死の罠
1
仮眠の時間が、終わった。
仲間たちが辛そうな呻き声を出して起き上がった。
長くはいられない。先を急がなくてはならない。
こうしている間にも、ヴェルザンディの連中は、先を進んでいる。セレスティナの弁だと、寄り道をする分、自分たちは遠回りをしなくてはならないのであった。
ジョニーたちのいる場所は、まっすぐな細い通路であった。無機質な石造りで、見上げると、天井には、配管が張り巡らされている。
セレスティナが、先頭になって歩いている。
通路の扉を見向きもせずに、次々と素通りしていく。
セレスティナは、完全に糸にでもひっぱられているかのように、最小限の歩数で目的地を進んでいる。
(なんていう記憶力だ。セレスティナの身体が地図のようだ)
従いていく仲間たちの表情は、暗い。
仲間たちは、ある者は怪我をし、ある者は疲れ果てていた。護衛対象のセレスティナのみが、背筋を伸ばし、信念に満ちた表情を浮かべていた。
セレスティナは立ち止まった。
「ここを通ると、近道できます」
と、一つの扉を指さした。
扉は鉄製で、中央には、鉄の円盤が付属されていた。円盤には金属製の取っ手がある。
セレスティナの指示で、ジョニーは取っ手を回転させる。鉄の扉は、上部に吸い込まれるように引き上がり、姿が消えた。完全に収納されたのである。
ジョニーは、横の壁に据え付けられている鉄の箱が気になった。
鉄の箱は、表面が鏡のように磨かれていて、底部につまみがある。つまみを起こせば、中が開く仕組みだ。
ジョニーは、壁掛けの箱に手を伸ばした。
「そこには触れないで」
と、セレスティナに、厳しい口調で注意された。眉間にしわを寄せて、可愛い顔で怒ってくる。
怒られて少し嬉しい。二人だけの会話をしているようで、ジョニーは自分の顔が緩んでくる。仲間たちの後を追う。
「待って。これ以上進まないでください」
セレスティナの指示で、仲間たちは止まった。急な入室制限で、ジョニーはギリギリで部屋の中に入れた。後ろでシズカが部屋に入れず、詰まっていた。
つま先立ちで、仲間たちの肩越しから、部屋の内部を覗き見た。
扉の先は、部屋というより、通路であった。
通路の途中から、床板が変わった。これまでは、長方形にくりぬいた岩であったのに対し、途中からの床板は、半透明な素材でできていて、正方形をしている。
通路全体に、正方形の床板が碁盤を作り出しているかのように敷き詰まっていた。
半透明の床から、ほのかな明かりが灯っている。明かりは互い違いに異なる色の光を放っている。
「ここには、危険な罠があります」
セレスティナが一歩、半透明の床板に足を踏み入れる。
一筋の光が、部屋中の床板を走り回った。まっすぐに進んだかと思えば、こちらに向き直り、蛇のように蛇行したかと思うと、複雑な図形を描く。
最終的には、向こう岸まで走り去り、ぶつかって消滅した。
「光が通った道を進めば、罠は作動しません。間違った場所を踏まないために、私が一人で行きます。向こうにある操作盤を押せば、罠は解除されます」
向こう岸には、鋼鉄製の台座があった。巨大な釦がある。
「わざわざ面倒な真似をしなくても、空を飛べるプリムに行かせれば良いだろう。プリムが怪我で動けないなら、俺が“空中二段跳び”で向こうに行っても構わない」
と、ジョニーは提案した。
「正しい道順を踏まなければ、いくら飛び越して操作盤を動かしても、罠が作動します」
セレスティナが苛ついた口調で返事をした。ジョニーは調教された猛獣のように引き下がった。いつも怒られている気がする。
「光の通り道は、決まっているのか? 事前に図書館で学ばなかったのか?」
「いいえ、無作為で決まります。事前準備の段階で、パターン化する方法が見当たりませんでした。……ぶっつけ本番で正解を暗記するしかありませんでした」
セレスティナの言葉を最後に、ジョニーは、これ以上話しかけなかった。セレスティナの邪魔をしてはいけない。
