舞踏大会
1
船が、穏やかな波を切り進む。
はるか向こうに、豆粒ほどの黒い影が見えた。
近づくになるにつれ、豆粒は次第に、切り立った大きな岩と姿を変えていく。
さらに近づくと、大きな岩は、見上げるほど巨大で、いつしか、船を飲み込むほどの大きい島となった。
自分たちの船こそ、豆粒だったのだと気づかされた。
「あれがセイシェル島……」
ジョニーが呟いた。
どの方向から見ても、断崖絶壁の孤島である。
孤島とはいえ、島の頭部には、見張りの尖塔や高い城壁、複雑な構造をした階段を冠していた。
要塞都市セイシュリアである。
自分たち以外にも、船があった。
単体の船もあれば、船団を組んだ複数の船もある。
どの船もが、一カ所を目指して集まっている。
崖の一部に、巨大な穴が開いていた。穴は、人工的な直方形をしている。
ナスティたちの船が、穴の中に入る。
自分たちの船が複数、並んでも、渋滞にはならないほど、幅が広かった。
内側は、地下水路になっていた。
人為的に岩を削り、トンネルが掘られている。数多くの労働力が費やされた、と嫌でも想像させられた。
地下水路の両脇には、石造りの渡し場があった。渡し場には数多くの船が停泊し、商人や船乗りたちが、ひっきりなしに行き交っている。
「すげえだか……。これなら、魚を釣り放題だか……!」
タダラスが、感嘆した。魚釣り奴隷にとって、最高の職場環境である。
隣のナドゥは平然としていた。父親ジガージャの付き添いで、何度もセイシュリアに来ているからだ。
「この地下海港の他にも、セイシェル島には、隠し港がいくつもあるらしいですよ。戦争になったら、そこから軍艦が出てくるのだとか」
「すごいだか、すごいだか。秘密基地みたいだか」
タダラスが興奮している。アギも興味を示している。
秘密基地、という言葉に、少年を引きつける力があるのだ。
ジョニーは、周囲を見渡していた。
セイシュリアの建築技術に心を打たれているのである。
だが、ナスティは、別方向の思考に浸っていた。
(男の子って、こういう大きい建物とかに憧れるんだよね。ああ、ジョニー。キミはなんて可愛いんだぁ……。ジョニー、ジョニー)
ナスティは、“銀魚湾”でジョニーと二人っきりになった時間ばかりを思い返していた。
「姫、どうしたの? 涎で出てるわよ。レディーたる者が、はしたない」
母親のナディーンに叱られた。
「はうわわ……! 涎なんて、たいした話じゃないよ」
ナスティは、涎を拭いた。はしたなさを遙かに越えた行為を想像していたのである。
涎を垂らすなど、さほど問題がない。
「姫、これから結婚する人がそんな……!」
ナディーンが、叱責した。
だが、ナスティの感情は鈍くなっていた。
本来では、母親の怒りが、耳を塞ぐほど嫌いだったが、夢の世界で聞いているかのようであった。
(結婚……! そうだった。ボクは結婚するんだった! ジョニーと結婚するんだ。結婚すれば、ジョニーとチュウし放題……! ひゃあ)
両頬を押さえ、恥ずかしさのあまり、身悶えした。
「ねえ、聞いているの? 姫?」
ナディーンが怒っている。だが、ナスティは、それどころではない。母親の怒りが、どこか遠い国の話のように思えてきた。
ナスティは、ナディーンから視線を外した。
桟橋で、ジガージャが頭巾で顔を隠した男……奴隷商人と話をしている。
「こちらが、今回の奴隷ですか……! どれも若くて健康そうだ!」
奴隷商人は、タダラスとアギを見て、手を合わせて喜んだ。
ジガージャは書類に記名する。アギが、その後ろで、契約書を、甘いお菓子であるかのような表情で見ていた。よほど契約書が好きなのだ。
奴隷商人が書類を二枚に分け、恭しい態度でジガージャに片方を渡した。
取引が成立したのである。
「タダラスの兄弟。今から、君たちは、晴れてこの人の所有物だ。これからは、新しい職場で頑張りたまえ」
ジガージャが、タダラスとアギに笑顔を見せる。
奴隷商人が、ジガージャに金の入った小袋を渡した。意外と少ないな、とナスティは思った。
「よろしくお願いしますだか」
タダラスとアギが、奴隷商人たちに挨拶をした。
「ありがとうな、ナスティ。ジョニー。お前らとはあまり関わりがなくて、短い間しか仲良くできなかっただかだけど、なんだか命の恩人みたいな気がしてきただか」
タダラスの両眼に涙が浮かんだ。
ナスティとジョニーも、涙を我慢して、別れた。
タダラスたちを見送った後、ジガージャがナディーンに手紙を見せる。
「女王陛下。この後、セイシュリア城で晩餐会があります。カーマイン王子、エレナ王女の婚礼を祝うため、近辺の有力者が招待されています。私には招待状が届いておりますが、女王陛下も来られてはいかがでしょう?」
「……子どもも、連れて行けますか?」
ジガージャの誘いに、ナディーンは質問を返した。
(晩餐会……!? 美味しいご飯を食べられる……!)
