告白
1
「どうしたのかね? 早く来たまえ?」
アイシャが足を組んだ。挑発的な視線を、セレスティナに送っている。
「どなたか、従いて来てください」
セレスティナが振り返った。
だが、誰も名乗り出る者はいなかった。
仲間たち皆は、視線を落としている。円陣でも組んでいるかのように、お互い向かい合って、それぞれ下を向いている。プリムに至っては、その場にしゃがんだままだ。
ジョニーは、床を見た。
いつの間にか海水は消え、乾いた砂に覆われていた。シグレナスの闘技場と同じだ。
(どいつもこいつも、“龍王”の迫力に怖じ気ついたのか?)
だが、仲間の不甲斐なさに腹を立てても仕方ない。
「俺が行こう。他の奴らは落とし物を捜しているらしい」
ジョニーは、足下の砂を蹴って、セレスティナの後を追いかけた。
セレスティナが振り返ってジョニーを見た。全身から、霊力が漂った。落ち着きと、力強さを感じる。
セレスティナとは一歩遅れて階段を上る。セレスティナの背中から、心臓が鳴る音が聞こえる。
恐怖。
いいや、どこか心地の良さを感じる。
否定的な響きはしなかった。
二人の上る階段は、アイシャの観覧席とは直結しておらず、空間を保ったまま、途中で終わっていた。
アイシャが、ジョニーを見るなり、眉をひそめた。
「セレスティナ同志。どうして“貝殻頭”同志が従いてきたのかね?」
「……私の護衛です」
「認められないね。僕は君だけを呼んだのだ。二人で話をするだけなのだから、護衛なんていらないよ。……“貝殻頭”同志、階段を降りたまえ」
アイシャは煩わしげな表情で、自分の額に手を当てた。隙間から、鋭い眼光を見せた。
「護衛でなければ、君らは、どういう関係なのだ? まさか夫婦なのか?」
「ちがう!」
「ちがいます!」
ジョニーとセレスティナは、一斉に否定した。驚くほど、息が合っている。
「では、恋人か?」
ジョニーは黙り込んだ。
恋人ではない。
だが、ここで否定すると、悔しい気持ちになるので、黙っていた。
ジョニーはセレスティナを盗み見た。ジョニーよりも前にいるため、表情が分からない。
セレスティナも同じく黙っている。セレスティナの反応が、ジョニーにとって、以外だった。
だが、セレスティナは否定しない。
「……どうして、そう思う?」
ジョニーはアイシャに真意を訊いた。
アイシャは手元の資料を捲った。
「この資料によると、二人とも奴隷の身分なのだね。セレスティナ同志は、皇帝の愛人で、“貝殻頭”同志は、落ちぶれた貴族の奴隷だと」
アイシャの中では、ビジーの実家、ブレイク家は落ちぶれた貴族になっている。ビジーが聞いたらどんな反応をするのか、ジョニーには想像ができなかった。
「二人は、どういう接点で知り合ったのかね? 君たちを見ていると、ただならぬ関係を感じる。理由は分からない。何か深い因縁を感じるのだよ」
アイシャは首を傾げた。
ジョニーには見当も付かない話であった。
ジョニーは“混沌の軍勢”からセレスティナを救い出した記憶が、頭によぎった。それから、図書館や大神殿で再会して、シグレナスではいつも、セレスティナを探していた。
「セレスティナ同志。君は、この“貝殻頭”同志を色仕掛けで操っているのかね?」
「……違います。そのような事実はありません」
「気にするな、冗談だよ。……僕の“龍王”を見て、恐れを成さない者などいなかったからだよ。僕に刃向かう者は、気が狂っているか、洗脳されているか、どちらかしかなかった」
「……シグレナス帝国は、ボルテックス商会に業務委託をしています。ジョエル・リコは、ボルテックス商会に雇われた者にすぎません」
セレスティナから急に事務的になった。
セレスティナの顔は見えないが、氷を思わせる声色から、冷たい態度だと分かった。
「でも、君たちは、今日一日、二人だけで行動していたらしいね」
アイシャは自分の掌を見た。
(よく知っているな。そうだ。間者……か!)
ジョニーはセルトガイナーを思い返した。
振り返ると、それまで下を向いていたセルトガイナーが、顔を上げた。ジョニーの顔を見ると、怯えた表情になった。
「だが、“貝殻頭”同志と、セレスティナ同志が同時に、滝壺に落ちた。逢い引きをするために、以前からそのような打ち合わせをしていたのかね?」
と、アイシャは現場にいたかのように発言をした。
(間者が、逐一、俺たちの行動を、俺たちが分からない方法で、アイシャたちに報告している!)
