訓練場
1
仲間たちは、廊下を進む。
途中、“毛深き獣”たちの影が見えた。だが、“毛深き獣”たちは、すぐに身を隠し、壁から顔の一部を出して、様子を窺っている。
ボルテックスが、両腕を広げて熊のような威嚇をする。“毛深き獣”たちは、顔を引っ込めて逃げていった。
偽装逃亡といった作戦行動の類には見えなかった。ジョニーたちとの圧倒的戦力差に、“毛深き獣”たちは戦意を喪失したのである。
「もう“毛深き獣”たちに襲われる心配がなくなったな」
ジョニーは、安心した。ただ、もう一戦交えても、勝てる気がしてきた。
扉に突き当たる。
ボルテックスが、扉を押し開くと、中から人影が見えた。ジョニーは、運んでいたダルテを置いて、セレスティナの前に立った。
ボルテックスが足を踏み入れると、部屋全体の壁から、光が灯る。
人影は、台座に乗った像であった。
体型は寸胴で、手足が短い。鼠を思わせる顔つきをしている。子どもが描いた絵を、そのまま立体化したかのようだった。
子どもをあやすような、おどけた仕草をしている。
「人鼠の銅像が、なぜここに?」
と、フリーダが、銅像に触れた。セレスティナが軽く悲鳴を上げて、警告をした。
人鼠の像は揺れ始めた。銅像は見た目よりも軽量で、台座に固定されておらず、音を立てて倒れた。
大理石の床に転がる音が、中身が空洞だと物語っていた。
銅像が、両腕を広げた。動くはずのない物体が動き出し、仲間たちは狼狽えた。
まるで独自の意思をもったかのように、緩慢な動きで、地面を両手の平で穿ち、起き上がった。
中に人がいるかのようだ。だが、中身はない。魔王の魔力によって動いているのだ。ジョニーには、壁の灯りと同じ動力だと理解した。
人鼠の両目は大きい。だが、大きな目は模様にすぎず、中にはさらに小さい穴、のぞき穴がある。針しか通らないほどの狭さで、奥が、赤く光った。
人鼠は、フリーダに視線をむけた。顔つきは無表情であったものの、赤い光には、敵意が宿っている。フリーダを睨みつけているかのようだった。
ボルテックスが、敢然とした態度で、皆の前に歩み出た。
「人工生命体って奴だな。人鼠の人工生命体ってのは、なかなかややこしいな。俺がやる。リコ、下がっていろ。なるべくお前を温存したい……」
背負っていたクルトを、ジョニーに押しつけ、ボルテックスは“光輝の鎧”となった。
ボルテックスが、走り出す。ボルテックスが駆け抜けた跡には、一筋の光を残った。光をまとったボルテックスは、人鼠の横に回り込んで、頬に拳を喰らわせた。
人鼠は、ボルテックスの打撃で吹き飛ばされ、壁に身を激突させた。だが、すぐに、立ち上がった。立ち上がる挙動は、人間そのものであった。
人鼠は、へこんだ顔面を、短い両手で左右から強く圧し、形状を戻した。
腰をかがめて、ボルテックスに突進する。ボルテックスは人鼠と組み合い、腰を落とした。人鼠には馬力があり、ボルテックスの両足が、地面を削って、火花を散らしている。
シズカが興奮した声を出した。
「むむ、あれはスモゥじゃ。……我が国の古来から伝わる、格闘術ぞ? ああ、敵が膝蹴りを繰り出してきた。スモゥでは、膝蹴りは、反則じゃ。これは冒涜なり」
聞いてもいないのに、スモゥなる格闘術について語り出した。
人鼠の膝蹴りを喰らいつつも、ボルテックスは、腰を引き、人鼠の上に体重を乗せ、床に叩きつけた。
「上手い、引き倒しでボルテックスヤマの勝ちじゃ」
と、シズカが腕を組んで、感心した。ヤマの意味がジョニーには分からなかった。
「いいや、敵は戦闘不能になっていないから、勝負は決まっていないぞ」
人鼠が潰された昆虫のように、両手両足を動かし、抵抗する。
だが、ボルテックスは逃がさない。人鼠をひっくり返し、馬乗りになった。
拳を振り上げ、人鼠に殴りつける。何度も拳を鉄槌のように繰り出した。金属で金属を叩く音が鳴り響く。
「馬乗りからの殴打は、スモゥではありえない!」
と、シズカが金切り声を出した。異国のお姫様にしては、なかなか格闘技に対する知識が豊富である。
