人攫い
1
「ここは……?」
ナスティは目を覚ました。いつの間にか、眠っていたようだ。
格子が見える。格子の隙間から、外が見える。森林と、森林の中央を貫通したシグレナスの街道であった。
(ここは格子の付いた馬車……?)
囚人の護送車なのだ。ナスティは、自分がポコチーの立場にあると気づいた。今度は自分が籠に入れられる立場になったのだ。
奥で母親ナディーンが鎖につながれている。
ナディーンが猿ぐつわをされた口から、獣のように食いしばった歯が見える。涎を垂らしている。
獣のように目を剝いて唸っている。
「お母さん……」
ナスティは泣いていた。
母親ナディーンは、理不尽な理由で怒ったり、必要以上に厳しかったりしたが、美しく凜としていた。美しさを奪われ、野獣のような姿になっていた。
「お母さん……。酷いよ、酷すぎるよ。どうして人の尊厳を踏みにじられるの?」
ポコチー以下の扱いである。
牢屋越しから、石造りの街道が見える。サレトスが視界に入った。
サレトスと男が話をしている。
「あの剣を回収したか?」
男の一人が、白い剣を差し出した。ナディーンの剣、アジュリー家の家宝“星白の剣”である。
サレトスが、剣に触れると、サレトスの手が爆発した。肉片が飛び散り、赤い筋肉と白い骨が露出した。
「サレトス様?」
「案ずるな。これは、“星白の剣”だ。……我々アポストルにとっての天敵よ。ナディーンの運用次第では、“聖母”も、“脳喰らい”も助からなかったかもしれんな」
サレトスは、破裂した自身の肉片を、片手で拾い始めた。ゴミでも収集するかのように、袋に入れる。袋から血がにじんでいる。
「だが、この剣も活躍してもらう。計画の一端なのだ」
他にも、二つ小袋を腰に抱えていた。中に球体の膨らみがある。
ナスティは強い光に、自分の瞼を手でかばった。
朝になったのだ。
馬車が動き出す。
夜の惨劇がなかったかのように、街道を進み出す。
森の茂みから、少年の影が現れた。
街道の上で、ボロ切れのように立っていた。
「ジョニー?」
ナスティが問いかけると、ジョニーは振り向いた。
いつもの凜々しい顔つきはなくなり、知力も精神力も失ったような表情をしている。
“脳喰らい”の“精神破壊”を喰らった影響である。
「何も返事をしない……。ボクが誰か、本当に忘れちゃったんだね……!」
ナスティは、背中から胸に向かって、刃物を貫かれたような痛みが走った。
母親に忘れられた状況よりも、苦しい。
馬車が動き出す。
ナスティは声を張り上げた。
「いいかい、キミの名前はジョナァスティップ・インザルギーニ……ジョニーだ。覚えていて」
ナスティは、格子にしがみついて叫んだ。
ジョニーは、馬車を追いかけ出した。走り出すが、脚をもつれて、上手く進めない。
「だめぇ! ボクを追いかけてはいけない。ボクの名前を口にしてはいけないよ。……ボクを忘れて……!」
ジョニーが、口を結んで、ナスティを見ている。
記憶を失っても、何が大事なのか、分かっているのだ。
心までは奪われない。
だが、馬車の速度に勝てず、ジョニーが遠ざかっていく。
「絶対にボクの名前を思い出しちゃいけないよ。ボクを忘れるんだ……!」
聞こえたかどうかが分からない。ただ、ナスティは叫び続けた。
ナスティは泣いた。
(弱くてごめんなさい、守れなくてごめんなさい。……キミを犠牲にしたボクは卑怯者だ。
最低だ……)
その場で泣き崩れた。
後ろで、母親ナディーンが唸っている。
2
数日が経った。格子越しにパンと水の入った袋が投げ入れられ、ナスティは、ナディーンと分けて食べた。ナディーンが猿ぐつわをされているので、パンを千切り、強引に隙間から入れ込んだ。
「ジョニー……。ジョニー……」
ナスティは何度も呟いた。
ジョニーを置き去りにしてしまった。
記憶を失ったジョニーが、未知の国で生き残れるだろうか?
