世捨て人
1
ナスティは動けない。
地面に頬を伏したまま、何もできない。
人間のカタチをした、白い影が立っている。
「やだ、来ないで」
白い顔が、ナスティの顔に迫ってきた。
「……つらが……くたちを……ろした……かねも……ばわれた。……とうさん……おかあさんは……きている」
ナスティの耳元に囁く。生気のない声であるが、必死さがあった。
「キミの言葉が、どういう意味かよく分からない。……でも、キミのお父さんやお母さんに何かあったとは分かるよ。キミは何がしたいの? ボクにどうして欲しい?」
「あわせて。ぼくを、おとうさん、おかあさんにあわせて」
白い顔が実体化した。くぼんだ両眼には赤い瞳が浮かんでいる。
ナスティは腕を掴まれた。白い子どもの手は冷たく、冷気が広がる。
「会わせるたって、会わせる方法を教えてくれないと、何もできないよ? 会わせる方法があるなら、教えてよ」
ナスティは、叫んだ。
目が覚めた。
牛乳で煮込んだ野菜を食べる。朝ご飯だが、気分が浮かない。妙な夢のせいで、睡眠不足になっていた。
「マルギカさんのとこに行くわよ」
ナディーンに話しかけられる。
「……知ってる」
「は?」
「いや、なんでもない」
甲冑姿のナディーン、礼服のジョルガー、ヤジョカーヌとガトス、合計四人でマルギカの屋敷に向かう。
ポコチーの姿は、見えない。
ナスティたちは、名もなき漁村に着いた。
ナスティは鼻を押さえた。
海岸から魚と人間の死臭が混ざり合って、漂っている。
死体を焼くだけの村。
ナスティは異様な雰囲気に、寒気を覚えた。
砂浜に、小舟が朽ち果ている。まるで、漁船の墓場である。相手にされず、死体を放置されている点では、人間より扱いが酷い。
(人間だけでなく、船の墓場でもあるのね)
改めて見ると、まったく見方が変わった。
(船なんか、最初から貸す気がないんだ!)
ナスティはすぐに閃いた。
骨付き肉をしゃぶっている老人たちが、路上でたむろしている。船を捨て、死体焼きで得たお金で生活をしている、元・漁師たちである。
「頼もう」
ジョルガーがマルギカの家を前にして、叫んだ。
顔色の悪い、痩せた男ジガージャが、出てきてた。顔に痣を作っている。
マルギカに殴られた痕だと、ナスティには分かった。
ナスティたちは奥に通された。
「肉だ、どこに肉をやった?」
マルギカが女を殴り、女が悲鳴を上げる
(おかあさん!)
子どもの声が聞こえた。悲痛な叫びに、ナスティは耳を塞いだ。
ナスティは周りを見渡したが、自分以外に子どもはいない。
(あの人が、キミのお母さんなんだね?)
ナスティは心の声で質問した。どこからともなく、瓶が転がったような音が聞こえた。
マルギカとナディーンが商談を始めた。
(嘘つき……! 船なんか乗せる気もないくせに……!)
母親を騙している、マルギカの悪徳ぶりに腹が立った。
いいや、自分の運命をこんな悪人に預けられている状況に、腹が立つ。
最終的には、……ナスティは知っていたが……マルギカが、相場の三倍を要求してきた。「料金が三倍は不当です。どうかご再考を」
ナディーンが抗議する。
マルギカは無視して、怒鳴った。
「おい、ジガージャ、お客さんがお帰りだ!」
村の広場に出る。
大人たちの事情に関しては、ナスティは関与できない。
ナスティは気分が悪くなった。
処刑された子どもの死体を、“灰”たちが、台車で運んでいた。
「ジョニー!」
ナスティは、ジョニーに勢いよく手を振る。
ジョニーを見ると、一気に機嫌が良くなった。
“灰”たちの注目が、ナスティに集まった。
(二人だけにしか分からない合図を決めないとね……)
ナスティは恥ずかしくなった。
だが、当のジョニーは無視した。
逃げるように顔を背けた。
「あれ、どうして逃げるの?」
家に帰る。
腹が立つ。
母親ナディーンも、マルギカも、好むも、全部が気に食わない。
家に帰っても、ナスティの機嫌が直らなかった。
2
勉強が始まる。
いつもは憂鬱な勉強だが、今日は、やたらと捗る。
一度は解いた問題だからだ。
「どう? お母さん。ボク、いっぱい分数の問題が解けるようになったよ」
ナスティは胸を張った。ジョニーのお陰で、今では、分数の計算が一番の得意分野である。「……こんなの、誰でもできるわよ」
ナディーンが、吐き捨てるように教科書を突き返した。
「え……?」
ナスティは、身体の中で、陶器が割れたかのような感覚になった。
「こんなに頑張ったのに……?」
しばらくすると、ナディーンは、ジョルガーたちと討伐に出かけた。
(お母さんが褒めてくれないなら、ボク、なんのために勉強しているんだろう?)
