"銀魚湾"
1
船長室で、ナディーンとジガージャが打ち合わせをしている。
「セイシュリアでは、カーマイン王子とドリュー家の婚礼が行われています。どこの港も物資の搬入は難しく、セイシェル島では長く滞在できません」
「セイシュリアを素通りしては?」
「……貨物の受け渡しがありますので」
「セイシュリアでの補給を諦め、このトルケで補給をします。補給には丸一日かかります。出航は、明日の明朝です」
「分かりました。私たちも補給の手伝いをしましょう」
「もう一日ここに泊まるの?」
船長室で、ナスティは眼を輝かせた。ナディーンが
「姫、お母さんたちは仕事をするから、ジョニーくんと一緒に、お船でお留守番をしていてね」
「わかった! お留守番する!」
ナスティは飛び上がって喜んだ。
机の上に、動物の革でできた地図がある。
地図を覗き見た。
トルケ諸島の地図である。ナスティは地図を丹念に暗記した。
自室に戻る。
籠に収まったポコチーに話しかけた。
「ぽこちー。お出かけするよ」
「いやぽこぉ! ぽこちーは、ここから出ないぽこぉ!」
抵抗するポコチーを抱っこして、船の外を出る。
桟橋の上を歩くと、船の外には、船乗りたちが、運搬作業をしている。
砂浜でジョニーがいた。“耐火外套”を脱いだ、腰巻きだけの姿であった。
「姫、おはよう」
ジョニーが笑顔で挨拶をする。
ナスティは顔を逸らした。
恥ずかしい。
昨日の夜を思い返して、興奮してきた。思わず、両手から力が抜けた。
「ぽこぉ! 今のうちに、ぽこちーは逃げるぽこぉ!」
ポコチーはナスティから滑り落ちるように脱出して、船に逃げ帰った。
「ねえ、ジョニー。いつもの、あれ、やろう!」
ナスティは暗号を出した。
「いつもの……ああ、うん」
ジョニーは恥ずかしげに答えた。
ナスティは記憶した地図を棒を使って、砂浜に描いた。
「ここから歩いたところに、“銀魚湾”ってところがあるの。不思議な感じがするから、景色が良いから、行こうよ」
「いいね、行こう、行こう。それにしても、姫って記憶力が凄いね。本物の地図みたいだ」
ジョニーが驚く。
「おおい、二人とも。何してるだかぁ? 一緒に釣りをするだかぁ」
タダラスがアギとナドゥを連れてやってきた。手には釣り道具を持っている。
ナスティとジョニーは顔を見合わせた。
「タダラス。ごめんなさい。ボクたち、二人で冒険するの。銀製の魚を見つけに行くから」
ナスティが遠回しに断った。
「銀製の魚だか? 本当だか? 俺も釣りたいだか!」
タダラスが興奮している。魚釣り名人を自負するだけに、珍しい魚に目がない。
「ボクとジョニーが二人きりじゃないと、出てこないの」
「なんだか? 変な話だか……」
「男と女、一人ずついないと出てこない仕組みっていう言い伝えがあるんだって。男が二人以上になったら、魚が不安になるんだって」
ナスティが伝説を、ねつ造した。
「ますます、意味が分からんだか」
タダラスは眉間を寄せて、首をかしげた。
ジョニーが間に入ってきた。
「銀製の魚は、女なんだ。怖がりで、男の漁師を嫌う。でも、男女一組で行くと、夫婦だと思うらしい。夫婦なら子どもがいるから、襲ってこないだろう、って考えるみたい」
ジョニーが、ねつ造された伝説を補強した。
「……独身の男に飲みに誘われたら不安だけど、既婚者で夫婦に誘われたら安心できるのと同じだか?」
「よく分からないけど、伝わっているような気がする」
ジョニーが腕を組んで、眉間にしわを寄せた。
(夫婦……?)
