“獣”
1
ナスティはそのまま家に帰り、眠った。
白い少年の夢は見なくなった。
次の日になった。
ナディーンたちが夜盗討伐から帰って、話をしている。
ナスティはポコチーが捕まえてきた蛇を無表情で調理し、無表情で食事を済ませた。
血糊が付いた銅貨を渡される。ナスティは無表情で血糊を布で拭い取った。
ナスティは、教科書を机の上に広げる。ナディーンに指示された勉強部分は、すでに終わらせている。今日中にやる勉強は残っていない。
袋から、六つの玉を取り出して、机の上に並べた。
一つずつ、指で数を数えた。
「緑、白、青、赤、黒、黄色……。色が色々あるね。名付けて、“六色連珠”……」
ナスティは勝手に命名した。
机が傾いているので、玉が転がった。下手に手を置いて、落下を阻止する。
転がすためにあるのではない。
死体焼き場の管理人ティーンは、“六色連珠”を空中に浮かせていた。
(凄かったな……。ティーンさん。空中に浮かせて……。でも、なんの意味があるんだろう?)
ナスティは、“六色連珠”をつまんで、空中に放り投げた。
「ほりゃあ~」
空中分解した六つの玉が、それぞれ好き勝手な方向に飛び散った。
床にばら撒かれて、派手な物音を鳴らす。
「なにこれ~? 怖いぽこぉ~」
物音に反応したポコチーが飛び上がって、走って逃げる。
「わちゃー、ごめんね、ぽこちー。空中に浮かせるなんて、無理だぁ……」
ナスティがしゃがんで拾い集めた。
「なによ、これ」
見上げると、母親のナディーンが両手に腰を当てて、怒っていた。
「……どうやってこんなオモチャを見つけてきたの?」
「死体焼き場のおじさんにもらったの……」
「死体焼き場? どうしてそんなところに行ったのよ?」
「成り行きで」
「そんな穢らわしい人たちと関わってはいけません。返しに行きなさい」
「だって……」
ナスティは、それ以上、返答しなかった。精一杯の抵抗である。
「……わかりました。お母さんが捨ててきますからね」
ナディーンが“六色連珠”を集めて、腰に下げた小袋に詰め込んだ。没収されたのである。
ナスティは涙で視界が揺らいだ。自分にとって大切だと感じている対象を取り上げられたからである。
「これから、お母さんたち、出かけてきますからね。留守番お願いね」
一人残された。
ポコチーは丸くなって眠っている。
何もする気がなくなった。
ふと、ジョニーを思い返した。
「ジョニーの体調は大丈夫かなぁ。本来だったら、今日のジョニーは忙しいんだよね……」
ジョニーの仕事場……死体焼き場は、昨晩、母親ナディーンたちが虐殺しまくって、死体の処理で忙しい。
「ボクはなんて駄目な奴なんだ……」
ナスティはジョニーを思い返すと、涙が出てきた。
いつもジョニーに迷惑を掛けている。
砂を掘っているときも、ジョニーは自分を顧みなかった。
「どうしてジョニーは、ボクなんかのために頑張ってくれるんだろう?」
ナスティの中から力が湧き上がってきた。
ティーンに“祝福”を受けた影響か、力がある。
頭からつま先まで、芯が通った感じになった。
「何かしよう。ジョニーに頼りすぎてはいけない。……ねえ、ぽこちー。ボクは何をすれば良いんだろう?」
ポコチーの両脇をつかんで持ち上げる。
ポコチーは自分の鼻先を舌でなめて、目をそらした。
「ねえ、目をそらさないで。ぽこちーは、何をしたいの?」
「ぽこちーは、ぽこ美に会いたいぽこ!」
「ぽこ美って誰?」
ナスティは笑った。
「ぽこちーの恋人ぽこ!」
ポコチーが身をよじって、ナスティの拘束から逃れた。
「恋人……?」
いつものナスティとは違う。
いつも、一人で泣いていた。
だが、自分の内側から力強さが溢れ出てくる。
「お母さんを追いかけようかな? でも、今からだと間に合わないだろうね。夜盗……マルギカの手下たちと戦っている中、ボクなんて足手まといになるだけだ」
金色の輪を取り出した。昨日、死体焼き場で見つけた、少年の遺品である。
マルギカに殴られていた女性が、少年の母親だという。
「お母さんに、白い子の輪っかを渡せば良いのかな? ……マルギカの屋敷に忍び込む!」
ナスティは閃いた。
「ボク、マルギカの家に行ってくるね。ぽこちーは、お留守番していてね」
「ぽこぉ?」
ポコチーが首を傾げた。
2
ナスティは、漁村に向かった。
「あれ、お母さん、ここに捨てたの?」
途中で、“六色連珠”が落ちていた。
道の真ん中にである。草むらや、道の脇ではない。
