自殺者
気の向くまま書いています。
1
カレンは疲労を感じた。肩が重石を担いでいるような感覚に陥った。軽い目眩と微妙な熱を感じる。風邪を引いている状態に近いが、鼻水や喉の痛みはない。
疲れの原因が、霊骸鎧を連続で呼び、連続で扱った点にあると、カレンは解釈した。
火の騎士を見た。自分の体調不良より、火の騎士が心配である。
戦袍は破れ、甲冑の至る所が凹んでいる。大地に腰をつけ、苦しげに胸を上下させていた。
「レミィ、火の騎士を治してほしい」
レミィに頼むと、快く引き受けてくれた。レミィの治療を横目に、カレンは思案した。
ここは敵の本拠地だ。先発隊が戻ってこなければ、貝殻頭たちは追っ手を次から次へと送り出すだろう。
「次は、どこに逃げよう?」
カレンは、自問した。行き先が分からない。
目を閉じた。こんな緊急事態にもかかわらず、自分でも不思議なくらい、自然な行動であった。
暗闇。
背後、つまり貝殻頭と交戦していた場所とは反対方向に気配を感じた。
カレンは目を開き、気配に向かって歩き出した。
途中、気配が分からなくなった。また目を閉じて、気配の位置を割り出す。
気配は、光となり輝き始めた。
墓の間を歩く。目を閉じたり開いたりしながら、光に向かう。まるで、光に引き寄せられた虫になったようだ、とカレンは思った。
島は浜で終わっていた。足下で黒い海水が、静かに波となって押し寄せている。波の向こうから光を感じる。
向こう岸がある。海育ちのカレンには、なんとなく理解できた。
「水中橋……!」
呼んだが、水中橋は姿を現さなかった。
何度も呼んだが、結果は同じである。
棘肩も、同様に現れない。
蛇姫を呼ぶと、現れる。
「一度倒された霊骸鎧は、もう二度と現れてくれないんだ……」
カレンは理解した。悲しい気持ちが胸にこみ上げる。
水中橋には何度も助けてもらった。それなのに、自分の不注意で死なせてしまった……。地面を見る。視界が涙でボヤケる。
「これ以上、犠牲を出さないぞ」
カレンは涙を振り払い、決意した。カレンの内側から、闘志が燃えてくるようだった。
「……なぜなら、僕はシグレナスの皇帝だからだ」
背後に誰かいる。独り言を聞かれていないか、振り返ると、自殺者が立っていた。
2
貝殻頭の船を奪う。
帆のない手漕ぎの船であった。櫂は二本あったので、一人でも漕げるが、二人漕ぎも可能だ。
レミィの治療は途中だったが、火の騎士を元に戻した。蛇姫も戻す。
自殺者は戻さなかった。レミィを連れて、説明する。
「船の上は軽くしたほうがいいからね」
カレンはレミィに説明した。
内部には、古びたロープがあった。
ロープの上に、干からびたネズミの死骸が横たわっている。
カレンは空腹を覚えた。そういえば、目を覚ましてから、一度も食事をとっていない。だからといって、ネズミの死骸を食べるわけにはいかないが。
自殺者に櫂を渡し、カレン自身も、櫂で漕いだ。
島の反対側に向かう。浜に沿って船を動かす。
(君は凄いね。霊骸鎧を自在に操っている)
レミィの感想に、カレンはすぐに応えられなかった。理解不能の感情が押し寄せてくる。いや、カレンは理解している。
これは、喪失感だ。それと、後悔の気持ち。
櫂で船を漕ぎ、少し気持ちの整理をしてから、返答した。
「凄くないよ、水中橋を失っちゃった……」
カレンは、苦々しく言葉を呑み込んだ。棘肩も、革命も失った。
革命はなんだかよく分からなかったが、棘肩は強い霊骸鎧だったのだろう。
