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世捨て人

        1

 ナスティは動けない。

 地面に頬を伏したまま、何もできない。

 人間のカタチをした、白い影が立っている。

「やだ、来ないで」

 白い顔が、ナスティの顔に迫ってきた。

「……つらが……くたちを……ろした……かねも……ばわれた。……とうさん……おかあさんは……きている」

 ナスティの耳元にささやく。生気のない声であるが、必死さがあった。

「キミの言葉が、どういう意味かよく分からない。……でも、キミのお父さんやお母さんに何かあったとは分かるよ。キミは何がしたいの? ボクにどうして欲しい?」

「あわせて。ぼくを、おとうさん、おかあさんにあわせて」

 白い顔が実体化した。くぼんだ両眼には赤い瞳が浮かんでいる。

 ナスティは腕を掴まれた。白い子どもの手は冷たく、冷気が広がる。

「会わせるたって、会わせる方法を教えてくれないと、何もできないよ? 会わせる方法があるなら、教えてよ」

 ナスティは、叫んだ。

 目が覚めた。

 牛乳で煮込んだ野菜を食べる。朝ご飯だが、気分が浮かない。妙な夢のせいで、睡眠不足になっていた。

「マルギカさんのとこに行くわよ」

 ナディーンに話しかけられる。

「……知ってる」

「は?」

「いや、なんでもない」

 甲冑姿のナディーン、礼服のジョルガー、ヤジョカーヌとガトス、合計四人でマルギカの屋敷に向かう。

 ポコチーの姿は、見えない。

 ナスティたちは、名もなき漁村に着いた。

 ナスティは鼻を押さえた。

 海岸から魚と人間の死臭が混ざり合って、漂っている。

 死体を焼くだけの村。

 ナスティは異様な雰囲気に、寒気を覚えた。

 砂浜に、小舟が朽ち果ている。まるで、漁船の墓場である。相手にされず、死体を放置されている点では、人間より扱いが酷い。

(人間だけでなく、船の墓場でもあるのね)

 改めて見ると、まったく見方が変わった。

(船なんか、最初から貸す気がないんだ!)

 ナスティはすぐに閃いた。

 骨付き肉をしゃぶっている老人たちが、路上でたむろしている。船を捨て、死体焼きで得たお金で生活をしている、元・漁師たちである。

「頼もう」

 ジョルガーがマルギカの家を前にして、叫んだ。

 顔色の悪い、痩せた男ジガージャが、出てきてた。顔にあざを作っている。

 マルギカに殴られた痕だと、ナスティには分かった。

 ナスティたちは奥に通された。

「肉だ、どこに肉をやった?」

 マルギカが女を殴り、女が悲鳴を上げる

(おかあさん!)

 子どもの声が聞こえた。悲痛な叫びに、ナスティは耳を塞いだ。

 ナスティは周りを見渡したが、自分以外に子どもはいない。

(あの人が、キミのお母さんなんだね?)

 ナスティは心の声で質問した。どこからともなく、瓶が転がったような音が聞こえた。

 マルギカとナディーンが商談を始めた。

(嘘つき……! 船なんか乗せる気もないくせに……!)

 母親を騙している、マルギカの悪徳ぶりに腹が立った。

 いいや、自分の運命をこんな悪人に預けられている状況に、腹が立つ。

 最終的には、……ナスティは知っていたが……マルギカが、相場の三倍を要求してきた。「料金が三倍は不当です。どうかご再考を」

 ナディーンが抗議する。

 マルギカは無視して、怒鳴った。

「おい、ジガージャ、お客さんがお帰りだ!」

 村の広場に出る。

 大人たちの事情に関しては、ナスティは関与できない。

 ナスティは気分が悪くなった。

 処刑された子どもの死体を、“ビブス”たちが、台車で運んでいた。

「ジョニー!」

 ナスティは、ジョニーに勢いよく手を振る。

 ジョニーを見ると、一気に機嫌が良くなった。

ビブス”たちの注目が、ナスティに集まった。

(二人だけにしか分からない合図サインを決めないとね……)

