救世主たち
1
マルギカは、鼻血を垂らしながら、怒っている。
「出でよ、我が霊骸鎧……“茸頭”!」
印を組んでいる。
「隙あり!」
ジョニーは、釣り竿でマルギカの股間に向かって振り上げた。
「はぎょぉ? 卑怯者、変身途中で攻撃する奴がいるか!」
マルギカが内股になって、情けない声で叫ぶ。
「隙を見せた奴が悪いんですぅー」
ジョニーは、舌を出して煽った。もう一度、マルギカの股間を強打する。
「はあう……」
二度も喰らい、マルギカが股間を押さえて倒れた。痙攣している。
ジョニーがマルギカを竿で突っつく。
「死亡確認……! 逃げよう!」
ジョニーがナスティの腕を引く。ナスティは訳も分からず、駆けだした。
「……間に合って良かった!」
ジョニーが笑った。
屈託のない笑顔に、ナスティは胸が高鳴った。矢で射られたような心地よさが広がる。
「ねえ、ジョニー。どうしてボクたちの居場所が分かったの?」
「なんとなく! 真っ暗なんだけど、なんか姫がいる場所が分かっちゃった! 光がパァーッてなっていて、追いかけたら、姫たちがいたんだ」
「よく分かんない」
ナスティは、素っ気ない態度で、嬉しさをごまかした。
何も伝えなくても、ジョニーに自分の居場所を知ってもらえたのである。ジョニーと強いつながりが証明されたかのようだ。
「俺も……!」
ジョニーが楽しげに答えた。
(なんて素敵な笑顔なんだろう。ますます好きになっちゃう……!)
ナスティは困惑した。嬉しい悩みである。
「子どもだ、子どもを狙え!」
うずくまっているマルギカが、金切り声でガトゥーインに命令した。
凶悪な類人猿のような咆哮をあげて、ガトゥーインが起き上がる。
四つん這いになって走り出した。ジョルガーに穴を開けられた片足を引きずっている。
速度は落ちても、ナスティやジョニーにとっては、猛烈な速度であった。
(追いつかれる……!)
ナスティとジョニーの間に、疾風が通った。“桜花騎士”ナディーンであった。
ジョニー共々、ナディーンの両脇に抱え込まれる。
ナディーンが走り出した。
地に足がつかず、宙を行く様は、空を飛んでいるかのようだ。
「速っ」
ジョニーが驚いている。
常人では出せない速度で森を駆け抜ける。
ナディーンは、ガトゥーインを引き離し、跳んだ。
いきなり重力に逆らった結果、ナスティは内臓を引っ張られて呻いた。ジョニーも同時に呻いた。
ナディーンは木の幹を蹴り、枝の上に飛び乗った。
ナスティとジョニーは顔を見合わせた。いつの間にか、高い木から生えた、枝の上にいるのである。
ナディーンは、ナスティとジョニーを下ろし、枝の上にまたがらせた。
地面と距離がある。
ナスティは、目眩を起こした。
「落ちる……」
ジョニーに抱きしめられた。
ジョニーの骨っぽい、細い身体に抱きつかれて、ナスティは目を見開いた。
「こうしていれば、落ちないよ」
「うん……」
ナスティはジョニーに身を預けて、目を閉じた。ナスティの背中に、ジョニーの手が掛かる。
ジョニーの手は、柔らかく、優しい。
「俺たち、どうなるのかな?」
ジョニーの声が震えている。どうして震えているのか、ナスティには理解ができない。
(いきなり高いところにいたから? それとも……?)
ナスティはジョニーの肩に手を突いて、空間を作った。ジョニーの唇に指を当てる。
ジョニーが、顔から火を噴いている。
「静かに。お母さんがやっつけてくれるから。得意の必殺技を見ててね」
「必殺技?」
ナディーンが、枝の上に立った。
「お母さんの霊骸鎧は“桜花騎士”。木に隠れても、敵に気づかれない能力を持っているの」
「隠れているだけじゃ、倒せないよ?」
「いいから、いいから」
足下にガトゥーインが足を引きずって、辺りを見回している。ナスティたちを見失っているのだ。
ナディーンが、枝を蹴って、飛び降りた。
全身を捻らせて、回転する。
剣の残像が、回転する花びらのように見える。
ガトゥーインと交差した瞬間、ガトゥーインの首が跳ねて、森の中に消えていった。
遅れて、ガトゥーインの胴体が派手な音と、砂煙を立てて倒れる。
「うわわわわ? なに、あの技?」
ジョニーが、興奮して叫んだ。まるで英雄を見たかのような、子どものようだ。年相応の振る舞いではある。
「“落花流水剣”……」
ナスティは意気揚々と応えた。仲の良い母親とは自慢できないが、母親の戦闘能力にかんしては、誇らしかった。
ナディーンの変身が解けた。
片膝を突き、苦しげな顔をしている。
「凄い……けど、どうして姫のお母さんはうずくまっているの?」
ジョニーが疑問を口にした。
「あの剣はね、うちの王家に伝わる秘宝なの。攻撃力は高いけど、その分、使う人の霊力を奪う」
「呪いの剣じゃないよね」
「呪われてないって……。お母さんが助けてあげなきゃ……降りられない」
ナスティは下界を見た。相変わらず高い。
「待ってて……!」
ジョニーは、ナスティから身体を離した。ナスティがジョニーの温度を名残惜しく思っているまもなく、ジョニーは、木の幹にすがりつき、木を滑り降りていった。
「凄い、こんな高いところから一気に降りられるんだ」
ジョニーの身体能力の高さにはいつも驚かされる。
「姫。飛び降りて、受け止めるから」
ジョニーは両手を広げた。
「えっ? 無理。高すぎるよ」
ナスティは怖がった。胸に冷たい風が通り抜ける状態だ。
(ボクを受け止める気……? あんな薄い胸のくせに……?)