まるでナスティに見つけてもらうかのように、道の上に、縦に並んでいた。
六つのうち、赤い玉が焦げ臭かった。
「……ちがう。お母さんは捨てていない」
ナスティの前に、映像が浮かんだ。
赤い玉が燃えて、母親の袋を焼いて、穴を作り、落ちたのだ。赤い玉を先頭に、他の玉も続いて落ちた。
偶然にしては、できすぎている。
人の往来は見えないが、通行人であれば、気づくだろう。
ナスティは自分の小袋に、“六色連珠”を回収した。
漁村にたどり着く。
広場は静まりかえっている。
本来であれば、タダラスの処刑が行われていた。
「良かった! タダラスは死なずに済んだのね!」
ナスティは安心した。子どもが殺されない日もあるのだ。
屋台での買い物はしなかった。
素通りする。
マルギカの屋敷にたどり着いた。
ナスティは扉を叩く。
「ごめんくださ~い。……馬鹿、なんでボクは声を掛けたんだろう?」
ナスティは、自分の頭を小突いた。
だが、返事はなかった。
ナスティは扉を押すと、簡単に開いた。
「開いている?」
扉の隙間から、魚とカビの混ざったような臭いが吹き込んできた。
「ごめんください……」
ナスティはまた、声を掛けた。どちらかというと、中に誰かいないか確認するためだ。
いるなら、侵入しない。
物音が一つもしない。
中を覗くと、家の中は、暗い。
木製の窓は、押し引きで開閉する仕組みになっていて、木の板と板の隙間には、目張りがされていた。
完全密封になっておらず、目張りの隙間から太陽光が細く狭く差し込んでいる。唯一の光源であった。
「白い子のお母さんを探さなきゃ……」
ナスティは壁を手探りしながら進んだ。
マルギカに殴られていた女……。
玄関を抜けると、家財道具が壊され、散乱した部屋に来た。
隙間に光があるとはいえ、基本的には光源が少ない。
「マルギカたちはどうやって生活をしているんだろう?」
部屋を後にする。
「マルギカの部屋に行けば良いのかな? ……マルギカの部屋がどこなのか分からないけど」
壁沿いに歩くと、また家財道具が散乱している部屋に来た。方向感覚が崩れていく。同じ場所をくるくると回っているのだ。
それなのに、玄関は見当たらない。
有事の際、脱出経路として出口を確保したかったが、玄関そのものを見失った。
ナスティは焦った。家の生暖かい空気と、腐った魚の臭いの中、汗をかいた。
(よく分からないけど、白い子の問題を解決して、なんの意味があるんだろう?)
不安になってきた。
(白い子とマルギカが仲間だったら? 白い子がボクに乗り移って、マルギカのところまで誘導しているだけでは? ……だったら、このまま引き返せば良いのかな?)
不安に駆られる。
ジョニーを思い返した。
死体焼き場の熱気で苦しんでいる。
「だめだ、ジョニーの頑張りを無駄にはできない。……ジョニーは、ボクのために頑張ってくれたんだ! ボクは、一人でも意思を貫くぞ!」
ナスティは、力が湧いてきた。
ティーンから“祝福”を受けたときと同じだ。
「自分の意思だ。自分で決めるんだ。……絶対に、白い子をお母さんに会わせる!」
ナスティが決意した瞬間、どこからともなく視線を感じた。
部屋と部屋の間に、何者かがナスティを見ている。最初は怯えた眼をしていたが、次第に憎悪に満ちていった。
人間というより、動物に近い。ポコチーのような小動物ではなく、ナスティよりも大きく、いや、人間の大人と同じくらいの大きさだ。
影は、動物的な素早い動きで、壁に隠れた。
(家の中を走っている……? )
最初、ナスティは馬の蹄を想像していた。
いや、爪だ。鋭利な爪が、石の床を引っ掻く音である。
不快な金属音が家中に鳴り響く。
敵意と憎悪。
肉食獣が自分の“縄張り”を主張するとともに、獲物を見つけた喜びを表現しているかのようだ。
ナスティは胸を削られるような、冷たい恐怖に包まれた。
静かになる。
家の構造は、周回する構造になっている。
「回り込まれた? それとも、どこか暗い場所に隠れている……? どうしよう、どうしよう?」
恐怖で脚が震える。
「ジョニー……!」
ナスティは目を閉じた。ジョニーを思い返すと、恐怖が薄れていく。
世界は暗転した。
目を閉じているのに、別の映像が見える。
家の中だ。
白い影が動いた。
白い影はナスティだった。
ナスティは、白いナスティと目が合った。自分と自分の目が合うとは、奇妙な体験であった。
(今、ボクは、ボクとは違う、誰かになっているんだ……! 今ボクが見ているボクは、別の誰かから見たボク……!)
