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罪人

        1

 宿に戻った。

 部屋の中で、ナディーンは腕を組み、怒りに顔を歪ませながら、ナスティとジョニーを見下ろしている。

 隣で、ジョルガーが申し訳なさそうな顔をしている。

「何をしていたって、その……」

 ナスティは言葉を詰まらせた。

 自分が罪人になったような気分である。

 だが、ナディーンは受け入れる様子もない。

「姫、貴女はシグレナスに行って、マークカス王子と結婚するのよ。どうして嫁入り前の子が、奴隷の子どもと仲良くする理由があるの?」

「……だって、ジョニーが好きなんだもの」

 ナスティは呟いた。

 嘘偽りのない、本当の気持ちである。

「好きとか関係ない。姫、姫は結婚をするの。マークカス王子とね……」

「……マークカス王子は好きじゃない。結婚なんて、したくない。顔も知らないし」

「結婚に好きも嫌いもないの。家と家が決めた話です。個人の好き嫌いは関係ない」

「ボクはジョニーが好き。どうしてジョニーを好きになっちゃいけないの?」

「……好きになってはいけない子だからよ」

 好きになってはいけない……。

 ナスティの中で、自分の内側から崩れた気がした。

「この子は、セイシュリアに置いていきます。……もう、連れて行けません」

 ナディーンは冷たい口調で命令した。

「お母さん、お願い。ジョニーを置いていかないで。連れて行って」

「いい加減にしなさい。この子のせいで、姫が結婚ができなくなったら、どうするの? 私たちには、帰る家もないのよ」

 ナディーンは声を張り上げた。

(どうして、お母さんは、いつもいつもボクの邪魔ばかりするんだろう? ……ティーンさん、お願い。どうにかして)

 ティーンからもらった“祈りの指輪(リング・オブ・プレイ)”を懐から出す。 ティーンの顔を思い浮かべて、祈った。

 沈黙が訪れた。

 ジョニーが立ち上がり、頭を下げた。

「姫のお母さん……。俺、姫が好きです。……いつかは結婚をしたいと思っています」

 ジョニーは、堂々としている。恐怖を感じない。

(どうしてこんなに堂々としているんだろう)

 ナスティは、嬉しさの余り、涙が溢れた。

 ナディーンは、ジョニーの迫力に気圧された。

 動揺した両眼で、ジョニーを見ている。

 だが、すぐに冷たく、厳しい口調で自分の感情を押し殺した。敵を見るかのような視線である。

「……貴様に何ができる? 姫を養う金があるのか?」

「……それは、働きます。頑張ります。どんな仕事でもやります」

「姫だけではない。我々の生活も、どうする気だ? 貴様はすべてをぶち壊しにするのか? 本当に愛しているのなら、責任を取れるか? 結婚とは、相手の人生に関わる話だ。子どもの遊びとは違うのだぞ?」

 ナディーンがジョニーに詰め寄る。

「本当に愛しているんです」

 だが、ジョニーは一歩も退かなかった。

「知ったことか」

 ナスティはジョニーの言葉一つ一つが嬉しかった。

 心が洗われるようだ。晴れ渡っていく気分になる。

「ジョルガー、鞭を持て」

 ナディーンが、ジョルガーに手を突きだした。

「ガトス、此奴こやつを取り押さえろ」

「何をするの? お母さん?」

「ヤジョカーヌ、姫をこの部屋から連れ出して」

「姫様……」

 ヤジョカーヌが手を引いて、ナスティは部屋の外に出そうとする。

(お母さんだって、ジョルガーと仲いいじゃん。知っているんだから。どうしてボクだけダメなの?)

