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“脳喰らい”

        1

「“編笠シールドヘルム”よ。行けい」

 マグダレーナが命令をすると、後ろに控えていた緑色の頭巾が、前に進み出た。

 自らの頭巾を剥ぎ取ると、異民族の男が現れた。

 体格は細く、異国風の着物に身を包み、平たい顔には細い両眼があり、長い黒髪を後ろに束ねている。

 マグダレーナが、ナディーンたちの前に踏み込んだ。

「ナディーン女王陛下に提案申し上げる! こちらのスローニン・カサハリが、一騎打ちを申し込みたいと申してきました。いかがだろう? もしこのカサハリを打ち倒せば、私たちは手を引きます。これ以上、お互い無駄な戦いをしても意味がありません」

桜花騎士チェリードロッパー”ナディーンは、ジョルガーに同意を求めた。

 ジョルガーは、うなづいた。

 ナディーンも、同意する。

 敵味方、双方ともに戦いを中止した。

 敵味方とも、ナディーンとカサハリを挟んで、二列になった。

「お母さんとあの人が一騎打ち……?」

 ナスティは、木の上でジョニーと抱き合いながら、戦いを見守っていた。

「斬り捨て御免……!」

 カサハリは印を組み、霊骸鎧“編笠シールドヘルム”に変身した。

 頭には、円形の盾が乗ってる。盾の中央は膨らんでいて、頭部の半分を隠している。

 手を突き出すと、長刀“物干し竿(グランドシャムシール)”が現れた。

“物干し竿”は、“編笠シールドヘルム”よりも二倍の長さはあった。

 鞘ごと眼前で一回転させ、腰に下げる。

 刀の柄を握り締め、腰を深く落とした。

「あの構えは?」

 マグダレーナがサレトスに訊いた。

「“居合抜きドローイングフラッシュソード”です。鞘に収めた剣を一気に引き抜いて、攻撃します」

「……どうして一回出した刃を、鞘に入れ戻した?」

 マグダレーナが困惑した。

 ナディーンは、スカートをたくし上げる動作をした。

「お母さん、本気だ……!」

 ナディーンは剣をまっすぐ構え、“編笠シールドヘルム”の正面に向かうと見せかけて、頭上に跳んだ。

 木々の中に紛れ込んだ。

 街道は、森に囲まれている。マグダレーナたちは、ナディーンを見失った。

 枝と幹を蹴る音がする。

 ナスティが眼を閉じると、木と木の間を、高速移動するナディーンの影が見えた。

「お母さんの“落花流水剣スピーニングデッドリーソード”だ……!」

“編笠”は“物干し竿”を構えたまま、微動だにしない。

「サレトス。カサハリが身動きをしないぞ?」

「問題ありません。ナディーンは“女詠剣ミンストレルソード”の使い手。“落花流水剣スピーニングデッドリーソード”を撃ってくるでしょう」

「“落花流水剣スピーニングデッドリーソード”? 知っているのか、サレトス?」

「子連れの女がつかう剣です。外敵に襲われたとき、子どもを木の上に隠し、自らも木の上に隠れます。木の上から攻撃する技です。……スカートをたくし上げる動作は、女の剣であった名残だと聞いてます」

 サレトスの解説通り、ナディーンは木の上で、“編笠シールドヘルム”の背後をとった。

 全身を回転させ、一気に飛び降りる。

 横回転するナディーンの持つ剣が、“編笠”の首を狙った。

 だが、“編笠”のは反応は早かった。

 すぐに向き直り、引き抜いた“物干し竿”で、下から上に斬り上げた。剣の軌道が雷光のように煌めき、ナディーンの胸を斬りつけ、火花を散らした。

 ナディーンは、空中で錐もみして、地面に叩きつけられた。

(お母さん!)

