小部屋
1
クルトは、カレンの方向に振り返った。
「なにか聞こえたような……」
クルトが独り言を呟く。
(……なんとか気づかれずにすんだ)
カレンは、息を殺した。
マントの中に滑り込み、クルトの視界から消えた。
クルトのマントは、張り出したようなテントのようで、背中との間には空間がある。
カレンは狭い空間の中で背を伸ばし、クルトの背中から自分自身の胴体を避けていた。
「……気のせいか」
クルトは、突起物に電流を流した。扉が開いた音が聞こえる。クルトは一瞬驚いたが、部屋の中に入った。
カレンも爪先を立てて、クルトの歩調に合わせる。部屋に入ると、足裏から、絨毯の暖かさが感じなくなり、鉄の冷たさが伝わった。
カレンの視界が変わった。
クルトの頭頂部が見える。
クルトのマントが少し盛り上がっていた。カレンが右手を後ろに動かすと、マントが揺れた。
部屋は狭い一室で、寝台と小さな机があった。小さな机には、透明の箱があった。箱には、瓶が詰まっていた。
クルトはナスティを持ち上げ、寝台に叩きつけた。釣った魚をまな板にのせたようだ、とカレンは思った。
背中に衝撃を受けたナスティは、眉間にしわを寄せて、小さな唇から小さく呻き声を出した。静かに目が開く。
「ここは……!?」
ナスティは上体を起こし、恐怖と驚きで目を見開いた。
「起きたか。回復力は大したものだ。これからのお遊びが楽しみだな」
クルトは太い両腕で、ナスティの首を絞めた。
両腕から電流を放つ。
青白い電撃にまみれて、ナスティは苦痛の叫び声をあげた。
「俺様の電撃には、霊力吸収の力もある。貴様の霊力は俺のものになるのだ!」
クルトが高笑いをした。クルトの黒い煙がさらに強まり、ナスティの黄色く輝く煙が薄まっていくように、カレンは感じた。
クルトはナスティを寝台に投げ捨てる。
衣服が水のように溶けていき、ナスティの素肌が露わになっていった。
ナスティの白い胸を目にして、クルトの目つきが残忍な光を帯びていく。クルトの思考を想像すると、カレンは吐き気がした。
ナスティの腕を広げ、寝台の拘束具を巻き付けた。
2
(どうすればいい?)
クルトのマント内部で、カレンは焦った。焦りながらも、カレンの脳内は素早く動き出した。
(このまま正面に仕掛けたら、返り討ちになる)
今のカレンでは、霊骸鎧を呼び出せても、一体が限度だ。
(このクルトは、一体で勝てるような相手じゃない)
複数の霊骸鎧を出せても、部屋が狭すぎる。電撃の餌食になるだけだ。
(唯一の武器は、白い剣だ。……問題は、どこに突き刺せばよいのだろう? 背中から心臓を狙う?)
背後から心臓を突くのなら、すぐにできる。
だが、クルトには、驚異的な回復能力がある。
(心臓を一突きしても、すぐには死なないだろう。胸を刺されたまま、クルトは反撃に出ると思う)
クルトが、部屋の中を歩き出した。カレンはクルトの歩調に合わせる。
ナスティが声を振り絞った。
「わ、私に、なにをする気だ?」
「貴様の頭に卵を植え付ける……」
クルトは箱から瓶から取りだした。瓶の先端には針があり、針の先を太い細い爪で、つっついた。中には無色透明の液体が揺れていた。
「卵だと? なんの卵だ」
と、返すナスティの声に不安げな響きが混ざりはじめた。
「この注射器には、特殊な虫の卵を入っている。虫は、お前の脳を食い破り成長する。いずれ、お前を支配する。そうすれば、お前は俺様の命令を何でも聞く、人形になるだろう」
クルトの声は、意地悪な黒い色に塗り固まっていった。
「安心しろ。お前の人格や感情は壊さない。どんなに拒否をしようと俺様の命令に従うが、心はそのままになる。苦しみも悲しみも大いに感じられるぞ」
クルトの発言に真実味があった。
自分の未来を想像したのか、ナスティの表情は、みるみる青ざめていく。
「やめろっ」
ナスティは拒否した。両手を拘束されて、身体をひねっても抵抗できない。
「待て待て、慌てるな。薬が、よぉく混ざってからだ」
クルトは注射器に緑色の薬品を注入した。緑色と無色透明の薬品が、注射器の中で紫色に混ざっていく。
「やめろ、せめて殺してからにしろ……!」
両手を縛られて、明らかにナスティは怯えている。
カレンは、何故クルトがさっさと注射しないで、いちいち説明をしているのか理解できた。ナスティを怖がらせて、楽しんでいるのである。
「なあに、少し痛いだけだ。お前のこめかみに注射してやる。薬品が直接、脳に回るようになぁ」
クルトは長い舌を出して、邪悪な笑い声を出した。
こめかみ……?
