孤島の橋
1
セルトガイナーが、のたうち回っている。
自分の胸をかきむしり、叫び声を図書館の中で響かせていた。
ボルテックスの行動は、速かった。セルトガイナーを地面に押し倒し、羽交い締めにした。
「こりゃあ、癲癇だ。すぐに治まるから、じっとさせておこう。それまでに、舌を噛ませるなよ。口に布きれでも板きれでも差し込め!」
だが、ボルテックスの予想は外れた。時間が経っても、セルトガイナーは、沈静せず、苦しみ続けている。
「セルトガイナー。あの本を読んだのですね……?」
セレスティナが、机の上に目を向けた。
人骨によって装填された奇妙な本であった。机上で開きっぱなしになり、紙面から強烈な霊力が漂わせている。
「本を読んだだけで、発狂したのか?」
ジョニーは、理由は分からないが、妙に納得した。
呪いの本……人智を超えた存在によって書かれた、読む人間の精神を食らいつくすのである。
セルトガイナーは、ボルテックスの下で、罠に掛かった野獣のように暴れている。目を見開き、歯を剥き出して、怯えていた。
セルトガイナーの発狂は、体格が倍もあるボルテックスを動揺させるほどだ。
ジョニーは、セレスティナの横顔を見た。自身の金髪を指で軽く整えていて、呼吸に一切の乱れがない。
(暗唱するほど読み込んだのに、どうしてセレスティナは無事なのだろう?)
セレスティナは、しゃがんで、セルトガイナーの額に触れる。ジョニーは、自分も発狂したくなるほど、セルトガイナーが羨ましがった。
セレスティナの全身が、金色に輝いた。金色に輝く霊力が、セルトガイナーに移り変わっていく。
セルトガイナーの苦悶と発狂が引き潮のようになくなっていく。
表情が穏やかになった。
「くふ、くふふふ。……はあっはっは!」
叫ばなくなったが、今度は笑い出した。大笑いをしたり、含み笑いをしたり、笑い方に一貫性がない。
「もう大丈夫。先に進みましょう……」
セルトガイナーから手を離し、セレスティナは疲れた表情を見せた。危険な呪いの書を暗唱し、セルトガイナーの手当てをしたのである。
「レディ・セレスティナ。セルトガイナーは戦えませんね」
ボルテックスが、声を落とした。
主砲のセルトガイナーが戦闘不能に陥った。そんな事実が仲間たちを暗澹たる気持ちにさせた。
セレスティナの足取りは辛そうだった。自分のせいで仲間たちが危険な目に遭っているのである。
仲間の命を守る、という重責を担うには、身体が細すぎる。
ジョニーは、ボルテックスとともに、巨大な扉を押し開けた。
本来であれば、扉を開く仕事は、クルトの担当だが、片腕を失ったクルトに任せられない。 外は、夜のように暗かった。
明るい図書館から出てきたせいもあって、余計に暗く感じる。
扉の両脇に、甲冑と槍を身につけた白骨死体が、立っていた。装備が、旧時代を思わせるほど古めかしい。博物館に置かれた、展示品のようだ。
壮麗な下り階段を降りる。
そこは、地下迷宮ではなく、石造りの街通りであった。
(夜のシグレナスに似ている……)
階段は、広い道路につながっていた。
数々の建造物が、広い道路を挟み、等間隔に並んでいる。
異国風の屋根と外装で、建造物の壁からは静かな明かりが灯っていた。
ジョニーは振り返った。そこには、図書館を模した建造物が建っていた。いや、図書館そのものである。街にある図書館を切り取って、地下迷宮に貼り付けたようだ。
「あれは神殿か?」
ダルテが、目につく建造物を指さした。“癒やしの木の実”のおかげで、会話ができるほど回復している。隣のフィクスは、ダルテの肩に自分の頭を預けている。
「闘技場もあるぞ? おいおい、魔王の建築技術が、シグレナスを超えているぞ。俺たちシグレナスは惜しい方々を滅ぼしてしまったな」
と、ボルテックスが仲間たちを笑わせた。
(むしろ、シグレナスが魔王の建設技術を盗んだのだ)