 ナスティは、悔し涙を浮かべた。ヤジョカーヌの腕力に抵抗した。

(お嬢ちゃん。やらかしてしまったな)

 疲れた声が聞こえる。ティーン老人の声である。

 ナスティは周りを見渡した。ティーンはいない。

(ティーンさん? ……ボクに直接、語りかけているのね。どうしよう。ボクのせいで、ジョニーが鞭を打たれちゃう)

(やっちまったな。今回は、お前さんのヘマだ。嫁入り前なのに、他の男とチュッチュしてりゃあ、そりゃあ母ちゃんも怒るよ。とりま、あれだ、リア充爆発しろ)

 ティーンにすべてを見られている、とナスティは気づき、顔が熱くなった。

 個人情報が漏れているのだ。

(えーん。ボク、もう結婚とか姫とか嫌になってきた。もうどうでもいいよ。……ジョニーと二人だけで暮らせないかな)

(……無理だ。子ども二人だけでは生きていける世界じゃねえ。世知辛い世間だよ)

(そうだよね……。子どもでいる間は、お母さんたちに従わないといけない。厳しいけど、これが現実だよね)

(とりあえず、母ちゃんの機嫌を直さねえとな)

(どうすれば良いの?)

(お前さんは、母ちゃんに愛している、と思え。念じろ。後は、おじさんがなんとかするから)

(愛情を示せ? 愛しているとか好きとか、お母さんに伝えれば良いの? 意味が分からない)

(お母さん、愛している、愛しているって……)

(気持ち悪いなぁ。やだなぁ。……ティーンさんて、宇宙からやってきた人みたい)

(良いからやれ。お前さん、散々、ジョニーに伝えてやっただろう? 同じ感じでやるんだよ。リア充だからそれくらいできるだろう? 早くしねえと、ジョニーが鞭でキズモノになっちまうぞ)

 ナスティは指輪に向かって、祈った。

 覚悟を決めるしかない。

(お母さん、愛している、お母さん、愛している……。こんなんでいいのかなぁ?)

  ジョルガーの声が聞こえる。

「女王陛下、所詮は子どもの遊びでございます。私に免じて、許してやってはいただけませんか?」

ナスティは目を開いた。ジョニーはまだ鞭を打たれていない。

(ティーンさんとお話をしている間、時間が止まっていたの?)

 緊張した空気が、ほどけた気がする。

「ジョルガー。いつも貴様が甘やかしているから、姫の我がままは、治らぬのだ」

「では、こうしては? 姫とジョニーを引き離しましょう。婚礼の日まで、二人だけの行動をさせなければ良いのです。ジョニーは、私どもで見張ります。もし、また問題を起こしたのなら、そのときに鞭打ちをするのです」

「……ぬるい。ジョルガー。今すぐこんな田舎くさい孤島に置いておけば良いのだ」

 ナディーンは吐き捨てるように応えた。

 田舎くさい……。

 ナスティは、ナディーンの発言が引っかかった。

 セイシュリアは、自分たちの故郷よりも遙かに栄えている。

(お母さんは、セイシュリアが嫌いになった? 晩餐会で何かあったのかな?)

 母親ナディーンが、晩餐会の席で、孤独に過ごしている映像が見えた。

 周りに打ち解けず、料理の盛られた皿と見つめ合っている。

 急に金持ちの世界に飛び込んで、田舎での貧乏暮らしを恥じているのだ。

 同行者のジガージャが、他の招待客と話に熱中して、ナディーンにまで気を遣う余力がなかった。

(え、八つ当たり? 酷い……)

 ナスティは腹が立った。だが、母親ナディーンの無念さも理解できた。セイシュリアでは、アジュリー家など無名である。 

 誰にも相手にされない、没落した王家なのだ。

 真っ当な王家として他者に相手にしてもらうためには、ナスティが結婚して、マークカス王家として復興する。

 唯一の解決策なのであった。

 母親の気持ちは分からなくもない。

 むしろ、ナスティは母親に同情していた。

(でも、でも……!)