無駄死にするような霊骸鎧ではなかった。霊骸鎧の使い方を間違っただけだ。
棘肩と火の騎士を同時に出せばよかった。
そうだ、もう少し考えてから霊骸鎧を出していこう。左側に棘肩を出して、もう反対側に火の騎士を出すとか。少なくとも、小出しにするのは止めよう。
「レミィ。君のこそ凄いよ。僕は霊骸鎧に変身できないんだよ」
自分は凄くない、褒めないでほしい。褒められると、愚かな自分が情けなくなる。
免罪できているかどうか分からないが、レミィを褒めた。
レミィは、優しく分析した。
(君なら、いつでも霊骸鎧になれるだろう。誰よりも強力な霊骸鎧に、ね)
「なれやしないさ。なったことないもん」
カレンは空中を見上げて過去を思い返したが、霊骸鎧に変身した記憶は甦らなかった。
(君はすでに潜在能力を使いこなしている。君の霊力は、たぶん、水属性だね)
レミィは、続ける。励ましてくれているのだろう。
「潜在なんとかってなに? 海に潜るの?」
カレンは聞き慣れない言葉に眉をひそめた。頭が混乱する。
(霊骸鎧に変身したとき、出てくる能力さ。僕が治療できたり……)
水中橋が水中に潜ったり、火の騎士が炎となって貝殻頭に直進したりしてる様子を思い返した。
(君の潜在能力は、霊骸鎧を呼び出して、操るものだよ。……インドラよりも凄いね)
インドラと比較されても、カレンはインドラの能力を知らないので、なにも答えられなかった。
(ひょっとして、ガルグが求めていた人とは、君のことかもしれないね)
レミィに言われても、ガルグが求めている人物とは、どのようなものか知らない。
「水なんとかって何?」
カレンがそう質問する前に、気配を感じた。
目を閉じる。
船だ。島の向こうから、自分たちを追って来る。
一隻ではない。二隻、三隻……。
貝殻頭は弓をつがえ、カレンたちを狙っている。
カレンは目を開き、周囲を窺った。まだ貝殻頭たちは、近くには来ていない。だが、カレンにとって、敵の増援は、確定した未来であった。
「……話は後だ。自殺者、急ごう」
まだ見つかっていないうちに、距離を離す必要がある。
カレンは漕ぐ力を強めた。
3
光が見える。
光に近づくと、浜が見えた。
船を乗り捨てて、浜に足を踏み入れる。
目の前に、人工的な壁が広がっていた。カレンは手で触れた。鉄製で、つなぎ目に鋲が打たれている。カレンは壁に手を伝わらせて、歩き出した。
光は、墓だった。たった一つの墓だが、これまで見ていたどの墓よりも強力な光を放っていた。
壁には扉があった。両開きの扉である。取っ手はない。押してみたが、開かない。
カレンは墓に刻まれた線と穴をなぞり、墓標を読み上げた。
「闘神騎士」
カレンの全身から力が抜け落ちていった。地面に手を突く。胃液がこみ上げ、視界が揺れる。
見上げると、そこには巨大な馬が立っていた。
カレンは馬を現物で見た経験はないが、オズマの持っていた本の挿し絵で見た記憶がある。
巨大な馬の上には、“闘神騎士”が槍と大盾を構えていた。その身を包んだ漆黒の鎧には、凶悪な突起物がついており、頭部を覆う兜には、二本の曲がった角が、左右それぞれ真横から前方に向かって敵を威嚇するように生えていた。兜の面部分には、T字に赤い光を発している。
(とても強そうな霊骸鎧だね)
レミィが評価した。期待が入り混じっている。
「ああ、とても強そうだ……。でも、今の僕には扱えないだろう」
(動かせないの?)