と、ジョニーは分析をした。前から分かっていた話だが、異様なほどの技術力を見せられ、確信に至った。
“魔王”は、地下洞窟を切り開き、古代の街並みを再現したのである。
ジョニーたちは、冷凍保存されたような“魔王”の街を歩いた。
小さな光の球体が、どこからともなく浮かび上がる。一つだけではなく、二つ、三つと集まってくる。
ジョニーは蛍を思い返した。
蛍よりも一回り大きい。
人工の蛍は空中を飛び回り、ジョニーたちを追いかけ、周囲を照らしていく。
幻想的な光景に、仲間たちは息を呑んだ。
通路の両脇には、細い水路が流れていた。せせらぎが、耳に心地がよい。
ジョニーは“魔王”と聞くと、禍々しい思考の持ち主だと思っていた。
これまで通ってきた道とは、雰囲気がまったく違う。
ガレリオス遺跡は二つの側面がある。
これまでは、侵入者を殺しに掛かる、要塞の側面を見せていた。だが、現在地は、来客を歓迎しているようだ。異常があるとすれば、セルトガイナーの笑い声くらいだ。
「本来だったらな、俺たち侵入者は、ここには入れないんだ」
ボルテックスが話しかけてきた。
「金や銀の扉を通ったら、図書館にすら入れないんだ。図書館に入れるルートは、銅の扉のみで、しかも、罠部屋を越えないと通れない。裏技中の裏技、ってわけ。レディ・セレスティナが地図を見て、発見したんだ。やっぱ、あの子はすげえよ。天才だよ」
「……裏技を使わないと入れないのなら、どうやって魔王たちは、現在地に来れたのだろうな?」
と、ジョニーは素朴な疑問をぶつけた。セレスティナを褒められて、少し嬉しかった。
「それがよう、まだ、シグレナスでもヴェルザンディでも解明されちゃいねえんだ。……どこかに隠し扉があるのかもしれねえ。まだ見つかっていないが。そもそも外との出入り口を完成させる前に、魔王が滅びた、という説もあるくらいだ」
「出入り口もないのに、どうやって建築資材を運び込んだのだろう?」
と、ジョニーは疑問が湧いてきた。このガレリオス遺跡には、不思議な点が多すぎる。
2
道路が、町並みが終わりを告げた。橋の欄干、手すりを思わせる柵が並んでいる。
欄干の向こうから、滝の音が聞こえる。
水が水を穿つ、容赦のない音だ。
欄干から身を乗り出して、遙か底に、地下水の川が流れているのだ。
ジョニーたちは、激流を耳にしながら、欄干に沿って進んだ。
セレスティナが立ち止まった。
そこには、地下水路をまたぐ、橋が架かっている。
橋には、門が出入り口として構えていた。ジョニーには、歓迎されているようにも、歓迎されていないようにも感じた。
ボルテックスがセレスティナと先頭を入れ替わり、皆に話しかけた。
「お前ら。戦闘準備だ。この橋を渡ると、罠が作動して、敵が出てくる」
ジョニーは、橋の先を見た。
橋の先は、深い闇に呑み込まれて、よく見えない。
長距離の間に、待ち構えている敵や、殺気を感じられない。
ボルテックスを先頭に、ジョニーたちは橋に足を踏み入れ、門を潜った。
耳をつんざく、警告音が鳴った。
仲間たちが動揺する。
「ID所持なしを感知……」
どこからともなく、声が聞こえる。
「“魔王”の言葉に耳を傾けるな。気にするな、急げ!」
ボルテックスが声を荒げる。
(これが、“魔王”の声なのか。“魔王”と呼ばれる割には、女っぽいな)
ジョニーたちが走り出すと、橋の床が輝き出した。
「要確認、要確認……。担当者は、速やかにお客様IDの確認を願います」
仲間たちが走った。セレスティナが長いスカートをたくしあげて走っている。
走り辛い構造であるが、セレスティナは、意外と足が速かった。クルトやダルテ、フィクスら負傷組よりも速い。
「お出ましだ。気をつけろ」
ボルテックスが後ろを振り返って叫んだ。
「警報、警報、係員は、5Gゲートに集まってください……!」
“魔王”の焦る声が聞こえる。
