春に君を想う
これはまだ幼稚園の頃の記憶だったはずなのだが、なぜかはっきりと鮮明に覚えている。
『生まれ変わっても、ずっと一緒にいようね!』
そんな約束を幾度も交わした女の子がいた。
いわゆる幼馴染だ。家が近く、とても仲が良かった。花が咲くように笑う、俺の初恋の相手。たぶん両想いだったと思う。
今はもう二十歳になり、大学生活も折り返し地点を過ぎている。十数年前に好きだった女の子のことなどどうでもいい。そうは思うのだが、なぜか忘れられなかった。
おかげで未だに彼女いない歴=年齢を毎年更新し続けている。どれだけ女の子に出会おうと、親密になろうと、あの子のことが脳内でチラついてしまう。
そのたびに思うのだ。あの子以上に好きになれない、と。例えば運命の赤い糸が実在したとして、俺は彼女と結ばれる運命にあるから絶対に他の女性を好きにはなれないようになっていると言われれば信じてしまいそうである。
桜の季節。よくあの子と遊んだ地元の小さな公園で、七分咲き程度の桜をベンチに座ってぼんやりと眺める。風に揺られる桜色の花びらはただ美しく、公園内の景色は何年たっても変わらない。このまま十数年前にタイムスリップしても、何も気が付かないのではないだろうか。
「桜、綺麗ですよね」
不意に、声をかけられた。声の方に顔をやると、中学生ぐらいの女の子が体の後ろで手を組んで立っていた。
見ず知らずの、しかも異性に声をかけるとはなかなかのコミュニケーション能力だ。少なくとも俺には絶対できない。
どう答えたものかと少し思考を巡らせていると、少女が再び口を開く。
「私、最近この辺に引っ越してきたんです。四月から高校生なんですよ。お兄さんは近所の方ですか?」
「ああ。すぐそこだよ」
公園からも目視できる一軒家に人差し指を向ける。すると少女は目を丸くした。
「すごい、はす向かいさんですね。私の家はあの新築です。これからよろしくお願いしますね」
なるほど。新しいご近所さんというわけだ。丁寧に頭を下げる少女に習って、こちらも軽く会釈する。
「よろしく。この町でわからないことがあったら気軽に聞いてくれ」
「本当ですか!? もしお暇でしたら、今からさっそく案内を頼みたいんですけど!」
……社交辞令のつもりだったのだが。とはいえ暇ではあったので、俺は自分から言い出した手前、仕方なくベンチから立ち上がった。
「携帯の地図アプリ片手に散策なんて味気ないじゃないですか。やっぱりこういうことは人と楽しくおしゃべりしながらに限ると思うんです」
「そうかもな」
「この辺って意外と色んなお店があるんですね。とくに不便はなさそうです。都会とはあまり呼べないような場所なのに」
「一応、駅には新幹線も止まるからな」
大学生がJK未満と並んで歩くというのは世間体的に大丈夫なのだろうか、などとくだらない考えがよぎったが、はたからすればたぶん兄妹とかに見えるだろうと自分を納得させ、二人で町の中を歩いていく。
俺にとっては見慣れた風景でも、彼女にとってはすべてが新しい。コミュ力が高いこともあってか、出会って一時間も経っていないというのに会話は途切れることがなかった。
「お兄さんに案内を頼んで正解でした。想像以上に楽しいです。やっぱり一期一会、出会いは大切にしていかないとですね」
身長差が結構あるため、彼女は覗き込むような上目遣いでそう言う。ニコニコと、酷く魅力的な笑顔と共に。
「……ああ」
またいつものだ。脳裏に『あの』顔がチラつく。
しかし……今回はどうにも毛色が違う。
笑顔が、重なる。幼馴染と、この少女の笑顔が。
幼馴染のあの子がそのまま成長したら、まさしくこんな風になるのではないだろうか。そんな、面影を感じられる。
「? どうしました?」
「いや。お前、中学生時代とかモテただろ」
「それは遠回しに私のことを可愛いって言ってくれてます? 悪い気はしないですよ」
「コミュ力高くて接しやすいし、距離が近くて笑顔が多い。思春期の男子なら簡単に惚れそうな要素が揃ってる」
「そういうことですか。まぁ確かに、自慢じゃないですがモテましたよ。好きでもない男子に迫られるのって面倒くさいことこの上ないんですけどね」