ジョニーの心配する、必死な顔に、ナスティの胸が何かに打たれた。
ジョニーを見ると、不安が消し飛んだ。
(ジョニーなら、ボク、身を委ねられる……!)
ナスティは目を閉じて、跳んだ。地面に引きずり込まれる重力に、悲鳴をあげた。
ジョニーに抱き留められた。
ジョニーは身体を回転させて、衝撃を逃がした。
ナスティが目を開けると、ナスティの視界に、目をつぶったジョニーの顔が飛び込んでき た。ナスティは、回る世界で、ジョニーを見た。
(凄い……。こんな世界があるなんて)
ジョニーが目を開けると、ナスティは目をそらした。
「それほど高くなかったね」
「本当だ」
ナスティとジョニーは木の高さを見た。
お互い抱き合っていた。気づいて、素早く離れる。
「大丈夫? 姫のお母さん……?」
ジョニーが話題を変えた。
「大丈夫。霊力を使い果たして、眠っているだけ」
ナディーンが寝息を立てている。
2
物音がした。
物体が破裂する音。
秘密基地の扉は、森に偽装されていたが、今は、鉄の扉に戻っている。 鉄の扉は破壊され、破片が飛び散った。
ガトゥーインだった。
「壺おじ……? もう一体いるのね?」
ナスティは身構えた。
(ふん、お前らの相手は、こいつらだ)
ナスティはマルギカの言葉を思い返した。一体だけではなかった。二体目がいるのだ。
ジョルガーが、ガトゥーイン二体目の前に躍り出た。
「ジョルガー爺!」
“暗黒物質”を設置する。
罠を仕掛けているのだ。“暗黒物質”を脚に喰らえば、穴が空く。
「待て、ガトゥーイン。私を乗せろ」
頭巾をかぶった男が、ガトゥーイン二体目の前に立ち、両手を広げた。
ガトゥーイン二体目がひれ伏し、自分の首を頭巾の男に差し出した。
頭巾はガトゥーイン二体目の後ろ首にまたがる。爪で尖った指を、首の後ろにある穴に差し込んだ。
ガトゥーイン二体目の両眼から、青白い光が放る。
ナスティが、マルギカの本棚で見つけた、本の内容通りだ。
ガトゥーイン二体目の姿勢がまっすぐになった。
最初は巨大な暴れ猿、という印象だったが、立ち姿に知性が芽生えている。
ガトゥーイン二体目は一つずつ、ジョルガーが設置した“暗黒物質”を跨いだ。罠を回避しているのである。
「操る人によって、賢くなるの?」
ジョルガーは、避けられた“暗黒物質”を消した。
ガトゥーイン二体目が近づくたびに新たに“暗黒物質”を作った。避けられるたびに、避けられた“暗黒物質”を消す。消しては、また作り直す。
「一度に出せる“暗黒物質”に、限りがあるのね」
“暗黒物質”を作る速度よりも、ガトゥーイン二体目の歩く速度が速かった。
徐々に距離を詰められていく。
間に合わない。
ガトゥーイン二体目が火を噴いた。
ジョルガーが火にまみれた。
「ジョルガー爺!」
ジョルガーの変身が解けた。その場に倒れ込んでいる。
「止めは刺さぬ。こいつらは、すべて実験道具行きだ。奴隷に売るなど、生やさしい真似はしない」
頭巾をかぶった男が、声高に叫んだ。頭巾を外した。
人間の顔とはちがい、嘴があった。両眼は、顔の両脇についている。
鳥だった。
「鳥……? 霊落子?」
ガトゥーイン二体目が炎を吐いた。ジョルガーにではなく、周りの木に、である。火が焼け移る。
「ボクたちを火で囲うつもり? 逃がさない気ね?」
ナスティは、霊落子の意図を瞬時に見抜いた。
森が炎に包まれる。
「お母さん、起きて! 逃げないと、殺されちゃう……!」
ナスティはナディーンを揺らした。
「姫、逃げて……! お母さんは、動けない」
ナディーンから、絞り出すような声が聞こえる。
「姫、逃げよう。ここは危険だ」
ジョニーはナスティの腕を取った。だが、ナスティは拒否した。
「お母さんを……! お母さんを残しては行けない!」
ガトゥーイン二体目との両足が、地面を踏みつける。
鳥頭の霊落子が、ナスティたちを見下ろしている。
ジョニーが、ナスティの前で立ち塞がった。
胸を張り、釣り竿を構えている。
「ジョニー、キミだけでも逃げて! キミは関係ないし、巻き込まれただけ!」
ナスティは叫んだ。ジョニーが殺されるなんて、想像できない。ナスティは涙で視界が揺らいだ。
「ふははは、何が霊骸鎧だ。どいつもこいつも、雑魚ばかりだ」
マルギカが、どこからともなく現れた。ガトゥーインの前に立つ。
「どけ。死体焼き奴隷。奴隷ごとき分際で、この“天使”様に逆らう気か?」
マルギカが、ジョニーをはやし立てる。
「だめだ、どかないぞ! 姫には指一本、触れさせない!」
ジョニーは姿勢を伸ばした。
ガトゥーイン二体目は、ジョニーよりも数倍も大きい。
ジョニーの両足が震えている。
「ジョニー……」
ナスティはジョニーを抱きしめたくなった。
ナスティたちは、死に直面している。いや、死よりも恐ろしい運命が待っている。
だが、ナスティは生きていて、これまでにないほどの幸せな気分になっていた。
「“六色連珠”……!」
腰の部分が、急に暖かくなった。
「助けて、誰か……! 神様」
袋の中に手を突っ込む。熱い。石の数が増えている。
森が静まった。
「どけ! 子どもたちに手を出すな!」
どこからともなく、声が聞こえた。
男の声だ。
(神様……?)
