詩
1
(そんなに酷いの……? 作詞なんて、答えがないんだもん。できっこないよ……)
ナスティの全身から、冷たい無力感が溢れていた。算術や数学といった、確たる回答のある思考は、得意だ。
作詞や創作など、自由すぎる。
セロンは、目頭を押さえて、口を開いた。
「“でも 好きなんだ”よりも、“隠しきれない”が、しっくりくるだろう……」
「……え……。合格ですか、不合格ですか? どっちですか?」
ナスティは困惑した。セロンが歌詞の訂正をしてきた。
確かに、単に“好き”と伝えるより、“隠しきれない”が、“好き”の気持ちが強い感じがする。作詞のやりかたを、ナスティは垣間見えた気がした。
「恋愛の曲は禁止なのでは?」
フィディが、割って入る。
(酷い理由は、恋愛の歌だったから?)
だが、セロンは、手でフィディの発言を制した。
「女神セレスティアが、人間の姿を持って、この世に降り立った。人間の少年に恋をしたという伝説に基づいた歌だ」
「なんですって? これはセレスティア様の歌だったのですか?」
フィディが、驚く。セロンは涙を拭いた。
「セレスティアを称える賛美歌は、多種多様だ。悪を倒し、慈愛をもって人々を導き、ときには、人々を癒した……伝説は数え切れないからだ。だが、セレスティアの心情を表現した曲は、これまでになかった。これこそ、賛美歌の新しい形なのだよ」
「そんな……。そこまで、この子は計算していたの?」
フィディはナスティを見て、驚き、後ずさった。ナスティも驚いている。
「そなたは、歴史や神話の知識を前提にしながらも、かくあるべき、といった形式や知識に縛られず、セレスティアの心情を見いだしたのだな。……そうだな、“低音”?」
セロンが優しい口調で問いかけてきた。
「……そ、そうなんです」
よく分からないけど、褒められている。
「神君シグレナスがお姿を降臨されるよりもさらに前、“魔王”の時代よりも先史の時代……神代では、人々は神々とともにいた。どうして、現代の私たちは、神々との関わりを忘れているのか。そう考えると、思わず涙が出てきた。……すまない。さあ、続けたまえ……」
「いえ、終わりです」
「え、終わりなの?」
セロンは立ち上がった。驚きのあまり、さっきの涙が消え失せた。
「これから盛り上がりそうなところで終わるのかね……? 続きを考えたまえ」
「うーん……」
ナスティは小さく唸った。頑張っても、出てくるわけではない。
気まずい沈黙の中、セロンが見かねた様子で、自分の前髪に触れた。
「仕方がない。とりあえず通しで歌いたまえ」
「えっ。またですか? ……違う歌詞になっているかもしれませんよ」
「かまわん。ただし、そなたは高音で歌うのだ。低音は私が受け持つ。もう一度歌いたまえ」
セロンが詰め寄った。
(歌いたまえ、歌いたまえ……。分かりました。歌いたまえますよ。ええっと……。自分の内側から溢れて出てくる気持ちを取り出す……)
目を閉じ、ジョニーを思い浮かべる。ジョニーに対する気持ちを口にするだけだ。
君は今 愛を告げている
君が好きな人は 僕じゃない
僕じゃない誰か
歌詞の途中で、世界が暗転した。
暗闇に覆われた周囲に、小さな灯火が一つ、また一つと増えていった。
(星空……?)