自分とは違う何か……ナスティは“獣”と呼んだ……は、壁に隠れた。
(今のボクは、“獣”なんだね。どうやったら、獲物を捕まえるかな? ……待ち伏せだ)
獲物を効率的に捕獲する方法を、である。
爪のある手と足で、家の中を駆け巡った。視力が良く、暗い部屋でも、よく見える。走る速度が、ナスティの数倍も速い。
金属音を鳴らして、出入り口……玄関の前に潜んだ。
光は苦手だ。太陽光が届かない位置に、陣取った。
“獣”は身を潜め、ナスティを待ち伏せしている。
ナスティは現実の世界に引き戻された。
「どうしよう……?」
3
ナスティは迷った。
このまま玄関に逃げては捕まってしまう。
自分もどこかに隠れて、やり過ごすか?
やり過ごしても、マルギカが帰ってきては問題だ。
「落ち着いて……今日の目的は、白い子のお母さんを探す……」
ナスティは自分を落ち着かせた。いや、すでに落ち着いていた。
白い子のお母さんに、金色の輪を渡す。何が起きるか分からないが、白い子に頼まれた気がする。いや、頼まれたのだ。
「あっつ……」
腰が燃えるように熱い。
いつの間にか“六色連珠”を包んでいた袋が、ナスティの腰元で熱くなっていた。
球体が熱い。
(ボクの霊力に反応している……?)
不思議と、“六色連珠”に対しては恐怖はなかった。むしろ、安心感がある。唯一の味方ですらある。
ナスティは、袋から、赤い玉を取り出した。熱を持っている。
「うーん、キミたちが武器になってくれればいいのにね……。宙に浮くしかできないんだっけ?」
ティーンは宙に浮かせろ、と指示していた。戦闘能力を期待できない。
それぞれの球体を眺めていると、閃いた。
「待ち伏せているなら、誘い出せばいい」
ナスティが呟いた。
「どこに誘い出す?」
ナスティは、質問をした。自分に対して、である。
「マルギカの部屋……!」
ナスティは、自分が提案した問題の回答を出した。ナスティが二人いて、問答しているかのようだ。
「マルギカの部屋まで誘導する!」
ナスティは閃いた。
「できれば、“獣”とマルギカと相撃ちしてほしいな」
「マルギカの飼っている動物だろうから、多分無理だと思うよ」
ナスティは独り言を呟いた。
“六色連珠”が動き出した。
(引っ張られる?)
見えない誰かが、“六色連珠”をナスティもろとも引っ張っているようだ。
ジョニーに腕を引っ張られる感じを思い返した。
「犬っぽいな。ひょっとして、ジョニーって犬なんじゃ……」
一室に足を踏み入れた。
引っ張られる感覚がなくなる。
「マルギカの部屋……!」
見覚えがある。母親とマルギカが交渉していた場所だ。
他の部屋と違って、マルギカの部屋は片付いており、事務用の机と本棚があった。
机の後ろにも窓がある。
目張りされているが、一部が剥がれて、部屋に光が差し込まれている。
マルギカは、袋に金を数えていたが、金品は見当たらない。別に隠している、とナスティは思った。
机には、特に異変はない。
本棚に向かった。
本が並んでいる。
「どこかにヒントがあるかも……?」
ナスティは一冊を手に取って、頁を捲った。
「これは違う」
別の本と取り替える。
“獣”が動き出した。
音? いや、霊力で分かった。
白い影が、軽やかに動く映像が見えたのだ。
「この場をすぐに離れないと……でも、本棚が気になる」
本棚の一カ所は光った気がした。
不思議な感触である。見れば、動物の皮で装丁されていた。
本全体から、生き物の生暖かい息吹を感じる。
(この本は、生きている!)
