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職業魔法少女  作者: 襟裳岬
1/3

高校生魔法少女、就任!

「次期女王は、魅亜!」

 白を基調とした荘厳な神殿に、力強くも厳かな男の声が響き渡る。

 数刻の後、空気が再び静けさを取り戻す。

 四方が霞む程の大広間を、洋装の式服に身を包んだ数千にも及ぶ参列者が埋め尽くしていた。

 その誰もが、沈黙を守っていた。

 空席となった玉座から伸びる赤い絨毯の彼方、参列者の遥か後方に深くひざまづき、頭を垂れた一人の女性。

 すべては、いにしえの習わしに従い。

 彼女は、無言のまま顔を起こし、見開かれた瞳が遥か遠くの、玉座ただ一点を見据える。

 あるいは、この地位を手にするまでの、戦い抜いた自分の歴史を。

 そこには、ある種の気迫すら感じられた。

 立ち上がった魅亜が、長く伸びた赤い髪をなびかせ、一歩一歩、しっかりとした足取りで歩いてゆく。

 徐々に、魅亜の背後、通り過ぎた参列者から拍手が起こる。

 あたかも、彼女を祝福するかのように。

「これが、この国の女王就任におけるいしにえの習わし…フザけたもんだな」

 振り向きもせずに通り過ぎてゆく魅亜に拍手を送りながら、随分と腹の突き出た男が苦々しげにつぶやいた。

「言うな。俺たちゃあの女に追い越されたんだ。就任式にゃすべての役上が招かれた上、それを追い越して最前列に出るって決まりなんだからよ」

「あぁあ、出世も形だけの挨拶で…少しは実も残してけってんだ」

「フタだけしてくれただけマシってもんだ」

 そんな不埒なざわめきも、玉座へと進む魅亜には聞こえていない。

 いや、聞こえていたとしても、彼女の背中はそれを圧殺するだけの威厳を備えていた。

 だが、そのような威厳も通用しない者達もいた。

「ここまでは予定通り、だな」

 闇と煙草の匂いと得体のしれない気配に包まれた空間で、壁面に投影された女王就任式の様子をソファーに腰掛けて眺めていた男が、何かを期待するようにつぶやいた。

 ひ弱な人間が入り込めば、それこそじっとりとした悪寒に苛まされるような気配は、彼が根源となっていた。

「まったく、出るとこに出れば変わるもんですね。皆から拍手なんか受けられる人物でもないのに」

 もう一人、彼の隣に座りながら手元で黒猫をもてあそんでいた男が、どす黒く渦巻く心中察します、といわんばかりにくっくっくっと猥雑な笑い声を上げた。

「さぞ、あのお偉方も、奴の事を苦々しげに見送ってるだろうな」

 いったい、彼らは何者なのか。

 ただ一つ言える事は、彼女の実像を深く知る者である、ということと。

 そして、就任式には招かれざる、光よりも暗闇を好む者、であること。

 やがて、儀式に則った宣誓が行われ、就任の儀は完了した。

「さて、いよいよだな」

 映像の中の参列者が静まり、男達が煙草の火を消した。

 これから、女王就任に伴う、最初の仕事が行われるのだ。

 玉座に深々と腰を降ろした魅亜の前へ、この儀式の代表と思われる男が歩み出た。

「では、これより改めて就任の儀を執り行う。汝、善の善なる証を立てる者を」

「御意」

 玉座から立ち上がった魅亜が、ゆったりと風を仰ぐように両腕を前方へと伸ばす。

 そして、気を集中して「何か」をゆっくりと、空へと投げ上げた。

 その途端、水にインクが広がるように、不可解な色が風の中へと放たれた。

「その者は別世界、すべての連立の彼方、そして…」

 徐々に鮮明になってゆく「風」が、青く澄んだ星を映し出す。

「かの星、地球と呼び習わし星に住む…」

 青い世界が広がり、雲を映し、小さな緑の中へと映像が急降下してゆく。

 やがて、どこかの街のレストランを映し、映像が停止する。

 意識を集中する魅亜の手が、指揮者のタクトのように動き、映像がゆっくりと移動してゆく。

 日曜の昼の賑わいに満ちたレストランの中へと入り込んだ映像が、小学生ぐらいの子供を連れた家族が座るとあるテーブルの前で停止した。

「この少女です」

 その途端、厳正な空気に満ちていた会場が、まったく予想だにしていなかった人物にざわめきに揺れた。

「ほ…本当に、彼女なのか?!お主が選んだ、魔法少女というのは?!」

「ええ」

 うろたえる代表とおぼしき男に、両の手を降ろした魅亜が笑顔を浮かべ、優しく言った。

「し、しかし、選ぶのは大体十歳ぐらいの扱いやすい年齢が慣例だと、前から言ってあったではないか!これはどう見ても…」

 まるで耳打ちでもするかのように小声でささやき、ちら、と頭上に広がる映像を盗み見る。

 注文が決まったのか、ウェイトレスに料理を注文している風景が映っているのだが、映像が注視しているのは、家族の中にいた小学生ではなく、注文を取っているウェイトレスその人だったのだ。

「あら、魔法少女が高校生ではいけませんか?」

 魅亜が、その笑顔を崩さぬままに言った。

「古来より、我が国は地球の発展を影より支える者として、地球において全能なる者を作り出し、民を指導し続けていたのです。…昔は『我が国』ではなく『我が星』と言えたのですが」

 魅亜の皮肉交じりの台詞に、参列者の後半あたりがどっと沸き、前半の政府高級官僚が苦虫を噛潰したような顔をする。

「確かに、過去において幾度か魔法少女の指名に失敗し、魔女を作り出した不幸な歴史もあります。ですが、だからといって小学生に道徳の教科書の棒読みみたいな事を恥ずかしげもなくやらせて若き日の過ち程度にとどめとけ、というのではミもフタもないと私は思いますわ」

 目の前でビクついてる代表の向こう、儀式の為だけにやってきた参列者に向かって言うわ言うわ、物腰柔らかな魅亜の毒舌が止まらない。

「ですから私は考えました。季節は夏、任期は一年。ならば、今まさに学生を終えて自由へ飛び出そうとする者に全権を与えてみてはどうだろうかと。それで、高校三年生の彼女を選出したのです。それに…」