厳しい口調だ。威厳がある。
「“これでもくらえ”、“この野郎!”」
ナスティが振り返ると、後方から閃光が跳んできた。
空気を熱く焼き尽くす、霊力の塊だ。
ガトゥーインの胸にぶつかり、小さな爆発をすると、貫通してガトゥーインの後方に飛んでいった。
(弱点を知っている……!?)
ガトゥーイン二体目は前のめりに倒れた。
「うわ……」
マルギカは、間抜けな声を出して、下敷きになった。
「まったく、騒がしい奴らだよ」
暗闇から、悪態をついている老人が現れた。
「親方……!」
ジョニーが嬉しそうに呼んだ。
「ティーン……さん?」
死体焼き場の責任者にして、親方と呼ばれている“世捨て人”のティーン老人であった。
ティーンの両手から煙が出ている。焼き焦げた臭いがする。焼き爛れているのである。
マルギカは、ガトゥーイン二体目の下敷きになって死んでいた。
「マルギカめ。……死ぬとは、情けない奴だ。ええい、まだ終わらんよ」
鳥頭の霊落子は、無事だった。ガトゥーイン二体目から飛び降りる。
「くそ、ザムイッシュめ。見ておれ」
鳥頭の霊落子が、二体目から飛び降りた。
一体目のガトゥーインに背中によじ登った。
一体目の頭部は、ナディーンに切断されている。
頭部がなくても、霊落子が指に穴を突っ込むと、動き出した。
無頭の一体目が襲いかかってくる。
だが、一体目の脚には穴が開いている。すぐに足下がもつれ、前のめりに倒れてきた。
「ガキども、押し潰してやる」
霊落子は操った。ガトゥーインが匍匐前進して襲いかかってくる。
「壺おじの弱点……!」
胸が隠れている。
「ジョニー、奴の弱点を狙え。分かるよな?」
ティーンの言葉に、ジョニーの両眼は鋭くなった。
「わかった、親方」
男の顔つきになった。子どものジョニーはいない。ナスティは、ジョニーの変貌に、驚いた。
「お嬢ちゃん、アンタもやるんだ」
「やるって、何をですか?」
「そいつに、ジョニーに“祝福”だ。ジョニーだけの力じゃ足りない」
「そんな。できないですよ」
「いいや、できる。最近、嬉しかった出来事はなかったか? 思い返せ!」
ジョニーが助けに来てくれた、嬉しかった。
(ジョニーが好き、好き)
“六色連珠”が熱くなった。
ナスティの両手が光に包まれ、熱くなった。
「これでいいんですか? 間違ってませんか、ボク?」
「俺よりも凄いよ。五〇〇倍はな。……ジョニーの背中に触れな」
ティーンの指示通り、ジョニーの背中に触れた。
ジョニーが光に包まれた。雷にでも撃たれたかのように、全身を逸らす。
「姫、行こう。二人でやっつけるんだ」
ジョニーに手を引かれた。ジョニーの周りには、霊力が強まった。
「どうやって?」
ナスティはの心臓が鳴る。ジョニーが一気に大人っぽくなった。
ジョニーに手を引かれる。
ナスティーは、ジョニーと一緒に、ガトゥーインの肩に飛び乗った。高いところからだったのに、衝撃はなかった。
鳥頭の霊落子が怯えた表情を見せた。
鳥頭は、両手の指をすべて塞がっているのだ。
「隙だらけだね」
ジョニーとナスティはお互い顔を見合わせて笑った。
ジョニーが釣り竿を握りしめた。ナスティがジョニーの手に自分の手を覆い被せた。
「ナスティ、行くよ! いつものやつ!」
「うん!」
鳥頭の尻に釣り竿を振りかぶった。
「オータニサーン!」
同時に叫ぶ。