表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
146/170

冷蔵室

       1

 ナスティは目を覚ました。

 青い空が見える。空気が綺麗だ。

 地面は固い。寝台ではなく、岩だ。

 手には、魚の目をくりぬいた紐を下げている。

「ぽこぉ……」

 ポコチーがバッタを咥えて、ナスティの顔をのぞき込んだ。

「ぽこちー!」

「なすちー、おはぽこ!」

「ぽこちー、昨日は夜の森で大変だったね?」

「……なすちー。頭でも打ったぽこ?」

 ポコチーが呆れて、口からバッタを逃した。

 爪を立てて追いかけるが、バッタが一枚上手だった。

「えーんえーんえんえん。バッタが逃げたぽこぉ……」

 岩から草むらに逃げたバッタを見て、ポコチーが泣いた。

「良かった、ぽこちー! わーん、怖い夢を見ちゃったよぉ。お母さんが夜盗で、変質者のマルギカに襲われそうになったけど、夢だったの」

 ナスティはポコチーを抱きしめた。

「急になんだぽこぉ? なすちー、やめろぽこぉ」

 ポコチーが両手でナスティの顔の接近を阻止した。

「え、えーと……」

 後ろで男の子の声が聞こえる。

 振り返ると、“耐火外套ファイヤーマント”で全身を隠した少年、ジョニーであった。「ジョニー!」

 ナスティはジョニーに抱きつこうと思って両手を伸ばしたが、引っ込めた。

「姫も生きていたんだね……」

「うん……」

「さっきまで、俺たちは地下室にいたよね? あれって、夢だったのかな?」

 ジョニーが探りを入れてくるような言葉を使ってきた。

「……うん。変な夢を見たね。ボクたち、二人とも同じ夢を見ていたのかな? そんな半紙ってある?」

 だが、二人の会話は、打ち切られた。

「おい」

 背の高い、肌の黒い少年に声を掛けられたからだ。

「タダラス!」

 ナスティとジョニーは同時に叫んだ。

「どうして、俺の名前を知っているだか? ……魚泥棒が」

 タダラスが驚く番だった。

「どうぞどうぞ!」

 ナスティとジョニーは、持っている、すべての魚をタダラスに突き出した。

「え~? こんなにくれるだか? 会って数秒で魚をくれるとか、かえって怖いだか……」

 タダラスが嬉しそうに頬を緩ませながら、困惑している。

「ねえ、キミ。殺されちゃうんだよ? 魚が獲れなくなってさ」

 撲殺されたタダラスを思い返し、ナスティが騒いだ。

「バカな話だか。俺は、この村で一番の漁師だか?」

「お兄ちゃん……。最近、魚が獲れなくなってきただか。沼で魚が減ってきただか」

 タダラスに似た小さな子どもが、タダラスの裾を引っ張った。

「弟。魚が獲れないのは、魚泥棒のせいだろうだか」

「泥棒なんていないだか。魚を取り尽くしたら、減るに決まっているだか」

 タダラスの弟が論理的に反論する。ナスティももっともだ、と思った。

「……漁村なんだから、船に乗って、お魚を釣りに行けばいいのに」

 ナスティは素朴な疑問を投げかけた。

「無理だよ」

「無理だか」

 ジョニーとタダラスが同時に反論した。

「……どうして? ここは漁村でしょ? 船もあるし……」

「船なんて、あるっちゃあ、あるけど、もう誰も動かしていないよ」

「えっ?」

「魚釣りには、誰も行っていないよ! この村は、死体を焼いて、灰を海に流しすぎて、“くされ潮”ができちゃったんだ。“くされ潮”になると、海が死んで、赤くなるんだ。魚が息ができなくなって死んじゃうんだよ」

