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職業魔法少女  作者: 襟裳岬
3/3

裏方魔法少女

 だむ、だむ、だだむだむだむ!

 とあるアーケードに面したゲームセンターの一角にあった、某ゲームメーカーのダンスゲームの上で、茶色い短髪の女子高生が軽快な音楽のリズムに合わせ、必死になってステップを踏んでいた。

 数人のギャラリーがモノ珍しげに見ているほか、もうひとつの筐体は誰もついていない。

 それもそうだ。Tシャツ姿の女子高生がかれこれ四十分以上、汗水垂らしてダイナミックに暴れまわっているのだ。隣でやるのは気が引ける。

 下にノースリーブを着ているのか、体にぴったり張り付くような事はないが、首回りから背中にかけて、染みこんだ汗で完全に変色している。

 普通の女の子なら軽快にとろとろ刻むステップも、彼女の場合はステップの度に崩れそうになる重心を、台を蹴り飛ばす事で持ち直し、まさに脚力だけで支えている。というか、既にバテバテのゴール寸前のマラソンランナー並。

 ほんのわずかの休憩ステップの直後、ラストを締める、画面を埋め尽くす矢印の群れがせりあがってきた。

「…っん!」

 一瞬吐いた息を一気に引き締め、軽く腰をひねって斜めに構える。

 体の流れで1つ目、蹴って2つ目、流れの反対足で3つ目、4つ目…

 1秒で4つ近いステップを踏ませる最後の流れを、リズムとパターンで巧みに乗り切る。既にかかとまで着地しているその凄まじい足音を除けば。

 その流れ落ちる汗が、もうすぐフィナーレを迎えようとしたその数秒前、いったん後ろを踏んだ足を右へ滑らせた時。

 つるっ、ごがんっ!

 ふんばって左につなげようとしたその右足が一気に滑り、彼女が台の上で派手に転倒した。

「あいたたたた…」

 腰をさすりながら慌てて身を起こせば、画面の方は濁流のごとく流れる矢印が、あっというまにゲージを減らしているところ。

 げっ!

 とっさにそこで右手右、前、左足でしゃがみと一気に体制を建て直し…

 づるっ、どたんっ!

 片足だけで一気に起き上がろうとして、また足が抜ける。どうやら転倒した時に派手に汗をまきちらしたらしい。

 それが最期の一撃となり、ゲームの方は完走直前というところでゲームオーバーとなってしまった。

「だーからいわっこっちゃない。かなみ、汗が引くまで休んだら?」

 あっというまにゲームオーバーになり、我関せずと散っていくギャラリーの中で、ずーっと2P側のガードパイプによりかかっていた一人の女子高生が声をかけた。

「ちーっ、思いっきり汗かいたもんなぁ…」

 タオルもなく、思いっきり両手で顔面から前髪まで一気に拭きあげ、その手をぱんぱん、と払って汗を飛ばす。

「そーゆー和美はいつまで休んでんのよ。陸上部の元エースの名が泣くわよ」

 汗で髪の毛がつんつんになったまま、1P側のガードパイプにひじをついて休むかなみの言葉に、汗ひとつ染みていない長い髪をさらっと撫でて、

「引退したんだもーん。ってあんたも受験すんでしょ?」

「あんたは推薦でしょーが…しっかし、さすがにSSRはしんどいわ…」

 よりかかっていたガードパイプに上半身を投げ出し、だらーんと両手をぶら下げる。

「ふつー3週間でそこまで上達するかなぁ…今日は仕事もあるんだし、いいかげん終りにしない?」

 和美に言われて、かなみがジーンズのポケットに手を突っ込んでごそごそと小銭を取りだした。

「あと六百円だし、これやったらまとめて休憩取るわ」

 ちなみにこのゲーセンでは、1回百円。1ゲーム3曲を6回、計18曲。

「あ、そ…」

 呆れ返ってそのまま筐体の後ろの休憩用ベンチに戻ってゆく。

「あー…そーゆー事か…」

 ゲーム機にコインを入れようとしたかなみが、ちらりと腕時計を見て思い直した。

「和美、あんたあとどのくらいで仕事だっけ?」

「んー、あと五分ぐらいしたら行くわ」

 飲みかけの午後ティーの缶をちびちびとやりながら、左腕の腕時計を見た。

「あたしはあと二〇分ほどかぁ…じゃあ、あと2回ほどでやめとこ」

 すぐ止める、という選択肢はないらしい。

 コインを入れ、スタートボタンを押す。…設定を変える為に踏むコマンドステップも、かなりしんどそうではあるけれど…

 それでもハイテンポの曲を選び、スタートボタンを叩く。

 と、その時だった。

 …づぅ…ん…

 重い地響きと、軽い地震がかなみ達を揺らす。

「…和美、行かなくていーの?」

 ざわめきが走るゲームセンターの中で、流れる矢印もそのままにして台から降りたかなみが、何気に音の方向を向いただけの和美に顔を寄せて小声で聞いた。

「…いーじゃん。予定は十時二〇分、変更の電話もないしさ」

「いいったって、あれ、どうせ鉤さんしかないじゃない」

 それほど離れていないのか、派手な破壊音にまぎれて車のクラクションが響き渡る。

 どうやらいつもの「事件」が発生しているらしい事は、ゲームセンターの誰もがわかった。

 慌てて外に走り出す奴、携帯に電話して見物人を呼ぶ奴、見飽きたか、それでもゲーム台に張り付く奴。

 そして。

「先に行ったって仕事に入った時間しか給料出ないしさ、あんまりそーやって『はいはいなんでも致します』みたいなことしてると、そのうちナメられるわよ」

「ほんっとに、悪党ね…」

 ベンチの隣に座り、そういえばさっきからテーブルにあったぬるいアクエリアスのボトルに手を伸ばす。

「はいはい、悪党で結構。二人とも悪党やってお金もらってんだし」

「あたし一応、正義の魔法少女…なんだけどねぇ…」

 とぅるるるるるる…

 その時、和美の持つ携帯電話が鳴りだした。着信表示は鉤の持つ携帯からだ。

「ほら、来た」

「はいはい…」

 かなりうざそうに、和美が電話に出た。

「はい、栗山です。…はい、あぁ、やっぱり…へぇ…あ、そー、はい、わかりました」

「…どしたの?」

 急ににこにこ顔になって立ち上がった和美に、かなみが不思議そうな顔をする。

「今日は時間手当て出すからすぐ来い、ってさ」

「え?あ、ちょっとちょっと!」

 とっとと走り出した和美に、かなみが慌ててペットボトルを飲み干してごみ箱に放り込み、ついてゆく。

「時間手当て出るって、そもそも、なんでよ?」

「え?なんか緊急事態が起こったからすぐ来てほしいってさ」

「…それが先でしょーがっ!急ぐわよっ!」

「はーいっ!」

 ゲェセン飛び出しダッシュ一発、国道の赤信号を無視して二人が走る。


 新城かなみ。これでも新進気鋭の魔法少女二ヶ月目。

 栗山和美。これでも一応悪の魔法少女二ヶ月目。

 ちょっと問題があるとすれば、悪党含めて全部グルになってる事ぐらい。




 やがて、二人が現場近くにたどり着いた。

 日曜の午後、繁華街も近くという条件のせいか、すでに野次馬が大量に集まっていて「おー、すげー」「あんなの初めて見たぜぇ」なんて声が飛び交っている。

「はいちょっと通して通してっ!」

 息が詰まるぐらい押しあう中を通りぬけ、かなみと和美が最前列に出た。

「…何もないじゃん」

 しかし、群集の前に広がるのは、何の変哲もない…まぁ、ひとっこ一人いないコンビニの角、っていうのもある種奇妙なものだけど。

 みきみきみきっ!

 と、いきなりその角に立っていた電柱が激しくゆれ、電線が弾けた。そして揺れに耐えかねたか、電柱の根元に亀裂が入り…

 だぁぁぁぁっ?!

 いきなり電柱がこっち向かって倒れてきたのだ!

 慌てて逃げ出す群集に、かなみが必死でついてゆく…が。

 ぐぎっ!

「あだだだだっ!」

 かかとに激痛が走り、その場に腰砕けになる。

 その間にもみるみる内に電柱の影が迫り…

 ずしゃ~んっ!

 倒れ込んだ電柱を、ほとんど間一髪で転がってかわした。

 た、助かったぁ~…DDR、やりすぎたか…

 なんてため息ついていたその矢先。

 ずしゃんっ!

「だぁぁぁぁぁぁぁ?!?!?!」

 いきなり目の前に、空から巨漢が降って来た。

 身の丈2mはあろうか、浅黒くつややかな皮膚に、細く長く伸びた奇妙な腕、その顔も…前言撤回!巨漢じゃなくて怪物だっ!

 そいつがいきなり振り被り、かなみめがけて拳を突き出す!

 ばごぉんっ!どごっ!

 よつんばいになって逃げ出したかなみがかろうじてかわしたその場所に、歩道のアスファルト舗装を貫いて深々との腕が突き刺さる。

 ど、どうなっとるんじゃぁっ?!緊急事態って、暴走しとるこいつの事か?!

 手を突いて反発力で立ちあがり、一気に逃げようとするが…

 ぐぎっ!

 こっ、今度は腰かいっ!

 走ろうにも足腰は既にがくがく、幸い両手が効くので、はいつくばって上半身の捌きだけでの繰り出すパンチをかわしてゆく。

『かなみ!こんなとこで何やってんだよっ!』

 と、いきなりすぐ近くから縞の念波が飛んできた。

 見れば、少し離れたところにいつもの黒猫の姿をした縞がやってきている。薄いオーラを発しているところを見ると、一般人に見えないように姿を隠しているらしい。

『見りゃあわかるでしょ?!ちったぁ助けなさいよ!』

『…またDDRやってたのか…じゃあ引っ張るから、ちょっと我慢して!』

 と言った矢先、かなみの体がぐん、と見えない力に引っ張られ…

 ぐぅんっ!

「だぁぁぁぁぁぁ?!?!?!」

 かなみの体が、いきなり路地裏までふっ飛んでゆく。

「しっかし、説明も聞かないうちから飛びだすなよなぁ…」

「あたしだって飛びだしたくて出たわけじゃないわっ!」

 路地裏に文字通り「投げ込まれた」かなみが、やってきた縞向かって吠える。

 路地の外では、あの怪物がかなみがどこへ行ったのか、きょろきょろ探している。

「で、なんなのあれ?やられ役の作ってみたの?」

「それなんだよ…あれ、うちのじゃないんだ」

「うちのじゃない?どっか他の奴?」

「たぶん。今、本社で確認取ってもらってるから、その内返事あると思うよ」

「ふーん…しっかしまた、派手なの用意したわねぇ」

 かなみがバトンを片手に現す。

「え、行くの?まだ照会終わってないのに」

「どっちみち倒す為に作ったんだったら、どこのだろうと大してかわりないじゃん」

 振り上げたバトンを、力いっぱい壁に叩きつける。

 キィィィィンッ!