「いやいや、ボルテックスの対処は正しいぞ。俺も同じ立場なら、パウンド一択だ。……銅像には関節技が効かないだろうからな」
人鼠の顔面が、へこんでいく。最後に破れる音がして、ボルテックスの右腕が、人鼠の顔面を貫いた。
ボルテックスは、人鼠から降りると、高々と腕を上げた。
顔面を貫かれた人鼠は、両腕は力なく垂れ下げていた。
「“顔出し”で、ボルテックスヤマの勝ちだ」
と、ジョニーが微笑んだ。
「スモゥにそんな決まり手はない!」
シズカが全力で否定をした。
ボルテックスは人鼠を投げ捨て、次の扉まで大股で歩いた。
扉は巨大で重厚な素材でできていたが、変身したボルテックスは、造作も無く押し開いた。 ボルテックスは変身を解いた。黄色い煙が立ち上る。
ボルテックスは無言だった。いつもお喋りでうるさい印象であったが、珍しく静かである。 クルトを背負い、扉の向こうに足を踏み入れたボルテックスのあとを、ジョニーは、従いていった。
2
扉の向こうから、音楽が聞こえる。
扉に近づくたびに、音が大きくなった。よく聞けば、軽快な笛の音である。魔王の要塞に似つかわしくない音楽だ、とジョニーは思った。
屈託の無い、笑い声が聞こえる。
扉の向こうに足を踏み入れると、明るい光に、ジョニーは目をくらませた。
視力が回復すると、巨大な円柱をくり抜いたかのような部屋が現れた。
前回と同じである。ただ前回とは違い、頑丈な床があった。
ところどころ穴が空いているものの、穴は柵に覆われていて、誤って落下する心配は無い。 穴からは、十字に組んだ鉄骨が見える。格子状に鉄骨を走らせて、上に床を敷いたのである。
(これほどの技術を持った魔王に、シグレナスは、よく勝てたな)
魔王の遺物に、ジョニーは驚嘆した。シグレナスの数千年先を越えているような気がしてきた。
見覚えのある集団が散らばっている。アイシャをはじめとした、ヴェルザンディである。少し、雰囲気が違うようにジョニーには思えた。
部屋の中央には、半円の舞台があった。シグレナスでよく見かける、劇場の舞台である。舞台の前には椅子が並んでいた。
上からも金属が擦れる音がする。上を見上げると、天井はなく、霞がかかるほど先の見えない空間があった。
白い天井を裂くように、鋼鉄製の立体線路が通っていた。線路は複雑な構造をしていて、宙返りしている箇所もある。
線路の上には、車輪付きの箱……台車が、走っていた。
普通の台車ではない。いくつもの台車が、ムカデのように、連結されていた。人も貨物も乗せず、自走している。
滑車と線路の軋轢が、台車の風を切る音と合わさって、うなり声のような、異様な金属音を立てていた。
「ごきげんよう、シグレナスの同志諸君。今日も祖国と理念のために戦っているかね?」
いつの間にか、ヴェルザンディの王女、アイシャがジョニーたちの前に立っていた。
後ろには、ヴェルザンディの軍団を従えている。
アイシャは、自信に満ちた表情を見せていた。
片手には花束を抱え、頭には、鼠の耳を模した冠を付けている。小麦粉を揚げた菓子を、小さな口に運び、最後の一口を平らげた。
「遅かったね。諸君らの到着を心待ちにして待っていたよ。ここは、魔王の訓練場、と呼ばれていた場所だ。魔王は、この訓練場で練兵していたのだよ」
ヴェルザンディ軍団は、各自、手には菓子やら飲み物を持っていた。
全体的に和やかな雰囲気で、どちらかといえば、休暇を楽しんでいる雰囲気であった。
ヴェルザンディの遙か後方に、銅像が姿を現した。
ジョニーたちの元に、集まってくる。
先ほど倒した、人鼠の同族であった。それぞれ頭部が異なっている。
ある者は、犬の頭部をもち、長い舌を口の外からだらしなく出している。ある者は、鳥の頭部を持ち、怒った表情をしていた。
「増援か……!」
ジョニーは腰を落として、身構えた。だが、ヴェルザンディはまったく反応していない。(ヴェルザンディが、こいつらを手懐けたのか……?)
