“燃える手”
1
セレスティナは、光の届かない、鍾乳洞に視線を向けていた。
セレスティナは、遺跡内の地図を暗記している。目的地までの最短距離の道筋を瞬時に計算できる。計算の結果、暗闇の道を通らなければならない、と判断したのである。
「待て……」
ジョニーは、先に進みたがるセレスティナを制した。
短刀を取り出し、“炎の悪魔”の右手首を斬り落とした。傷口からは、溶岩のような粘着質で熱を帯びた血が流れ出る。
落とされた手の甲に、短刀を突き刺す。ジョニーが胸元まで持ち上げると、淡い炎を帯びていた。
「“炎の悪魔”から斬り落とした手、さしずめ“燃える手”と呼ぶぞ。……松明の代わりだ。我ながら悪趣味だが、無いよりマシだろう」
ジョニーは、言葉を切った。息を呑んで驚いた。
セレスティナの手が、ジョニーの手に重なったのである。
甘くて優しげな重さを感じる。セレスティナを見た。セレスティナは目を合わせずに、そ知らぬ顔をしている。
最初は優しかったが、セレスティナは急に手に力を込め始めた。
(痛い……。爪が食い込んでいるのか?)
いや、セレスティナの爪は食い込んでいない。
セレスティナの滑らかな肌の感触と、鋭い爪のような痛みが交互に合わさり、電流のような感覚がジョニーに伝わった。
電流、いや、霊力が、一本の熱い針金となって、ジョニーの腕を通り、“燃える手”に伝わった。熱い針金から、ジョニーは、右腕、いや全身の疲れが癒やされていく。“燃える手”は、ジョニーに呼応するかのように、痙攣している。
手のひらの中央に、熱い火球が現れた。五本の指が、火球を包み込むような動きをした。
火球は光線を放ち、遠くの闇を照らした。
「霊力を送り込めば、さらに明るさを調整できるのだな……?」
ジョニーの質問に、セレスティナは何も答えず、ジョニーの手から、そっと自分の手を離した。
だが、手の離し方には、不快さを感じられなかった。嫌われているようには思えなかった。むしろ、名残惜しさを感じる。
(出会ったときから好きだった)
と、占い師ジザーベル声がもう一度、ジョニーの頭の中で繰り返された。あの占い師は当たっている、と評判だった。
(嫌いな相手の手など触れるか? やはり、セレスティナは俺を嫌いではない。……いや、待てよ。今は二人きりだ。告白のチャンスと捉えるべきなのでは……?)
ジョニーの思考が飛躍した。周りには誰もいない。邪魔者もいない。
(伝えろ。伝えろ)
心臓の鼓動が早くなる。女に告白するなど、これまで生きてきて、やった記憶がない。
(いや、待て。今は緊急事態だ。戦闘中だ。戦闘中に告白などする奴がいるか? 真面目にやれ)
ジョニーの内部で、喧嘩が始まった。告白する自分とジョニーと、思いとどまらせる自分がいる。ジョニーが二つに分裂して、論争を繰り広げられている。
(だが、今ここで告白をしなければ、次のチャンスはないぞ?)
ジョニーがジョニーを問い詰める。
なんだか前にも似たような出来事があったような気がする。
(セレスティナは今まで気を失っていた。体調が悪いときに、いきなりの告白は迷惑だ)
慎重派ジョニーが反論した。セレスティナの体調を自身の根拠としている。
(体調もくそもあるか。伝えなければ伝わらない。貴様、それでも男か?)
急進派は理論ではなく、煽ってくる。
(いやいや、俺を好きなのであれば、ひょっとして向こうから告白してくるかもしれない)
慎重派が希望的観測を示した。
(伝えろ、伝えるしかない。これ以上、先延ばしをするな。できなければ、今から腹を切って死ね。本当に好きなのか?)
