攻撃
1
藁が燃え出した。
勢いよく燃えている様子をナスティは見つめた。
落ち着いているのではない。火事だと認識できなかったのである。
「ウソでしょ?」
ナスティは、我に返って、慌てた。
「誰か……! 火事です!」
編みの目を叩いて、助けを求めた。
非常口もない。
格子の隙間から、セロンに助けを求めるように視線を送った。セロンは、椅子に座ったまま、腕を組み、下を向いている。
表情が見えない。
ボルテックス商会の霊骸鎧たちが、セロンを守っている。
(助けには来てくれないんだ……。あなたたちの仕事は、セロンのお守りだもんね。でも、セロンって大神官にしては、ちょっと薄情すぎない? いくらボクが巫女で奴隷だとしても)
納得はできるが、納得できない。
セロンに見捨てられて、腹が立ってきた。
熱風が煽る。
(うわぁ)
ジョニーの姿が頭によぎった。こういうときに、いつもジョニーが助けてくれた。
だが、もうジョニーはいない。
(逃げよう)
ナスティは、自分で驚くほど、冷静であった。恐慌も一周回ると、冷静になるのだ。
ナスティは、ふと、腰の後ろに回した、包みが気になった。
モニカからもらった包みだ。
急いで中を開くと、鉈が入っていた。
「これで、“枝編み人形”のお腹を破って、外に逃げればいいのかな?」
ナスティは格子から外を見た。
足下には、兵士たちが、槍を構えている。
「不幸中の幸いだね。生け贄の意味が、やっと分かってきたよ」
相手の意図が分かってきた。
観客は、ナスティが悲鳴を上げて焼け死ぬ様子が見たいのだ。
兵士たちは、仕事をしている。脱出させるつもりはないのだ。
火よりも煙が危険なので、火事になったら下に逃げろ、と学んだ。だが、下に逃げれば、確実に殺される。
(下はだめ……! だから、上に逃げるよ)
ナスティは、上……“枝編み人形”の頭部内部を見上げた。
鉄の棒に直結している。
鉈の柄を口で咥える。鉄の棒にしがみつき、よじ登った。我ながら、逞しい。
(よいしょ……)
一番上までに到達する。
両脚を鉄棒に絡ませ、片手で木で編まれた内壁に掴まり、自分自身の落下を防ぐ。
自分を支えたまま、片手で鉈を振り回した。
「オータニサーン!」
謎の掛け声とともに、振り回す。だが、鉈の刃が跳ね返された。
(うわーん、ボクの腕力じゃ無理だよう)
熱風が、ナスティの足に触れた。
「オータニサーン! オータニサーン!」
何度も“枝編み人形”の頭部を内側から穿つ。だが、むなしくはね除けられるだけだ。
「どうした? 歌が聞こえねえぞ?」
「早く悲鳴を聞かせろよ」
観客から嘲笑う声が聞こえた。
ナスティは意味が分かってきた。
(歌とは、ボクの悲鳴を意味していたんだ! 人の苦しむ声を聞きたかったの? シグレナス市民は、趣味が悪すぎるよ)
眼鏡女といい、周りの巫女たちといい、黙っていた。ベルザに至っては、こっちの死を望んでいた。
「悔しい、人の死を願うなんて、おかしいよ」
だが、モニカだけが、ナスティを助けてくれた。
ナスティに生き延びて欲しい。
(ジョニー……)
ジョニーを思い返した。ジョニーはいつも、自分を守ってくれた。
(ジョニーなら、どうするだろう?)
頭によぎる。
(逃げてないで、攻撃に出ると思う)
もう一人のナスティが応える。
(女の子のボクに、攻撃なんてできないよ? 大きな男の人に敵わないって)
(いや。ボクなりの攻撃があるんじゃないのかい?)
自分なりの攻撃……。
観客たちの煽る声に、下からの火事に、ナスティは泣きたくなってきた。
(ジョニー、助けて……!)