「上、上、右、下……」
と、セレスティナは、何度も反芻していた。
セレスティナは、意を決した表情で、前に歩みを進めた。
仲間たちは恐る恐る、セレスティナの後姿を見守った。覚束ない足取りだが、順調に一歩一歩進んでいる。
ボルテックスもクルトも身を乗り出していた。二人は重傷で、戦力にならない。
だが、ジョニーは二人の意思が汲み取れる。
もし、セレスティナに火急の件があれば、自分たちが身代わりになる気なのだ……。
ジョニーは、奇妙な感覚を覚えた。なにか、危険な物事が潜んでいる。
セレスティナに異変が起こったのだろうか? たしかに、自分の記憶と恐怖の間で、セレスティナの背中からくすぶった煙のような感覚を感じる。だが、ジョニーの中でのたうつ違和感は、セレスティナが原因ではない。
背後に何かが割れる音がした。
ジョニーは背後の状況を確認したかったが、前方で巻き起こった、仲間たちの悲鳴に気を取られた。
目的地である操作盤の前に、鉄の扉が、突如、現れた。鉄の扉は、断頭台のような音と揺れを残して、セレスティナから操作盤までの距離を遮断した。
扉の表面には、錠前らしき円形の装置があり、自動的に半回転して、錠がかかる。
「だ、誰か間違って床板を踏んだ奴がいるのか?」
ボルテックスが動揺している。
ジョニーは、背後を振り返った。
敷居の向こうで、シズカが驚く表情をしながら、呆然としている。
「この道の通り抜けを諦めて、後方に脱出すべきだ……!」
だが、シズカの顔もすぐに見えなくなった。後方の扉も、ジョニーたちにとどめを刺すかのように、退路を封鎖したからだ。
ジョニーたちは、分厚い扉に囲まれ、閉じ込められたのである。
床の明かりが消え、部屋は薄暗くなった。
「そんな……間違っていないのに……!」
セレスティナが悲鳴に近い、絶望の色が入り混じった声をあげた。
頭上から、なにか空気が擦れる音がする。
部屋の四辺から、緑色の毒ガスが噴出してきた。
「毒ガスだ!」
誰かの叫び声で、仲間たちが騒ぎ出した。
「みんな、落ち着け。霊骸鎧に変身するんだ!」
ジョニーは一喝した。仲間たちの動揺が瞬時に収まった。
「霊骸鎧に変身して、口を塞げ。霊骸鎧の内部であれば、呼吸できなくても、生命活動はできる。……ガスマスクだ」
仲間たちが、感心した表情でジョニーの提案を受け入れた。
次々と霊骸鎧に変身していく。
プリムやダルテ、フィクスら負傷組も変身する。片腕しかないクルトは印を組めずに苦労したが、サイクリークスが手伝ってなんとか変身できた。
「皆、変身したな……」
ジョニーは、最後の一人、クルトの変身を確認してから、変身のための印を組んだ。
だが、変身できない者が、一人だけいる。
仲間たちは、一斉にセレスティナを見た。
2
仲間たちの視線を一身に受けたセレスティナの瞳が赤く充血していた。
「ボルテックスが地図を持っています。私が死んでも、ボルテックスの指示に従ってください。……私がいなくなる分、護衛の手間が省けて、身軽になる済むでしょう」
保っている威厳が今にも決壊しそうな口調である。
セレスティナは、深く息を吸い込んで、目を閉じた。長い睫毛が、かすかに震えている。唇も震えている。理不尽で突然の死を前にした、少女の心情を、ジョニーは推し量れないでいた。
「残念です……。これで終わりだなんて……。どうか、このシグレナスをお願いします。皇帝陛下のために戦ってください……!」
と、セレスティナは、早口で捲し立てた。まるで、生命の最後を一滴まで振り絞るかのようだった。
死ぬ間際になっても、セレスティナは自分の使命を果たそうとしているのである。
ジョニーは、セレスティナが愛おしく思えた。セレスティナの細い肩に、優しく手を掛けた。
「ダメだ、セレスティナ、死ぬな。このガスは、空気よりも軽い。地面すれすれまでいれば、助かる……」
