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蘇生

        1

(水中は苦手だ)

 明かりのない水中で、ジョニーは思った。

 水中の霊骸鎧は、動きが鈍くなる。

 重量もあるが、霊骸鎧は水中で活動するために作られていない。

 右肩を後ろから突っつかれた。突き飛ばしてきた主を手探りすると、丸太であった。自分の腕と同じくらいの太い。

(霊骸鎧がなければ、骨折していた)

 生身の危険性を自覚しつつも、生身のセレスティナを探す。

(霊骸鎧は溶けていない。……海水でなくて良かった)

 霊骸鎧は、塩水、とくに海水に浸すと溶ける性質がある。霊骸鎧が溶けていないので、山奥を走るこの地下水路は、海とは直結していない、と分かった。

 水中が暗い。激流に呑まれて、どこをどう泳いでいるか分からなくなってくる。

(視力など、今の俺にとっては足枷あしかせだ)

 ジョニーは視力を閉ざし、ひたすらセレスティナの気配だけを追いかける。

 すぐに見つかった。

 金色の霊力で包まれた、球体だった。

 川に流されず、まるで、ジョニーの到着を待ち構えているように、一定の位置を保って、浮かんでいた。

 流木が、光の球体に当たる。

 だが、光の皮膜が、流木を一瞬だけ優しく包み、跳ね返し、進行方向を逸らした。

 ジョニーは、光の球体に近寄り、表面に触れる。

 柔らかく、暖かい。

 半透明の皮膜越しには、セレスティナが膝を抱え、目を閉じていた。

 全身を濡らして、こごえるように震えている。

 ながらも、セレスティナは、目を覚ました。

 長い睫毛まつげまばたきをして、街角で不意にジョニーと会ったかのような、驚く表情をした。

 皮膜を挟んで、ジョニーを見た。ジョニーを見返すセレスティナは、微笑している。

 星をちりばめたような、両の瞳には、涙が溢れている。泣いているのに、無理矢理笑っているようにも見える。

 セレスティナは、両手を広げた。

 迷子が、ようやく再会した親に抱っこをせがむかのようだ。

 ジョニーにとっては、意外な反応だった。

 だが、ジョニーは苦笑して、セレスティナを抱き寄せた。

 抱きしめたセレスティナから、心地よい風が流れてくる。

 ジョニーは安心と平穏な気持ちに包まれた。

 だが、安心と平穏の時間は、続かなかった。

 セレスティナを包む霊力が、固い殻のように割れたのである。

 割れた卵の殻から中身が出てくるように、セレスティナが水中に沈み込んだ。

 セレスティナは、ジョニーの身体からすり抜けた。

(幻覚……?)

 抱きしめたはずのセレスティナはいなかった。目を閉じたセレスティナが、水中に引きずり込まれていく。

 ジョニーは、水中に深く潜り、セレスティナを追いかけた。

 セレスティナをすぐに掴まえた。力の抜けた肩を抱き、浮上する。

 ジョニーは流れに背を向けて、セレスティナを流木から守った。

 ジョニーの胸に、セレスティナの頭をうずめる。

「あと、もう少しだ!」

 ジョニーは浮上して、霊骸鎧のまま、水上に顔を出した。陸に上がり、セレスティナを引きあげる。

 陸の上で、セレスティナから、まったくの力を感じない。全身が泥にでもなったかのように、手足に力がなく、地面の上で、崩れるように倒れ込んだ。

 セレスティナの唇が、紫色に染まっている。

 息をしていない。

 セレスティナの全身が冷たい。まるで、氷で冷やした風を吹き出しているかのようだ。

(急に飛び込んだからか……?)

