野盗
1
ナスティは、暗い森にいた。
場所に心当たりがある。ジョニーとタダラスに出会った、沼の森だ。
寒い。
凍える身体を手で温め、先を進む。
白い発光体が立っていた。背丈が少年に見えた。
「誰? ジョニー?」
ナスティが問いかけると、白い影が振り返る。
見知らぬ少年の顔だった。
顔は白く、表情は虚ろで、この世界の人間ではない。
「……らが……たちを……した。……ねも……われた。……うさん……かあさんは……ている」
「なに? 何を喋っているの?」
ナスティは怖かった。だが、聞き取りづらい言葉も気になる。
「夜は、幽霊が出歩く」
ジョニーの言葉を思い返した。
目の前から、白い少年が消えた。
「……らが……たちを……した。……ねも……われた。……うさん……かあさんは……ている」
姿が消えても、同じ内容の繰り返している。
「ああ、これは夢だ。わかった、大丈夫。グス……」
ナスティは泣いた。
目を覚ました。
暗い部屋に戻っていた。汗をかいていた。息苦しい。
まだ日が昇っていない。
隣の部屋から、声が聞こえる。
「かなり稼げたな。この調子でいけば、明後日には、目標金額を超えるはず」
ナディーンの声だ。自信に溢れた響きがする。
「しかし、この村で売るには、問題があります」
ジョルガーの反論する。
「そうだな、ここより離れた場所に、村があったはず。時間が掛かるが、そこで換金するしかあるまい」
二人は何を話しているのだろう?
ナスティは聞いてはいけない話を聞いたような気がした。
扉が開き、ナスティの寝台に灯りが差し込む。
ナスティは手で顔を隠した。灯りが消えるまで、寝たふりをし続けた。
もう一度眠った。夢は見なかった。
朝になった。
「ぽこぉ。なすちー、おはぽこ!」
目覚めると、ポコチーが、、ナスティの枕元に立っていた。
小さな蛇を口に咥えている。
蛇を口から離すと、蛇が逃げる。
「ひゃあ、逃げちゃう!」
ナスティは蛇の尻尾を捕まえた。蛇が仕返しに、ナスティの腕を噛もうとする。
ナスティは、勢いよく、壁に蛇の頭を叩きつけた。
蛇が舌を出して気絶している。
ポコチーが食べようとしたが、ナスティは制止した。
「待って、料理するから」
ナスティは、包丁を研いで、蛇の頭と内臓を落とす。ポコチーにあげると、音を鳴らして齧りつく。
皮を剥ぎ、木の枝に蛇を巻いて、火で炙る。
脂が滴る蛇の肉に、香辛料をかけた。
蛇の肉質は、繊維質でなかなか噛み切れないが、時間を掛けてゆっくりと食した。
ナディーンたちが、外出の準備をしていた。
「お母さん、勉強が進んだよ」
食事を終え、ナスティは教科書をナディーンに見せた。ジョニーに教えてもらった分数が、今では得意分野である。
「今日はお母さんたち、忙しいから。勉強は、自分でやりなさい」
ナディーンの表情が、不機嫌になった。興味の無い話題を突きつけられたかのように、一切見向きもしない。
「あれほど勉強をしろって……」
「なに? なにか不満かしら?」
ナディーンの表情が、怒りと煩わしさで入り混じっていた。ナスティは心臓を握りつぶされたかのような恐怖を感じた。
「ごめんなさい……」
ナスティが謝罪すると、ナディーンの機嫌が和らいだ。
「姫。お店に行って、お昼ご飯でも買って食べなさい」
ナディーンが袋から、銅貨を数枚を取り出して、渡してきた。
(いっつも貧乏で、道に生えている草を口にしてたのに……?)
