通路
1
(助けなきゃ……!)
カレンは柵を握りしめた。鉄の冷たくて堅い感触がする。
でも、どうやって?
自分は、貝殻頭に対して非力すぎる。
貝殻頭の集団ですら霊骸鎧の協力を得て、しかも犠牲を出して、ようやく撃退できたのである。
ナスティは単独で、貝殻頭の集団を殲滅した。
そのナスティを……油断して疲れていたとはいえ……クルトは一瞬で倒した。
そのクルトにどう立ち向かえ、というのだろう?
だが、カレンの身体は思う前に動き出していた。
鉄柵を乗り越え、壁を滑り降りる。援軍の貝殻頭たちが通っていた連絡通路に着地する。
近道をした。
カレンは、連絡通路を走る。途中、他の貝殻頭に見つかるかもしれないか不安になったが、走り抜けた。
周囲からは貝殻頭の気配はなかった。ナスティがあらかた殺戮処理した結果である。
梯子を這い上がる。
屋上には、貝殻頭の武器が散乱していた。
カレンは刃物を避けて歩いた。自然と、床が目に入る。
床には、正方形のタイルが敷き詰められていた。正方形のタイルの内部には、ひし形の紋様が刻み込まれていた。一枚で両方の足裏を包み込むくらいの大きさだ。
クルトと、ナスティの姿が見えない。
空を見上げる。青空はなく、青い海が広がっている。青い海の影響で、見晴らしは良い。隠れる場所はどこにもない。
カレンは目を閉じた。
足下より少し先に、黄色い光を感じた。
(……暖かい)
カレンは、ナスティの光だと分かった。平手打ちを繰り出す、普段のナスティからは想像できない暖かさであった。
(どこか懐かしい感じがする……)
カレンは不思議な感覚を覚えた。
この感覚は、一体なんなのだろう?
(過去に出会った……?)
だが、カレンの逡巡は打ち破られた。
ナスティが移動している。
ナスティの前に、大きな輪郭が見える。クルトだと分かった。クルトの後を追うかのように、ナスティは移動している。
カレンは目を開いて、現実の世界に戻った。
風が吹いている。貝殻頭の残した武器が重なり合って、音を鳴らしている。
先ほどの激戦を忘れるほど、静かだった。このまま無駄に時間が過ぎ去っていく。
だが、カレンはナスティを助けなくてはならない。
どうやって、クルトは建造物の中に入っていったのか?
カレンは周囲を見渡したが、屋上には、階段らしきものはない。
梯子か何かで移動した、とカレンは考えた。
カレンがこの場所に来るまで、クルトとすれ違わなかった。とすれば、カレンが昇った梯子を使わなかった。
屋上の周囲には、鉄の柵が囲っているが、カレンの場所から反対側に、柵が途切れている空間が見えた。
カレンは走った。
だが、途中で、何かを踏んだ。
実際に何かを踏んだのではなく、なにか違和感がある。立ち止まり、足下を見る。
タイルの模様が微妙に違う。
他の箇所は、正方形の中にひし形の模様が施されていたが、カレンの足下は円形の模様が組み込まれている。
円形模様のタイルが四枚、正方形に並べられている。
カレンは四枚の中央にあるつなぎ目に、両足を揃えて乗った。
だが、何も起きない。何かが起きると、期待はしていた。
(当然だ、ただの模様だろう)
カレンは無視して走り出そうと思ったが、止めた。
閃いたのである。
(そもそもクルトは、どうやってこの屋上に現れたのだろう?)
ナスティと貝殻頭が戦っているとき、クルトは、いきなり現れた。梯子を昇ってきた様子もなかった。
(これはきっと、貝殻頭だけに反応する仕掛けなんだ)
カレンは足下の模様を眺めて思った。
クルトが黒い煙を発している様子を思い返した。
穴の開いた右手や、片目を潰された頭から黒い煙を出して、怪我を治していた。
頭から煙を出す。
カレンは、インドラの霊骸鎧を連想した。
擬態者。
インドラの霊骸鎧も、何か黒い煙を頭から出していた。
(インドラは貝殻頭のふりをしていた)
と、カレンの推測した。
(僕も貝殻頭の真似をできないだろうか?)