ナスティは、金槌で頭を叩かれたように、目を回していた。
希望のない、まるで世界の終わりのようだ。
「ぽこぉ……」
ポコチーがナスティの足下にすり寄った。自分の頭を擦り付けてくる。
「なすちー、元気出すぽこ。ぽこちーは、いつも、なすちーの傍にいるぽこ!」
「ありがとう、ぽこちー」
ポコチーは、気合いとともに、膝の上に飛び乗った。仰向けで腹を出してくる。
ナスティがポコチーのお腹を撫でると、ポコチーは腹を揺らした。
「ぽこぉ……。今こそ、ぽこちーだんすのチャンスぽこ!」
ポコチーが起き上がった。
「ぽこちーだーんす、ぽこちーだだーんす、うー! はー! うー! はー! ……決まったぽこぉ」
ポコチーが踊りをし終わった。
「ありがとう、ボク、元気が出てきたよ」
ナスティはポコチーの頭を撫でた。
「まかせろぽこ! ぽこちーだんすは、食あたりから、がん細胞、膨満感にも効果もあるぽこ」
ポコチーが喉を鳴らしている。
「ねえ、ぽこちー……」
「ジョニーといるとね、不思議な感じがする」
「ぽこぉ? 不思議な感じって、どんな感じぽこ?」
ナスティはポコチーを抱き上げた。
「怒りとか悲しみとか、ぜえんぶなくなっちゃう」
「ぽこぉ……」
ポコチーの背中に、顔を埋めた。白くて綿のように柔らかい毛から、日向ぼっこをした後のような匂いがする。
「どうしちゃったんだろう、ボク……? 」
ジョニーの素顔を思い返すと、顔が熱くなる。
「あの-」
誰かが声を掛けてきた。部屋に入ってきた。
ジョニーだった。
「つーん」
ナスティは無視をした。ポコチーを置いて、勉強を再開する。
「どうしたの? 姫?」
ジョニーが困惑する
「……ジョニーさぁ、浮気したでしょ?」
「へ? していないよ」
「嘘だーっ。だって、ボクが声を掛けてもボクを無視したでしょ」
「無視していないよ」
「じゃあ、どういうこと?」
ナスティが厳しい口調で問い詰めた。慌てているジョニーが面白かった。
「……姫を見てると、俺、なんかおかしくなった」
「おかしくなるって? ボクを嫌いになった?」
ナスティが困惑する番だった。
「嫌いになんかならないよ! ……姫を見ていると、嫌な気持ちが消えるんだ」
ジョニーが呟いた。
「それって、ボクと同じ……?」
ナスティはここから逃げ出したくなった。だが、どこにも行きたくない。
ジョニーはモジモジしている。
ナスティは顔から火が出るほど、熱くなった。
「そうだ、勉強! うん、勉強しなくちゃ」
話を逸らす。
ジョニーと勉強をした。一回解いた問題なので、教科書が終盤に近づいてくる。
「ジョニーが、ボクのガルグだったらなあ」
「ガルグって教授? 博士だっけ?」
「王様の家庭教師っていう意味もあるよ。ジョニーは先生に向いていると思う。ねえ、ボクのガルグになってよ」
そうすれば、いつも一緒にいられるのに。
「……そんな先生になれるほど、賢くないし、身分は高くないよ。この村の秘密に気づけなかったしね。……親方みたいな人が先生だと思うけど。俺が賢いときって、姫がいるときだけだよ。姫がいると、なんだか力が溢れてくるんだ。姫がいたからかもしれないな」
「え、どういう意味?」
ナスティは質問をした。遠回しの告白だと思い、胸が弾んだ。
「意味って……。そのままの意味だよ?」
ジョニーが困惑している。
「意味が分からない。ボクがいたら賢くなるって」
「うーん、姫には、人の力を引き出す能力があるんだと思う。マルギカの秘密基地で、俺の力が急に強くなった。子どもの俺に、先の尖った鉄の棒であんなスイッチを壊せるはずがない」
「記憶がないな。ボク、どうやってキミの力を引き出したんだっけ?」
ナスティにはまったく心当たりがない。
「覚えていないの? ほら、姫が俺にこう……」
抱きついて……ナスティには、ジョニーの続く言葉が分かった。
「ジョニー、顔が赤いよ?」
「姫も……」
二人は顔が同時に真っ赤になった。
下を向く。
「ねえ、どこかに行こうか」
ナスティが提案した。
このまま二人きりでもいいけど。
「勉強はすぐに終わったよ。明日の分どころか、ずっと先まで、しばらく勉強をしなくても良いくらいできたよ。……ジョニー、どこかに連れて行って。暇になっちゃった」