 ナスティの希望は、母親の期待とは反対に位置していたのである。

「女王陛下。姫もいずれ大人になります。子どもの頃にやった恋愛の真似事など、すぐに忘れてしまいますでしょう。今の姫にとっても、女王陛下にとっても、お辛いかもしれませんが、ここは時間が解決してくれるまで待ちましょう」

 ジョルガーの発言に、ナスティは感心した。

 大人の考えである。

(でも、マークカス王子とは結婚しないかな)

 ナスティに不思議と実感が湧いてきた。

(うん、しないと思う) 

 マークカス王子とは結婚しない。そう考えるだけで、心の中が暖かくなった。

 つまらない見栄など捨てて、みんなで働けば、生活はできる。王家再興など、してもしなくても良いし、マークカス王子と結婚しなくても、幸せになれる。

「わかった。では、今後、ジョニーは姫に近づくな。もし近づいたら、その場に置いていく」

 ナディーンが、ジョニーに命令をした。怒りを押し殺した声であった。

「分かりました……」

 ジョニーがうなづいた。

 ジョニーはナスティに目配せをしている。ナディーンには神妙な表情を見せているのに、ナスティには違う表情を見せているのだ。

(ジョニー……)

 解散して、それぞれが寝台で眠りに入った。

 いつも母親から大事な者を取り上げられていた気がする。そんな夜は、いつも泣いていた。 だが、今回は、不思議と泣かなかった。

(待っていよう。ジョルガーじゃないけど、時間が解決してくれそうだよ)

 ポコチーが来なかった。寒い日は必ず来るのに。

        2

 次の日になった。

 無言に宿を出て、港を目指す。

 朝早くから、セイシュリアの地下海港から、多くの船が出航していた。

 ナスティとジョニーの間には、ヤジョカーヌとガトスが立っていた。意図的に遠ざけられている。

 ナスティは、ジョニーに目配せをした。

 ジョニーは笑顔で返した。

(えへへへ……)

 ナスティは俯いて、笑いをごまかした。何も心配する要素がない。

 船は静まりかえっていた。

(牢獄みたい……)