ナスティは自分の頬を両手で隠した。顔が真っ赤になる。
アギとナドゥが、お互いを目配せしている。笑っている。
アギがタダラスに話しかけた。
「兄さん、銀製の魚なんていいから、もっと普通の魚を釣りましょう。昨日の釣果じゃあ、立派な釣りの奴隷になれませんよ」
「わ~ん、立派な魚釣り奴隷になるだか~」
タダラスが両手を振り回した。
「立派な花嫁になる、みたいだね」
ジョニーが苦笑した。
タダラスは、弟のアギに連れて行かれた。
ナドゥが、タダラスとアギの後を追いかける。振り向いて、ナスティに目配せをする。
「ありがとう。アギ、ナドゥ」
気を遣ってくれた。小声で感謝を述べた。
「いなくなっちゃったね」
「うん」
ナスティとジョニーは手を取り合った。
どちらかが提案したわけでもない。ただ手を握った。
(うわ……)
ナスティは笑いを噛み殺した。
二人は早歩きになった。“銀魚湾”に向かって、駆けだした。
2
砂浜の向こうには、草木が生い茂っていた。“銀魚湾”を通るには、切り立った崖が阻んでいる。
長い年月をかけて、崖は波で削られていた。波は引いていて、僅かながら、足場ができていた。
天然の通り道だ。
片足しか置けないほどの幅である。
「遠回りとかできないかな? 上から行くとか……」
不安定な道に、ナスティは躊躇った。
崖の高さは、ナスティがいくら背伸びをしても届かない。
ナスティの三人分は必要である。
「俺が先に行くよ! 遠回りしたら、何日もかかっちゃうよ」
ジョニーは笑った。助走をつけて、跳んだ。足場など無視して、崖を蹴り、瞬く間に、向こう側に着地した。
「ジョニー、すごい。……ボクにはできない。男の人って、こんな動きができるんだ」
ナスティはジョニーの常人離れした身体能力に驚嘆した。
「簡単だよ」
ジョニーが笑顔を見せた。
「ボクにもできるかなぁ?」
「……姫には難しいかな。崖に手をついて歩いてごらん」
「無理かも」
「大丈夫、受け止める」
ジョニーが手を広げた。受け止める仕草をした。
いつもなら、怖くて諦めていた。だが、今のナスティには、勇気が湧いてきた。
「サンダルは脱ぎなぁ」
ジョニーが提案する。口調から、ナスティはティーン老人を思い返した。
サンダルの両足を揃えて置いておく。
恐る恐る片足で足場を踏んだ。足の裏が、岩の硬い感触を踏む。
(……いける! 滑りやすいけど、慎重に進めばたどり着けられそう)
小さな蟹の集団が、通路で屯していた。
(蟹さんたち、大きな怪獣だぞぅ。逃げて逃げてぇ)
ナスティの足が近づくと、蟹たちは海に逃げていった。
(もうちょい……)
ジョニーが待ってくれている。
「てぇい!」
ナスティが眼を閉じて、跳んだ。跳んだ先で、ジョニーに抱き留められた。ナスティは、ジョニーは、静かに、ナスティを地面に下ろした。
(ボクの扱い方が、なんて優しいんだろう? ジョニーに抱きしめられると、天国にいるみたい……!)
ナスティは抱き合ったまま、ジョニーの顔を見た。穏やかな笑顔を見せている。
自分が真っ赤になっていると分かった。
「頑張って跳んだね。……よくできました」
ジョニーは笑いながら、褒めた。
「うん! ボク、頑張った!」
二人は笑って、手を取り合い、並んで砂浜を歩く。
見上げると、青い空が広がる。潮風が、ナスティを撫でた。強い日差しが心地よい。
“銀魚湾”は、岩で囲まれた、小さな入り江だった。岩の並び方が規則正しく、人工的に作られた釣り堀だと、すぐに理解できた。
「昼ご飯は、現地調達だよ」
ナスティとジョニーは肩を並べて、釣りを始めた。
魚を釣り上げ、籠に入れていく。大小で四尾釣れたので、充分だ。
「ねえ。飲み物も欲しいな」
ナスティは釣りに飽きて、ジョニーの肩に垂れ掛かった。
「ちょっと待って。取ってくる」
ジョニーは近くに生えている、椰子の木を登った。
どこからともなく、小刀を取り出して、実の根本を叩く。頑強な木の実が落ちて、砂を裂く音を立てた。次々と椰子の実を落としていく。
ジョニーは自分の仕事ぶりを見て、満足している。
「これだけ取ったら、一生、椰子の実に困らないね。魚もたくさん獲ったし、泳ごうか……?」
「うん!」
ナスティは返事をした。
ナスティとジョニーは興奮を抑えきれずに、叫びながら、波打ち際を走った。
水面は、空よりも青い。
波を蹴って、深みに向かう。
ナスティは、足が底につかないところで泳ぎだした。
(冷たい、でも気持ちいい!)