カレンは目を閉じた。
自分の頭から黒い煙を出す様子を、思い浮かべた。
(僕はクルトだ……)
カレン自身の映像が見えた。カレンの頭から煙が出てくる。
熱い。頭が熱い。
髪の毛が燃えているようだ。
(冷たい)
反対に、爪先が冷たくなった。身体が沈む感覚に陥った。冷たさが膝下までに到達した。
泥沼に足を踏み入れたときの感覚を思い返した。
カレンは目を開こうと思ったが、開けなかった。いや、開かなかったというべきか。
泥沼に胴体を飲み込まれていく。はては、顔まで飲み込まれていった。
カレンは頭を棒で殴られたような衝撃を受けた。大きな音と痛みが、頭の中に響きわたる。
息ができない!
引きずり込まれていく。
下に、下に……。
2
薄暗い中、額から汗が伝う。
滴る汗が、床に落ちた。
妙な熱っぽさと疲労に、カレンは目を覚ました。
絨毯が、目に飛び込む。カレンの汗は、絨毯の薄い素材に吸い込まれていった。
絨毯は、鉄製の床に敷かれていて、無機質な模様が描かれていた。絨毯の向こうには、鋼鉄の通路が続いている。
天井を見ると、網目状の鉄板が組み合わさっていた。とくに、異常は見られない。
カレンは、よろめきながらも立ち上がり、クルトたちを追いかけた。
(ここは何だろう……?)
周囲は薄暗い。
通路の左右に部屋が振り分けられていた。透明の壁……ガラスで部屋の中が分かる。部屋から僅かに光がこぼれていて、通路を見渡す光源となっている。
寝台のある部屋や、多数の机や椅子が並んだ大部屋が見える。
貝殻頭たちにとっての居住区だと、カレンは理解した。
目を閉じて、ナスティの光を探す。
通路を折れ曲がった先に、クルトと一緒にいる。
途中、通路は格子戸に遮られていた。
格子の隙間から、先が見える。先も似たような通路である。
右側の壁にレバーがあった。
レバーを倒した。格子戸が、機械と機械が擦れあう音を立てた。軋みだし、上昇していく。
一瞬だけ、クルトが後方からの音に振り返る映像が見えた。クルトが振り返っても、そこは無人の空間だった。
カレンの視点が切り替わった。目の前の格子戸が、天井の隙間に飲み込まれていく。
隙間に収納された格子戸をくぐって、カレンは進んだ。カレンの位置からはまだ見えないが、クルトを警戒して、壁際に進む。
カレンは、走った。
通路を曲がる。
少し遠くに、クルトの背中が見えた。
クルトの甲冑は奇妙な構造になっていて、マントに膨らみがあった。
後ろから見ると、張り出したテントのように見える。
クルトの歩みは、遅い。
ナスティを片方の足首を掴んで、引きずっている。ナスティを死んだ魚のように扱っている。
ナスティの身体からは力を感じない。
ときどき床と床の隙間にひっかかった。
クルトが乱暴に引っ張り、ナスティの身体は浮き上がったかと思うと、床にぶつかった。
ひるがえったスカートから、ナスティの脚が露わになっていた。
(綺麗な脚をしているな)
と、カレンは不謹慎にも思った。見事な骨格に、筋肉がちょうど良くついている。
ナスティの足首に、クルトの爪が食い込んでいる。
爪が食い込んでできた傷から血が滲んでいる。カレンは、痛々しく感じた。
クルトは、歩みを止め、一室の前に立った。
自由な片手から電流を発して、突起物に触れる。
仕掛けの調子が悪いのか、扉が開かない。クルトは首をひねって、もう一度試した。だが、扉が反応しない。
(クルトたちが一度あの部屋に入ってしまえば、僕はもう入れないだろう)
カレンは直感で理解した。
戦うしかない。
両手を目の前に出して、白い剣を表出させた。地下の墓地で、貝殻頭一体に止めを刺した武器だ。
だが、カレンには力が残っておらず、白い剣は短刀のように短かった。
(ちょっと頼りないけど、これで十分)
自分に言い聞かせる。
カレンは走った。物音を立てず静かに、身を低めて、全力で走った。
クルトは扉と格闘している。まだ気付かれていない。
だが、接近するにつれ、遠目で見る場合とは違い、カレンはクルトが思ったよりも巨体だと分かった。
カレンの全身と比べ、一回り、二回りと大きい。
一撃では倒せない、とカレンは予測した。的確な予測が躊躇いとなった。
躊躇いが、クルトに振り向く時間を与えた。