 脳天まで突きぬけるような甲高い衝撃波を浴び、一瞬でかなみの姿が縮み、魔法少女の姿になる。

 どこでも一瞬で変身が完了するので非常に便利なのだが、副差用として激しい頭痛と平衡感覚の喪失、一瞬だが目が見えなくなる事。

「…いーかげん諦めて踊れば?その服も使うようになったんだしさ」

 体力がほとんどないところへのその一撃に、その場に崩れ落ちたかなみ向かって縞が優しい(?)言葉を投げかける。

「…ぜ、ぜったい嫌…」

 ピンクのフリフリスカートにおっきなリボンを胸につけても、どうしても「変身アクション」だけは嫌だったらしい。

 ようやく頭を振りながらかなみが立ちあがり、バトンを構えてスタンバイする。

「よっしゃ、縞、出るわよ」

「へーい。って毎回俺、何にもしてないけど」

「一言多い!」

 そして、かなみが表路地へと駆け出した。

「こらぁっ!そこのさっきから街を破壊しているそこの…」

 …なんと呼ぶべきか迷ったわけ…もあるが、それより…

 青い空の彼方から、いきなり数十発の光球が降って来たのだ!

 かっ、和美かぁっ?!

 どがばごばばばかぁぁんっ!

 怪物の周辺(+かなみの近く)に落下した光球が爆発し、あたり一体がほこりまみれになる。

『こんな極東の島国にまでクリーチャーがいるなんて、世の中どーなってんのかしらねぇ?!』

 煙の中、かなみの耳に覚えのない一人の少女の声が響く。しかも何故か完全英語だ。

 やがて風が煙を払い、かなみに背を向けた怪物の向こう側に誰かが立っているのがわかった。

「だっ、誰?!」

「聞いてくれてありがとう!私の名前は『正義の魔術士、ジャスティスガール』!」

 じゃ、ジャスティスガール?!

 一瞬某格ゲームの事が頭を過ったが、それは絶対関係ない。(筆者談)

 とりあえず日本語で返ってきた返事から、相手がどうも魔法を使うバイリンガル少女らしい事だけはわかった。

「ディメンジョンクローズ!」

 なんかよくわからん必殺技の名前を叫び、華麗に伸ばした右手から青白い雷光が伸びて怪物を包み込む。

 ギョォォォォッ!!!

 断末魔の悲鳴を残し、見る見るうちにしぼんで最後に灰となって風に流されていった。

「んっふん!今日も全勝、調子ばつぐんっ!」

 なんかガッツポーズまで決めている。

 なんか関わりあいにならない方がいいような気がしたが、その前に相手と目線が合ってしまった。

「ふーん、あなたが新聞で見たニッポンの魔術士ね。ないすとみーちゅ!」

「え、あ、あの…」

 いきなりフレンドリーに近づいてくるそいつに、かなみが後ずさりしながら路地裏に逃げ込む。

「あ、ちょっとぉっ!」

 その魔法少女が路地裏に入った時には、既に二人の姿はなかった。

 ん、また会えるかしら?今日は引っ越したばっかりだし、かーえろっと。

 すたすたと路地から出ていき、しばらくして魔法で姿を消していた二人が再び姿を現した。

「な…なんなの、あれ…」

「なんとなく、そーだろうとは思ってたんだよなぁ…」

 縞が言った。

「あいつら、別のところの悪役だったんだ。…つまり、別のところの魔法少女がやってきた、ってことだよ…」




「まぁ、要はそういう事だな。こっちもあんまりにも急だったんで…な」

 使い古された木製のちゃぶ台を挟み、かなみの真剣な問いかけに、鉤がタバコをふかしながら答えた。

 ここは鉤の住むアパート。うす汚れた白の漆喰壁に古びた畳が六枚ほど、台所とトイレぐらいの簡素な学生アパートだった。

 ちなみに縞と和美は、コンビニまで弁当と飲物の買い出しに行っている。

 鉤が言うには、今日もいつもどおり悪事を起こすべく、入念に周辺の測量作業を進めていたところ、突然あいつらが現れ、街を無差別に破壊していったということだった。

 その後の状態は最悪。復旧処置もなし、被害者救済もなし、まるで本物の悪の魔法使いが現れたような状態だった。

「不意…っていうけどさ、せめてほかにも魔法少女がいることぐらい、教えてくれたっていいでしょ?!なんで教えてくれなかったのよ?!」

 まくしたてるかなみに、立ち上がった鉤が古めかしい箪笥の上にあった、これまた古めかしい物入れから書類を探し出し、かなみの前に突き出した。

「これだけたくさんの、か?」

「こ、これだけ…」

 かなみが絶句するのも無理はない。

 差し出された書類は数十枚、その一番上は目次らしいが、その数は軽く二〇人は超えている。

「…魔法少女って、一人じゃないわけ…?だって、女王が指名したんでしょ?」

「そう。わが国の女王が、だ」

「…ちょ、ちょっとまってよ。んじゃ何なの?魔法の国ってのはいっぱいあって、それぞれの女王様が勝手な魔法少女を任命してんの?!」

「勝手じゃない。それぞれの国家の主権だ。色々問題にはなっとるが、とりあえず、今はそうだ」

 魔法少女を任命すんのとミサイルの発射は同類かい…

 かなみが頭をかかえてうめく。

「まぁ、それでも魔法少女を任命して送り込むなんて国家はそうあるわけじゃない。それに、目立って行動してるのは今のところ、うちら日本組だけだったからな。で、あいつの名前なんだが…」

 鉤が片手でちゃぶ台に広げた書類をめくってゆく。

「こいつだ。本名はセシル・ミラ・アーリス。魔法少女としての名前は『ジャスティガール』。元々の活動拠点はアメリカだ」

「へぇ…ずいぶん細かいことまで載ってるのね」

 書類に貼り付けられた履歴書のような写真の他にスナップらしい写真が数点、そして住所や学校、家族構成、任命に至った経緯のような事が事細かに記されている。

「ふんふん…選ばれた者として『力』を与えられ、闇にうごめくミュータントを倒すべく…すっげぇださださ…」

 恥ずかしげもなく書いてあるその下りに、かなみが辟易する。

「…自分もその一人だろうに…」

「ま、まぁ、それはおいといて…で、アメリカから魔法少女が来たってことは、あたしも協力してやれってこと?」

 かなみの楽観的な問いかけに、鉤が首を振る。

「社長の指示は、『潰せ』だ」

 …

 何となく、底冷えするような寒さがかなみを襲う。

「…潰せ?」

「そう。何べん聞いたって変わらんぞ」

「…それが、正義の魔法少女の仕事?」

「有限会社『アースプランニング』において、魔法少女支援事業に携わる社員への業務命令。確かにかなみは俺達がサポートすべき魔法少女本人だから関係はないが、俺達はそう動く事になる。俺や縞、悪役魔法少女担当の栗山は最低限、な」

 ぼーぜんとしそうな事実に、かなみがあぐらをかいたまま後ろに手をついて、薄暗い天井を仰ぐ。

「ねぇ、なんでこーゆー事になったわけ?」

「知るかよ。根本的にはあっちが予告なしにうちの縄張りに突っ込んできたのが原因だが、社長もアレだからなぁ…」

 言われて、かなみが縞達の社長の経歴を思いだした。

 かつては魔法少女最大の敵役として、悪の女王をも担当したことがある社長。

 いったいどんな顔して言ったかは見当もつこうというもの。

 だが、鉤も言ったものの困ったようにぽりぽりと頭を掻く。

「とはいってもなぁ、相手もサポート陣営を含めてまだまだわからんことだらけだし、日本にも魔法少女がいるのを知ってて乗り込んで来たんだ。相手自身もそのつもりなんだろう。しばらくは相手の出方を伺いつつ、専守防衛

に徹する、ってとこだな」

「…今回ばかりはそのお役所仕事に感謝するわ…」

「…ご丁寧なこって…」

 互いにちゃぶ台にひじをつき、ため息ひとつ。

 ぴんぽーん。

 と、そこへ呼び鈴が鳴り、がちゃがちゃとドアノブが動く。

『たっだいまー』

 縞と和美が、両手に満杯のコンビニ袋をぶら下げて、二人揃って戻ってきた。

 一応、仕事中の食事はすべて経費支給で、いつもなら打ち合わせにファミレスを使ったりしていたのだが、今日はいきなりの襲撃ということで、やむなく鉤のアパートで弁当でも食おう、という事になっていた。