お小遣い。
ナスティにとって、初めての経験であった。
「あれ、なにこれ? ……血?」
銅貨の一枚に、赤く黒くて、粘着質の液体が付着している。
ナディーンとジョルガーが、顔を見合わせて息を呑んだ。
「ごめんごめん、汚れていたね」
ナディーンが、綺麗な銅貨と交換する。
2
「お昼ご飯……」
ナスティは砂の道を通り、漁村に着いた。
「ぽこぉ……今日は、一段と焼き場の行列が多いぽこ」
ナスティの肩に乗ったポコチーが、壁に覆われた焼き場を眺めている。壁沿いに並ぶ台車には、死体と思しき荷物に、布が載せられていた。
焼き場から、立ち上る煙が、風に煽られ、漁村を漂った。
腐った魚を焼き焦がしているような臭いだ。
死体を運んでいる“灰”の脇で、老人と中年の男が二人、話をしている。
「今日はやけに、死体が多いな」
老人が掛けた布の中身を覗いた。
ナスティは顔を背けた。人間の死体だ。
黒い肌の中から、赤い内臓が露出していた。蠅たちが集まって、うるさい羽音で合唱をしている。
「これは強盗ですね。財布や貴重品を、身ぐるみ全部を剥ぎ取っていやがる……」
若い男が、老人の肩越しで中身を覗いた。
「顔が、何か強い力で一気に潰されてやがる」
「この死体は、胸に数本の刃物を受けていますね」
「こっちは刀傷が目立つ。見ろよ、側面が真っ二つだ。これほど見事な切断面は、生まれて初めて見た」
「いやいや、この死体はもっと凄いですよ。死体が削られている。噴火口みたいだ」
「……どいつも、霊骸鎧の仕業だな。一人ではない、複数の犯行だ」
「四つの能力……最低は四体いますね。」
「食いっぱぐれた霊骸鎧崩れどもが、夜盗に成り下がる。まあ、よくある話さ」
「今晩は、戸締まりして寝るとしましょう」
老人は、ナスティの存在に気づいて、威嚇するように、小さく吠えた。
ナスティは鼻を押さえ、広場を突っ切った。途中で地面に転がっている浮浪者らしき男たちに見られたが、無視をした。
商店を見つけた。
商店といっても、屋台である。
日よけの屋根と仕切台、棚があるだけだ。
仕切台の向こうに、老婆が立っていた。
髪は乱れて、鼻に大きな吹き出物を作り、白くなった眼球は、虚空を見つめている。
ナスティが目の前に立っても、ナスティの存在を認識していない。
「目が見えないのかな? ……ごめんくださーい」
「……」
老婆が、反応しない。一点を見ているだけだ。
「お米をください……」
仕切台に銅貨を置く。
銅貨の音に、老婆は反応した。一枚一枚、銅貨を数えはじめ、三枚かすめ取ると、棚にあった布袋を、ナスティの前に放り捨てた。
ナスティは袋を開けると、米が詰まっていた。
全体的に黒くて灰色で、美味しそうには見えないが、食用には耐えられる。
ポコチー用に、魚の干物を買った。
(お米を、ジョニーに食べさせたくなってきちゃった。お昼に来てくれると嬉しいな)
ジョニーに、料理を褒められた。
ジョニーの発言に、くすぐったい気持ちになる。
(チュウされたら、どうしよう……?)
ナスティは自分の顔を両手で隠した。
「もう、ジョニーったら……」
広場に戻ると、異様な雰囲気を感じ取った。
大人たちが集まって、肌の黒い子どもを縛り付けている。
十字架を立てると、子どもの頭は、地面に、つま先は天に向かっていた。
逆さ吊りである。
「お許しを! 助けてくださいだか!」
逆さに吊られた子どもが、泣き叫んだ。
ナスティは、子どもを見た。
「タダラス!?」
沼で魚捕りをしていた奴隷のタダラスだ。
ある大人は拳で、ある者は棒で殴った。
「だかっ」
タダラスは呻いた。
「お許しをっ」
「タダラス。お前もこの村の決まりを知っていよう」
「平民様ぁ、もうこれ以上、殴らないでだかぁ」
「魚を捕れなかった報いだ。おい、聞け。奴隷ども。お前たち奴隷は、生かすも殺すも俺たち次第だ! 役に立たずは容赦しねえ!」
男は、低い声で凄んだ。子どもたちが震え上がり、下を向いている。
ナスティはその場から逃げ出した。
この村では、いつも子どもが殴られている。
(ひょっとして、ボクが魚を捕まえたから、タダラスがこんな目に遭ったの……?)
