離別
1
釣り竿がしなり、鳥頭の尻を強打した。
「がっは……!」
鳥頭が口を開き、気を失った。
「やった……!」
ジョニーとナスティは抱き合って、跳んだ。
ナスティは飛び跳ねて喜んだ。
「オータニサーン!」
と、一緒に、釣り竿を天に突き立てて叫んだ。
ナディーンたちが、鳥頭を縛り上げる。
「お母さんたちは、この人を村に突き出すから」
鳥頭の両眼は恐怖で見開き、ナスティを見つめていた。
「よう、アジュリー家のお嬢ちゃん。しばらく見ないうちに大きくなったな」
ティーンが手を振って、近づいてきた。
「ティーンさん!」
「親方!」
ナスティとジョニーがティーンの周りを取り囲む。
「アジュリー家のナディーン、救世主様に拝謁いたします」
ナディーンが、ティーンの足下に頭を垂れ、ひれ伏した。足の甲に口づけをしようとするが、ティーンが優しく止めた。
「アジュリー家のナディーン。おやめなさい。私は救世主様ではない。私は、ティーン。一介の破戒僧にすぎません。私など、救世主様には、遠く及びません」
「いいえ、先ほどの御業はまさしく、救世主様です……。救世主様の放つ光は、どんな悪でも焼き払うと学びました」
「この通り、手が焼かれていますな。もし私が救世主様であれば、私の手は焼かれないでしょう」
ティーンはナディーンを起こした。手が焼け爛れている。
「面をあげなさい。誇り高きアジュリー家の女、賢き妻、強き母のナディーンよ」
「聖者様。私は、聖者様に褒められるような者ではありません」
「いいえ、アジュリー家のナディーン。貴女のご息女は、世界の人々を救うでしょう。それだけではありません。偉大なる人物に大いなる影響を与えるでしょう。知恵、力、勇気……それらがすべて、救世主様の御許に集まるのです。貴女は、ご息女の成長を見届ければよいのです。貴女の宿命に従ってください」
ティーンは、厳かに伝えた。
だが、顔は優しい微笑みに包まれていた。
背中から、柔らかい光が放出され、暗い夜を照らす。
(ティーンさんって、本当の聖者みたい。いや、聖者そのもの……)
ナスティは感心した。心の優しい人物だと、説明されなくても分かった。
「聖者様……」
ナディーンが顔を上げ、尊敬の念で溢れていた。
「……私は聖者ではありません。ティーンとお呼びなさい」
「はい、ティーン。不躾ながら、お願いがございます」
「私ができる範囲であれば、なんなりと」
ティーンが微笑んだ。
「我が娘ナスティに、ご教示を賜りたく存じます」
「ええ-? ティーンさんがボクの先生になるのぉ?」
ナスティが驚いた。
2
一夜が明けた。
村人たちが口々に罵った。
「穢らわしい霊落子め!」
鳥頭の霊落子が、首に綱を巻かれ、引き回されている。
広場の中心に像があった。いや、像というより、石柱であった。
「あれ、おかしいな、あの像……柱って壊れていたんだけど」
以前、見た記憶だと、人間の足だけを残して、像はなくなっていた。周りを見渡すと、村の雰囲気が違う。
以前は全体的に暗くて、重苦しい空気が流れていたが、今朝は、妙に空気が軽い。
「ボクたちが討伐をしている間に、誰かが直したのかな?」
鳥頭は、石柱に縛り付けられた。
マルギカの死体も、隣に縛り上げられる。
「こいつらは、俺たちの子どもを誘拐して、死体を弄んだのだ!」
「殺せ、殺せ!」
「石を投げろ!」
石の雨が降る。
鳥頭の顔はみるみる腫れあがり、出血した。死ぬまで石を投げられるのだ。
「怖い……」
ナスティは、顔を伏せ、ナディーンに寄りかかった。
ナスティにとって、自分の行動が信じられなかった。
もっと驚いた出来事がある。ナディーンが、嫌がらないのだ。ナスティにとって、以外であった。
小さい頃に、甘えようとすると、身体をはね除けられた記憶がある。ナディーンは怒っていた。ナスティには、母親の気持ちが、今でも分からない。
いつしか、母親に甘えられない子どもになっていた。
(嬉しい……)
母親に甘える。……何年ぶりの体験だろう。
村を離れ、浜辺に出た。
小船の残骸がうち捨てられている。
ナディーンとジョルガーが、話をしている。
「女王陛下。マルギカが死に、船を出す者がいません。そもそも船はなかったようです。私たちは、マルギカたちに騙されていたのです」
ジョルガーが苦々しい表情をしている。
「うむ、この村から立ち去るしかないな」
ナディーンが、落ち着いた口調で応えた。女王としての態度は崩さない。
「ここから去る……」
ナスティは砂浜を見た。足下の砂を見た。
(……ジョニーとお別れしちゃうの?)