「赤潮? 勉強した記憶がある。海で魚が獲れなくなるのね。でも、お魚を獲らないで、どうやってお金を稼いでいるの?」

 ナスティの質問に、タダラスは咳払いをした。

「この村には、死体を焼きに人々が集まるだか。誰も自分の村で死体を焼きたくないからだか。国は、金を払って、この村に死体焼きの仕事を押しつけてきているだか」

「この村はね、魚の干物を、別の村から仕入れているんだ。……漁村なのにね!」

 ジョニーが笑った。

 ナスティは納得した。

 死体焼き場は、どの街でも村でも嫌われる。

 気温が高く、死体が腐りやすいヴェルザンディであれば、なおさらだ。

 漁村の朝が早いと相場だが、昼間から人々は働いていない。

「死体焼きの村……」

 ナスティは、この名も無き漁村を、そう評価した。

「姫。ほらほら、タダラスたちは、魚捕りに忙しそうだから、俺たちはおいとましようね」

 ジョニーが片目をつぶって、ナスティに合図を送った。茶目っ気のある笑いで、ナスティはジョニーの笑い方が好きになった。

「……お前ら、名前は、なんなんだか?」

 タダラスが、ナスティとジョニーに興味を持ち始めた。

「ジョニー」

「ナスティ」

「ぷっ。二人とも変な名前だな。ははは、覚えておいてやるだか」

 ナスティはジョニーとポコチーと一緒に、沼を離れた。

「あの“虚空ヴォイドドライバー”とかいう霊骸鎧のせいかなぁ? ……多分、過去に遡っていたのだと思う」

 ジョニーが青空を仰いだ。

「多分、そうだと思う……」

 霊骸鎧の攻撃。不可思議な現象は、すべて霊骸鎧のせいだと説明ができる。

「ねえ、姫、どうするの……? 今から明後日に、マルギカのところに行くんでしょ?」

 ジョニーが質問してきた。

「どうするって……。お母さんに相談しないと」

「お母さんは、いつから夜盗を始めたの?」

「夜盗じゃないけど。……人攫い退治」

「そう、鬼退治」

「おととい? うーん、今日を基準にすると、明日かなぁ。ややこしい」

「……それまでにさあ。マルギカの地下室に、もう一度忍び込んでみない?」

 ジョニーが提案をした。ナスティは胸を射抜かれるほど、動揺した。

「どうして?」

「何があるのか知りたい。冒険してみたい。忍び込んで、マルギカの邪魔をしちゃえばいいんだよ」

「危ないよ。とりあえず、お母さんたちに相談しよ?」

 ジョニーがわくわくした表情をして、釣り竿を振り回している。絵巻物に出てくる、英雄にでもなったつもりなのだろうか?

(怖くないの……? 男の子って、頭のネジが一本吹っ飛んでいるんじゃ……)

 ナスティは、ナディーンたちが、マルギカの“茸頭バッドマッシュルーム”の胞子に全滅させられている様子を思い返した。

「明日、マルギカに初めて会うんだけど、お母さんに伝えて、マルギカは悪者って伝えればいいんじゃないかな?」

 ナスティが反論する。

「信用してくれないと思う。会ってもいない人の悪口なんて! とか、初対面の人でしょ! とか。君のお母さんだったら、怒り狂いそう」

と、ジョニーが答えた。

 ナスティは、容易に母親の反応が想像できた。

「だからさ、マルギカに先手を打っておけば、姫のお母さんたちも、助かると思う」

 お母さんが助かる!

 ナスティの背中が伸びた気がする。

 母親の力になりたい。母親に褒められたい。

「行く……」

 ナスティは、ジョニーに伝えた。

 ジョニーが嬉しそうにうなづいた。

「ぽこぉ? なすちー、どうしたぽこ? お腹が空いて、えーんえんえんえんぽこかぁ?」

 ポコチーが、ナスティの足下にすり寄った。

 尻尾をナスティのすねに絡ませている。

「ぽこちー。今から、ボクたちは、悪い人たちを懲らしめに行くの」

 ナスティはポコチーを抱き上げた。ポコチーが全身をくねらせている。

「悪い奴がいるぽこ? 正義の味方ぽこちー仮面が、ぽこちーぱんち、ぽこちーきっく、ぽこちークラスター爆弾をお見舞いしてやるぽこ!」

 ポコチーは、ナスティの腕を噛むふりをして、足で蹴った。

        2

 ジョニーが先行して、森の中を進む。

 ジョニーの動きに一糸も乱れがない。迷うそぶりも見せない。

 ナスティは自分たちがどこにいるのかも分からない。

 広い場所に出た。

 ナディーンたちが戦っていた場所でもある。

(深夜の森で通った道を、一つも間違えないで進むなんて……! 凄い記憶力!)