ナスティは、ポコチーを抱きかかえて走った。
自分の無力さから逃げるように、走った。
(タダラス、ごめんなさい……! 助けてあげられなくて、ごめんなさい……!)
ナスティは立ち止まって涙を拭いた。
「えーんえんえんえん、なすちーが、かわいそうぽこぉ」
ポコチーがナスティの頬をなめる。舌がザラザラしている。
走ると、疲れた。
ナスティが立ち止まると、風向きが変わった。
煙が入る。
死体焼き場がひっきりなしに燃えている。
壁には、死体を運ぶ台車が並んでいる。
死体焼き場から立ち上る煙が、さらに強まった。
(ジョニーは今、何をして、何を考えているんだろう?)
壁の向こうで、ジョニーは働いている。
3
ナスティは足早に家に戻った。
だが、家に帰ると無人である。
「ぽこぉ! ひるめちにするぽこ!」
ポコチーが気合いを込めた声で、ナスティの肩から、地面に飛び降りた。
ナスティは料理の準備を始めた。
「ねえ、ポコチー。知ってた? シグレナスの人たちって、お米を食べないんだって」
「ぽこぉ?」
「シグレナスだとね、お米って家畜の食べ物で、お米を食べる人は恥ずかしいって思われているみたい」
「ぽこぉ? シグレナスの奴らは、ずいぶんお高く止まっているぽこなぁ」
「シグレナスに嫁いだら、もうお米は食べられない。だから、食べ納めしないとね」
米を炒める。
刻んだ野菜と、香辛料を合わせる。
タダラスを思い返した。
魚を獲って、母親に怒られた。
(まさか、ボクのせいで、タダラスが殺されるなんて……)
胸が締め付けられる。
振り払うように、ナスティは料理に没頭した。
料理はナスティにとっての気を紛らわすにはうってつけであった。
「姫って料理が上手いね」
ジョニーの言葉を思い返した。ナスティは自分を抱きしめたくなった。
「ジョニーに食べさせたい」
でも、マークカス王子と結婚しなくてはいけない。
「どうしよう、マークカス王子がジョニーと同じくらいイケメンだったら……。ご飯を作って、美味しいって喜んでくれたら……」
ナスティはジョニーの顔でマークカス王子の顔を想像した。盆を抱きしめる。
「ジョニー、来ないかなぁ」
炒めた米を食べた。香辛料で味付けされると、米の甘さが引き立つ。
足下で、ポコチーが焼いた干物に食らいついている。
「お米って、こんなに美味しいのに、どうしてシグレナスの人たちは食べないのだろう?」
ポコチーが、魚を平らげて、外に出て行った。
一人になったナスティは、勉強を始めた。
暇な時間は、すべて勉強に費やした。
ナスティは、母親の怒りが怖かった。母親の怒りを静めるために、勉強をしていた。
だが、今は、勉強の楽しみを理解できた気がする。次々と問題を解いていく、一種の遊びになった。
(ジョニーのお陰だね。……凄いね、ジョニーは)
ナスティはジョニーを思い返して、微笑んだ。
日が暮れた。
(なんでジョニーは来ないんだろう? 他に好きな女の子ができた? ……ひょっとして、ボクを弄んでいたのかな?)
ジョニーが、見知らぬ女の子と仲良く並んで歩いている。ナスティの妄想だが、急激に腹が立ってきた。
ジョニーが、ナスティに見向きもしない。
女の子と顔を向かい合わせ、笑顔を見せている。
ナスティは立ち上がった。勉強をする気が一気に失せた。
(えーい、決めた。もうジョニーなんてフッてやる。あんな浮気性の奴、好きになってあげないんだから!)