 言って、魅亜の唇がかすかに広がる。

 優しそうな女王の表情が崩れ、柔らかな頬に魔性の本性が現れる。

「せっかくの国民的ショータイムなのですから、皆さんもその方がスリルがあってよろしいんじゃありませんか?」

 まるで悪党の如くねっとりと紡がれた彼女の言葉に、ざわついていた会場が一瞬にして静まり返った…


「…っくっくっくっ…」

 この光景を映像で眺めていた男が、込み上げる含み笑いを必死にこらえていた。

 自分達の仲間に等しい者が、日頃いさかいが絶えない敵を相手に公の儀式でここまで言い放ってくれたのだ。溜唾が下がるとはまさにこの事である。

「しかし、最後のはちと言い過ぎだぞ。いくら魔法少女制度が単なるアクション物に成り下がってたとはいえ、視聴者にまでけしかけるのは…」

「今更暗黙の了解ですよ。誰も一介の魔法少女に期待なんかしてません」

 なんて口々に言ってたその時。

 ぱちっ。

 誰かが電気のスイッチを入れたのか、とーとつに部屋が明るくなった。

 何事かと慌てて辺りを見渡せば、いつの間にか開け放たれた入り口のドアの枠に、一人の女性が体を寄せてこちらを睨んでいる。

 映像に映っていた魅亜と正反対の、恐ろしく冷えきった眼差しに立たされ、途端に男達がすくみ上がる。

「ふっ、副社長?!」

「鉤!縞!こんなとこで何仕事サボってんのよ?!もう会議始まってんのよ!」

 怒声一発、冷徹に見えた彼女がただのカミナリババァに豹変する。

「いや、ほ、ほら、こんな就任式なんか一生に一度見れるかどうかじゃないですか、だから、録画で見るなんて…」

「あぁ~~~~~~?」

 さっきの貫禄はどこへやら、言い訳を並べる鉤の言葉を右眉釣り上げ、右肩上がりでぶった切る。

「その就任式が終わったらあたし達は何をしなきゃなんないか、まさか忘れたわけじゃないわよねぇ?この平和な世の中、いったい誰が魔法少女の敵をやってると思ってんの?!魔法少女の就任式も始まって、明日にはもうこっちから悪役を送り出さなきゃならないのよ!さんっざん社長の茶々入れのおかげでスケジュール狂ってんのに、あんた達はここで一体なぁにをしていたのかしらぁ?」

 首をぐるりと動かし、部屋の中をじろりと睨む。

 会議で無人の事務室で、壁掛けテレビの前に接客ソファーをわざわざ持ってきて、部屋の電気を消していて何をしていたか。

 黙って構えりゃキレのある悪党ヅラも、サボりを見つかって立たされ坊主である。

「あ、副社長、ほらほら、うちのチャンビーちゃん」

 さっきまで黒猫を抱いていたひ弱そーな男が、へこへこしながら両手で猫の脇を抱えて彼女に紹介する。

「縞…うちの会社に来た野良猫に餌なんかやんないでよ!あんたに懐いたんだから、あんたが…」

 にゃ~。

 両手をじたばたさせながら、チャンビー(黒猫:一歳)が縞の両手から逃げようとする。

 その動きが頼りなげで、つい、彼女の目がその子猫に行った瞬間。

 とすっ。

「じゃ、後はよろしく!」

 彼女に子猫を預け、そそくさと男達が逃げてゆく。

「ちょ、ちょっと!あたしだって会議出なきゃなんないのよ!これどーすんのよ!」

 にゃ~。

 しかし、彼女の腕の中を安住の地とでも見定めたか、気持ちよさそうに子猫のチャンビーがくっついている。

 この会社の中で誰が一番優しいか、この子はちゃんと知っているのだ。

「…っあぁもぉっ!」

 ひとしきり歯ぎしりした後、諦めて給湯室でこの子に餌をやることに決め、壁掛けテレビの電源を消そうとリモコンを手に取った。

 一通りの儀式が終わったのか、ちょうど女王が会場から退場しようというところだった。

 彼女が、これから客として扱わなければならない彼女をじっと見つめる。

 その時、カメラに背を向けて会場を後にしようとしてた女王が、不意に振り向いた。

 そして、あろうことかカメラに向かってVサインを決めた。

「…はぁ」

 こめかみに込み上げる怒りをなんとかため息にしたため、そして軽くつぶやいた。

「念願かなっての女王就任、ほんっとに、おめでとうございます。…社長」


 会社創立から八年。

社長である魅亜と共に一人の幹部悪役として、魔法少女支援会社「アースプランニング」を支えてきた柚岐慧。

 かつて、一世一代の悪の女王を勤め上げた社長を、「本物の女王」としてプロデュースするという異常事態に、これから一年間の頭痛の種を抱え込んだ気分だった。





 舞台は代わって、日本は東京…から少し離れたベッドタウン。

 休息の日曜を終え、月曜の朝も始まろうかという時間。

 閑静な新興住宅街にある、とある一戸建ての住宅に住む家族も、これからいつもの朝の光景が繰り広げられようとしていた。

 コンコン。

「お姉ちゃん、朝だよ」

 二階のドアをノックする妹の声に、テディベアの縫いぐるみが並ぶベッドに沈む彼女は微動だにしない。

 ほとんど間をおかずにドアが開かれ、配達されてきた新聞を片手に呼びに来た妹が入ってきた。

 そして、何の躊躇もなくベッドのそばに行くと…

 すっぱぁんっ!

「…ったぁいっ!何すんのよ!」

 いきなり丸めた新聞(チラシ入り)で頭をはたかれ、わめきながら起き上がった。

「もう何時だと思ってんのよ!朝食出来てるわよ」

「え~…何よ、今何時よ…」

 縫いぐるみが並んだその隙間、ひっそりと鳴り続けていた目覚ましを引き抜いて時刻を見た。

「…まだ六時じゃない!もぉ、まなみの支度ならまだ三十分はあるのに、もうちょっと寝かせてよ」

 寝ぐせが残る髪に手をやりながら不満そうな顔をしていた姉に、もう身だしなみも終えてトレーニングウェアに着替えていた妹がじっと顔を寄せた。

「…な、何よ」

「昨日はよくもバイトしてる所にやってきて、ライス半盛りだのサラダにマヨネーズかけてくれだの無茶苦茶な注文してくれたわね。バックヤードであたしゃ恥ずかしかったわよ」

「なぁによぉ、そのくらいいいじゃない。ライスだって残ったらもったいないだけなのに…」

「他のお客さんも見てんのよ!ここのライスは少ししか盛らないなんて思われたらどーすんのよ!もうあんなの、やめてよね!じゃ、あたしこれで部活の朝練行ってくるから、玄関の鍵、頼むわよ」