と、ジョニーの中で、瞬時に仮説が浮かび上がった。
だが、今ここで間者を見破っても、どうにもならない。
「していません。私が落ちたのは、偶発的な事故です」
セレスティナが訂正した。冷静さを保っているかのように見えるが、ジョニーには、焦りを感じる。
「……今日、私たちは、初めて話をしました。ジョエル・リコと私とで、個人的な打ち合わせを一切していません」
顔を上げ、答えた。氏名で呼ばれると、距離を感じる。
「そうだ、今日はじめて、まともに話をした程度だ。ここに来るまで、話をした記憶などない」
ジョニーが口を挟んだ。
セレスティナの背中が痙攣した。
「おやっ……? さっきの沈黙で、君たちが恋人だと思ったが、今日初めて話をしたのかね? だったら、恋人ではないのだね? 夫婦や恋人で、心配だから従いて来たのなら、まだ気持ちは分かる。それなのに、どちらでもない君は、どうして従いてきたのだ?」
アイシャは勝ち誇った表情を見せた。
恋人ではない。
紛れもない真実ではあるが、ジョニーは、口に苦い味がする。
(恋人でもないのに、どうして傷つく必要があるのか?)
ジョニーは困惑した。
アイシャは、畳みかけた。
「セレスティナ同志。君は狡い女だな。皇帝の愛人でありながら、若い男を色仕掛けにして意のままに操るだなんて。自分の愛人が他の若い男とくっつくのは、皇帝が許すはずがなかろう。このまま行けば、この“貝殻頭”同志は処刑されてしまうかもしれないよ? あれれ、それとも、ひょっとして、利用することが最初から目的だったのかね?」
アイシャは意地悪な内容の発言を、とぼけた口調で投げかけてきた。
セレスティナから奇妙な音が聞こえた。涙や鼻水をすすりあげる音だ。
両肩を震わせている。
後ろに控えるジョニーからしてみれば、どんな表情をしているか分からない。
アイシャは意表を突かれた表情をしている。
(泣いている……? セレスティナが、どうして……?)
セレスティナの反応は、ジョニーにとって意外だった。
ジョニーは手を伸ばした。
何か力になりたい。だが、自分に何ができるだろうか……?
これ以上、アイシャの攻撃対象をセレスティナにしておくわけにはいかない。
(何でも良いから、やり返せ。黙っていては、相手の意見を認める結果になる。挫けては駄目だ)
ジョニーは決意した。喧嘩と同じである。
「二人とも水没したが、助かった。俺が先に目覚めて、セレスティナが死にかけたから人工呼吸をした」
黙っていては負けなのだ。
「なんだ急に? いきなり喋らないでもらえるかな?」
アイシャが驚いた。
「人工呼吸……? チュウしたのか?」
ボルテックスが、嬉しそうに驚いて、隣のフリーダの肩を強く抱き寄せた。フリーダが。災害にでも遭ったかのように硬直している。
「女が意識を失っている隙に、唇を奪ったのかね……?」
アイシャが困惑と怒りが入り混じったような表情を見せている。
セレスティナの肩がさらに、感電したかのように震えた。
また軽蔑される要素が増えた。
「違う、たまたま藁があったのでそれを使いこなした。だから、唇には直接、触れていない」
ジョニーは潔白を主張した。
「嘘に決まっている!」
ヴェルザンディから、小馬鹿にしたような野次が飛んできた。
「そんな都合の良い話があってたまるか。真実だけを話せ。真実を知る権利が、俺たちにある!」
野次の中には、ボルテックスの楽しげな声が混ざっている。
「そうだ! そうだ! こいつら、こうびしたんだ! せいのよろこびをしりやがって!」
プリムの独特な声も聞こえる。
むしろ、ヴェルザンディよりも、仲間の野次が大きい。
黙って聞いていたアイシャは口を開いた。
「何を盛り上がっているのかね、君たちは? まあいい。はっきりしたまえ、キスをしたのか、していないのか、どうなのかね? ……していないのだろう?」
アイシャが、煩わしげな声で問い詰めてきた。
ジョニーは答えられなかった。
神妙な表情をしていたアイシャから、徐々に柔らかくなった。
「……キスをしていない、というのだな。であれば、恋人と同じくらいの密接な関係にはならないぞ。“貝殻頭”同志、ご苦労であった。さっさと下がりたまえ」