「だろうな」
「ちなみに彼氏はいたことないです」
「聞いてない」
「でも、気になってたでしょう?」
ギクリと動揺してしまう。そして動揺したという事実に気が付き、俺が無意識のうちに彼女のことを気にかけているとわかった。
あの頃の……幼い頃の、物心つかないうちに感じていた恋の熱が蘇ってきている。
「んなわけねーだろ」
「えぇ~? 本当ですかね?」
疑いの視線から逃げるように彼女の前を歩く。数歩後ろからつかず離れずついてくる様は、やはり幼馴染と姿が被った。
桜の花は八分咲き。ろくに遊具もないこんな小さな公園で花見をしようとする物好きなどいるはずもなく、時々近所の人が通りがかりに眺めるのがせいぜいだ。
「桜、好きなんですか?」
「そうだな。一番好きだった」
「だった?」
「……違うな。ずっと好きだよ、小さい頃から」
「どっちなんですか」
「どっちも」
後ろから近付いてきた少女が、ストンッと俺の隣に座る。言わずもがな、はす向かいの新高校生だ。
「前もここにいましたけど、そんなに暇なんですか? 友達と遊んだりとかしないんですか?」
「そりゃお前もだろ」
「言ったでしょう、引っ越してきたばかりなんです。まだ友達なんてお兄さんぐらいしかいませんよ」
「俺ら、いつの間に友達になったんだ?」
「あーっ、そういうこと言っちゃいます? わかりました、では連絡先を交換しましょう。そしたら晴れて友達です。いいですよね?」
「別にいいけど」
図らずも女子高生の連絡先をゲットしてしまう。これ大丈夫なんだろうか。一抹の不安が募る。
『これからよろしくお願いしますね♡』
「この距離でメッセージのやり取りする必要ないだろ」
『空気読んでください』
適当に可愛いマスコットキャラが土下座しているスタンプを送ると、熊をモチーフにしたキャラが大笑いしているスタンプが返ってきた。いったい何なんだ。
と、ここでふと疑問が浮かぶ。
「この登録名は本名なのか?」
『……』
面倒くさいな。
『この登録名は本名なのか?』
『お兄さんこそ、これ本名ですか?』
『あだ名だよ。それで、どっちなんだ』
『さぁ、どう思いますか?』
『教えてくれないならいい』
『もう少し好奇心を強く持ってください! ちなみに本名ですよ。苗字はご存知ですよね?』
『表札は見たからな』
つくづく、彼女は幼馴染と重なるところが多い。さすがに苗字は違うものの、名前まで同じとは。まさかと思いプロフィール欄を確認すると、なんと誕生日まで一致していた。こんな偶然があり得るのだろうか。
少女はスマホを鞄にしまいながら言う。
「さて、それじゃあ今日はどこに行きますか?」
「は?」
「まだ行ってないところ、色々ありますよね。前回は散策で終わりましたけど、今日は遊びたいです。いわゆるデートというやつです」
「お前、彼氏いたことないんだろ? そんな簡単に男とデートしていいのか」
至極当たり前の質問をすると、少女はキョトンとした表情を浮かべて首をかしげる。
「あれ。それもそう、ですね? んー? まあいいんじゃないでしょうか。私、お兄さんのことは嫌いじゃないですし」
「そうか」
本人がいいと言うのであれば構わないだろう。悪い気もしないしな。
ニュースによれば今日は九分咲きらしい。
明日には花が完全に開き、満開となる予測なのだとか。
「昼間からお酒ですか。いい御身分ですね」
「いいだろ、花見で酒飲んで何が悪い」
またもやはす向かいの少女が公園にやってくる。そして当たり前のように俺の隣に座った。家で高校生活の準備をしておいた方がよほど有意義だと思うのだが。
「お花見、ですか? 会うたびにしてるじゃないですか。それに満開は明日って天気予報で言ってましたけど」
「満開の桜は嫌いなんだよ」
「あー、気持ちはわからなくもないです。あとは散るだけですもんね。綺麗ではあるんですけど、なんだか寂しい気持ちにもなります」
「確かにそれもあるけどな」
アルコール度数の低いジュースみたいな酒を喉に流し込む。すると少女はうらやましそうにこちらを見つめていた。
「……ちょっとだけ飲んでみたいです」
