貝殻頭
いきなりですが、最終回から書き始めます。
途中で挫折しても、安心です(おぃ)
今日は大漁だ。
カレン・サザードは岩に腰掛けた。
岩は、カレンよりも一回り大きく、綺麗な長方形に切り分けられていた。
カレンは、岩の外見から「ベッド岩」と呼んでいた。
ベッド岩の上を両足で立ち、カレンは漁場を一望した。
漁場は、巨大な水たまりであった。周囲を林に覆われており、林の隙間から砂浜が見える。波の音が聞こえるほど、海に近い。
水たまりの水は塩の味がする。地下で海と繋がっており、海の魚がやってくる。
水面の中央には、石壁の残骸が水中から飛び出ていた。石壁の残骸を水中に辿ると、石造りの建造物が現れる。
元々この水たまりには城があった、と聞いている。
カレンは、城なる存在を知らない。実物どころか、絵も見た経験がないからだ。水没した建造物を地上に移して、城を想像していた。
ただ、城の名前は知っている。
シグレナス城、という。
シグレナス帝国は世界の半数を支配していた覇権国家で、首都であるシグレナス城はいわば世界の中心であった。
ベッド岩から立ち上がり、カレンは銛を天に向かって突きだした。
「僕は、シグレナスの皇子だ」
カレンは高らかに宣言した。
母親から聞いていた。自分はシグレナスの末裔だと。
背後には、シグレナスの軍勢が控えている。水たまりに向かって、号令をかけた。
カレンの軍勢が、水中に飛び込む。
兵士たちがそれぞれ魚を抱えて、水中から出てきた……すべては想像であったが。
皇帝になったときの訓練を終えると、カレンは空腹を感じた。
木で編んだ魚カゴの中をのぞき込む。
漁で獲った魚は、すべて売り物にする。魚カゴを枝にひっかけ、水に浸しておいた。魚の鮮度を保つためだ。
カレンは、水たまりから離れて、すぐ近くの草場に移動した。
草むらに、緑色の小さな背中が見えた。
バッタだ。
カレンは忍び寄り、バッタに飛びついた。右手でバッタの視界をふさぎ、左手で捕まえる。
熟練した動きで次々とバッタを数匹捕まえていき、虫カゴに収納する。
ベッド岩には、丸いくぼみが複数あった。手のひらと同じくらいの大きさだ。
カレンは、くぼみの一つに枯れ草を入れ、火起こし器を設置した。
穴の開いた木片に、木の枝を錐揉みさせて発火させる。
火起こしは、本来ならば二人で行うが、友人は漁で水中だ。友人を待つほど、カレンは食欲に強くない。
枝を錐揉みさせると、すぐに木片の穴から小さな煙が出た。火種を乾燥した草に落とし、草、枝をかぶせていく。
虫カゴからバッタを一匹ずつ取り出して、翅と両後足をもぎ取った。木の枝を一本とって、バッタたちを串刺しにする。バッタたちを軽く水で洗う。
水を払い、表面を炙る。表面がみるみる赤く焼けていく。香ばしい匂いが漂ってきた。
バッタの串焼きが出来上がった。
バッタの一匹をくわえると、歯ごたえのある殻が割れ、弾力のある肉の旨味が口の中で反発した。
「美味しいっ」
人生の中で、これほど美味しい食べ物はない。
ベッド岩から水面を眺めていると、小さい泡が吹き出てきた。
静かな波を起こして、少年が顔を水面から出した。カレンはバッタを頬張り、挨拶をした。
「おはよう。オズマ」
「よう。カレン。誕生日おめでとう。……今日で何歳になった?」
幼なじみのオズマ・レイトリクスがベッド岩に手を掛けて、水面から這い上がってきた。
