眠りと沈黙
1
目を開くと、世界は、逆さまに進んでいた。つま先が天井に向かい、頭頂部が地面を向いている。
ジョニーは、自分の両腕を地上に向かって、だらしなく投げ出していた。上体は、車体に固定されているから、脱落はせずに助かってはいる。
(失態だ……! 腕を放り出すほど、意識を失っていたのだ)
ジョニーは、投げ出された両腕を自分の胸に戻す。
セレスティナを見た。眠っているセレスティナも、両腕を投げ出したままだ。
地面に近づくにつれ、車体は、線路に沿って、きりもみ回転をし始めた。重力に反する暴力と、従わせる暴力が、交互にジョニーたちを襲う。
ジョニーたちは、枯れ葉のよう無力だった。暴風に見舞われても、ただ、枝にしがみつくしかない。空中回転軌道の気分次第で、揺らされる、はかない存在に過ぎない。
車体は、転覆した小舟が、本来の自分を取り戻したかのように、元通りになった。
空中回転が終わり、上体が上を向く、本来の位置に戻った。
急激な曲がりにさしかかり、車体から振り落とされないか、ジョニーはしがみついた。
詰まった鼻をすする。口の中に、血の味が広がる。呼吸困難になって、咳をした。
“砲拳”トルトオク・ゼルエムの攻撃を受け、負傷している。
(セレスティナ……!)
セレスティナが負傷していないか、不安になった。
セレスティナの首が、揺れているが、後ろから見る限り、外傷は見当たらない。
サイクリークスは、セレスティナの隣で、“二節棍”を構え、周囲を警戒している。ゲインは、類人猿のように、左右を見渡している。
セレスティナを心配する者はいない。
(セレスティナは無事だ……)
ジョニーが安心していると、車体が、揺れた。継ぎ目が広くなった線路に、一瞬だけだが、引っかかったのだ。
ジョニーは、ふと背後を振り返った。
真後ろが、線路だった。
気を失う前の記憶と違う。ジョニーの後ろには、座席があった。それなのに、いきなり線路になっているのである。
(“火車”……! 俺が気を失っている間、奴の攻撃を食らっていたのか)
“火車”に車体が削り取られ、ジョニーの座る座席が最後尾になっていた。
(今の俺は、変身が解けている。車体も崩壊し、もう一度、攻撃を食らえば、一溜まりもないだろう)
悲観的な文言で思考をしているが、ジョニーは冷静であった。危機的状況になればなるほど、ジョニーは、勝利に対する欲求が増していくのである。
(一瞬とは言え、自分が気を失い、セレスティナを無防備に晒していた。……今の状況から、どうすれば、勝てる?)
ジョニーの思考を裂くかのように、絶叫が聞こえる。
アイシャの声だ。
ヴェルザンディで変身をしていない者は、アイシャだけだ。
絶叫には、どこか楽しげな雰囲気である。
(空中回転軌道を楽しんでいるのか? なんて豪胆な奴だ)
アイシャたちを乗せた車体が、速度を上げた。
ジョニーたちとの距離が縮まってくる。
(車体は、霊力で動作するだったよな。アイシャたちは霊力を操作して、車体の速度を上げたのだな? ……待てよ)
ジョニーに閃きが生じた瞬間、前方に“火車”ゲンロクサイが、“自動二輪”から降りて、しゃがんでいる。独特な座り方で、野外で用を足すような座り方だ。
二つの指に、白い棒を挟んでいる。口に咥えたり離したりする動作をしていた。ジョニーたちの姿を見るや、白い棒を投げ捨て、“自動二輪”にまたがった。
(俺たちを馬鹿にしていやがる……! 馬鹿にするために、先回りをしていたのだな)
“火車”は、ジョニーたちの真正面で、“自動二輪”を走らせた。
「向かってくるぞ、ゲイン!」
ゲインから、“十字”の能力……霊骸鎧の能力を封じる、“沈黙”……を表した白い煙が、いつの間にか取れていた。
“十字”とは距離がある。