 ナスティは恥ずかしくなった。

 だが、当のジョニーは無視した。

 逃げるように顔を背けた。

「あれ、どうして逃げるの?」

 家に帰る。

 腹が立つ。

 母親ナディーンも、マルギカも、好むも、全部が気に食わない。

 家に帰っても、ナスティの機嫌が直らなかった。

        2

 勉強が始まる。

 いつもは憂鬱な勉強だが、今日は、やたらとはかどる。

 一度は解いた問題だからだ。

「どう? お母さん。ボク、いっぱい分数の問題が解けるようになったよ」

 ナスティは胸を張った。ジョニーのお陰で、今では、分数の計算が一番の得意分野である。「……こんなの、誰でもできるわよ」

 ナディーンが、吐き捨てるように教科書を突き返した。

「え……?」

 ナスティは、身体の中で、陶器が割れたかのような感覚になった。

「こんなに頑張ったのに……?」

 しばらくすると、ナディーンは、ジョルガーたちと討伐に出かけた。

(お母さんが褒めてくれないなら、ボク、なんのために勉強しているんだろう?)

 ナスティは、金槌で頭を叩かれたように、目を回していた。

 希望のない、まるで世界の終わりのようだ。

「ぽこぉ……」

 ポコチーがナスティの足下にすり寄った。自分の頭をこすり付けてくる。

「なすちー、元気出すぽこ。ぽこちーは、いつも、なすちーのそばにいるぽこ!」

「ありがとう、ぽこちー」

 ポコチーは、気合いとともに、膝の上に飛び乗った。仰向けで腹を出してくる。

 ナスティがポコチーのお腹をでると、ポコチーは腹を揺らした。

「ぽこぉ……。今こそ、ぽこちーだんすのチャンスぽこ!」

 ポコチーが起き上がった。

「ぽこちーだーんす、ぽこちーだだーんす、うー! はー! うー! はー! ……決まったぽこぉ」

 ポコチーが踊りをし終わった。

「ありがとう、ボク、元気が出てきたよ」

 ナスティはポコチーの頭を撫でた。

「まかせろぽこ! ぽこちーだんすは、食あたりから、がん細胞、膨満感にも効果もあるぽこ」

 ポコチーが喉を鳴らしている。

「ねえ、ぽこちー……」

「ジョニーといるとね、不思議な感じがする」

「ぽこぉ? 不思議な感じって、どんな感じぽこ?」

 ナスティはポコチーを抱き上げた。

「怒りとか悲しみとか、ぜえんぶなくなっちゃう」

「ぽこぉ……」

 ポコチーの背中に、顔を埋めた。白くて綿のように柔らかい毛から、日向ぼっこをした後のような匂いがする。

「どうしちゃったんだろう、ボク……? 」

 ジョニーの素顔を思い返すと、顔が熱くなる。

「あの-」

 誰かが声を掛けてきた。部屋に入ってきた。

 ジョニーだった。

「つーん」

 ナスティは無視をした。ポコチーを置いて、勉強を再開する。

「どうしたの? 姫?」

 ジョニーが困惑する

「……ジョニーさぁ、浮気したでしょ?」

「へ? していないよ」

「嘘だーっ。だって、ボクが声を掛けてもボクを無視したでしょ」

「無視していないよ」

「じゃあ、どういうこと?」

 ナスティが厳しい口調で問い詰めた。慌てているジョニーが面白かった。

「……姫を見てると、俺、なんかおかしくなった」

「おかしくなるって? ボクを嫌いになった?」

 ナスティが困惑する番だった。

「嫌いになんかならないよ! ……姫を見ていると、嫌な気持ちが消えるんだ」

 ジョニーが呟いた。

「それって、ボクと同じ……?」

 ナスティはここから逃げ出したくなった。だが、どこにも行きたくない。

 ジョニーはモジモジしている。

 ナスティは顔から火が出るほど、熱くなった。

「そうだ、勉強! うん、勉強しなくちゃ」

 話を逸らす。

 ジョニーと勉強をした。一回解いた問題なので、教科書が終盤に近づいてくる。

「ジョニーが、ボクのガルグだったらなあ」

「ガルグって教授? 博士だっけ?」

「王様の家庭教師っていう意味もあるよ。ジョニーは先生に向いていると思う。ねえ、ボクのガルグになってよ」

 そうすれば、いつも一緒にいられるのに。

「……そんな先生になれるほど、賢くないし、身分は高くないよ。この村の秘密に気づけなかったしね。……親方みたいな人が先生だと思うけど。俺が賢いときって、姫がいるときだけだよ。姫がいると、なんだか力が溢れてくるんだ。姫がいたからかもしれないな」

「え、どういう意味?」

 ナスティは質問をした。遠回しの告白だと思い、胸が弾んだ。

「意味って……。そのままの意味だよ?」

 ジョニーが困惑している。

「意味が分からない。ボクがいたら賢くなるって」

「うーん、姫には、人の力を引き出す能力があるんだと思う。マルギカの秘密基地で、俺の力が急に強くなった。子どもの俺に、先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)であんなスイッチを壊せるはずがない」