外で声が聞こえる。
「ねえ、聞きました、奥さん? あの“衝撃”ジョルガーが、この家に身を潜めているんですって」
「まあ、ジョルガーですって? 夜盗のジョルガーですか?」
「どこぞの没落貴族を騙して、食い物にしているっていう噂ですわよ」
ナスティにとっても、気になる話である。窓の隙間から外を覗くと、集落の女たちが噂話をしていた。
「夜盗の次は、貴族の乗っ取りなのかしらねえ。ここの奥さん、若い未亡人だから、少し優しくすりゃ、簡単に靡いちゃうわよねえ」
「しっ。誰かが、こっちを見いますわ」
女たちは、ナスティの視線に気づいて、それぞれの家に逃げ帰っていった。
(ジョルガーが夜盗……? お母さんを騙している……?)
ナスティは心臓を抉られた気分になった。
男たちがいなくなったのを見計らい、外に出た。
「お母さんたちを探しに行く……!」
村の外に出る。
4
辺りは暗くなっていた。
砂漠の道に、白い影が見えた。
「ジョニー?」
白い影を追いかけた。森の方向に向かって歩いて行く。
沼地につながる森だ。
森の中で、白い影が後ろ姿を見せている。
ナスティが白い影に近づいた。
「幽霊……? 殺された子どもたち……? 待って、この光景は、どこかで見た記憶がある」
ナスティは、記憶をたどった。
「姫!」
ナスティは立ち止まった。振り返ると、ジョニーが立っている。
「ジョニー!」
ナスティはジョニーに抱きつこうとしたが、止めた。
(ボクには許嫁がいる。こんな浮気性の男の子と抱き合うなんて、無理無理)
理性で押しとどめた。
「えーと、姫? どうしたの?」
「お母さんたちがおかしいの。それにね、タダラスが殺されたの。それでねそれでね、ジョルガーが夜盗かもしれない」
「うーん、さっぱり分からないよ。……話を整理しよう。タダラスの死体を見たよ。タダラスは制裁されて殺されたんだ」
ナスティは昨日の夜から今までの出来事をすべてジョニーに話した。
「つまり、君のお母さんが、船代を払うために、夜盗のジョルガーにそそのかされて、近くの住民を強盗しているっていう話?」
「うん。そうだとすれば、一刻でも早く止めさせないと。だめよ、人殺しなんて」
「どうやって止める?」
「分かんない」
「その場で決めるしかないね。お母さんたちはどこにいるの?」
「分からない」
「あのさ、姫。分からない情報が多すぎるよ」
「だって分からないんだもん」
「考えて、姫。もしも、姫が夜盗だったら、どこに行く? ……俺には姫のお母さんが夜盗をするような人には思えないけどね」
「……森に隠れる。隠れて、人を待ち伏せる」
ナスティはジョニーから視線を外して、森を見ると、白い影が立っていた。
白い影が、手招きをして、森に入っていった。
「ねえ、ジョニー。白い影が見えない? さっきからボクを呼んでいる」
「さあ? さっぱり見えないな」
「……どうしよう」
「追いかけよう。姫が見えたんだから、間違いない」
「こんな真っ暗闇の中の森を? お化けが出ているのに?」
ジョニーの提案に、ナスティは凍り付いた。
ジョニーは、どこからともなく松明を出し、着火した。周囲が明るくなる。
「姫。多分、姫が見えている白い奴は、俺たちを、どこかに連れて行きたいんだと思う」
「怖いよ。引き返したい」
「大丈夫」
ジョニーはナスティの手を握った。
「ほうわぁぁ」
ナスティは、顔から煙が放出した
ナスティが手を離そうとしたが、ジョニーの手は思いのほか強くて、振り払えない。
「やっぱいい」
口ごもった。
「どうしたの? ごにょごにょして」
「……なんでもない」
「じゃあ、行くよ……」
ジョニーに手を引かれる。
二人で森を進む。