黒い髪から見える顔は赤く日焼けして、両肩が発達していた。カレンよりも一回り体格が大きい。いつも見下ろされているようで、カレンは気にくわなかった。
「十四かなぁ。よく分からないなあ」
カレンは自分の髪を撫でた。オズマとは対照的で、髪は銀色、肌は白く、肩は細かった。カレンもオズマも腰巻きをしているだけで、上半身が裸だった。オズマの胸板はカレンよりも厚い。
自分はシグレナスの皇子なのに、体格的に劣っている。カレンは悔しかった。
「バッタの串焼き、食べる?」
カレンはオズマにバッタを突きつけた。カレンなりの強がりである。
「いや、いらねえよ。……俺は絶対にバッタなんぞを食わねえぞ」
オズマは片手を振って拒絶した。オズマはバッタが嫌いだ。
こんなに美味しいのに。
「それは、僕がシグレナスの皇子だからだよ」
カレンは自分の寂しい気持ちを抑えて、胸を張った。威厳を出すためだ。
「シグレナスの皇帝たるもの、市民を飢えさせてはいけない……からね」
「お前はいつも同じ話をしているな。それに、俺はお前よりも優秀な漁師だ。食うには困らんよ」
オズマは、刃物をつかって魚から内臓を取り出した。昼食の準備である。売り物の魚を自己消費しても、魚はカレンよりも多かった。
オズマが魚を平らげるまで、カレンはオズマに話しかけた。
「オズマ。もしも僕が皇帝になったら、君を執政官にしてあげるからね」
かつてバッタが刺さっていた串を振り回す。オズマが迷惑そうに反論した。
「執政官は二人必要なんだぞ。このシグレナスにはお前と俺、それに母さんしかいない。母さんをもう一人の執政官にする気か」
「お母さんは皇帝の母親、つまり皇太后になる人だ。だから、もう一人の執政官は僕がなる。皇帝だけど、執政官も兼任をするよ。バッタも捕まえなきゃいけないけどね」
「忙しい奴だな」
オズマの視線が、カレンの顔から胸に移動した。視線に気づき、カレンは自分の胸を腕で隠した。
「なに? 僕の胸をチラチラ見ないでほしいな」
「お前の胸、小さいよな。そんなヤワな身体じゃ漁師に向いてないよ」
薄い胸は、カレンにとって劣等感の源だった。的確にカレンの弱点を突いてくるオズマを、カレンは銛で突き刺したくなった。
「僕はシグレナスの皇帝になるからいいんです」
と、薄い胸を張って強がった。オズマはカレンの胸から目を逸らし、水たまりに目をやった。
「なあ、カレン。俺は、シグレナスから出て行くぞ」
オズマの告白に、カレンは魚が銛を頭に食らったような衝撃を受けた。
「どうして?」
「シグレナスは狭すぎる。世界を知りたい。本を読みたい。母さんが持っている本は全部読み尽くしちまったしな。シグレナスで魚を捕まえて食う生活は大好きだ。今の生活に満足している。……お前がいるしな」
オズマは、口を押さえた。慌てて訂正する。カレンにはよく理解できない。
「いや、母さんもだ。でもな、俺は俺の知らない世界で、俺の力を試したいのだ。一度でいいから、城って奴を見てみたい。街って奴を見てみたい。人間がいっぱいいて、食いきれないほどの魚を売り買いしているらしい」
「どうやって生活するのさ?」
「俺は魚を売る。城や街の奴らには負けないくらい、旨い魚を食わせて驚かしてやるんだ」
オズマが熱弁を振るう。
カレンは呆れた。オズマは本を読みすぎだ。空想の世界に浸りすぎて、現実を見ていない。
「オズマ。城や街の人たちって、漁船に乗るんだよ。網を張って、一度に魚を獲る。僕たちが勝てる訳ないよ」