熱い日差しで火照った身体を、冷やしてくれる。
ナスティは海面から顔を出して、周りから、押し寄せてくる涼しげな波を楽しんだ。
だが、すぐに我に返った。
ジョニーがいない。
「あれ、ジョニー、どこ? まさか、溺れちゃった……?」
ナスティが周囲を見渡す。
ナスティの後ろで、ジョニーが顔を出した。
「結構、深いね! 溺れて死ぬかと思った」
ジョニーが笑っている。
「ジョニー? 無事で良かった」
ナスティは、ジョニーを抱きしめた。
はぐれた子犬が飼い主を見つけたかのように、ジョニーの胸に頬ずりした。
ジョニーの薄い胸から、激しい鼓動が聞こえた。
ジョニーの胸には、赤い宝石が埋め込まれている。
(綺麗……)
ナスティは眼を見開いた。
「姫、大丈夫だよ。これくらいの深さじゃ、俺は死なないよ。だいたい、俺がここで死んだら、この小説は終わっちゃうじゃん」
「心配したよ。長い間、ジョニーがいないんだもん」
「いやいや、そんなに時間が掛かってないでしょ?」
「もうボクを嫌いになったのかと思っちゃった」
「判断が早すぎるよっ!」
「え、嘘……?」
ナスティは、ジョニーを見た。いや、見蕩れた。
(ジョニー、格好いい……。これは、もう、チュウ第二弾をするしかないや……!)
南国の熱い日差しがそうさせているのか、ナスティの頭に電撃が走った。
だが、一方では冷静なナスティもいた。
(無理……! 恥ずかしくてできない。こっちから行ったら、ボクが“淫らな子”だと思われちゃう。……ジョニーに嫌われちゃうかも)
二つの相反する気持ちに、ナスティは身悶えした。
「どうしたの……?」
ジョニーが不思議がる。
ナスティは、ジョニーから離れた。
「鬼ごっこしよう! ボクを追いかけて!」
ナスティは、海面を手で払って、ジョニーの顔面に海水を投げかけた。
「ぶわっ」
悲鳴を上げるジョニーを尻目に、ナスティは水中に潜った。
透き通った海の世界を、見慣れない魚、海藻が、艶やかに色づけていた
(綺麗な海~。……わっ)
後ろから抱きしめられた。
後ろを振り返ると、ジョニーだった。
ジョニーは、ナスティを捕まえたまま、上昇した。
(ボクを抱えて、こんなに速く昇っていくなんて! ……やっぱりジョニーって身体能力が凄いんだ!)
二人は空気を吸い込んだ。
「今度は、俺が逃げる番だよ!」
ジョニーはナスティから手を離し、逃げ去った。
(あ……。もうちょっと、くっついて欲しかった……)
ナスティは名残惜しそうにジョニーの背中を見た。
距離ができていく。
(速いよぉ……! こんなの無理だよぉ……! ジョニーってモーターを積んでいるのかなか?)
ナスティは水中で涙ぐんだ。
だが、ジョニーは、止まった。途中で振り返り、ナスティの様子を見ている。
わざと蛇行したり、一度来た場所に戻ったりした。
ナスティでもすぐに追いつけた。
(タッチ~! 捕まえたぁ!)
ナスティがジョニーの腕に絡みつくと、ジョニーは魚のようにすり抜けた。
水中で合図をしている。
(早く逃げろって? ……どうせ、ジョニーが相手なら、すぐに捕まっちゃうんだろうな)
だが、ジョニーは腕を組んで、その場で立ち泳ぎしている。
動かないのである。
ナスティは懸命に泳いだ。
しばらく距離ができると、ジョニーが泳ぎだした。
速い。
(わー。ジョニーが追いかけてくる。ぐちゃぐちゃにされたら、どうしよう)
意味不明の期待感が、ナスティの胸を満たした。
ジョニーの手が伸びる。
追いつかれる瞬間、ジョニーはわざと速度を落とした。
(わざと手加減してくれているな?)
ナスティは嬉しくなった。水面から顔を出す。
太陽の光が、熱く心地よい。
(でも、早く捕まえて欲しい!)
ナスティは、浅い場所で起き上がった。上半身が波風に晒される。
海から出て、波打ち際を走り出す。
ジョニーも海から出てきて、追いかけてきた。
(わーん、捕まえて!)
ナスティは笑った。笑いながら走って、逃げた。
砂を蹴る。
ジョニーも走る。
もはや、二人とも、泳いでいない。
ナスティは、泳ぎ疲れていた。ジョニーも疲れている。
「走りすぎて、笑いすぎて、お腹痛い……」
ナスティは、止まった。ジョニーが後ろから抱きついてくる。
ナスティは絡みつくジョニーの腕に動揺しながら、嬉しくて、その場で崩れた。
「喉が、渇いたね」
あらかじめ集めていた 椰子の実を岩に叩きつけ、割った。中から溢れ出る水分を、二人で分けて、飲んだ。
「美味しい!」
青臭かった。だが、乾いた喉には、充分な潤いである。
「魚も焼こう」
ナスティはジョニーから小刀を借り、鱗と腸を取り除いた。
ジョニーが火起こしをしていた。
木の枝に刺した魚を炙っていく。
「はい。食べ頃だよ」
ナスティは焼き魚をジョニーに渡す。
「姫の料理って、本当に美味しいよね」
ジョニーは嬉しそうな顔で魚を頬張った。
(嬉しい! ……ジョニーの幸せは、ボクの幸せ!)