ナスティは本を開いた。
獣自体の汗と汚物が毛と毛の間に挟まった、独特な臭いを放った。ナスティは吐き気を催すとともに、立ちくらみをした。
(本に攻撃された? ボクの心を汚してくる? 心を攻撃してきたの?)
だが、ナスティは本の中身に興味を引かれた。
一度手にすると、離れがたい力がある。
心臓が鳴っている。一方では、本なんか捨てて、“獣”が闊歩している家から脱出したい、という気持ちがある。
だが、本の魔力には抗しがたい。
本の中には、人間型の生き物が描かれていた。
「壺おじ……?」
マルギカの地下秘密基地にあった、壺に入った男である。
「ザムイッシュのエーギルを集めて作成する、生物兵器……ガトゥーイン。やっぱり、人間を食べて育つんだね」
ナスティは本を夢中になって読んだ。絵柄が多いので、分かりやすい。
人型決戦兵器ガトゥーイン。
ガトゥーインが、口から火を噴いている絵がある。
「壺おじは、火を噴くのね……」
強力な力をもっている。
首筋の絵があった。首には、一〇個の穴があった。
人間ではない、鳥類の頭部を持った生き物……霊落子が、ガトゥーインの首にまたがって、穴に指を一〇本とも入れている。
霊落子がガトゥーインを操っている絵が出てきた。
「霊落子が、霊力を送り込んで、壺おじを操るのね」
だが、さらに、ナスティは頁を読み進めた。
縛られた人間が、切り刻まれている絵が描かれている。
ナスティは目を背けた。
口から吐く息が荒くなった。汗が噴き出る。本を広げているだけで、体力と霊力が消耗していく。
ナスティの視界が歪みだした。
(ボクの心が、本に吸い取られていく……)
神に背く悪の本。背徳に包まれた、この世に存在してはならない知識を得るたびに、ナスティは霊力を奪われていった。
だが、ナスティは取り憑かれたように読み進み、目当ての頁を見つけた。
「強制終了のスイッチ……」
ガトゥーインの解剖図であった。胸の奥に、赤いスイッチがあった。
心臓に似ている。
「ここが壺おじの弱点……!」
ナスティは本を閉じた。暗記した。ガトゥーインと対峙したとき、母親のナディーンに報告するだけだ。
部屋の入り口に音がした。
ナスティは悲鳴をあげた。
“獣”が、戸口に立っていたのだ。
4
(……猿?)
猿に似た怪物。
髪の毛が長い。
体型から女だと分かった。
手足に、凶器のような長い爪をもっている。
マルギカの地下秘密基地にいた奴だ。
「お母さんがやっつけた霊骸鎧! 正体は女性だったはず……」
“獣”が一歩入り込もうとしたが、差し込む光に入ってこない。
「太陽光を嫌がっている……?」
窓を破ればいい。
ナスティは、窓に向かって走った。
窓に背を向け、“獣”に注意を払いながら、目張りを剥がす。
差し込む光が大きくなった。
“獣”が顔を隠す。
顔を隠した爪の間から、水が蒸発したかのような音とともに、煙が立った。火傷を負ったかのように、水ぶくれを起こしている。
“獣”が、闇に逃げていった。
「やっぱり……! 太陽の光が弱点ね!」
ナスティは窓を見た。
「先の尖った鉄の棒があれば、家中の窓を叩き壊していくのに……。ジョニーみたいな考え方しちゃった」
木製の窓を押す。
長期間、閉じっぱなしだったせいか、泥や小石が詰まって、開かない。
ナスティは、全体重をかけた。
「わわ……!」
勢い余って、窓の外に飛び出た。身体の半分で身を乗り出している。
外は、空中であった。
はるか下を見ると、崖だった。
波が、その身を崖に叩きつけている。
(海……!)
崩れた木の欠片が、岩肌に跳ね返って砕けるまで、時間が掛かった。
「こんな限界な場所に家を建てたの?」
ナスティは慎重な動きで、部屋に戻った。
窓からの脱出は、飛び降り自殺に等しい。
ナスティは、呼吸を整えて、目を閉じた。
世界が暗転する。
“獣”は身を潜んでいる。怒りに身をやつして、“獣”は自身の爪を武器のように鋭く尖らせていた。
ナスティには武器はない。
“六色連珠”を取り出した。
ただの色が付いた、玉だ。
(だめだ……、攻撃力が全然ない! “獣”に効くはずがない!)