効果の範囲外なのか、効果は一定時間経つと消える仕様なのか、ジョニーには分からなかった。だが、ゲインは自身の能力を発動できるはず。
ジョニーはゲインの肩を叩いた。だが、なかなか撃たない。
「どうした? まだ“沈黙”状態なのか?」
ジョニーの疑問とは裏腹に、ゲインの全身から黒い霊力が漲っている。霊力がいくつもの層を増やしていた。
「霊力を練っているのか……?」
ゲインの両腕から、黒い衝撃波が放たれた。セレスティナとサイクリークスの間を通り抜け、線路に沿って走って行く。
線路上の黒い衝撃波は、みるみる巨大化していった。いつもよりも強大で重厚で、何よりも速さがある。
「“溜め撃ち”……? ゲイン、貴様は、いつの間に、そんな技術を習得したのだ?」
“溜め撃ち”された衝撃波は、線路を埋め尽くすほどの、大きさになった。
「これなら、蛇行運転であっても、避け切れまい!」
“火車”は、走行をやめない。衝突する瞬間、“火車”を乗せた“自動二輪”は、飛んだ。
長い滞空時間を経て、“自動二輪”が、ジョニーたちの車体を飛び越し、その場に着地した。
「だめだ。奴は飛べる。奴に衝撃波は通用しない」
“火車”は“自動二輪”を、切り返した。ジョニーたちの背後を狙っている。
(どうする……?)
ゲインが肩で息をしている。霊力の消耗が激しくなっている。
だが、“火車”が、動きを止め、急に距離を離しはじめた。
「煽り運転を辞めた、だと……?」
だが、ジョニーはすぐに理解をした。線路が宙返り(ループ)し出したのである。
“自動二輪”の車輪は、 サイクリークスの“蔦走り”と違って、斜面に吸い付く能力まではないのだ。
“火車”は、線路と線路の間を飛んでいった。先回りをしている。
ジョニーは内臓を握りつぶされそうな重力に振り回されながら、宙返りする線路を耐えきった。
宙返りの先には、もう一本の線路と併走している。
当然のように、アイシャたちを乗せた車体が現れた。
「どこかで、先回りをする分岐があったのだろうか? 見落としていたのかもしれん……」 ジョニーの疑問を見透かしたかのように、アイシャは邪悪な笑みを浮かべていた。勝利を確信したかのように、ジョニーたちをあざ笑っている。
振り返ったサイクリークスが、座席の上に立つ。“二節棍”を構えて、迎撃の体勢をとった。
だが、一瞬にして吹き飛ばされた。
爆発を真横に食らい、車体から投げ出される。
「サイクリークス!」
サイクリークスが、枯れ葉のように奈落の底に消えていった。霊骸鎧の姿のまま、もやの中に吸い込まれていく。
ヴェルザンディの車体を見ると、“砲拳”が両拳が、分離した上腕から煙を放っていた。ゼルエムのもとに、両拳が謎の推進力で戻ってきた。両拳を両脇に抱え、再装填の準備をしている。
霊力切れを起こしたゲインが、白い煙に覆われた。すぐに“沈黙”状態になった。
“十字”は自分の唇に指を当てている。
「くくく、シグレナスの同志諸君。もはや諸君らには何の勝ち目もないのだよ。かわいそうに。もう少しで、ゴールなのだけど、ゴールを飾らせてもらうよ。……諸君らの死体でね」
と、アイシャが笑った。笑い声が甲高く、ジョニーは気分が悪くなった。
ジョニーは先を見た。
曲がりくねった遙か先に、“火車”の姿が跳ねている様子が見える。
サイクリークスが突き落とされ、セレスティナは“眠り”状態であり、ゲインは“沈黙”し、ジョニーにいたっては生身である。
(やはり、水飛沫の段階で、セレスティナを背負って脱出するべきだったか)
と、ジョニーがしても、空中回転軌道は止まってくれない。
セレスティナの髪が、ジョニーの鼻に触れた。
(起きたのか? いや、眠っている? ……助けて欲しいのか?)