「記憶がないな。ボク、どうやってキミの力を引き出したんだっけ?」

 ナスティにはまったく心当たりがない。

「覚えていないの? ほら、姫が俺にこう……」

 抱きついて……ナスティには、ジョニーの続く言葉が分かった。

「ジョニー、顔が赤いよ?」

「姫も……」

 二人は顔が同時に真っ赤になった。

 下を向く。

「ねえ、どこかに行こうか」

 ナスティが提案した。

 このまま二人きりでもいいけど。

「勉強はすぐに終わったよ。明日の分どころか、ずっと先まで、しばらく勉強をしなくても良いくらいできたよ。……ジョニー、どこかに連れて行って。暇になっちゃった」

と、ナスティは、机の前に突っ伏した。いつの間にか、ポコチーはナスティから離れ、寝台の上で丸まっている。

「うーん、特に面白い場所は、この村にはないなぁ。マルギカの秘密基地は昨日行ったし、何度も行きたくないし……」

 ジョニーが困っている。

 ジョニーがぼやけて見える。

「あれ……」

 ナスティは、ジョニーを見失っている。

 家の壁が消え、青い海が見える。

 どこかの浜辺だ。普通の浜辺と違って、土が燃えている。

「死体焼き場……?」

 燃えている土の上で、白い少年が立っていた。

 少年は地面を燃える土を指さしていた。

「……掘り返して欲しいの?」

 少年に問う。

「あっつ」

 手を突っ込んだ

「そりゃ熱いよ。ほら」

 ジョニーがショベルを持ってきた。

 世界が暗転した。

 海辺が消え、ナスティの家に戻った。ジョニーが目の前にいる。不思議そうな表情をしていた。  

「死体焼き場に行きたい……! そこに秘密が隠されている気がする」

 ナスティは、立ち上がった。見えた映像が気になる。

「どうして? 姫みたいな女の子が来るような場所じゃないよ。楽しくないよ?」

「ジョニーの親方に会ってみたい」

「親方ってめちゃくちゃ変な人だし」

「いいから! ジョニーを育てた人って、どんな人か知りたい」

 ナスティはジョニーの背中を押した。

「ぽこぉ? なすちー、どこかに出かけるぽこか?」

 ポコチーが途中まで見送りに来た。

「ごめんね、ぽこちー。留守番、お願いするね」

        3

 死体焼き場の出入り口は、壁と壁の隙間にある。

 真正面から見ても、見つからないが、壁に張り付きながら見ると、見つかる不思議な構造をしている。

 近づいただけで、腐った魚をひたすら煙でいぶしたかのような悪臭を浴びせられた。

 中に足を踏み入れると、さらに臭いが強まった。

 地面が熱い。

 普通の砂浜と違って、白い灰で覆われている。

 灰には火がくすぶっている。

 男だか女だか性別のつかない、皮と肉が赤くただれて焼けた死体が横たわっている。

 死体焼きの奴隷たち……“ビブス”たちが、一生懸命、ショベルで死体に灰をかけている。

 灰は、くすぶった火を内部に秘め、徐々に死体を焼いている。

 灰が舞い上がり、潮風に乗って舞い上がった。

“灰”たちが、ナスティを見たが、我関せずの態度で、自分たちの作業に戻った。

 過酷な環境下で、部外者の相手をしている暇はないのである。

「姫、“耐火外套ファイヤーマント”を着るんだ。火傷やけどしちゃうよ?」

 サンダル越しに足の裏が熱いが、ナスティは気にならなかった。

 死体を見ても、恐怖を感じない。

 これだけ臭いを浴びているのに、吐き気を催したりしない。

 まるで自分に何かが乗り移ったかのように、目的地を探した。手には、家から持ってきたショベルがある。

 ナスティは目を閉じた。

 世界が暗転する。

 白い子どもが、ナスティの前を通る。

“灰”たちや、灰をかけられた死体をすり抜けて進んでいる。誰も、白い影を気にする者はいない。

「そっちね!」

 ナスティは、“灰”たちや死体を避けて、追いかけた。

 白い少年が、立ち止まった。

 指を下に向けている。

 ナスティは、ショベルを、焼ける地面に突き刺した。ナスティの腕力だと、使いづらい。

「姫、何をしているの? “耐火外套ファイヤーマント”を着ないと、死んじゃうよ?」

 ジョニーが心配している。だが、ナスティは無視をした。

 掘らずにはいられない。

「熱い!」

 割られた地面から、熱風が吹き出る。ナスティの手を襲った。

「これを着て……! 何もしなくても、火傷しちゃうよ」

 ジョニーは“耐火外套ファイヤーマント”を脱いで、ナスティにかぶせた。

 ジョニーは、ナスティからショベルを奪って、掘り出した。

 熱風を浴びている。

「いいよ、ボクがやるから……!」

 ジョニーは止めない。

「返して……!」

 ナスティはショベルを奪い返そうと、ジョニーの身体をくすぐった。

 ジョニーは笑いをこらえている。

(ジョニーって、けっこう逞しい身体しているんだよね)

 ナスティはどうでも良い分析をした。

 ジョニーがショベルで、ひたすら穴を掘っていると、金属音がした。

 ナスティは、ジョニーと顔を見合わせた。

 ナスティとジョニーは地面に両膝をつけ、手で砂を掻きだした。

(ボクは何をやっているんだろう……?)

 自分の意思と関係なく、身体が勝手に動く。

 地中から熱風が何度も吹き出すが、“耐火外套ファイヤーマント”の影響で熱くない。

 ナスティは、金属を取り出した。砂や泥を払うと、金属の正体は、金色に輝く輪だった。

「これは、キミの持ち物なんだね……!」

 白い影の輪郭が、白い肌をした少年の姿となった。

 少年だ。ナスティたちと同じくらいの年齢で、頭に金色の輪を載せている。

 ナスティと目を合わせると、白い歯を見せて笑った。

(こんなに可愛い笑顔をするなんて、想像できなかったよ! これを、キミのお父さんとお母さんのいる場所に、持って行けば良いんだね……)