ナスティも魚を口にした。
魚の脂と、天然の塩味が、口に広がる。
ジョニーが、興味深そうな視線を送ってくる。
「姫って、美味しそうに食べるよね?」
「そう?」
喜んでよいのか、ナスティには分からなかった。
だが、これまでにない感情が湧いてきた。
(……幸せすぎるよぉ。ご飯を食べているだけなのに、どうしてジョニーといるだけで幸せなんだろう……?)
ジョニーは黙って魚を食べている。無心に食べている様子を見て、ナスティは益々、幸せな気分になった。
(ジョニー、結婚……しよう。ボクたちは理想の二人だよぉ)
結婚。
結婚という言葉が頭に思い浮かんで、ナスティは首を傾げた。
(あれ? ええと、ボクは誰と結婚するんだっけ……? 他にもいたような……)
思い出せなかった。
食事が終わった。
ナスティは後片付けを終え、“銀魚湾”の岩に座った。
服を脱ぎ出す。
「わわ、姫ぇ?」
ジョニーが騒いだ。
「もう。濡れた服を乾かしているの。今から服を脱ぐから、あっちを見ていたまえ!」
ジョニーが背を向けた。
手で顔を隠している。
ナスティは脱いだ服をすべて、岩に投げ、乾かし始めた。
(ふっふっふ。鬼ごっこでボクに一本を取った気でいるな。ジョニー。でも、これならボクに勝てまい)
ナスティは勝てる戦いに、ジョニーを引きずり込んだのである。
些細な異常すら、見逃さない。
ジョニーは指の隙間から、水面に映ったナスティの全身を見ているのである。
(貴様、見ているなッ……! ジョニーって、実はエッチだよね。むっつりスケベって奴?)
ナスティは、わざと両手を後ろに置いて、全身を伸ばした。
(これは、ジョニーに見せるためじゃないよ。身体を効率的に乾かすため……!)
顎を上げて、さらに身体の曲線を強調させた。
水面に映ったジョニーがナスティの姿を見て、取り乱している。
茹で蛸のように赤くなったジョニーは、いきなり水面に飛び込んだ。
しぶきを浴び、ナスティから視線を外し、泳ぐ。
泳いだ先は、ナスティの足下だった。
ジョニーは、岩に背もたれて、沖を見た。決して振り返ろうとはしない。
「いちにーさんしー……」
しかも、波の数を数え始めたのである。
頭から海水を蒸発させている。
(なるほどねえ、そうすれば見れないよね。面白いなあ、ジョニーは……)
足下のジョニーを見て、ナスティは笑った。
脚を伸ばせば、ジョニーの両肩に脚が届く。
「ジョニー、チラチラ見ていたでしょ?」
ナスティは足の指先で、ジョニーの肩をくすぐった。
「いや、見てないですよ」
何故か言葉遣いが丁寧になっている。ジョニーの反応に、ナスティは、くすぐったい気持ちになった。
「嘘つけ。絶対見ていたゾ」
「なんで見る必要なんかあるんですか?」
ジョニーの正論に、ナスティは腹が立った。正論は、ときとして、人を怒らせる。
「キミって奴は、失礼だな」
ナスティは、岩から下に少しだけ滑り落ちて、太ももの内側でジョニーの頭を締め上げた。「……うわわ! ときどき姫って凶暴化するよね?」
「ふっふっふ。顔が真っ赤だよ? どうしたの? 苦しそうだね、ジョニー? うりうり」
ナスティが締め付けを強化すると、ジョニーの顔が火事のように燃え上がる。
ジョニーが顔を振って、ナスティの戒めを振りほどき、水中に逃げた。
「わっ」
ナスティも、道連れになり、海中に沈んでいく。
(わっ、意外と深い……!)