ナスティはご馳走を想像して、唾を飲み込んだ。
「……残念ですが、人数には限りがございます。あと一人しか晩餐会に参加できません。お付きの人は外に待って頂くカタチになります。女王陛下だけでも来られては?」
「私だけですか……?」
ナディーンは、ジョルガーに向き直った。判断ができないでいる。
「ジョルガー。……どう思う? セイシュリアの王家に目通りして、我が王家に利益があると私は思うが」
「仰せのままに。私は護衛に参ります。姫のお守りにはガトスとヤジョカーヌを、任せましょう」
ジョルガーは頭を下げた。
「分かった、ジョルガー」
済ました表情で、ナディーンは、ジガージャの誘いを承諾した。
どこか嬉しさを隠せないでいる。少女のように小躍りしている。
(お母さんって、女王様っぽくない。女王様として扱われた過去が少ないから? 女王様として扱ってほしい?)
ナスティは分析した。国益、というより、自分の都合である。
「物資の補給はトルケで、ほぼ完了しています。本日中の夜までには、終わるでしょう。出航は明日となります」
ジガージャが居残って、船乗りに指示を出し始めた。
ナディーンが宿に向かう。ナスティたちも従った。
混雑している。
セイシュリアの道路は傾斜が強く、歩きづらい。しかも、煉瓦積みの壁が道の幅を狭くしている。
王子と王女の婚礼が影響して、人口密度の高さに拍車を掛けていた。
肌の白い人が目立つ。
長ズボンを身につけて、長い髪を垂らし、後ろに結わえている。短い髭を蓄えていた。セイシュリアの独特な服装である。砂嵐や直射日光を避ける、ヴェルザンディの服装とは違う。身につけた香水の匂いも違っていた。
押し潰されながらも、門をくぐった。門の上は橋になっていて、人々がごった返している。
狭い道に、屋台が並んでいる。人々が立ち止まり、ますます渋滞を招いていた。
「お祭りみたいだね」
道が広がり、左右に余裕ができると、ジョニーが呟いた。いつの間にか、ジョニーと並んで歩いている。
「えへへへ」
嬉しかった。
2
宿に着いた。
二つの部屋をあてがわれた。男女に分かれた。ナスティとナディーン、ヤジョカーヌの三人部屋と、ジョルガー、ガトス、ジョニーの三人部屋だった。
「ぽこちー、出ておいで」
籠の中から、ポコチーを出す。身を低くして、周囲を見渡している。
「ぽきょぉ……」
「怖がりすぎて、鳴き声が変になっているね」
「ぽこぉ……。ここはどこだぽこ……?」
ポコチーがナスティにすり寄って甘える。
「ごめんね、ぽこちー。次から次へと場所が変わったら、怖いよねぇ? 頑張ってね、ぽこちー。新しいお家に着いたら、一生ふかふかの寝台で過ごせるよ」
ナスティはポコチーの喉を撫でた。
「うれぽこぉ……」
喉を鳴らして喜んでいる。心なしか、鳴らす音が小さい。
ポコチーに、千切ったパンと水を与えた。
少し食べて、そっぽを向いた。
「珍しいね、ポコチー。いつもお腹いっぱいに食べるのに……。慣れない船旅で疲れちゃったのかな?」
ナスティは首を傾げた。
ナディーンが身支度を終えていた。白い甲冑に身を包み、剣を腰に下げている……正装である。
「じゃあ、お母さんは、ジョルガーと一緒に晩餐会に行ってくるから、お留守番、お願いね。……明日は早く出航するから、ご飯を食べたら、すぐに寝なさい」