 ナスティは、白い少年に笑顔を見せて、懐に金色の輪っかを仕舞った。

 白い少年は消え去った。

 晴れ晴れとした気持ちになったが、隣でジョニーがうめき声を出して倒れた。

「ジョニー? あれ……?」

        4

 ジョニーは顔を真っ赤にして、苦しげにのたうち回っている。

 熱気? それだけではない。この死体焼き場独特の邪気にやられたのだ。

「おい、どうした? そこで何をしている?」

“灰”が話しかけてきた。

 声と、背丈で、自分たちよりもずっと大人だとナスティは気づいた。

「なんでコイツは裸なんだ? それに、誰だ、お前は……?」

 ナスティとジョニーを見比べる。

 ナスティが事情を説明しようとすると、背の高い“灰”は、“耐火外套ファイヤーマント”を脱いだ。

 中から、赤く日焼けした白髪の老人が現れた。ジョニーと同じく、“耐火外套ファイヤーマント”の下には、腰巻きを巻いている。

「分かった。説明はいらねえ」

 老人は、自身の“耐火外套ファイヤーマント”でジョニーをくるんだ。

 ジョニーを担ぎ、小屋に向かった。

 黒くすすけた岩を積み上げてできた家だ。

 木の扉は、朽ちかけている。閉まるか閉まらないか分からない、室内と世間を遮断するには頼りなさすぎる。

 小屋の中は、平べったい岩の上に、よれよれになった布が置かれていた。

 老人はジョニーを寝かせた。

「貴方は誰……?」 

「俺か? 俺は、ここでの責任者だ」

 部屋の中央には、囲炉裏があった。

 老人が手を振ると、着火した。

 今度は、手を回すと壺が出てきた。

(ボクが見えていない位置から壺を取り出しのかな?)

 ナスティが自分の目をこすった。

 壺に火を掛ける。

「ジョニーの親方さん? 親方さんのお名前は……?」

「お名前だって? 名前を聞かれるとは、久しぶりだな。……俺は、ティーンだ。もう八〇代なのに一〇ティーンとはね」

 ティーンが豪快に笑った。壺に得体の知れない植物を千切っては入れている。

「ティーン? 親方さんは、ベルニアの王子様だったの?」

「……お嬢ちゃん、ベルニアを知っているのかい?」

 ティーンが意外そうな表情を見せた。

 壺の中身を木の枝で回している。壺の中から、苦々しい臭いが立った。

「ベルニアの王子には、名前が与えられない。王位を継ぐと名前をもらえる……と学びました。ベルニアで、ティーンとは“名無し”を意味すると……」

「こりゃあ優秀な子だ! かなりの高等教育を受けているのにちがいない! アジュリー家の“汚い子(ナスティ)”よ……。お嬢ちゃんの名前と、俺の名前は、設計思想コンセプトは同じだな」