 ナスティは、心の中で悲鳴をあげた。叫んで居場所を知らせる愚かな真似はしない。だが、ナディーンを助けようと、身体が反応した。

「姫……! 駄目だよ。じっとしていて」

 ジョニーが静かにさせた。

「そんな……! お母さんの“落花流水剣スピーニングデッドリーソード”が破られるなんて」

 どんな敵でも必ず倒してきた必殺技だったのに。

 サレトスが、マグダレーナに耳打ちをする。

「あれは“燕返しターニングスワローソード”といい、飛んできた敵を打ち落とす、対空技です。“落花流水剣スピーニングデッドリーソード”は強力な技ですが、対空技の前では無力と、以外と弱点は多いのです」

「ふふん、“編笠シールドヘルム”よ、やるおるわ」

 マグダレーナが満足げに鼻を鳴らした。

 ナディーンが、立ち上がった。

 剣を杖代わりに、震える足を支えている。

 ナディーンの剣が白く煌めいた。星のような光が、刀身に走る。

「奴の持っている剣は、“星白の剣(スターライトソード)”です」

 サレトスが驚いた声を出した。

「あらゆる魔を断つという世界最強の武器か……。霊力の消費具合で強化する。そういえば、大昔に、こんな杖があったな。普段はただの杖だが、霊力を込めれば威力が向上する。支配者級マスタークラスであれば、地上最強の武器になるという」

「“理力の杖(フォースワンド)”ですね。ただ、霊力消費型の武器は、制御が難しいです。“星白の剣(スターライトソード)”は、どれだけ霊力を消耗するか、使用者には指定できません。一度振っただけで、すべての霊力と生命力を使い果たし、死んだ者がいます」

「ふむ、ナディーンにとっては賭けのような話だな。……あれほどの重傷だ。一度攻撃してしまえば、命が足らんて」

 マグダレーナの分析とは違い、ナディーンは、両脚を広く構え、剣を右肩に担いだ。

「むっ。あれは、“片翼スピーニング円舞カウンターソード”」

「知っているのか? サレトス。ナディーンは左肩が隙だらけだぞ?」

「わざと隙だらけにします。自分の左肩を攻撃させるのです。反撃で、敵の頭を叩き割ります。自分の半身が犠牲になりますが、その代わり、相手は確実に死にます。相打ち狙いの技です」

「……ある母鳥は、片方の翼が怪我をしたふりをして、自分の子どもを外敵の標的から外れさせるという。……まさに、“女詠剣ミンストレルソード”。女の剣だ。敵ながら、天晴あっぱれ」

 マグダレーナは、ナディーンの剣技に感心した。

 ナディーンと“編笠”は睨み合ったままだ。

 ナディーンも、“編笠”も、反撃カウンター狙いなのである。

 膠着状態が続くと、先に“編笠”は変身を解いた。

 ナディーンに背を向けて立ち去った。

「どうした?」

 マグダレーナが疑問を呈する。

「……これ以上の戦いは無益な話でござる。何度やっても拙者が勝ち申す。無駄に命を落とすまでもありません」

「戦え。戻れ」

「……くどい」

 カサハリがあぐらを掻いて、腕を組んだ。

 マグダレーナの命令を聞かない。カサハリは独自の美学を持っているのだ。

「ふん、カサハリは頑固だからな。あい分かった。ナディーン女王陛下。こちらは交代とさせていただく」

「卑怯だぞ。……一騎打ちを途中で放棄するのならば、我々の勝ちだ」

 変身を解いていたジョルガーーが抗議した。

「ならば片腕……! 次の奴は片腕だけで勝負してやる」

 マグダレーナが、指で合図を送る。

 後ろに控えていた青い頭巾が進み出た。

「なんだ、アイツは……!? めちゃくちゃ強いよ?」

と、ジョニーが呻いた。ナスティは胸を殴られたような気になった。

 あの青い頭巾は危険だ。“編笠シールドヘルム”カサハリよりも、遙かに強い。

 ナディーンが変身を解いて応えた。

「誰が出ても、私の勝ちは揺るがない。だが、約束を必ず守れ。私が勝っても負けても、子どもたちに手を出すな」

 ナディーンは憔悴しょうすいしていた。顔は青ざめ、顔全体には、しわができている。まるで、数秒間のやり取りで、老化したかのようだ。

「良かろう。子どもたちには手を出さん。約束しよう」

 マグダレーナが邪悪な笑みを浮かべた。罠に掛かった獲物を見るような目であった。

(約束を守る気はない、このひとは絶対、約束を守る気はない。駄目、お母さん。マグダレーナの意見に従っちゃ駄目……!)

