料理
1
「モニカお姉さん、鉈をくれて、ありがとうございました。助かりました」
ナスティは、モニカに礼を伝えた。
鉈を返そうとしたが、刃が抜けて、ただの棒になっている。
「皇帝陛下を間近で見れたんでしょう? どうだった?」
顔に包帯を巻いたモニカが、優しく微笑む。
(黒子の多い、普通のお爺ちゃんだったなあ……。歯もなかったし)
と、本心を隠した。思っていても、余計な発言は口に出さない。
「素敵な人でした」
と、ナスティは応えた。分別がついてきたのだ。
あたりは完全に暗くなってきた。
(もう帰りたい……)
ナスティは思った。疲れた。焼け死ぬところだったのである。
人々は、大騒ぎをしている。
闘技場の内部で、爆発したような髪型をした男バル・スパークが、一回転した。
「ヒャッハー! 俺は、男だ。……ハジけるぜー!」
下半身を前後して、卑猥な動きを見せていたが、派手な髪型をした女レダ・フリーダに頭を殴られた。
セレスティア祭の夜は、歌って踊って騒ぐのだという。
どんちゃん騒ぎに興味のないナスティは、同僚たちの帰り支度を待っていた。
闘技場の係、あの眼鏡女が出てきた。
「この中に、料理をできる人がいますか?……帝の専属料理人が、お腹を壊しまして、代理にできる人を探しています。大神殿にも料理当番の方がいるはず」
眼鏡女が、声を張り上げながら、聖歌隊の間を割って入ってきた。
ナスティはお腹が鳴った。食事の時間である。
料理当番……心当たりがある。
ナスティたちは顔を見合わせた。
「ひっ」
ベルザが自分に視線が集中していると感じて、息を吸い込んだ。
「貴女が料理当番なのですね。帝のためにお料理を作るのです。栄誉だと思いませんか?」
眼鏡女がベルザに食らいつく。
「いや、私は配膳しているだけだから……!」
手を振って、ベルザは逃げ惑っている。
「どうしてベルザは嫌がっているのですか?」
隣の巫女モニカに話しかける。
「……知らないの? 皇帝陛下は、ヒルダに毒を盛られているって噂よ」
「え、本当ですか? ヒルダは逮捕されるのでは?」
「相手がロンドガネス家だから。誰も逆らえない。具体的な証拠もないし。でも、ヒルダが愛人になってから、陛下が急激に衰えていったのは間違いない。陛下が、もしも大神殿の料理で死んだら、ヒルダは、私たちの責任に押しつけるつもりよ」
「もしも、ベルザのせいで、皇帝が死んだら?」
「……ベルザは打ち首獄門。大神殿は、もっと立場を失う」
モニカの説明に、ナスティは暗い気持ちになった。ヒルダは徹底的に大神殿を潰すつもりなのだ。露骨で、過剰で、なによりも、幼稚な印象を持った。
ベルザが狼狽をしている。周りの巫女たちが励ましているが、ナスティはこれまでベルザから受けてきた仕打ちのせいで、同情する感情が湧いてこない。
(ベルザが打ち首獄門になって嬉しいだなんて考えちゃ駄目だよ……)
自分の薄情さに、罪悪感が出てきた。
「待ってくれ。少し相談をさせてもらおう」
セロンが眼鏡女に提案する。
年配の巫女たちと膝を突き合わせて、内緒話をした。
(いや、断りなさいよ。料理当番は、今いません、とか。いくらでも言い訳できるはず)
とナスティは憤然として、成り行きを見守った。
「大神官様って割と、相手の……ヒルダの言いなりですね。嫌なら断れば良いのに」
ナスティは、セロンを見て、モニカに伝えた。
「……大神官が、名誉職だからね。帝国の税収と財産管理をしている権限はあるけど、皇帝の愛人には逆らえないのよ」
「大神殿が、帝国のお金を握っているのなら、もう少しくらい強く出ても問題ないはず」
ナスティには、違和感があった。
脱税の証拠を握っているのなら、脅しを掛けてみればいいのに。
「“低音”、頼みがある」
セロンが真面目な顔で、ナスティに話しかけてきた。
寒気がする。嫌な予感しかしない。
「そなたが、料理を作ってくれ」
「なんでぇ?」
ナスティは飛び上がった。大人としての分別も消え去り、考えがそのまま、口から出た。
2
「頼む、そなたしかおらんのだ」
大神官セロンが、頭を下げる。
(なんで僕が? いや、料理が得意な人材を選抜してチームを作れば良いでしょう?)