急進派ジョニーは、ボルテックスの影響を強く受けている。
セレスティナの姿は、なかった。
闇の鍾乳洞を前に、立っている。先に進んでいた。ジョニーの服を着ているセレスティナは、普段より小さく見えた。
(死ぬ馬鹿はいないだろう分かった。伝えよう。伝える)
ジョニーは、思いっきり踏み込んだ。
だが、何か固い物体を踏んだ。セレスティナに靴を渡しているので、素足である。
立ち止まって、足下を調べた。
セレスティナが身につけていた、ペンダントだった。
鎖が首に絡まり、締め付けていた。忌々しい存在だと思い、そこらに投げ捨てていた。だが、歴とした、セレスティナの私物である。緊急事態だったとはいえ、本人の同意を無くして、捨てて良い理由はない。
「セレスティナ……!」
ジョニーはセレスティナを追いかけた。
セレスティナは振り返って、表情を曇らせている。
ジョニーは、悪事が露見した悪童のようにペンダントを背後に隠した。
(何か用ですか? 急いでいるのですが)
と、ジョニーにはセレスティナの気持ちを想像した。ペンダントを腰巻きに巻いてある小袋にそっと忍び入れる。証拠隠滅である。
「待て。先に行くな。危険な目に遭わせるわけにはいかない」
ジョニーは、真意を誤魔化しつつ、セレスティナの前を割り込んだ。
「私を先頭にしなければ、誰がどこに進むのか分かるのですか?」
セレスティナは、冷たく、突き放した口調でやり返してきた。ジョニーを追い抜く。
「……俺が先頭を歩かなければ、セレスティナを守れない」
ジョニーは、大股に歩き、セレスティナを追い抜いた。
早歩きになった。だが、セレスティナも負けていない。
暗闇の中を早歩きで競争している。セレスティナが左に曲がると、ジョニーも追い抜かれまいと左に曲がる。
一進一退の競争を繰り広げている。ジョニーは素足である。鋭い岩肌がジョニーの足裏を細かく、ときには鋭く刺激を与えてくる。
(靴がない分、俺が不利だ……)
セレスティナとの戦況を分析した。
ジョニーは“燃える手”を見た。“燃える手”がさらに燃え上がっている。
「待て。今、俺たちが喧嘩したところで、どうなるのだ? 先にどんな危険が待っているか分からないのだから、力を合わせるべきだろう」
ジョニーは、立ち止まって、和解を申し込んだ。無益な争いを避ける。それが、喧嘩の秘訣だ。
セレスティナも、立ち止まり、唇を噛んで反論した。
「それは、貴方が私の話を聞こうとしないからでしょう」
ジョニーはセレスティナの破綻した理論に転びそうになった。
(聞いてますけど?)
セレスティナの話なら、すべて聞いている自信がある。
「むしろ、話をして欲しい。俺が、どんな悪事を働いたか知らないが、セレスティナの話は聞くぞ?」
できれば、よそよそしい態度や冷たい口調をやめて欲しい。
だが、セレスティナは目を合わせない。ひたすらそっぽを向いている。
「これ以上の議論は時間の無駄だ……」
と、ジョニーは諦めた。
「分かった。先に進めば良い。だが、暗く、いつ化け物が出てきてもおかしくない場所で女を盾にするほど、俺は臆病者ではない。……だから、手をつなげ」
ジョニーは片手を差し出した。
セレスティナは油の鍋に飛び込んだ魚のように飛び跳ねた。
「は? ……いや、どうして手をつなぐのですか?」
顔を真っ赤にして、動揺している。セレスティナが両手で握り拳をつくって抗議した。
「嫌なら辞めておこう。……だが、敵が潜んでいるかもしれん」
ジョニーは、面倒になってきた。
「私の記憶では、敵は出てこないはず」
セレスティナが反論する。
「もし罠が仕掛けられていたらどうする?」
「……仕掛けられていません」
セレスティナはボルテックスやみんなの前では大人っぽいのに、ジョニーと相対するときだけ、急に子どもっぽい態度になる。
苛つくが、かわいいから許してしまうので、質が悪い。
「早く手を」
ジョニーはセレスティナに手を要求した。
さっき手のひらを重ねた記憶がある。あれは、なんだったんだろう、とジョニーはかすかに思った。
「絶対に握りません。……絶対に!」
セレスティナは、自分の手を脇の下に隠して徹底抗戦の構えをした。
冷たい視線を送ってくる。ジョニーは、手を繋ぎたい下心をセレスティナとに見透かされたような気がしてきた。
「ボルテックスたちは俺たちを探しているに違いない。早く合流しなくては」
と、ジョニーは慌てて付け加えた。
「いいえ、ボルテックスには私とはぐれた場合、探さないで、と指示をしています」
「どうしてだ?」
