異世界転生
1
セレスティナは、表情を変えなかった。
涼しい表情をしている。
「どういう意味でしょうか?」
笑顔を見せた。首を傾げている。人工的で、機械的で、人間らしさがない。
(セレスティナは、何かを隠している)
ジョニーは、自分の直感が正しい、と確信を深めた。作り笑いをしているセレスティナを見据える。
眉間にしわが、微妙に痙攣している。心の翳りを、隠し切れていない。
ジョニーの質問が、セレスティナを傷つけている。理由が分からないが、セレスティナの痛みは、ジョニーの痛みそのものである。これ以上の追求は、無意味で、しかも、有害であった。
ジョニーは立ち上がった。天井を顎で指し示した。
「“狗族”は、大胆だな。わざわざ俺たちに、脱出経路を用意してくれたぞ」
と、話題を変えた。
天井の一部……鉄格子の一角が破れている。
セレスティナは立ち上がり、つま先上がりで立った。伸ばした手を振って、その場で跳ねている。飛び跳ねる様子は、超えられない障害物に挑戦する兎か小動物かのようだ。
鉄格子の破れた穴は、二人が通るには狭かった。
錆びていて、破れてから時間が経過している。
「高くて、狭い、か……」
ジョニーは印を組み、“影の騎士”に変身した。
“星幽界”の中で、先の偉大なる人物に邂逅してから、霊力が回復している。
セレスティナを背負うと、セレスティナは、ジョニーの首に、両腕を巻き付けてきた。
ジョニーは、両脚をそろえて、飛んだ。
だが、霊骸鎧に変身しても、高さが足りない。
“空中二段跳び”で、空中を蹴り、鉄格子の編み目に掴まった。
身体を後ろに反らして、反動をつける。
逆上がりの要領で、天に向かって、蹴り上げた。
隙間の格子を突き破り、宙返りをして、屋上に着地する。
セレスティナを鉄板の上に下ろす。セレスティナがふらついている。脱出は一瞬の出来事だったので、意識が従いてこれていない。
強い風が吹き込む。
半球の屋根から、セレスティナが滑り落ちそうになった。
ジョニーは、氷細工のような肩を抱き寄せる。
触れた瞬間、セレスティナの全身が、弾けるように赤くなった。急な熱波が、ジョニーの全身にも伝わった。
(痛かったのか? 霊骸鎧に掴まれたから?)
ジョニーは、自分の腕を見た。鉄の鎧に肩を掴まれたも同然である。
霊骸鎧の変身を解いた。
黒い煙の中から、セレスティナが、脇を締め、両腕を強ばらせて、握り拳を作っていた。捕らえられた兎のように縮こまっている。
二人は見つめ合った。
黒い煙が、夜のような空気に呑まれ、二人だけになった。
セレスティナの息づかいが、荒くなった。徐々に間隔が短くなっていく。
長い睫毛を伏せた。逃亡を諦めた兎であるかのようだ。閉じられた瞳から、うっすらと暖かい涙が滲んでいる。
無抵抗だ。嫌がっていない。
(今だ、やれ)
ジョニーの心臓が鳴る。
(……駄目だ!)
ジョニーには、使命がある。セレスティナを無傷に護衛する。ならば、セレスティナを傷物にして、どうする?
(でも、でも……! 俺はセレスティナを……!)