「おかえりー。遅かったじゃない。どこいってたのよ…?」

 コンビニ弁当でいい、というかなみの意見で買ってきた、にしてはかなり量が多い。その上やたらがちゃがちゃとガラス瓶の音がする。

「えーと、取りあえず手羽先と鶏唐、チーズに…」

 言ってるそばから大量のスナック菓子やらさきイカ、サラミなんかがちゃぶ台に積まれてゆく。

「飲物はカクテルバーと酎ハイでよかった?かなみの嫌いなのは外しといたわよ」

「ちょ、ちょっとちょっとちょっとっ!弁当のはずがなんで酒になんのよっ?!」

 さらにどかどかと積まれたビールや酎ハイのボトルに、かなみがさすがに声を張り上げる。

「縞、領収書取っといたか?」

「ええ、もちろん取っときましたよ。ちゃんと明細なしの奴で」

 鉤が右手を伸ばし、小切手大の「手書き領収書」を受け取るついでに、ビールの缶を三個と塩辛のビンを片手で器用につまむ。

 その間に、和美と縞がそれぞれ自分用に確保していたつまみを広げ始める。

「ん?新城は飲まないのか?」

「飲まない、ってゆーかさ…なんで、コンビニ弁当が酒に化けるわけ?」

「仕方ないだろ。コンビニで金額使う、っていったら、やっぱり酒になるしな。まぁ、金額は…いつもよりもちょっと大目だけど、いいだろ」

「いつも同じぐらいの金額にしとかないと、一度減ったら減らされたままになるんだよ」

 鉤に続けて、もう缶ビールを半分ぐらい飲み干していた縞が続けた。

「そーゆー理由で酒にするかぁ…?」

「飲まないんなら、別にいーけど」

 最近新製品に入れ替わったカクテルボトルに和美が手を伸ばそうとしたところを、さっとかなみがかっさらう。

「飲まないとは言ってない。納得はいかないけどさ…」

 ぷしっ。

「あんまり気にするな。こっちがちょっとでも隙を見せたら、経費節減とかいって締めつけるのが上司の仕事だからな。これもひとつの、戦いだよ」

 鉤が流しから持ってきた醤油皿に、塩辛のビンを半分ほどあけると、部屋中に潮の匂いが満ちる。

「じゃあ、今日もひとつ、ご苦労様ということで…乾杯!」

『かんぱーいっ!』



 その翌日、ご多分にもれず朝から澄み切った青空が広がる朝の住宅街。

「…うー…きっつぅ…」

 学校の制服であるグレーのブレザー姿のかなみが、朝っぱらから青ざめた表情で歩いていた。

 …うっく…やっぱ飲みすぎたかぁ…調子こかなきゃよかった…

 ともするとこみあげてきそうになる胃袋を根性でなだめ、学校へとよたよた歩く。

 どうせ親も今日は帰ってこないからと、かなみも一緒になってなし崩しで宴会に突入したのだが、最初に来たのはビール約十五缶、酎ハイ、カクテルが十本ぐらい。

 そこから鉤が追加買い出しで日本酒に走り、「ならあたしも」と和美がワインを焼酎で割り始め、気がつけば縞がビールにウォッカを混ぜる始末。

 そこから先は、誰が何を追加で買ってきたのか、そもそもいつ、何回追加買い出しにいったかもわからない。

 目が覚めたら朝になって、レシートの山を見てぼーぜんとする鉤の姿があった。

 そんなことより、かなみも和美も、今日は学校なのだ。

 てなわけで。

「うげ…もう遅刻寸前…」

 走りたいのに、胃袋がそれを拒否しまくる。

 何にも入ってないはずなのに、どうして「今にもありったけぶちまけるぞっ!」と主張できるのか不思議でならないが、今はそんなことを考えても仕方はない。

 ほとんど登校拒否児童のような足取りで、かなみが学校へと向かった。

 ちなみに遅刻まであと五分。学校まではあと二十分。

 それでも「休もう」という事だけは、まったく思いつかなかったらしい。



 がらがら…

「おはようございます…」

 授業中の教室の後ろの戸を開けて、かなみが申し訳なさそうな顔をして教室に入った。

「新城、どうした?ずいぶんと気分が悪そうな顔して…そんなに辛いなら、保健室で休んできてもいいぞ」

 普段のかなみを見なれた教科担当の先生が、入ってくるなり半分うなだれているかなみを見て言った。

「いえ、いいです…遅れてすみません…」

 なんとか笑顔を作ってやりすごし、自分の席へと歩いてゆく。

 保健室なんか絶対いけるわけがない。一発で二日酔いとバレてしまう。

 はぁ…しっかいなんであいつは…

 自分の席にどすんと腰かけ、かばんを開きながら先に来ている和美の方をちらりと見る。

 かなみの席は窓側最後方で、真ん中ぐらいの席にいる和美の表情は直接見ることはできないが、まったく普段と変わらない後ろ姿で教科書を読んでいる。

 元々二日酔い、という言葉とは無縁の女だったが、昨日も縞とつるんでかなり飲んでいるはず。

 ちなみに縞は、かなみ達が出ていくまでずーっといびきをかいて寝っころがっていた。

 ったく、ほんとにあいつのペースには…ん?

 と、視界の片隅で、なにかちらちらと手を振っているような…

 もう少し右、手前でピンぼけしながら手を振っている彼女と、ようやく目があった。

「…どぅわわわわわっ?!」

 椅子から思いっきり飛び退きそうな勢いで、かなみが驚いた。

 びっくりするも何も、いきなり隣の席に金髪碧眼の女子生徒がいたのだ。

「ヘロゥ!」

 きちんとした英語のイントネーションで、彼女が手を振る。

 な、なんだ…転校生かぁ?

 昨日は外人魔法少女に驚かされたかなみには、朝っぱらから十分な衝撃だったが、格好もうちの学校の生徒だし、さすがに顔も違うし…でも、やっぱりどこかで見覚えがあるようなないような…

「…新城、いいか?」

「えっ?あ、はいっ!」

 さっきの狼狽で教室中の注目を集めていた事にようやく気がつき、慌てて席を直して座りなおす。

「ホームルームで紹介したんだが、新城は初めてだったな。アメリカの学校から転校してきたセシルさんだ。隣同士、仲良くな」

「よぉろしくっ!」

 今度はうってかわって、多少ぎこちないながらも日本語で挨拶して手を伸ばす。

「あ、どうも、こちらこそ…」

 セシル…?あれ…あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁっ?!

 その手を握りしめて、ようやく気がついた。

 セシル・ミラ・アーリス。数枚のスナップの中で、身長が違いすぎててっきり姉か誰かだと思っていたあの写真。

 うげ…ぜってぇ標的にされとるっ…

 突然の魔法少女襲来に、一方的に熱烈な握手をかわされながら、かなみが心の底でうめいた。



「…で、四階が三年生の教室と、三年の先生の職員室になってるわ。こんなとこかしら?」

 四階の階段の踊り場で、和美が振りかえって後ろにいたセシルに説明する。

「らじゃっ!」

 その日の昼休み、和美がかなみとセシルと一緒に学校の中を案内して回っていた。

 どうして和美が、と思われるかもしれないが、和美は一応これでも学級委員長なのだ。

 英語に関してもかなり成績はよかったが、それ以前にセシル自身、日本語はほぼ完全にできている。

「じゃあ、最後に屋上か…昼休みは鍵が開いているから、自由に出て使っていいようになってるの。ただ、ボール持込禁止だから気をつけてね」

「どうして?」

「落とすから」

 階段を上りながら、和美が答える。

 やがて五階屋上の踊り場だけの場所から、サッシ戸を開けて青空が広がる屋上に出る。

「ワォオ…」

 感嘆の表情を浮かべ、セシルが屋上の端まで走ってゆく。

 真夏を迎えた青空の下、はるかに見渡す起伏の激しい町並み。はるか向こうには摩天楼の東京が霞んで見える。

 子供のようにフェンスの上に乗り上がり、身を乗りだしてその光景を眺めていた。

「こんなに暑いのに元気ねぇ…なんかほんとガキみたい」

 だーれもいない焼けついたコンクリートの屋上で、手をかざして日光を避けていたかなみが言った。

「どんなトリック使ってるかしんないけど、昨日はほんとにガキそのものだったじゃない」

 出口のひさしから一歩も出ない和美が、かなみに向かって言った。

 かなみも暑さに耐えかね、和美のところへと戻ってゆく。

「しっかし、こんなのアリぃ?昨日来て今日からこの学校って、めっちゃ胡散くさいじゃない」

「ホームルーム終わってから聞いたんだけど、二週間前に父さんの転勤が急に決まって、その時に日本側からここがいいんじゃないかって紹介されたらしいわ。細かい事はあっちで調べてくれると思うし、いいんじゃない?」

「調査待ちかぁ…」

 やがてきゃいきゃい喜んでいたセシルが、ようやくこっちに戻ってきた。

「二人とも見ないの?こんなにいい光景なのに?」

「あのさぁ…あたし達の教室、ここったへんの下よ?おんなじじゃない」

「ちーがーうっ!絶対違うっ!」

 いーとムキになって怒るが、それもすぐに笑顔になる。

「よーし、明日から弁当持ってきて、ここで食べよっ!和美達も来るよねっ?」

「うん、いいけど他の人もね」

 おいおい、他の生徒も巻き込むかぁ?

 さらりと言った和美に、かなみがジト目を向ける。

「しっかし、不思議よねぇ…」

 和美が一人、てく、てくと屋上の上を歩いてゆき、フェンスの側で振り返った。

「何が?」

「この街じゃあ、昨日みたいな事件がときたま起きてるんだけど、一言もその事については聞かないのね」

 とことこと和美のあとをついていったセシルが、その一言に後ろについてきたかなみもろとも、ぎくっとして立ち止まった。

「そいえば、昨日偶然その場所に居合わせたんだけど、あなたに良く似た格好の、魔法を使う少女を見かけたんだけど…」

「さ、さぁ?」

 おどおどしっぱなしのセシルが、かなり目をそらしながら答えた。後ろのかなみはそれ以上にびくびくびく。

 その様子に、和美がゆっくりとフェンスから離れて歩き出し、セシルの隣を通り過ぎた。

「…まぁいいわ。あたしも二、三回で慣れたし、いつもどこからともなくもう一人の魔法少女が出てきて追い返してくれるみたいだから、あんまり怖がる必要もなんじゃないかな」

 きーんこーんかーんこーん…

 そこへ、昼休みの終りが近い事を告げる予鈴が響く。

「もう次の時間も始まるし、戻りましょ」

 踊り場のサッシ戸に手をかけた和美の一言に、慌てて二人が戻ってくる。

「何ヤバいネタふってんのよ!」

 少し後ろで階段を降りてくるセシルを横目で見ながら、かなみが和美をひじで小突きながら小声で言った。

「…あの子、もしかして何も知らないんじゃないの?」

「まぁ、反撃もなかったし、ほんとにあたしの事知らないのかも。けど、一応ライバルなわけだし…」

「本気で、自分が正義の魔法少女だと思ってる。あたしたちと違って」

 …え…

 そういえば、そうだ。

 あたしたちの持つヒヤヒヤした気分とは違う。何一つ後ろめたくない、自慢できる秘密を持っている、そんな感じだった。

 そうか。あたしたちと違って、裏事情を何一つ知らされてないんだ…

 あそこまで突き止められ、それでも別に不安そうな表情を見せなかったセシルを見て、かなみが思った。

 その時、不意に和美が携帯を取りだして耳に当てた。どうやらサイレントモードで着信があったらしい。

「はい、…はい」

 二言で切り、再びボケっトに携帯をしまう。

「…誰から?」

「かなみ、あたしこれから保健室に行くわ。後でそっちにも電話するって」

「…へ?」

「鉤さんから。次の体育の時間、やるって。…ハメるらしいわ」

 ついに、本気でやるのか…

 魔法少女同士の足の引き合い。

 この仕事を受けてから初めての「泥仕事」に、かなみが緊張する。




「プレイボール!」

 審判の体育の先生の合図に、かなみ達女子生徒を二チームに分けたソフトボールが始まった。

 っひゅんっ、ぱんっ!