夜盗や奴隷商人に捕まって酷い目に遭う想像をして、ナスティは身もだえした。
(ごめんなさい、ジョニー。ボクのせいで、キミを巻き込んでしまって)
ジョニーだけではない、巻き込まれたジョルガーたちの顔が思い浮かぶ。ポコチーも心配だ。
「あんな箱入り娘なぽこちーが、こんなところに放り出されて生きられるわけないよ……」
ナスティは涙が溢れてきた。ポコチーが野生動物に食われる様子を想像した。病気で死ぬ。怪我で倒れる。死ぬ原因は、無数にある。
人々の行き交う人数が増えていった。賑やかになった。
ジョルガー、ガトス、ヤジョカーヌ……。“脳喰らい”に惨殺された家族の姿を思い返すと、ナスティは吐き気が込み上げてきた。
ナディーンが喚きだした。
手錠された手を振り上げている。
「お母さん、お母さん! ……痛い」
ナスティはナディーンの動きを止めようとしたが、爪で右肩を引っ掻かれた。
ナスティは諦めた。暴れさせて、疲れるまで、放置しておくしかない。
馬車の速度が落ちた。渋滞しているのだ。
都市部に近づいている。ナスティはそんな気がしてきた。
夕方になった。幕から差し込む光が赤くなると、馬車が完全に止まった。
人々の騒ぐ声が聞こえる。
「関門……?」
布の隙間から、行列が見える。
ナディーンが唸った。
「何だ、これは? 中身は何だ」
男の声が聞こえた。顔は見えていないが、門番だとナスティは分かった。
(この人たちは悪い人たちなんです! 早く捕まえてください!)
ナスティは叫ぼうかと思った。だが、できなかった。
勇気がなかったのである。
「……犯罪の重要な参考人を連行してきた」
サレトスが応える。冷静で事務的な口調である。
最初、門番が横柄な口調であったが、徐々に畏まった態度になっていった。
「……失礼いたしました。お通りください」
最後には、ご主人様に仕える奴隷のような態度になったのである。
馬車が動き出す。
サレトスは感謝も返事もしなかった。
(なんで……? サレトスはそんなに偉いの?)
ヴェルザンディでは、霊落子は最低な扱いをされていた。子どもたちに石を投げられていた。
忌み嫌われる存在として、奴隷以下である。
(シグレナスの霊落子は、偉いの?)
“炎の角”や“編笠”といった普通の人間を、マグダレーナは顎で使っていた。
ヴェルザンディでは、霊骸鎧に変身できる者は、変身できない者よりも、人目置かれていた。シグレナスでも、もっと強いと思われる。
(それとも、マグダレーナたちが特別な霊落子なの……?)
明らかに格が違う。
「私は、ここで降りるぞ」
サレトスが、御者に乗組員に命令した。
幕が開く。
サレトスが格子越しに顔をくっつけた。
頭巾の隙間から、貝の中身を思わせる顔が見えた。
「アジュリー家の娘よ。……母親とともに、一秒でも長く生き残りたければ、良い子でいるんだな。私たちは、お前たちを殺す気はないのだ。失望させてくれるなよ」
声は静かで穏やかだったが、言外に脅しをかけてくる。
サレトスは包みを抱えて、去って行った。後ろ姿を見れば、買い物を終えて帰宅する、若奥様のようであった。
人々が行き交う、シグレナスの雑踏に、溶け込んでいった。
シグレナスでは、誰もサレトスを気にする者などいない。ナスティの家族を襲ったのに!
人々の騒がしい声が聞こえる。
子どもたちが通り過ぎる声が聞こえた。
(幕……! 誰か、いたずらでも良いから、開いて)
ナスティは、祈った。
だが、子どもたちは通り過ぎていった。
布で覆い隠された馬車など、誰も気にしないのだ。
外からこぼれる光が暗くなるにつれ、人々の声が少なくなる。
馬車が止まった。
格子を覆われていた布が取り除かれる。
見知らぬ男が、立っていた。
目つきが悪く、髪は薄くなっており、太った体つきだ。
マグダレーナに付き従っていた男たち……にはいなかった。
「……酷い臭いだわ」
男の後ろから、小太りの女が顔を出す。
化粧が厚く、脚を露出させている。売春婦だと、ナスティは分かった。
「出ろ」
太った男は、錠を開け、ナスティを引き出す。
怖かった。知らない男に腕を掴まれているのである。
「子どもは、風呂に入れろ。母親は連れて行く」
太った男が、売春婦に指示をした。もう一人、馬車に若い男がいる。馬の綱を持った、御者であった。
ナスティは男女に連れ出された。
連れ出された先は、公園の噴水だった。
水が無限に湧いている。
ナスティは、産まれて初めて噴水なる代物を見た。
「ほら、脱いで」
小太りの女に、服を強引に脱がされた。太った男は反対方向を向いている。ナスティの裸に冷たい風が吹きすさぶ。
(寒い……!)