橋の中間地点に到達すると、橋の終わりが見えた。入り口と同じく、欄干と門が見える。
「緊急事態発生」
“魔王”の口調が、男声になり、冷たくなった。むしろ、声を出す人物が入れ替わった、と考えるべきであった。
「ロックダウン開始。五、四、三、二、一……!」
“魔王”が数を数え終えると、ジョニーたちは、体勢を崩した。
橋が揺れたのである。
橋全体は波打ち、ジョニーたちを振り落とすかのように、右から左に、左から右に、と揺れ始めた。
「伏せろ、揺れに備えろ!」
ボルテックスが叫ぶ。
ジョニーたちは走れず、その場にしゃがみ込み、滑り落とされまいと、床にしがみつく。「橋が崩れているぞ!」
クルトが叫んだ。片腕でしがみついていて、辛そうな表情をしている。
後ろを振り返ると、入り口の門付近の、橋の床が、崩れ落ちている。
門も巻き込まれ、橋の下に向かって、お辞儀をするかのように崩れていった。
崩壊は、ジョニーたちを追いかけてきた。
誰かの叫び声で、ジョニーは反対側を見た。
反対方向からも、崩壊が始まっている。
崩落は徐々に、ジョニーたちを挟み撃ちにしてきた。
ジョニーたちをあざ笑うかのように、ジョニーたちに僅かな生存領域を残して、揺れは収まった。
「取り残された……!」
揺れがなくなっても、ジョニーたちは、空中の孤島で虜になった。
「どうして、ここだけ無事だったのだろう?」
ジョニーは、疑問を口にした。
「おそらく、俺たちの真下には、大きな柱があるのだと思う。なあに、気にするな。……全部、想定済みだ」
ボルテックスは下を指さして、大笑いをした。
ジョニーたちが立ち上がると、橋だった物体は、砂と石が擦り合わせたような音を立ている。
見えない箇所が崩れている。
助かったものの、安全な場所にいるわけではない。
水の流れは、ジョニーたちの絶望感など気にもしていないかのように、以前と変わらず、激しい音を鳴らしている。
仲間たちは、誰もが唖然としていた。
だが、すぐに唖然とする余裕もない、と気づかされた。
自分たちが潜った、かつて門であった場所に、暗闇から、行列の影が現れたからだ。
「“骸骨兵士”……」
と、ボルテックスは、呼んだ。
先ほど、地下の街を守っていた、彫像のような骨の軍隊である。
“骸骨兵士”たちは、崩落した橋の前で、槍を林のように立て並び、大盾を構えている。
ボルテックスが口を開いた。
「いいか、お前ら。奴らは矢を撃ってくる。奴らの矢を防ぎながら、一人ずつ、向こう岸まで移動するぞ。……おい、プリム。お前の出番だ。一人ずつ運べるな?」
プリムを呼んだ。くせっ毛の髪に、プロペラのついた帽子をかぶり、手には、プロペラに似た木彫りの玩具を持っている。
「おれにまかせろ。プロペラのいだいさをおもいしらせてやる! ……このプロペラにかけて!」
プリムは手にしたプロペラの玩具を天に掲げた。
「あれは、我がアシノ国に伝わる、“たけとんぼ”じゃ……」
と、シズカが、細い目を細めて微笑んだ。扇子で口元を隠す。
「そう、たけとんぼ。サイクリークスにつくってもらった」
プリムが声を詰まらせて喋った。嬉しさのあまり、興奮している。
プリムは、“螺旋機動”に変身した。頭に巨大なプロペラを載せた霊骸鎧である。
セレスティナを片腕で抱き上げ、もう片腕でクルトを引っ張った。
進みは遅いが、安定した動きで、向こう岸まで飛んでいった。
ボルテックスが一人ずつ、と指示したが、プリムは一度にセレスティナとクルトの二人を運べるのだ。
「以外と力があるな」
と、ジョニーは頼もしく思った。セレスティナの安全さえ確保できれば、ほぼ心配がない。
ボルテックスや仲間たちが次々と変身していった。
つられてジョニーも“影の騎士”に変身した。
左右を見渡している間に、半円の陣形が完成していた。ジョニーが中心になって、ボルテックスが先頭にいる。