「おおっと、この子たちは、接待役だ。ここの関門を案内してくれる。襲ったりやしないのだよ」
と、アイシャが肩を揺らして笑った。
動物の頭部を持った銅像……人工生命体たちは、花束やら紐やら焼き菓子やらを手に抱えていた。ジョニーの仲間たちに近寄ると、配り始めた。
ジョニーは、犬頭から、紐の付いた球体を受け取った。球体は重力に逆らって、空中に浮いている。
球体は、初めて触れる、布でも金属でもない、不思議な素材であった。軽く触れると、弾力がある。
手から紐が離れた。球体が宙に浮かんだ。球体は吸い込まれるように、上空に飲み込まれていった。
アイシャが口を隠して、元気に笑った。
「あはは。手を離しては駄目だよ。せっかく接待役同志諸君らが作ってくれたのに」
人工生命体たちのうち一体が、自分たちの胸を指さして、ジョニーたち両手の平を広げた。他の者は腰を低くして、手を振っている。愛想を振りまいているのだ。なかなか友好的な態度である。
魔王の要塞にも、友好的な存在がいる。ジョニーにとっては、意外であった。
セレスティナは知っていたのだろうか?
ジョニーはセレスティナの顔を見た。だが、セレスティナの表情は険しく、誰も寄せ付けない圧力があった。
ジョニーの視線には気づいたのか、眉間にしわを寄せた。
「さて、次の関門だが……出口は四つある」
アイシャが指さす先には、四つの扉であった。それぞれ金色、銀色、銅、そして黒と塗装されていた。
「扉の色が、くぐった先が安全かどうかを意味している。金の扉が最も安全で、銀、銅、黒と、どんどん危険になっていく。……黒は悲惨だ。おすすめはしない」
「そうならないためには、どうすれば良いのだ?」
と、ジョニーが訊いた。
「そうならないために、三つの試練がある。三つの試練を一つずつ勝利した陣営に、鍵が一つ与えられる」
「合計、三本の鍵が手に入るのだな?」
「そうだ。金の扉を開くには、鍵を三本、手に入れなければならない。銀は二本で、銅は一本だ。黒は……鍵がなくても開く。だから、途中で試練が嫌になったら、いつでも黒の扉を越えても構わんぞ。……あと、霊骸鎧で強引に扉を破壊しないでくれたまえ。床が開いて、全員が死ぬ仕組みになっているからね」
「試練を通して、貴様たちと鍵の奪い合いをするのだな。……安全な通路を確保するために」
「左様!」
と、アイシャは、胸の隙間から鎖付きの鍵を取り出した。鍵の飾りは、氷の結晶を思わせる。「すでに、僕たちヴェルザンディは、鍵を一つ手に入れた。……君たちの到着が遅すぎたから、先に始めておいた。君たちには、もう金色の扉をくぐる権利はない」
と、クルトやダルテら負傷者の姿を見て、口元を緩めた。
「フッ。シグレナスの同志諸君。“動く死体”に苦戦したようだね。次に出てくる試練は、もっと大変だよ」
と、アイシャの瞳が、鋭く光った。
良からぬ企みを思い浮かべている、とジョニーは解釈した。
「ねえ、シグレナスの同志諸君。今回の試練は、定員が四人だ。君たちのうち出場者を、僕が選んであげよう。光栄に思いたまえ」
「ふざけるな。いつも貴様は、都合の良い話ばかりする」
と、ジョニーが拒否した。だが、アイシャは動じなかった。
「あのねえ、君たちが遅刻したせいで、一回目の試練を僕たちだけでやったのだよ? どれほど負担だったのか、分からないのかね? 君たちの誰が参戦するのか決めても、バチが当たらないと思うけどね。……それとも、君たちシグレナス同志諸君は、遅刻して僕たちヴェルザンディに迷惑をかけても、平気なのかね?」
アイシャは目を閉じて応えた。声には、歌でも歌うかのような軽やかさがあった。
「よせ、リコ。アイシャ王女に筋が通っている。悔しいが、今はとりあえず条件を呑もう」
と、ボルテックスが苦々しい口調でジョニーに声をかけた。
セレスティナを見ると、焦燥していた。疲れ切った表情を、一生懸命、隠し続けるかのように無表情に務めていた。
ジョニーの中で、鐘の音が聞こえた。、腹の底が割れるような苦痛をもたらす鈍い響きであった。
(この苦痛を、セレスティナが感じているのだ。セレスティナは、負い目を感じている)
と、ジョニーは直感的に分かった。
セレスティナの判断で、仲間たちは“毛深き獣”の巣窟に突入し、結果、負傷者を出したのである。負傷した仲間たちは、苦しんでいる。
セレスティナは、すべての責任は自分にある、と自らを責めている。
これ以上、アイシャと揉めれば、セレスティナを困らせるだけだ。
(覚悟しておけ。蛇女。俺は貴様に負けたのではない。セレスティナのために、今回は退いてやるだけだ)