 気持ちいい音を立てて、かなみの投げたボールがバットをすりぬけ、キャッチャーミットに収まる。

「ットライク!」

「せんせー、ピッチャー新城なんだから、もうちょっと手加減して判定してよぉ…」

 半ばスライダーに近いコースで決まったストライクに、バッターボックスの生徒が不満そうに言う。

「そのかわり、かすりでもすれば点数は高いぞ。というかお前らも少しは新城を見習って練習せんかい」

 アンパイアマスクを被り直し、再びボールを見極める。

 しぶしぶバットを構えなおすが、かなみの球はソフトだというのに、ほとんどが変化球。

 せめて球種が少ないのが救いだが、それでも打てる生徒は一握りに限られていた。

 かなみの真剣な投球と、なげやりな素振りがしばし交錯し、あっという間にチェンジを迎えた。

「かなみ、今日もばっちし決まってるじゃない。これで交代の四回まで完封確実ね」

「え、あ、うん…」

 ぼーっと校舎の方を眺めていたかなみが、上の空で返事をした。

「…元気ないわねぇ、まだ二日酔い残ってんの?」

「もう大丈夫よ」

 しげしげと顔をのぞきこむ彼女に、かなみが視線を振り払いながら言った。

「そっか、和美が病欠だもんねぇ…でもなんでこんな時間に保健室なわけ?」

「さぁ、知らない」

 すげなく答え、かなみがさっさと戻ってゆく。

「ふーん…」

「真由美ぃ、早く戻っといでーっ」

 ベンチから呼ぶ友達の声に、かなみを見送ったキャッチャーの子もベンチに慌てて戻ってゆく。

 やがて、相手陣が守備につく。

 かなみの打順は九番。たぶん、この回はピッチャーと対決する事はないだろう。

 でも、この時間中には別の対決が控えている。

 できれば打順が回ってくる前に出てこないかなぁ…

 マウンドに立った金髪の少女、セシルの姿に、これから自分達がやる仕事を思いつつ、心の中で嘆いた。




「ほんとに急ねぇ…風邪じゃないんじゃないかしら…」

 保健室のベッドに横たわる和美の体温を診て、保健の先生が首をかしげた。

 昼休みも終りにさしかかった頃、いきなり和美が気分が悪いとやってきて、熱を計ると三十八度に迫る熱があったのだ。

「うん…でも、今日も朝から少し調子悪かったんで…昨日、お風呂に入ってから、ちょっと夜更かししすぎたからかな…」

 いかにも調子が悪そうに、ポツリポツリと言った。

「熱があるのは確かだし…薬は飲んだし、今日はここで休んでなさい。先生もここにいるから」

「はい…」

 言って目を閉じた和美に、カーテンシェルフを閉じて保健の先生が事務机に戻ってゆく。

『縞、そっちオッケー?』

『もう大丈夫じゃないか?何度も病人確認するなんて事はしないだろうし』

 和美と縞が、直接念波で会話する。

『じゃ、後の事任せたから。…変なことしないでね』

『りょーかい』

 そして会話が途切れた。

「変なマネってなぁ…どーせ何もしてなくても後で追求するくせに…」

 一人、縞がぼそっと言った。

 しっかし、鉤さんもいつこの変身データ作成したんだか。…どこまで正確なのか見てみよっと。

 そして、ベッドの中で病人の和美の姿をした「縞」が、もそもそとベッドの中で動きはじめた。



「鉤さん、おまたせ」

「おう、縞はちゃんとやってたか?」

 姿を消したまま、屋上からグラウンドを見下ろしていた縞が、後ろからかかった和美の声に振り返った。

「まぁね。後で少しとっちめとくけど」

 いつもの悪役金髪魔法少女の姿になった和美が、ちょっと不満そうに言った。

「若いんだから許してやれ…とりあえず準備は終わったし、あの子も予定通りピッチャーになってるな」

「かなみもかなり嫌がってたけど、そのくせちゃんとやることはやるからね」

「そうか…じゃあそろそろ…」

 見下ろすグラウンドは、二回裏二アウト。セシルが三球目の投球に入るところだった。

「…次の次の回、三回裏から行くぞ」

 ぱんっ。

「ッタライク、バッターアウト、チェンジ!」

 鉤が宣言した時、最後の一球を放ったセシルが、連続六回目となる三振を取ったところだった。




「ットライク、バッターアウト!」

 そして、三回裏。

 ちょっと…何やってんのよ…まだ始まらないの?!

 内心歯噛みする新城の前で、まったく球威が衰えないセシルが、二人目のバッターを連続三振でアウトに追いやる。

「九番、新城!」

「はいっ!」

 先生の呼び声に、反射的に返事をする。

 もう、出るしかない。

 あいつらの事だ。下手をするとこのタイミングでやるかもしれない。

 グラウンドの表舞台に引きずりだされ、かなみがバッターボックスでぎこちなくバットを握る。

 こんな事なら無理にでも時間とって、しっかり打ち合わせすればよかったっ!

 いつ、何がおきるかわからないという緊張感の中、バットを構えたかなみとマウンドで自信に満ちた表情をみせるセシルが向かい合う。

 そして、第一球…振り上げた右手を肩で振り回し、投げたっ!

 まっすぐっ?!

 その焦りが球種を読むタイミングを外し、スィングするバットがわずかな軌道のずれを生んだ。

 かんっ!

 当たりそこなったボールが大きく跳ね、バックフェンスの上部を直撃する。

「ファゥル!」

 慌てて捕球に行ったキャッチャーが、落ちたボールを拾って戻ってくる。

「こっちのチームを新城だけにしたのはまずかったな…セシルも考慮に入れて、またチームの組み直しだな」

 先生がつぶやくのを背に、ボールがセシルのミットに戻る。

 それもそうか。先生もセシルがどこまでやるか、わかんなかったもんね。

 実際、彼女の投げる球は相当なスピードを持っている。下手な男子野球部と変わらないぐらいだ。

 今度は…打つっ!

 まっすぐセシルを見据え、今度は腰を据えてしっかり構える。

 セシルもかなみが強打者である事を感じ取ったか、きっちりキャッチャーを見据えて構えに入る。

 そして第二球、更にスピードを込めて…投げられ…

 ってえっ?!

 いきなり目の前いっぱいにボールが迫り、思わずかなみが目をつぶる。

 ばがんっ!

 途端、目の前が真っ白になるような衝撃が全身を襲い、フェンスになげ飛ばされた。

「あたたたた…なんなのよっ!」

 デッドボールにしては「全身」に痛みが走っていた。何が起こったかわからず、かなみが飛び起きた。

 そして、言葉を失った。

 …ご丁寧にホームベースの上に、ボールが落ちていた。

 直径二mはありそうな、巨大なソフトボールが。

 キャッチャーは大した衝撃がなかったのか、その場で先生と一緒に尻もちをついて目を白黒させている。

 みんなの注目をただ一つ(?)集めていたソフトボールが、恥ずかしげにころ…と動く。

 あたりには無言というか、絶句した空気が漂っていた。

「…な、なんなの…」

 理解しろ、という方が難しい事態だったが、それはかなみにはすぐに飲み込めた。

「にょーっほっほっほっ!!!」

 どっかで聞いたような誰かさんの黄色い高笑いが、グラウンドにこだました。




「なっ、なんだっ?!今の声は?!」

 ご多分にもれず、体育の先生が狼狽した声を上げた。

「なんだってまー失礼ねぇ。もう一ヶ月以上も前にデビューしてんのに、ぜーんぜん覚えてくれないのねん」

 にょきにょきにょきっ!

 いきなりそのボールの上から、魔法少女の和美が生えてきた。

「ってなわけで、ちゃーんと登場してあげたわよ。こないだはあたしのテリトリーで妙な腐れ変人と魔法少女かぶれがエキサイトしてたけど、今日はたぶん出てこないっしょ!んなわけで…今日はあれより地味だけど…普段叩かれっぱなしのボールちゃーん、いらっしゃぁ~い」

 相変わらずノリノリの和美が、最後に桂○枝のモノマネをした途端。

 がたっ、がたがたがたっ!

 バックフェンスの脇に置かれた道具入れがいきなり揺れ、中のボールが巨大化してあふれだす。

「ついでに硬式ちゃんもサッカーちゃんも、いらっしゃ~いっ!」

 一瞬遅れ、隣のグラウンドで試合が止まっていた男子のサッカー班から、悲鳴が飛んで今度はゴールより馬鹿でかいサッカーボールが現れ、続いて部室長屋が次々と弾け飛び、それぞれの部室にあったボールが山のようにあふれ出す。

 そしてそれらがいっせいに、グラウンド中を転がり始めた。

「わわわわわわっ?!?!?!」

 一斉に逃げ出した生徒の中に、当然セシルはいない。

 そしてかなみも。

 巨大なボールがグラウンド中を交錯する中、急にグラウンド中央付近でボールが弾かれる。

「ィエィッ!」

 その中央からスプリングのように一人の少女が弾け、宙を舞う。

 そして空中でマントをはためかせ、ボールの上に舞い降りる。

『へぇ、こういうところにも魔術を使う子供がいるのね。それともあなたも、高校生なのかしら?』

 少し離れたボールの上に陣取る和美に向かって、セシルが変身した魔法少女が英語の早口で言った。

「…英語で言われてもわっかりませーんっ!言いたい事があるんだったらちゃーんと日本語でいってちょーだい!」

 知らないフリして、和美が言い返す。

「いいわ。なら、直接言ってあげるから…」

 ヴォン…

 フシンなうなり音が響き、セシルの近くにあったいくつかのボールが動きを止めた。

「変身を解くことね!」

 ギュギュギュギュッ!!!

 いきなり猛烈なスピンを始め、巨大なサッカーボールが砂煙を上げながら和美向かって加速する!



「クソっ、相手の術もかなり制御が強いか…栗山、直前に防壁張るから無視していいぞ!」

 屋上で和美の使う術やボールを制御していた鉤が念波で伝え、トランクケースに収まった魔法制御装置を操作してゆく。

 ボールの動きを実物のように見せる為に、わずかな力で制御していたのが仇になり、相手に制御を奪われたのだ。

 しかもまずい事に、巨大化したボールはかなり弱い魔法障壁に映像のボールを張りつけただけで、張子の虎同然の代物。それが相手に知られたら、相手に完全にナメられる。

 グラウンドで、いくつかのボールが和美向かってすっ飛んでゆく。それに対して、和美が片手をすぱっと前にかざし、タイミングぴったりで鉤が張り巡らした魔法防壁に激突し、まっ平らに潰れて元のボールに戻ってゆく。

『鉤さん、いっそのことボール全部潰すわよ!このままじゃほんとにバレるわ!』

『ああ、わかった!方向は?!』

『合図したら上から全部プレスして!』

 すぐさま制御対象を切り替え、すべてのボールを同時制御にする。

「いいぞ!」

 鉤が最後の入力をすませ、和美の合図を待つ。




「無駄な力を使うのね」

 いくつかのボールを投げつけてみたが、ことごとく潰されてしまい、セシルが憎憎しげに和美を見つめる。

「無駄とは失礼な。あたしはこれっぽっちも使っちゃいないわよ」

 さっきまで鉤と必死に交信していた事を微塵も見せず、あくまで涼しげに和美が言い放つ。

 そして、ゆっくりと右手を持ち上げた。

「無駄に使う、っていうのはね…こういう事っ!」

 和美が持ち上げた右手を一気に振り下ろした途端、セシルが乗っていたボールも含め、すべての巨大化したボールが真っ平らに潰れた。

「キャッ!」

 小さな悲鳴を上げ、セシルが地面に叩きつけられる。

 だが、すぐさま起き上がり、キッと同じように尻餅をついていた和美を睨みつけた。

「ほんとに無駄に使ってるわね」

「う、うるさいっ!」

 自分の足元のボールまでまとめて消され、和美がずきずきする腰を押さえながら立ちあがった。

 しっかしかなみの奴、なんでまだ出てこないのよ…

「あーっ!またこんなところでっ!」

 かなり息を切らせた声で、小学生並にハスキーボイスになったかなみの声が響いた。




「今更出てきて何の用かしらぁ?あたしは、この魔法少女『かぶれ』と遊んでんだからっ!」

「あたしだってずっとここにいるんじゃないもんっ!」

 今更もくそもあるかぁっ!ここですぐ変身しとったら一発でバレるわぁっ!

 怒りまみれの叫び声で、魔法少女に変身したかなみが言い返す。

 和美がここに現れ、グラウンドをボールまみれにした時に姿を消し、五百mほど突っ走って離れたところで変身したのだ。

 そして再び姿を現し、近所中の通行人に「全然別のところからやってきましたっ!」と全身で主張しながら駆け戻って来たのだ。

 始めからアリバイ工作をした和美と違い、かなみもかなみでかなり大変なのだ。

「とぉにぃかぁくぅっ!とっととこの騒ぎをやめなさいっ!」

「もうやめてるわよ」

 ボールの山といえば、もう既に鉤が消した後。

 ただ単に、学校のグラウンドに魔法少女が三人顔を揃えているだけの状態に、「何を」やめろというのか。

「…んじゃ、いっか…」

「ストーップ!」

 なんかすげぇげんなりな展開に背を向けたかなみ向かって、セシルが吠えた。

「二人とも、話があるのよっ!ちょうどいいから聞きなさいっ!」

「そんな必要、ナッシングっ!」

 途端、和美がスピンモーションから振りかぶったバトンに魔法の力が現れ、グラウンドをえぐる「風」がセシル向かって迫る!

 ぶぅわぁっ!!