「姫。白いお化けを見かけたら、教えてね」
「……見えない」
「わかった、じゃあ、沼に行ってみようか」
次々と提案するジョニーが頼もしい。
ナスティは安心した。安心と同時に、顔が紅潮してきた。
(いつもなら怖いはずなのに、ジョニーといると、何も怖くない)
いつも何かに怯えて生きていた。
ジョニーが掲げる松明の熱が、ナスティの恐怖を溶かし、ジョニーの掌から伝わってくる体温が、ナスティの傷を癒やしているようであった。
「ぽこぉ!」
白い物体が飛び出してきた。
「ぽこちー! どこに行ってたの?」
白いふさふさの毛に覆われた、ポコチーであった。
「ぽこぽこぉ!」
ポコチーが必死に鳴いている。
「姫、ぽこちーは、何を訴えているの? 何か知っているかもしれないよ」
ジョニーが、ナスティに質問をした。
「分からない。ときどき、ぽこちーの言葉が分からなくなるときがあるの。ぽこちーは、ぽこちー星からやってきたからね」
「……設定が追加されたね」
ポコチーはナスティの周りを回った。立ち止まり、ナスティを見上げている。
「どうしたの、ぽこちー?」
「ぽこぉッ!」
気合いとともにポコチーは、ナスティの肩に飛び乗った。
「ジョニー。ぽこちーは、ボクたちに従いていきたいみたい」
「……それは俺にも分かるけどね」
沼に着いた。魚が跳ねる音が聞こえるが、人の気配はない。
「……いないね」
ジョニーが呟いた。
ナスティは、辺りを見回した。暗くて、何も見えない。
諦めようとした瞬間、沼のほとりで、白い影が立っている。
「あ、いる」
「どこにいるの……? 俺には見えないよ」
「いいから、従いてきて!」
今度はナスティがジョニーを引く番だ。
白い影は、近づくにつれ、姿が見えなくなった。
だが、物音が聞こえる。
人間の怒鳴り声だ。
森の向こうで、何者かが争っている。
ジョニーとナスティは顔を見合わせた。
「行こう!」
ナスティとジョニーは走った。森の中で、開けた場所がある。
開けた場所には、巨木があった。巨木の根、は二股に分かれていて、洞穴がある。
洞穴からは、橙色の光が溢れていた。
「何あれ?」
と、ナスティは洞穴を指さした。
「こんな場所に洞穴があるなんて、初めて知ったよ」
ジョニーが驚いた。
洞穴だけではなかった。複数の大人同士で、向かい合っていた。
「お母さん……!」
ナスティは、ナディーンの後ろ姿が確認した。
ジョルガー、ヤジョカーヌ、ガトスが立っていた。
四人の前に、男たちが怯えた表情で立っている。
「漁村の人たち……?」
ガトスが印を組み、霊骸鎧“円盤投げ”に変身した。
逞しい体つきの霊骸鎧で、腰巻きを身につけ、頭上には、茨の冠を身につけている。左腕には、巨大な円形の楯を装着していた。
「ガトス!」
ナディーンが剣を振り下ろし、指示をした。
“円盤投げ”ガトスは、動きは鈍重であるものの、大楯を投げつけた。男の顔面上半分を吹き飛ばした。
ナスティは目をそらした。
ヤジョカーヌは霊骸鎧“脱皮”に変身した。束形状髪をした、女形の霊骸鎧だ。
同僚の死を知った、男たちの一人が悲鳴を上げた。顔を強張らせ、手にした斧をめちゃくちゃに振り回す。
斧の刃がヤジョカーヌの頭部に刺さった。
「ヤジョカーヌ!」
ナスティが悲鳴を上げた。
だが、ヤジョカーヌの頭部を覆う皮が、斧もろとも、脱落した。脱落した部分から、新たに頭部の皮が浮かび上がってきた。
「あの霊骸鎧は、脱皮しているんだ……」
と、ジョニーがナスティの隣で呟いた。
男たちは恐怖の表情で、ヤジョカーヌを刃物で刺した。だが、刺されるたびに、ヤジョカーヌは脱皮して、攻撃を受け付けない。