カレンは自分のこめかみを手で押さえた。
「やめろ! ……やめてぇ!」
ナスティの拒否が、懇願に変わった。目に涙を浮かべている。
こめかみ……!
カレンの脳内に、電流が走った。一瞬の閃きを基礎にして、作戦を組み立てる。
行動に出ると、早い。
カレンはマントから飛び出た。
目の前にある壁を蹴って、クルトの背中に向かって飛んだ。
右手でクルトの後頭部を掴んだ。
もう片方の腕で白い剣をクルトのこめかみに突き立て、そのまま横の壁に叩きつけた。狭い部屋なので、壁は近い。
クルトが、おぞましい悲鳴をあげる。カレンは耳を塞ぎたくなったが、クルトの横顔に全体重をかけた。白い剣が、こめかみを通ってから壁までクルトの頭を串刺しにする。
カレンは剣とクルトから手を離し、床に着地した。
「折れ曲がって!」
剣に命令した。
なぜ命令したのか分からないが、可能であると確信があった。
剣の刃はクルトの内部で折れ曲がり、壁の中に食い込んだ。
何が何だか理解していないクルトは、頭から黒い煙を上げ、自己回復を試みる。
だが、貫通した白い剣が邪魔をして、傷を治せない。クルトは自分の顔を壁から離そうとするが、顔の内部を傷つけ、激痛で叫び声をあげる結果となった。
「貴様は……?」
ナスティとクルトが、同時に同内容の疑問を発した。
「僕が誰だかどうでもいい! ナスティ、逃げるよっ」
ナスティの拘束を解く。革と金属を組み合わせた、単純な構造だったので、すぐに解放できた。
ナスティの手を引くが、抵抗された。
「歩けない……」
ナスティは手で胸を隠し、目を伏せて答えた。
(攻撃を食らいすぎて、力が出ないんだ)
と、カレンはナスティを観察した。だが、問題があった。
クルトの電撃で服をすべて溶かされ、ナスティは全裸だった。
「じゃあ、おぶっていくからね」
カレンは目を背け、強引にナスティを背負った。重力が、疲れ切った全身にのしかかる。足取りは悪いが、壁の突起物に手を触れた。見えない扉が目の前を阻んでいる。
(僕は、クルトだ……)
頭から黒い煙を出す。だが、見えない扉が開かない。やり方が間違っているのか?