不動の闘神騎士を前に、レミィが訊いてきた。
「生前の名前を知らないと、動かせない」
闘神騎士の名前を知らない。墓をのぞき込むと、生前の名前は刻まれていなかった。
“伝説”と同じく、名前の部分が削られている。
だが、カレンは確認を止めた。背後から危険が迫ってきたからだ。
「レミィ、伏せて!」
カレンはレミィを抱えて、墓の背後に回り込んだ。カレンのいた場所に、矢が突き刺さる。
何本か士に当たったが、雨水のように跳ね返って、地面に落ちた。
「扉に入ろう!」
カレンはレミィを抱えたまま、鉄製の扉を押した。
開かない。
「取っ手はどこだろう?」
扉の表面は、滑らかで、取っ手らしきものはなかった。
四角い扉の隣に、薄い光を放つ、突起物があった。
カレンが触れると、どこからか、間の抜けた音が鳴った。聞き覚えのない音である。
扉が開き始めた。
中はこれまでと打って変わり、人工的な装飾をした、小部屋であった。
「行き止まりだ……!」
背後を振り返ると、貝殻頭たちが船から降りて、押し寄せてきた。船は三隻はある。貝殻頭の大群が、カレンたちを亡き者にしようと、武器を振り回している。
扉が、閉まり始めた。
カレンは、扉が閉まりきらないうちに、小部屋に逃げ込んだ。
振り返ると、貝殻頭の一体が、扉に挟まった。槍の穂先をカレンの足を狙うが、カレンは間一髪で避けた。
自殺者が、扉の外から貝殻頭の両足を脇で抱え、背中を反らして引きずり出そうとした。
外で貝殻頭たちが、動かない闘神騎士に向かって、それぞれの武器を向けた。
カレンは闘神騎士を元に戻した。闘神騎士が、緑色の煙を上げて消えていった。貝殻頭たちの武器は、闘神騎士のいた位置で空を切った。
自殺者に足を掴まれた貝殻頭は、腕だけは自由である。扉を強引にこじ開けようと力を振り絞っている。自殺者の背後に、貝殻頭たちが槍を向けてきた。
「自殺者……。元に戻れ! 消えるんだ!」
だが、自殺者は消えなかった。
自殺者は、命令を拒否している!
カレンは、援軍の霊骸鎧を呼んだ。
「堅牢城……リカルド・セプテリオン!」
だが、霊骸鎧は現れない。カレンは、その場で倒れ込みそうになった。
抱き抱えたレミィを落とさないように、床にゆっくり降ろす。
「二体目なんだよ? なんで呼び出せないんだろう……?」
理由はすぐに分かった。カレンの力が残っていないからだ。
扉にしがみついていた貝殻頭が、自殺者との戦いに負け、力尽きた。扉から手を離し、外に引きずり出される。抵抗を失った扉が、閉まり始めた。
自殺者の背中に槍が次々と突き刺さっていく。
自殺者は口から得体の知れない液体を吹きだした。狭い隙間から、自殺者がどこか笑っているかのように、カレンには見えた。
扉が完全に閉まり切った。
「自殺者!」
カレンは叫んだ。
自殺者はカレンの命令を無視してまで残った。カレンのために、自殺行為をしたのだった。
カレンはまたしても、霊骸鎧を犠牲にしてしまった。
小部屋のどこからか、間の抜けた音が鳴った。
カレンは上に向かって持ち上げられる感覚に陥った。この部屋は動いている。
なんらかの強大な力に、である。上に向かって、持ち上げられていく。
初めての感覚に、カレンは床に伏せた。床がせり上がってこないか、天井が落ちてこないか、不安になった。
レミィを見た。食べ捨てられた鶏の骨のように転がっている。このまま朽ち果てていくようにカレンには感じた。レミィを守らなくては。
カレンは床を這って進んだ。
レミィの上に覆いかぶさって、天井の落下から庇った。
部屋の中が音を立てて、揺れる。揺さぶられながら上昇するこの世界は、破滅に向かっているのかもしれない、とカレンは思った。
部屋の動きが止まった。
天井も落下せず、床もせり上がらなかった。
杞憂であった。
拍子抜けしたカレンは、閉じこめられた獣になったような気持ちで、周囲を窺った。
いつもの間の抜けた音が鳴り、扉が開く。