが、上から下に読むのである。

「シグレナス語だけ、異質なんだよね」

 発音と抑揚を学びながら、古代神聖文字で書かれた神話を読み解いた。

 シグレナスの地方に、ことあるごとに神様が現れて、問題を解決していく。そのたびに神を称える詩歌が出てきた。

「ちょっと待って。シグレナス神話なのに、なんで古代神聖文字で書かれているのだろう?」

 ヴェルザンディの人間が編纂したのだろうか?

 それにしては、シグレナス語で書かれたシグレナス神話の本がない。

 ナスティの問いに答える本はない。

 古代神聖文字で書かれた神話を読んでいくしかない。

 古代神話のほとんどが、神を称える詩歌に占められていた。

 ナスティは読み上げた。読むだけで律動リズムがある。

(どこかで聞いた記憶がある……賛美歌だ!)

 なんなら、古代神話の詩歌をそのまま現代語訳した賛美歌もある。

 ときどき言葉の意味が分からず、辞書を引いても出てこない言葉があった。それでも、無視をした。なんとなく情景が頭に浮かんでくる。

 古代神話において、シグレナスも“魔王”も出てこない。霊骸鎧すら出てこない。

 ただ、神々と人々の関わり、神と神との抗争、人間同士の戦争が描かれている。

 ナスティは古代神話を暗唱した。

 周りに誰もいない状況を確かめ、何度も神話の一文を繰り返し暗唱した。

 歌うように、覚えていった。資料室から幽霊の歌声が聞こえる、と大神殿で一時期噂になった。だが、発生源がナスティだと知られると、噂は途絶えた。

       3

 卒業試験が終わった。

 ナスティは、一三歳になっていた。

 本来であれば、卒業試験は、一五歳のときに受ける。

 ナスティは二年も飛び級をしているので、二歳年上の同僚たちと一緒に卒業試験を受けていた。

 フィディが成績表を見て、驚いていた。

「……圧倒的な一位だったぞ。二年も飛び級をして、よく二歳年上の巫女たちよりも優秀な成績を収めたな? 卒業して、お前は、どんな仕事をしたいのだ? お前の成績であれば、どんな好きな仕事にも付くことができるぞ?」

 興奮気味にフィディに聞いてくるが、ナスティは応えられなかった。

 この二年間、まともに人と話す機会がなかった。

 人間と会話をする方法を忘れてしまっているのだ。

 進路なんて考えていなかった。

 放置されすぎて、進路相談をすら呼ばれていない。

「仕事……?」

 ナスティは、フィディの言葉を上の空で繰り返した。

 仕事って、なんだっけ?

 ジョニーの顔が、自分の頬に近づく。算術を丁寧に教えてくれた。

(ジョニー……)

 ジョニーの顔を思い浮かべる。

 身体が勝手に動いた。

 用紙に「家庭教師」と書いた。

「それで良いんだな? お前であれば、弁護士でも医者にでもなれる。その気になれば、もっと稼げるぞ?」

 フィディが、ナスティの耳元で囁いた。

 ナスティとの会話を、誰かに見られては困るのだ。

 だが、ナスティは返事をしなかった。共通語での日常会話を忘れてしまっている。

 この二年間は、神聖古代文字とつきっきりで、間違って神聖古代文字で返答しかねない。

        4

 卒業式が行われた。

 卒業試験は毎年、皆の前で、順位一位の者が表彰されるが、ナスティが一位だったので、今年は二位の者が表彰された。

 二位の巫女がすべての巫女の前でスピーチをしている。

 一位のナスティは、列の後ろから見ていた。

(ボクは死んだ、過去の人みたいなんだね……)

 感情が動かない。動かないようにしている、が正解である。

 卒業式は何事もなく平穏に終わった。

 フィディに呼ばれた。

 セロンの執務室では、丸顔の男がセロンを前にして、座っていた。

「家庭教師の斡旋業をしていますドロームと申します」

 ドロームを奴隷商人だ、とナスティは見破った。

 奴隷商人が、仕事の紹介業もやっているのである。

 他の巫女の姿はなかった。家庭教師志望の巫女は、ナスティだけなのである。

 ドロームは、ナスティを見た。家畜を買うときに、家畜の値踏みをしているかのような表情だ。

「ふむむ、かなり大人しい方ですねえ。これで子どもたちを指導できるのでしょうか?」

 ドロームが小馬鹿にしたような笑いを見せた。

 フィディが口を開いた。

「成績は最も優秀だ。小さい頃から一番だった。どこでもいい。どこか適当な派遣先はないのか? これほど安値で雇わせてやる。有り難く思え」

 フィディは、紙に数字を書いて、ドロームに見せた。

 ドロームの両目が、紙を見るなり、輝きだした。

「うってつけのご家庭がございますよ」

 丸顔のドロームは籾手すり手をしている。

(フィディは、ボクに安い値段をつけたな)