 ナスティはジョニーを驚異の視線で眺めた。ジョニーは辺りを見回した。

「ここが、アジトかあ」

 巨大な木の根っこは、木の板で封じられていたが、ジョニーは簡単に取り外した。

 階段が下に伸びている。

 不気味な臭いが吹き抜けて、ナスティに鳥肌を立たさせた。

「ぽこぉ……!」

 ポコチーが気合いとともに地面に降り立つ。

「ぽこちーは、ここで待っているぽこ! ぽこちーある限り、何人なんぴとたりとも、ここは通さないぽこ! 後顧こうこの憂いなし、ぽこ!」

 ポコチーを置き去りに、ジョニーは、階段を降り始めた。

(ジョニーって、本当に躊躇ためらいがない……)

 怖い場所に飛び込むにも、勇気が必要である。ナスティの事情など気にしていないように見えた。

 中は薄暗かった。

「どうして、中は明るいんだろう?」

 ナスティは、光源の謎を口にした。 

「壁や階段に生えているカビや菌類が光っているんじゃないかなあ」

 ジョニーは、分析した。興味がなさそうである。容赦なく階段を降りてくる。

「ジョニーは勇気がありすぎるよ……!」

 ナスティがジョニーの背中を追った。堂々と降りていく後ろ姿には、勇気が溢れていて、反対に心配になってくる。

「木の蓋なんだけどさぁ、閉めといて?」

 ジョニーが振り返った。

「そんな怖い真似できない……」

 ナスティは肩を震わせた。

「出入り口が開いていたら、俺たちが入ってきたと気づかれちゃうよ」

 ナスティは、慌てて、出入り口を内側から閉めた。

「ひゃあ」

 部屋が暗くなった。

 辛うじて、ジョニーの後ろ姿と、目の前にある段差は視認できる。

(ジョニーがいなかったら、ボク、気絶していただろうなぁ。ジョニーがいてくれてよかったよ。……でも、怖い思いをしている原因はジョニーにあるけどね)

 ジョニーと一緒に、階段を降り終える。

 鉄の扉があった。

 ナスティの心臓が激しく鳴った。

「……マルギカは今、自分の店にいるはず」

 ナスティは自分に言い聞かせるように呟いた。

 ジョニーと二人掛かりで押し開けると、簡単に開いた。

 部屋の明かりがついた。

 ナスティは小さく悲鳴をあげた。慌てて口を押さえる。

 ジョニーはナスティの手を引っ張って、机の影に隠れた。

「実験室……」

 部屋は明るいものの、人の気配を感じない。

 薬品、試験管が泡を吹いて、音を立てている。

「誰もいないようだね」

 ジョニーが、机の影から飛び出し、辺りを調べ始めた。

 目を輝かせている。

 試験管を動かしたり、レバーを蹴っている。

(お猿さんみたい)

 ジョニーが年相応の子どもっぽい動作をしていて、ナスティは呆れた。

 一通り見て回ると、ジョニーは奥の壺に気づいた。壺には、硝子がはめ込まれた窓があった。

 ジョニーはつま先立ちをするが、届かない。

 ジョニーは軽く跳んで壺にしがみつく。壁にひっつく爬虫類か昆虫かのようだ。

「ねえ、凄いよ」

 ジョニーが夢中になって覗いている。ナスティは好奇心をそそられた。

「何があるの~? ボクにも見せてよお」

 ジョニーの周りを飛び跳ねる。

「凄いよ、見てみる?」

 ジョニーはひっつき状態を解除して、地面に降り立った。

 ナスティはジョニーに入れ替わり、跳んでみたが、硝子窓まで届かない。

「届かない……。ボクには、ジョニーみたく張り付きなんてできないよ」

「仕方ないなぁ。持ち上げてあげる」

 ジョニーは、ナスティの腰に手を回した。

 ジョニーの骨っぽい手がくすぐったい。

(え、なにをするの?)