ジョニーの逡巡をかき消すかのように、どこからともなく、犬の遠吠えが聞こえた。
ジョニーとセレスティナは、素早くお互いから距離をとった。
遠吠えが消えて残った辺りには、音がなかった。
ただ、ジョニーの心臓音が聞こえる。胸を破裂させるほどの鼓動である。
セレスティナはジョニーに背中を見せて、小さくなっている。
耳が赤い。
周囲を見渡す。
現在地は、半球状の屋根である。一直線に、細長い連絡通路の屋根につながっていた。
連絡通路は、巨大な建造物に呑み込まれている。巨大な建造物は、動物の角を想起させる鋭利な飾りで覆われていた。
「“魔王城”……」
セレスティナが、呟いた。緊張した口調で震えている。先ほどのジョニーとの密着に冷静さを取り戻せていない。
「ガレリオス遺跡名物、洞窟の中に建物だな。“魔王”の部屋を特定できるか?」
ジョニーの質問に、セレスティナは頷き、“魔王城”の一角を指した。
セレスティナを連れて、連絡通路の上を歩く。
見下ろすと、中庭が見える。飾り気のない、無機質な石畳が敷かれた、更地であった。
“狗族”たちが、数体、警護をしている。
ジョニーたちはしゃがんで、“狗族”たちをやり過ごした。
「こちらから見えているのに、どうして“狗族”たちは気づかない? 向こうからも、俺たちが見えているはずだが?」
ジョニーは、屋根の死角から“狗族”たちを観察した。“狗族”の一体が、地面に腰をつけた。後ろ片足を上げて、器用な動きで自分の耳を掻いている。
「“狗族”は、普通の犬と同じで、人間よりも嗅覚が発達している分、視力が悪いようです。……普通の犬だったら可愛いのに」
と、セレスティナが、応えた。意外と動物好きである。セレスティナの一面を知れて、ジョニーは嬉しくなった。
フリーダの霊骸鎧“猟犬”を思い返した。匂いを嗅いで、敵を追跡できる。霊骸鎧と本物の動物とは比較にならないが、動物にも得意不得意があるのだ。
ジョニーは、セレスティナの手を引いた。
セレスティナの手は抵抗せず、逃げもしない。
セレスティナは、ジョニーに身を委ねている。セレスティナの手から、安らぎが伝わってくる。
ジョニーは嬉しさのあまり泣きそうになった。セレスティナに気づかれないために、唾を飲み込んで、誤魔化した。
強風が、屋根の上を走る音をかき消してくれる。
巨大な建造物……魔王城の外壁に近づく。
「あそこです……!」
セレスティナが指さした先には、小さな梯子が外壁に取り付けられていた。
梯子までに駆け寄ると、犬の吠える声が、足下から聞こえた。
中庭には、一体の“狗族”が牙を見せ、うなり声を混ぜながら、けたたましく吠えている。何事かと他の“狗族”が集まって、一緒に吠えだした。
「登るぞ、急げ!」
ジョニーが梯子に手をかける。梯子は細い軽金属でできていて、幅も狭く、登りにくい。 後ろを振り返ると、セレスティナが必死に従いてくる。
屋根の上に、“狗族”たちが梯子をかけて登ってきた。“狗族”の手は、登攀には適していないので、苦労している。
梯子はすぐに終わった。
小さな鉄格子が付いた横穴があった。大きさは、扉というより、小窓に近い。
取っ手がなく、表面が滑らかな安っぽい金属の扉だ。外側から開けられる構造になっていない。
「欠陥住宅め」
指で引っかけても外れない。拳で殴ろうにも、怪我をすると判断して、止めた。
迷っている暇はない。
ジョニーは、“影の騎士”にまた変身した。
霊力が具現化した鉄の拳で、格子の小窓を叩き壊す。
強い風が下から吹き上がった。
セレスティナが悲鳴を上げた。
ジョニーが後ろを振り返ると、セレスティナの首を中心に、風で煽られたマントが、花びらのように広がっていた。
セレスティナが恥ずかしさで、顔を真っ赤に染め、涙を浮かべている。
屋根の上で、“狗族”たちがセレスティナを指さし、囁きあっている。
「はわわ……、全部見られちゃった……」
セレスティナは、人の上に立つほどの威厳が崩壊している。
「相手は犬だし、見られても……」
と、ジョニーはジョニーなりに慰めた。だが、霊骸鎧に変身しているので、口が塞がっている。
小窓の先は、通気口だった。
ジョニーの肩幅より少し広くて、四つん這いにならないと侵入できないほどの高さであった。
ジョニーと細い通気口を這いつくばって進んだ。後ろからセレスティナがすすり泣きながらも、従いてくる。
中は暗くても、霊骸鎧には暗視機能があるので、恐れず先に進めた。すぐに出口に出た。
ジョニーは、通気口から飛び出し、壁を伝いながら、静かに着地をした。