 ティーンが大笑いをした。

「どういう意味……? どうしてボクの名前を知っているの? それに、アジュリー家も?」

 ジョニーがティーンに自分の話をしていた、とはナスティには思えなかった。ティーンは、さっきまでナスティを知らなかったからだ。

「ちょっと待ってな」

 ティーンは、掌をジョニーのひたいかざした。

 ティーンがかざした手を回すと、手に光が集まっている。

「何をしているの……?」

「俺の霊力を分けてやる」

 ティーンは鈴でも転がしたような声で返事をした。

 しばらくすると、ジョニーの全身が光に包まれた。のたうち回るほど苦しんでいたジョニー顔つきが、穏やかになっている。

「コイツは駄目かも分からねえ。奈落の毒を浴びちゃあな。あれほど“耐火外套ファイヤーマント”を脱ぐなって教えてやったのによ」

 ティーンがおどけた口調で、壺をかき混ぜた匙で、壺を鳴らしている。

「そんなぁ。ジョニー? ボクのせいで」

 自分のせいでジョニーを苦しませた。

「冗談だよ、冗談。よく見ろ、コイツの顔色をよ。回復しているだろ? 薬も飲ませてやるから」

 壺から匙で訳の分からない緑色の物体を取り出し、ジョニーに飲ませた。飲ませた、というより押し込んでいる。

「ま、しばらく安静だな。心配すんな、すぐに治る」

 ティーンが、その場で一回転した。

 どこからともなく、“耐火外套ファイヤーマント”が現れた。“灰”と同じ姿に戻った。

 ティーンは、ナスティを一瞥いちべつして、ジョニーに笑いかけた。

「ははーん、こんなかわい子ちゃんがいるから、早く帰りたかったんだな。今日はどうしても早退させてくれって懇願しやがるから」

 この村にいる大人たちと違って、声が優しい。

 老人ティーンは、自室の椅子に腰掛けた。

 てのひらに、萎びたリンゴを取り出した。

「ベルニアのティーン。それが霊骸鎧の能力ですか? 貴方の……?」

「能力? 霊骸鎧の能力じゃないぜ。俺の個人スキル……“物質化マテリアライズ”だ。無から物質を生み出す……勉強次第で習得は可能だ。俺は勉強方法を知っているのさ。俺は、この世界のすべてを知っている男だからな」

「霊骸鎧でもないのに、霊骸鎧みたいな能力を発揮できるんですか?」

「ふんふん、お前さんら一般人は、霊骸鎧、霊骸鎧って、霊骸鎧にこだわりすぎているんだよ。“霊力操作オーラコントロール”こそ、基本中の基本なの。霊骸鎧も、“霊力操作”の一部にすぎないのに」

 ティーンは、しなびたリンゴを人差し指で回転させている。

「“耐火外套ファイヤーマント”も、貴方が作ったの?」

「そうだ。俺がつくった。勘の良い子だ」

「それは、ボクでも学べますか?」

「……霊骸鎧自体、“物質化”の一種だからな、そんなに難しくない。ただな、お嫁に行く暇もねえ位、勉強すればできるかもな。……こんな能力を学ぶより、結婚して、幸せになったほうがいいぞ」