と、ナスティは、机の前に突っ伏した。いつの間にか、ポコチーはナスティから離れ、寝台の上で丸まっている。
「うーん、特に面白い場所は、この村にはないなぁ。マルギカの秘密基地は昨日行ったし、何度も行きたくないし……」
ジョニーが困っている。
ジョニーがぼやけて見える。
「あれ……」
ナスティは、ジョニーを見失っている。
家の壁が消え、青い海が見える。
どこかの浜辺だ。普通の浜辺と違って、土が燃えている。
「死体焼き場……?」
燃えている土の上で、白い少年が立っていた。
少年は地面を燃える土を指さしていた。
「……掘り返して欲しいの?」
少年に問う。
「あっつ」
手を突っ込んだ
「そりゃ熱いよ。ほら」
ジョニーがショベルを持ってきた。
世界が暗転した。
海辺が消え、ナスティの家に戻った。ジョニーが目の前にいる。不思議そうな表情をしていた。
「死体焼き場に行きたい……! そこに秘密が隠されている気がする」
ナスティは、立ち上がった。見えた映像が気になる。
「どうして? 姫みたいな女の子が来るような場所じゃないよ。楽しくないよ?」
「ジョニーの親方に会ってみたい」
「親方ってめちゃくちゃ変な人だし」
「いいから! ジョニーを育てた人って、どんな人か知りたい」
ナスティはジョニーの背中を押した。
「ぽこぉ? なすちー、どこかに出かけるぽこか?」
ポコチーが途中まで見送りに来た。
「ごめんね、ぽこちー。留守番、お願いするね」
3
死体焼き場の出入り口は、壁と壁の隙間にある。
真正面から見ても、見つからないが、壁に張り付きながら見ると、見つかる不思議な構造をしている。
近づいただけで、腐った魚をひたすら煙でいぶしたかのような悪臭を浴びせられた。
中に足を踏み入れると、さらに臭いが強まった。
地面が熱い。
普通の砂浜と違って、白い灰で覆われている。
灰には火が燻っている。
男だか女だか性別のつかない、皮と肉が赤くただれて焼けた死体が横たわっている。
死体焼きの奴隷たち……“灰”たちが、一生懸命、ショベルで死体に灰をかけている。
灰は、燻った火を内部に秘め、徐々に死体を焼いている。
灰が舞い上がり、潮風に乗って舞い上がった。
“灰”たちが、ナスティを見たが、我関せずの態度で、自分たちの作業に戻った。
過酷な環境下で、部外者の相手をしている暇はないのである。
「姫、“耐火外套”を着るんだ。火傷しちゃうよ?」
サンダル越しに足の裏が熱いが、ナスティは気にならなかった。
死体を見ても、恐怖を感じない。
これだけ臭いを浴びているのに、吐き気を催したりしない。
まるで自分に何かが乗り移ったかのように、目的地を探した。手には、家から持ってきたショベルがある。
ナスティは目を閉じた。
世界が暗転する。
白い子どもが、ナスティの前を通る。
“灰”たちや、灰をかけられた死体をすり抜けて進んでいる。誰も、白い影を気にする者はいない。
「そっちね!」
ナスティは、“灰”たちや死体を避けて、追いかけた。
白い少年が、立ち止まった。
指を下に向けている。
ナスティは、ショベルを、焼ける地面に突き刺した。ナスティの腕力だと、使いづらい。
「姫、何をしているの? “耐火外套”を着ないと、死んじゃうよ?」
ジョニーが心配している。だが、ナスティは無視をした。
掘らずにはいられない。
「熱い!」
割られた地面から、熱風が吹き出る。ナスティの手を襲った。
「これを着て……! 何もしなくても、火傷しちゃうよ」
ジョニーは“耐火外套”を脱いで、ナスティに被せた。
ジョニーは、ナスティからショベルを奪って、掘り出した。
熱風を浴びている。
「いいよ、ボクがやるから……!」
ジョニーは止めない。
「返して……!」
ナスティはショベルを奪い返そうと、ジョニーの身体をくすぐった。
ジョニーは笑いをこらえている。
(ジョニーって、けっこう逞しい身体しているんだよね)
ナスティはどうでも良い分析をした。
ジョニーがショベルで、ひたすら穴を掘っていると、金属音がした。
ナスティは、ジョニーと顔を見合わせた。
ナスティとジョニーは地面に両膝をつけ、手で砂を掻きだした。
(ボクは何をやっているんだろう……?)