 ジガージャも、ナドゥも、何かを感じ取ったようだ。ナスティたちの普段とは違う雰囲気を前に、話しかけてこない。

 ポコチーは、籠から出てこようとはしない。

 餌を一口二口食べて、籠に戻る。

 二日ほど経過した。

 ジョニーとは会話をしていない。

 だが、遠く目が合うと、お互い笑顔を見せた。

 ナスティには充分だった。 

 船は暗くなった海を突き進んでいる。

 船乗りたちが一斉に騒いでいる。歓喜の声だ。

 ナスティは、目を覚ました。

 船旅の最終目的地、港町バスティアンに到着したのだ。

「ありがとう、ジガージャ。このご恩は忘れません」

「こちらこそ。ナディーン女王陛下」

 ナディーンとジガージャは強く手を取り合った。

 ナスティは白い肌のナドゥと軽く抱き合った。ナドゥは女の子みたいで、異性とは思えない。

「ナドゥ。またね。もう二度と会えない気する。タダラスも……」

「そうかな、僕は何度も会えそうな気がする。僕は、いつでもサルドバサールにいますよ、お姫様」

 ナドゥが笑顔を見せた。

 商品の搬出をしているジガージャたちに手を振って、別れを惜しんだ。

 港町バスティアンを出た。

 朝なのに、シグレナスは肌寒い。

 シグレナスの人間たちは厚着をしていた。

 シグレナスは、ヴェルザンディと違って、冬の季節がある。

 ナスティは、ナディーンに上着を着せられた。あらかじめ、港町の店で買っていたのだ。

 馬車に乗った。

 経済的に余裕がある。

 ナスティは、窓から顔を出して、外を見た。

 ヴェルザンディと違い、緑色の山脈が見える。木々が豊かで、優しげな風の音を鳴らしていた。

 山々の冠は、白い。

「あれって、雪だよね。雪とか見れるといいなあ。シグレナスにも雪が降るんだよね」

 街道の両脇に、支柱があった。

 支柱は、橋を支えていた。空中に架かる橋である。

「ジョルガー、あの橋は何?」

 ナスティは、馬車から顔を出して、馬車の外を歩いているジョルガーに訊いた。

「あれは、水道橋です。シグレナスは、山間から水を引き、それぞれの都市に配分するのです」

「水が豊かなんだね、シグレナスって。しかも、技術まで最新なんだ」

 ナスティは驚かされた。

 ヴェルザンディにはない学びがある。

 街道には直方体に削り取られた岩が規則正しく、敷き詰められていた。

 道の端に、岩を削って作られた、人工のわだちがあった。馬車は、人工の轍に車輪を引っかけて、進んでいる。

「ヴェルザンディとは違う……」

 舗装されていない道を思い返した。

 砂や土に濫造された轍ができて、馬車や荷車は、いつも車輪を絡め取られていた。

「シグレナスの街道って、歩行者だけでなく、馬車のためにもあるんだね」

 ナスティは異国の知恵に、感心した。

 だが、ナスティには浮かなかった。

(ジョニーと全然お話ししていないよう。嫌われていたら、どうしよう?)

 セイシュリアで獲得した安心感は消え失せていた。見慣れない土地に、結婚を目前に控え、ナスティの不安は、日増しに大きくなっていた。

 馬車の外で、ジョニーがつまらなそうに歩いている。

 視線を合わせてくれない。

(遠くから見ても、ラブラブ作戦だ。わーん、ジョニー見て見てぇ)

 ジョニーがナスティの視線に気づき、目を合わせる。

 すかさず、ナスティは笑顔を見せた。

 だが、目を逸らされた。

(あ、ジョニーの奴、ボクが合図を送ったのに無視した。ティーンさん、助けて……)

 指輪に祈っても、反応がない。

(ティーンさん、薄情だ)

 ジョニーが手を振っている。

 ナスティは腹が立った。

(ジョニーの馬鹿。みんなが見ているときに手なんて振っちゃダメだよ。ボクも手を振り返せないじゃないか)

 ナスティは視線を逸らした。ジョニーが悲しげな横顔を見せた。

(ふーんだ、さっきボクが仕掛けたのに、無視したくせに……! それに、それに……)

 頬を膨らませた。

(ボクたち、急速に仲が悪くなっている……?)

 ナスティは不安になった。

        3

 街道を挟んで、宿屋が並ぶ街に入った。

 馬車から下ろされた。

 御者が無人の馬車を馬小屋に収納している。金を払っても、駅ごとにしか運んでくれないのだ。

「今日は、ここで宿を探すわよ」

 夕焼けだというのに、人通りが少ない。

 寒い風が吹いた。

「ぽこぉ……」

 籠の中から、ポコチーの弱々しい鳴き声が聞こえた。

「ぽこちー、大丈夫?」

 ナスティが籠のポコチーをのぞき込んだ。

 ポコチーは、元気がない。

「ポコチー、病気なのかな?」

 ナスティたちは一軒の宿屋に入った。

「宿が取れない?」

 ジョルガーが驚いた。

「申し訳ございません。今夜は、満室でして」

 店長が、脂ぎった額の汗をぬぐって応えた。

「そんなはずがないだろう。客数が少ないように見えるが?」

 ナディーンは室内を見回して、反論した。

 宿は二階建てで、個室は二階にあり、一階は、食堂となっている。

 食堂は、空席ばかりだった。

 目に付いた客と言えば、親子連れが一組、身体の細い老人くらいである。

 静かにスープをすすっている。

「それがですね、団体様が、深夜遅くに来るってんで、いつでも泊まれるようにしたいって、全室を予約をしたんです。来れても来れなくても、料金の二倍を支払うって、仰っていましたから」