世界が暗くなった。
胸が痛む。心臓の鼓動が、不安と恐れで打ち鳴らされている……。
「おおい、船が着いたぞ」
遠くから男たちの声が聞こえる。
ナスティたちの前に、巨大な船が通った。
船は高層で、いくつもの窓があり、窓からは、長い櫂が漕がれている。
「ガレー船……? どうしてここに?」
ナディーンとジョルガーが驚いた。
甲板の上で、手を振っている男がいた。
「ジガージャ!」
遠くからでは見えないが、ジガージャだとすぐに分かった。
「そんな、ありえない……!」
ナディーンたちが困惑している。
「お母さん。あの船の持ち主に会お?」
ナスティはナディーンの腕を掴んだ。
ナスティが辺りを見回すと、砂浜にうち捨てられた船の残骸が消えてなくなっていった。
村の中を突っ切った。若い漁師たちの姿が見える。
活気のある港町であった。昼間から酒や肉をたしなんでいる老人もいるにはいるが、談笑している。
桟橋に、ガレー船が停泊をしていた。
一人の男が、船乗りたちに指示を出している。船乗りたちは貨物を運び出していた。
男は肌が白く、黒い髪をまとめ、髭を蓄えている。
ナスティたちに気づくと、白い歯を見せ、笑顔で手を振った。
「どうして? なぜ? 船があるの?」
ナディーンが驚く。ジョルガーも驚いている。
ジガージャが、ナスティたちに近づき、軽く挨拶をした。
「やあ、私の友人たち。私はジガージャ。この船の持ち主です。皆様をシグレナスまでお連れ致しましょう」
ナディーンたちは、呆気にとられた。だが、ナスティは驚きもしなかった。
「私たちをシグレナスに連れて行ってくれるのですか?」
ナディーンが言葉を詰まらせている。
「もちろんですとも」
「船賃は、いくらですか?」
「貴方たちから船賃は取れませんよ、命の恩人たちよ」
ジガージャは陽気に笑った。なんの邪心も感じられなかった。ただ、腹の底から笑っているのだ。
「命の恩人? ……なんの話でしょうか?」
ナディーンとジョルガーは顔を見合わせた。
「アジョリー家の皆様。私たちは、古くからの友人だとお忘れですか? 私が、私どもの船でシグレナスまでお連れするとお約束したと、お忘れになったのですか?」
ジガージャが、押し通す。丁寧な口調だが、どこか悪戯っぽさが混じっている、とナスティには感じた。
「ええ……。確か、そうだったような……。そんな気がしてきました」
ナディーンは意思のない、操られた人形のような表情で返事をした。
「では、私の船に乗る打ち合わせをしましょう。私の家でね!」
ジガージャが大げさな動きで、歩き出した。
ナディーン、ジョルガー、ガトス、ヤジョカーヌが夢遊病者のように従いていく。
ナスティは、ジガージャの隣に着いて、小声で話しかけた
(ジガージャ、別の過去からやってきたのね? 奥さんとお子さんを救い出した……)
(ふむふむ、ここまで来るのに、三〇回ほどやり直しましたけどね」
ジガージャは片目をつぶって笑った。
(ジガージャ。もっとお金持ちになって戻ってくれば良かったのに。一国の王になるとか。何回でもやり直せるんでしょ?)