 ナスティは宙に浮いた。ナスティは、ポコチーをよく抱き上げるが、今度は自分が持ち上げられる立場になった。

 ナスティは顔が熱くなった。

(男の子に抱っこされるなんて、生まれて初めて……)

 だが、嫌な気分ではない。胸が熱く、激しく高鳴る。

「ヒッ」

 だが、硝子の中身を見て、ナスティの全身から血の気が引いた。

 中に、男の死体があった。

 いや、人間の男ではない。体毛が一切なく、人間とは違う肌質を持っている。男性的な身体つきをしているので、ナスティは男だと思った。

 壺の中は、青白い水で満たされていた。男の口から、小さな泡が出ている。

(この人、生きている……?)

 部屋全体を見回すと、部屋中の管が、一度天井に集まっていた。

 一本の管が、この男の壺めがけて走っていた。

 ジョニーのナスティを支える腕が震えてきた。ゆっくりと降ろしてもらう。

「ねえ、ジョニー。この人は誰なの? まるで別世界から来た生き物みたいだけど」

「分からない。知り合いのおじさんに似た人がいたけど、知り合いのおじさんは、もっと毛があった……」

「……壺のおじさんは、どうして壺に入っているんだろう?」

「さあ? 人攫いとか実験とか騒いでたよね? 俺の予測だけど、人をさらって、この壺おじさんに食べさせていたんだと思う」

 ジョニーが頭を掻いた。

(なんて鋭い人なんだろう……)

 ナスティは、ジョニーの仮説が、正しいと直感した。

「食べさせてどうするんだろう?」

「世界征服、かなあ? 壺おじって、無骨な武器……人間を武器にしましたって感じだね。ショッカーの改造人間みたいな」

「世界征服とか、男の子って浪漫がないよね」

「……こんなツルツルな壺おじに、どうやって浪漫は感じればいいのさ?」

 ジョニーは笑った。

 ナスティは、声を上げて笑うジョニーを見た。

 ジョニーの直感は的確だ、と思った。世界征服の意味が分からないが。

「姫、奥に行ってみようよ」

「……ジョニー。キミは本当に勇気があるのね」

「気になって仕方が無いんだ」

 興奮気味に、ジョニーが話をした。好奇心が強すぎて、早死にしそう、とナスティは思った。

「青いあの障壁バリアーみたいな奴、あれさえ封じてしまえば、ナスティのお母さんたちが、マルギカたちに攻撃ができるようになるよね?」

 ナスティは、ジョニーを見た。

(なんて賢いのかしら、この人……!)

 母親ナディーンの喜ぶ顔を想像すると、ナスティは思わず微笑んだ。ジョニーに抱きつきたくなったが、我慢した。

「スイッチを壊してしまえばいいんだよね……。えーと、スイッチはここだ……!」

 ジョニーがスイッチを押した。

 壁がせり上がり、倉庫が現れた。死体が吊り下げられている。

 死体が食肉であるかのように、天井からぶら下がっていた。

 部屋の片隅には、木材が置かれている。実験室、というよりも、工場である。

 冷たい空気が、ナスティの肌に触れた。

「怖い」

 死体と目を合わせたくない。

「こっちじゃなかった。このスイッチだ」

 ジョニーがもう一つのスイッチに指を伸ばした瞬間、物音が聞こえた。

 巨大な影が伸びてきた。

「誰だ!」

 男の影が、鋭い声を放った。ナスティは、ジョニーに腕を引っ張られる。

 吊り下げられた死体の陰に隠れた。

「冷蔵室を誰かが開けっぱなしにしやがったな……。誰だよ」

 男が独り言を吐き捨てて、近づいてくる。

(どうしよう?)