 ティーンは、しなびたリンゴをナスティに寄越した。

「ところで、どうしてコイツがジョニーなんだ?」

 ティーンが、ジョニーを指さした。

 ジョニーは眠っている。穏やかな寝息を立てている。

「ジョナァスティップ・インザルギーニ……呼ぶのが面倒だから、最初と最後をとって、ジョニーにしました」

 ティーンの表情が凍り付いた。顔に手を当て、隙間からナスティをのぞき込んだ。

「……誰が名付けたんだい?」

「ボクです」

「ハッハー! これは傑作だ!」

 ティーンは大笑いをした。

「変ですか?」

「変じゃねえぞ。世界で一番凄え名前だ。お前さん、めちゃくちゃ賢いな。よう考えたな、えらいえらい」

「ただ、ポーンと思いついただけなのに……」

 ナスティは返答に困った。

 ティーンは天に向かって、口を大きく開いて笑っている。

「お嬢ちゃんよ。ヴェルザンディでは、母親が子どもに名付ける風習があるんだぜ? これだと、お前さんがコイツのママになるんだよ!」

「ママって、やだなぁ」

「運命は、止められねえんだな……」

 ティーンは、悲しげに呟いた。

 ナスティには、ティーンの心情を理解できなかったが、ティーンには、どこか心を開かせる不思議な愛嬌があった。

 ずっと年上で、初めて会ったのに、昔からの知り合いのようだ。

「ベルニアのティーン。貴方は、とても偉い人だと思うけど、どうしてこんな村にいるの?」

「王子だったんだが、王様になれなくてよ。神殿で坊主になったんだ。でも、ま、神殿の仕事がキチィからよ、おじさん、逃げ出してきたんだ。……そのリンゴ、食いな」

 ナスティは、ティーンに勧められるまま、リンゴにかぶりついた。

 酸っぱくて、不味い。

「嘘よ。なにか無実の罪で、追い払われたんでしょう?」

 何故か、ナスティには、ティーンの過去が分かった。

「愛する人のために罪をかぶった」

 ティーンの目元が涙で光った。

「こりゃあいけねえや。お嬢ちゃんに一本取られちまった。昔を思い出してよ、おじさん、泣けてくらあ。……そうだ、おじさんがイイコトしてやる」

 ティーンが立ち上がった。

 ナスティのおでこに、手を翳した。ジョニーにやった能力と同じやり方だ。

「目を閉じな~」

 ナスティは自然と目を閉じた。ティーンからまったく邪気を感じない。マルギカのような強欲で悪意の塊が、母ナディーンには、悲しみと焦りがあった。ティーンからは、清浄された空間のような感覚があった。

「やっぱり怖い……」

 だが、抵抗しようにも身体が動かない。

(金縛りみたい……)

 白い少年の夢を見ている状況と同じく、全身に力を入れようとすると、強い力で抵抗される。

 だが、ナスティの額に、蕩けるような優しい霊力が流れてきた。

(霊力が送り込まれている!)