冷静な口調であるが、嬉しさを隠しきれないでいた。
部屋の扉が閉まる。
寝台の上で、ナスティは寝そべった。
天上を見上げる。
(あ~あ、ジョニーと二人きりになりたいなぁ。二人きりの部屋で、ジョニーとチュウをするのだぁ。グェヘヘヘ……)
ジョニーとの甘いひとときを想像する。ナスティは涎を拭いた。
「ねえ、ヤジョカーヌ。ヤジョカーヌも、外に出て遊びに行ったりしたいの?」
遠回しに出て行け、と命令した。
「姫様……。明日は早いので、どこにも行かないお約束だったのでは?」
ヤジョカーヌは、遠慮深い口調で咎めた。
どこからともなく盥を持ちだし、衣服を集めている。男部屋に入って、ガトスから服を収集させた。
洗濯の準備をしているのである。
「ぽこちーだーんす、ぽこちーだだーんす、う-! はー! うー! はー!」
退屈である。ナスティは、ポコチーの両腕を引っ張って、強引に踊らせた。
「ねみぃぽこぉ……」
ポコチーは、ナスティを振り払い、寝台の中心で丸まって眠った。
(ぽこちー、ご機嫌斜めなのかな? つまんないなぁ……)
窓から、洗濯に没頭しているヤジョカーヌを見た。ガトスも参戦している。
(二人はよく一緒にいるよね。きっとボクたちの知らぬ間にチュウをしているに違いない。……ずるい)
ナスティが自分勝手な予測をしながら、部屋を出た。
目標は、隣にいるジョニーである。
同時に、隣からジョニーも出てきた。
「あれ」
「あれ」
二人が同時に声を出す。
自分の意図を知られて、ナスティは恥ずかしくなった。
ジョニーを見ると、真っ赤になっていた。
(ボクと同じ気持ちなんだね。……可愛いなぁ)
ナスティは吹き出した。ジョニーの狼狽ぶりを見て、冷静になれた。
「あの、あれ……。いつもの奴、あそこで、やらない?」
ナスティは、扉を開けたまま、自室の寝台を指さした。
「ダメだよ」
ジョニーが断った。ナスティは腹が立った。
「なんで?」
「すぐに二人は上がってくるって。バレちゃう」
「大丈夫。上がってきたら、すぐに離れれば良いよ。……ギリギリまでいける」
「それに、姫って、やり出すと長いもん。なかなか終わらせてくれないし。ギリギリになっても続けそう」
ジョニーの発言に、ナスティは焦げ付くほど顔が熱くなった。
だが、タダでは負けない。
「ジョニー。それは、キミのチュウが悪魔的に上手すぎるからだよ。ボクのせいではない」
やり返すと、今度はジョニーが真っ赤になって恥じらっている。
(うひひひ、可愛い。ジョニーって、本当に可愛い)
ナスティは、責任の擦り付けあいに勝利したのである
「じゃあ、しようか?」
ジョニーの腕を引っ張った。
「待って。ここじゃできない」
「うう、ジョニー、酷いよ。ボクとチュウしたくないの?」
「……違うよ、ここだと、少しの間しかできないよ」
「ジョニー、それって、ボクと時間をかけて、チュウをしたいのかな? キミって、本当に助平だな。助平ジョニーだ」
「もう、姫がしたがっているからだろう? とにかく、ここから抜け出そう……。抜け出して、姫のお母さんたちに見つからない、良い場所を探そう」
ジョニーが提案する。
(ほわぁあああ)
ナスティの全身から光が溢れた。
「どういう展開?」
ナスティには、照れる暇もなかった。ジョニーに腕を引かれ、階段を降りる。
(わあ、わあ、どこに連れて行かれるんだろう?)