「ダメに決まってんだろ」
「間接キスになるから?」
「お前が未成年だからだ」
「顔赤いですね」
「あんまり強くないんだよッ」
恥ずかしいわけでは決してない。第一、もうそんな歳でもない。これがノンアルコールのジュースだったらすんなり渡していた。本当だ。
「お酒っておいしいんですか?」
「俺もよくわからん。少なくともビールは美味いと思って飲んだことがない。カクテルはジュースの延長線上にあるんじゃないか?」
テキトウなことを言いながら、もう一口飲む。
「じゃあそれはおいしいんですか?」
「ん? まぁな……あっ!」
突如、少女は俺が持っていた缶をふんだくって迷わず飲み口に口を付けた。
「――って、中身残ってないじゃないですか!」
「そんなに関節キスしたかったのか?」
「お酒が飲んでみたかったんですっ!!」
顔を真っ赤にした少女は立ち上がり、カンッ! とベンチに空き缶を叩きつけるように置き、そのまま走って公園を出ていった。その後、家の門を勢いよく開けたところで……こちらを振り向く。
視線がバッチリ合った。
彼女は慌てて向き直ると家の中に入っていく。
……もう一本飲むか。
隣に残された空き缶を掴み、一瞬だけ飲み口に目を奪われながら放り投げる。ダストシュートは一発で成功。
俺はコンビニの袋から缶を取り出し、プルタブを開ける。そして強い酒を飲めないことに少しだけ苛立ちを覚えつつ、さっきとは違う味の酒を呷った。
「プレゼント用ですか?」
「はい、そうです」
「では包装させていただきますね」
アクセサリーショップで、まだ若い綺麗なお姉さんから、丁寧にラッピングされた箱を受け取る。
帰宅中、俺は今までいったい何をしてきたんだろうかと考える。
こんなものを買って何になった?
この行為にいったいどれほどの意味があった?
ない。
意味などない。
にもかかわらず、なぜかやらなければいけないという衝動に駆られていた。
いつもの公園にたどり着く。
桜は満開だった。
ベンチにはすでに先客がいた。
幼稚園児ぐらいの、小さな女の子だ。
「……、誕生日おめでとう」
勇気を振り絞って話しかけると、小さな子供はニッコリ笑って、こちらを振り返った。
『ありがと! やっと話しかけてくれたね!』
ちょいちょい、と小さな手で手招きをする女の子。俺はゆっくり、ゆっくりと近づいて隣に腰かける。
すると女の子は、足をプラプラさせながら問いかけてきた。
『ねぇねぇ。桜のこと、好き?』
「ああ、好きだよ。綺麗だし」
特につっかえることもなく、すんなりと口にできた。
『えへへ。嬉しい』
「お前のことじゃねぇよ」
『ぶー。酷いんだ』
言いながら頬を膨らませ、満開の桜を見上げる。つられて、俺も視線を上げた。
一本桜。決して大きいわけではない、小さな公園に寂しく佇むソメイヨシノ。
あの子は、これが大好きだった。
『よくこの公園で遊んだよね』
「あの頃はもう少し広いと思ってたんだけどな」
『今も広いよ?』
「……そう、だよな」
大人になると当たり前だが体も大きくなる。目に見える世界は随分とサイズを縮めてしまう。
景色は何も変わっていない。変わったのは俺だけだ。
「なあ。誕生日プレゼント、いるか?」
俺は、震える声で言った。しかし女の子は首を振る。
『んーん。いらない』
言われて、苦笑することしかできなかった。
やっぱり、こんなことに意味はなかったんだ――
『毎年一緒にいてくれるだけで、充分うれしいよ』
――……。
ああ。そうか。
意味がなかったんじゃない。
必要なかっただけなんだ。
「それなら、よかった」
女の子は満足そうにうなずいた。
『ん。できれば今日みたいに、桜が満開の日も一緒にいて欲しかったけど』
「はは。ごめんな」
『でもいいの。これからはずっと一緒にいられるから!』
「え?」
いつの間にかベンチから女の子の姿は消えていた。
最後に、春風に乗せてかすかな声が耳に届く。
『私、言ったよ? 「生まれ変わっても、ずっと一緒にいようね!」って』
満開の桜をぼんやりと眺める。
思い出すのはあの日のこと。
「今日もお花見ですか?」
「いや。過去と向き合ってただけだ」