(また、なんとか陣形というやつか。俺は詳しくは知らないが、こいつら、勝手に決めやがって)
先頭のボルテックスは両腕を広げ、仲間たちを守っている。
セレスティナが避難したあと、ジョニーは、自分自身が一番の保護対象だと分かった。特別扱いをされ、少し嬉しくもあり、恥ずかしい。
“骸骨兵士”から、弦を引き絞る音が聞こえる。
「矢が来るぞ、伏せろ!」
口が塞がっているので、声が出ない。ジョニーが伏せると、ボルテックスたちが伏せた。 一人だけ、伏せていない者がいる。
セルトガイナーだ。生身のセルトガイナーは笑っている。
発狂しているため、冷静な判断ができない上、変身できないでいるのだ。
矢の雨が降り注ぐ。
ジョニーは、セルトガイナーを引き倒し、上から“小型円盾”を構えて、セルトガイナーを守った。鉄のような雨が、盾に跳ね返っていく。
ボルテックスは、両腕を広げて、生身のシズカを守っている。
ボルテックスの“光輝の鎧”にとってしてみれば、矢など、ただの雨に違いがない。涼しげに受けている。
遮蔽物のない橋の上で、ジョニーたちは自分たちを盾にするしかないのである。
「地下街を歩くとき、奴らを破壊し回れば良かったな」
ジョニーが誰も聞こえていないと分かりながらも、冗談を独りごちた。
一本の矢を受ける。
細い針で刺さったような痛みが、右肩に走った。
視界が曇る。
霊力切れを起こしたときと同じ現象だ。
(馬鹿な、この程度の矢が、“影の騎士”の装甲を徹るのか?)
右肩から煙が、出てきた。煙が目の前を邪魔するので、払った。
だが、煙が消えない。煙が出続けている。
「なんだ、これは……? まさか、奴らは、火矢を放ったのか?」
ジョニーはセルトガイナーをかばい続けた。こちらの苦労も知らず、セルトガイナーは笑い続けている。
降り注ぐ矢を観察したが、火矢など一度も見かけなかった。
矢の雨が、止む。
仲間たちが陣形を解除した。
“骸骨兵士”の矢が尽きた、と判断したのだ。
プリムが降りてきた。矢の届かないところで、プリムは待機をしていた。
ボルテックスは、シズカを優しくプリムまで誘導した。
次に、ボルテックスは、ジョニーに向き直った。親指を使って、プリムとともに行け、と指示を出してくる。
(俺はまだ残るべきだ。……自分だけ逃げても、俺は嬉しくない)
ジョニーは首を振って、拒否をした。
代わりに、笑い転げているセルトガイナーの腕をつかんで、プリムの足下に放り投げた。
ボルテックスが、ジョニーの右肩を指さした。
煙に、驚いている様子だ。
シズカの細い目が、ジョニーを凝視した。
「そなた、霊骸鎧が加熱動作不良しているのじゃな……? そなたの霊力が強くなりすぎて、霊骸鎧が、そなたの動きについていけなくなったのじゃ」
ジョニーは、ボルテックスと顔を見合わせた。
(今の俺は、“影の騎士”よりも強くなった、だと?)
ジョニーの困惑をよそに、“骸骨兵士”たちの背後から、真っ赤な閃光が走った。
「次はなんだ?」
強力な霊力が、“骸骨兵士”の背後に発生した。
邪悪な存在が、遠くから近寄ってくるのを感じた。
姿を見なくても、理解できた。いや、赤い炎を身にまとった姿形が、さらに確信を深めた。 人間よりも一回り大きく、顔は山羊で、頭には巻き角を戴いている。
両の瞳は、炎のように燃え上がっている。
口からは、煤のような煙を出していた。
“山羊顔”が放出する炎に、骸骨軍団は巻き込まれ、焼かれている。焦げた“骸骨兵士”たちが数体、転がった。
“山羊顔”の背中には、黒い翼を広げている。大地に降り立つと、翼は折りたたまれ、肩甲骨に収納された。
腕組み状態であったが、組んでいた逞しい両腕を解放すると、背中にもう一対の両腕が生えてきた。
翼の代わりだ。
腰を落とし、四本の腕を広げ、独特な構えに入った。
尻尾の先端には、蛇の顔面がある。蛇は牙を見せ、細長い舌を口先から踊らせていた。