 ナスティは、祈った。

「かまわん。早くしろ」

 ナディーンが苦しげに応えた。

星白の剣(スターライトソード)”に、霊力を吸い取られているのだ。さっきの“編笠シールドヘルム”の攻撃を食らい、長時間の戦闘は不可能と判断したのだった。

 いや、判断力そのものが落ちている。

「良かろう。では、史上最強の霊骸鎧をお見せしよう。……でよ!“脳喰らい(ブレインイーター)”!」

        2

 マグダレーナが勝ち誇った表情で、霊骸鎧の名前を呼んだ。

 青頭巾は、マントを突き破った。

 みるみる巨大化し、成人男性の二倍ほどの大きさになる。

脳喰らい(ブレインイーター)”は、法衣ローブを身につけた僧侶のようであった。 だが、頭部が普通の僧侶と違っている。

 蛸であった。

 顎部分から、蛸の触手が髭のように生えている。

 髭の隙間から、くちばしが飛び出てきた。

 嘴が開く。

(蛸なのに、霊骸鎧なのに、口があるの?)

 嘴から、煙が放出された。煙は空気に混ざる。

「臭ぇ……」

 敵の一人が、苦しげな声を出した。次々と鼻を押させた。

 血の臭いだ。

 魚の腐った、生臭い血……。

 ナスティは、咳を我慢した。

 マグダレーナに従う人間たちは、苦しんでいた。ジョルガーも、ガトスも、ヤジョカーヌの身体から煙が出て、“脳喰らい(ブレインイーター)”に集まっている。

 ジョニーも苦しげな表情をしている。

(ジョニー?)

(大丈夫だから……)

 ジョニーが強がった。ナスティよりも明らかに辛そうな表情をしている。

(皆の霊力を吸い取っている……?)

 どういう原理か分からないが、臭いを嗅いだ者から霊力を奪い取っている。

脳喰らい(ブレインイーター)”は唐突に、顎を上空に向けて、叫んだ。

 犬や狼の遠吠えを思わせる咆哮は、ドス黒くも重たい金属音が混ざっていて、この世界が終わりであるかのような絶望と怒りとなり、周囲に響き渡った。

 ナスティは、腹の奥底を押し潰されているかのような苦しみを受けた。

 聞いた者は皆、恐怖している。

 霊骸鎧を身につけている者たちは、耳を押さえている。生身よりも、聴覚が過敏になっているためだ。

 貝肉の霊落子スポーン、サレトスも耳を押さえている。どこに耳が付いているのか分からないが。

 咆哮が長く響く。

(霊骸鎧なのに、口から音を発するなんて……! こんな霊骸鎧、初めて見た!)