セレスティナが顔を出す。“空中二段跳び”で、セレスティナのそばまで飛び、セレスティナを受け止める。
2
ジョニーたちが下りた場所は、いつもの雰囲気とは違っていた。
石畳の床には、赤い絨毯が敷かれている。絨毯は、通路が続く限り、一帯を覆っていた。来客を歓迎するかのような温かみがある。
通路と通路の間には、巨大な柱が、等間隔で置かれていた。柱には、細かい彫刻が彫り込まれている。
柱と壁の間には隙間があった。柱の役割は、天井を支える、というより、装飾の意味が強くなっている。
「ここから柱を八つ過ぎた場所に、隠し扉があります」
セレスティナが説明をする。
隠し扉が好きですね、とジョニーは思った。
「隠し扉は、住んでいる人にとってはなくてはならない近道ですから」
セレスティナの説明で、ジョニーは理解した。来客から、王族の生活空間を切り離す必要がある。隠し扉は、生活空間を作り上げるための手段なのだ。
“狗族”が通気口から落ちてきた。高さに負け、腰を強く打ち付けている。腰を痛めてのたうつ“狗族”の上に、他の“狗族”が落ちてきた。
ジョニーたちは、走り出した。
ジョニーは走りながら、牢屋の中で跳ねるセレスティナを思い返した。
「兎の逃げ方を知っているか?」
霊骸鎧のまま、セレスティナに話しかける。
霊骸鎧で口が塞がっていて、ジョニーは発声できないのに、セレスティナは疑問に満ちた表情を見せた。
ジョニーは、あえて目的地……八番目の柱を通過した。
「どうして? 目的地を通り過ぎましたよ?」
セレスティナが困惑した表情で文句を伝えた。
ジョニーはあえて、通り過ぎた。
「ジョエル・リコ……!」
セレスティナを無視して、ジョニーは走った。
「犬は嗅覚が強いのだろう? 俺たちの匂いに釣られて追いかけてきているのだ」
セレスティナはますます困惑している。
十字路にぶつかった。
「ここがいい」
ジョニーは、踵を返した。セレスティナを引っ張ったまま、“狗族”に向かって走り出した。
「どうして? “狗族”たちと鉢合わせに……」
遥か先に“狗族”が見える。
“狗族”の視力が低いのなら、ジョニーたちは見えていない。
「ここに隠れるぞ」
ジョニーは柱の陰に、セレスティナを連れ込んだ。
廊下の柱と壁の隙間に隠れて、“気配を消す”能力を発動した。セレスティナの手を握っているので、セレスティナにも効果が及ぶ。
武具が重ね合う音を聞きながら、柱が作った死角の中で、“狗族”たちをやり過ごした。
「匂いが途中でなくなって、右往左往するはずだ」
十字路で、“狗族”が、床を嗅いでいる。顔を見合わせて、慌てていた。
上司らしき“狗族”が、手分けをする指示を出した。三方向に分散していった。
ジョニーは、セレスティナの手を引いて、反対方向に走り出した。
セレスティナが横から、笑顔を見せている。うっとりとした視線で、ジョニーが見返すと、目を伏せた。
3
隠し扉を抜けると、狭い踊り場に出た。
光る壁がなく、暗くて埃っぽい。王族のみが侵入できる、近道にしては、質素であった。
セレスティナが、マントを靡かせて階段を下りる。
ジョニーも従いていく。
ジョニーは変身を解いていた。霊力をなるべく温存しておきたいが、変身するたびに霊力も消耗するので、正しい行いか分からなくなってきた。
扉があった。セレスティナは取っ手を押して開く。
玉座の背面が見えた。金色に輝く、神々しい外見をしている。
「ここは、“魔王”が、来客と謁見するために作られた、謁見の間です」
巨大な謁見の間には、巨大な柱が、規則的に立ち上り、高い天井を支えていた。大広間は、空気が涼しい。
玉座の前に回り込むと、段差がある。玉座が来客を見下ろす構造になっている。
急な段差を下りると、赤い絨毯が部屋の向こうまで続いていた。
「玉座の後に、隠し通路があります。……探して下さい」
セレスティナは、しゃがみ、玉座の後ろの床に手を当てる。
短い丈からセレスティナの太ももが見えそうになったので、ジョニーは慌てて視線を外した。
ジョニーはセレスティナに倣って、床を調べた。だが、隠し通路の手がかりは見つけられない。
目を閉じて、“星幽界”を呼び寄せると、玉座の真後ろが、青く光っていた。
向こうの大きな扉が急に開いた。
開いた扉には、“動く石像”の姿があった。
「鼠たちめ! どうして“魔王”陛下の御所がを荒らすのか?」
黒い犬、ガレリオス警備隊隊長“狗族”アヌビスが“動く石像”の肩に乗っている。
「君たちは完全に包囲されている。すぐに出てきてもらおう。抵抗しなければ、殺しはしない」