ジョニーに助けを求める。
すると、涙が溢れてきた。この暖かい感覚、優しい風が吹くような……ジョニーと一緒に過ごしていたときと同じ感覚であった。
「霊骸鎧にこだわりすぎ。“霊力操作”が本質だからな」
老人ティーンの言葉を思い返した。ジョニーから、ジョニーの師匠ティーンを連想したのだ。
ナスティは目を閉じた。
(おへその奥側に意識を集めるんだよね……)
鉄棒にしがみつきながら、意識を集中する。大道芸人のようである。
どこか助かる直感はしていた。
場所は変わった。
目を閉じたまま、映像が見えたのである。
黄色い、夕暮れ時の海だった。
穏やかな波が、何度も往復して、心地の良い音を鳴らしている。
足下が大火事になっている、現実世界とでは、大違いだ。
背の高い影が見える。
ナスティの記憶だと、ジョニーはナスティよりも少しだけ背が低かった。
(ジョニー? 大きくなったんだね……)
ジョニーだと分かった。ナスティにとって、ジョニーしかいない。
ナスティはジョニーに向かって駆けよった。黒い影で、顔は見えない。
ナスティは、全力でジョニーを抱きしめた。
吹き飛ばされるほどの、強い力を感じた。それでも、ナスティはジョニーの影にしがみついた。
ナスティは目を開いた。
周りは炎に包まれている。世界は、何も変わらない。
だが、何も熱さを感じない。
ナスティの周りに空気の膜ができている。
(すべての危険が、ボクを避けている!)
霊力が、障壁となって、ナスティを守っていた。
周りに、光が見えた。
六つの光る珠が連なって、ナスティの周りを飛んでいる。
(“六色連珠”、ずっとボクとここにあったんだ……)
“六色連珠”が、鉈の刃に集まった。
六つの珠が合わさり、半透明の虹色になって、鉈の刃を覆い尽くした。
半透明の刃となった。実際の刃よりも、大きかった。
「これが、ティーンさんがやっていた物質化……なのかな? とにかく、キミはボクを助けてくれるの? “六色連珠”?」
返事はない。
だが、涼しい音がどこからともなく聞こえた。
これが、返事なのだ。
ナスティは勇気が湧いてきた。
「オータニサーン!」
叫びながら、虹色の刃となった鉈を振り回した。
鉈の軌道は、円を描き、半透明の残像を作り、“枝編み人形”の頭部が吹き飛ばした。
「よいしょ!」
ナスティは、“枝編み人形”の頭部を抜けて、外の世界に出た。
2
外は、すっかり夜だった。見上げると、炎に照らされた、夜の星空が見えている。
「おい、アレを見ろよ!」
“枝編み人形”の頭上で、ナスティは、観客たちの視線を一挙に集めた。引き受けた。
「生け贄が生きているぞ?」
「炎に包まれて、まだ生きているぞ?」
「すげえぞ、あの娘。髪の毛一つすら燃えていない」
「あれは、なんて演出ですか?」
「生け贄じゃなかったのかよ、これは痺れるぜ!」
「胸が熱くなる展開だな、燃えているだけに」
観客たちがざわつく。
帝の竜顔がお見えになった。
帝の天覧席と同じ高さにナスティは立っていたのである。
ナスティは鉈を見た。いつの間にか、実物の刃はなくなっていた。代わりに、虹色の球体が、ただの棒となった鉈の先端に付着していた。
「あーてすてす」
球体に向かって声を吹きかけると、ナスティの声が闘技場に響き渡った。鉈はマイクになったのだ。
「セレスティア様は、アレを求めておられる……!」
ナスティは、マイクを片手に声を張り上げた。
「アレ? アレってなんだよ?」
観客たちは顔を見合わせた。
「アレだ……! 誰かの流血ではない、誰かの焼死でもない。……ただ、アレのみである」
ナスティは、息を吸い込んだ。
(ボクは、ボクなりの戦い方をするよ! ジョニー……!)
我、仰ぐ愛の女神
聖なるセレスティア
人々を救いたもう
その姿は気高い
すべての母のように
我、仰ぐ光の女神
美しきセレスティア
悪を討ち滅ぼしたもう
その姿は尊い
すべての神話のように
ナスティの透き通った声が、マイクを通して闘技場に響き渡る。
ナスティが歌い終わると、観客たちは静まっていた。
「思い出しなさい、シグレナスの帝国市民よ。そなたたちは慈愛と勇気の化身。獣の性に身を窶してはいけません。……神々の声に、耳を傾けるのです」
ナスティの口から、ナスティではない声が発せられた。
ナスティは自分でも何を喋っているのか分からなかった。
(神様の声だ。ボクは、神様のスピーカー)
観客たちは、ナスティの話を聞いていた。
ある者は、真剣な眼差しを送っている。まるで子どものように好奇心で溢れた表情の大人もいる。
「次の曲は、シグレナスでもっとも有名な歌です。……皆々様、ご唱和あれ!」
ナスティは声を張り上げた。
誇り高きシグレナス
セレスティアの恩寵あれ
光の大陸に生まれし偉大なる男たち
その軍旗は勇ましく、四方世界に鳴り響き
愛の大陸に生まれし美しき女たち
その慈悲は凄まじく、四方世界を許し癒す
父よ、兄よ、我ら帝の御許に集まれ
セレスティアの御名とともに
気づけば、シグレナス市民たちの、声が合わさった。
市民たちは、両肩を合わせて横に揺れている。
有名な曲で、観客たちは、誰もが知っていた。
シグレナス帝国の国家だからだ。
「もう一度!」
ナスティは叫んだ。もう一度、歌わせる必要があったからだ。
シグレナス市民たちが、国歌を熱唱した。
ナスティが虹色のマイクを、頭上で回す。
炎が巻き上がった。
何かに取り憑かれたように、ナスティは“枝編み人形”の頭上で舞った。
「心を一つにせよ、シグレナスの子らよ。知恵と優しさをもって、悪の企みに備えよ。悪しき者たちの、邪悪な計画の扉を閉ざすのです」
ナスティの声が、変わっていた。威厳があり、だが、どこか慈愛に溢れている。
(ボクじゃない、ボクじゃない誰かが、ボクを喋らせている!)