 ナスティは恐怖に震えた。

 抱きしめ合うジョニーから、優しい霊力を感じた。

 ナスティは安心感を得た。台風に巻き込まれて、安全な場所を見つけたかのようだ。

 咆哮が終わった。

「素晴らしい音色だ。ザムイッシュ……人類に対する怒り、憎悪、軽蔑、嫉妬……。すべてが詰まっている。最高の調和ハーモニーである」

 マグダレーナだけが、心地よい音楽を聞いているかのように、うっとりとしている。

脳喰らい(ブレインイーター)”は、何事もなかったかのように、動き出した。

 ナディーンを睨み付けて、ゆっくりと大股に歩き出す。

 ナディーンは、剣を横に振った。斬撃が光の軌道を残して、“脳喰らい(ブレインイーター)”の首をねる。

 頭を失った胴体は、音を立てて倒れた。

「やった……?」

 ナスティの呟きを、周りの人間が、どよめいてかき消した。

脳喰らい(ブレインイーター)”の胴体はしばらく動かなかった。

「おい、あれぇ……?」

 誰かが指摘すると、細い腕が、動きだした。

 人間の骨ほど細長い指が地面を這う。

 転がった頭部に手が届くまで、“脳喰らい(ブレインイーター)”の胴体は匍匐前進をした。

 自分の頭部をつかみ取り、自分の首に据え付ける。

 だが、なかなか接着しない。

 何度か試してみたが、面倒くさくなって、自分の頭を小脇に抱えた。

 蛸のような頭部から、憎悪に満ちた眼差しをナディーンに送っている。

 マグダレーナが勝ち誇った笑い方をした。

「ふふん、普通の霊骸鎧であれば、首を斬り落とされては生きてはいけまい。だが、“脳喰らい(ブレインイーター)”は“不死身”なのだ。行け、“脳喰らい(ブレインイーター)”。史上最強の霊骸鎧よ。お前の能力、“精神破壊マインドブラスト”を喰らわせてやるのだ」

脳喰らい(ブレインイーター)”は、右腕を突き出した。

 手のひらを眼前に突き立てられて、ナディーンは自分の頭を押さえ、苦しんだ。

 弾け飛ぶ音がした。

 ナディーンの“桜花騎士チェリードロッパー”から煙が出る。生身のナディーンが現れた。

 普段の、ナディーンではなかった。

 ナスティには、ナディーンがいつも限界で追い詰められたような表情をしている、と思っていた。

 だが、今は、すべての悩みから解放されたような表情をしている。

「なにこれ……? どうして私、ここはどこ……? 痛い……。あれ、怪我をしている」

 剣を見て、不思議がっている。

「ふふふ。ナディーンめ。もう私たちを忘れたな」

 マグダレーナが笑っている。

「貴方たちは、どなたですか? ……早く家に帰って、お夕飯の準備をしないと。急いでいるので、帰らせてください」

 ナディーンの様子がおかしい。声色も若く、まるで娘時代に戻ったかのようだ。

脳喰らい(ブレインイーター)”が、ナディーンに近づく。手を広げ、誘拐犯のような怪しい動きである。

(お母さん……? どうしたの? 逃げて、早く!)

 ナスティは心の中で願った。

脳喰らい(ブレインイーター)”の後ろから、大きな影が飛んできた。

円盤投げ(ディスカススロー)”のガトスである。

脳喰らい(ブレインイーター)”を羽交い締めにしようとしたが、“脳喰らい(ブレインイーター)”はまた“精神破壊マインドブラスト”を放った。

 ガトスは煙に包まれ、生身の姿に戻った。変身が解除されたのだ。

「何が起きているの?」

 ナスティの疑問をそのままに、ガトスが慌てて、変身をしよう、と印を組む。

 だが、何も起こらない。

 マグダレーナが笑った。

「残念だったな、蛮族の男。お前は、変身のやり方を永遠に忘れてしまったのだ。喰らった者の記憶を破壊する。……これが“脳喰らい(ブレインイーター)”の能力、“精神破壊マインドブラスト”なのだ! これぞ、私が研究を重ねて開発した最高傑作の霊骸鎧、“脳喰らい(ブレインイーター)”。究極の霊骸鎧……世界最凶にして、世界最恐の霊骸鎧なのだ」

 マグダレーナの高笑いが、森に響く。

 敵味方ともに、“脳喰らい(ブレインイーター)”の能力に驚愕した。

(お母さんも、ガトスも、記憶喪失になったの?)