暗い空の中、輝く星々が、ナスティの周囲で輝きだした。
ナスティは、星空の中を飛んでいる。
星々でできた、輪っかが出てきた。中心を飛んで、輪っかをくぐった。
どこからともなく、セロンの低い声が聞こえている。
後ろから、セロンが追いかけてきた。
でも 隠しきれない
君がいたから 僕は変われたんだ
君が教えてくれたんだ
ナスティの口から、自然と歌詞が出てきた。
これまで、暗唱した歌詞を一生懸命間違わず、一字一句再現していた。
だが、今は違う。ただ、あふれ出る感情を、気持ちを、言葉に乗せるだけだ。
セロンの低音が、ナスティの高音に重なる。
重なっているときは、ナスティとセロンが並んで飛んでいた。
ナスティの速度が落ちると、セロンに追い抜かれた。
セロンの歌声は、ナスティよりもよく伸びて、低音が心地のよい響きを残して消えた。
ナスティの足りない部分を補ってくれているのだ。
セロンは速度を落として、ナスティの下を飛んだ。笑顔で顎をしゃくった。
次を催促されている。
だから 君を守るよ
この炎の剣で
この星の翼で
ナスティは、最後の歌詞を口にすると、ナスティの周囲から、霊力がさざ波のように、広がった。
セロンの低音も、小さなさざ波となって、ナスティのさざ波を追いかけた。
(歌声は、宇宙に伝わる、波動……)
さざ波は、無限に広がる宇宙の端を広がっていった。
さざ波は光だった。
いや、ナスティこそ、光そのものなのである。
少年の後ろ姿にぶつかる。
少年は驚いて、振り返った。
(ジョニー!)
ナスティは、目を開いた。
白い天井に、ケイトやフィディの顔、観賞植物が目に入る。
ナスティの胸が鳴っている。心地よい鼓動が、優しい響きを出していた。
ジョニーを思い返したせいだ。
室内の空気が違う。浄化されたような、透き通った感覚がする。
セロンは満足げな顔をしていた。
ケイトは、両目に涙を溜めて感動している。
フィディも、困惑して、震えていた。ナスティたちの歌声に心が揺さぶれているのだ。
(ボクは今、歌声で宇宙と一緒になった。ジョニーに届いていたらいいのに……)
だが、扉の隙間から、冷たい刃物のような視線を感じた。
敵意と嫉妬、羨望、そして、自分に対する失望をナスティに向けている者がいる。
ベルザだった。
「次の練習は、いつにしましょうか?」
ナスティは、ベルザの視線を振り切るかのように、セロンに話しかけた。
セロンは、余裕の物腰で返事をした。
「もう来なくても良い。私が伝えたい内容を、そなたは、この短期間で理解し、習得した。そなたには、歌の才能がある。……この調子で精進したまえ」
(……したまえ!)
セロンの笑顔に見送られて、ナスティはケイトに音楽室に連れて行かれた。
外壁を囲む廊下で、柱が並んでいる。
道中で、ナスティは、ケイトに話しかけた。
「セレスティア……様は、最後どうなるんですか? 好きな人と結ばれたんですか?」
「確か駄目だったような……」
「どうして?」
「この星に“悪霊の神々”がやってきて、最後、セレスティア様が、戦うの」
「“悪霊の神々”……?」
賛美歌で聞いた記憶がある。
数々の禍々(まがまが)しい怪物たちが、外宇宙から飛来して、地上に降り立つ。セレスティアが、炎の剣で、邪悪なる怪物たちを、なぎ払っていく。
「大神殿に住んでいるのに、ボクたち巫女って、神話をよく知らない……」
「法律が変わったの。神話を学んではいけないって。興味のある人だけが、歴史資料室で勉強するみたい。だから、大神殿なのに、誰も神様の話を知らないのよ」
「……変な法律ですね。シグレナス神話って、とても興味深いのに。どうしてだろう?」
ナスティは疑問に感じた。
ヴェルザンディでは、神話を学ぶ。算術よりも比重が大きい。
聞いていないのに、高僧たちが勝手に教えてくれる。