と、ジョニーはセレスティナが訴えかけているような気がした。
併走する線路が、ジョニーたちの線路と、合流した。
ヴェルザンディの車体が、ジョニーたちの後方に密着するくらいの距離まで近づく。
(やはり、ヴェルザンディの速度が上がっているのだ。霊力の操作で、速度を変えられる!)
ジョニーたちの車体は、ヴェルザンディに押し出され、直線に躍り出た。
目前には、“火車”が“自動二輪”にまたがり、待ち構えていた。
(助けて……!)
声が聞こえる。
もちろん、助けて欲しいが、ジョニーの声ではない。
女の声だ。
「セレスティナ……?」
セレスティナは、まだ眠っている。
どうやって助ければ良いのだろう?
すぐに閃いた。
「“星幽界”……!」
ジョニーは、セレスティナの背中に手を伸ばした。芸術品を思わせる肩甲骨が透けていて、ジョニーは胸を鳴らした。だが、恥ずかしがっている場合ではない。
背中に手を触れると、世界が暗転した。
世界が一度、暗くなると、セレスティナの背中を中心に、明るさを取り戻していった。
2
(セレスティナ……!)
柔らかい布が一面に広がる世界で、ジョニーは周りを窺った。
ジョニーは叫んだ。だが、口が塞がっているのか、声が出ない。
布の砂漠をさまよった。
だが、セレスティナの姿が見えない。
代わりに、黒くて、ジョニーの背丈よりも一回り大きい影……白い兎の怪物が姿を現した。 槍のような細長い爪を立てて、逆さまに生やした牙を生やしている。
怪物は両眼を失っていて、瞼は、へこんでいた。まるで、すべてが見えているかのように、周囲を見渡している。獲物……セレスティナを探しているのだ。
ジョニーは、すぐに兎の怪物と視線が、かち合った。
地面に鈍い足音を鳴らして、向かってくる。ジョニーは見つかったのである。
一体だけではない。二体、三体と、どこからともなく湧き出てくる。怪物たちがジョニーを集合場所にしたかのように、集まってきた。
(数が多い。それに、武器がない……)
ジョニーは、その場から離れようとしたが、空中回転軌道と同じく、身動きが取れない。脚が柔らかい布にめり込んでいる。
怪物は、鋭い爪を、ジョニーの頬と首に突き立てた。
意外と、痛くない。“星幽界”なので、痛みは存在しない。痛みを想像すると、痛くなる。苦痛は、妄想にすぎない。夢の世界と同じだ。
(存在しない、と思えば、存在しない。ならば、前に進むだけだ!)
ジョニーは、爪が頬と首に突き刺さったまま、怪物の肩を掴んで、自分に引き寄せた。爪の貫通が、進行する。
ジョニーは怪物の顔を、掴んだ。顔の表面は柔らかくて、軽い。布地のようだ。
(中身は、どんな顔をしてやがる?)