「かなみ!」

 名前を呼ばれ、部屋を出ていこうとした妹が振り返った。

「…新聞、置いてって。先週、経済の教授が今日の講義でネタにするって言ってたのよ」

「じゃあ、まなみが目ぇ覚まして小学校行くまであと一時間、しっかり起きて暗記しとけば?」

 しわくちゃになった新聞を放り投げ、かなみがバタンとドアを閉めた。




「いっちにっ!」

『さんしぃ』

「ごぉろっく!」

『しっちはち』

「ほらほら二年坊主!気合が足らん!」

 通学する高校生がちらほらと見え始めた学校の回りの道路を、かなみを先頭にして揃いのスポーツウェア姿の女子が駆けてゆく。

 かなみが通うこの高校の、女子陸上部の面々だ。

「せんぱぁい、もう六周もぉ、してますよぉ。そろそろぉ、やめませんかぁ?」

 先頭を身も軽く走るかなみに、よたよた状態の二番手集団の先頭にいた女子がへばりかけの声を上げた。

 いくら朝とはいえど、初夏も終わり夏本番。爽やかな朝日が既に暑すぎる。

「それでこれから一年生引っ張ってけるの?!インターハイも終わって、来年はあんた達が主役なんだから、今月から朝練はコース十周!あと四周、気合入れてくわよ!」

 先月まで五周だったというのに、かなみ一人の元気な声が、げっそりした表情の後輩達の頭上を越えて、あさっての方角へ飛んでゆく。

「ちょっとぉ、新城っていつ引退すんのぉ?ほかの先輩、受験があるからってみんな引退したじゃない」

「だめだめ、あいつ就職組だから受験勉強しないのよ。なーんかやる気満々だし、下手すりゃ冬まで居座るかもね」

「げーっ、まじぃ…?うちってただの進学校なのに、こんな事に頑張ったって…」

「ほらそこ、何しゃべってんの!あんまりサボってると、帰ったら走りこみ追加するわよ!」

 列の後半だというのに、どーやら聞こえていたらしい。

「ひーっ!」

「ほらおいっちにぃ!さんしぃ!」

 回りを歩く通学中の生徒の、ちょっと白い視線を受けながら、学校随一のヘヴィーな朝練をこなす女子陸上部が、学校と逆方向へと走ってゆく。

 ちなみに今年の入部者は十五名、うち三名脱走。これまでのワースト記録である。

「よっ、今日も朝から、人生無意味に減らしてるわね」

 そこへ、軽く走り込みながら女子生徒が一人、近づいてきた。

「和美、今日は早いじゃない。どしたの?」

「今日は日直よ。そうそう、今日の数学の宿題だけど、かなみ、やってきた?」

「なんとかね。…また見せてくれっての?」

「引き換えに、昨日のオールナイトニッポンのテープ。バイト明けだし、どーせ途中で寝たんでしょ」

「…よし、乗った!」

「商談、成立!」

 走りながら、二人がきゅっ、と握手を交わす。

「しっかし和美ぃ、なんで陸上辞めたの?あんたが陸上にいてくれたら、あたしもすっごく助かるのに」

「あんたこそなんで大学受けないの?大学行けば、あと四年は続けられるのよ。こないだの総体の予選でかなりいいとこまで行ってるし、顧問の先生も推薦してやるって言ってくれたじゃない」

「それなのよねぇ…なーんか、推薦されるってのが気に入らないのよ。それに正直言って、受験なんて頭使うの苦手だし…」

「中学からの筋金入りの筋肉馬鹿だもんね、かなみって」

「あ、言ったわね!そーゆーあんただって、中学ん時はずーっとあたしと張り合ってたくせに!」

「あぁあぁごめんごめん」

 そう言って、二人が笑いあう。この間、ずっとランニングを続け、二人とも息一つ上がってはいない。

「…そーいえばさ、なんかみょーに静かじゃない?」

「…そーいや静かよね…」

 たったったっ…

 二人が走るのを止め、後ろを振り返る。

 後輩がいたはずの歩道の上に、朝の澄んだ空気がただ一つ。

「あーっ!あいつらまた逃げた!」

「今日、何周させたの?」

「まだ六周よ。今日こそ十周させるつもりだったのに」

「かなみぃ…」

 うんざりした表情で和美が言った。

「あたし達の時も五周で終わりで、後は自主トレでやってたのよ。今まで通りでいいじゃない」

「その自主トレの十周のおかげで、今年はなんとか上位に食い込めたんだし、全員がやればうまくすれば、誰かが予選突破して県代表になれるかもしんないじゃない」

「あーあーわかったわよ…どっちにしろ、今日はちゃんと六周ついてきたんだし、あんまし怒っちゃかわいそうよ」

「はいはい…どっちにしろ、あたし、ちょっと探してくる」

「あたしも日直あるから、もう行くわ」

 二人が揃って、学校へと引き返す。

『じゃ!』

 そして和美が学校へ、かなみがどーせ本道から離れて歩いているだろう後輩を探しに、曲がり角を別れて行った。




「ここのコンビニもいないわねぇ…」

 通学路から少し離れた、大通りに面したコンビニの中をちらりとのぞき、かなみが再び走り出す。

 和美と別れてから、二十四時間営業の本屋やいつも行くコンビニ等、みんながサボりそうな場所を徹底的に探しまわっていたのだが、いっこうに見つからない。

 それもそのはずで、全員部室に戻ってもう着替えて退散しているのだ。

 そんな事もつゆ知らず、かなみが大通りを離れて住宅街へと入ってゆく。

「ありゃ、もうこんな時間…」

 最後発の大学生も通学で出てしまったのか、住宅街からは人通りがすっかり絶えていた。

 しゃーない、あたしもそろそろ遅刻するし、今日の放課後に回すか…

「ねぇ、ちょっとそこのキミ!」

 と、踵を返したかなみに、子供っぽいがやたらナンパくせぇ声がかかった。

 走り出したかなみの足が止まる。自慢じゃないが、生まれて今まで十七年間、この手の声をかけられてナンパだった試しは一度もない。毎回期待はしていたが。

「…あぁ?」

 明らかに不機嫌そうな声を出し、ゆっくり振り返る。

 だけど、そこには誰もいない。とても近くで声がしたはずなのに。

「こっちこっち、上だよ上!」

 へ?

 上から声がかかるなんぞ、聞いた事もない。

 かなみの身長より頭二つ上までそびえる塀を見上げても、黒猫が一匹いるだけだ。

「あー、やっと見つけてくれた。僕だよ僕」

 塀の向こう、にしては声は上から飛んでくる。

「いったい何なのよ、話があるんだったら姿ぐらい現したらどーなのよ!」

「…物怖じしないんだね…」

 声が一瞬引き、恐る恐る言った。

「はぁ?で、用件は?ウマい話?奇跡の話?世間の役に立てって話?それともナンパ?」

 畳み掛けるかなみに、黒猫がびっくりしたのか、立ち上がって道路に飛び降りた。

「ま、まぁ…最後以外全部かな?」

 今度は、急に足元から声が聞こえた。

 塀の向こう側に誰かいると思っていたかなみも、さすがこれには戸惑った。

 しばらくきょろきょろしていたかなみが、何かに気付いたか、見たくない物でも見るかのようにぎぎぃ、と首をめぐらして黒猫を見つめる。

「…もしかして…気付いてなかった…?」

 ちょっと絶句気味のその声が、確かにかなみが見つめるその黒猫から発された。

「…~~~~~~~!!!」



「か~っ、間に合ったか…これだから大人はヤなんだよ」

 静けさを保つ住宅街のど真ん中で、息が詰まったように身もだえするかなみの前で、片手をかざした黒猫が安堵のため息をついた。

「…っぷはぁっ!」

「こんなとこで悲鳴なんか上げたら、みんな集まってきちゃうよ。それでもいいの?」

「よか、ない、けど、いきなり、何すんのよ!」

 膝に手をついてぜーはーぜーはー荒い息をついているかなみに、黒猫が涼しく一言。

「あぁ、叫びそうだったからちょっと口塞いだの。魔法で」

「ま、魔法ぉ?!」

「ネコが喋るんだし、不思議でもないよ」

 かーっ!いったいどーなってんのよ!ネコが喋って魔法を使うぅ?!あたしゃ夢でも見てんの?!