 ジョニーは霊骸鎧で身を守っていたから気づかなかったが、地下水路は、想像以上に冷たかった。急激な体温の低下に、生身のセレスティナは耐えられなかったのだ。

 それだけはない。

 ペンダントの鎖が、セレスティナの白い首に、痛々しく食い込んでいる。

 絡んで、外れない。

 ジョニーは慌てて解きほぐそうとしたが、慌てすぎてなかなか鎖がほどけない。

 複雑な絡まり具合をして、セレスティナの細い首を締め上げている。ジョニーは鎖を指でつまみ、引きちぎった。

 大切なアクセサリーかは知らない。許可を得ないで壊して罪悪感があるが、緊急事態である。人命には変えられない。

 セレスティナを苦しめていたペンダントを放り捨てる。

 セレスティナから、何も反応がない。

 ジョニーは変身を解除した。

「セレスティナ……!」

 ジョニーは呼びかけた。

 呼びかけた、というより、叫んだ。

 セレスティナの死は、自分自身の死に等しい。

 いや、自分の死よりも、恐ろしい。

「セレスティナが死んで、俺だけ生き残りたくない! 起きてくれ、セレスティナ!」

 ジョニーは、叫んだ。叫ばなければ、正気を保てない。

 セレスティナ、セレスティナ、セレスティナ……。

 ジョニーの声が、地下水脈の陸地部分に暗い奥に鳴り響いていった。

(俺は脱出を焦って考えて、セレスティナの体調に寄り添えなかった。なんて愚かなのだ!)

 セレスティナの額から眉間に、冷たい水が流れる。

 ジョニーは指で拭った。氷のように冷たい。はかなしずくが、セレスティナの生命を象徴しているかのようだ。

 叫んでも無駄だ、後悔しても無駄だ。

 今、まさにセレスティナは死に向かっているのだ!

「どうすれば……? いいや、考えろ。何か方法があるはず。……学のない俺に何が分かるのだろうか」

 ジョニーは、学のあるビジーを思い返した。

 ビジーであれば、どうしただろうか?

 子どもの頃、近所の大人たちに集められた。火災訓練とか、緊急事態に対する対処法を学んだ。

 溺れた人間の救出方法があると、やらされた記憶がある。

 当時の、ビジーが練習相手だった。

 だが、今、本番の相手として、セレスティナが選ばれたのである。

 ジョニーは記憶を頼りに、セレスティナの口に指を突っ込む。歯の先に舌を感じた。指で喉奥をかき回した。

 咳に似た音を立てて、セレスティナの口から、粘着質の水が出てきた。

 水を吐かせる。

「これで気道を確保できたぞ……」

 次に、セレスティナの胸元に耳を当てた。恥ずかしいとか躊躇が一切無かった。

 冷たい。

 心臓の鼓動が、かすかに聞こえる。

 ジョニーは、自分の両手を重ね合わせて、セレスティナの心臓を圧迫した。

(遠慮をするな!)

と、ビジーを練習相手に心臓を圧迫したとき、力が弱くて大人に怒られた記憶がする。

 ビジーが痛がったが、それでは骨折する、とも叱られた。

 子どもの頃は、力加減が極端なので、大人になった今、中間の力を狙った。

「一、二、三……」

 回数を数える。三〇を超えて、ジョニーは一度、手を止め、セレスティナの心臓音を聞いた。

 前よりも、かすかに音が強くなった気がする。

「次は……」

 ジョニーの視線が立ちくらみであるかのように揺らぐ。

「人工呼吸……」

 ジョニーは、セレスティナの唇を見ようとしたが、正視できない。

(キスをする機会チャンスだ)

 ボルテックスの声が聞こえる。

 ジョニーは頭を振った。

(雑念を捨てろ。セレスティナを救うためだ。……でも、キスは無理だ)

 セレスティナが死に向かっている。冗談や遊びのつもりで軽率な行動はとれないのである。

 ジョニーは、周囲を見渡した。

 誰か助けがいるわけではない。

 セレスティナのそばに、棒が転がっている。

 拾い上げると、鉛でできた棒だった。

 レスティナの私物には見えない。棒からは何も感じない。橋か柱の部品だと思われた。

 中身は、空洞になっている。

「これだ……!」

 何者かが用意していたかのような鉛管ストローを、セレスティナの小さな口に、くわえさせた。

 ジョニーは、反対を咥え、一気に息を吹き込む。

 セレスティナに空気を送り込み、また、心臓を圧迫する。圧迫したら、また空気を送り込む。

 蘇生法を繰り返していくうちに、ジョニーは汗をかいてきた。

 セレスティナの調子は少し良くなった気がするが、意識がない。

(だめだ、これは。……やり方が違うのか?)