脳喰らい(ブレインイーター)”の首から、骨が飛び出ている。自分の頭部を王冠のように、高々と持ち上げる。頭部の下部……首を飛び出た骨に、突き刺した。

 首を両手で左右から叩いたり、回したりして、調整している。

 首が据わらないまま、跳んだ。性格は大雑把なのだ。

 骨のように細長い両腕両脚が法衣から飛び出して、生身のガトスに飛びつき、絡みつく。

 ガトスが、野太い声で、悲鳴を上げた。太い筋肉質の腕で、“脳喰らい(ブレインイーター)”を引き剥がそうとするが、無意味であった。

脳喰らい(ブレインイーター)”の嘴が開いた。いや、嘴が裂けて、顔が横半分に開いた。

 ガトスの頭に食いつく。

 頭を包まれたガトスは、首から上が見えなかった。“脳喰らい(ブレインイーター)”の顔を叩いている。

 だが、骨や肉が噛み砕かれるような音がすると、糸の切れた人形のように、手足をだらしなく垂れ下がっていた。

脳喰らい(ブレインイーター)”が、ガトスを放り捨てた。ガトスの首はなかった。首を失った胴体から、止めどなく血が溢れ、吹き出す。

 ナスティは胃液が込み上げてきた。

 兄のような存在だったガトスが、あっけなく死んだ。一瞬で、ただの肉塊となった。

脳喰らい(ブレインイーター)”は満足げに月に向けて、身体を反らした。

 首から青い煙を出している。

 首の傷が修復していった。顔を左右、横にして、首を鳴らしている。

「“脳喰らい(ブレインイーター)”の能力は、“精神破壊マインドブラスト”だけではないぞ。お前らザムイッシュの脳を食らうのだ。脳を食らえば、力を取り戻し、さらに強くなる」

 マグダレーナが笑った。敵味方問わず、笑っている者はいなかった。全員が、この規格外の霊骸鎧に恐れていた。

「もはや霊骸鎧じゃねえ。霊骸鎧の姿をした、化け物じゃ……」

「一体だけで、どれくらい能力をもっているんだ……?」

 マグダレーナ配下の人間たちは口々に評価した。

脳喰らい(ブレインイーター)”に、“脱皮キャストオフ”ヤジョカーヌが飛びかかった。

 倍の身体もある相手に馬乗りになった。

 ヤジョカーヌは怒っていた。たとえどんなに力量差があろうと、ひるまない。

 何度も短刀を胸に突き立てた。

 ヤジョカーヌはガトスを愛していた。その相手を殺したとなると……。

「無駄な足掻きを……。“脳喰らい(ブレインイーター)”、“精神破壊マインドブラスト”だ」

 マグダレーナの命令を受けて、すぐに“脳喰らい(ブレインイーター)”は手を突きだした。ヤジョカーヌが脱皮して、逃げる。充分に距離をとった。

 だが、すぐに変身が解けた。生身の姿になり、足をもつらせて倒れる。

「そんな……! 離れていても、“精神破壊マインドブラスト”が通用するなんて……!」

 ナスティは苦しくなった。

精神破壊マインドブラスト”の有効範囲が広い……。

脳喰らい(ブレインイーター)”が、憎悪に満ちた赤い目を淫らに緩ませて、静かにヤジョカーヌに近づく。

「やだ……。やめて……」

 ヤジョカーヌが涙を溢れて懇願する。子どもに戻ったかのようである。

 ナスティは眼を閉じ、耳を塞いだ。

 つんざくほどの悲鳴が、森中に響き渡る。

        3

(逃げよう、逃げるんだ。姫……!)

 ジョニーがナスティを抱きしめ、小声で促す。

(でも、お母さんが……!))

 ナスティがナディーンを見た。ナディーンは子どものように、殺戮現場を見て慌てふためいている。

 ジョルガーが、ナディーンの前に立ち塞がった。

「おい、ジジイ。子どもたちを差し出せ。そうすれば命だけは助けてやる」

 マグダレーナが、ジョルガーに命令する。横柄な口調であった。

「子どもたちには手を出さないという約束であろう? なぜ差し出せと申すのだ?」

 変身を解いていたジョルガーが怒った。

「知ったことか。小うるさいジジイめ。……やれ」

 マグダレーナは口の片方を引きつらせて笑った。

 ジョルガーは“精神破壊マインドブラスト”を食らった。

脳喰らい(ブレインイーター)”が横を通って、ナディーンに近づいるのに、視線の焦点が合わない、呆けた表情で夜空を見上げている。

「ティーンさん……!助けて、ティーンさん」

 ナスティは祈った。

(お嬢ちゃん、かなりやべー奴に捕まったな。待っていろ、助けてやるから)