 天を仰いで吠え面すれど、だからって何も変わりはしない。

 ただ、荒くなっていた息が収まるにつれて、かなみもようやく正常な思考を取り戻しつつあった。

「んで…魔法を使うネコがあたしに何の用なわけ?魔法の国の女王の為に、あたしに魔法少女にでもなって世界を平和にしてくれって?」

「そ」

 かなみのやけくその冗談があっさり肯定され、かくんと膝が落ちかける。

「あのさ…あたし、来年には高校卒業して就職すんのよ?求人だって少ないってのに、なんであたしなわけ?」

「ご指名。特に深い意味はないよ。ただ、社…女王様が、キミの事を気に入っただけだよ」

「…その一言で、あたしを現実から引きずり降ろす気かい…」

 額を手で押えたまま、かなみがへなへなとその場にへたり込む。

「魔法少女だからって、別に気ぃ使う事なんてないよ。そっちの事情はちゃんと考慮するから。それにここったへんじゃあ唯一の魔法使いになれるんだから、悪い話じゃあないと思うよ?」

「そーいやあんた、さっき、『うまい話か、奇跡の話か、人助けの話か』って聞いたら、『全部』って言ってたわね」

「ナンパじゃないのは確かだよ。仕事だし」

 うっさい!だけど間違いないみたいね…

「それにさ、キミにはどうしてもやってもらわないと困るんだ。キミも困るしね」

 思案顔のかなみに、黒猫が思わせぶりな目を向けた。

「…どーゆー事よ…」

 フシンなものを感じて身構えるかなみに、黒猫がかわいらしい顔を向けて。

「こんな所で人語を喋るネコと会話する人がいます、なんて世間様に知れたら、どうなるんだろうね?」

 ひきっ、とかなみの表情が強ばった。

「大丈夫大丈夫、こーゆーものの常でちゃんと秘密にしといてあげるから。魔法少女のサポート役として、ね」

 本人はキラリと歯を見せて笑ったつもりだろうが、その姿はどー見たって、獲物を見つけ、今まさに食いつこうという獣の姿そのものだった。




「…かなみ、どしたの?」

 教室に入るなり、自分の机に学生鞄を放り出して突っ伏してしまったかなみに、学級日誌片手にやってきたかなみが尋ねた。

「…どーもないことにしといて…」

「後輩にナメられでもしたの?」

 普段なら、和美が涼しげな顔をしてこんな事を言えば、すぐにかなみが飛び起きるはずだ。

 なのに、今日はぴくりともしない。

「ははぁ…さては、どっかのスカウトに出くわして、AVに出演しないか、って言われたんでしょ」

「もー、好きにして…」

「こりゃ重傷だわ…」

 投げやりなかなみの返事に、呆れた和美が自分の席へと歩いてゆく。

「…和美」

 かなみにふと呼ばれ、和美が振り返る。

「…喋るネコがやってきて、なんとなく指名されたから魔法少女をしてくれ、なんて作り話、面白いと思う?」

「ふぅん…面白くはないけど、あたしならやってみるわね。面白そうだし。それよりもうすぐHR始まるわよ」

「…」

 突っ伏したまま右手を上げたかなみに、和美が咳払い一つして。

「きりーつ!」

「っぬぁあっ?!」

 ぐぁたたんっ!

 既に先生がやってきて整然としていた教室に、かなみが慌てて机から飛びおきた。



 かちゃ。

 既に四限も終わりに近づき、集中制御式の時計が不意に動く。

 その度にかなみの思考がリセットされる。

 この時間が終われば、昼食と昼休み、そして朝にあのクソネコと交わした「約束」が待っている。

 もはや冷や冷やものである。

 結局、魔法を使う胡散臭いネコに「自分が関係者だとバラすぞ」と脅しをかけられ、昼休みに魔法少女となる為の手続きをすると約束してしまったのだ。

 逃げ隠れしようものなら、学校内で自分はどこにいるか「聞いてまわる」とまで言われ、そんなことをされようものなら就職どころかマスコミが学校に殺到して、「異世界の女王の関係者」だと報道されて、それこそ世界のてっぺんまで担ぎ出されてしまいかねない。

 座して晒し者になるのを待つより、バレないようにするから、なんていい加減極まりないあいつの言葉に乗ってヤバい橋を渡る方がマシというものだ。

 きーんこーんかーんこーん…

「…あ、では、今日の授業はここまで」

「きりーつ!」

 タイムリミットの声がかかり、かなみが重い腰を上げた。

 考えたってしようがない。やるしかないんだから。これからの事だけ、考えよう。

 最期の一瞬に、かなみがそう思う事で切り捨てた。

「礼!」

『ありがとう、ございました!』

 みんなと一緒に、かなみがいつもの調子で元気よく礼をした。

「さーて飯だ飯!」「へっへー、かにパン今日は確保できたぜ!」「おーい!先に食堂の席、頼むぜ!」

 一気に賑やかになった教室で、かなみが弁当も取り出さずに手ぶらで立ち上がる。

「かなみぃ、お昼ご飯、どーする?」

 学級日誌に四限の簡単な内容を書き留めた和美が、かなみに話し掛けた。

「悪ぃ…あたし、ちょっと用事あるから。また明日にでも、一緒に食べよ」

「ふーん…ん、わかった」

 滅多にないが、いつも一緒に昼飯を食べているかなみがこういう事を言えば、すぐに根掘り葉掘り聞き出そうとするのに、和美が軽く引いた。

「んじゃ今日の帰りに、どっかお好み焼きでも食べに行こっか」

「…?和美がンな事言うのも珍しいわねぇ。なんかいい事でもあったの?」

「べっつにぃ」

 和美が軽くはぐらかす。かなみも、こういう事を深く突っ込む性格ではない。

「んじゃ、あたし行ってくる」

「じゃ、頑張ってきてね」

 和美に見送られ、かなみが一人、教室を出て行った。

「…さて、あたしもさっさとお昼、片付けないとなんないかな。今日からさっそく初仕事か!」

 席に戻った和美が、意気揚々と鞄を開けて弁当を取り出した。





「時間も間違いないし…体育館ってったら、ここだけよね…」

 板張りの体育館の中、高い天井近くに取り付けられた大時計を、壁に背をつけていたかなみがぼんやりと見上げた。

 目の前でバレーボールをしていたジャージ姿の女子生徒達が、3セット目のサーブを打ち上げる。

 隣は3ON3バスケが二組、反対側はゲームとも言えないボール遊び。

 そしてかなみの回り、体育館の壁沿いには昼食後の会話に興じる生徒達。

 それこそ休日の公園の如く、体育館は賑わっていた。

「なんだって、体育館なわけ?」

 こんな場所じゃ、来られても困るし、来なくても結局困る。

「かなみー!そっち行った!」

 反対側のコートから、声と一緒にボールが飛んできた。

 ほとんど反射的に、かなみが右足で壁を蹴る。

 壁から離れ、前傾姿勢になったところへボールが飛んでくる。

 そこへ、差し出すように軽く右手を出す。

 ぱんっ!