ヤジョカーヌは、髪の毛を掻き上げる仕草をして、髪の毛から手裏剣を取り出して投げつけた。
男の顔に突き刺さる。男は倒れた。
逃げる男たちの先には、老人ジョルガーが厳しい顔つきで、立っていた。
ジョルガーが霊骸鎧“暗黒天”に変身する。
空間に、指で円を描いた。
円は、球体となって、闇夜よりも暗い漆黒の“暗黒物質”となった。
“暗黒物質”は球体で、周りを巻き込んで空間を削り取る。
「“衝撃”ジョルガーだ! 夜盗の……!」
逃げる男が叫んだ。ジョルガーの有名ぶりに、ナスティは驚いた。
ジョルガーは男の腕を捕まえて、“暗黒物質”に投げ入れた。
“暗黒物質”は、金属の歯車に巻き込まれたかのような音を立てて、男は身体……左胸の一部と左腕の一部に、円形の穴をつくって、絶命した。
ナスティは、耳を押さえ、視線を逸らした。
悲鳴が聞こえる。
無慈悲な暴力の前に、肉体が弾け、生命が消えていく。
ジョルガーが、死体から衣服を引き裂いた。中から、金がこぼれ落ちる。
ガトスやヤジョカーヌも袋に金品を詰め込んでいった。
「やっぱり、お母さんたちが夜盗をやっていたんだ……」
ナスティは唇を噛んだ。
「“回収”は後にしろ、中に突入するぞ!」
ナディーンは、剣で、洞穴を指さした。
洞穴には、灯りがある。
光源がある。明るい。
ガトスが先頭に立った。ヤジョカーヌ、ジョルガーと続き、ナディーンが最後に入る。
「まさか、お母さんたちが、夜盗だったなんて……」
ジョルガーに唆された?
自分が信じていた母親やジョルガーの印象が、崩れていく。
優しかった人たちが、悪事に手を染めている。それが、自分の家族だったとは、衝撃が強い。
肩に、ジョニーの手が触れる。
振り払おうと思ったが、ナスティの心が洗われていくようで、そのままにしておいた。
ナスティは泣いた。
一頻り泣いた後、ジョニーが優しく語りかけてきた。
「姫。俺も洞穴に行ってくるよ。松明があるのに、まだ気づかれていないみたいだから。……たとえお母さんでも、姫を傷つける人は許せない。子どもに内緒で強盗なんて、おかしいよ。文句の一つでも、ぶつけてやらないと、ね?」
ジョニーが心配してくれている。
ナスティは、身体の底から、力が湧いてきた。
「ありがとう、ジョニー。ボクも行きたい。行こう……! ジョニーを一人で行かせたくないよ」
ナスティは、力強く返事をした。
ジョニーと一緒に行きたい。
生まれて初めて、自分で自分の気持ちを伝えた。
生きていて、常に怖かった。
何かに怯えて生きていた。
真夜中に、洞穴の中に入るなんて、もってのほかだ。だが、ジョニーがいるので、怖くない。
(怖がっていた自分が馬鹿みたい)
洞穴の中は、下り階段になっている。
「ぽこぉ」
ナスティが中に入ろうとすると、ポコチーが肩から飛び降りた。
「ぽこちー。来ないの?」
ポコチーは警戒した構えで、ナスティを見つめている。
「分かった、ぽこちー。ここでお留守番していてね」
生暖かい風が吹いた。生臭い風に、ナスティは煽られた。
松明がなくても、明かりがある。
「魚の死臭……?」
ジョニーが周りを嗅いだ。
「まるで、魚の内臓に入り込んだみたい……」
ナスティは洞穴の異常さに気づいた。
奥から、ナディーンたちの騒ぐ声が聞こえた。
交戦している。
しばらくすると、騒音が収まった。
ジョニーとナスティは階段を降りた。
「ジョニー、ここは、どんな場所なの? 何をやっているの?」
「分からない。ここには、初めて来た。俺たちの村に、こんな場所があったなんて、知らなかった。……なんだか危険な感じがするね。すぐに出るべきかも」
5
階段が、終わった。
鋼鉄製の扉が、開きっぱなしになっている。