(私の霊骸鎧は、家族を守るときだけにしか発動しないのです。それにね、私には家族がいれば、お金や国など必要ありません)
連れてこられた場所は、マルギカの家であった。
家の前には、男たちがひっきりなしに働いている。見慣れない壺や像が運ばれている。
「シグレナスやセイシュリアの交易品が運ばれている……?」
ナディーンが品物を横目で見て、驚いた。
家の奥から、女と子どもが出てきた。
「妻のガルシャに、息子のマドゥです。ほら、マドゥよ。我が息子よ。親愛なる友人たちに、頭を下げるのです」
マドゥは肌が白く、ナスティと同じくらいの年齢の子どもだった。腕には、金の輪が巻かれている。
「ああ、キミがマドゥくんなんだね。あの白い子……!」
ナスティが、過去に出会った亡霊の子どもであった。
マドゥは恥ずかしそうに微笑んだ。
ジガージャの妻ガルシャは黒い髪を後ろにまとめている。肌は黒かったが、アイシャドウでより目鼻立ちを強調していた。
ガルシャとマドゥが頭を下げる。
内装を見たが、光が入ってくる。目張りをして、戸締まりをする必要はないのだ。
執務室でナディーンとジガージャが、打ち合わせを始めた。
「船の積み込みまでに日数があります。他の乗客もいらっしゃいますのでね。……だいたい五日後に船を出せる見込みです」
ジガージャが一方的に話をしている。すでに二人の間で決まっていたかのように、話が進んでいった。
ナディーンは、ジガージャの提案をすべて受け入れた。
「本当に船賃を支払わなくてもよいのですか?」
これだけは最後まで何度も念押しをしていた。
そのたびに、ジガージャはこう回答した。
「皆さんは、私の救世主様です。どうしてお金を取れましょうか?」
ナスティたちはジガージャの家を出た。
帰り道、ナディーンは眼を輝かせている。今回の旅は始終、憂鬱な顔をしていたナディーンであったが、初めて見せる表情である。
3
家に戻ると、ティーンが立っていた。
白い法衣を着ている。
「ガルグ・ティーン」
ナディーンは、地面に頭をつけた。
「おやめなさい。お顔を上げなさい。アジュリー家のナディーンよ。私は、“学者”でもなければ、“聖者”でもありません。私はティーン。ただのティーンです。ご息女の件、謹んで引き受けましょう」
「光栄に存じます、ティーン」
「ナスティ。これからは、このティーンが、アナタの先生です。第二の父と思って敬いなさい」
ナディーンが、ナスティに指図した。
ナスティは母親ナディーンの言いつけが、嫌だった。いつも頭ごなしで、ナスティらしさを奪い、自分以外の型に当てはめようとする、窮屈で不安な指示ばかりだった。
だが、初めて自分の希望と合致した指示をもらえたのである。
(ティーンさんの教え方、とっても素敵だもん!)
ティーンが座り、脚を組んだ。ナスティも真似をする。
「あの石を持ち上げなさい」
目を閉じたティーンが、指さした先には、“六色連珠”があった。
ナスティは「動けー動けーふんぬふんぬー」と叫んだ。
だが、動かない。
ナスティは、助けを求めるかのように、ティーンを見た。
ティーンは目を閉じて、瞑想をしていた。
涼しげな霊力を放っている。
「幸せな自分を想像しろ。自分を愛せ」
ティーンの声が聞こえてきた。ティーンは口を開いていない。心に直接、話しかけてきているだ。
意外な内容だった。鍛錬とは、勉強でも運動でも、辛くて厳しいという印象があったからだ。
「……うーん、無理。これまで生きていて人生で幸せだなんて感じた記憶なんてないですよ」
ナスティが否定すると、ティーンはゆっくりと目を開いた。
「お嬢ちゃん、あいつに、ジョニーに“祝福”をしただろう? そのとき、何を考えていた?」
ティーンの言葉に、ナスティは顔が真っ赤になった。
ジョニーと、木の上で抱き合っている状況を思い返したのだ。
“六色連珠”が動き出した。
ジョニーを思い浮かべば浮かぶほど、“六色連珠”の動きが激しくなった。
(ジョニー好き好き)
“六色連珠”が宙に浮いた。ナスティの視線よりも高い位置に浮かぶ。
「たまげたな。俺が何十年掛けて、いや、ガキの頃からやってようやくできた技を、たった一日で習得するとはな」
ティーンが驚きつつも、感心した口調でナスティを褒めた。
「なんて霊力の強さだ。何を考えて、どこからそんな力が湧いて出てきたんだ?」
「……応えられません。企業秘密です」
ナスティが恥ずかしがった。
「とにかく、今考えている状況が大事だ。それを再現しろ」
再現……!