 弾かれたボールが鋭い弾道を描き、相手コートへと飛んでゆく。

「今日はどーなってんの?和美はいないし、かなみは気が抜けてるし」

 かなみ達と同じクラスの子が、両手を構えてかなみから返ってきたボールをレシーブする。

「さぁね…二人ともデートの約束でもしたんじゃないの?」

「えーっ?!うそ!」

「二人とも、なんか今朝から変じゃない。やっぱり、なんかあるわよ」

 トスで上げられたボールを相手コートに叩きこんだ子が、反対コートの後ろにいたかなみを見た。

 昼休みとなると、すぐに体育館に駆けつけて場所取りをするような二人なのに、今日のかなみは体育館のすみっこで物憂げに時計ばかり眺めている。

 これをデートの待ち合わせと言わず、何と言う。

「でもさぁ、もうじき昼休み終わっちゃうのに…ねぇ」

「うん…」

 レシーブされたボールが、再びこちらのコートに飛んできた。

「よっし!」

 レシーブされ、自分のすぐ隣に上がったトスへ、彼女が思いっきりジャンプする。

「かなみぃっ!そっち行ったぁっ!」

 言ってすぐさま、外野一直線のコースでスパイクをぶちかます。

「ったぁっ!」

 あらかさまに狙われ、かなみが前のめりになりながらレシーブする。

 スパイクを放った彼女が、かなみと目が合うと、すかさず後ろに下がった。

 かなみの耳に、トスが上がる音が聞こえた。

 …っ!

 陸上のクラウチングよろしく、床を斜めに蹴飛ばして、外野から一気にコートへと突っ込んでゆく。

 そしてボールの目前、幅跳びの要領で床を踏み切り飛び上がる。

「っせぇいっ!」

 すぱしぃん!

 意表をついたかなみのバックアタックが、相手コートの床一直線に突刺さる。

「静、かなみと交代ね!かなみぃ、なんか約束すっぽかされたみたいだし、あと十五分あんたの相手したげるわ!」

「うっさいっ!」

 そしてかなみのコートから一人抜け、かなみが最前列に立った。

「あーあ、かなみ、待つのやめちゃった」

 天井に吊るされた照明ユニットの上で、フレームにちょこんと腰掛けていた小さな女の子が、壁から離れてバレーに参加した彼女を見て言った。

「…遅い、あいつはいったい何をしとるんだ!」

 その隣で、それほど大きいとは言えない照明ユニットに、身を隠すように張り付いていた男が苦々しげにつぶやく。

 こんな所に人間がいるのも不自然だが、それ以上に二人の格好は不自然だった。

 男は、シーツ並みの大きさがある黒いマントに身を包み、装飾がついたヘッドバンドを身につけていた。少し年寄り臭いその指にも、黒ずんだ銀色をした、派手な装飾の指輪がいくつもはめられている。

 少女は年の頃十歳ぐらいの身長だが、やはり黒づくめ。

 しかもなぜだか、水着だかボディコンなんだかわからないような露出多過の服。

「ちょっと、そろそろ時間なんだけどさ。まだやんないの?」

 幼い声で、かなり生意気な事を言う。

「仕方あるまい…放課後に延期…いや、まてよ」

 ふと何かを思い付いたか、思案顔の男が言った。

「朝っぱらにコンタクトを取ったのは間違いないはずだ。なら、もう魔法少女の事は知っているだろうし、なら、多少の事が起こったとしても…逆にその方が面白いかもな」

 言って、少女の顔を見た。

「どう思う?今、ここで襲えば、彼女はどう動く?」

「そぉねぇ…かなみも覚悟決めりゃあ、なんでもやるタイプだし、いいんじゃない?」

「よし。ならば、手筈通りに」

「了解」

 少女が右手を軽く持ち上げ、手のひらを広げて上に向ける。

 そして、念じる。

 次第に、手のひらの上から光が消えてゆく。

 空間に広がる染みのような「黒」が広がってゆく。

『なっ、何だっ?!』

 それは、慌てた男子生徒の声から始まった。



「おい…どうなってんだよ…」

 シュートを放とうとした男子生徒が、立ちすくんだままバスケボールを取り落とす。

 声が消え、体育館にざわめきが満ちてゆく。

 体育館の上の方にあった窓から、澄み切った夏の青空が見えている。

 なのに、上の方から次第に黒い闇が広がってきたのだ。

 生徒達が悲鳴を上げ、我先にと出口へと殺到する。

「うぁー…ちょっと、マジぃ…」

 だけど、かなみはただ一人、コートの真ん中で疲れたような顔をして窓を見上げていた。

「ちょっとかなみ!何ぼーっとしてるのよ!」

 すれ違いざま、さっきまで反対コートにいた女子生徒の一人がかなみのブレザーの袖をつかんで引っ張る。

 なんつーか…ムチャ派手なことしてくれるわね…このまま逃げちゃおかな…

 なおもひっぱる彼女に、かなみもそろ、そろと、あくまで引きずられて仕方ないんだよ、的に動き出した。

「あ、かなみの奴引っ張られてる!」

 右手に闇を広げていた少女が、出口に殺到する集団に引きずり込まれてゆくかなみを見て、軽く舌打ちした。

「そいつはまずいな。いっそ名前を呼んでしまえば…」

「最初の約束じゃあ、名前は出さない、って約束でしょ?」

「あ、いや、すまん。忘れてた」

 少女に注意され、男が頭を下げて謝った。

「となると、だ…」

「考えなくてもいいわよ。こーすればいいわ」

 遊ばせていた左手を、今度は手招きするような形にした。


 とんとん。

 ごった返す出口の後ろにいたかなみの肩を、誰かが叩いた。

 …?

 振り返っても、誰もいない。

 きりっ…

 そこへ、天井の方から軽いきしみ音。

 …

 袖を掴んでいる手は、ほとんど緩んでいる。

 軽く力を入れて、袖を引き抜き、一歩だけ後ろに下がる。

 やがて、かなみを残して全員が外に出た途端、防火扉が何かの力でばたんと閉じられた。

 かなみが、ゆっくりと振り返る。

「だから言ったでしょ?覚悟決めたら、なんでもするタイプだって」

 空中をゆっくりと滑り降りる少女が、男を見上げて言った。

「…なるほど、な」

 かなみただ一人が残った体育館の中央へ、二人が同時に下り立った。



「あんた達ねぇ、なんでもーちょっと地味にできないの?こっちの事情は考慮するって、あれ、嘘?」

 かなみが両手を腰に当て、不満そうに言った。

「事情を考慮…か。今度から考えといてやろう」

 含み笑いを交え、男が言った。

 …?なんか今朝の奴と雰囲気違うわね。

「とにかく!用件はさっさと済ますわよ。あたしだってすぐに出ないと、何言われるかわかったもんじゃないんだから」

「ああ。こちらも手短にお願いしたいものだ。キミが死ぬ事で、ね」

 マントを羽織った男が、右手の手のひらをかなみへと向けた。

 その瞬間、かなみの背筋に言い様の無い寒気が走る。

 男の右手に突然炎が宿り、かなみめがけて一直線に伸びた。

「なっ…何すんのよ!」

 辛うじて転がり避けたかなみが、床に手をついて素早く立ち上がる。

 悪寒がした時に姿勢を崩してなかったら、危うくあの炎の直撃を食らうところだった。

「何をする?キミこそ何をするんだね?魔法少女になって、世界を平和にするんじゃないのかね?」

「ンな話聞いてないわよ!…?!」

 不意打ちに激昂しかけたかなみだったが、ようやく気がついた。

 こいつら、今朝の奴の仲間じゃない!それどころか…敵ぃ?!