いや、たとえ武器があっても、まともに戦って勝てる相手ではない。
(このままだと、マルギカが帰ってくる……)
鉢合わせになったら、マルギカは自分を殺すだろう。いや、殺されるよりも酷い目に遭わされる可能性だってある。
“六色連珠”のうち、緑色が、床に落ちていた。
「いつの間に?」
ナスティの背後に、何かが通った。後ろを振り返ると、誰もいない。
もう一度、緑色の玉を見ると、そこには、何もなかった。
代わりに、大きな石が置いてあった。
「誰が置いたの? なにこれ? 重っ」
緑色の玉を探している暇はない。
次の部屋に移った。
「どりゃああ!」
ナスティは石を投げた。音とともに、木製の窓が割れる。
太陽が差し込んできた。
次の部屋に移る。
ナスティは腰に違和感ができた。
腰に下げた“六色連珠”の袋が重くなっている。
丸い石が入っていた。
「いつの間に? ボクは石を拾っていないよ? でも、有り難い……」
ナスティは石を両手に構えると、石がさらに大きくなった。
「嘘? どうして? まあいいか、……オータニサーン!」
ジョニーの口癖を真似して、巨大化した石を、窓に投げた。ジョニーは石を打ち返していたので、少し違う。
音を立てて、窓から光が差し込む。
「やっぱり、この石は、“六色連珠”だったんだ。ボクを助けてくれているんだね!」
老人ティーンとジョニーの顔が思い浮かんだ。
「ジョニーって凄いな、ティーンっていう凄い人を先生にしているんだもの」
“六色連珠”の一つを取り出すと、石になった。巨大化する前に、足を踏み入れた部屋の窓に投げ込む。
衝突する直前で石は巨大化し、窓を貫通した。
「おりゃああ!」
ナスティは石を投げつけ、マルギカ宅の窓を破壊し回った。我ながら、嫁入り前の王女がする所業ではない。
(お母さんが今のボクを見たら、発狂するね)
マルギカの家に、太陽光が差し込み、明るくなっていく。
出口が、玄関がどこか分かった。暗ければ、見過ごしてしまうほど、玄関までの出入り口が狭かった。死体焼き場の出入り口に、構造が似ている。
玄関も明るくなっている。“獣”の姿が見えない。玄関には何も置いていなく、特に隠れる場所はない。
「やった! “獣”がいなくなっている!」
喜ぶナスティの目の前に、“獣”が降ってきた。
太陽光を背中に浴び、熱くなった油の鍋に、水を注いだような音と煙を出している。
「そんな……? 嘘よ」
太陽光の当たらない、天井にしがみついていたのだ。
猿のような丸い目に、骸骨のような、骨がむき出しになった歯をしている。
太陽光で焼ける背中の痛みを、ナスティの責任であるかのような視線を向けてきた。
爪を伸ばし、しなる鞭のような腕でナスティに殴りかかった。
ナスティは目を閉じた。
「ジョニー……!」
死ぬ直前に、ジョニーを思い浮かべたい。
ナスティが目を閉じると、ジョニーが現れた。ジョニーは、ナスティと一緒に、死体焼き場の砂を掘った。
中から、金色の輪が現れた。
暗転した世界で、“獣”がゆっくりと爪を振り下ろしている。
ナスティは金色の輪を懐から出し、“獣”に突き出した。
爪の動きが止まった。いや、“獣”の動きが止まっている。
ナスティは恐る恐る目を開いた。
現実の世界でも、“獣”は動かない。
ナスティは“獣”の脇を通り抜ける。爪の追撃は来ない。
「あの輪には、動きを止める能力があるのかな?」
ナスティは外に向かって、駆け出す。
振り返ったが、“獣”は追いかけてこない。
マルギカの家から離れると、元船乗りたちが、歯をむき出しにして、不審げな表情をしている。
船乗りたちが見えない場所……広場でナスティは立ち止まった。
足が震えている。
ナスティの瞳から涙がこぼれてきた。
(怖かった~。よかったぁ、生きていて……)
しばらく泣いた。
だが、気分が良い。自分一人の力で、物事を成し遂げた。ガトゥーインの弱点を知る。それ以外に、自力で恐怖に立ち向かい、生き残ったのである。
(死体焼き場……! ジョニーに会いたい……!)
だが、死体を運ぶ台車がごった返していて、焼き場の中に入れない。
「すみませーん。ジョニーのお見舞いに……」
ナスティが呼びかけるが、行列を作った男たちが渋い表情で睨み付けてくる。
だが、通させてもらえない。ナスティは、引き下がった。