石畳の通路に出た。前後左右に道が分かれている。
前方の扉が開いていて、ナディーンたちの進路だと分かる。
十字路の上で、死体が転がっている。
頭巾をかぶった男たちだ。
頭巾が外れて、死に顔を晒している者もいる。
ナスティとジョニーは、死体を見ないように、踏まないようにして進んだ。
扉の向こうから、声が聞こえる。
「誰だ、お前らは?」
男の声が聞こえる。いや、女の声にも聞こえる。
ナスティとジョニーは、扉から顔を出して、中を窺った。
そこは、見知らぬ機器が並んでいた。机の上には、泡を出す溶液の入った透明の瓶が並んでいて、見知らぬ機器と管でつながっている。
真正面の壁には、巨大な楕円形の壺が、複数、天井からぶら下がっていた。いくつもの管が壺に入って、壺の表面には、中を覗く透明な硝子がある。
壺の前に、頭巾をかぶった集団が、四人いた。
ナディーンたちと、向かい合っている。
「覚悟しろ……!」
ナディーンは、頭巾をかぶった集団に、剣を突き出した。
「待って! お母さん!」
ナスティは飛び出して、ナディーンの腕に組み付いた。
「姫? どうしてここに?」
「お母さん、お金なんていらないから! ボク、シグレナスに行かなくてもいいから! お嫁になれなくてもいいから! だから、夜盗なんて止めて!」
だが、ナスティはナディーンに突き飛ばされた。
突き飛ばされて、起き上がろうとすると、巨大な猿が、視界に飛び込んできた。
次の瞬間、巨大な猿の腹から、剣が突き立てられていた。
ナディーンの剣であった。
猿は霊骸鎧だった。緑色の煙を出し、人間の姿に戻る。
「この女性は……?」
見覚えがある。マルギカの店で、マルギカに殴られていた女だ。
ナディーンが剣を振って、血を払った。
「姫、よく聞いて。ここは、人攫いの巣窟なの。ここにいる人攫いを全滅させて、村の人を守る。それが、私たちの仕事なの。……そうでしょう、マルギカさん?」
と、ナディーンが、冷ややかな声で、頭巾の一人……マルギカを挑発した。
「アジュリー家の女王陛下。人攫いとは、人聞きの悪い。私たちはね、貴女たちが想像できないほど、崇高で偉大な実験をしているのですよ」
商人マルギカが、頭巾の隙間から、ずる賢そうな笑みを見せた。
太った腹を揺すって、笑いながら、壁のスイッチを押した。
マルギカたちの背後にある壁が、ずり下がった。
倉庫の入り口になった。
倉庫には、死体が並んでいる。人間の死体が、精肉店のように鉤で吊されていた。
臭いの原因が分かった。
ナスティは顔を押さえた。
「実験だと? 貴様、何者だ?」
ナディーンが、マルギカを問い詰めた。鋭い声であったが、動揺が含まれている。
「面倒くさいお人だ。ああ、貴女のような虫けらに、分かるはずもないだろうに」
「貴様ァ、人の死体を辱めて、私を虫けら呼ばわりする気か!」
ナディーンは、怒声をあげ、霊骸鎧“花冠騎士”に変身をした。花弁を思わせる桃色の甲冑を身にまとい、頭には花輪を巻いている。
全身から、甘い花の薫りを出している。
「おおっと、お強そうな霊骸鎧だ。障壁を張らせてもらいますよ」
他のスイッチを押す。
マルギカの足下から、天井に向かって青白い光が発射された。
青白い光は、格子状の壁になった。
“円盤投げ”のガトスが、マルギカに向かって、円盤を投げつけた。 だが、円盤は障壁に跳ね返り、ガトスの手元に戻ってきた。
格子の隙間から、マルギカが冷たい視線を送ってくる。
「この障壁は、単純な物理攻撃を通しません。ですが、隙間がございまして、隙間からの攻撃は可能なのでございますよ」
マルギカは印を組み、霊骸鎧“茸頭”に変身をした。
キノコのような頭部には、粒状の穴が無数にあった。