 ナスティは、自分の心臓が突き破るほど激しく動いた。

「姫、静かに。大丈夫だから」

 ジョニーは、まったく動揺していない。

(こんな緊急事態に、どうして落ち着いてられるのだろう?)

 腹が立つ。

 だが、ジョニーの冷静さを見ていると、ナスティも落ち着いてきた。

「ちっ、いつも俺ばかり、余計な仕事を押しつけやがって……」

 男は、愚痴をこぼしながら、スイッチに手を出した。

 壁がずり下がり、冷蔵室が暗くなった。

        3

「閉じ込められちゃった!」

 ナスティは小さく悲鳴を上げた。男に声を聞かれたか心配になって口を押さえた。

 完全に明るさが消えていない。

 閉じた壁と床に、わずかな隙間があった。隙間から外の部屋の光が差し込んでいる。

 だが、外の部屋から明かりが消えると、完全に暗くなった。

「ジョニー、ど、ど、どうしよう?」

 ナスティは慌てた。暗さが余計に恐怖を煽る。

「寒い……」

 ナスティは全身をさすった。

 死体を保管する場所である。仕組みは分からないが、なんらかの仕掛けで低温を維持している。

(この冷蔵室に閉じ込められたまま、凍えて死んじゃうの?)

 ナスティは自分の身体を抱きしめて震えた。

(死体と一緒に死体になっちゃう?)

 ナスティは不安になってきた。震えは寒さだけではない。

「しっ。必ずここから出られる仕掛けがあるはずだ。こういう事故を前提に作られていると思うよ」

 ジョニーは落ち着いていた。

 ナスティは、意外な気持ちになった。

 母親の声が聞こえる。

「アンタのせいよ」

 なにか問題が発生するたびに、母親にいつも責められていた。ナスティが悪くなくても、怒られていた。

 ジョニーは怒らない。ジョニーは、常に解決していこうとする。

耐火外套ファイヤーマント”を掛けられた。ジョニーのマントだ。

 ナスティは、くるまった。

「暖かい……。ジョニーの匂いがする……えへへ」

 ナスティは優しさに包まれた。生まれて初めて誰かの優しさに触れた気がした。

 一国のお姫様なのに、お金も愛もない、物乞いの子ども以下だった気がする。

「ないなあ」

 ジョニーの白い背中が見える。ジョニーは腰巻きしか身につけていない。目が暗闇に慣れてきた。ジョニーの吐く息が白い。

「……あった!」

 声が聞こえる。ナスティは手を振り回したが、死体に触れるだけだ。

 部屋が明るくなった。

「だめだ、違った」

 死体が吊り下げられている。

 凍死する危険性の前では、死体を見ても怖くなくなってきた。

 部屋を明るくさせるだけのスイッチ……。

 ナスティは、“上下する”壁を見た。

 裏側から見ると、鉄板を重ね合わせた、鎧戸シャッターである。表からは、壁に見えるよう偽装されていたのだ。

「こっちから出て行く用のスイッチはないんだね。これって、下請けいじめの欠陥住宅だよね」

 ジョニーが毒づいた。唇が紫になっている。ジョニーは、腰巻きがなければ、裸なのだ。「どうすればいいんだろう? ……これは?」

 台の上に、先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)があった。ジョニーが興味を持っている。

(宝石……?)

 ナスティは、先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)よりも、ジョニーの胸に興味が惹かれた。

 ジョニーの胸には、菱形の宝石が埋め込まれているのである。

 ジョニーは先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)を取って、鎧戸に叩きつけたが、跳ね返された。

「だめだ、俺の力では、この壁を壊せない」

 ジョニーの全身から、力が抜けていく。部屋の冷気が、じわじわと、ジョニーの体温を奪っていく。

「力……? そうだ」

 ナスティは閃いた。

 ナスティは、部屋の隅にある木材を引きずって、壁の前に落とした。

「姫、どうする気?」

「ジョニー、壁と床には、隙間があるんだよ。テコの原理をつかってみようよ」

 ナスティが提案した。

「テコの原理?」

「うーん、キミは賢いけど、知識がないんだね。大丈夫、ボクがなんとかするから」

 ナスティは先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)を、鎧戸と床の隙間に差し込んだ。

 浮いた先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)と床の間に、木材をいれる。

「わかった、そういう作戦ね。力仕事は、俺がやるから。姫は下がっていて」

 もう一度、部屋の明かりを消す。

 ジョニーが浮き上がった先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)を腕で押す。だが、鎧戸も先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)もビクともしない。