ティーンも僧職だった。おかげで、ヴェルザンディの神話にも詳しかった。
むしろ、ヴェルザンディでは、僧侶たちが教育の担い手であるのだ。
ナスティには、シグレナスでは強い信仰を感じられなかった。どちらかといえば、現世利益のために、神々に手を合わせる人たちが多い印象である。
(神学が試験科目になっていないし……)
ナスティは、シグレナス神話、とりわけ、セレスティアについて知りたくなった。
「セレスティアは“悪霊の神々”と戦って、最後、どうなるのですか? ……ケイトさんは知っていますか?」
ナスティの質問に、ケイトは足を止めた。
「戦って、死ぬ……」
並んだ柱の隙間から、生ぬるい風が通った。
2
聖歌隊の教室に戻った。
巫女たちは、一斉に振り返った。
ナスティに、興味のある視線を送っている。
ナスティは、大神官セロンの前で失態をした。聖歌隊の合唱を失敗させた、いわば戦犯なのである。
だが、これまで、セロンの個人指導を受けていた。
セロンから指導を受ける者は珍しい。聖歌隊の巫女たちが、興味をそそられるのも、無理はない。
「では、全体練習を始めます。“神の翼”……」
この前、セロンに怒られた……セレスティアの曲だった。
「低音の人、ここに来て」
唯一の低音要員である。すぐに駆り出された。
(えーと、内側から出す……)
ナスティは目を閉じた。
世界が暗転する。暗い世界の中で、他の巫女たちは、輪郭だけが見えた。
曲が始まると、巫女たちのおへそ部分に、小さな光が灯った。
(ボクも……!)
ナスティは光に囲まれていた。
その光の世界に飛び込むと、星空が見えた。
多くの流れ星が、煌めきを残して、夜空に線を引いている。
(流れ星は、みんなを表しているんだね。ボクだけは、流れ星じゃないんだ)
地面を歩く感覚がある。
ナスティは流れ星を追いかけて、走った。走ると、自然に身体が浮いて、仲間たちと合流した。
声は、自然と出る。
低音だ。
ただ、仲間たちを見上げるくらい、下の位置で飛んでいた。
仲間たち……光のうち、失速して、落ちそうなっている一人がいた。
ナスティは、その光の下に回った。セロンのやり方を真似たのである。
遅れた光は、ナスティに助けられ、速度を取り戻し、仲間たちに追いついていった。
(そうか、低音の役割は、縁の下の力持ち……。目立たないけど、目立つ必要もないのだけど、高音の人たちの歌声を引き立てるんだ。皆を支えれば良いんだ……!)
流れ星を追いかけていると、ナスティ自身が浮き上がった。
歌詞も、自然と出てくる。
(そもそもなんで、歌詞を間違えるって、勝手に想像して怯えていたんだろう?)
ナスティは、仲間たちと一緒になって飛んだ。
孤独だったが、自分の居場所を見つけた気がする。
(皆と歌える、それが幸せ……)
ナスティたちは飛んでいった。
どこまでも、どこまでも……。
歌が終わる。
鳥たちが静かに着地するような、感触があった。
目を開くと、巫女たちが、全員、ナスティを見ていた。
「上手くなった……」
「歌いやすくなった」
「大神官様が個人的に稽古をしたんだって」
「さすが、大神官様……!」
「いいなあ、私も大神官様に個人的にお話ししたいなぁ……」
巫女たちが、ナスティに聞こえるような音量で、内緒話をしている。
明らかに、ナスティを見る目が変わった。
以前は、扱いに困っていた風であったが、今は戦力として数えられている。ナスティは安堵した。
(これまで、ボクは、自分が一番になれば良いと思っていた。一番大きい声を出せば良いと思っていた。……でも、そうじゃなかったみたい。目立たなくても、地味でも、皆を支えるって、とても大事なんだね)
涼しい風が、ナスティの胸を通り抜けていく。
3
昼食が終わると、授業が始まった。
(教育を受ける権利ぃ……)