「……片方が探している間、片方にも負担が掛かるからです。ですが、事前打ち合わせの段階で、はぐれる地点をいくつか候補としてあげていました。今回は、私たちが進む道とボルテックスたちが進む道が交わります。……その合流点に向かえば、ボルテックスたちと合流できるでしょう。ですので、何も迷う必要はありません」
自信に溢れた口調で説明をする。自分の衣服を簡単に失ってしまうのに、天才なのか、そうでないのかよく分からない。
セレスティナは、手でジョニーの手を払った。
払うところをジョニーは持ち前の動体視力で、セレスティナの動きを察知して、強引に掴んだ。
セレスティナの全身から力が抜けていく。足から崩れていくようだ。
ジョニーはセレスティナを引き上げた。
意外とセレスティナは抵抗しなかった。
セレスティナは首筋まで赤く染まり、汗をかいている。目を閉じ、必死になって、ジョニーと視線を合わせまいとしている。閉じた瞳から、うっすらと涙を浮かばせている。
「そんなに嫌なのか……」
セレスティナの意図に沿わない行動をとっている。
罪悪感から、ジョニーは胸に穴をくり抜けられたかのような感覚になった。
ジョニーが力を弱めると、セレスティナはジョニーの手を引っ張った。ジョニーにとっては、意外な反応である。
セレスティナの引っ張る方向に灯りを照らす。セレスティナの足取りには一切の無駄がなく、細い糸に引っ張られるかのようだった。
ジョニーには一切、地理が分からない。
ただ腕を引かれる方向に歩くしかないのである。
女は男と比べて、地図が苦手だと聞いた記憶がある。だが、セレスティナを見る限り、地図が苦手のようには感じない。
セレスティナが図書館で地図を暗記して、縮図を頭の中で立体化している、とジョニーは感じた。縮図の中で、小さなセレスティナが、歩いている様子が思い浮かぶ。
セレスティナには学んだ知識と現実を組み合わせる才能がある、とジョニーは思った。
趣味で読書をしているビジーと違って、生きた知性、と呼ぶべきである。
「ここは、“魔王”の力が及ばない場所なのだな」
ジョニーは鍾乳洞から垂れ下がる水滴を見た。
「ですが、浸食が始まっています」
「浸食?」
「この地下迷宮自体が独自の意思をもって成長しているのかも……。私の推測ですが、人工知能をもっているかもしれません」
「人工知能だと……?」
「自動生成型の迷宮といえば、分かるかも。橋が崩落したとき、また元に戻ったでしょう? まるで自分の意思を持っているかのように」
自動生成型……。
ジョニーはセレスティナが外国の言葉をしゃべっているように聞こえた。
だが、なんとなく意味が分かった。
「子どもにも分かりやすく伝えるとしたら、この遺跡は、人間の手を借りずに自分の怪我を自力で治し、自力で成長していく、というのだな? しかも意思を持って拡大している。浸食とは、自然にできた地下水道にも拡大をしている、という意味だな」
ジョニーの解説に、セレスティナが、長い睫毛を瞬かせた。
ジョニーの分析を肯定しているかのようだ。ただ、どんな感情なのか全く分からない。
セレスティナが立ち止まった。
2
ジョニーが先を照らすと、細長い階段が見える。
ジョニーは、黒いもやのような存在を感じた。
「なにか危険な奴がいる……」
セレスティナも同じように感じているから、立ち止まったのだ。
ジョニーが、階段の周辺を照らすと、セレスティナの頭上に、人影が張り付いていた。よく見れば、人骨だった。標本のようにも見える。
人骨のそばに、“燃える手”の光線をかざした。何か悲鳴のような声が聞こえ、地面に落ちた。
牛のような大きさで、巨大な毛むくじゃらの獣であった。その獣は、多足で丸い胴体を持ち上げ、ジョニーたちに迫ってきた。
「大蜘蛛! ここに出てくるなんて……!」
セレスティナの悲鳴に似た声を出した。
(さっき、自分でこの地下迷宮は自動生成型、時間ごとに進化していっている、と分析していたはずだが?)
ジョニーは、セレスティナの大蜘蛛の目に向かって、光を当てた。霊力を込める。
だが、“燃える手”の反応は違った。急に軽い爆発を起こしたのである。“燃える手”の人差し指から、光の直線が発し、大蜘蛛に直撃した。
いくつもある瞳のうち一つを蒸発し、大蜘蛛は怯んだ。
大蜘蛛の片目が炎上している。
「光を当て、目くらましにするつもりだったが、まさか武器になるとはな……」
ジョニーは“燃える手”を眺めた。
人差し指そのものが無くなり、人差し指のあった場所から煙が上がっている。
大蜘蛛がまた立ち上がろうとしている。
「飛ぶぞ!」
ジョニーは、硬直するセレスティナの手を引っ張り、跳んだ。