 ティーンの声が聞こえた。いつもと違い、動揺している。

「その声は、ティーン! 貴様、見ているな?」

 マグダレーナが天に向かって叫んだ。

「“聖母”。ティーンとは誰ですか?」

 サレトスが驚いた声を出す。

「うむ。サレトスよ。ティーンとは“異世界転生者アヴァタール”だ」

「“異世界転生者”ですって? “異世界転生者”は無双する……。“異世界転生者”に勝てる者は、この世にいません」

 サレトスが動揺した。

「ティーンさんって、“異世界転生者”だったんだ……!」

 ナスティは驚いた。“異世界転生者”の物語を聞いた記憶がある。無数の物語に登場し、絶対に負けた試しがない。

(やった、ティーンさんなら、マグダレーナに勝てる……! あの“脳喰らい(ブレインイーター)”にも……!)

 ナスティは安堵した。

 マグダレーナが印を組んだ。

 マグダレーナの顔が二つに割れた。中から触手が飛び出てきた。触手は硬質化し、木の根を逆さまにしたような形状になった。

「ティーン……奴と私は、何度も何度も異世界に生まれ変わり、気が遠くなるほど、戦いを繰り返してきた。ときには勝ち、ときには負けた。いわば、私と奴とは旧知の仲よ。だがな。サレトスよ。“異世界転生者”は、ティーンだけではないぞ……!」

 マグダレーナが、いや、マグダレーナの胴体部分が手を広げた。

 禍々しい風が、嵐のようにマグダレーナから吹き出してきた。

 焦るティーンの表情が、ナスティの脳裏に思い浮かんだ。

(まずい、マグダレーナに、おじさんの居場所が知られた。まもなく、マグダレーナの配下がこっちに来るだろう。……すまない、お嬢ちゃん。すべて、おじさんの力不足だ。おじさんが、損害を、最低限に抑えるから、早く逃げろ……なんとかして生き延びてくれ)

 ティーンの悲痛な言葉が、ナスティの頭に響く。

「今回の私は、これまでに何度も準備をしてきた。だが、今回の彼奴あやつは……無力な老人にすぎん。……ほれ」

 マグダレーナが印を組んだ。

 ナスティの指の中で、“祈りの指輪”が砕け散った。

 同時に、ティーンが呻く声が聞こえた。

 その代わり、映像が見えた。

 鼻から血を出して、倒れているティーンであった。

 マグダレーナが、ティーンを見下し、笑っている。不倶戴天の敵を圧倒した自分の強さに酔いしれているのだ。

「ティーンさんが負けた……? ティーンさん、あなたは最高の人物じゃなかったの? “異世界転生者”なんでしょ……? マグダレーナには敵わないの……?」

 ナスティの悲痛な叫びに、ティーンからの応答は、なかった。

 マグダレーナが人間の顔に戻っていた。長年の宿敵ライバルを打ち破って、小躍りをして喜んでいる。

「おい、“脳喰らい(ブレインイーター)”。ナディーンの精神を徹底的に破壊しろ。けだもの並みの知能にするのだ。生きたまま、知能のない愛玩動物ペットとして飼ってやる」