ナスティは身体を守った。
「ほら、突っ立てねえで、とっと入れ。テメェーッ」
女は乱暴な口調になった。肩を突き飛ばされ、ナスティは脚を引っかけ、噴水に頭から突っ込んだ。
髪を掴まれ、ナスティは噴水の中で、衣類のように、洗濯をされた。
(心臓が止まっちゃう……! 息ができないよぉ!)
冷たい水に、ナスティは意識を失いかけた。
水中から解放され、寒い外気に晒される。震える身体にタオルを突きつけられた。
ナスティが身体を拭いていると、馬車が走り出していった。
「お母さん……!」
ナスティは凍える身体で馬車を追いかけようとしたが、腕を乱暴に引っ張られ、阻止された。
「黙れ。さっさと行くぞ」
白くて寒い街。ここがシグレナス。
高層の建造物が建ち並び、石造りの道路が続く。
見物をする暇もない。男女に引きずられて、ナスティは、自分の吐いた白い息だけが視界に入っていた。
ナスティは、内心、取り乱していた。母親と引き離されたのである。記憶を失ったとはいえ、同じ場所にいるだけで安心できた。
最後の関門を破壊された気がする。
ひときわ大きな建物の前にたどり着いた。
「ここで待っていろ」
ドスのきいた声で、太った男が命令する。ナスティは男の命令に凍り付いた。
男は、真夜中にもかかわらず、無遠慮な態度で扉を叩いた。
扉の中から、年配の女が顔を出してきた。
「……音が大きいぞ」
白く、質素な着物を身につけている。
だが、特徴的な顔に、ナスティは興味を持った。
顔が平たく、顎はエラを張り、両方の瞳は、つり目だった。
ナスティにとって、初めて見る顔つきの人種だった。
「やあ、フィディさん」
と、太った男は、平たい顔の女フィディに話しかける。低姿勢だった。
フィディは太った男を軽蔑したような目をくれて、手を払う仕草をした。
男女は虫の集まりであるかのように、暗い街中に散っていった。
「どうしたの? 早く入りなさい」
フィディが、ナスティには、もっと軽蔑な視線を見せた。
ならず者たちは、もういない。
代わりに、質素な着物を着た女たちが、中から出てきた。
訳も分からず、ナスティは通された。足の裏が凍りつくほど冷たい通路を歩かせられる。
両手が悴むほど、身体が冷える。
一つの部屋に通された。
木の扉を開くと、一斉に子どもたちの泣き声が飛び出してきた。
「ここはどこ?」
「出して!」
「お母さんを返して」
子どもたちが、部屋の隅で固まって、泣いている。
ナスティと同じくらいの歳の子どもたちだ。背が高く、ナスティは中間くらいの年齢だと分かった
自分よりも年下がいて、心が痛くなる。
ナスティは背中を押され、中に入れられた。振り返るまもなく、扉が閉まった。
ナスティは混乱する中、子どもたちは泣き続けた。
(何が起きているの……? ボクたち、誘拐されたの……?)