「ならば、我らは、その上に金額を乗せて、お支払いしよう」

 ナディーンが強気に出た。

「それがですね、もしも上乗せをしてくるお客がでてきたらですね、三倍にするって。もう二倍の料金は頂いとるんですよ」

「……奇特な客であるな」

 ナディーンが苦々しげな表情を見せた。

 なすすべなく、ナスティたちは宿から出て行った。

「今日は、泊まれないの?」

 ナスティは、嫌な想像をした。

 寒空で天幕を張り、野宿する様子である。

「この宿だけよ。宿場町なんだから、全体が宿屋なの」

 ナディーンが応えた。街道は、宿屋で埋め尽くされている。

 次の宿に当たった。

「泊まれないの?」

 同じように満室だった。いや、客の数自体は少なかったが、先客に取り押さえられているのである。

 ナディーンたちは、不穏さを感じ取った。手分けをして、宿を回ったが、どれも反応は同じだった。

「すべての部屋を買い占められているのか?」

「そんな馬鹿な話があるのですか?」

 最後の宿を断られ、ナディーンとジョルガーが顔を見合わせた。

「あの……。そのお客さんが来るまで、ここにいさせてください」

 と、ジョニーが宿の主人に話しかける。

「余計な口を挟むな」

 ナディーンが厳しく吐き捨てた。母親ナディーンにとって、ジョニーは憎たらしい存在なのだ。

「……そのお客さん、来ないと思いますよ。俺たちの妨害でなければ」

 ジョニーが応えた。落ち着いた口調である。

 ナスティは、ジョニーが大人に見えた。

 なにより、ジョニーの意見が正しく感じた。

「お母さん。ジョニーが正しいと思う。……本当にお客さんが来たら、ボクたちは出て行けばいい。食堂でも寝泊まりはできるはず」

 ナスティは、ジョニーの直感に驚きながらも、ジョニーの意見に賛成した。

 露骨なほど、ナスティたちに部屋を渡したくない何者かがいる……気がしてきた。

「誰が、私たちの邪魔をするの? 変な想像はしていないで、次の街を目指しましょう。日暮れまで、まだ時間があります」

 宿を出る。

「もう夜になりますよ。どこも引き受けてくれませんよ」

 御者を呼んだが、馬車を断られた。

「次の駅まで歩いて行きましょう」

 ナディーンの提案に、ナスティはポコチーの籠を抱えて、渋々歩き出した。

 ガトスが大きな荷物を抱えている。馬車がないので、持ち歩くしかない。

 ジョニーもガトスの手伝いをして、自分の身体よりも大きい荷物を背負っていた。

 寒い風が、ナスティたちを鞭打った。

 年中暑いヴェルザンディとは、環境が違いすぎる。

「ぽこちー、もうちょっと待ってね。すぐに暖かいお部屋を用意するよ?」

 籠の中のポコチーが何も返事をしない。

 空虚な表情で力なく項垂れている。

 急に、ポコチーは、吐いた。

 籠の中が汚物で汚れる。

「どうしよう、ぽこちーって病気なんじゃ……?」

 ナスティは籠を開いて、布で汚物を拭き取った。

 慣れない船旅に、寒いシグレナスである。急激な環境の変化に、ポコチーが対応できていないのだ。

「ねえ、お母さん、引き返そう。ぽこちー、お病気みたい。ジョニーの言う通りだよ。宿で一休みさせてもらおう?」

 ナスティは、ポコチーの籠を身体で覆って、寒い風から守った。

「歩きます」

 ナディーンはナスティの提案を無視した。

(ダメだ、お母さんは、一度おへそを曲げちゃうと、もう何も聞かなくなるんだった)

 シグレナスの街道は、森の中に向かっていった。

 森の中央を切り開いて、敷設された道路だ。

 森の中に入る。左右は木々が密集し、視界は暗くなった。鳥の鳴き声や、獣の遠吠えが聞こえる。

 ガトスやジョルガーが松明に火を点ける。火を起こす音が、たった一つだけの希望のようだ。

 周りには、人の姿が見えない。

(ダメだ。多分、ここは現地の人なら、夜に踏み入れない場所なんだ)