 だが、ジョルガーが歩み出た。

脳喰らい(ブレインイーター)”の腕を掴んだ。

 朦朧もうろうとした表情であったが、掴む力は強い。

「ほほう。ナディーンを忘れても、ナディーンを守る気持ちは忘れていなかったか。おい、ジョルガー。その女の名前を覚えているか?」

「……知らない」

 ジョルガーが空虚な視線でナディーンを見ている。

 ナディーンもジョルガーが誰か分からない素振りを見せている。

「知りたいか?」

 マグダレーナがおどけた声を出す。

 ジョルガーの呆けた顔が、急に真剣な表情になった。生き血の通った、いつものジョルガーである。

「ならば、教えてやる。その女の名前はナディーンだ」

「ナディーン……!」

 ジョルガーの呆けた顔に、血色が戻ってきた。

「思い出しましたぞ、女王陛下! ジョルガーは、ここにおります……ぐふっ」

 ジョルガーは、口から赤い塊を吐いた。

「なんだと……? なんだこれは?」

 ジョルガーは口を拭った。目から涙を流している。涙は赤く、血そのものであった。

 鼻と耳から、血がが噴水のように出てくる。

 ジョルガーは、顔面のあらゆる場所から血を噴き、前のめりに倒れた。

「ジョルガー爺?」

 優しかったジョルガーが死んだ。いや、ガトスも、ヤジョカーヌも、あっけなく死んだ。もう三人と思い出を作る機会が亡くなったのだ。

 ナスティは、泣けなかった。泣くよりも、恐怖が勝っていた。

 マグダレーナが高らかに笑った。

「サレトスよ。“脳喰らい(ブレインイーター)”の“精神破壊マインドブラスト”は、究極にして最強の攻撃方法だ。相手の記憶そのものを破壊してしまうからな。だが、弱点がある。何か分かるか?」

「……周りの者に教わったら、記憶喪失が治るのでしょうか?」

「そうだ。周りの奴らは覚えていては、記憶喪失など無意味なのだ。だが、“脳喰らい(ブレインイーター)”の“精神破壊マインドブラスト”には“返し”がある。“死の覚え書(デスノート)”が設定されている」

「“死の覚え書”?」

「“精神破壊マインドブラスト”を喰らい、“死の覚え書(デスノート)”を自ら口に出した者は、血を吹き出して死ぬ。“精神破壊マインドブラスト”が発生すると同時に、特定の言葉を設定できる」

「さきほどのジョルガーにとって、“ナディーン”は大切な言葉だったので、その言葉を吐いたジョルガーは死んだのですね」

 サレトスは納得した口調で応えた。

(そんな! ジョルガーにとって一番大切なお母さんが、死を呼ぶ言葉になるなんて! 残酷すぎるよ)

 ナスティはマグダレーナと“脳喰らい(ブレインイーター)”の残酷さに恐怖した。……人を人間を、まるでゴミのように扱っているのだ。

「おら、降りてこい。いるのは分かっているんだぞ?」

 マグダレーナがナスティたちに声を掛けた。

「……降りてこなければ、お前の母親はますます記憶を失うぞ? もっとも、今では廃人だがな」

脳喰らい(ブレインイーター)”がナディーンに“精神破壊マインドブラスト”を向けた。

 ナディーンは、動物のような悲鳴をあげた。死にかけている昆虫のように、背中を地面につけ、手足を地面に叩きつけて転げ回った。

「痛かろう、辛かろう。記憶を失うのだからな、頭を金槌ハンマーで殴られるような痛みだ」

 マグダレーナが笑う。

「逃げよう、姫」

 ジョニーが手を引っ張る。

「だめ、お母さんを見捨てられない」

「もう無理だ。俺たちでは助けられないよ……!」

「だって……!」

 ナスティは、ジョニーの手を振り払った。

 ポコチーの籠を落とした。地面にぶつかって、木製の籠は砕けた。

 中からポコチーが力なく、震える前足を出して、這い出てきた。

「ぽこちー、逃げて」

 ナスティが叫ぶ。ポコチーは片足を引きずって、茂みの中に逃げ込んだ。

「はは、猫なんぞどうでもいい。子どもを狙え。女のガキだ。生け捕りにしろ。男のガキは殺しても構わん」

 マグダレーナが笑いながら、周りに命令をする。

脳喰らい(ブレインイーター)”が、片手をナスティとジョニーに向けた。

だが、ナディーンが“脳喰らい(ブレインイーター)”の脚にしがみついた。

 動物のようなうめき声を出している。恫喝するような、威嚇するような声である。

 言葉すらなかった。

 人間性すら失ってしまったのである。

 だが、ナディーンは髪と髪の隙間から、ナスティを見た。

 悲痛ながらも、愛情のある視線だった。

「逃げて」

 目が感情を表現するのなら、ナスティにはそう聞こえた。

「逃げよう、姫! とにかくここから離れるんだ」

 ジョニーに腕を引っ張られる

 ジョニーは木の枝と枝の間を飛んだ。隣の木に移った

「ほら、早く」

 ジョニーが催促する。

「さあ、鬼ごっこの始まりだ」

と、マグダレーナが笑った。

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