 じょーだんじゃない!

 かなみが身震いする。魔法少女になるったって、まだ話を聞かされただけなのだ。

 ウマい話にゃリスクは付き物だってぇけど、ちょっとこりゃないわよ!

 かなみがすばやく周辺を見渡す。

 一番近場で脱出できそうな場所は、床近くにあるアルミ製の換気窓。

 ガラスでないので破れるかはわからないが、やるだけやるしかない!

 床を真横に蹴り、ダッシュで壁へと走る。

「ヒュゥ、はっやーい」

 少女が口笛を吹いた。その途端、姿がかき消える。

 ?!

 かなみが床に足を突き立て、急停止する。

「役目も済まさないで、どこに行くのかしら?」

 その真正面、さっきまでかなみの後ろにいた少女が、そこに立っていた。

「ははぁ…さっきからあの黒猫の姿も見えんし、どうやらまだ魔法少女ではないらしいな」

 ぎくっ!

 見透かしたような男の声に、かなみが凍り付く。

「えーっ?!そーなの?つまんなーい!」

 わざとらしい声で、少女が言った。

 本格的にまずい事になってきた。このままだと、マジに死ぬ!

「しかし本当に面白くないな…まだ正式に任命されてもいない者を消すというのは…」

 強者のおごりを見せながら、男がかなみを舐めまわすように見る。

 が、かなみと目が合った途端、男がわずかに引いた。

 恐ろしさに震えていると思っていたのに、かなみの目は冷静だった。

 冷静に男を見据えていた。男の考えを見透かさんばかりに。

 この状況でも恐がらないのか…

 男は彼女の態度に、素直に感心した。

「よし。なら、お前にチャンスをやろう」

 言って、男が自分の指にはめていた指輪を、一つ外してかなみに投げて渡す。

「その指輪をはめれば、魔法少女まで…とは行かなくとも、魔法を使えるようになる。それを使ってこの少女と戦い、勝てばこの場は引き下がろう。…まぁ、お前に使いこなせるような代物でもないがな。ハッハッハッ!」

 大声で笑う男を無視して、かなみがその指輪を右手の人差し指にはめた。

「ま、とゆーわけだから。そいつを使ってあたしに勝てれば、明日の朝日も拝ませてあげられるわ。ところで使い方知ってんのぉ?」

 子供に尋ねるような言い方で少女がおどけた。

「では、後は任せたぞ」

 マントを翻して背を向けた男の姿が、霞むように消えた。

「とゆーわけよ。準備、オッケィ?」

「…言われなくとも、ね」

 げ…マジになってる…ヤバ…

 半身になって腰を落としたかなみの周囲に、魔法を使う者にしか見えないオーラが立ち上るのを、彼女ははっきりと見た。



 こいつで、本当に魔法が使える…?

 冷静に構えながらも、かなみはまだ半信半疑だった。

 目の前にいる少女、それとさっきまでいた男は、どうやら今朝の奴の敵なのは間違いない。

 そいつがよこした代物だ。信頼性なんて無いに等しい。

 だけど、これを身につけた時から、体の周囲の様子が変わった。

 なんというか、空気とは明らかに違う、何かの流れの中にいる感じがする。

 捉えられる感覚は、流れのあるプールの中で水に煽られる、そんな感じだ。

「んじゃま、行くわよ!」

 少女がぱちん、と指を鳴らすと、手品か何かのように、その指の上に白い球が現れた。

 それを人差し指の先で持ち上げ、かなみに向かって投げ付けた。

 いったい何が投げられたかはわからないが、避けるしかない!