「ノォォォォっっ………」

 セシルの体が竜巻に巻き上げられるように、派手に空中に舞い上がる。

「おー、派手に飛ぶなぁ…ちょっと術、強すぎたな」

 校舎の上を通りすぎ、派手にふき飛ぶセシルを、屋上から鉤が見送った。

『セシル、大丈夫?!』

 かなみから心配そうな念波が飛んできた。

『あぁ、大丈夫だろ。あいつも空、飛べるしさ。…言ってるそばから止まったぞ。早くしないと戻ってくるから、勝負、決めろ』

『…りょーかい』

 それからほんの数秒後。

 後始末を始めた鉤の頭上を、和美が放った術とまったく同じ術を受け、和美が別の方向へとすっとんで行った。




「…んっふっふっふっ、よくやってるじゃないあの二人も」

 いわゆる魔法の国の某所、鉤達が所属する魔法少女支援会社である有限会社「アースプランニング」の社長室…と呼ばれる何の変哲もない事務室で、今回の仕事の概要をまとめた報告書を読んでいた社長の魅亜が、満足そうに肯いた。

「よくやってるも何も、下手すると喧嘩を買ったと取られるわよ、こんなの…」

 報告書を持ってきた、専務の肩書きを持つ(無論ただのお局様)柚季衛が、どうしようもなさげに言う。

「喧嘩ってのも立派な商取引よ。売り手さえいなきゃ、取引は成立しないわ」

「ほんとに売る気あるのかどうか、とりあえず見積書は持ってきましたよ」

「見積?」

 いぶかしげな顔をする魅亜の前に、一緒に持ってきた書類の束を突き出す。

「相手の陣容、大体判明したわ。あっちはうちみたいに一社委託じゃなくて公開入札だから、かなりやりやすかったわ」

「へぇ、確かに『見積書』ね。で、こっちが入札に関する仕様公開書、と…」

 柚季衛が一緒に持ってきた、頁数の少ない方の書類をぱらぱらとめくる。

 悪役請負会社が入札金額を算定するのに必要な彼女の資料や、シナリオに関する記述もそこにあり、女王が力を与え、悪と化してしまった仲間を打ち倒すのが目的となっている。

「ふんふん…ふーん、あっちは女王自身が直にけしかけて戦わせてんのね。やっぱ肉食人種は考える事も違うわ。それにくらべてうちのなんて優しい事か…」

「どこの世界に魔法少女までグルになってる悪党がいるって言うんですか…ったく…」

 一人悦に入っている魅亜に向かって、柚季衛が言い捨てる。

「それより、問題はその予算ですよ」

「えーとぉ…げ、まじぃ?!ちょっと安すぎよ…」

「安いはずですよ。そこの作戦概要のすみっこ見てください」

 言われて魅亜が、作戦概要の一番最後にあった、あとからとってつけたような条文を見つけた。

「作戦において、被害補償は現地保険を利用する…?」

「要は、保険かけてぶっ壊して、その保険金で直すってことですよ」

「…それって、ヤバいんじゃないの…?」

「…うちの法律なら、立派な保険金詐欺よ…」




「あーあ…なんかすっげぇ疲れた…」

 夕暮れも過ぎた午後七時。陸上部の部活を終えたかなみが一人、とぼとぼと家路につく。

 昼過ぎに派手にぶっ壊された部室長屋も、鉤の後始末で綺麗に元通りになっており、もはや慣れっこになっていた生徒たちも、午後からはいつもと同じ部活動に汗を流していた。もっとも、相変わらず警察と報道は賑やかだったが。

 なんでこういう事になるかなぁ…

 今日の仕事の「結末」を思い起こし、肩を落とす。

 最後にかなみが和美を吹き飛ばした後、予定どおりすぐに姿を消して校舎で変身を解いて、何食わぬ顔をしてみんなのところへ戻っていった。もちろん和美と鉤は、熱が引いたとかいって保健室を出たところで交代済み。

 そこへまだ魔法少女のままのセシルが戻ってきたのだが、やることは何一つ残っていない。

 それからしばらく学校の周囲を探し回ったのだろう、セシルが教室に戻ってきたのは午後三時を過ぎていた。

 もちろん先生には怒られたし、セシルも言い訳を考えていなかったのだろう、しどろもどろになっていた。

 これが「演技」と「生」の差、なんだろな…先の先まで周到に考えて、あたしってば…

 はぁ…

 何度目かのため息をつく頃には、自分の家の前にたどりついていた。

「ただいまぁ…」

 玄関を開け、制服姿のまま居間に入ってソファーに座った。

「おかえり。父さん九時頃に帰ってくるって」

 コンビニ弁当をチンした匂いがただよう台所から、姉の声がした。

「何があっても一緒かい…人が学校で散々な目に遭ってるってぇのに…」

 テレビの電源を入れようと思ったが、やめにした。どうせ入れればまたニュースで今日の事をやっている。

 さっきもレポーターにとっつかまって喋らされた内容を、家に帰ってまで姉に突っ込まれるのはこりごりだ。

「まぁたコンビニの炒飯買ってる。そんなのぐらい作りゃあいいじゃん」

 飯でも作ろうと立ち上がったかなみが、台所のテーブルで弁当を食っている姉の後ろを通りすぎ、冷蔵庫から適当な野菜と卵を出してくる。

「いいじゃん。コンビニ寄ったらあったんだし」

「嫁の貰い手あるのかねぇ…」

「あんたよりはあるわよ。かわいげあるし」

「はいはい、何でもできて悪かったわね」

 テフロンコートのフライパンをガスコンロにかけ、割りいれた卵を軽く炒る。

 その間に冷や飯を一膳、コンソメと塩こしょうを用意して次々と投げ入れ、炒めながら空いた時間で野菜を刻み、ついでにお茶漬けの袋を取りだす。

 後は刻んだ野菜を入れて炒めて、その間にマグカップにお茶漬けの袋を開けて瞬間湯沸かし器のお湯を注ぐ。

「ほら、こんだけでできるのにさ」

 かなみが台所に入ってからものの八分、炒飯とスープのできあがり。

「んっとにあてつけがましいわね。だから彼氏もできないのよ」

「大きなお世話!あたし、自分の部屋で食べるから」

 むくれる姉を残し、後始末を済ませたかなみが盆に乗せた晩飯を持って二階へと上がっていった。

 階段を上がり、左手に何の飾りもないドアがある。その奥には「外出中」のフダを持ったくまのぬいぐるみがぶらさげられたドアがあり、姉の部屋になっている。

 だが、自分の部屋のドアを開けた時、不意に雰囲気の変化を感じた。

 魔法少女となって以来、多少は魔法が存在する「気」はわかるようになっていたのだが、妙にそれを感じるのだ。

 …

 何気なく勉強机に近づき、そっと晩飯の乗った盆を置いたところで、不意に椅子を引き抜く。

 案の定、机の下に黒ネコの姿に変身した縞が隠れていたのだ。

「や、やは…」

 動揺しまくりの笑顔で、軽く右手を上げた。

 その手をそのまま掴み、ぐいっと顔の前まで持ち上げた。

「…なんで、あんたがここにいるわけ?」

「まぁ、なんというかね、一応警備ということで…ほら、昼間の事もあるしさ…」

「それが黙って女の部屋に忍び込む言い訳?」

 そのまますたすたとベランダまで歩いてゆき、がらっとサッシ戸を開けてぽいっと外に放り出す。

「なんだよぉっ!ちょっとぐらいいーじゃんかよ、減るもんじゃなし!」

 ぴしゃっと閉めたかなみの部屋に向かって縞がぶーたれるが、再びがらっとサッシが開く。

「あたしの心は傷つくんだよ。あんたがいると!」

 再びぴしゃっとサッシを閉め、カーテンも閉じられる。

 ったく、鉤さんから見張りやってこいって言われてわざわざ来たのに…あーあ、やってらんね。和美んとこでも遊びに行くか。

 そして諦めたか、縞がふわりと宙に舞い上がり、ベランダから夜の街中へと姿を消した。




「ったく、プライバシーもくそもないんだからもぉ…」

 なんだってのよ、昼の事がどー関係あるってのよ。こっちが一方的にセシルに恥かかせただけじゃないの!

 ようやく一人になった部屋の中で、かなみがぶつくさ言いながら炒飯をがっつく。

 と、その途中でぴたりと手が止まる。

 そーいやあいつ、いったいいつからここに居たんだ…?

 …それからしばらく、飯もそっちのけで部屋の中が荒らされていないか、手当たり次第の点検作業が続いた。



「…だぁ、ほんっきで疲れた…」

 ようやくパジャマに着替え、かなみがベッドに突っ伏した。

 洋服類に下着類、アルバムなんかの場所がかわっていないかの点検がアルバムを開いて思い出に浸って一時間、慌てて宿題を済ませて食器を下ろして洗って風呂を沸かして更に一時間、音速で風呂に入るはずが疲れがどっと出てうとうと長風呂になってもう十一時。

 うー…今日はオールナイトニッポンスーパーだったのに…

 枕を抱いたまま、うらめしそうに、枕元で軽快なテンポのトークを流すラジカセを見つめる。

 いつも欠かさず聞いていたのに、とっくの昔に放送は始まっていたのだ。風呂が間に合うと思って、タイマーも仕掛け忘れ。

 このまま寝ちまうかなぁ…和美がどーせ録ってるはずだし…また明日、考えよ…

 疲れと睡魔に押しつぶされ、ラジオに混じって軽くきしむドアの音を聞きながら、かなみが枕に顔を埋め、目を閉じた。

 …ドアの音?

「…姉さん…?」

 眠気に支配されたまま、かなみがもそっと顔だけをドアに向けた。

 そのまま、かなみが硬直する。

 ドアの向こうに広がる暗闇から、爪だけがやたら目立ついびつな手が現れる。

 緑と黒のまだらに塗り分けられた体と、頭蓋骨の形が浮き出したような彫りの深い顔。

 狭いドアに体をこじいれるようにして入ってきたそいつは、まさに昨日、昼間にセシルと戦った怪物そのものだった。



 まさか…本物…っ!

 途端に眠気もふっとび、ベッドの上で跳ね起きたかなみが、クラウチングよろしく軽く手をついて低く構える。

 キィエェェェェエッ!

 けたたましく吠えた怪物が、鷹のような爪を振りかざし、かなみ向かって襲いかかる!

 まじかいっ!

 マットレスに内蔵されたスプリングの反発力で横っ飛びにベッドから飛び降り、すかさず体制を立て直す。

 ざずっ!

 当てそこね、マットレスのスプリングにひっかかった爪をほどこうとがもがく。

「ちょとぉ、うるさいわよ!」

 そこへ、下から姉の声が響く。

 やばっ!

「ごめーん、今ボリューム絞るからちょっと待ってて!」

 とっさにそう言って、足でドアを蹴飛ばして閉めた。

 その目の前で、爪を引き抜くのを諦めたが、ぶっ刺したマットレスを腕力だけで高々と持ち上げ、かなみむかって振りかぶる。

 躊躇の間、なし!

 かざした右手にバトンが現れ、すかさず逆手に持ちなおす。

 ギィイィィィイッ!

 再び叫び声と同時に投げつけられたマットレスを、振りかぶったバトンで受け止める。

 もちろんかなみの腕力ではない。いくつかの定められたモーションでバトンを振ったり、ボディアクションを起こすことで発生する魔法の一つ、「防壁」だ。

 もっとも基本的なものであるが故、どんな状態でも出せるように多数のクイックモーションが定義されているのだ。

 例えば、柄を先端にして真横に振る、という今のモーションでも。

 だけど、こんなところで戦闘をするわけにもいかない。ただでさえベッドがの一撃を受けて四散し、それらの破片で部屋中がめちゃくちゃになっている。

 くっそぉ…こんな時に都合のいい魔法なんて…

 なおも襲いかかる怪物をかわしながら、かなみが手持ちの魔法の偏り方に改めて気がついた。

 派手な魔法なら、どれだけでもある。もとより「目立つ事」こそが魔法少女の仕事だ。

 がちゃあんっ!