クルトは頭から剣を抜こうと必死にもがいている。
カレンが気を抜けば、剣は消滅するだろう。実際、剣は消えつつある。
カレンはもう一度目を閉じて、剣に意識を持っていった。剣が実体を取り戻していく。クルトがまたもや叫ぶが、無視だ。
同時進行で突起物に触れた。黒い煙を頭から出す。
半透明の石でできた突起物の内部が見えた。内部はひび割れている。煙を頭から出す方法を止めて、触れている手から出す手法に切り替えた。
煙が小さな黒い触手を出して、ヒビの隙間に入り込む。
ヒビ割れを黒い煙で埋め合わせると、扉が開いた。
背後から、クルトのうめき声が聞こえる。
「これは貰っていくよ!」
寝台のシーツをはぎ取り、部屋の外に走り出した。
3
さすがにカレンは、数歩走っただけで後悔した。
ナスティを背負って歩くには、体力に余裕がなさすぎる。
ナスティは女の子だが、自分と身長が同じくらいで、紙のように軽いレミィを抱えて移動する状況と違う。
(重い……)
カレンは一言で理由をまとめた。
「さっきの奴が来るだろう。もういい。私を置いて、貴様は早く逃げろ」
背中にいるナスティが、提案した。申し訳なさそうな声の響きに、カレンは心を痛めた。
「そんなことは言わないの!」
カレンは走り出した。だが、すぐに強がりだと露見した。なかなか先に進まないからである。
通路の途中、格子戸が現れた。
付近にあるレバーを見つけて、下ろす。格子戸が金属音を鳴らして、せり上がっていく。カレンはナスティの高さを考慮に入れながら、くぐり抜けた。
抜けた先にもレバーがあった。レバーは下げられた状態だったが、カレンがレバーを上げると、格子戸が上昇を止め、降りていく。
来た道の方角から、爆発音が鳴った。
見えない扉の破片が飛び散り、爆炎が巻き起こった。扉を操作する突起物が飛びはねて、天井にぶつかり、一部を砕けさせて、床に転がった。
火災による煙の中から、クルトが姿を現した。顔は怒りのシワで刻まれ、怒りに震える口は汁が垂れていた。両手から今までにないほど巨大な青白い光を放電させて、周囲の壁を破壊している。
カレンとナスティの姿を確認すると、意味不明の叫び声をあげた。カレンには、自分たちに向けられた殺人予告だと理解できた。
前傾姿勢をつくって走ってくる。巨体に似合わず、脚が早い。
全力で振る両腕から放電された電気が、壁、天井、床と、ところ構わず破壊していく。
ナスティから動揺を感じ取った。ナスティの心臓が恐怖の拍子を打っている、とカレンは背中越しに感じた。
格子戸が、ゆっくりと降りていく。
完全に閉まりきったが、こんな格子戸が身を守ってくれるとはカレンには思えなかった。
ナスティを床におろし、シーツを肩に掛ける。
霊骸鎧を呼んだ。
「堅牢城……リカルド・セプテリオン!」
赤いマントをつけた、体格の立派な霊骸鎧が現れた。頭部にあたる兜が、本で見たお城のような形状をしている、とカレンは思った。
堅牢城は名前でなんとかしてくれそうな響きで呼び出したが、どんな能力なのか分からない。
堅牢城が片手を上げる。緑色の霊力を帯びている。緑色の霊力が膨れ上がり、堅牢城の手から解き放たれた。
格子戸に力が及んだ。
(そっち? クルトじゃないの?)
カレンの予測を無視するかのように、緑色の光は、格子戸全体を覆った後、消えていった。
怒り狂ったクルトは、もう格子戸の前に到着している。格子戸を破壊しようと、両手に帯びた電撃を食らわせた。
だが、無色透明の光が、格子戸全体を覆った。
電流は飛散し、何も起きない。
クルトは格子戸を殴りつけるが、手の痛みで顔を歪ませた。
付近のレバーに手をつけるが、格子戸は動かない。上下とレバーを操作しても、格子戸は動かなかった。
「堅牢城。これが君の能力なんだね」
カレンは、隣の堅牢城を下から上へと、頼もしげに眺めた。
堅牢城の能力は“閉門”という。カレンは直感的に分かった。
クルトは、格子戸を殴り続けている。だが、堅牢城の能力によって、格子戸は堅牢になっている。
カレンの隣で、ナスティが口を手で隠して驚いている。状況が把握できていない。
ナスティとクルトが、同時に口を開いた。
「貴様は一体、なんなんだ!?」