ナスティは、身体を震わせた。身体が火照る。
ジョニーとの時間を再現……!
(抱きしめ合ったら、次は何をするんだろう? ジョニー好き好き……チュウしたい。そうだ、チュウしよう)
石が、落ちる。
(あれ、チュウしたいのは駄目なのかなぁ?)
ナスティは不思議に思った。
「そうじゃない。言葉を考えるな。身体からの状態を思い出せ」
ティーンが、目を閉じながら注意した。
「体験していなかったら、無理っていう意味?」
ナスティには理解ができない。
「そうとも考えられるが、まあ、今のお嬢ちゃんには無理だな。体験した出来事だけ思い返せ」
ティーンの説明に、ナスティは混乱してきた。
「ぽこぉ……」
ポコチーが、ナスティの太ももに手をのせてきた。
「なすちー、遊ぼうぽこー」
「構えぽこー、さみしいぽこー」
ナスティの肘に優しく噛みついた。噛みついた上で、引っ張る。
「ごめんね、ぽこちー。ボクは今、修行中なの」
ナスティはポコチーに優しく語りかけた。
「ぽごぉっ!」
ポコチーが、怒りが込めた声で、膝の上に乗った。
ポコチーは丸まって、ナスティの足に収納された。
(ぽこちーの身体ってフワフワしている。……そっか、ジョニーとは抱きしめ合った感覚は覚えているけど、チュウはしてないもんねぇ……。うーん、とにかく今は、チュウについて考えちゃダメっていう意味なのだね? ふむふむ)
ナスティは、ポコチーの頭と背中を撫でた。ポコチーの毛並みは、いつ触っても気持ちが良い。
(おっしゃ、ジョニーとチュウする!)
ナスティは決意した。
(木の上でチュウをする? お母さんが見ていない場所がいいな)
ナスティの想像が膨らんでいく。
ティーンが咳払いをした。
「ひゃああ~~」
ティーンは何でも知っている。今の思考も読まれたかもしれない。
大声を出して
「お嬢ちゃん、ど、どうしたんだ? いきなり大声出して……?」
ティーンが動揺した。
「なんでもない」
ナスティは自分の顔が火照っている状況をごまかした。
「ちがう。奴と、ジョニーとチュウすれば解決する話じゃねえ。たとえジョニーから離れたとしても、お嬢ちゃんがお嬢ちゃん自身を愛すれば良いんだよ。ジョニーは、取っ掛かりだ」
ティーンは説明した。
(やっぱり、ティーンさんに思考を読まれている!)
ナスティの頭が、恥ずかしさのあまり、真っ白になった。
ティーンは追求してこなかった。ティーンは大人なのだ。大人は、無駄な行為をしない。はやし立てたりなどしない。
(ジョニーと離ればなれになる? でも、いずれボクはマークカス王子と結婚する。どちらにしても、ジョニーとはバイバイしなきゃいけなくなる?)