アヌビスが、牙をむき出しにして、怒りを露わにしている。両腕に装着した籠手を打ち鳴らした。
籠手と籠手との間を、青い電流が行き来した。
「あれは“雷帝の籠手”……電撃を操る、“古代の秘宝”です」
セレスティナの説明に、ジョニーは、“狗族”からの逃走中に気を失った記憶が甦った。アヌビスが、鉄製の梯子に、電流を流してきたのである。
アヌビスが乗っている“動く石像”の他に二体、新たな“動く石像”が謁見の間に侵入してきた。
「三体……!」
ジョニーが“動く石像”の数を数える。ジョニーたちの攻撃が、まったく通用しなかった相手が、三体もいるのだ。
アヌビスが、意気揚々と尻尾を振っている。勝利を確信し、喜んでいる。
アヌビスは、頭部にまたがって、籠手で固めた両腕を、“動く石像”の頭頂部に、突き刺した。
青白い電流が送り込まれると、“動く石像”のくぼんだ両目が青白い炎が灯った。
アヌビスの“動く石像”だけ、動きが滑らかになった。アヌビスが目を閉じて、操っているのだ。
「通常の“動く石像”よりも、三倍賢くなったな。……俺が囮になる。俺が引きつけている間に先に行け」
ジョニーは立ち上がった。一体も倒せなくても、時間稼ぎくらいならできる。
だが、セレスティナの反応は以外だった。
「やだ!」
癇癪を起こした子どものように叫んだ。
「……どこにも行かないで!」
セレスティナの指が、ジョニーの上腕にまで伸びて、爪が食い込んだ。セレスティナは床を見ているので、表情が読み取れない。
「駄目だ。三体の“動く石像”からは、セレスティナを守れない」
嬉しい気持ちがあるが、ジョニーは現実に逆らえない。勝てない喧嘩である。ならば、被害を最小限にするまでだ。
「今は、無視してください! ……私を信じて!」
セレスティナの悲痛な願いに、ジョニーは外敵に対する対応を止めた。
黒い床で、見通しが悪い。手探りで何かを探しているセレスティナは、落とし物を捜しているようだ。
「何を探している」
「スイッチです。ない、ない……」
セレスティナが慌てている。
“動く石像”が地鳴りをあげて接近している。歩みは遅いが、一歩一歩が重い。地響きのせいで、天井から細かい砂がこぼれ落ちてくる。
「地図には、どう書いてあった?」
セレスティナに質問をする。落ち着かせるために、あえて優しい口調で話しかけた。
「玉座に、赤い線で丸く囲まれていました……」
セレスティナが疲れた口調で応える。焦りすぎて、平常心を保てていない。
ジョニーは、玉座の背後にまわって、しゃがんだ。
「床になければ……」
ジョニーは座席の裏側に指を滑り込ませた。
冷たい金属の突起物がある。
指ではねると、ジョニーの足下が揺れた。ジョニーは反射的に飛び退いた。
「すごい……。スイッチは、床ではなくて、玉座の裏にあったのですね……!」
セレスティナは自分で口を隠して、感心した。
床が開き、巨大な円盤がせり上がってくる。
円盤は、ちょうど人間が丸々と入れるほどの大きさであった。人間の形をかたどられた、くぼみがある。
セレスティナは、円盤に、自分の身体を押しつけた。円盤が揺れ動く。
円盤の外枠から、青白い光が立ち上った。
セレスティナは、円盤から身を離し、人骨の本を取り出した。
頁を捲り始めた。
「この円盤はなんだ? その本と何の関係があるのだ?」
ジョニーは情報に従いて来れず、思わず質問した。
「この本は、“魔王”が遺した魔導書です。様々な魔法が載っています」
セレスティナは、目当ての見開きを見つけ、円盤に向かい合った。
「……これは、異世界での魔術を起動させる装置……魔方陣です。異世界の人間は、魔方陣を使って魔術を使用していました。“魔王”は異世界からやってきた転生者でした……」
「どんな魔法が載っている?」
「……召喚魔法です。“魔王”は生前、“動く石像”、“狗族”、“炎の悪魔”……無数の怪物を別の異世界から呼び起こしてきたのです」
「召喚魔法だと……?」
ジョニーの疑問を置き去りに、セレスティナは、“魔王”の魔導書を読み上げていった。異国の言葉と響きで、ジョニーには理解できない。
「まったく分からん。だが、“魔王”の技術を利用して、異世界の怪物を呼び出し、奴ら“狗族”にぶつける気なのだな?」
ジョニーの理解に、セレスティナは力強く頷いた。
「何を呼び出す? “動く石像”か? それとも“炎の悪魔”か?」
強力な怪物が仲間になれば、頼もしい。
玉座の向こうに、“動く石像”の顔が見えた。頭上のアヌビスが、何かを叫んだ。
セレスティナは、ジョニーがまったく想像しなかった名前を叫んだのである。
「出でよ! ……“魔王”!」