大蜘蛛の背中は、大型犬のように毛で覆われている。ジョニーは裸足から、直に毛を感じた。毛の奥にある甲殻は、岩のように硬かった。
“影の騎士”に変身して、大蜘蛛にとどめを刺したいところだが、霊力に余裕がない。
大蜘蛛の背中を滑り落ち、セレスティナの腕を引っ張って、先にある階段を駆け上がった。
セレスティナは驚いた顔で、まっすぐにジョニーを見ている。
傾斜した穴の道を、階段状に掘り進めた代物で、段差がまちまちで、走りづらい。
両脇の壁には、人骨が蜘蛛の糸で敷き詰められていた。
どれも白骨死体であったが、人骨以外にも、大型ネズミの骨、“毛深き獣”らしき骨までもが紛れ込んでいる。
「動くなら、何でも食う奴だな。……待て」
ジョニーは、セレスティナの手を握ったまま、立ち止まった。
目の前に、蜘蛛の糸が、横一文字に通っているからだ。
気づかずに通過しようとした生物を、絡め取る罠である。
白く、革製品のように丈夫である。一本一本が、自分の腕ほど太い。
ジョニーは、“燃える手”で、糸の中心を触れると、火が燃え移った。
たやすく燃えて千切れる。
丹念に点火して、阻む蜘蛛の糸を焼き払っていった。
セレスティナと手を握り合っている。セレスティナの手のひらが、急に汗ばんだ。
ジョニーの手を引っ張った。
「後ろ……!」
セレスティナの手から、冷たい汗が伝わった。
一つの目を失った大蜘蛛が、階段を上っている。高く跳び、天井に張り付いて、段差を物ともせず走り込んできた。
奇妙な叫び声をあげ、大蜘蛛が飛びかかってきた。
ジョニーは“炎の手”に霊力を込めた。大蜘蛛に向かって、叫んだ。
「“燃える指”!」
ジョニーが叫ぶと、“燃える手”の薬指が飛んでいき、大蜘蛛の頭部を貫通した。
大蜘蛛は、空中でひっくり返り、段差に全身を打ち付けながら、転がっていった。
仰向けになり、脚をばたつかせている。そのうち、動かなくなった。
蜘蛛の糸を焼き終えると、段を上る。
階段を上っていくと、無数の白い繭が壁際に張り付いていた。ジョニーは高い段から振り返り、白い繭を見ると、中が破れた。小さい蜘蛛……とはいっても小型犬ほどの大きさがあるが……が現れた。
一体だけではない。複数の子蜘蛛が、たわわに実った果実が熟したかのように、地面に落ち始めた。
次々と茶色い全身を震わせて、地面を這いずり回ってくる。
セレスティナが悲鳴を上げる。
(虫は苦手なのか……!)
一体が、セレスティナの肩に噛みつこうと飛びかかってきた。
ジョニーはすかさず、“燃える手”を一体の顔面に押しつけた。生まれたての顔を、生まれて初めての熱で焼かれて、子蜘蛛は絶命した。
ジョニーは足下の子蜘蛛を蹴り飛ばした。甲羅が成熟しておらず、小型犬ほどの柔らかさだと思った。子犬を蹴った経験はないが。
飛ばされた子蜘蛛は、親の姿を見て、死んだ親の肉体に齧り付いた。一体が親の身体をむさぼり始めると、兄弟である子蜘蛛の半数が反転して、親蜘蛛の死骸に向かった。
「俺と戦って殺されるより、効率的だな」
残りの子蜘蛛が、追いかけてくる。
ジョニーは、セレスティナの手を引いて走り出した。
セレスティナは従いてきた。以外と足が速い。ぽんこつだと評価されているが、身体能力は、同年代の女子よりも遙かに高い。
子蜘蛛の数体に回り込まれたが、容赦なく踏み潰した。沢ガニを潰したような感触と音がする。
潰れた子蜘蛛に、他の子蜘蛛が食らいつく。
食にありつけなかった子蜘蛛たちが、固まって、追いかけてくる。
子蜘蛛の群れは、一個の生命体のようだ。
「喰らえ!」
ジョニーは群れの中心に目がけて、“燃える指”を放った。小指だった。
階段の表面もろとも、子蜘蛛を焼き払う。
焼きガニのような匂いと形状になった焼死体に、生き残った子蜘蛛たちが群がった。
階段の終わりは、行き止まりだった。
人間の頭蓋骨で塞がれている。
だが、骨と骨の隙間に、木製の板が張られている。ジョニーはすぐに見破った。頭蓋骨の表面には、子蜘蛛の群れがジョニーたちを待ち伏せしようと固まっている。
「扉ごと吹っ飛ばしてやる」
ジョニーは“燃える手”を構えた。
目を閉じ、霊力を込める。
だが、ジョニーは手の甲から、優しくて心地の良い霊力が触れてきたと気づいた。セレスティナが、ジョニーの手の上に手を重ねたのである。普段の冷淡な態度とは裏腹で、セレスティナの霊力は、柔らかくて暖かい。
四発目の“燃える指”……親指を発射した。二人の霊力が合わさり、親指がこれまでの指と違って、大きな弾丸となった。
扉に命中し、発火した。
この瞬間、ジョニーは振り返って、セレスティナを抱きしめた。
その場に膝を突いて、しゃがみ込み、爆発からセレスティナをかばった。