自分の意思と関係なく、身体が勝手に動く。
地中から熱風が何度も吹き出すが、“耐火外套”の影響で熱くない。
ナスティは、金属を取り出した。砂や泥を払うと、金属の正体は、金色に輝く輪だった。
「これは、キミの持ち物なんだね……!」
白い影の輪郭が、白い肌をした少年の姿となった。
少年だ。ナスティたちと同じくらいの年齢で、頭に金色の輪を載せている。
ナスティと目を合わせると、白い歯を見せて笑った。
(こんなに可愛い笑顔をするなんて、想像できなかったよ! これを、キミのお父さんとお母さんのいる場所に、持って行けば良いんだね……)
ナスティは、白い少年に笑顔を見せて、懐に金色の輪っかを仕舞った。
白い少年は消え去った。
晴れ晴れとした気持ちになったが、隣でジョニーがうめき声を出して倒れた。
「ジョニー? あれ……?」
4
ジョニーは顔を真っ赤にして、苦しげにのたうち回っている。
熱気? それだけではない。この死体焼き場独特の邪気にやられたのだ。
「おい、どうした? そこで何をしている?」
“灰”が話しかけてきた。
声と、背丈で、自分たちよりもずっと大人だとナスティは気づいた。
「なんでコイツは裸なんだ? それに、誰だ、お前は……?」
ナスティとジョニーを見比べる。
ナスティが事情を説明しようとすると、背の高い“灰”は、“耐火外套”を脱いだ。
中から、赤く日焼けした白髪の老人が現れた。ジョニーと同じく、“耐火外套”の下には、腰巻きを巻いている。
「分かった。説明はいらねえ」
老人は、自身の“耐火外套”でジョニーを包んだ。
ジョニーを担ぎ、小屋に向かった。
黒く煤けた岩を積み上げてできた家だ。
木の扉は、朽ちかけている。閉まるか閉まらないか分からない、室内と世間を遮断するには頼りなさすぎる。
小屋の中は、平べったい岩の上に、よれよれになった布が置かれていた。
老人はジョニーを寝かせた。
「貴方は誰……?」
「俺か? 俺は、ここでの責任者だ」
部屋の中央には、囲炉裏があった。
老人が手を振ると、着火した。
今度は、手を回すと壺が出てきた。
(ボクが見えていない位置から壺を取り出しのかな?)
ナスティが自分の目をこすった。
壺に火を掛ける。
「ジョニーの親方さん? 親方さんのお名前は……?」
「お名前だって? 名前を聞かれるとは、久しぶりだな。……俺は、ティーンだ。もう八〇代なのに一〇代とはね」
ティーンが豪快に笑った。壺に得体の知れない植物を千切っては入れている。
「ティーン? 親方さんは、ベルニアの王子様だったの?」
「……お嬢ちゃん、ベルニアを知っているのかい?」
ティーンが意外そうな表情を見せた。
壺の中身を木の枝で回している。壺の中から、苦々しい臭いが立った。
「ベルニアの王子には、名前が与えられない。王位を継ぐと名前をもらえる……と学びました。ベルニアで、ティーンとは“名無し”を意味すると……」
「こりゃあ優秀な子だ! かなりの高等教育を受けているのにちがいない! アジュリー家の“汚い子”よ……。お嬢ちゃんの名前と、俺の名前は、設計思想は同じだな」
ティーンが大笑いをした。
「どういう意味……? どうしてボクの名前を知っているの? それに、アジュリー家も?」
ジョニーがティーンに自分の話をしていた、とはナスティには思えなかった。ティーンは、さっきまでナスティを知らなかったからだ。
「ちょっと待ってな」
ティーンは、掌をジョニーの額に翳した。
ティーンが翳した手を回すと、手に光が集まっている。
「何をしているの……?」
「俺の霊力を分けてやる」
ティーンは鈴でも転がしたような声で返事をした。
しばらくすると、ジョニーの全身が光に包まれた。のたうち回るほど苦しんでいたジョニー顔つきが、穏やかになっている。
「コイツは駄目かも分からねえ。奈落の毒を浴びちゃあな。あれほど“耐火外套”を脱ぐなって教えてやったのによ」
ティーンがおどけた口調で、壺をかき混ぜた匙で、壺を鳴らしている。
「そんなぁ。ジョニー? ボクのせいで」
自分のせいでジョニーを苦しませた。
「冗談だよ、冗談。よく見ろ、コイツの顔色をよ。回復しているだろ? 薬も飲ませてやるから」
壺から匙で訳の分からない緑色の物体を取り出し、ジョニーに飲ませた。飲ませた、というより押し込んでいる。