ナスティにとっては、理解できない。
周りの巫女たちが、ひそひそ内緒話をしている。
明らかに、セロンの采配に疑う声だ。
「どうしてボクなのでしょうか? 料理当番になった経歴もありません。料理を焼くどころか、さっきまでボク自身が焼かれそうになっていたんですけど」
「うむ、そなたであれば、なんでも解決できそうな気がしてな。そなたの危機管理能力に任せたい」
セロンは、ナスティの反論を気にせずに、笑顔を作った。
話を理解できないナスティを置き去りに耳元に、自分の口を近づけた。
「すべての食材に毒を盛っているかもしれん。どれが毒なのかを見極めて欲しい」
耳元で、セロンが勝手に話を進める。ナスティの都合など、この世界には存在しないかのように。
ベルザが、怒りの眼差しを向けている。
「そんな無茶ですよ。毒とか一切分からないですし、ボクよりも料理が得意な人は、他にもいると思いますけど?」
ナスティは困惑した。明らかに、人選が偏りすぎている。
「大神官様がお願いしているんだろう? 早く、はい、って認めろよ」
ベルザが、金切り声で罵声を浴びせてくる。
いつの間にか、泣き止んでいた。回復が早い。
(いやいや、キミがやりたくないから、ボクが身代わりになっているんだよ)
どいつもこいつも勝手すぎる。
眼鏡女が、手を叩いて、場を収束させた。
「はい、もうお話は決まりですね。では、ヨロシクお願いしますね~」
ナスティは黙った。
眼鏡女は、沈黙は肯定とばかり、ナスティの腕を引き、誘導する。
(黙っているからって、認めたわけじゃないんで。呆れて、言葉が出てこなくなっただけですけど?)
この眼鏡女もどういう神経をしているのか? さっきまで、生け贄として焼き殺そうとしていた相手に、なんの罪悪感も持たないのだろうか?
「ちょっと待って。引き受けるには、条件があります。……銀の匙を、ご用意していただけますか?」
ナスティは、引きずられながら、提案した。
だが、本音は違っていた。
(……どうしてボクがやらないといけないんだろう? 巫女なら他にもいるのに。もう嫌だ、こんな職場。明らかに労働負担が不公平すぎるよ)
ナスティの提案に、眼鏡女は頷いた。
「……ご用意しましょう」
闘技場の中を通る。
歩くと、すぐに食堂に辿り着いた。
剣闘士たちが食事をする場所だが、剣闘士には見えない年配の男たちが集まって、食事をしている。
(帝や元老、各地の王族や貴族たちだね……)
食堂の隣には厨房があった。
厨房から料理が、食堂に運ばれている。忙しい。ひっきりなしに料理を乗せた皿と空になった皿が行き交う。
食堂から、年配の男たちが談笑している声が聞こえた。
「あれ、もう食事は、始まっているよね?」
ナスティは、厨房に入ろうとした。眼鏡女に止められる。
「大神殿様の扱う厨房は、こちらとなります」
向かった先は、階段だった。
わずかな光源で、薄暗く、厨房、というより地下倉庫である。
大道具を保管する地下倉庫に釜や調理器具が運びこまれていて、狭い。
人が一人通れるほどだ。
(大神殿の人間を、毒殺犯人に仕立て上げるため、わざわざ手の込んだ仕事をしたのね)
誰も手つかずの食材が揃っている。料理器具も揃っているが、地下室で、煙を排出する構造になっていない。
「持ってきました」
眼鏡女が銀の匙を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
匙は本物の銀だ。唯一の味方を得た気分だ。
「ボクは、ナスティといいます。……お名前は?」
眼鏡女とは、友だちになっておこう。
「……パルファンです。闘技場の案内役をしています」
眼鏡女パルファンが微笑んだ。
「ヒルダさんの家来じゃない?」
「いいえ、ヒルダ女史の指示通りに動いていますが、基本的には、闘技場の職員です」
「この食料を用意したのは?」
「ロンドガネス家の人たちですね」
やっぱり……。
ナスティは、毒の存在を疑った。
パルファンが去った後、ナスティは座禅を組んだ。
(この厨房には、無味無臭の毒が、隠されている)
目を閉じると、世界は暗転した。目を閉じているのに、輪郭が線でできた厨房(仮)が見えてきた。
「毒の入った食材は、どれ?」
と、ナスティが、尋ねると、食材全体が、黄色い光を放った。
「全部? 毒だらけ? ウソでしょう? 殺意ありすぎ」
すべての食材に、毒が盛られている。
ナスティは手近の野菜を見た。
自分の鼻を寄せ、手で仰いで、匂いを嗅ぐ。
匂いはしない。
手では触れたら、毒が手に着いてしまう。
(毒をもっていって、世間に公表すれば良いのかな? 皇帝に訴えるとか。……でも、その皇帝は、もうヨボヨボのお爺ちゃん、ヒルダに操られている。だから、誰もヒルダに逆らえない。ヒルダの暗殺計画を世間に晒しても、もみ消されるだけだよね。……毒殺を阻止するしかない)
ナスティは、もう一度目を閉じた。
「逆に、毒の入っていない食材は、どれですか?」
手に収まるほどの球体と、一つの瓶であった。
どちらも、青い光を放っている。
ナスティは目を開いて、探した。
球体は、鶏卵であった。
瓶の中身を開くと、酸っぱい匂いがした。
「これはお酢……卵とこれだけ?」
たしかに、鶏卵であれば、殻の中に毒を仕込みようがない。酢には毒を打ち消すという話を聞いた記憶がある。
酢入りの瓶に、銀の匙を突っ込む。
「もしも毒だったら、銀製品は黒ずむ……」
しばらく放置していたが、何も起きなかった。
ナスティは、帝のお姿を想像し申し上げた。
(歯もなかった。顔中、黒子だらけ。もう、あの人は、長生きできない……。毒を与えられ続けたんだ……。だから、せめて美味しいものを食べてもらおう。でも、卵とお酢だけで、何ができるの?)