と、心の中で毒づいた。アイシャは、いつも卑怯で小ずるい真似をする。
アイシャは、ジョニーに笑みを見せ、シグレナスの名簿を広げた。迷っているのか、首を傾げて、小さく唸っている。
「おい、俺を選べ」
と、ジョニーは、アイシャに詰め寄った。非礼な態度に、ヴェルザンディ側が苛ついた空気を放ったが、ジョニーは無視した。
アイシャは、間近に見ると、肌が雪のように白い。ヴェルザンディは砂漠の国と聞く。王家の人間であるアイシャは、日焼けをしない環境で生活しているのである。
「まず君だ。帝国の黒い貝殻頭くん」
と、アイシャがジョニーの胸を、指で突っついた。たとえ非礼な相手でも、簡単に怒らない。王家の威信と余裕をアイシャは崩さなかった。だが、指で突っつく動きも十分失礼だと、ジョニーは思った。
「当然だ」
と、ジョニーは鼻を鳴らした。アイシャの指を払おうとしたが、先に引っ込められた。
「アズバルト・サイクリークス同志、それに、グリフ・ゲイン同志」
アイシャが読み上げると、サイクリークスとゲインが前に進み出た。サイクリークスは前髪が邪魔で、表情が読み取れない。斜視のゲインは、どこを見ているのか分からない。驚きもたじろぎもしないゲインから、ジョニーは不気味さを感じた。サイクリークスが不気味とは思えない理由は、会話をしているからだ、とジョニーは思った。
「最後に、セレスティナ同志……以上だ。セレスティナ同志は名字が無いのだな。ふむ。身分は奴隷だったのか」
と、アイシャは意地悪な笑いを見せた。
ヴェルザンディ側から歓喜の声が上がった。
(セレスティナを矢面に立たせるつもりか!)
ジョニーは、アイシャの邪悪な計画を聞いて、吐き気がしてきた。
「貴様、何を考えている? セレスティナは非戦闘員なのだぞ。しかも、女だ。怪我でもしたら、どうする? ボルテックスに代わらせろ。なんなら、セルトガイナーで構わん」
ボルテックスを排除し、セレスティナとの命令系統を分断させる。サイクリークスと、セルトガイナーとの連携を阻止する。アイシャの意図は露骨で、ジョニーたちの弱体化であった。
「……駄目だね。負傷者をあえて外してあげたんだ。ボルテックス同志やセルトガイナー同志は働きづめだ。休憩が必要だと思ったまでだ。せっかく、僕が諸君らのために知恵を絞ったのに、どうして反対をするのかね? ……これ以上の反論は一切、認めない。もう決定だ。この四人で戦ってもらう。良いかな、セレスティナ同志」
アイシャは、薄目を送って、セレスティナに同意を求めた。
「私は問題ありません」
と、セレスティナが、力強い声で応えた。どこか怒りや恐怖をかみ殺しているように、ジョニーは感じた。
「駄目だ。俺はセレスティナを危険に晒したくない」
とジョニーは、セレスティナに向き直った。
セレスティナは、俯いた。俯いたまま、ジョニーの懐に、潜り込んだ。クリーム色の金髪が、ジョニーの胸に触れて、ジョニーは心臓が飛び出しかけた。
セレスティナのひそめた声が聞こえてくる。
「アイシャ王女は、負傷者を選びませんでした。アイシャ王女のご厚情に感謝すべきです。……ボルテックスの不参戦は、幸運でした」
「ボルテックスもセルトガイナーも元気だぞ? ……それに、ボルテックスは強い。中身は、ろくでもないが、霊骸鎧だけは一流だ」
ジョニーの声が上擦った。セレスティナの頭頂部が、触れるか触れないかの位置を往復しているのである。
心臓が破裂しそうだ。
「いいえ。ボルテックスは、皆に指示を出しながらも、自ら先頭に立って戦い、皆の盾となり、矛となりました。毎晩、不寝番をして、ときには、皆を笑わせ、私たちの探索に貢献してきました」
ジョニーは、ボルテックスを見た。クルトを背負っている。
ボルテックスは身を粉にして、仲間たちを引っ張ってきたのだ。
ジョニーは、ボルテックスを悪く評価していた自分が、情けなくなってきた。ボルテックスの苦悩を、見抜けなかったからだ。
「私は、毎日、休むよう伝えていたのですが、ボルテックスは、受け入れてくれませんでした。“光輝の鎧”の能力は、霊力の消耗が激しく、昨日と今日で何度も、行いました。もう変身どころか歩く体力すら残っていない、と思います。今の消耗しきったボルテックスに任せるくらいなら、クルトがまだマシです」
ジョニーは感動した。セレスティナと会話ができている。
「皮肉な話だな。アイシャの策略が、ボルテックスを休ませる結果になるとはな」
と、ジョニーは、ボルテックスの背中を見た。いつもよりも小さくなっているような気がしてならない。