と、アイシャがジョニーを手で払いのける仕草をした。
セレスティナに向き直る。
「さて、此度の件は、君たちシグレナスの諸君らが不手際で招いた話だ。それなりの誠意を見せてもらおうか」
「アイシャ王女。私たちには、なんの落ち度もありません。私たちは、正々堂々と戦いました。結果、二勝しただけです。これ以上の反論はありません。……手続きを守ってください。双方ともに、国を背負っている身です。取り決め通りに動きましょう」
セレスティナは平静を取り戻していた。だが、以前よりも、声に力がない。
「……取り決めを破ったのは、君たちだ」
「破ってはいません。破ろうともしていません」
ジョニーにはよく分からないが、アイシャは二敗した状況が気に食わないのだ。規則をねじ曲げてでも、自分の思うとおりに難癖をつけているのである。
泥棒のような行為だ、とジョニーは思った。
裁判を受けるべき泥棒が、裁判官のように無実のセレスティナを問い詰めているのである。
「今回の戦いは、途中入場はできない決まりだ。それを、君たちの“貝殻頭”同志が乱入して、破った」
「そんな約束をしましたか、ボルテックス?」
セレスティナはボルテックスに確認を取ろうとした。
「おっと、僕と君は二人きりで話をしているのだ。誰も関与させてはならない」
だが、アイシャは制した。ジョニーは、アイシャの理不尽な態度に腹を立てた。
だが、セレスティナは冷静さを保っている。
「……では、ジョエル・リコが入場したとき、王女殿下はどうして何も仰らなかったのでしょうか?」
セレスティナの澄んだ声が、響き渡った。
アイシャは口を結んで、黙った。
「それに、“竜爆神”アドバッシュ、“砲拳”も“爆合装甲”も観客席から乱入していました。それについて、王女殿下は、どうお考えなのでしょうか?」
みるみるアイシャの表情が赤くなっていく。
「だーかーらー」
脚だけを空中遊泳をした。
「いちいち不愉快だねえ、君は!」
アイシャが怒りだした。
「こんな下らない話し合いなど、無駄だ。さっさと君と僕とで戦って、勝った側が先に進むべきだ」
唾を飛ばしてまくし立てる。気に食わない事態になると、急に子どもっぽくなる。
「アイシャ王女陛下は王族であらせられますが、私は奴隷です。命の天秤に掛けるには、身分不相応です」
「何を白々しい。セレスティナ同志。君の力は、おそらく我らヴェルザンディの霊骸鎧を一〇〇人合わせても勝てないだろう。……君の知恵がそれくらいの価値があると、僕には分かるのだよ」
アイシャは、声を落とし、鋭い視線を投げかけてきた。まるで積年の恨みを持った相手であるかのような態度である。
二人は黙った。セレスティナは自信がなさげに視線を落とし、アイシャは不貞腐れた態度で、視線を逸らした。
「待ってくれ」
ジョニーは口を挟んだ。会話に入る好機である。
「セレスティナと俺は、人食い蜘蛛から逃げ延びて、“狗族”と戦い、ここまで来た」
セレスティナとアイシャが同時に振り向く。
「“貝殻頭”同志、君は、まだいたのかね? もうその話は終わったはずだが?」
アイシャは呆れた口調をした。
「蜘蛛の爆発で、俺はセレスティナをかばい、“狗族”の戦いで、牢屋でセレスティナと二人きりになった」
「さっぱり意味が分からん。無駄話は良いから、さっさと下がりたまえ」
「断る。俺は一歩も動かんぞ。……俺とセレスティナは一心同体だからな」
ヴェルザンディ、シグレナス双方がざわついた。
セレスティナの耳が真っ赤になった。
「……どういう意味だ? 最近知り合った仲、と申していただろう?」
「ちがう、俺たちは“星幽界”でも出会えたんだ。言葉を交わさなくても、心でつながっていける」
ジョニーは歯を食いしばった。挫けるわけにはいかない。
「ほう、“星幽界”か……。小さい頃に学んだ記憶があるが、何の役にも立たない、詐欺師どもの戯言だ」
アイシャは事もなげに話を否定した。
ジョニーにとっては意外だった。アイシャは一国の王女として、知識としては“星幽界”を知っているが、実践の中で気づく、有用性までは知らないのである。
「戯言ではない。俺たちは、“星幽界”で再会した。心が通じ合ったのだ」