 その時、腕を振り上げたが勢いで部屋の中央の蛍光灯を破壊し、部屋が真っ暗になった。

 やばっ!

 その一撃が見えない!とっさにモーションを変え、「防壁」をあたりにまき散らす。

 ガギャアァアァッ!!

 途端にの悲鳴が響く。どうやら振り下ろしたその手が、防壁の角にでもあたったらしい。

 その間に、手さぐりと体当たりと多少の怪我は覚悟で、かなみが部屋中に浮遊する防壁の間をすり抜ける。

 浮遊、とはいっても空間完全固定の防壁だ。このでも動かせるかどうかは難しい。

 体の大きさが災いして動きが取れなくなったが、防壁を叩く小さな音が聞こえる。

 …そうか、こういう使い方もあるか。

 ひらめいたかなみが、今度はを取り囲むように丁寧に防壁を張り、完全に密封する。

 しばらくは弱々しく防壁を叩く音が聞こえたが、それもじきに聞こえなくなる。

 後は…



 がちゃっ。

 かなみが部屋を出たところで、文句を言おうと上がってきた姉と鉢あわせた。

「…やっと静かになった」

 かなみの姿をみつけ、姉が階段の途中で足を止めた。

「ごめん、ちょうどいいとこだったから…」

「ったく、もう夜も遅いんだから、ビデオ見るならもうちょっとボリューム絞ってよね」

「はーい」

 ぶつくさ言いながら、姉が降りてゆく。

 はー…ものぐさな姉でよかったわ…

 内心ひやひやしていたかなみが、自分の部屋へと戻ってゆく。

 廊下の明かりで一瞬見えた部屋の状態は、かなりひどい状態だ。

 引き裂かれた羽根布団の中身が床に散らばり、その上で至る所に浮かぶ、灰色をした一m四方の四角い防壁、そして部屋の中央にそびえたつ六方体の柱。

「よう、…こりゃまた派手にやったもんだなぁ…」

 ドアを閉め、月の明かりが差し込む部屋に、鉤の声が響いた。

「電話してからほんの二分しか経ってないじゃない」

 後始末の為に、さっき電話で連絡した鉤が、もうここに着いていた。

「できれば事前に連絡がほしかったが…まぁ仕方ないか。で、こいつか…考えたな」

 部屋の真ん中に立つどでかい六方体を見て、鉤が言った。

「そーよ。おとついのと一緒のやつ。で、これからどうやるの?」

「どうやるも何も、もう中はすっからかんだよ」

「すっからかん?」

 鉤の言葉に、かなみが驚いて尋ねた。

「こいつはな、魔法による半自立型のロボットだ。そして遮蔽された空間、ようはこんな風に捕まると自動的に消滅するようになってる。言ってみれば光に当って生まれる影、のような存在さ」

 言いながら、鉤が魔法防壁の一枚を消失させる。

「ほらな?」

「ほんとだ…」

 かなみがのぞきこむと、確かに六方体の中はもぬけのからだ。

「…ねぇ、これってやっぱ、今日の事を根に持たれて襲われたの?」

「それしかあるまい…ったく、仕掛けてきたのはあっちだろうが…」

 復旧作業にとりかかろうと、魔法設備が入ったトランクを広げながら、鉤がぼやく。

「で、どうだった?実際に手合わせしてみて」

「どうだったってもんじゃないわよ。昨日の昼間は相手も手加減してたんだろうけど、ほんとに死ぬかと思ったわ」

「だろうなぁ…」

 手早くセッティングをまとめ、鉤が修復用の魔法プログラムを始動する。

「しかしまぁ、こりゃ派手だなぁ…手作業もだいぶ入るから、三時間はかかるぜ。そういや、縞はどうした?」

 …はっ。

「あちゃー…追い返した…やっぱりどっかに置いとかにゃだめかぁ…」

 かなみが頭を抱えるが、それよりも大事な問題を思いだした。

「そうだ、和美、和美は大丈夫なの?!」

「そっちから連絡取って見てくれ。こっちは縞と連絡をつける」

 二人が携帯電話を取りだし、それぞれに連絡を取る。

 とぅるるるるる…とぅるるるるる…

 しかし、二人とも電話に出る気配がない。

「ちょっと…」「まさかな…」

 だが、不意に両方の呼び出し音が止まった。相手が出たらしい。

『もしもしっ!』

 同時に二人が携帯を耳に当て、呼びかける。

『おっは~っ!』

 と、どういうわけか、両方の携帯から二人の声が聞こえてきた。しかもかなり出来上がってる。

「和美、今どこなの?!」「おい縞、どこにいる?!」

『今ぁ~、カラオケボックス~二人とも来ないのぉ?』

 酔っ払いがダブルでハモる。

 縞とかなみが耳から携帯を離し、苦笑する。

「だめだな、こりゃ…」

「ほっとけ…」

 二人とも携帯を切り、鉤が再びトランクの機材と向き直り、かなみが部屋の片付けを始めた。

「とっとと済ませるか。まず最初に蛍光灯から直すぞ。…部品は直せても、部品の組み立ては手作業だぞ」

 椅子を出して蛍光灯を天井から外していたかなみに、鉤が言った。

「りょーかい。てゆーか、掃除する時いつもバラしてるから」

「いい心がけだな」

 そして鉤がキーを叩くと、割れて飛び散った蛍光灯の管が集まり、一つの形を取り戻す。

 やがて三時間後には、今までどおりのかなみの部屋が復活していた。

 …ちなみにかなみが寝る頃には、空がうっすら白んでいたという。



 ちりりりりりりり…

「ふぁあぁあ~…ん~…」

 午前六時のベルを合図に、セシルが自分のベッドから起きあがって伸びをする。

 引っ越してきたのはまだおとつい、フローリングが施された四畳ほどの部屋は、はちきれんばかりの国際宅配便の荷物の山で、いまだにほとんどが開いていない。

 ちなみにここはセシル一家の住むマンション。従って英語が公用語になるのだが、面倒なので全部日本語表記にする(をい)。

「今日も一日が始まるか。しっかし昨日の魔法使い、今度いつ出てくるかなぁ…」

 ベッドの横の段ボールから着替えと替えの下着を取りだし、着替えを済ませて廊下に出る。

「おはよっ!」

「あら、おはようセシル。もうすぐ朝ご飯ができるわよ」

 出てすぐ奥の台所から母の声が聞こえた。

「あ、あたしも手伝う」

 セシルが台所を通りすぎ、居間に積まれたワレモノ表記の段ボール箱をひっくりかえして、今日はどの食器を出そうか選び始めた。

「あれ?パパは?」

 水色の縁取りがほどこされた皿を持ってきたセシルが、父の姿がない事に気がついた。

「なんだか今日から出社が早くなってたらしくて、慌てて出てっちゃったわ。言ってくれればちゃんとその時間に起きたのに…」

「もー、自分勝手なんだもん。で、何時だったの?」

「七時ごろかしら?」

「じゃ、明日からは六時起きね。だいぶ早いなぁ…」

 母の返事に、セシルがうんざりした表情を見せた。

「ま、いいわ。それより冷蔵庫とか洗濯機とか、いったいいつ来るのぉ?日曜日に買いに行ったのに。それよりテレビよ!早くテレビ見たいっ!」

「今日には来るって事らしいから、今晩は大丈夫よ」

「よっしゃっ!やっと文明人の仲間入りね!」

「はいはい、文明人ならちゃんと朝ご飯を食べなさいね」

 ガッツポーズを決めたセシルの前に、山盛りのカルボナーラパスタを盛り付けた皿が出てきた。

「んじゃ、いっただきまーすっ!」

「それよりセシル…本当に大丈夫なの?」

「ん?何が?」

 ふがふがパスタを食っていたセシルが、心配そうな母の声に顔を上げた。

「昨日、あなたの学校にあの魔法使いが現れた、っていうんでしょ?本当に大丈夫?なんなら学校を変えてもいいのよ?」

「…ああ、そのこと」

 ちゅるっ、とパスタをすすり、

「別にいーんじゃない?んだったらあの学校のみんなもとっくに引っ越してるってば。えーと…カズミったっけ…今のクラスで委員長やってる子も、いつも別の魔法使いが来てちゃんと追い返してるって言ってたし、その前になんか二人とも遊んでるみたいなんだもん。どってことないよ」

「そぉ?ならいいけど…」

「ママも心配しすぎ!もうちょっと落ち着いてってば!」

 食べ終わったパスタの皿を持って、母の背中を押して台所に連れてゆく。

「あたしは、ここに来て良かったと思うよ。けっこう面白い所だし、みんな親切だし、それになんか居心地いいもん」

 台所で皿を洗いながら、セシルが言った。

「そうね、セシルが良いって言ってるのなら、よほどいい学校なのね。ママ、安心したわ」

「もぉ、だったら最初からあたしを信じて安心してよっ!」

 とんっ、と腰で母を小突く。

 でも、何か気になるのよねぇ…誰かに似てるよーな似てないよーな…

 



 それから、数日が過ぎた。

 怪物系の事件が四件。魔法少女系の事件が二件。

 さすがに前回の「脅し」があってから、鉤はニアミスを避けるように仕組むようになった。

 そのせいか、それ以来相手側からの攻撃はまったくなかった。

 ただ、毎日のように夜になると発生する怪物系の事件は、あっというまに世間の話題をかっさらった。

 一度はお台場のテレビ局すぐそばでドンパチをやってみせ、その時のライブ中継の瞬間最高視聴率は、かの「浅間山荘」の記録を軽く塗り替えた。

 一方かなみ達の方といえば、相変わらず世間に多少遠慮した演出のせいか、ここのところ全然話題にのぼらなくなってきた。(かなみ自身はその方がいいのだが)

 とすっ。

 そして金曜の昼休みも終りに近づいた時間、学校の部室長屋の裏に姿を消したかなみが着地し、あたりを確かめて姿を現す。

「おつかれさん」

 一足先に戻ってきていた和美が、疲れた表情のかなみにねぎらいの声をかけ、二人揃って草むらに腰を下ろす。

「なんつーか、やりにくくて仕方ないわね…これだけ差があるのに、出てくる警察と自衛隊の量はおんなじって不公平よ」

「ほんっと。今日だってあいつら、また撃ってきたわよね。空自もヘリ出してくるし、ナメられてんじゃない?」

「そうかもね…でもなぁ…」

 確かに前に一発、派手な魔法をぶちかましてから、しばらくは数も減った。

 だが、今はそれ以上だ。展開も綿密になり、一歩逃げる路地を間違えれば、待ち構えていた陸自に機関砲の一斉掃射を食らっていたかもしれない。鉤や縞のサポートがなければかなり厳しい状態が続いている。