 ナスティは、暗い森の不気味さに飲み込まれていった。

 母親ナディーンは無言で歩いている。

 意見を述べる者はいない。ただ、誰もがナディーンに盲従していた。

「あれ……?」

 ナスティは、まがまがしい空気を感じ取った。

 安全地帯と、危険地帯を隔てる、境界線を踏み越えたような感覚だ。

 森そのものが、恐怖の対象ではない。

 森の中に、邪悪なる存在が潜んでいるのだ。

 存在する領域に、ナスティたちは、足を踏み入れた。

 何者かがナスティたちを狙っている。

 獲物を狙う、肉食動物……ではない。もっと危険な存在である。

(お母さん……)

 ナスティは、ナディーンの背中から、異様さを感じ取った。

 まるで、自分の意思がない、操り人形のようだ。

 普段の慎重さを感じられない。

 何かに取り憑かれたかのように、一人で先頭を切って歩いている。

「お母さん、これ以上、先に行ってはダメ。安全な場所まで引き返して、野宿をしよう」

 冷たい風が吹く。

 ナディーンが立ち止まった。

 頭巾フードをかぶった者たちが、森の陰から現れた。

        4

 ゆらめく影のように、実体のない存在であるかのように。

 全身から醸し出す得体の知れなさに、友好的な存在には見えなかった。

「……貴様たち、何者だ?」

 ナディーンが、質問をした。

「アジュリー家のナディーン女王陛下。お初にお目に掛かります。……私は、マグダレーナ。アポストルたちからは、“聖母”と呼ばれていますの」

と、頭巾の一人が進み出る。

 マグダレーナが頭巾を外すと、顔がなかった。

 代わりに、蛸か烏賊か、軟体動物を思わせる触手があった。

霊落子スポーンか……。穢らわしい奴め」

 月明かりに照らされると、マグダレーナの頭部は、木の根のように硬質化した。

 質量が縮み、徐々に、人間の形を成していく。

 人間の女になった。

 銀色に輝く髪を靡かせ、扇情的な眼差しを送ってくる。

 銀髪を、ナスティは生まれて初めて見た。ヴェルザンディでは見かけない、珍しい髪色である。

 神々しさと、説明のできない恐怖が、喉の奥から込み上げてくる。

霊落子スポーン……? 酷いわ。うふふ、天使アポストルとお呼びください。私たちは、神の御遣みつかい。神の御意志を伝えに、地上に遣わされた者たち」

 マグダレーナは芝居のような仕草で、両腕を広げ、その場に一回転した。

 笑いながら、ナディーンに近づく。

 ナスティの全身から、汗が噴き出てきた。

 汗は冷たく、寒空のもとでは、さらに寒く感じた。

「お母さん、ダメ、この人、怖いよ。逃げようよ……」

 ナスティはナディーンのすそを掴む。

 マグダレーナは、ナディーンに危害を加える気だ。

 だが、ナディーンは聞き入れてくれない。

 自分の内臓が低温で、じわじわと炙られているような、拷問を受けているような感じである。

(このひとは、危険すぎるよ……!)

 ナスティの直感は、そう伝えた。

「して、天使アポストルのマグダレーナよ。なんの用だ?」

 ナディーンは女王としての威厳を保ったまま、問い詰めた。

「……今回の婚姻……王女陛下とマークカス王子との婚姻ですが、取りやめにしていただきたいのです。この地は、そちら様にとって、無用の大地でございます。アジュリー家の女王陛下」

「どこで聞いたかは知らないが、婚姻の話は、当方の問題である。そなたらには関係のない話だ。……道を空けなさい」

 ナディーンは堂々とした態度を崩さない。

(どうしてこの人は邪魔をするの?)