 考えろ。

 発狂したセルトガイナーを思い返した。

 セレスティナが、セルトガイナーに霊力を送り込み、発狂の症状を和らげていた。

「あれを再現すればよいのか? いや、だめだ。セルトガイナーの発狂を食い止めただけで、生き返ったわけではない」

 ジョニーはセレスティナを抱えて、闇の天井を仰いだ。

 自分の無能さ、無力さが、憎い。

「俺の生命いのちをくれてやりたい。俺が変わってやりたい……!」

 ジョニーは悔し涙を浮かべた。涙を流さないと決めたが、セレスティナの前では、そんな誓いは向こうだ。

(いや、待てよ)

 セレスティナは、セルトガイナーに霊力を流し込んでいた。

「霊力とは、なにか?」

 哲学的な疑問が湧いてきた。

「川の水である」

 ジョニーは自然と口に出た。隣で、地下水路の暴れる音が聞こえる。

「霊力の究極は、伝達にある」

 またも、ジョニーは言葉が出る。

「船に荷物を載せれば、下流まで運べるはずだ」

 ジョニーは自分の眉間に集中した。霊力が集まってくる。

 一度、霊力を、へその奥側に流し込むと、重ねた両手を経由して、セレスティナに伝わっていった。

 セレスティナの全身が、電気を受けたかのように、震えた。

「俺に宿るすべての霊力よ! 俺の体温を、セレスティナに運べ! ……俺の生命を全部やるから!」

 さらに意識を集中すると、ジョニーの中で、爆発した。

 ジョニーは目眩をした。ジョニーの体温が下がっていく。

(倒れる……)

 重力に抵抗できない。

 耐えきれず、地面に両手を踏ん張った。

 セレスティナと顔が近くなった。それこそキスをする距離だった。下がっていった体温が、上昇していく。

 ジョニーは、最後の力を振り絞って、セレスティナの隣に倒れ込んだ。

        2

 何かが、前髪に触れる。

 人の指だ。

(誰だ……?)

 誰かが、自分の髪を触っている。

 力が出なくて、抵抗できない。攻撃をされても、反撃できる体力が残っていない。

 だが、悪くない。

 振り払う気がない。

 この人に触れてもらえて、むしろ心地よい。

 細くて優しい、誰かの指であった。

 ジョニーの頬や首筋を軽快な舞踏ダンスのように活発に動いている。

 指の主を見たくなった。

 目を開くと、セレスティナの驚いた顔が飛び込んできた。

 セレスティナは、細い手を引っ込めて、危険を察知した野生動物のように素早い動きで後ずさった。

 セレスティナは怒った表情をしている。 

 追い詰められた猫が威嚇をしているようだ。

 ジョニーが立ち上がろうとした。

 だが、足が滑って、足腰に力が入らない。先ほどの蘇生術のせいで、体力と霊力を消耗している。セレスティナは、いきなり背を向けて、逃げ出した。

「セレスティナ! どうして逃げる?」

 セレスティナは、自分のドレスを踏んで、ジョニーと同じく足を滑らせた。ドレスが水に濡れて上手く動けないのだ。

「ぽんこつ……」

 ジョニーはプリムの言葉を思い返しながらも、飛び出した。

 セレスティナを背後から肩を抱き止める。

 肩も背中も、触れたら骨折してしまいそうなくらい細い。よく女は身体が脆い構造をしているのに死なないな、よく生きているな、とジョニーは思った。

 セレスティナは、振り返って、怒った表情を見せている。

 何をしても怒られる。

 ジョニーは、足腰に激痛が走った。そのまま倒れ込まないか、不安になった。

回復ヒーリングは難しい)