「それよりどーするの?あの話。あたしは行くつもりだけど」

「あぁ、あれね…」

 和美に聞かれ、かなみがごろんと寝転がる。

 明日の土曜日、セシルがホームパーティーを開くから来ないか?と言ってきたのだ。

「なんかアメリカらしくて面白そうじゃん。かなみも行くんでしょ?」

「まぁ、ね。誘われてるし、断る理由もとりあえず思いつかないし…」

「なんかヤな威流でもあるわけ?いーじゃん、こっちは相手の尻尾掴んでんだし」

「そーゆー理由じゃないわよ」

 顔を背けていたかなみが、体を起こして起きあがる。

「セシルって、家族ごと日本に引っ越してきてんでしょ?なんてゆーか、…こんなくだんない事に家族まで巻き込まれてる、って考えるとさ…」

「くだんない、か…そーよねぇ…なんて聞かされて騙されてんのかしんないけど…」

 体育座りになってつぶやくかなみに、和美も部室の壁に背中をもたせかけ、ぼーっと空を眺める。

 自分達だから知っている。魔法少女制度の真相を。

 そう、理由もない、ただ制度上存在するから実施しているだけの、ヤラセ魔法少女。

 かなみも一度は理由がないならやらない、とは言った。だけど、やらないと女王の役職に影響が出ると聞かされ、やらざるをえなくなっていた。

「でも、考え方にもよるんじゃ?あいつの親父、アメリカのコンビニエンスストアの支部にいたそうだけど、日本じゃ監査役に抜擢されたそうよ。言ってみれば栄転じゃない」

「誰かがどーにか操作した結果、でね」

 気に入らなそうに、かなみが言う。

「あたしもこの仕事の都合で、どっか別の地域に行けたらうちの親も栄転にしてもらえるのかなぁ…」

「どーでもいーわよそんなこと…それよか、あっちが知ろうが知るまいが、敵対する正義の魔法少女同士が雁首揃えてのんきにホームパーティー満喫すんのよ。それをあっちの悪役が黙って見てると思う?」

「てーか、うちの社長も『潰せ』とかいって息巻いてるってゆーしぃ…ここんとこ顔潰されっぱなしだしぃ…」

「めっちゃ、最悪ぅ…」

 きーんこーんかーんこーん…

 そして、昼飯も食えないまま、昼の終りを告げる予鈴が鳴った。



 だんっ!

「そう、ホームパーティーよ!そこしかないわ!」

 魔法の国の「アースプランニング」の社長席で、魅亜が鼻息も荒く机を叩く。

「んっんっんっ、先週はいきなりで出鼻をくじかれたけれど、ここまで露骨に判ってる以上、今度はそうはいかないわ!鉤、縞、今度こそしくじるんじゃないわよ!絶対あいつらを叩き潰すのよ!」

 悪の女王を通り越して、悪の女幹部さながらに、目の前に立つ二人の部下に命じる。

「い、いや、そりゃこっちも新城達から聞いてますよ。だけど…」

 かなり気圧された鉤だったが、それでもなんとか思いとどまらせようと魅亜を説得する。

「だけど、悪役同士の直接衝突はまずいですよ!役所に出す報告書になんて書くんですか?この書類、一般納税者の縦覧受けるんでしょ?!」

「ありのまま書けばいーじゃない。あっちの国の魔法少女が領域侵犯してんだから。こっちの知ったことじゃないわよ」

「知ったことじゃないって、ンなこと専務に知られたら…」

「しっかり聞こえとるわぁっ!」

 だむっ!

 防音どころかドアを閉めても筒抜けの、魅亜のでかい声を聞きつけ、肩怒らせまくりの柚季衛が乱暴にドアを開けた。

「ほんっきで仕事枯らす気かぁっ!だいたいあんたのわがままのおかげで、あたしがどれほど苦労しとると思っとるんじゃあっ!」

 どすどすどす、と鉤達を押しのけ、社長の机に両手を突いて、事務椅子の足が浮くほどのけぞる魅亜に迫る。

 普段はキレのある悪女面を持っているのに、魅亜の独走の前には仁王様も裸足で逃げ出す形相を見せたりする。

「こないだの予算会議も、あんたが魔法少女裏方に入れてることバラしたお陰で、危うく首のすげ換え食らうところだったのを、あたしがなんとか精神的ケアの為とか理由つけて丸く収めたのよ!」

「な、なによー、あたしは元老院抱きこむのにバラしたんじゃない。これであいつらもうちらのいいなりでしょ?」

「確かに、この事が表沙汰になったらあんな元老院なんか一発で首ちょんぱよ。そしたら、それをやったあたし達は誰が守ってくれんの?」

「事実が」

 ・…だんだんだんだん。

 かなり無茶な台詞に、柚季衛がじたんだを踏んでもがいていたが、しばらくして肩の力をふっと抜いた。

「…あんたって、どーしてこの世界でこんなに長く生きてられんのかしら…」

 自嘲めいたように、柚季衛がつぶやく。だらりとぶら下った白く長い髪が、どこか幽霊のような感じがする。

「ま、まーまー、柚季衛ちゃんにはいつもいろいろ感謝してるわよ。ね?あ、そーだ、今晩どっかご飯食べにいきましょ、ド・カルボンなんてどぉ?」

 慌てた魅亜が、いきなりネコ撫で声になって、柚季衛の機嫌をとり始めた。

 しばらく何も言わなかった柚季衛が、急にクスっと笑った。

「割り勘、でね。前みたいにファミレスでカード使われるのはこりごりよ」

「あ、あの時はちょうど持ち合わせがなかったのよ…」

「…鉤さん、あれ、何スか?」

 いきなりころっと態度が変わった魅亜に、小声で縞が尋ねた。

「お前なぁ、この会社に何年いるんだ?うちで一番偉いのは、今も専務だろ?」

「社長の肩書き変わっても、そーゆーもんすか…」

「そーゆーもんだ…で、社長。週末の件はどうします?」

 今晩食事しに行く事で話がまとまった魅亜に、鉤が聞いた。

「まぁ、そこまで言われちゃあ仕方ないわね…でも腹立たしいのは事実よ」

「そりゃこっちもですよ…勝手にやってきて現場かきまわされて…そうだ、こういうのはどうです?」

 …

「…なるほどね、それなら逃げも効くわね。あいつらが勝手に自滅したって言い張れば済む事だし」

「でしょ?」



 そして、運命の日曜日。

「まぁ、一応都内だし、やってきてすぐ一軒家、なわきゃないわな…」

 それなりの格好ということで、白のスリムパンツとワイシャツでパリっとキメてきたかなみが、セシルの住むマンションの入り口に備え付けられたオートロックインターホンから、セシルの部屋を呼び出す。

 ほどなくして彼女が出て、すぐに入り口の自動ドアが開く。

 かなみの横で自動ドアが開くのを待っていた和美がさっと中に入り、エレベーターのボタンを押す。ちなみに格好はだぶだぶのウォッシュジーンズにTシャツ一枚。かなみのように重ね着もしていない。

「六一二号室ってことは六階かぁ…十五人も集まったらしいけど、どこに詰め込む気かしら?」

「さぁ、もしかしたら立食パーティーかもね」

「座るとこなしぃ?ちょっと勘弁…」

 静かに動くエレベーターの中で、和美がげんなりする。

 上に上がれば一部屋最低八帖間の四LDK、五LDKといった「億ション級」の賃貸物件もひしめくところだが、六階ぐらいだと文字通りの「平均的二DK万ション」のフロアである。

 やがて六階につき、かなみ達が通路に出た。

「誰よ、昼間っから大量にカレー作ってるの…」

 どの部屋からか知らないが、通路じゅうにかなりスパイスのきつそうなカレーの匂いが漂っている。

「んなのいいじゃない。えーと、六一二六一二…あったあった」

 真新しい英語の表札がかかったドアを見つけ、和美が呼び鈴を押す。

「やっぱ、ホームメイドクッキーとかケーキなのかな?」

 まとわりつくようなカレーの匂いの中、和美がこの匂いの中で甘いものを食べる事を想像したか、げっそりする。

「帰りに口直しにカレーでも食べにいく?」

「さんせーい」

 かなみと和美がそんな事を話している時、がちゃっと鍵が開く音がし、続いてドアが開かれた。

「いらっしゃ~いっ!」

 っ………!!!

 鼻がつーんとくる刺激臭に、出迎えたセシル向かって思わず手をかざす。

 これ…カ、カレー…?

 匂いの正体に気がつき、二人が恐る恐る腕を下ろすと…

 いや、本当に驚いた。

 奥のフローリングのリビングには派手な模様のペルシャじゅうたんが引かれ、先に集まっていたみんながじべたにどっかり座っている。

 そしてその中央に置かれた料理、ぬめるように黒光りするタンドリーチキン、山のように積み重ねられた、インドの釜焼きパンであるナン、そして匂いの源でもある、多種多様なカレーペーストの皿の数々が、じゅうたんにじかに置かれている。

「どーもぉ、エスニックインドパーティーでっすっ!どぞどぞ、こっちにどーぞっ!」

 挨拶もそこそこに、二人がセシルに手を引かれて上がりこむ。

「かなみ…後でなんか甘い物、食べにいこ…」

「思いっきり賛成…」




 セシルが言うには、最初は普通のパーティーをしようと思っていたのだが、来てみてあまりの狭さに、荷物を広げないうちにテーブルを使わずにできるパーティー、ということでこうなったらしい。

 元々アジアンテイストが好きだった家系で、このじゅうたんは祖父の代からある由緒正しいもので、インド料理も今日が初めてではなかったそうだ。(実際、セシルの焼いたタンドリーチキンは、歯ごたえこそ本場にはかなわないものの、かなみ達にはかなり美味しかった)

 それ以外にも日本にもかなり精通し、「シタマチ」と呼ばれるアジアと摩天楼が隣接する「東京」には何度も旅行で訪れ、一度はここに住んでみたいと思っていたところ、急な異動でその夢が実現できたらしい。

 案内してもらったセシルの部屋も、段ボールだらけとはいえさっそく壁には水彩画の「雷門」のポスターが張ってあったり、新宿新都心の夜景のパズルが飾ってあったり、何故かJRと私鉄と営団地下鉄と都営地下鉄の全路線表が張ってあったり(暗記中らしい)、わけのわからないジャパニーズグッズに埋め尽くされ始めていた。

 一方かなみ達の方も、陸上部への勧誘も兼ねた部活動の話から、最近の体育行事の話、秋に予定されている修学旅行の話、大阪に行けると知って目を輝かせたセシルの大阪旅行談が飛びだし、絶対夜中に抜け出してなんば花月に行くぞ、なんて話がまとまったりした。

 そんな色々な話題が飛び交っても、かなみの頭の片隅には、今日起こるであろう「事件」の事が常にあった。

 朝方、鉤から電話があり、どうしても今日、仕掛ける事になったと聞いていた。それに、好戦的なあっちの支援グループは、必ず仕掛けてくるはず。

 こんなに平和な日常なのに…

 窓の外は、相変わらず夏の日差しが降り注いでいる。

 …

 そこにいきなり転送されてきた、あの怪物さえいなければ。



 がちゃがらぁんっ!

 ベランダからガラスを突き破って突っ込まれたの右手が、怖じ気づくみんなの真ん中向かって叩きこまれる。

「??!?!???!?!!!」

 目の前で突然起こったその出来事に、セシルの父親がわけがわからぬままその足元でへたり込む。

 それ以外のみんなも、腰が抜けたようにへたり込んだまま呆然としている。

 こりゃいくらなんでもまずいんじゃぁっ?!

 多少は逃げ道作ってくれるかと思っていたが、逃げ道なしというこの状態にはさすがに焦った。

「和美!」

 さすがに最低限避難誘導だけでも、と思って振り向けば。

 …ちったぁ驚けっ!こんな現場でナンをはむはむ食うとるなっ!