ナスティは、現実を直視して陰鬱となった。別れの日は遠くなく、現実に起こる確実な出来事なのだ。
(ボクは、ボク自身を好きになんかなれない。ジョニーはとっかかり……? 難しくて意味が分からないよ)
ナスティは頭を抱えた。“六色連珠”は一切動かない。
「お嬢ちゃん、贈り物を渡そう」
ティーンは空中に手を振ると、手のひらから指輪を取り出した。
宝石がのった指輪である。緑色の宝石は安っぽかったが、子どものナスティにとっては、高価に見えた。
「わあ、ありがとう。ティーンさん」
「もう今日で会えなくなると思うから、おじさんからの餞別だよ。おじさんと話をしたくなったら、この指輪に話しかけるんだよ? いいね。……じゃあ、おじさんは仕事だから」
ティーンが昼前に立ち上がった。
「ええ? 帰っちゃうの? もう会えないって、どういう意味?」
ナスティの質問に答えず、ティーンは家の外に出た。
外には、ナディーンがいた。近所の人たちと話をしている。
「ティーン先生、もうお帰りですか? 一緒にお昼など……?」
「必要ありません。では、今日はこの辺で……」
ティーンは白いトーガを身につけたまま、立ち去っていった。
ナスティは、昼食をすませた後、勉強を光の速さで終わらせる。
「すごい、姫、勉強はやればできるじゃない」
ナディーンが目を丸くする。
それほど正解数は変わっていないのだが、母親ナディーンの機嫌が良くなった気がする。
ナディーンが、母親が優しくなった気がする。
正解の数はそれほど変わっていないのに、全く怒られない。
「ボクって、そんなに馬鹿じゃなかったんだ」
母親の要求する水準が無意味に高すぎたのである。
ナスティが勉強できないとは、母親の思い込みに過ぎない。
だが、一方では、自分を低く見積もっているナスティもいた。
「んも~。これまでは、なんだったんだ」
そう思うと、少し腹が立ってきた。
4
家を出て、森の中を歩く。
「うーん、やっぱりジョニーとチュウしなきゃいけないかも。霊力アップのためにも、ジョニーに協力してもらわなきゃ。これは決して疚しい目論見があるわけではないからそのあの……」
ナスティがどうでも良い言い訳を考えていると、声が聞こえた。
「“落花流水剣”!」
ジョニーが木の上から飛び降りていた。
地面に着地すると、また木に登る。
“落花流水剣”の技名を叫んで、手にした竿を振り回している。
より高い木に登った。
だが、飛び降りる段階で躊躇っている。
高すぎると判断して、滑り降り、より低い木を選択していた。
「よっぽど“落花流水剣”が気に入ったのね」
ナスティがジョニーの行動を見ていて、面白くなった。
「ジョニー? お昼ご飯持ってきたよ?」
ナスティが握った米を見せると、ジョニーは勢いよく食べた。
「うん、俺、強くなるよ。姫のお母さんみたいに」
「どうして?」
「姫を守れるように、悪者でもやっつけてやるんだ」
ジョニーが腕を振り上げた。
英雄に憧れている年相応の少年である。
「子どもみたい……」
ナスティは笑った。心の底から嬉しい。優しい風が、ナスティの胸を撫でた。
これほど自分を愛してくれる存在がいただろうか!?
(ジョニーは絶対に強くなる……)
ジョニーの夢は、実現する、とナスティには分かった。
ジョニーには戦いの才能がある!
頭が良いだけではないのだ。
(でも、ジョニーが強くなりすぎて、威張りん坊になっちゃうかも)
一方で、ジガージャの妻ガラシャが殴られる様子を思い返した。
マルギカの卑怯な笑みに、不快な気持ちが現れた。
「ジョニー……約束したまえ」
ナスティには実家を手放す前、ティーンとは別に家庭教師がいた。その家庭教師の口調が乗り移った。
「ジョニー。男の子なら、女の人に暴力を振るってはいけないぞ。ボクとの約束だ」
先生の口調を真似した。
「うん、分かった」
ジョニーは朗らかに応えた。米粒を頬につけている。
(うわ、かわいい!)
ナスティは、ジョニーの胸に飛び込んだ。
自分の頬をくっつけた。
ジョニーが真っ赤になる。顔から汗を出し、口から変な息を吹き出している。
(あれ、ボク、何をやっているんだろう?)