 自分が老化したかのような気になった。

「くしゅん……」

 セレスティナは、かわいいくしゃみをした。

 スカートの裾に、絞った形跡がある。

「暖をとろう」

 ジョニーは、提案した。

山羊顔ゴートフェイス”の死体まで連れてきた。死体からは、微妙ではあるが、熱量が残っている。

 セレスティナが近づくと、さらに熱を増した。

「“炎の悪魔(バルログ)”……」

 セレスティナは“山羊顔”をそう呼んだ。

 セレスティナが咳払いをして、遠くに向かって、指を指す。

「あっち……」

 セレスティナが、眉間にしわを寄せ、ジョニーを責めるような視線を送ってくる。ジョニーは、セレスティナがなぜ怒っているのか理解できない。

「服を脱ぐから、あっちを向いていてください」

 セレスティナのいらついた声を、冷たく放った。

「どうして脱ぐ?」

 突然の脱衣宣言に、ジョニーは驚いた。反対に、セレスティナは呆れた表情をした。

「今から、濡れた服を乾かします。なぜ驚くのですか?」

 セレスティナはもっと驚いた声を出した。口調がきつい。敵意をむき出しにした感じがする。

 ジョニーは後ろを向いた。

 性的な意図はなかったのに怒られて、なんだか損をした気分だ。

 ジョニーは心を無にした。

 振り返れば、裸のセレスティナがいるのだ。やましい気持ちがないと証明するためには、絶対に振り返ってはならないのである。

 ジョニーはずっと、セレスティナを目で追いかけていた。憧れて続けてきた。

 話しかけるにも、近づく機会すら与えられなかった。

 遠く離れた場所で、追いかけていた。

 ジョニーにとっては、大切な存在である。

 だが、遠い存在でもある。

 それが今、こんな近い距離にいるなんて……。

 ジョニーは感傷にふけっていると焦げる匂いがした。

「あ……」

 セレスティナが軽く悲鳴を上げた。

「どうした?」

 ジョニーは振り返りたい欲求が出てきたが、我慢した。

 今、振り返れば、セレスティナの関係が、完全に終わる気がする。

 だが、驚きの声が、次第に、すすり泣く声になっていった。

「泣いているのか……? どうした、セレスティナ?」

 ジョニーは背後のセレスティナに問いかけた。しばらく返事がなかったが、セレスティナから返事があった。

「暖めていたのに、急に燃えちゃった……」

「燃えた? 何が燃えたのだ?」

「……服。急に火の勢いが強くなって……」

 セレスティナの声が次第に弱くなっていった。

 状況がさっぱり分からない。

 ジョニーが意を決して、後ろを振り返る。

 セレスティナの白い背中が見えた。

 両手で胸を隠している。

 ジョニーは視線を外した。

 外した先には、“炎の悪魔”が見えた。悪魔の角に、燃えた切れ端がある。

 ジョニーは、納得した。

 セレスティナは、服を乾かすために、角に服を引っかけていたのだ。何らかの原因で、火力が増し、服に燃え移ったのである。

 火災現場が、表面的には火を消しても、残った火はくすぶり続け、いつの間にか再燃するのである。

「どうしよう、下着も燃やしちゃった……。あれも無くしたし……。私……」

 静かに泣いている。

「ぽんこつ……」

 プリムのセレスティナ評を思い返した。

 セレスティナの、小さく震える肩に、ジョニーは自分のマントをかけた。

 ボルテックスに買わせたマントである。

 ビジーと一緒に旅の占い師から、聞いた話を思い返した。

 水難に注意、着替えの服か羽織れるマントを用意しろ……。

「たしか、占い師の名前は、ジザーベルだったな。奴の占いが当たっている……」

 占いの結果が当たっていて、驚いた。

 セレスティナは履き物も失っている。

 ジョニーはチュニックと靴を脱いで、セレスティナの目の間に放り投げた。

 チュニックは、上下一体になっていて、ベルトで腰の部分を固定するので、ベルトも渡す。

「とりあえず、これを着ろ。男物で、俺の服だがな。嫌でなければ、な」

 セレスティナが無言で服を着始めた。 

 別に感謝を要求するつもりはないが、何か返事が欲しかった。

 ジョニーは上半身裸の、腰巻きだけになった。裸足のゲインと同じく、野蛮人になった気がする。

(ずっと前から好きだった)

 そんな言葉が、ジョニーに聞こえてきた。

(会ったその日から、恋に落ちていた)

 占い師がセレスティナの気持ちを占ったとき、出てきた言葉だ。

 何度も反芻はんすうした。

(マントの件が当たったのだ。とすれば……)

 ジョニーは、飛び上がるほど嬉しかった。このまま橋の上まで飛んで、ボルテックスたちと合流できるくらいだ。

 セレスティナが着替え終わった。

 ジョニーが振り返ると、セレスティナは顔を赤くして、目を伏せている。

 寸法の合わない服を着て、皇帝陛下の代理人としての威厳が無くなっていた。

「俺が裸になって、申し訳なく思っているのか? でも、気にするな。服は探せば良い。なんなら、ヴェルザンディの連中から服を奪ってやってもよい」

 だが、ジョニーの予想に反して、セレスティナの表情が険しくなった。美しい顔が、怒りの炎に包まれる。美しすぎて、怖くない。

(それとも、男の服を着せられて、不機嫌になったのか?)