「ふぁっふぇぇ、ふぉーふぇふぃふぇふふぃふぁんふぇふょ?(だってぇ、どーせ峰打ちなんでしょ?)」

「さっさと口の中のもん飲っ込めっ!みんな、早く外に…」

 と、一人かなみが立ちあがって叫んだが、誰一人こちらを見ていない。

 (二人を除く)全員の恐怖を集めるが、その目の前に突き刺さった腕を引き抜き、悠々と次のモーションに移る。

 即ち…明らかに、セシルめがけてその右腕を振りかぶる。

 そのセシルは、今だ目の前に迫った恐怖に震え、何もできないでいた。

 …ちっ!

 かなみが一歩引き、ゆっくりと背中に手を回す。

 そして、誰からも見えないように。その手に魔法のバトンを現す。

 昨日と同じ。変身するかしないかはまったく関係がない。バトンさえあれば必要な事は大抵ができる。

 目標、セシルの手前三〇センチ。

 そして、身動きできないセシル向かって、鋭い爪が槍の如く突きだされる!

 ぎぃんっっ!

 だが、かなみが防壁を発生させるより早く、セシルがに手のひらを向けた。

 瞬間、その手に青白い光が宿る。

 って、みんなの前で使うかぁ?!

 かなみ一人別の意味で驚く中、その輝きが一気に膨張し、クリーチャーをベランダから外へと弾き飛ばす。

「セ、セシル?!」

 立ち上がったセシルが、驚く父の前に歩み出た。

 そして、自分の肩に手を当てるような仕草をした。

「パパ、ごめん。話は…後!」

 ぶぁばっ!

 この変身には、かなみも和美も驚いた。

 まさしくマントを脱ぎ捨てるが如く、引いた右手にセシルの元の姿が集まり、それが本物の漆黒のマントと化す。

 その下から現れた魔法少女のセシルが、肩にマントをひっかけてくるりと背を向け、窓から飛びだした。

 こ、これがアメリカ流…くそぉ、こっちだったらよっぽどましだったのにっ!

 かなみの変身アクションといえば、怪しいパラパラダンスみたいなものになっていて、あんまりにも情けないんでもう一つの変身…それこそ変身するだけの方法でやっている。

 スケールダウンも一瞬で終わる為に、激しい頭痛と立ちくらみがつきまとうが、あんなお遊戯を踊るぐらいなら頭痛地獄の方がましらしい。

『おい、新城!』

 魔法少女に女王と伝統は選べない、なんていい加減な言葉が頭を過ったかなみの頭に、今度は本物の鉤からの念波が突き刺さった。

『え?あ!』

 言われて気がついた。もう和美の姿がない!

「…あれ?和美は?」

 いきなり魔法少女の出現にびっくりしていたみんなだったが、和美の姿がいつのまにかなくなっている事に気づいてかなみに聞いた。

「あれ?そーいやどこいったんだろ…あ、あたし探してくる!」

 かなみが言って、わたわたと部屋を飛びだした。

『みんな、どこ?!』

「遅いっ!」

 廊下に出たところで念波で呼びかけた途端、いきなり背後から聞き覚えのある黄色い声が飛んだ。

「まだあいつらも仕事始めたばかりだが、油断はできん。あいつらは外のトラックに陣取ってる。行くぞ!」

『よっしゃぁっ!』…と、待った!」

 掛け声をかけたそばから、かなみが言った。

「あたしまだ変身してないじゃん!」

「ンなもん走りながらでもできるでしょ!」

 和美が走り出し、鉤、縞もそれに続いて走り出す。

 ったく、あれやるとふらつくんだから…

 しぶしぶかなみも走り出し、その最中に再びバトンを現す。

 せぇのっ!

 勢いをつけ、非常階段の曲がり角でバトンヘッドを壁に叩きつける。

 キィィィンッッッ!!!

 脳天に響くような真っ白な衝撃に、平衡感覚がばらばらになる。

 かなみの体力がそれを修復するのに約一秒、

「ったたっ!」

 前のめりに倒れこむ寸前、たたらを踏んで踏みとどまった。

 おっしゃ!変身完了!…しっかしきっつぅ…

 まだがんがんする頭に顔をしかめながら、魔法少女のかなみが非常階段を駆け降りていった。




「セシル、コンタクトに入ります」

 薄暗いトラックの貨物室の中、クリーチャー制御用に仮設されたコンピューターを操作する男が報告する。

「よし。今日の予定のスケジュールはクリアしているし、早めに終わらせるぞ」

「了解。…ん?!」

 怪物の防御力を落として弱くしようとした矢先、突然怪物の隣に和美扮する魔法少女が現れたのだ。

「なんだぁ?相乗りか?」

 構えるセシル向かって、「敵の友達は自分の敵」だのなんだのと言っているのが聞こえる。どうやら怪物に加勢する気らしかった。

「ちっ…この間の仕返しの積もりか。どうします?」

「セシルの自動防御を距離八十センチで働くようにしとけ。そうすりゃ近づく事もできん」

「了解」

 たたたっ、と設定値を変えてゆく。

 だがその矢先、今度はかなみ扮する魔法少女が現れ、一方的に和美と戦闘に入ってしまった。

「あいつら、何考えてんだ?」

「いいから、さっさとセシルにクリーチャーを倒させろ」

 結局加勢するわけでもなく、おざなりな戦闘を始めた二人に、けげんそうな表情をしながら作業を進める。

 やがて極めの魔法が炸裂し、怪物が倒れた。

「さて、ここからが本番だ…」

 和美がここから攻撃を開始するものと思い、セシルの自動防御を設定し直す。

 これで和美はセシルに攻撃するどころか、近付いただけで弾かれるのだ。

 その時、激しいアラームが鳴り響く。

「誰かがこのトラックのドアを開けようとしています!」

「何?!バリアが外れたのか?!」

「違います…ば、バリア発動しません!妨害されてます!」

「あ、あいつら…俺たちを巻きこむ気だ!」

 リーダーの顔が真っ青になる。

 がこんっ。

 外でバーロックが外れる音がした。

「い、いいか、全員平静を装え!ここで動揺したら…」

 怪物を操って戦いを「演出」していたなんて事がセシルにバレようものなら、とんでもないことになる。

 俺たちゃ仕事でやってるだけなんだ!畜生、後で労働組合に訴えてやる!

 外の光が差し込み、ドアが開かれた。

「…よう、こんな所で秘密基地ごっこかい?」

「しっ、縞?!」

 ポケットに手を突っ込んだまま、ニヤニヤしながらクルーを眺めていた縞に、リーダーが驚きの声を上げた。

「ほー、クーラーつきかい。いけないなぁ、こんな現代的で快適な秘密基地は…秘密基地ってぇのは一に怪しく二に不便、三、四がなくて五に洞窟だろう?」

「なっ、何の用だ…」

 そっと向こうの様子を伺うが、まだかなみと和美がやりあっていて、セシルはちょいちょいかわされているような状態で、まだこちらの事には気がついていないようだった。

「用があるのはそっちだろ?勝手にうちの縄張りにやってきて散々荒らして、しかもやりっぱなしってぇのはなぁ。ここじゃあ被害は最小限、必ず後始末すんのがマナーってもんだ」

「そ、それは…後日、保険金の支払いを待って…」

「あ、それとな、これ、うちらからの請求書。こないだうちの子に手ぇつけただろ。あの修理費と慰謝料、日本円でざっと五百万だ」

「ごひゃくまん?!ふざけるな!うちの魔術士にも手を出したくせに!」

 ぴっと手書きの請求書を見せた鉤に、真っ赤な顔で怒鳴る。

「ま、そうだろうな…払っちゃくんねぇよな」

 鉤が残念そうにその場でびりびりと破り捨てた。

「仕方ない…じゃ、お前らにちょっと一働きしてもらおうか。縞!」

「へーい」

 呼ばれて猫の姿をした縞がやってきた。

「…やれ」

「りょーかい!」

 途端に、縞の姿がむくむくっ、と膨れ上がる。

 やがて、怪物そっくりに化けた縞が、大きく吠えた。

「わ、わ、わ?!ま、待て!権限もないお前らが俺たちに手を出したら、後で問題になるぞ!やるならセシルに…」

「魔法少女に対する攻撃は自由だけどな、残念だがお前らが使ってる魔法設備の方が上物みたいだし…」

 縞がトラックに背を向け…声に気づいた魔法少女達と向き合った。

「あれが敵のボスよ!やっつけるなら今がチャンスよ!」「あれが…よーしっ!」

 等と口々に好戦的な発言が飛んでくる。その先頭を切るのは、セシル!

「…そうそう、縞はそのままかなみと戦闘に入って、予定どおり一瞬で消えるから。後は頼んだぜ」

 言い残して姿を消した鉤の向こう、あっという間に魔法少女二人に取り囲まれた縞が断末魔の悲鳴を上げる。

 そして、二人の視線がトラックへと注がれた。

「にっ、逃げろぉっっっ!!!!」

「待てぇぇぇぇっ!!!!」

 リアゲートを閉じて急発進したトラックを追い、セシルが走り出した。

 ふぅ…これで今日の仕事、終わりかぁ。

 ようやく静けさを取り戻し、周辺住民のまばらな拍手の中、かなみが姿を消した。




「で、これが今回の顛末書です」

 有限会社「アースプランニング」の社長室で、鉤が書類を差しだした。

「ご苦労さん。今回は大変だったわね。…ま、ニアミスって事でまとめときましょ。ちょっとやりすぎたかもしんないし」

「やりすぎたって、この計画承認したの社長でしょ?」

「実はあれから柚季衛が色々やってくれてね、地球の保険会社に揺さぶりかけて保険の支払い、止めさせたのよ。今あの会社がたがたよ」

 と、そこへ柚季衛がやってきた。

「魅亜、発注取消し決まったそうよ。被害補償は政府がうちに委託するってことで決まったわ」

「よっしゃ!勝った!」

 社長席でガッツポーズを決める魅亜に、柚季衛がため息ひとつついて。

「ただ、やっぱり縄張りについては駄目だそうよ。今度も来るかもしれないわね…」

「来るなら来い!日本はあたしが守るのよ!あ、でも対策経費はちゃんと見積りに入れといてね。ただでさえ経営厳しいんだから」

「もしかして、それが理由だったわけ?」

「ンなこと気にしない気にしない!結局魔法少女も敵あっての商売、利用できるもんはさせてもらうわよ!」

「…はぁ」

 がめつい事を抜かす魅亜に、鉤と柚季衛がため息をつく。

「どしたの?」

「…これからもこーゆー仕事が続くかと思うと…」

「あたしも電話取るの、やめようかしら…」

「ま、まぁ、そうでもしないとジリ貧なんだからさぁ…あ、そーだ!今日は祝勝ってことで呑みに行きましょ!」

 その魅亜の言葉に、ぴくん、と柚季衛の眉が動く。

「ちょっと、呑みに行くって、それ『どこの』金よ…」

「え、あ、いや…」

 先週の事を思いだした魅亜が、ビクついて引く。

「まだ懲りんのかぁっ!どこの世界に一国を治める女王になってまで会社の金で飲み食いする社長がいるんじゃぁあっ!!!」

「だ、大丈夫よ!今度は国費で落とすから…」

「余計悪いわぁっ!」

 そして、今日も女王陛下に怒鳴り散らす、専務の声がこだまするのであった。


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