一晩が経った。
ナスティは眠れなかった。
朝の早い時期に、フィディたちが入ってきた。
「従いてこい。お前たち一人一人と面接をする」
子どもたちと一緒に列になって、一室に通された。
フィディと同じ服装の女たちがいた。女たちの顔は平たくない。
向かい合った椅子と、机が用意されていた。
フィディは椅子の一方に座り、ナスティはもう一方の椅子に誘導された。
フィディは冷たい口調で冷たい視線で自己紹介した。
「私は巫女長のフィディ・ウォン。ようこそ、シグレナスの大神殿に」
3
「シグレナスの大神殿……?」
ナスティは、両手で自分の身体を守り、辺りを見渡した。石造りの部屋だ。シグレナスの宗教施設なのだ。
フィディがナスティたちに向かって話しかける。
「……今日からは、ここがお前らの家となる。お前らは、大神殿の奴隷となるのだ」
フィディが宣告すると、子どもたちが泣き叫ぶ。
「大神殿? 神様を祀っている場所が、どうして人攫いなんかをするの?」
子どもたちが泣き叫んでいる中、ナスティは声を張り上げた。
注目が、ナスティに集まる。
「何か? 人攫いとは、どういう意味か?」
フィディが不機嫌そうな態度で質問を返した。
「ボクは、アジュリー家のナスティです。マークカス王子と結婚する予定でした……。それを、悪い人たちに邪魔をされて……お母さんを連れ去っていきました」
「ふん、そんな与太話は聞いていない。移民の子どもを預かり、巫女として育てる。それが、大神殿の慣わしだ。……私も“混沌の軍勢”出身だった」
“混沌の軍勢”とは何かをナスティは知らないが、平たい顔のフィディは、シグレナスとは違う、明らかに異国の出身であった。
「本当です、嘘じゃありません。マグダレーナ、サレトス、という霊落子を探してください」
ナスティが食ってかかった。だが、まったく効果がない、と感じていた。
子どもの戯言にしか聞こえないのである。
「手を出せ」
フィディーが立ち上がる。ナスティが手を出すと、鞭で叩かれた。
「痛っ」
「いちいち相手にしていては、切りがない。早く話を進めるぞ。そこのお前……」
子どもの一人に話しかける。
ナスティと同じくらいの女の子であった。黒い髪が長く、日焼けした肌をしている。
「お前は、なにができる? ……ここに来るまでに、何をしていた?」
フィディが、話しかけた。質問の内容を変えた。
女の子は泣いている。
「泣くな、応えろ」
フィディが鞭で、女の子を叩いた。
女の子は、更に激しく泣いた。風を切る音を立つ。
だが、泣き止むまで鞭の殴打は続く。
「……草むしり、薪割り、あと、弟の面倒を見ていました」
「ふむふむ……」
フィディは事務的な態度で、女の言葉を聞きながら、机上の書類に書き付けた。
子どもの泣き声など、そよ風が吹いているかのように、気にもしていない。
「ナスティ、お前は?」
フィディがのぞき込むような表情をして質問をしてきた。
「……料理。あと分数の足し算」
ナスティは鞭を打たれたくないので、すぐに応えた。
「その年齢で分数の足し算ができるのだと? 高い教育を受けているのだな」
フィディの声が少し明るくなった。
履歴書を書いているのだ。
履歴書の特技に追加したくなった。
(“祝福”って伝えておくべきかな……。でも、変な子どもだと思われるかもしれないしなぁ)
だが、黙っていた。余計な発言は危険だと感じる。
「……お前らの仕事は、大神官様が、お決めになる。だが、大神官様はまだお帰りになっていないのだ。昨夜、帰られる予定だったのだがな。それまでに、だ」
フィディが合図をすると、巫女たちが粗末な服を持ってきた。
「服を脱げ。着替えろ」
ナスティたちは、着ている服を脱ぎ、与えられた服に着替える。
「着ていた服は捨てろ。もうお前らに必要がないのだから」
巫女たちが、子どもたちの私物を没収していく。
ナスティは、首にかかったペンダントを引っ張られた。
「ペンダントは没収だ……」
「いや。ボクの宝物、取らないで」
「お前がこの大神殿から出たら返してやる。死ぬまでは出られないがな」
ペンダントを奪われ、ナスティは涙で視界が揺れた。
母親との、家族との絆であった。
家庭があったという証明である。
それに、ジョニーとの思い出が詰まっている。
「酷い……。どうして?」
悔しくて、涙を噛みしめた。
「泣いても無駄だ。お前はこれまでに、なんでも泣いて許されていたのだろう。だがな、もうお前には親がいないのだ。ここが、お前らの家であり、私たちがお前らの親なのだ」
フィディの口調は冷たかった。頼んだつもりはないが、仮に親だとしても、いつまで親に苦労をかけられるのだろう?