事実である。
ジョニーは、胸を張った。
「ですから、王女殿下との一騎打ちは応じられません。このまま通させてください」
セレスティナが話に割り込んできた。声が動揺している。
ジョニーはセレスティナの発言が意味不明に感じたが、先ほどの会話を続けようとしているとは分かった。
「セレスティナが想いを送ってくれたから、“竜爆神”に勝てたのだ」
ジョニーはセレスティナの意向を無視して、自分の話を続けた。
「王女陛下と私とでは、戦力が違いすぎます。それでは、私たちが不利です」
セレスティナがジョニーの話を遮るように、自分の声をかぶせた。上擦せている。ジョニーの発言に反応しているのだ。
「ややこしいな、君たち。交互に別々の話をするな。セレスティナ同志、どうしても戦わないと申すのだな?」
アイシャが文句を付ける。
「セレスティナと俺がいれば、どんな敵にでも勝てる。だから、俺たちは一心同体なのだ」
恋人でなくても、恋人と同じくらい深い関係であれば、同行は正当化されるはずだ、とジョニーは、考えた。
「そのような要求は、断固拒否させていただきます」
セレスティナは語気を強めて呟いた。ジョニーは自分に対しての発言かと一瞬だけ勘違いをした。アイシャに対する発言なのだ。
アイシャは何かを閃いて、いたずらっぽい表情をした。
「ほう。セレスティナ同志。では、君は、“貝殻頭”同志のどこを好きになったのかな?」
「ふぐっ」
セレスティナから得たいの知れない悲鳴が出た。
霊力が放出している。混乱している。
何も答えられない。
「やはり、恋人ではないのだな。……分かった。一騎打ちは取り下げよう」
アイシャが笑った。恋人だったら、一騎打ちをするのか、ジョニーにはよく分からない。「だが、次の戦いは、僕が出る。三戦目で勝利した側の勝ち、それでいいね?」
アイシャが話を続けた。
「卑怯だぞ、アイシャ。最初にわざと無茶な要求をして、断られたら、次に簡単な要求をして、通す作戦なのだろう?」
ジョニーは、アイシャの目論見に気づいた。
「おい、リコ。このままで良いのか?」
ボルテックスが野次を飛ばした。声が笑っている。
「そうだ、アイシャはどさくさに紛れて、次の戦いを要求している。俺たちが勝っているのに、覆すつもりだ」
「違う。ほら、チュウだよ、チュウしろよ。証明して見せろよ、皆の前でよぉ。そうすれば、アイシャ王女も納得なさるぜ?」
シグレナス側から、爆笑が起こった。
「……それは無理です」
セレスティナが顔を下げた。ジョニーは階段からずり落ちそうになった。
「あ、キスとかじゃなくて、アイシャ王女との試合で、その……キスがしたいとかそういうわけでもなく……」
セレスティナが歯切れの悪い口調で弁明じみた話をしている。
「だが、僕は納得できないな。ヴェルザンディ、シグレナス双方とも、戦力を出したのに、僕だけ出ていない。最高戦力である僕がでなければ、おめおめと祖国には帰れないよ」
アイシャは、頬を膨らませて、不満げな表情を見せた。
「キスすれば済む話か?」
ジョニーはボルテックスに文句を付けた。
「いいでしょう」
セレスティナは深呼吸して、自分の気を落ち着かせた。
「おっ。良かったな。ほら、はやくキスをしろ」
ボルテックスが手を叩いて喜んだ。ジョニーの胸が高鳴った。
「もう! いちいち邪魔をしないでください」
セレスティナは、振り返って、ジョニーを睨みつけた。怒る相手を間違えている、とジョニーは思った。
「アイシャ王女。次の戦いで、今回の勝利が決まります。それで、よろしいですね?」
「無論だ」
「では、私たちからも提案をさせていただきます。本来であれば、私たちが先に二勝していますからね。よろしいですか?」
「……構わんよ。続けたまえ」
「私たちの戦力では、アイシャ王女殿下の“龍王”に勝つ方法はありません」
「ふん。それで?」
「私たちがシグレナスの領土まで逃げ切ったら、私たちの勝ちとしてください」
セレスティナの意外な提案に、アイシャは考えた。
肘掛けの上で指を踊らせた。
「良いだろう。逃げ切れたならな」
アイシャは唇を歪ませて笑った。閃いたのである。
(実に上手い提案だ)
ジョニーは感心した。