だが、心地よかった。
不思議と嫌な気分ではなかった。
「馬鹿な、馬鹿な、どうしてあの娘が焼けないのだ?」
ヒルダが、額に青白い血管を浮き出させて、喚いている。
「霊骸鎧どもよ、あの娘を引きずり下ろせ!」
だが、ヒルダ子飼いの霊骸鎧たちはナスティに見蕩れていた。
(ご生憎様! 意地悪とか、誰かが殺すとか、殺されるとか、誰かを言いなりにするとか、誰も求めていないよ! セレスティアが求めているアレは、シグレナスの人たちも求めているのだから!)
ナスティは、少し間を置いて、口を開いた。
これは、愛の物語
悠久の瞬間を越えて
この大地に
二人は出会った
誰もいない
浜辺を歩く
燃え上がった世界で
つないだ手が離れても
必ず君を見つけ出すよ
何度でも
僕はよみがえる。
君に会いに
ナスティが歌い終わった。
目を開くと、観衆は黙り込んでいた。
誰もが涙ぐんでいた。
まるで死別した親族に再会したかのようだ。失った何かを取り返したようだ。
流血や暴力、誰かの死を望む者など、どこにもいない。
「……我、仰ぐセレスティア……」
ナスティをご覧になっていた帝が、囁かれた。竜眼には、涙が浮かんでおられる。
観衆たちは黙り込み、ただ、震えていた。
(シグレナスの心が一つになったんだ……!)
ナスティは上気した。興奮した。セレスティアという名の神の元で、人々の心は一つになった。
「コレをセレスティア様が求めていたのだ!」
ナスティは、両腕を上げて締めくくった。
3
「わわわ」
ナスティの足下が崩れた。“枝編み人形”は燃え尽きて黒い炭になっていた。
ナスティが、地面に落ちる。
黒い影が、たくさん集まってきた。
「あれれ、天国からのお迎えかな?」
だが、白い霊骸鎧、“光輝の鎧”が、ナスティを受け止めていた。
優しく降ろしてくれる。
「ありがとう……」
ナスティはお礼を伝えた。霊骸鎧たちが集まってくる。
「……あぶない!」
観客席で声が上がる。と、同時に、銃弾が鳴った。
跳弾した音が聞こえた。
ナスティは反射的に目を閉じていた。
目を開くと、闘技場にいた、すべての霊骸鎧たちが、ナスティの周りで両腕を広げて盾になっていた。
対立していた霊骸鎧も、一丸となって、ナスティを守っているのだ。
観客たちは立ち上がって叫んだ。
「霊骸鎧たちが力を合わせて、あの娘を守ったぞ?」
「霊骸鎧の立ち回り、全部計算していたのかよ」
「これは最高の演出だ。感動した」
ナスティが、観客席を見ると、クルトとフリーダが、一人の男を取り押さえていた。
ようやく捕まえたのである。
「凄い、凄い!」
「こんな大舞台になるなんて!」
「死なないでよかった!」
聖歌隊たちが集まり、ナスティを褒め称える。
ナスティは照れた。
自分でもよく分からないうちに助かった。
「ボルテックスよ。よく“低音”を助けてくれたな」
セロンが縛られた腕を回し、“光輝の鎧”に話しかけた。
ボルテックス……“光輝の鎧”が変身を解いた。
「“低音”って、あの娘っ子か? 俺もなぜ助けたのかよく分からねえ、ただのあの娘を助けなきゃって思ってしまった」
煙の中から、覆面をつけた、大男が現れ、とぼけた声を出した。