カレンは自分とオズマの銛を、交互に見比べた。
「だったら、俺は船を買うぞ。買って、網も買う」
熱っぽい声を出して、オズマは立ち上がった。非現実的な夢に酔っぱらっているのだ。カレンは止めたくなった。
「オズマ・レイトリクス。お母さんはいつも言っているだろう。この世界は危ないって。とても残酷だって。それにどうやって、シグレナスを出るんだい?」
「簡単だ。ゲントおじさんが来たら、船に乗せてもらう。シグレナスは地続きだ。たとえ途中で船をおろされても、海沿いに歩いていけば、いつかは城か街に辿りつける」
ゲントおじさんは、小船に乗ってやって来る商人だ。カレンたちの魚を買い取り、小麦粉や野菜を売りつけてくる。
オズマの構想が、現実味を帯びだして、カレンは焦った。
「行かないでよ。オズマがいなくなったら、シグレナスの民はお母さんと僕だけになっちゃう」
「皇帝と皇太后しかいない国になっちまうな。……だったら、お前も来るか?」
オズマの意外な申し出に、カレンは息を呑んだ。オズマの瞳は、真剣だった。冗談を言っているとは思えない。
「僕? 無理だよ。シグレナスの皇子だからね。皇子はシグレナスを見捨てない」
カレンは、自分の胸が高鳴っている、と気づいた。
「またそれか」
オズマは飽きたような口調で返す。カレンは自分の手を自分の手で握りしめた。
「それに、お母さんを一人にできないし……」
母親が、一人で寂しく生活する。想像したくない。
「なあ、カレン。母さんが持っている本に、黒塗りの文字があったの、知っているよな?」
「うん。兵士? 災害? 良く分からないけど、人の名前の前後にくっつく奴だね」
カレンは勉強が嫌いだ。ましてや読書など、興味もない。母親が密かに残しておいた本をオズマが熱心に読んでいた。オズマに勧められても、カレンは興味がない。
オズマは声をひそめた。
「あれって、母さんが塗りつぶしたのだと思う……」
オズマが言葉を終わらせる前に、カレンは異常を感じ取った。
「オズマ、伏せて!」
カレンは、オズマの頭を伏せさせた。
水たまりの向こう、林の隙間から人影が見える。弓矢や剣で武装している。
人影がカレンたちに近づいてくる。
カレンは人影を凝視した。顔の表面は目も鼻もなく、滑らかで僅かばかりの光沢を放っている。人間と同じ体型をしているが、明らかに人間の顔ではない。
中には突起を持った者もいて、堅い貝殻のようにも見える。
カレンたちは、彼らを貝殻頭と呼んでいた。
貝殻頭はどこから現れるのか、カレンは知らない。ただ、貝殻頭は人間を殺したり、誘拐したりする危険な存在だった。
「オズマ、飛び込もう!」
カレンは銛を捨て、勢いよく水たまりに飛び込んだ。
貝殻頭は呼び名に反して、海水に弱かった。塩水に溶ける性質がある。しかも体重のせいで、泳げない。
水中に逃げ込めば、貝殻頭は襲ってこない。貝殻頭たちが諦めるまで、水中でやり過ごすしかなかった。
いつもこうして生き延びてきた。水中での呼吸が足りなかった者は、貝殻頭に殺されていった。
いつも漁場にしている深さまで潜った。
(オズマ?)
オズマが従いてこない。上方を見ると、苦悶の表情を浮かべているオズマの姿があった。
最初、カレンはオズマが何か病気にかかったのかと思った。オズマが身体をひるがえしたとき、考えが変わった。
背中から血を煙のように出している。
(オズマ!)