藻掻く。
だが、ジョニーが真正面から、抱き上げてくれた。水面から顔を出し、空気を吸う。
ナスティはジョニーを見た。
ジョニーは目を伏せている。心臓音がジョニーの胸から直接伝わってくる。
「ねえ、狡いよ、ジョニー」
「なにが……?」
「ボクは裸。キミは服を着ている。狡いと思わないの?」
ナスティは不満をあげた。わざと意地悪い口調で責めた。
「……どうすればいいの?」
ジョニーは困っている。声が小さい。
「キミも裸になるんだよ!」
「どういう展開?」
「いいから、さっさと脱げ脱げ。グヘヘ……」
ジョニーは、渋々と腰巻きを脱ぐ。
ジョニーが恥ずかしげに脱いだ腰巻きを見せた。
「あっちに投げて」
岩を指さす。ナスティが服を広げて乾かしている岩だ。
ジョニーが丸めた腰巻きを投げると、ナスティの服に並んで落ちた。
「これで、ボクたちは五分と五分だね」
ナスティはジョニーの胸に頬ずりをした。
「五分と五分? なんの勝負しているの?」
「え? うーん。……裸族同盟?」
「なにそれ?」
ナスティは、困惑するジョニーの背中を指で撫でた。ジョニーが眼を閉じている。
(海の中だと、不安定でチュウできないや。……そうだ!)
ナスティはジョニーの手を引いて、泳いだ。
陸地に出る。
「あそこまで歩きましょ」
木陰を指さす。
歩き出しても、少し距離がある。
ジョニーは火でも噴いているかのように、呼吸が荒くなっている。
(そうだよね、恥ずかしいよね。女の子と裸で歩くなんてね)
ナスティは平気だった。
「疲れた~」
わざとらしく、仰向けに寝っ転がった。
ジョニーがいつもと違っていた。夢遊病者のように、ナスティの顔をのぞき込む。
ジョニーの顔が近づいてくる。
(ジョニーは神様。ボクは、神様に捧げる供物だ……)
ナスティは眼を閉じて、自分の唇を差し出した。
ジョニーが唇を重ねた。
(うっわー。ボクたち、いけないんだ。悪い子たちだ。悪い子たちが、裸で何やっているんだろう……? めっちゃ淫ら”だ……)
ナスティの濡れた前髪から、海水がしたたり落ちる。手で払おうとしたが、ジョニーに腕を押さえられた。
(もう、ジョニーったら。赤ちゃんの作り方も知らないお子様のくせに、なかなか大胆なんだから……)
鳥が鳴く声が聞こえた。
素早くジョニーが離れた。
ジョニーの表情が、元に戻っている。
「帰ろうか?」
素っ頓狂な声を出している。
「まだダメ……」
ナスティは、ジョニーの腕を引っ張った。
ジョニーが愛おしかった。
(もう飽きちゃったのかな……?)
怖い想像をした。瞳が潤む。
「うん……」
まともになったジョニーが唾を飲み込んだ。
3
夕方になった。
船に戻ると、船乗りたちが物資の運搬を終えていた。
「おおい!」
振り返ると、タダラスたちが走ってきた。
タダラスはジョニーの背中を見た。
「……お前ら、何をやっていただか? ジョニー、お前、背中が火ぶくれみたいになってるだか」
「ずっと甲羅干しをしていたんだよ……」
ジョニーは小さく返答した。下を向く。
「ナスティ。お前は後ろ髪が砂だらけになってるだかだぞ?」
「長い間、寝てたの……」
「ジョニーはうつ伏せで、ナスティは仰向けで寝ていただか……」
「そうそう、そうなの」
ナスティは動揺を抑えた。タダラスは、妙な箇所で勘が働く。
アギが真っ赤になっている。
ナドゥが笑って、アギを肘で突いた。
(アギとナドゥに気づかれちゃった!)
ナスティは、動揺した。
タダラスだけが理解できないでいる。
タダラスが、両脇に籠を抱えていた。籠には、大量の魚で詰まっている。
「そんな話より、これを見てくれだか。大漁だっただか。これで、なんの悔いもなく魚釣り奴隷に行けるだか」
「花嫁修業を終えた人みたいだね」
ジョニーが、話を合わせる。ジョニーには自信がなさげに見えた。
(花嫁修業? 結婚……? たしか、ボクは誰かと結婚するんだった)
ナスティの記憶が混濁としてきた。何かがおかしくなっている。
不安だった。猛烈なほど強い不安が、ナスティの内側から溢れてくる。
(そうか、ボクはジョニーと結婚するんだった。別の人と結婚する話だったんだけど、ジガージャの能力で、話が変わったんだね。そうに違いない。うんうん)
ナスティは勝手に思い込んだ。溢れる不安に、蓋をして、見ないと決意した。
「お前らは、“銀魚湾”で銀製の魚を獲れただか? 本当に何をしていたのか分からんだか」
タダラスが訊いてくる。
「銀製の魚は見つからなかった。……けど、すっごい魚を獲ってきたよ。大きくて、味が濃かった」
ナスティはジョニーを横目に見て、微笑んだ。