「違うよ、ジョニーが先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)の上に乗れば良いんだよ!」

 ジョニーが乗ると、鎧戸が揺れ出した。

 ジョニーが青白い顔をして、力を込めている。寒さに耐え、必死になっていた。

(ボクのために……?)

 ジョニーは命を削って、ここから出してくれようとしている。ナスティは胸が高鳴った。

「分かった。キミだけの重さじゃ足りないんだね……!」

 ナスティは、先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)の上に飛び乗った。

 棒の上に両足で立つとなると、姿勢が安定しない。

 ナスティは、包み込むように、ジョニーを後ろから抱きしめた。

「……!」

 ジョニーが呑む息の音が聞こえた。

 ジョニーの首筋に、ナスティは自分の頬を、しだれ掛かった。全体重を、ジョニーに掛ける。

 ジョニーが発火したように赤くなった。密かに抵抗しようと身体をくねらせている。

(油に入れたトウモロコシのように弾けそう……。逃げようたって、そうはさせないぞ)

 ナスティはジョニーのおへそに手を回して固定する。

 ナスティは、自分の内側から、光が湧いてきた。

 光は目が眩むほど輝き、冷蔵室の闇と冷たさを吹き飛ばしていった。

 ジョニーが、急激に体温を上げてきた。

 部屋の寒さに負けていたのに、ナスティの光を浴びて、生気を取り戻していく。

 ジョニーは酸欠した魚のように口を開け閉めして、汗をかいた。

 汗からは、ナスティが溶けるほど甘い香りがする。

 二人を乗せた先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)が、重さに負け、地面を鳴らすと、鎧戸が勢いよく巻き上がった。

 巻き上げる音が大きかった。

 ナスティはジョニーから手を離して、慌てて先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)から、飛び降りた。