「なんだか大人っぽいですね」
「大人なんだよ」
俺の隣に躊躇なく座ってくる。
かつての幼馴染によく似た、不思議な少女。
「そういえば昨日は聞きそびれたんですけど。どうしてお兄さんは満開の桜が嫌いなんですか?」
「幼馴染を思い出すからだ」
「……女の子?」
「女の子」
「ふーん」
少女は水泳の授業でするバタ足のように足を揺らしながら問いかけてくる。
「その子が好き、とか?」
「間違いなく好きだったよ」
「即答ですか」
「でも、死んだ。交通事故であっけなく。今日が命日だ。あの時も桜が満開だった」
親の目から離れて、少し遠くまで遊びに行ったのがすべての間違いだった。
大きな交差点。
信号を無視して突っ込んでくる乗用車。
俺の手から一瞬で離れていく温もり。
なぜ俺だけ助かったのか。
なぜあの子だけ死ななくちゃいけなかったのか。
いくら考えても答えなどでない。
ただ、あの時。
俺は間違いなく彼女を助けられるはずだった。
恐怖で足がすくみ、立ち止まって目をつぶった。
その直後、俺に手を引かれて数歩後ろを歩く少女は撥ね飛ばされた。
もし。
咄嗟に手を引っ張って、こちらに彼女を抱き寄せることができていれば、助けることができたかもしれない。
たらればの話など嫌いだが、これは俺の一生の後悔だ。
だから、誰も好きになれないのは呪いだと思っていた。
桜が咲く季節になると、毎年この公園に来る。
満開になると、いつもあの子がベンチに座っている。
でも、話しかけられなかった。
俺に対してどんな感情を向けるのか、知るのが怖かったからだ。
彼女の誕生日であり命日でもあるこの日は毎年プレゼントを買った。
それを持って公園に行き……でも、彼女の亡霊に話しかける勇気は結局出ず、家に戻る。
渡せなかったプレゼントは押入れの奥に押し込む。
十数年分のプレゼントは、今でも押入れの奥で眠っている――。
「……ありがとうな」
「えっ、むしろ話の流れ的に、私が謝るところだと思うんですけど」
「言ったろ、過去と向き合ってたって。もう踏ん切りはついたんだ。お前と出会えたおかげでな」
「は、はぁ……?」
意味が分からない、というふうに少女は首を傾げた。当然だ。幼馴染と君が似ているというのは俺しか知り得ないことなのだから。
でも、彼女があの子の生まれ変わりであろうとなかろうと、そんなことは些細なことだ。
「誕生日おめでとう桜。これ、やるよ」
俺はついさっき買ったプレゼントを手渡す。
「わっ、いいんですか!? 例え知り合って間もない人であっても、こういうのは遠慮なく貰っちゃいますよ私!」
「そりゃ桜のために買ったんだから、貰ってくれなきゃ困る」
「開けてもいいですか?」
「もちろん」
少女は宝物でも扱うかのように丁寧にラッピングを取り去り、小さな箱を開ける。その中身を見て、とびっきり目を輝かせた。
「桜のペンダント!」
「似合うと思ってな」
「つけてください!」
「……俺が?」
「他に誰がいるんですか。ほら、早く!」
言われるがまま俺はペンダントを受け取り、後ろにまわらされる。断るわけにもいかず、俺は少女の髪から漂うほのかな香りに緊張しつつ、ペンダントをつける。
「わぁ……! なかなかいいセンスしてると思いますよ。この私が保証します」
「喜んでもらえたようでなによりだよ」
スカートを揺らしてその場で一回転する桜。
もうその笑顔に幼馴染の面影が重なることはなかった。
「やっぱり、綺麗だな」
「? なんですか?」
満開の桜の木の下で笑う少女に、俺は完全に見惚れていた。
「あっ。そういえばさっき私のこと、名前で呼んでくれましたよね? せっかくですから私もお兄さんのこと、これからは名前で呼んでいいですか?」
「好きにしろよ」
「はい、好きにさせてもらいます」
桜はスキップするような軽やかな足取りで公園を出ていく。
「ペンダントありがとうございます。大事にしますね、遥さん!」
そう言い残して、彼女は走って帰っていった。
……そういえば俺、一度でも名乗ったことあったっけか?
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