粒状の穴から、白い煙を放出させた。
「胞子……?」
ナスティは、呟いた。
ナディーンが剣を振り回し、格子状に飛びかかった。だが、白い胞子を全身に受けると、身体を震わせ、剣を手から滑り落とした。
「お母さん!」
ナスティの悲鳴をあげた。
ナディーンは地面に倒れ、苦しんでいる。動きを止めたかと思うと変身が解け、生身の姿に戻った。
ナスティはナディーンに駆け寄ろうとした。
だが、ジョニーに腕を引っ張られ、阻止された。
「ジョニー、離して」
「駄目だ、姫。姫だけでも逃げなきゃ!」
ジョニーは、出口に向かった。
だが、出口も、青い障壁で封じられている。
ジョルガー、ガトス、ヤジョカーヌと次々と倒れ、変身が解けていった。
生身の姿で、地面にうずくまっている。
ナスティたちの周りに、白い胞子が充満する。
ジョニーは、ナスティの腕を引いて、逃げ回った。ジョニーはナスティを、胞子の薄い場所に追いやる。
だが、自身は、胞子にまみれて、顔を真っ赤にして苦しみ、気を失って倒れた。
「ジョニー……! いや!」
ナスティは、無力化したジョニーの腕を引いて叫んだ。
ナスティの口や鼻に、胞子が入り込んでくる。
「あれ……?」
ナスティの内側から、光が湧いてきた。
へその奥側から、光が爆発したかのようだ。
マルギカは、変身を解き、壺を取り出した。
「偉大なるアポストル様。ご覧ください。これほどのエーギルを持った者たちが集まりました。もうすぐで、エーギルが満杯になりましょうぞ」
隣の頭巾に話しかける。
頭巾が嬉しそうに頷いた。
マルギカが壺とナスティを見比べた。
「このガキども、二人ともエーギルが素晴らしいですぞ! これほどの持ち主を見た記憶がない。……おら、ジガージャ! 早く首を刈り取るのだ! 鎌だ、鎌! 鎌を持ってこい!」
ジガージャが頭巾を外し、鎌を持ってきた。自分のご主人様であるマルギカに献上する。
「早くしろ、この野郎」
マルギカが汚い言葉で罵り、ジガージャを蹴る。
マルギカが舌なめずりをして、ジョニーに近づいた。
「いや! ジョニーに近づかないで!」
ナスティは立ち上がりジョニーの前で両手を広げた。
「おやおや、お嬢ちゃん。わしの催眠ガスが効かなかったのかね?」
マルギカが驚いた。
ナスティは、自分が、光る薄い膜に覆われていると気づいた。
たしかに、自分だけが胞子の影響を受けなかった。
「……可哀相にねえ、気を失ったままが良かったのに。このままだと、ジガージャのおじさんに、生きたまま、顔の皮を剥がされるんだよ?」
マルギカが冷たい目つきで、笑った。
「ぐふぅ……」
だが、マルギガは、血を口から吹き出した。
「なんだと? どうして、お前が……?」
マルギカが死んだ。
マルギカの背後には、ジガージャの姿があった。
ジガージャの手元には、血まみれになった鎌があった。
「だめぇ。ジョニーを殺さないで!」
ナスティは、倒れているジョニーの上に覆い被さった。
「君みたいな子が欲しかった、僕は。マルギカには渡さない、うふ、うふふ……」
ジガージャは、虚ろな声を出した。
割れた壺を思わせる頭部をした霊骸鎧“虚空”に変身した。頭の中身は空洞である。
細長い指を、ナスティの前で回した。
ナスティの視界が揺らいだ。
「君はもう一度、この日を繰り返す……。繰り返す。君を飛ばす……」
ジガージャの声が聞こえた。霊骸鎧の口は塞がれているので、発生できないはずなのに、直接、脳に問いかけているかのようだった。
ナスティの身体が揺れる。何かで頭を打ち叩かれたかのように、ナスティは頭に、激しい痛みを感じた。吐き気とともに、地底に吸い込まれていった。