 ナスティには、マグダレーナの行動原理が理解できなかった。

 だが、マグダレーナは笑い出した。

 長い笑いが続く。

 急に怒気に変わった。

「どくものか! ……この恥知らず! いくら名前を変えようと、お前らの祖先が重ねてきた罪と罰はなくならないのだ。罪人どもめ、どうしておめおめと、この地に戻ってきたのか?」

「……私たちは罪人ではない。貴様らに指図されるわれはない。私たちは、アジュリー家。……王家の者だ。どきなさい」

「これほど丁寧に伝えたのに、どうして今更、王家を名乗る? それに、何が霊落子スポーンだ。我々からしてみれば、お前らは、ただの猿だ。猿に譲る道などあるか。笑わせるな」

 ナディーンとマグダレーナがお互いを一歩も退かない。

「ならば、無理をしてでも押し通るまで。マグなんたらよ」

「よかろう、その愚考、後悔するが良い。お前らの見苦しい死体を、この森に晒してやる。我らが神、インザルギーンの供物……ザムイッシュになるのだ。有り難く思え」

 マグダレーナが背後に合図をした。

 控えている頭巾の集団が、次々と霊骸鎧に変身していく。

(罪人……? どうしてボクたちに襲いかかってくるの?)

 ナスティの困惑を無視して、戦闘が始まった。

「貴様らは何者なのだ? どうして我らを襲う?」

 ナディーンは激高した。だが、身の危険から、自分や自分たちを守る必要がある。

 霊骸鎧“桜花騎士チェリードロッパー”に変身した。素早い動きで、ナスティとジョニーを抱き抱えた。

 木の上に運び、ナディーンは手で合図をした。

(ここにいろ)

 相変わらず高い位置に放置してくれる。

 ナスティは、ポコチーの籠を、腹で抱えて支えた。ナスティはジョニーを抱き寄せた。

 ジョニーと抱き合う。

「別にジョニーが好きで抱きしめ合っているわけじゃないんだから……」

 ナスティは言い訳をした。

 ヤジョカーヌが“脱皮キャストオフ”となった。

 攻撃をすべて脱皮で回避していった。

 ガトスが“円盤投げ(ディスカススロー)”となって、円盤を投げつける。

 ガトスが倒せなかった相手を、ショック・ジョルガー“暗黒天ダークスカイ”が“暗黒物質ブラックホール”を足下につくり、敵の足を削っていった。

 ナディーンが指を指し、指示をしている。

 ナディーンたち四体の霊骸鎧に対して、マグダレーナは倍以上の数を送り出している。

 だが、マグダレーナの霊骸鎧たちが仕掛け、ナディーンたちがはね除けている。

 戦況は、優位であった。

 マグダレーナを見る。

 マグダレーナの周りには、頭巾をかぶった者が三人いる。

(あの人たち、何を話しているのだろう?)

 ナスティは、興味が出てきた。

 眼を閉じて、へその奥にある光を感じた。光が集まってくる。

 ナスティは一瞬にして、マグダレーナの隣に立っていた。

 いや、肉体は持っていない。

 ナスティの意識だけが移動しているのだ。

「どうして、我々の霊骸鎧が苦戦しているのだ?」

 マグダレーナが解せない表情で、不満の声を出した。

「ヴェルザンディでは、霊骸鎧の性能が、シグレナスよりも強固なのです」

と、頭巾の一人が応えた。

 頭巾は桃色に染め上げられていた。

「何故だ? 何故、ヴェルザンディが強いのだ?」

「霊骸鎧は変身する者の願望が形になっているのです。ヴェルザンディは、シグレナスよりも環境が過酷なのです。その過酷さに耐え抜く願望が、霊骸鎧の強さとなっているのです」

「ふん。シグレナスのザムイッシュどもは軟弱なのだな。……どうすれば勝てる? サレトスよ」

 マグダレーナが問いかける。

「一騎打ちを申し込みましょう。我らの中から剣の達人を選び出し、ナディーンを倒すのです」

 サレトスは、桃色の頭巾を自ら外した。

 すると、貝の中身を思わせる頭部が現れた。

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