「ま、しばらく安静だな。心配すんな、すぐに治る」
ティーンが、その場で一回転した。
どこからともなく、“耐火外套”が現れた。“灰”と同じ姿に戻った。
ティーンは、ナスティを一瞥して、ジョニーに笑いかけた。
「ははーん、こんなかわい子ちゃんがいるから、早く帰りたかったんだな。今日はどうしても早退させてくれって懇願しやがるから」
この村にいる大人たちと違って、声が優しい。
老人ティーンは、自室の椅子に腰掛けた。
掌に、萎びたリンゴを取り出した。
「ベルニアのティーン。それが霊骸鎧の能力ですか? 貴方の……?」
「能力? 霊骸鎧の能力じゃないぜ。俺の個人スキル……“物質化”だ。無から物質を生み出す……勉強次第で習得は可能だ。俺は勉強方法を知っているのさ。俺は、この世界のすべてを知っている男だからな」
「霊骸鎧でもないのに、霊骸鎧みたいな能力を発揮できるんですか?」
「ふんふん、お前さんら一般人は、霊骸鎧、霊骸鎧って、霊骸鎧にこだわりすぎているんだよ。“霊力操作”こそ、基本中の基本なの。霊骸鎧も、“霊力操作”の一部にすぎないのに」
ティーンは、萎びたリンゴを人差し指で回転させている。
「“耐火外套”も、貴方が作ったの?」
「そうだ。俺がつくった。勘の良い子だ」
「それは、ボクでも学べますか?」
「……霊骸鎧自体、“物質化”の一種だからな、そんなに難しくない。ただな、お嫁に行く暇もねえ位、勉強すればできるかもな。……こんな能力を学ぶより、結婚して、幸せになったほうがいいぞ」
ティーンは、萎びたリンゴをナスティに寄越した。
「ところで、どうしてコイツがジョニーなんだ?」
ティーンが、ジョニーを指さした。
ジョニーは眠っている。穏やかな寝息を立てている。
「ジョナァスティップ・インザルギーニ……呼ぶのが面倒だから、最初と最後をとって、ジョニーにしました」
ティーンの表情が凍り付いた。顔に手を当て、隙間からナスティをのぞき込んだ。
「……誰が名付けたんだい?」
「ボクです」
「ハッハー! これは傑作だ!」
ティーンは大笑いをした。
「変ですか?」
「変じゃねえぞ。世界で一番凄え名前だ。お前さん、めちゃくちゃ賢いな。よう考えたな、えらいえらい」
「ただ、ポーンと思いついただけなのに……」
ナスティは返答に困った。
ティーンは天に向かって、口を大きく開いて笑っている。
「お嬢ちゃんよ。ヴェルザンディでは、母親が子どもに名付ける風習があるんだぜ? これだと、お前さんがコイツのママになるんだよ!」
「ママって、やだなぁ」
「運命は、止められねえんだな……」
ティーンは、悲しげに呟いた。
ナスティには、ティーンの心情を理解できなかったが、ティーンには、どこか心を開かせる不思議な愛嬌があった。
ずっと年上で、初めて会ったのに、昔からの知り合いのようだ。
「ベルニアのティーン。貴方は、とても偉い人だと思うけど、どうしてこんな村にいるの?」
「王子だったんだが、王様になれなくてよ。神殿で坊主になったんだ。でも、ま、神殿の仕事がキチィからよ、おじさん、逃げ出してきたんだ。……そのリンゴ、食いな」
ナスティは、ティーンに勧められるまま、リンゴに齧りついた。
酸っぱくて、不味い。
「嘘よ。なにか無実の罪で、追い払われたんでしょう?」
何故か、ナスティには、ティーンの過去が分かった。
「愛する人のために罪をかぶった」
ティーンの目元が涙で光った。
「こりゃあいけねえや。お嬢ちゃんに一本取られちまった。昔を思い出してよ、おじさん、泣けてくらあ。……そうだ、おじさんがイイコトしてやる」
ティーンが立ち上がった。
ナスティのおでこに、手を翳した。ジョニーにやった能力と同じやり方だ。
「目を閉じな~」
ナスティは自然と目を閉じた。ティーンからまったく邪気を感じない。マルギカのような強欲で悪意の塊が、母ナディーンには、悲しみと焦りがあった。ティーンからは、清浄された空間のような感覚があった。
「やっぱり怖い……」
だが、抵抗しようにも身体が動かない。
(金縛りみたい……)
白い少年の夢を見ている状況と同じく、全身に力を入れようとすると、強い力で抵抗される。
だが、ナスティの額に、蕩けるような優しい霊力が流れてきた。
(霊力が送り込まれている!)