 部屋がジョニーたちを感知し、灯りを点けた。

 暖かい空気が流れ込んで、ナスティを優しく包む。

 ナスティは頭が冴えてきた。視界が広がったような気がする。

 ジョニーを見た。恥ずかしがっているが、全身から霊力を放出している。

 床にスイッチがあった。ナスティが脚で踏むと、青白い障壁バリアーが発生した。もう一度、踏むと、障壁が消失した。

「早速だけど、スイッチを壊すよ?」

 ジョニーが先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)を振り上げる。

 全身の筋肉がしなり、振り下ろす。以前のジョニーと違って、さらに力強くなった。

 先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)がスイッチに突き刺さる。

 ジョニーは何度も、振り下ろして、スイッチを破裂させた。

 黒い影が伸びた。

 見知らぬ中年の男が、顎髭を伸ばし、乱杭歯をした口を開いている。

「ガキども、何をしていやがる!」

 やぶにらみの両眼が怒りに燃える。

 大股で近寄ってきた。

「ジョニー?」

 ナスティは絶叫した。

 だが、ジョニーは軽々と身を躱し、机の上にあった薬品を男にぶつけた。

 男の顔から、焼き焦げるような音と匂いを立てて、煙を上げた。

 悲鳴をあげる男の脛に、先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)を叩きつけた。

「逃げるよ、姫!」

 先の尖った鉄の棒(バールのようなもの)を捨てて、ナスティの腕をつかみ、走り出した。

「凄い……」

 ナスティは、ジョニーに見蕩れた。

 階段を駆け上がる。

「ぽこぉ……!」

 出口には、ポコチーが香箱座りをして待っていた。

「ぽこちー、逃げるよ?」

 ナスティの姿を見るや、飛び上がって逃げた。

「ぽこちー。違うよ、ボクだよ? どうして逃げるの?」

「誰だぽこぉ? 怖いぽこー」

 ポコチーは草むらの中に逃げた。一目散に逃げた。背中と尻尾を見せて、

「えー? ぽこちー、ボクが分からないの? “耐火外套ファイヤーマント”を着ているから?」

「とにかく、逃げよう!」

 ジョニーに手を引かれて逃げる。

 茂みの中に隠れた。

「このまま夕暮れになるまで、ずっと隠れていよう。暗くなったら帰るんだ」

 ナスティはジョニーの姿を見た。

 ジョニーは片手でナスティをかばうように守り、辺りを窺っている。

 鷹のように真剣な目つきをしている。

 ナスティは見蕩れた。

 いつも“耐火外套ファイヤーマント”で隠れているが、ジョニーの素顔はなかなかお目にかかれない。

 ヴェルザンディには珍しい、白い肌。黒髪で凜々しい目つき。腰巻きを身につけている。

 裸足なので、ほぼ裸である。

 ナスティは“耐火外套ファイヤーマント”の中からジョニーの身体をのぞき見した。

(うへへ……)

 笑いがこぼれる。ジョニーは、ナスティよりも一回り小さかった。“耐火外套ファイヤーマント”のせいで、身体が、本体よりも大きく見える。

(ジョニーは、ボクよりも身体が小さいのに、ボクを守ってくれている……)

 ジョニーが愛おしくなった。

 胸の中央に、菱形の宝石が埋め込まれている。

 さっきから気になっていた。

「これ、なあに?」

 胸に埋め込まれた宝石を指さすふりをして、ジョニーの胸に触れた。肌がすべすべしている。

「俺が生まれてきた頃から、あったんだ」

「宝石を埋め込むなんて、ジョニーのお父さんやお母さんはお金持ちだったのね」

「うーん、俺に両親がいたとか一切記憶がないんだよね。生まれてきてずっとこんな感じだった」

「じゃあ、いつ埋められたとか記憶にないんだ」

 ナスティは、ジョニーの胸を凝視した。いや、宝石を見た。

 宝石は、赤く輝いている。

 内部では、赤い煙が循環している。

「この宝石が、イヤなんだ」

「どうして? ……綺麗だと思うよ」

「他の誰かと違っていて、受け入れそうにもない」

「他の子と違うって、そんなにおかしい? ボクは大好きだよ」

 ナスティは遠回しに告白をした。

「取り外せるなら、外したいよ」

「……だめ。綺麗だから取らないで」

 ナスティは、ジョニーの宝石をなぞって、バツ印をつくった。

 肌を指で触れられ、ジョニーが恥ずかしそうにしている。

(ジョニーには、告白が通じたかな? 通じていないなら、キミはバツだ)

 ナスティは笑った。

 夕暮れになった。

「そろそろ帰ろうか……」

「うん」

「このマント、欲しい。ちょうだい」

耐火外套ファイヤーマント”が愛おしく思った。

「えー、だめだよ。怒られちゃう。親方たちに怒られちゃうよ」

「だったら、ボクが着ている服と交換しよう」

「試合が終わったサッカーじゃないんだから……。仕事に使うんだから、返してよ」

「えー。ジョニーのケチィ!」

 ナスティは抗議しながらも、“耐火外套ファイヤーマント”を返す。

「ぽこぉ!」

 いきなり、茂みからポコチーが飛び込んできた。

「ぽっこちー、ぽっこちー、ぽっこぽこちー。……これが、ぽこちー応援歌ぽこ!」

 ナスティの肩に飛び乗り、丸くなった。

 森の出口で二人は別れた。

「明日の午後、また会おう。……作戦会議しようね」

 ジョニーが提案する。

「どこで?」

 作戦会議、ナスティは胸が高鳴った。

「姫の家。勉強したでしょ? 分数」

「あ、そうだっけ」

 ナスティは、ジョニーと別れ、家に帰った。

 この日は、タダラスはナスティの家に怒鳴り込んでこなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