 セレスティナの怒る基準が分からない。

「本ならあるぞ」

 話を変えるため、ジョニーは骨の本を出した。

 セレスティナが、そっぽを向いた。駄々っ子のようでもある。

 セレスティナの反応にいたたまれなくなり、人骨の本を開く。

“炎の悪魔”の絵が描かれていた。奇妙な図形と紹介文もある。

毛深き獣(トロール)”の記事もあった。

「なんだ、この本は……? ガレリオス遺跡に出てくる怪物辞典だとでもいうのか?」

 ジョニーは、吐き気がしてきた。

 危険だとは分かっている。

 セルトガイナーは発狂していた。

 読んではいけない、触れてはならない世界。

 だが、自分の手を止められない。もっと読み進みたい……!

 俺は、魅了されている。

 でも、知りたい……。

「……その本から手を離しなさい。この世にあらざる事象の書かれた本です」。

 セレスティナの突き刺すような口調に、ジョニーは頭を振った。

 この本には、意思がある。

 捕まるな……。逃げろ……!

 全力で本を閉じる。

 まるで堅い岩戸を塞ぐかのように力を込めた。

「これ“魔王”の魔術か」

 ジョニーは必死に抗った。抵抗したくない気持ちもある。

 だが、ジョニーは知っている。抵抗すれば、セルトガイナーのように狂気の世界に突入してしまう。

 ジョニーは、岩戸を閉じた。

 閉じられた本を見る。現実と幻覚の世界が入り交じっていたが、幻の世界は、現実の世界に吸い込まれていった。

 本に対する執着が消えていった。

 どうしてこんな本を愛おしく思えてていたんだろう?

「これが呪いの効果か。呪いの物品を装備すると、離れがたくなる」

 ジョニーは冷や汗をぬぐった。

「その本を返してください」

 セレスティナが小声でつぶやいた。独り言かと思った。

(俺に対して伝えたのか?)

 ジョニーは、名前を呼んでくれないセレスティナに困惑した。

 名前を呼ばないとは、失礼だ。これまで、一度も呼ばれた記憶が無い。

「セレスティナ。俺の名前を呼んでもらえないか?」

 ジョニーの中で、不満が爆発した。

「二人きりですから、呼ぶ必要はないでしょう」

 セレスティナが反論した。今ここで思いついたような根拠である。子どもと喧嘩をしているようだ。

「戦闘中、誰が呼ばれたか分からないと困るからだ。俺の名を呼べ。今ここで、呼ぶ練習をしろ」

 ジョニーもまた、この場で考えたような理由を持ち出した。意味のない、意地の張り合いである。

「どう呼べばいいのですか?」

 セレスティナが吐き捨てるような口調で質問をしてきた。

「ジョエル・リコと呼べ。仲間たちもそう呼んでいる」

 だが、いつまでたっても、セレスティナは呼ばない。

「俺の名前を呼んだら、死ぬ病気なのか?」

と煽ると、セレスティナの眉間にしわが寄った。

「ジョ……」

 セレスティナが何かをしゃべりたがっている。意思を決定したかのように口を開いた。

「ジョエル・リコ……」

 目を閉じて、唇を震わせている。吐き気を示す仕草をしている。さらに、投げやりな態度であった。

「そこまでして俺の名前を呼びたくないのか?」

と、ジョニーは悲しくなった。名前を呼ばせただけで、悪いのか?

 味方にはジョエル・リコと勝手に名付けられ、敵には“帝国の黒い貝殻頭シェルヘッド”と馬鹿にされ、セレスティナには、名前に嫌悪感を抱かれているのであった。

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