ジョニーは歯を食いしばって、布地をずり下ろした。
布地の中央に、人間の肌が現れた。
そこには、よく見知った顔……セレスティナの顔があった。
セレスティナが驚いた顔をしている。
ジョニーを捕まえていた一体……セレスティナ顔の怪物が、膝から崩れ落ちた。ジョニーが着地すると、一枚の布になって、地面に吸収されていった。
次々と、他の怪物たちも顔が剥がれていった。昆虫が脱皮するかのようだ。
どれも、セレスティナの顔をして、悲鳴を上げている。
「怪物が、セレスティナのふりをしているのか……? ちがう、怪物は、セレスティナ自身だったのだ」
いつの間にか手にしていた拳銃を、ジョニーは捨てた。
怪物がセレスティナであり、セレスティナが怪物であるならば、いくら銃殺しても無駄だ。
ジョニーは目を閉じた。“星幽界”の中でさらに“星幽界”に向かう。
夢の中で、夢を見る状況もあるので、決して奇妙な行動ではない。
だが、すぐに、効果的な行為だと納得できた。ジョニーは頭を引っ張られる感覚になった。連れて行かれる感覚だ。
全身? いや、魂そのものを連れて行かれたのだ。
気づくと、ジョニーも布の中に潜っていた。
布の中は心地よい。ずっと滞在したかったが、早く今の状況を打破する必要がある。それは何だったのか思い出せないが。
中を進む。
すると、布の中に、自分以外の誰かがいた。
セレスティナであった。布の中に隠れているセレスティナが、地上の怪物たちを操っている。いや、場所を探っているようにも見える。
地上にもセレスティナがいた。地上のセレスティナを襲うよう、怪物たちに指示をしていた。
(そうか、この怪物もセレスティナの一部なのだ)
ジョニーは理解した。
他のセレスティナたちも集まってきた。
布の上のセレスティナを暗殺するために、セレスティナたちは何か打ち合わせをしている。 地表のセレスティナが、腰を抜かしている。
このセレスティナは、獲物役を演じているのだ。
獲物セレスティナに、兎の怪物に扮したセレスティナが群がり、鋭い爪で突き殺した。
兎の怪物たちの身長は縮み、被害者のセレスティナと同じくらいの背丈になる。
一人が死ぬと、他のセレスティナが生身の姿になった。
生き残ったセレスティナは、一人を残して、着ぐるみを着た。兎の怪物である。獲物役のセレスティナは、兎役に殺されていく。
セレスティナ同士が、殺し合いをしている!
(やめろ、殺し合うな!)
ジョニーは一番近くのセレスティナに腕をつかんだ。
セレスティナは困惑した表情で、ジョニーの顔を見た。ジョニーの手を振り払い、怪物の姿になって、生身のセレスティナを殺しにかかる。
(これは、“魔王”の仕掛けでも、アイシャの罠でもない。セレスティナが自分自身を殺すために繰り返しているのだ。セレスティナは、自分を罰しようとしている。自分で、自分を、だ)
ジョニーは仕組みが分かってきた。
(だが、自分を罰する自分も許せない。反対に、逃げ回る自分を許せない。また、自分を殺す。殺し続けるんだ)
セレスティナは自分殺しを繰り返していた。
(眠りの原因は、自分を閉ざして、殺戮の場を確保しするためだ)
自分殺しを止めさせないかぎり、セレスティナは眠りの世界から脱出できない。
「セレスティナ、今助けるぞ……!」
布の世界に挟まれて、動けない。
「いや、“星幽界”は、意思の、魂の世界だ。……魂に従え!」
俺は、セレスティナを助けたい!
魂の訴えに呼応するかのように、ジョニーは、腕を伸ばし、地中に潜むセレスティナを捕まえた。
だが、捕まえた瞬間、セレスティナは霧となって消えた。
ジョニーは地上に這い出た。殺し合うセレスティナたちの腕を掴んだ。セレスティナは次々と霧散していく。
「だめだ、こいつらは、すべてセレスティナであって、セレスティナではない。本当のセレスティナに触れなければ、意味がない」
怪物やセレスティナが縮んでいく。
いや、ジョニーが巨大化しているのだ。どうして巨大化する必要があるのか疑問だったが、すぐに必要な現象だと直感できた。
できる。できないと思っていたが、以外とできる。
「そうだ。今俺がいる場所は……」
巨大化するたび、現在地が分かった。
ジョニーは、巨大なセレスティナの上に立っていた。
巨大なセレスティナが目を閉じて、眠っている。
布地の世界は、セレスティナが着ている服であった。