 ナスティには理解できた。

 ティーンの手が触れるか触れないかの位置から、ナスティの額を通って、おへそのに奥に溢れ込んでくる。

 ナスティの全身が爆発したかのように弾けた。

 衝撃とは裏腹に、ナスティは安らぎを感じていた。

 内側に光がある。

 その光が、暖かくて蕩けるような湯になって、全身を突き破り、外部に放出され続ける。

(凄ーい……)

 光はいくら放出されても、減ったり、なくなったりはしなかった。

 ナスティは目を閉じたまま、不思議な感覚に身を任せていた。

 しばらく長い時間、この不思議な感覚を楽しんでいた。

「目を開けな」

 ティーンの言葉に従って、両眼を開く。

 長い間、眠りについていたかのように身体の疲れがなくなっている。

 ぐっすり眠ったような、気持ちよさがある。

 全身に、優しくて暖かい血液が循環しているようだ。

「これは何……? ティーン。これも貴方の能力なの?」

「そうだ。俺の個人スキル……“祝福ブレス”だ。お嬢ちゃんがアイツに……ジョニーに抱きついてやったやつと同じだ。触れた相手の霊力を回復させる。能力を一時的に上昇させる場合もある」

「え? 地下室の話、どうして知っているの?」

「ああ、分かるさ。俺にはお前らの未来だけじゃないぜ、世界の行く末もな。俺の霊骸鎧は、“すべてを知る者(オムニシェント)”。この世界にある、すべての知識、情報を手に入れられるのさ」

「そんな凄い霊骸鎧ある? その気になれば、世界の王にもなれるのに、どうしてこんな村でひっそりと生活をしているの?」

「世界の王だって? なあに俺にはそんなの興味がない。すべてを知りすぎて、嫌になってしまったんだ。だから、俺は“世捨て人(ニート)”なのさ。ニートのティーンだ」

 ティーンが爽やかに笑っている。

 本当に底が知れない人物である。

(こんな凄い人が先生だなんて、ジョニーはやっぱり凄いな)

 寝台で眠るジョニーの手を握った。

 ジョニーの寝顔は、屈託がない。可愛い、とナスティは思った。。

「さあ、さっさと帰りな。お嬢ちゃんのお母ちゃんが心配するぞ?」

「でも、ジョニーが……」

 だが、ジョニーはすぐ元気になると分かった。ティーンがいる場所に不安は存在しない。 心配など吹き飛んでいた。

「それと、だ。おじさんから、お嬢ちゃんにプレゼントだ」

 ティーンは、口を横一文字に結んで、首を揺らした。

 その場で右手を回転させた。どこからともなく、光り輝く球体が現れた。一つだけではない。二つ、三つ……六つと増えた。

 それぞれ、色が違う。

「これを、お嬢ちゃんにやる」

「こんな綺麗な石をもらっていいの?」

「その代わり、六つを宙に浮かせてみな。お嬢ちゃんの人生で、絶対に役に立つ」

 ティーンが両手の指を広げると、六つの球体が、宙に円を描いた。右手の人差し指だけを立てると、槍のように一本に伸びた。手の複雑な動きにあわせて、六つの球体は様々な形状を表現している。

「凄い……。もうさっきから、凄いとしか感想が出ない」

 ナスティが、驚いた。

 ナスティが六つの球体に手を伸ばした。

 だが、六つの球体は連携を崩し、地面に落ちていった。

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