緑色のガスが、下に落ちてこない。ジョニーは、セレスティナをゆっくりと座らせながら、ゆっくりとしゃがんだ。
「私、まだ死にたくな……い……」
セレスティナは絶望に満ちた視線を、首を振りながら、ジョニーに向けた。
涙がいつでも溢れそうになっている
「俺は、セレスティナを死なせやしない。絶対にだ」
ジョニーは優しく、しかし強く否定した。
セレスティナが、ジョニーを悲しげな視線で見た。
セレスティナから焦りの表情が生まれてきた。時間が無駄に過ぎていく。こうしている間にもガスが天井から降りてくる。床底に充満するまでは、時間の問題であった。
「真実を伝えられなくて、ごめんなさい……」
震えるセレスティナの唇から、ジョニーにとっては予想外の言葉が出た。
「真実……? どういう意味だ?」
ジョニーは首を捻った。まったく心当たりがない。
セレスティナは、自分の肩をジョニーの手を払う仕草をした。ジョニーは手を引っ込めた。ジョニーはセレスティナの肩に手を置きっぱなしにしていたのである。
「私はここで死にます。早く変身して、貴方は生き残って……!」
セレスティナはジョニーの真意を見抜いていた。
セレスティナの命令であっても、ジョニーは変身しなかった。
(君が死ぬなら、俺も死ぬ……)
ジョニーは死を覚悟した。死んでも構わないと思った。
決して人に自慢できる人生を送ってきたわけではない。何かを得たわけではないし、何かをしたわけもない。
結局、なにもない人生だ。人生とは、そんなものなのだろう。
だが、セレスティナと供に死ねるとは、悪くもない。
(今が告白の機会では……?)
ふと、そんな考えが思いついた。死ぬ寸前で思いつくべき内容ではない。それは分かっている。だが、決断を先延ばしにしすぎたせいで、今の状況に追いやられているのだ。
「セレスティナ……俺は……」
だが、セレスティナの哀れな顔つきを見て、ジョニーは告白するか躊躇った。死んでも告白できない。
(まだ死ねないな)
と、ジョニーは心の中で苦笑した。
「いや、待てよ……」
告白するか迷っていると、不思議とジョニーは生き残る術を閃いた。余計な緊張感が取れたのだ。
ジョニーは 印を組み、霊力を解放した。
「出でよ、我が“影の騎士”!」
自身の霊骸鎧、“影の騎士”を目の前に呼び出した。
「“影の騎士”、セレスティナを変身させろ!」
と、セレスティナを指さした。
次の瞬間、セレスティナは霊骸鎧によって覆われた。
支えを失った人形のように、“影の騎士”セレスティナは、顔面から床に崩れた。
「上手くいった……! 霊骸鎧にガスマスクの効果があるのなら、セレスティナに着せれば良いのだ」
他人に自分の霊骸鎧を着させる状況は初めてだ。まさか一発勝負でできるとは思えなかった。
ジョニーは自分の霊骸鎧“影の騎士”を初めて見た。
全身が黒づくめで、肩当てと草摺をつけた、全体的に飾り気がない、無貌の霊骸鎧であった。
ジョニーの経験上、霊骸鎧は、変身者に似る。
ジョニーは自分自身の内面を映し出されているようで、気分が悪くなった。
(“影の騎士”が消滅するまで、つまり俺が死ぬまで、少なくとも、セレスティナは死なん。後は、俺が一瞬でも生き延びる方法を探すまでだ)
ボルテックスとクルトが、扉の前で暴れている。セルトガイナーを使って欲しいが、二人は扉を蹴破ろうとしている。
(間に合ってくれよ……)
“影の騎士”セレスティナは立ち上がろうとしているが、力が入らず、床に腕を滑らせている。
ジョニーにとっては、興味のある現象であった。
自分が自分の霊骸鎧を扱う分には、自由自在であるのに対して、他人の霊骸鎧は勝手が違うのである。重たい拘束具のように、セレスティナから身体の自由を奪っているのである。
どうも他人の霊骸鎧を操作することは難しいようだ。
「セレスティナ、動くな。俺は、俺でなんとかする」
ジョニーは、頭痛とともに、視界が歪む。