アイシャがジョニーたちを追い返せば、アイシャはシグレナスに勝った、とヴェルザンディ本国に報告できる。
逃亡が勝利条件なので、セレスティナは、逃げ切れば、シグレナスに勝利報告ができる。
(結果、アイシャは、俺たちを逃がすよう努力するだろう)
戦っているようで、実は、協力関係にあるのだ。
(そんな戦術を瞬時に思いつくとは、セレスティナはなんて賢いのだろう……)
セレスティナの聡明さに胸を打たれた。
「さて、いつから始めるかね? 僕は、いつでも構わないよ」
アイシャは余裕さを表現した。
「待て、まだチュウを見てねえぞ」
ボルテックスがしつこく食い込む。
アイシャが脚を組んだまま、噴き出した。
「それは、重要な問題だ。“貝殻頭”同志が、セレスティナ同志との決着を着けてから開戦といこう。おっと、“貝殻頭”同志。君には反論の余地がない。……君から、恋人以上の関係だと、君が主張していたのだから」
ジョニーは自分が不利な立場にいる、と思い知った。
「おら、お前らも煽れ」
と、ボルテックスが仲間たちを焚きつけた。
「キース、キース!」
と、ボルテックスが音頭をとって、手を叩き始めた。泣き怒っているプリムが騒いだ。仲間たちも仕方なく、煽っているふりをした。
宴会の余興のようである。
「キース、キース……!」
ヴェルザンディも合唱に参加し始めた。
「どういう話の展開だ……?」
ジョニーはセレスティナを見た。セレスティナは素早い動きで視線を外した。逃げる動きをしたが、逃げる場所がないと気づいている。
「三回戦の前哨戦だ、早く始めたまえ……!」
アイシャは苛ついた表情を見せた。
「だめだ。キスはできない」
「どうしてだ?」
アイシャが問いかけてくる。シグレナスもヴェルザンディも一緒になって、煽り立てていたが、静まりかえった。
セレスティナが振り返り、瞬きをしている。
ジョニーは息を吸い込んで、慎重に言葉を選んだ。
「赤ん坊ができてしまうからだ……」
またもや大爆笑が巻き起こった。
シグレナス、ヴェルザンディ双方からだった。
「これは、我が国にとっても重要な機密事項だ! シグレナスの勇士は、子作りの仕方を知らんらしい!」
ヴェルザンディから野次と笑いが飛んだ。
「俺たちは、あんな奴に負けたのか? 末代までの恥だ」
「奴に子孫が残せそうもないだろうがな」
腹を抱え、涙を流している者もいた。
「誰か、リコに子どもの作り方を教えてやれ。まさかこんなところで祖国の恥をさらけだされるとは、思わなかったぞ」
と、ボルテックスが自分の頭を掻いた。
「貴様ら、何の話をしている?」
ジョニーは当惑した。何が面白いのか、まったく理解できない。
「おっしゃ、リコ。チュウが無理なら、告白しろや。アイシャ王女殿下、これで許してください」
ボルテックスが頭を下げると、アイシャはいたずらっぽい目線を見せた。
「構わんよ。……さあ、“貝殻頭”同志。どうした、早くしたまえ。さもなければ、次に行かないぞ」
アイシャが腕を組んで、顔は面白がっている。
「そうだ、早くしろ。観客は待っているんだぞ」
ボルテックスが急かした。前のめりになっている。
「ボルテックス、貴様はアイシャと協力するな。俺を裏切るな」
「リコ。素直になれないお前が、一番お前を裏切っているんだよ。お前はどうしたいんだ、キスをしたいのか、したくないのか? 告白をしたいのか、したくないのか?」
ボルテックスの的を射る意見に、ジョニーは黙った。
どれもしたいです、と応えるわけにもいかない。
「ほら、セレスティナが待っているぞ? ……さっさとやれ」
ボルテックスの優しい口調に促され、セレスティナを見た。ずっとジョニーに背を向けている。後ろに組んだ両手の細い指がせわしなく動いている。
ジョニーは頭が真っ白になった。
いや、これは喧嘩と同じだ。臆すれば負ける。
「俺は、セレスティナが好きだ……」
ジョニーは、声を振り絞って、叫んだ。
セレスティナの後頭部から、何も分からない。
「初めて見たときから好きだった」
指の動きが止まった。
「……俺と恋人になってほしい」
しばらく、セレスティナは何も反応がなかった。
(何を考えているのだろうか?)