一人ずつの面接が終わると、ナスティたちは、外に出された。
中庭を通る。
綺麗に掃除をされていて、ヴェルザンディでは咲かない、花々が生えていた。
中庭の中央に、雨水を溜める水槽があった。雨が豊富なシグレナスには、独特な貯水方法があるのだ。
(ジョニーがいたら、お母さんがいたら、楽しかったのに)
ナスティは虚ろな気分であった。本来であれば楽しいはずの発見が、異国の地で奴隷の身分になった自分では、喜べないのである。
4
通された部屋は、部屋というより、広間であった。
天井も高い。
何よりも眩しかった。
暗い部屋に、燭台が無数にあって、暖かな灯りを出している。
大勢の巫女たちが並んで、床に座り込み、手を合わせていた。
「お前たちの先輩だ。先輩たちは先に来て、祈りを捧げているのだ」
フィディが解説する。
白い着物に身を包んだ巫女たちが、並んで、手を組み、祈りを捧げている。
不思議と、ナスティの心が落ち着いてきた。
誘拐されて来たが、宗教施設には、どこか安心させる空気がある。
「セレスティア様に祈りを捧げよ」
フィディが静かに命令する。
「セレスティアって、なんですか?」
ナスティはフィディに聞いた。
「お前は黙っていよ」
「痛い」
手を鞭で叩かれた。
祈りをしている巫女たちから、笑いがこぼれた。やり取りを聞かれたのだ。ナスティは恥ずかしくなった。
気を取り直して、前を向いた。
祭壇がある。
祭壇には、女の像があった。頭に月桂樹を巻き、長衣を身にまとっている。
子どもたちが、巫女たちの真似をして、跪き、手を合わせる。
ナスティも真似をした。
(祈る? ボクをここに連れてきたシグレナスの神様に、何を祈るの?)
疑問が溢れてくる。疑問は、怒りに変わり、怒りは悲しみになった。
集中できない。
何の価値があって、祈るのか?
だが、応える者はいない。
多くの巫女たちがいる中、ナスティは孤独だった。
(ジョニー……。ジョニーが死んじゃう……。ボクのせいで。ああ……)
ジョニーを思い返すと、胸が締め付けられるようだ。
死地に追いやった自分が罪深い。
(ぽこちー、お母さん……。それに、皆……)
誰も幸せになっていない。
(皆が犠牲になって、ボクだけが生き残った。大神殿で奴隷になっただけで、ジョニーたちと比べたら、ずっとマシだよね。狡いよね、ボクって……)
卑怯だ。
弱くて、愚かで、裏切り者の自分がいた。
(ジョニー、死なないで。幸せになってほしい。ジョニー……。シグレナスの神様、もしも貴方が本当に本当の神様だったら、お願い、ジョニーを助けて。お母さんも、ぽこちーも……! ボクの命の引き換えで良いから)
ナスティは、奥歯を噛みしめた。大粒の涙がこぼれる。
涙が床に跳ね返った。
ナスティの身体が傾いた。底なし沼地に、はまったかのように、身体が沈み込んでいく。
(こんな硬い床なのに……?)
ナスティは、自分が思うように動けないと悟った。目も開けない。
冷たい湖の底だった。
底には、光があった。
光は流した涙のように、柔らかく煌めいた。
光を感じると、暖かい光に包まれた。
ナスティは辺りを見渡した。
「なに……? ここ?」
いや、知っている。
世界は光に包まれた。
いや、ナスティは世界の中心だった。ナスティの全身から光が溢れ、世界に流れ込んでいる。
女の声が聞こえる。
何を喋っているか分からないが、歓迎されてはいる。
自分の声に似ている、とナスティは思った。
(そうか、神様は自分の声を通して伝えてくるんだ)
光の存在と目が合った。
「神様はボク自身……!」
“六色連珠”をいつの間にか握っていた。
「いや、世界そのものが神様なんだ……!」
ナスティは、涙で両眼が潤んだ。
「セレスティア様が……!」
誰かが叫ぶ声で、ナスティは目を開いた。
巫女の一人が、女神の像を指さした。
女神像が両眼から涙を流している。巫女たちがざわめいた。
「そんな馬鹿な……! 何が起きている……?」
フィディの額から汗が噴き出る。
「奇跡、奇跡です……!」
巫女の中には、騒ぐ者、泣いている者、ますます祈りを強めている者がいる。
「大神官様がお帰りになられました!」
巫女たちが騒ぐ。
巫女たちが、大神官、と呼ばれる男に群がった。
口々に、女神像の異常を訴えている。
「ふむ、ここは、シグレナスの大神殿。君たちの飽くなき祈りが、セレスティア様に届いたのだろう。……ありがとう、みんな」
大神官は、顔に包帯を巻いていた。以外と声が若く、背筋が伸びていて、歩き方が優雅である。
祭壇の上に立った。
「やあ、新しい子たち。私は、セロン。ここの責任者だ。安心しなさい。ここに来たからには、もう悲しむ必要はない。なぜなら、ここはシグレナスで一番平和で安全な場所……大神殿だからだよ」
セロンは包帯の隙間から、笑顔と見せる。