ナスティは卵と酢を前に、腕を組んだ。
(卵料理……)
だが、すぐに閃いた。
銀色の杯に、卵を割り入れる。
(新鮮だね。ヒルダさん、上等な卵をありがとう!)
さすがは、シグレナスでも有数の有力貴族ロンドガネス家である。高級品を用意してくれたのであった。
3
「……皇帝陛下の料理はまだか?」
厳しい、叱責をするような、男の声が聞こえた。
「はいはい、お持ちいたしますよ」
ナスティは、銀製の盆に、銀製の杯を載せた。
一歩ずつ、進む。
食堂に入ると、年配の男たちが会話を止め、一斉にナスティを睨んだ。
男たちは、トーガと呼ばれる、白い独特の着物……着物というより、布を身体に巻き付けている。
指には宝石のついた指輪をはめている者や、金色に輝くネックレスを身につけている者がいた。
トーガに刺繍をこらしている者もいた。
(この人たちは、シグレナスで、皇帝の次に偉い人たち……元老たちだ)
元老。
シグレナスの歴史に何度も出てくる。
王族や貴族、シグレナスの重臣たちの末裔……シグレナスの有力者ばかりだ。
ナスティは、控えめすぎる巫女服が、恥ずかしくなった。シグレナス中の金持ちが集まる中、大神殿での質素な生活をしてきたナスティは、まるで世界一の貧しい存在になったかのようだ。
ナスティは、杯を載せた盆をもって、元老たちの隙間を通る。
帝は、寝台の上に横になっておられた。
隣でヒルダが、侍って、冷たい視線を、ナスティに送ってくる。
ナスティは、ヒルダの反対側に立った。
帝は、一瞥もなさらない。
「皇帝陛下、お料理をモッテマイリマシタ……」
と、帝に申し上げる。
緊張でナスティは、片言になった。御前の作法など、知らないのである。
匙で、杯の中身を掬った。
「なんだそれは?」
ヒルダが厳しい視線を送ってきた。
「お料理です」
「分かっておる。なんの料理だと聞いている」
ヒルダが高圧的な態度を崩さない。
ナスティは腹が立った。
この女はさっきまで自分を焼き殺そうとしていたのである。
セロンといい、眼鏡女のパルファンといい、ヒルダといい、焼かれそうになった人の気持ちが分からないのだ。
「ドゾォ……」
帝に捧げ申し上げた。
「はい、あーん」
ナスティは、声を掛け申し上げるが、帝の竜眼は、虚空を見つめていらっしゃった。
(しからば……。唇になすりつける作戦だよ)
ナスティは匙を、帝の唇になすり申し上げる。
帝の舌が、異物を排除なさろうとして、内容物に触れた。
帝の玉体が震えた。
「ああ……。うう」
帝のお声が聞こえる。
「もっと欲しいですか? はい、あ~ん」
ナスティは、帝に捧げ申し上げる。
次は、帝の口が、食事をお求めになった。
帝の咀嚼音に、元老たちが驚いた。
「陛下が食事を求めておられる……」
「食欲が戻られた。奇跡だ……!」
「これまでずっと食べていなかったのに……」
「……セレスティアの再来だ」
誰かの声が聞こえる。
ナスティは嬉しかった。
(なにより、おじいちゃんが、ご飯を食べてくれるようになって、嬉しい)
ひな鳥に餌を与える親鳥になったような気分である。
「まだまだ、おかわりがありますよぉ。はい、どぞぉ」
元老たちが徐々に、和やかな雰囲気になった。
優しい眼差しを送ってくる者もいる。
(シグレナスの人たちって、残酷で凶暴な印象があったけど、本質的には優しいんだよね。セレスティアといった信仰の対象を忘れていただけなんだ……)
シグレナスの頂点におわす帝の御前で、ナスティは、シグレナスの心に触れたような気がした。
帝は竜眼を閉じ、お眠りになった。
穏やかなお顔をお見せになっていた。
「そなた、何を食べさせていたのだ?」
ヒルダが怪訝な顔をしている。衛生管理は、食べさせる前にしろよ、とナスティは思った。
「生卵と、お酢を混ぜて作りました……」
「生卵だと? 腹痛を起こすぞ?」
「お酢に殺菌作用があるんですよ。新鮮な生卵と、お酢で、腹痛被害も起こりません」
ナスティは平然と応えた。
それでも、ヒルダが文句をつけてくる。
(そんなに、おじいちゃんが美味しそうにしていたのが気に食わないの? じゃあ……!)
ナスティはヒルダの従者に、マヨネーズの匙を口に突っ込んだ。
従者は男の子で、ナスティと同じくらいの年齢だった。
「美味しい……」
従者が、自分の頬に手を当て、喜んでいる。
「生野菜につけてみても、美味しいよ」
「なんていう料理なんですか……?」
従者が聞いてくる。
「マヨネーズです」