と、ナスティは勘ぐった。第一位にしては、扱いが雑すぎる。

「どこの家だ?」

「……アリーサザナ家でございます」

「なんと……!」

 今度は、フィディが目を輝かせる番だった。

 ナスティも、アリーサザナを知っている。

(……名君アリーサザナ)

 歴史の教科書に出てくる名前だ。

「だめだ、アリーサザナ家であれば、話が違う。もっと高い値段を要求する……」

 フィディが慌てた。

 斡旋業者が、派遣先から料金を取る。その料金から、斡旋業者が取り分を取る。残った代金を大神殿が受け取るのだ。派遣料が高ければ高いほど、大神殿が儲かる。

 最初にフィディが安い金額を提示したのだから、アリーサザナから受け取る謝礼が多ければ多いほど、ドロームが儲かる仕組みなのだ。

「なりませぬ。こちらは、料金が低いのです」

「シグレナスにおいて、皇帝を何人も輩出した名家だぞ? どうして低いのだ?」

「そこに六歳の女の子がいましてな。やんちゃというか、わがままというか。お元気なお子さんで、これまでに家庭教師を八人も取り替えたのです。誰も家庭教師を引き受けませんのでな」

(誰も引き受けないのであれば、値段が高くなるのでは?)

とナスティは思った。

「我々は子どもと契約をするのではない。親と契約をするのだ。親が金持ちであるならば、話が違う。さっきの低い金額は撤回だ」

 フィディが値上げの要求をした。

「それはできませんな。“先生”の年齢はかなり若いと見えます」

 斡旋業者が微笑む。ナスティを“先生”と呼んだ。

 ナスティに価値が低いと値上げを阻止している。

「六歳のお子様であれば、年齢が近い方が、親しみやすいだろう」

 フィディが負けじと反論する。

 ナスティは、嬉しかった。二年間も無視をされ続けた自分が、話題の中心になっているのである。

「どうしますか? 派遣先にしては、嫌な予感がします」

 フィディが、セロンに目配せした。

 さっきまでセロンは静観していた。半分、寝ていたのでは、とナスティは思った。

「早く決めるべきだ。このまま大神殿に無駄飯を食わせるわけにもいくまい。……こやつは、意外と食うぞ」

 セロンが余計な発言をした。

(ご飯が美味しいんだから、仕方ないよ。それは許して)

 ナスティは、自分の顔が熱くなった。

 かくして、ナスティの派遣先は、アリーサザナ家となったのである。

        5

 ナスティは、鞄に教科書と問題集を詰め込んで、大神殿の出口門に立った。

「おし」

 大神殿を出られる。

 足が震える。

 何年もここから外に出ていない。

 大神殿は、今や自分にとっての育ての家になっていた。

「家庭教師になる、大神殿を出る、お母さんを探す、お母さんと一緒にジョニーを探す……」

 ナスティは当面の目的を口に出して、外部の世界に足を踏み入れた。

 アリーサザナ家に向かった。

 地図を見ながらであったが、すぐに迷った。

 シグレナスの街が怖かった。いつ犯罪に巻き込まれるか、心配になった。

(都会には犯罪が多いんだよね……。やっぱり大神殿でひきこもりをやっていればよかったかな……)

 地図の見方が分からない。

 同じ所を周回していると気づいた。

 丸顔の少年が、ナスティを見ていた。

 シグレナスの食生活が豊かである証拠でもあるのだが、ドロームといい、丸顔の男が多い。 ナスティは丸顔に対しては、あまり良い印象を抱いていない。

「道に迷っているのかい」

 聞いてもいないのに、話しかけてきた。

 自分よりも少し年上の少年だと分かる。

 怖かった。

 セロンはともかく、男との会話が怖かった。

 昔は普通に会話をしていた記憶があるが、女の集団生活をしていると、男が神話生物であるかのように感じるときがある。

「こちらがアリーサザナ家ですか?」

と、屋敷の一つを指さして、おずおずと質問をした。

「ここは、ブレイク家です。おいらは、ここの当主であるビジー・ブレイクです」

 ビジーが聞いてもいない情報を教えてくる。

(ブレイク家。まったく知らない名前です)

 ナスティは、歴史の知識を稼働させたが、まったく思い出せない。

「アリーサザナさんなら、お隣です」

 丸顔の少年ビジー・ブレイクが応える。着ている服から、それほど裕福な家庭には見えなかった。

 ビジーが指さした先は、塀のある庭園だった。

 ナスティも存在に気づいていたが、公園だと思っていた。

 ナスティはビジーに礼をして、公園のような庭園の門に向かって走った。

 奴隷たちがナスティの姿を認めると、立ち上がった。

「あの、大神殿から来ましたぁ」

 ナスティが叫ぶと、奴隷たちは格子状の門を引いた。金属と金属がこすれ合う音とともに門が開かれると、ブレイク家の三倍もあろう大きな豪邸が姿を現したのである。

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