 そう思った時、体の周囲の流れが、まるでかなみの動きを助けるように動いた。

 引いた左足にあわせ、流れが上体を後ろへ流す。

 脇腹のあたりを、白い球がかすめた。

 ふぅん…こんな感じなわけね。

「やり過ごした、なんて思わないでね」

 少女が軽く人差し指を引いた。

 すると、かなみの後ろへと逸れた白い球が、弾かれたようにこちらへと戻ってくる。

 今度は、かなみが向かい合うように構えた。

 目に見えない物質が、両腕に絡み付くように淀む。

 かなみの思い通りに。

 なるほど、こうやるわけか。後は…

 迫ってくる白い球目掛けて、かなみが右腕を強く振った。

 途端、突如としてかなみの右腕が激しく光り、光の刃、としか言い様の無い物体が放たれた。

「げっ!」

 少女が目を疑った。

「なかなか、面白そうじゃない」

 白い球を真二つに切り裂き、ついでに後ろの壁まで切り裂いたかなみが、不敵な笑みを浮かべた。



「ふぅ…こりゃやっぱり暑いな…」

 夏の日差しが照り付ける体育館の屋根の上で、黒いマントをタオル代わりに汗を拭いていた男がつぶやいた。

「よっ、鉤じゃねぇか!」

 体育館の屋根の上に、彼を呼ぶ男のダミ声が響いた。

「やぁ、楠さん。お久しぶり」

 現れたのは、これまたいかめしい顔をした、いかにも悪人といった感じの男だった。

 体格も筋骨隆々としていて、暗黒騎士か蛮族が似合いそうな風貌をしている。

 が、今は雪駄に短パンにアロハシャツ、ついでにコンビニ袋までぶらさげて、何故だかこれまたよく似合う格好だったりする。

 なんだかその口調も、その風貌に似合わず、楽屋裏に後輩を訪ねてきたOBのような軽さだった。

「こいつはお土産ね。で、どうだい。彼女の様子は?」

 ぶら下げていたコンビニの袋からビールの缶を取り出し、鉤に渡しながら聞いた。

「あぁ、さすが高校生だね。武器もないのに怯えもしないで、なかなかホネがあるよ」

「そうかぁ…」

 缶ビールのタブをプシっと開き、二口ほど流し込む。

「三年前だったか、俺んときは小学生だったんだが、あん時は俺の顔見ただけでわぁわぁ泣かれて困ったもんだ。結局顔見せするだけで当日はおしまいよ」

「そんな事もありましたねぇ。それで楠さん、かなりメイクに気を使うようになって、最後にはなんだか正義の味方みたいになってましたね」

 しみじみと鉤がうなずく。

「そん時は確かおめぇ、八回目と十二回目、それとラスのやられ役だったか?それが今じゃ主役とは、随分出世したなぁ」

「ええ、おかげ様で。それより、今日は確か姪御さんの披露宴じゃ?まさか、出るのが嫌でこんなとこに来たなんて…」

「ばっ、馬鹿を言うない!いくらおめぇ、駆け落ちだったからって、かわいい娘の晴れ舞台に出ねぇわけがねーだろ!」

 まくしたてるように楠が言う。

 そういえば、岩石をえぐったようないかつい目許も、どこか腫れぼったい感じがする。どーも披露宴で大泣きして、居づらくなって地球へ来たらしい。

「そいえば、今度の魔法少女は新城かなみ、ってったか?スカウトの方はどうだったよ?」

 少し込み上げるものでもあったか、顔を背けて立ち上がった楠が、屋根の縁から身を乗り出して下を覗きこむ。

 だけど、ガラスはすべて真っ黒に塗り潰されたようになっていて、中の様子は判らない。

 ただ、時折鈍い音と、気配が大きく揺らぐ感じがする。

「それが…またですよ」

「まただぁ?またぁ縞の奴、サボッたのか!」

 のっそりと向き直った楠が、ダミ声で吠えた。

「そいつは大丈夫。ちゃんとシナリオ直しておきましたよ。それに、こっちでスカウトした方は上々でしたよ」

「こっちのってぇ、悪役側かい?あれはおめぇ、いつもヤベぇ事やって…」

 笑って言う鉤に、多少どころかかなり罪悪感があるらしい楠が、落ち着かない仕草で言う。

「今回は洗脳はなし、生ですよ」

「なっ、生ぁ?!本気かよ?!おめ、昔あったろうが!それやって本気で魔女になっちまった奴がよ!」

「なかなか頭が回る奴でね、全部納得して引き受けてくれました」

「な、納得って…全部バラしたのかぁ?!」

「ええ」

「~っか~っ…」

 何の疑念も無く肯いた鉤に、楠が気が滅入るような声を上げて頭を抱え込む。

「悪役社長が今や本物の女王ってんだから、まぁ不思議もねぇか…しかしよぉ…」

 ごしごしと手で顔を拭いていた楠が、ふっ、っとため息をついた。

「時代は、変わったなぁ…」




「ほらほらぁ、さっきまでの自信はどーしたの?!」

 かなみが両手を左右に広げ、指をめいっぱい広げて大きく風を仰ぐ。

 その途端に十本の指先から、放射状に音速の刃が放たれる。

 さながら、水に浮かぶガラスのナイフだ。

 ふぅんっ!

「くぅっ…!」

 少女がガードを固め、正面の淀みを凝縮して対抗する。

 だが、それをやった時には、刃を放ち終えたかなみの両手が、彼女にまっすぐ向けられて、

「遅いっ!」

 衝撃波が爆ぜる音の直後、間髪入れずに放たれた重い風が、ずしりと防壁にのしかかる。

 …来る!

 そうわかっていても、防壁を外す事ができない。外せば、真正面からぶつかってくる風に吹き飛ばされる。

 考えがまとまらないうちに、真上から気配が落ちてくる。

 ごばきぃっ!

 派手な音がして、かなみの放ったフライングエルボーが、少女を体育館の床に叩き伏せた。

 ちょっとぉ!全然歯が立たないじゃないの!あいつ、なんてもん渡すのよ!

 きっちりと組まれた魔法の防御で、打撃の痛みはほとんど感じないが、体勢を崩された心理的圧迫感は強い。

 慌てて横っ飛びに飛びのけ、かなみと距離を取る。

 この戦いの主導権は、今や完全にかなみが握っている。

 もはや、逃げ出すしかない…のだが。

 まったくモーションも見せず、立ち姿勢からバックダッシュをかける。

 なのに、その瞬間、かなみの姿がかき消える。

 とすっ。

 少女の背中に、何かが当たる。

「どぉこへ行く積もりぃ?あんたの相手はまだここにいるのよ」

 慌てて飛びすさってみれば、どーゆー動体視力をしているのか、負けず劣らずのダッシュで先回りしたかなみが立っていのだ。

 あちゃーっ!歩幅違いすぎる!

「そっちが来ないんだったら、もう一発!」

 ぐっと握った右手を、ゆったりとした動きで後ろに引き込む。

 それだけで、その右手の周囲に陽炎のような濃密な気配がわだかまる。

 それを見て、少慌てて少女も同じ構えに入るが、風を撫でるような軽い気配しか集まらない。

 圧倒的に出力が違い過ぎるのだ。

 かなみが、溜めた右手を一気に突き出す…直前、手のひらをぱっ、と広げた。

 不意な動きに少女が戸惑ったが、その直後にその真意がわかった。

 動きを止めるように広がった手に気配がぶつかり、一気に広がる。

 そして、その気配に着火するように炎が広がった。

 その間には、反対の手に気配が集中している!

「せりゃぁあっ!」

 気合一発、左手から放たれた気が正面の炎を纏い、直径二mはあろうかという火球となって、少女めがけて飛んでゆく。

「ぬぁっ?!」

 どっ、どーゆー使い方してんの?!

 集まっていたショボい気を放り出し、体をのけぞらせて何とか避けた。

 これじゃどっちが悪人だかわかんないじゃない!

 彼女の気持ちもごもっとも。軽くあしらって帰るつもりが、何のレクチャーも受けていないはずの魔法少女もどきに軽くあしらわれまくっているのだ。

 しかも、そう簡単には逃がしてはもらえないらしい。

 …どーしよ…最初の予定じゃ引き際まで窓、塞いどけって言われてたけど…しゃーないわよね…

 少女が、再び立ち上がる。

「へぇ、まだやる気なんだ」

 かなみが、感心したように言った。が、少女にしてみれば、かなり嘲り交じりのように聞き取れた。

 まっずい…見透かされてんのかしら。でも…やってみるしか!

 いきなり右手を天井に突き上げた少女に、かなみが一瞬、目を逸らした。

 その途端、天井の窓を覆っていた暗闇がいきなり消えて、真夏の太陽が降り注いだのだ。

 っ?!

 まともに目を焼かれたかなみが、咄嗟に手をかざして光を遮る。

「…これで勝ったなんて思わないでね!…えと…次回を楽しみにしてなさい!」

 助かったぁっ!

 ちょっとつっかかりながら捨て台詞を残し、少女が派手にガラスをぶちやぶって外へと飛び出した。

 …が。

 バァリィンッ!

 ほとんど同時かその直後、彼女が飛び出したガラスの隣、体当たりに近い格好でかなみが飛び出してきたのだ。

 そして空中でガラスの破片を降り払い、再び少女めがけて振りかぶる!

 ひっ、ひつこひっ!もーかんべんしてぇっ!

「しっ、新城?!」

 いまし方飛び出した体育館から、男の驚いた声。

 二人が声に目をやれば、体育館の屋根の上、さっきまで下で少女と一緒に居た男と、ガラのわるそーなにーちゃんが二人。

 途端に、かなみの拳の向きが変わった。

 気配までもが。

 さっきまでの余裕が、一気に張り詰めた緊張感となり、空気を、「気配」を緊張させる。

 …ぐらっ…

 3人が、はっきりと感じた。

 空気が、動いた。かなみを、自分達を取り巻く空気が。

 自分達の回りにあった気配までもが、かなみの支配下になったのだ。

「かっ、鉤ぃ!あの女に何渡したぁっ?!」

「つっ、使いこなせるはずないと思って、…俺が使ってたモーションレベル十五の奴を…」

「思いっきり使いこなしてるじゃねーかっ!!!!」

 鉤に向かって思いっきり怒鳴った途端、

「あんたがボスかぁっ!!!」

「えっ…」

 楠が見上げれば、既に右手に気配をためまくっているかなみが。

「鉤ぃ!お前直接防げっ!俺ぁ建物守る!」

「はぃっ!」

 慌てて鉤が楠の前に出て、楠が体育館を覆いつくす透き通った防壁を発生させた。

 ぎゅぅおんっ!