外付けの鎧や衣服と違って、霊骸鎧は自分の霊力によって作り出されたのである。つまりは、自分自身である。
霊力を半分に分けている今の自分が何者なのかよく分からない。
なんだか現実でないような感覚に陥った。
(俺が毒ガスで死ねば、“影の騎士”も消滅する。そのときにガスがまだ吹き出ていたら、セレスティナも死ぬ。だから、俺は一瞬でも長く生き残らねばならない。……黙って死んでいる暇はないな)
ジョニーは、ジョニー自身をも救わなくてはならないのだ。
足を組んで、目を閉じる。
いや、胡座ではダメだ。
ジョニーは、床に頬をつけるまで、地面に伏せた。極限まで毒ガスの当たらない位置を確保する。ちょうど、“影の騎士”となったセレスティナと同じ目線の高さになって、ジョニーは笑いを堪えた。
目を閉じて、“星幽界”に向かう。
「何かないか。助かる方法だ……」
黒い世界にやってきた。
ただ、黒いだけではなく、真夜中の星空を想像させる光が見える。セレスティナの“星幽界”にお邪魔したとき、見えた映像だ。自分にも見えだした。ただの星空とは違い、向こうに、青と緑で彩られた、巨大な球体が見えた。
ジョニーは歩き出すと、透明の壁に足をぶつけた。
透明の壁は、白い枠で囲われていた。白い枠が、唯一の視認方法である。白い枠がジョニーを取り囲んでいる。
ここは、ガレリオス遺跡よろしく、白い枠の迷宮であった。この世に存在しない、世界での迷宮なのだ。
ジョニーは彷徨った。見えない壁の迷宮は複雑で、出口が見当たらない。
……出口?
そもそもジョニーは求めているのだろう?
(……出口に答があるとでも)
ジョニーは、ふと、自分が裸だと気づいた。下半身が消えてなくなっていた。霊骸鎧をセレスティナに貸しているのである。半身がなくて当然である。
だが、自分の存在が消滅している、とも感じた。それほど、外部の世界では、毒ガスが充満しているのだから。
手を突きだして、不可視の壁を探りながら移動する。
これまで歩いていた先は、行き止まりだった。迷宮には行き止まりが付き物とはいえ、ジョニーは焦った。
時間がない。
ジョニーは閃いた。
いや、この“星幽界”(アストラルワールド)は、探すべき世界ではない。
感じる世界なのだ。
ジョニーは、胡座をかいた。
感じて、引き寄せるだけ。
「“星幽界”。俺の求めに応じて、俺を助けろ」
ジョニーの周囲に、白い枠の壁が集まってきた。
「俺を毒ガスから守れ」
不可視の扉が、溶け合った。溶け合い、ジョニーの回りを包み込んだ。
ジョニーのこめかみに、不快な粘着質の液体が、かかった。粘着質は蒸発して、湯気とともに消えていった。粘着質がかかった、ジョニーの顔部分は、不可視の壁が消えたが、他から自動的に補修される。
粘着質が一滴、二滴、と増えていく。
だが、溶けた不可視の壁が、ジョニーを守っていった。
(理由はよく分からんが、見えない壁が毒ガスから俺を守ってくれているのだな)
だが、集中力を途絶えさせてはいけない。ジョニーは眉間に意識を集中した。
粘着質の降水量が増えていくたびに、ジョニーは自分の壁を強化させ、自分の身を守った。 最後には、粘着質が滝のように降ってきた。総攻撃のようだ。
頭や背中を激しく叩かれるような勢いである。
だが、ジョニーは怯まなかった。滝に打たれるたびに、ジョニーの精神は強化されていった。心の強さが、そのまま不可視の壁をより強化させていった。
滝が止んだ。
(終わったな……?)
ジョニーは、目を開く。
明るい部屋の、床に突っ伏していた。
手を突いて、起き上がると、ボルテックスたちが、ジョニーの顔を覗き込んでいた。ジョニーが無事であると分かると、歓声を上げた。
ボルテックスとクルトの後ろには、鉄板の扉が蹴破られていた。
「まだまだ俺は死なないらしい」
ジョニーは手に重みを感じた。誰かが、ジョニーの手に、自分の掌を置いたのだ。
手の主を見ようとすると、手は離された。
セレスティナが顔を背けている。