ナスティは胸を躍らせた。
階下の食堂だった。まだ時間ではないので、客の姿はない。
ジョニーは厨房に入った。厨房にも誰もいない。
ジョニーは身を屈めて、物陰に隠れながら移動した。ナスティもジョニーの動きを真似する。
ジョニーの動きに、躊躇いがない。
ナスティは、マルギカの地下秘密基地を思い返した。
ジョニーは、潜入捜査能力に長けている。
(ジョニー、そこまでしてボクとチュウをしたいの? キミって奴は、なんて可愛いんだ)
ナスティは、内側が弾けるほど嬉しかった。
裏口から出ると、ガトスとヤジョカーヌの背中が見えた。洗濯は終わっているのに、まだ話をしている。
(むむっ。この二人は怪しいぞ? 裏でチュウしているかもしれない)
ナスティは、ジョニーに耳打ちをした。
(チュウを基準にするのは、やめよう?)
ナスティとジョニーは物陰に隠れながら、ガトスとヤジョカーヌの背後を通った。
宿屋から離れると、ナスティとジョニーは二人は顔を見合わせて、笑った。自然と笑いが込み上げていく。
「ボクたち、脱走犯だ。脱走の共犯者だね」
手をつないで、歩き出した。
3
「王子様と王女様の結婚だぁ」
舞台の上で、顔を白塗りにした男たちが、珍妙な音色の笛を吹き、踊っている。
ナスティとジョニーは、立ち止まった。
白塗りの男たち、婚礼の物真似をしている。
男同士で、口づけをする仕草をした。
その後、顔を背けて、嘔吐する動きを見せる。
聴衆の中で、笑いが巻き起こった。
だが、ナスティとジョニーは笑えなかった。
二人は足早に逃げた。
広場で、人々が踊っている。男女が手を組んで、独特な歩調を踏んでいる。
楽士たちが、楽器を鳴らし、軽快で、楽しげな音楽を奏でている。
「セイシュリアの人たちって、遊んで踊って暮らしているのかな? それだったら、羨ましいな」
ナスティは疑問に思った。
「さすがに、普段は働いていると思うよ。結婚式の前だから、皆お祭り気分なんだと思う」
ジョニーが笑った。
鳴り響く、笛や太鼓の音に、ナスティは、心を揺り動かされた。
「踊ろうよ!」
踊らずにはいられない。ナスティはジョニーの手を引いた。
「俺、踊れないよ。……姫に迷惑を掛けちゃう」
ジョニーが手を振って断った。
「真面目だなぁ、ジョニーは。踊りって、上手くできなくても大丈夫だよ。ノリが大事だって」
「ううん、でもやるなら完璧にやりたいんだよね」
ジョニーは当たりを見回した。視線が定まった。
「ジョニー?」
ジョニーは、踊っている男女を見ている。
ナスティには、ジョニーが別人に見えた。
目の色が違う。まるで機械になったかのようだ。
「だいたい分かった」
ジョニーが元に戻った。血が行き渡った、いつものジョニーである。
ナスティの手を取り、腰に手を回した。
「ジョニー?」
ナスティはジョニーの行動に戸惑った。腰に絡みつく、ジョニーの腕から、暖かさを感じた。
その戸惑いすら無視して、ジョニーは腰を落として、動き出した。ナスティは引っ張られた。
やり方が分からなかった。だが、どこに足を置けば瞬時に理解できた。
ナスティは、ジョニーに誘導されている。言葉を使わず、身体の動きで誘導しているのである。
(ボクたち、踊っているの……?)