ナスティは、急に恥ずかしくなってきた。衝動的な行動に出すぎた。
(ごまかすナリ)
ナスティの思考が変になった。
いきなり大胆な行動を冷静になったため、
(そう。ごまかすには、どうすれば、そうだ、抱きついたいから抱きついたのではないナリ)
ナスティの肩に、ジョニーの手が置かれた。引き離すつもりだ。
そうはさせない。
「くんくんくんくん」
「姫、嗅がないで。どうして嗅ぐの?」
「わんわんわんわん」
「どうしたの、姫? おかしいよ?」
「犬の真似ナリ。犬って、臭いを嗅ぐナリでしょ? 犬の真似をしているナリ」
ナスティはごまかした。ジョニーの匂いを嗅いでいたい。
「どういう状況?」
ジョニーが慌てふためいている。
(ここでチュウのチャンス……)
ナスティは獲物……ジョニーを見据えた。すべては計画通り……。
「ぽこぉ!」
ポコチーの一鳴きで、ナスティとジョニーは離れた。
ポコチーが蛇を咥えている。
「なすちー、蛇を捕まえてきたぽこ。食えぽこ!」
「あ、ありがとう。ぽこちー。早速料理するね」
ナスティーは蛇の尻尾を掴み、岩に頭部を強打させた。刃物で頭と内臓を切り落とし、皮を剥ぐ。
蛇の死体処理は、何回もやっているので馴れている。
「蛇、食べる?」
ジョニーに勧めた。蛇を枝に巻き、火で炙る。
「……食べないよ。蛇は神聖な生き物なんだ。……ここでは。多分」
ジョニーが拒否する。
「はにゅはにゅ……美味しいのに」
「姫って、高いところとか暗いところ、お化けとか怖いくせに、蛇は怖くないんだね」
「はにゅはにゅ……蛇は食べられる。でも、高いところや暗いところ、お化け蛇以外は食べられないからね」
「食べられるか食べられないかで、怖さを決めないで?」
船、ジガージャ、ティーンの話をした。
「時間を巻き戻せるとか、ジガージャの霊骸鎧って、強すぎるよ。ジガージャとティーン親方の二人がいれば、救世主なんていなくても、世界を救えそうだよね」
と、ジョニーは笑った。
笑ったが、すぐに落ち込んだ表情を見せた。
「ボクがいなくなると寂しいよね。……ジョニーも一緒に、シグレナスに行こうよ」
と、ナスティは提案した。
「無理だよ……。奴隷は、この村から離れられない。皆にバレたら殺されちゃう」
「こっそり逃げればいいよ」
「……親方を裏切るわけにもいかない。いいんだ。俺、この村に一生残る。姫が来てくれたら、いつでも歓迎するよ」
ジョニーは悲しげな表情をした。
「ジョニーの馬鹿! ……もう知らない!」
ナスティは立ち上がった。
怒りながら、家に帰る。
(本当は来たいくせに! どうして、ひねくれた態度を取るの? 二人で行けば幸せにきまっているのに!)
ナスティは怒った。ジョニーに対して腹を立てたのは、初めてだ。
「出発は明日?」
家に帰ると、ナスティは驚いた。
「ねえ、お母さん。ジョニーも連れて行って」
「……ジョニー。一緒にいた男の子ね。だめよ。奴隷はこの村の所有物なんだから、連れて行けない。……村の人たちに迷惑を掛けられません」
「でも、ジョニーは一番の友だちなの。命も助けてくれた……! ボクをずっと守ってくれた」
「ダメです。……姫、貴女はマークカス王子と結婚するのですよ。嫁入り前の娘が、どうして、結婚相手でもない、他の男の子を連れ回すのですか?」
ナディーンが怒った。激しい怒りを押し隠した、冷徹な怒りである。
「でも、だって、だって……!」
ナスティは泣いた。
ナスティが泣き終えた後、ナディーンは吐き捨てるように呟いた。
「アンタなんか、産まなきゃよかった」