水中のカレンは心の中で叫んだ。両手で水をかきあげ、水面に向かって昇った。
オズマの位置まで辿りつき、腕を掴む。
(オズマ、大丈夫? ……誘導するからね)
オズマの右手を握る。
水中では声が聞こえないが、オズマとは生まれてきてからずっと水中で意志疎通をしてきた。気持ちは伝わる。
オズマは握り返してきた。
潜水した状態で、水たまりの中央まで進む。
巨大な壁が深く水たまりの底まで突き刺さっている。底は暗く、よく見えない。壁には草木が生え、ところどころ穴が空いており、螺旋階段が見える。シグレナスの城跡は捌いた魚のようだ、とカレンは思った。
魚たちが、カレンとオズマを避けていく。
普段ならば、城の深層でやり過ごすところだが、今回はオズマが負傷している。オズマが呼吸が持つとは思えない。
オズマの手を引いて、水面に出た。
水上に露出した城壁に、オズマをもたれさせた。壁を盾にして、オズマを休ませる作戦だ。
カレンは水たまりの周囲から殺気を感じた。貝殻頭たちだ。
風を引き裂く音がした。
貝殻頭の放った矢だ。
直後に、水面を矢が落ちる間抜けな音がした。
カレンが周囲を見渡すと、矢が水中から浮かんできた。
一、二、三本……。
カレンたちは、貝殻頭の射程距離圏内にいる。
オズマはカレンの二の腕を掴んだ。
言葉を発さず、潜れ、と下を指さした。
「オズマ、君を置いてはおけない」
カレンは反対したが、オズマは首を振った。紫色になった唇から声を捻り出す。
「母さんを一人にする気か?」
オズマはカレンの弱点を把握している。
オズマは熱を帯びた瞳で訴えてくる。
(ここで二人、死ぬつもりか? お前だけでも生き残れ)
オズマが熱っぽい身体を寒そうに震わせている。矢に毒が塗ってあったのだろう。
オズマは水中に潜れない。だが、このまま水面から顔を出しておけば、カレンもオズマも矢の餌食になる。
「分かった。ちょっと下まで行ってくる。美味しそうな魚を探してくるよ。……シグレナスの皇帝たる者、臣下を飢えさせてはいけないからね」
カレンは、自分自身が泣いていると気づいた。オズマの手を優しく握ったあと、水中に潜った。
水没した城壁を手で伝って、底を目指す。草や藻を両手で振り払う。
水中に埋まる建造物の中に、横穴のような空間が一カ所あった。
横穴に滑り込み、力を抜く。無駄な体力の消耗を抑えるためだ。身体は浮き上がるが、横穴にいるかぎり、天井に引っかかって水上までには浮かばない。
目を閉じる。
世界は暗いが、水の音しか聞こえない。
ここは水の中だ。
貝殻頭に襲われる恐怖のない、安全な世界。
オズマが頭によぎる。水中にいるカレンには、オズマを救う手だてがない。貝殻頭たちは矢が当たらないように祈るだけだ。
気づけば、手には何も持っていない。銛が行方不明だ。
地上に忘れたのだった。
取りに戻ろう。銛を取りに戻るだけだ。
カレンは、水辺までに潜って進み、浮かび上がった。ベッド岩のある地点に戻る。
水上に顔を出す。
ベッド岩の先に、貝殻頭たちの気配を感じる。
「おおい。こっちだ!」
カレンは叫んだ。視線が集中する。
「水の中が怖いの? 泳ぎ方を教えてあげるから、こっちに来なよ!」
カレンは水中に潜り込んだ。矢が飛んできているのかもしれないが、確認する暇はない。
貝殻頭の視線から逃れて、別の水辺まで潜って進む。
カレンは決意した。
城跡に浮かんでいるオズマから、貝殻頭の注意を引きつける。
貝殻頭が飽きるまで、カレンの体力が尽きるまで、逃げ回る。
カレンは怒っていた。
なにが「お前だけでも生き残れ」だ。
病人が格好つけないでほしい。
僕を誰だと思っている。
「僕はシグレナスの皇子だ!」
水面から顔を出し、怒りとともに叫んだ。
皇子には、臣下を守る義務がある。
空から何かを感じる。空気を裂いてやってくる物体は、銛だった。
身をかわす。皇帝、というより漁師に追われる魚である。銛が軽い音を立てて、水面に突き刺さった。ゆっくりと横に倒れていく。
カレンは観察に時間をかけすぎた。
カレンは空中から迫る影に気づいたとき、はじめて貝殻頭たちの真意を理解した。
銛は陽動だった。カレンの注意をひくための罠だった。
カレンの頭上めがけて、岩が飛び込んできた。