ナスティは教科書を抱きしめた。
午後の授業は、税務の仕事以来、久しぶりだ。
ベルザたちからは、完全に無視をされた。まるで“不快な存在”を見ているかのように、目を逸らす。
嫌われる理由が、よく分からない。
問題集であれば、誤答を訂正すれば良いだけなのに、ベルザたちの場合は、どこをどう直せば良いのか分からない。その分だけ、辛い。
「ねえ、ベルザ。セレスティア祭で、誰が、大神官様に花束を渡すの? 今日、決めようよ」
ベルザの周囲たちは、授業中でも私語をしている。教師は誰も注意しない。
授業に集中できない。
(どうして、こういう人たちって、何事に対しても、不真面目なんだろう。やっぱり飛び級にしてもらって、上の学年に行かせてもらおうかな……。でも、まだ卒業試験に対応できるか自信がないんだよね)
心が擦り切れる。
だが、ベルザは、終始、無言だった。
不機嫌な態度をとり続けた。周囲は、ベルザの放つ圧が、透明な壁となって、はねのけられたような仕草をとった。
「今度、集まって、皆で相談しよっか」
ベルザが鋭い口調で発言した。周囲は何も返事をしなかった。
ベルザは女王だった。命令は絶対で、逆らえる者はいない。
授業が終わる。
当然、ナスティは話し合いに呼ばれなかった。
4
入浴の列で、順番を待つ。
「アナタ……」
年配の巫女がナスティの肩を突っついた。
「今日からは、この列で並んで良いわよ」
「ボクで、いいんですか?」
「……大神官様とお目通りするような子を、綺麗にせずにいられる?」
ナスティは湯船に脚をつけた。
(熱っ……!)
だが、躊躇っている場合ではない。後ろから年配の巫女が圧をかけてくる。
ナスティは肩まで湯船に浸かる。
全身の血液が駆け巡る。
(これが、お風呂……! すごい、シグレナス、すごいよ!)
ヴェルザンディとちがって、シグレナスは水が豊富である。シグレナスの人間は、昔から入浴を好んだと歴史書にある。戦争で陣を構えるとき、天幕以外に、必ず浴場を設置していた。
(わぁあ……、シグレナスさん、ありがとう)
ナスティは、生まれて初めて帝国に感謝したのだった。
背中を脚で突っつかれる。
利用時間は、一瞬だけだ。
だが、それだけでも違う。ナスティは感激した。こんな体験は初めてだ。
まるで生まれ変わったかのようだ。
ナスティは自分の髪を乾かし、感動の涙を拭き取った。
5
食事の列になった。
行列を待つ。
汁の配膳係は、ベルザであった。どす黒い視線を、ナスティに送っている。ナスティは嫌な予感がした。
「ふん……」
鍋から汁を掬って、お椀に盛った。
お椀の底が透けて見えるほどの量だ。
ナスティが振り返ると、ベルザは後ろの巫女に多めに盛っていた。笑顔を見せている。ナスティとは態度が違う。
露骨な嫌がらせだった。
(うっわー、本当にこんな意地悪をする人っているんだ……)
ナスティは悲しくなった。
ベルザの瞳は、怒りでドス黒くなった。
(ベルザって、セロンを好きなんだ……。ボクがセロンを好きだと、勘違いしているのかな? ボクは、ジョニーが好きなのに……)
ベルザとセロンが、楽しそうに話をしていた様子を思い返す。いや、セロンはベルザを愛していない。セロンは、誰にも心を開いていない感じがする。
(男子禁制の大神殿なのに、一番偉い大神官だけが男の人って、変なの……。それに、セロンって結婚しているのかしら?)
未婚にしては、見た目も歌声も良い男である。
よくよく考えると、シグレナス大神殿は腑に落ちない話が多い。
食事になった。
薄い汁をすする。すぐに食事が終わった。
「強制ダイエットだね……」
足りない。
強い視線を感じる。
配膳係が、壁に並んで立っていた。そのうち一人、ベルザが周りに、ナスティを指さして、なにかをわめき散らしている。