ジョニーには、長く続く、永遠のように思えてきた。
セレスティナが振り返る。
2
「……私たちは、あくまでも仕事上の関係です。恋人とか、告白とか、仕事に関係のない無駄な話です」
以前のセレスティナに戻ったようだ。
まるで垢の他人のように……もちろん、他人ではあるが、他人に対しては、もっと最低限の礼儀というものがある。最低限の礼儀を吹き飛ばして、すべてを絶対的で圧倒的に拒否をする態度であった。
ジョニーは、殴られたような目眩をした。
喧嘩をしていたほうがまだましだ、女に自分の気持ちを打ち明けるだなんて……。
だが、セレスティナからは、炎が噴き出したかのように、一瞬だけ頬を膨らませた。怒った目つきが溶岩のように燃えさかっている。
全身からは、凍りつくような霊力を放出している。
世界の何もかもを拒絶したかのような、氷の壁に見えてきた。
(駄目か……)
アイシャの笑い声が聞こえる。
小馬鹿にしたような笑いだ。
(そうか、アイシャはこれを狙っていた。精神力の低下を、心のゆとりのなさを、心を削るために、俺に告白を勧めたのだ、そうに違いない……)
ボルテックスは黙っている。散々、煽っていたくせに、何か援護射撃をしてくれるわけでもない。
「こ、これで、三回戦目に入りますか……」
と、ボルテックスが気まずそうに提案した。ようやく発言したと思ったら、これである。
まだ、笑い飛ばす者もいない。
一人だ、寂しくこのまま俺は引き下がっていくしかないのだろうか?
ジョニーは目を閉じた。
ここから消えてしまいたい。
だが、映像が見えた。
「星空だ……」
星空が見える。目を閉じていないのに、夜空が見える。
「シグレナス、いや、シグレナスのもっともっと北に、とてもとても寒い場所があって……」
俺は何を話しているのだろう?
「そこでは、たくさんの流れ星が降っているっていう話」
普段の自分とは違う口調で、知らない言葉が出てきた。言葉から
「一度、見てみたいんだ」
自分の意思ではない、何かが言葉を突き出してくる。
「もしも君が隣にいてくれたら、どんなに素敵だろう……」
ジョニーはセレスティナを見た。
セレスティナは、一点を見つめている。ただ、ジョニーを見つめている。
硬い氷の表層に一点のヒビが入って、ガラス細工のように音を立てて割れた。
中から、暖かい光が湧いてきた。
セレスティナの瞳から、暖かい涙が滲み出てきた。氷の奥底に流れる、本来の暖かさだ。懐かしくも、どこか儚げな感情が、ジョニーを包み込んだ。
セレスティナが後ろに倒れそうになる。
「……危ない」
ジョニーはセレスティナの腕を引いた。
セレスティナの腕は細く、か弱い。
セレスティナはジョニーの腕から逃れて、腕を振り払った。ジョニーは振り払う腕を掴もうとするが、これも払われる。
「君が好きな人は、僕じゃない……」
セレスティナが呪文のように呟いた。ジョニーが手を止める。
「僕じゃない誰か……!」
セレスティナが涙を流しながら、かすれる声を出した。
「僕は、君が嫌いだ……!」
拳を、ジョニーの両肩に突き出した。
ジョニーはセレスティナの気持ちが理解できず、その場で唖然とした。
横を、セレスティナは階段を駆け下りていく。
階段の先には、仲間たちは円陣を組んで、下を向いている、
仲間たちが、一斉に顔を上げ、一斉に一歩だけ引いた。
足下の砂地から、円形の模様が現れた。見知らぬ文字や記号が描かれている。
「魔方陣? セレスティナ同志、何をするつもりだ? まさか、古代の魔術を使おうというのかね?」
アイシャが、玉座から身を乗り出し、驚いた。
円形の図形……魔方陣は、砂で描かれていた。
「俺たちがアイシャとやり合っている間に、貴様らは、魔方陣を描き上げていたのか……?これまでのやりとりは、時間稼ぎだった……」
ジョニーは、仲間たちの意図を初めて理解できた。
「アイシャ王女殿下。三回戦目を始めましょう」
セレスティナが襟を正し、アイシャに向き直った。
「これから私たちは、お先にこのガレリオス遺跡を脱出させていただきます。……失礼いたします!」
セレスティナたちが、魔方陣の周りを取り囲み、両隣の仲間と手を組んだ。
「リコ、来い」
ボルテックスが手を出して、差し招いた。
「何をする気だ?」
ジョニーは階段から飛び降りて、円陣の隙間部分……ボルテックスとセレスティナの間に割り込んだ。
セレスティナはジョニーの手を握ると、叫んだ。
「発動します! ……“転送魔術”!」