ナスティはジョニーの歩調に合わせるだけで、舞踏が成立しているのである。
身体が勝手に動き出しているのだ。
「見てみて、あの子たち? 凄く上手だよね?」
「子どもながら、舞踏の上級者に違いない。どれほど小さい頃から練習してきたのだろうか?」
周りの大人たちが動きを止め、ナスティたちを見た。
(見ないで、見ないで、注目しないで)
ナスティは慌てた。
「どうして? ジョニーは舞踏を習っていたの?」
「……習っていないよ。上手な人たちの動きを真似しているだけ」
ジョニーはあっけらかんと答えた。
「真似しただけで、こんなに上手くならないでしょ?」
「分からない。でも、分かる」
ナスティは、ジョニーの説明を理解できなかった。いや、なんとなく分かった。
踊りに集中する。
ナスティは、踊りを通して、ジョニーと一体化していると気づいた。
そのうち、次にどうすればよいか、ジョニーが何を考え、何を感じているのかすら分かった。
次に、音楽と一体化した。
二人の動きに、音楽が合ってきた。音楽に合わせるのではない。音楽がナスティたちに合わせるのだ。
(音楽だけじゃないよ! 世界も、合ってきた。ボクたちを中心に、世界が動いているみたい!)
ナスティとジョニー以外、踊っている者はいなかった。
誰もが、二人の踊りに魅入られていた。
そろそろ音楽が終わる。
(最後の決めポーズ……!)
ジョニーと片手でつながったまま、腕を伸ばし手を広げた。ジョニーも同時に、腕を伸ばしていた。
音楽が終わるとともに、ナスティとジョニーは、両翼を伸ばした、一羽の鳥になった。
誰かが拍手をした。釣られて、誰もが拍手を惜しまなかった。
(気持ちいい……)
ナスティは肩で息をした。ただ、心地よかった。これほど没頭し、熱中し、人から賞賛された経験はなかった。
「優勝賞品は、葡萄酒一年分だぁ!」
男の一人が垂れ幕を引く。
大量の壺が積まれていた。
人々が歓声を上げる。
「こんなにもらっても困るよね」
ナスティは困った表情で、ジョニーを見た。
「あのぉ、俺たち子どもなんで、お酒なんて飲めません。皆さんで分けてください」
ジョニーは、主催者風の男に声を掛ける。
「おいおい、聞いたか? 最近のガキは気前が良いぜ!」
酔っぱらいたちが大喜びした。
酒瓶に群がり、杯を打ち鳴らし、舞踏の場が、一気に酒の場と化した。
「代わりに、君たちには果汁をあげよう」
主催者から、果汁の入った杯を浮けとった。
ナスティとジョニーは、へとへとに疲れた身体をおして、笑いながら、近くのベンチに座った。
二人は杯を鳴らし合って、杯に口をつけた。
葡萄のすっぱい味が、口に広がる。
ジョニーは杯を飲み干し、舞踏の体験を、興奮気味にまくし立てている。
話の内容は半分、頭に入ってこなかったが、ジョニーの嬉しそうな顔が、眩しかった。
(ああ、こんなに幸せな気持ちで、日々を過ごせるなんて、想像もできなかったよ……)
ジョニーと会えて、人生が変わった。
これまで、生きていて、何事にも価値を見いだせなかった。いつも、なにもかも終わってしまえ、とすら思っていた。
でも、今は違う。
(ジョニー、キミが僕の前に来てくれたから、変われたんだ……! キミがボクを変えたんだよ!)