ナスティには理解できた。
ティーンの手が触れるか触れないかの位置から、ナスティの額を通って、おへそのに奥に溢れ込んでくる。
ナスティの全身が爆発したかのように弾けた。
衝撃とは裏腹に、ナスティは安らぎを感じていた。
内側に光がある。
その光が、暖かくて蕩けるような湯になって、全身を突き破り、外部に放出され続ける。
(凄ーい……)
光はいくら放出されても、減ったり、なくなったりはしなかった。
ナスティは目を閉じたまま、不思議な感覚に身を任せていた。
しばらく長い時間、この不思議な感覚を楽しんでいた。
「目を開けな」
ティーンの言葉に従って、両眼を開く。
長い間、眠りについていたかのように身体の疲れがなくなっている。
ぐっすり眠ったような、気持ちよさがある。
全身に、優しくて暖かい血液が循環しているようだ。
「これは何……? ティーン。これも貴方の能力なの?」
「そうだ。俺の個人スキル……“祝福”だ。お嬢ちゃんがアイツに……ジョニーに抱きついてやったやつと同じだ。触れた相手の霊力を回復させる。能力を一時的に上昇させる場合もある」
「え? 地下室の話、どうして知っているの?」
「ああ、分かるさ。俺にはお前らの未来だけじゃないぜ、世界の行く末もな。俺の霊骸鎧は、“すべてを知る者”。この世界にある、すべての知識、情報を手に入れられるのさ」
「そんな凄い霊骸鎧ある? その気になれば、世界の王にもなれるのに、どうしてこんな村でひっそりと生活をしているの?」
「世界の王だって? なあに俺にはそんなの興味がない。すべてを知りすぎて、嫌になってしまったんだ。だから、俺は“世捨て人”なのさ。ニートのティーンだ」
ティーンが爽やかに笑っている。
本当に底が知れない人物である。
(こんな凄い人が先生だなんて、ジョニーはやっぱり凄いな)
寝台で眠るジョニーの手を握った。
ジョニーの寝顔は、屈託がない。可愛い、とナスティは思った。。
「さあ、さっさと帰りな。お嬢ちゃんのお母ちゃんが心配するぞ?」
「でも、ジョニーが……」
だが、ジョニーはすぐ元気になると分かった。ティーンがいる場所に不安は存在しない。 心配など吹き飛んでいた。
「それと、だ。おじさんから、お嬢ちゃんにプレゼントだ」
ティーンは、口を横一文字に結んで、首を揺らした。
その場で右手を回転させた。どこからともなく、光り輝く球体が現れた。一つだけではない。二つ、三つ……六つと増えた。
それぞれ、色が違う。
「これを、お嬢ちゃんにやる」
「こんな綺麗な石をもらっていいの?」
「その代わり、六つを宙に浮かせてみな。お嬢ちゃんの人生で、絶対に役に立つ」
ティーンが両手の指を広げると、六つの球体が、宙に円を描いた。右手の人差し指だけを立てると、槍のように一本に伸びた。手の複雑な動きにあわせて、六つの球体は様々な形状を表現している。
「凄い……。もうさっきから、凄いとしか感想が出ない」
ナスティが、驚いた。
ナスティが六つの球体に手を伸ばした。
だが、六つの球体は連携を崩し、地面に落ちていった。