ジョニーの話が終わった。
「写真を撮ろう」
ナスティは、胸からペンダントを取り出した。
「シャシン? シャシンって何? それに、そのペンダントと関係があるの?」
「このペンダントは、アジュリー家に伝わる“古代の秘宝”だよ」
「“古代の秘宝”……?」
「“王女の愛”って呼ばれているの。……色んな情報を、まとめて記録できるの。この中には、アジュリー家の情報が詰まっているの」
ナスティは、“王女の愛”に霊力を込めた。
空中に画像が投射された。今よりも小さい頃のナスティと、母親ナディーンと父親、使用人たちの集合写真が映し出された。
「難しいね。なんとなく意味は分かるけど」
ジョニーが呟いた。
ナスティは、隠し撮りした、ジョニーの画像を慌てて隠した。中には、ジョニーの全裸画像がある
「自撮りしよう。……急に近代的な言葉でごめんだけど」
「自撮り?」
「うん。こうするの」
ナスティはジョニーの後ろに腕を回し、人差し指と中指を開いて片目に当てた。
「ほら、ジョニーも同じポーズして」
「分かった。……姫、その位置だと顔が大きく見えちゃうよ」
「急速に上級者にならないで」
写真を撮った。ジョニーと一緒に映った画像はこれで初めてである。
ナスティはジョニーを見た。思わず、笑いが込み上げる。
ジョニーも笑っている。ジョニーの顔がゆっくりと近づく。
(ボクの全部を、キミに捧げよう……)
二人は唇を交わし合った。
(葡萄の味がする……。まだかすかに、口の中に残しているなんて、ジョニーはずるい。これ以上隠していないか、口の中にある甘味を、徹底的に調べさせてもらおう!)
ナスティはジョニーとの甘い時間に浸った。
最初は手を絡ませるかどうか争っていたが、そのうち手なんかどうでも良くなってきた。「ねえ、さっきの踊っていた子たちじゃない」
「すっごい本気のキスをしているよね?」
「将来、結婚とかを誓い合った仲なんだろうな」
「羨ましいな」
「お互いをむさぼり合っている……。興奮してきた」
通行人たちの声が聞こえる。ナスティとジョニーはすぐに離れた。
多くの人たちが注目をしている。
「別の所に行こうか?」
ジョニーが提案する。冷静さを取り戻そうとしているが、真っ赤な顔で取り乱している。
「うん……」
二人は誰にも顔を見られないように、下を向いて歩き出した。罪人のようである。
暗くなってきた。だが、街の明かりは終わらない。
階段と坂が組み合わさったような街並みに、潮風が通った。
坂の上で振り返ると、柵の向こうで、海が広がっている。
「海が見えるよぉ?」
柵の前で、二人は並んだ。
潮風を浴びる。
暗い海の上で、船が灯火を焚いて、自分たちの場所をお互いに示している。
会話はなかった。
街の喧騒も、お祭り騒ぎも、すべて海に吸い取られていった。
(俺、姫のためなら、なんでもできるよ)
ナスティはジョニーの言葉を思い返した。
これまでのジョニを思い返した。勇敢な振る舞いや、必死な表情、逞しい知恵に、ナスティは満たされた。
すべてナスティに向けられた愛であった。
ナスティは嬉しくなった。
「ジョニー、お願いがあるの」
「なに、姫?」
「姫って呼ばないで。ボクを名前で呼んで?」
「……」
「ほら、ナスティって」
「……無理だよ」
「“汚い子”、“淫らな子”……だもんね。呼びたくないよね」
ナスティは下を向いた。暗い闇の海に、希望の灯火がかき消されたようだ。
「違う……! 全然、変な意味じゃないよ」
「どうして? だって、変な名前だよ、ナスティなんて。皆に笑われちゃう」
「変じゃない。あまりにも素敵な名前だから呼べないんだよ!」
ジョニーは叫んだ。
ナスティは不思議な感覚に陥った。
ジョニーは嘘をついていない。本心からだと分かった。だが、理解が追いついていかない
「意味が分からない……。どこが素敵なの?」
言葉とは裏腹に、嬉しかった。
心臓が高鳴る。心臓の鼓動が、暖かい光となって溢れ出てくる。
ナスティはこれまで重荷のように抱えていた心の傷が、癒されていくようだった。
この名前には、秘密が隠されている。
ナスティの気づけていない秘密を、ジョニーは見抜いているのだ。
ナスティは“王女の愛”を取り出した。
「もう一回、写真を撮ろうか? 今度はチュウしているときを撮るよ?」
ナスティは提案をした。我ながら“淫ら”である。
「ちょっと待って……」
ナスティは強引に、ジョニーの唇を奪った。同時に写真を撮る。
「姫、何をやっているの?」
怒る声が聞こえる。刺すような怒りだ。
夢が覚めたかのように、ナスティは声の主を見た。
「お母さん……?」
ナディーンが立っていた。