 かなみの手元で圧縮された気配が、突然黒ずむ。

「やっ、闇ぃっ?!」

 光までねじ曲げるか?!

 鉤が中和防壁を作り出した直後、かなみが溜めに溜めた闇が、突然光に転化した。

 て・ご・た・え・ば・つ・ぐ・んっ!!

「いったれぇっっっ!!!」

「ストーップ!!!!」

 かなみが拳を放とうとする直前、いきなり目の前に和美が割り込んできた。

「和美!危ないからそこどいてて!」

「そーじゃなくて、かなみ、やりすぎだってば!」

「何が?…?!」

 はた、とかなみが気がついた。

 体育館の屋根を見下ろす高さにいるのに、和美が目の前にいる。

 自分もそーだが、目の前の和美も、空中に浮いている。

「…?」

 動きを止めたかなみに、和美がやれやれ、と一息ついて、その向こうにいる鉤と楠もやっと終わった、と言わんばかりに、その場にへたりこんだ。

「はー…あたしも死ぬかと思った…」

「や…闇と光まで作りやがって…ほんとに人間かぁ…?」

「だから…魔法少女は小学生にしとけってよぉ…」

「あ…あのさ…何なの…?」

 三者三様の愚痴が漏れる中、かなみ一人がぼーぜんとしてる。

「だからぁ、…」

 和美が言おうとして、言っていいのか言葉に迷う。

「仕事だよ、仕事」

 それを鉤がフォローする。

「魔法少女が活躍できるように、敵の役割をすんのが、俺達の仕事なんだよ」

「…あー、つまり、さっきの『死なすぞ』ってのって…」

「せ・り・ふ。悪人なんだからそう言わなきゃ、かっこつかないだろ?」

 …

 かなみがもう一度、和美を見た。

 そーいえば、ちょっと肩を崩して腰に手をやるこの仕草、さっきの子供も…

「和美、もしかして、さっきのって…」

「あたしよ」

 さらりと和美が言ってのけた。

「朝っぱらに魔法少女と戦う仕事、やってみないかって鉤に誘われて、かなみが魔法少女に選ばれたってゆーから、やることにしたのよ。かなみも朝に誘われたんじゃないの?」

 …

 そーいえば、あのネコは一体どこに行った。

「あっ!縞!てめぇ何そんなとこで隠れてやがんだ?!」

 楠の声が飛んだ方向、向かいの校舎の屋上に、ちらりと見えた目標物。

「…や、やぁ、な、なんかもう、終わっちゃったのかな…?」

 四人の冷たい注目にさらされ、屋上の縁からちょこんと顔を出した黒猫が、ビクビクしながら右手をあげた。

『…お前がみんな悪いんかぁっ!!!』

 ぎこちない愛想笑いを振りまいていたクソネコに、四人が放った「気」が突刺さった。




「…でぇ、何?魔法少女の『役』をやってくれって、そーゆー事なの?」

 夕陽に染まる住宅街の道を、学生鞄を肩にひっかけ、かなみが不機嫌そうに歩く。

「ま、まぁ…そんなとこ…です、はい」

 ちょっと後ろをてくてくとついてきていた黒猫が、かなみに肩越しに睨まれて慌てて言い直す。

「しっかし、今日はひどかったぁ…いくらかなみが知らないからって、すっごいマジになってるんだもん」

 かなみの隣で、和美が背伸びしながら言った。

「いやあの、ほんと、ゴメン!」

「かなみは知らなかったんだから、あれで普通よ。誰かさんが正しいモノ渡すの忘れて遊び回ってたから、こーなっただけだし」

「でも、バトンは作り直しになったそうだから、良かったんじゃないの…かな?」

 お伺いを立てるように黒猫の縞が言う。

 今日の昼間、縞がかなみを魔法少女に任命する手続きを行い、敵方の魔法少女と軽い手合わせをする予定だったのだが、縞がサボり、やむなく敵役の鉤が自分の魔法器具を渡したところ、かなみが予想以上に使いこなしてしまったのだ。

 慌てて戦力バランスを取る為に、鉤が本国へ戻り、現在魔法のバトンを作り直している。

 偶然来ていた楠は、披露宴の二次会があるとかで帰ってしまっている。

「…ったく…いくらケガしないからって…あたしゃほんとに殺されるかと思って、本気でやってたのよ!」

「今まではそれでやってきたんだよ。まさか、あそこまで本気になるなんて思わないよ」

「あーはいはい、まさかね、まさか。そーゆー事もあるから『まさか』ってゆーのよ」

 それから和美に向き直り、

「和美、どっか寄ってく?あたしおごるからさ」

「昼間の埋め合わせのつもり?」

「ホントは和美が埋め合わせしてくれる、はずだったんでしょ?」

 昼前に、珍しく和美から誘われていたのだ。

 おーかた、魔法少女に軽くあしらわれて落胆するかなみに、和美が元気出せよ、って事でおごる積もりだったんだろう。

「んー…でも、今日はいいわ。ちょっと足も痛いしさ」

 左の爪先を持ち上げ、地面をつつく。

「え?!ケガしてたの?!」

「うん、最初は痛くなかったんだけど、どっかで足踏ん張った時、捻ってたみたい」

「捻った…だけ?」

 ぶっとばすとかはり倒すとか、色々やったのに、それだけ?

「あー、打撃の防御はほぼ完璧なんだけど、捻挫みたいに自分の力でやってしまうケガは瞬間に踏ん張らないと間に合わない時があるんだ」

「そーゆーもんなわけ?」

 かなみの言葉に、縞がうなずく。

「だから、これから組んだりしちゃだめだよ。魔法の打ち合いなら痛くないしね。派手だし」

「派手ならいーんかい」

 ぶちぶち言っていたかなみだったが、ふと思い出して振り返った。

「そーいや、あのチンピラみたいな奴、今日中に手続きやっとけって言ってなかった?」

「そーだね。んじゃ…こっちも前準備があるから、帰ってから二時間ぐらいしてから始めるよ」

「え、二時間もかかんの?あたし七時から今日バイトあんのよ!」

「そーなの?んじゃ休んで」

「…あのさぁ、あたしの事情は考慮してくんないわけ?」

「…一時間半」

「一時間!絶対譲れん!」

「どーなっても知らないよ…」

 立てた人差し指をびしっと突きつけるかなみに、縞が諦め顔でうなずいた。



「たっだいまーっ!姉さん、風呂は?」

 玄関に飛び込み、靴を脱ぎ捨てたかなみが台所へと駆け込んでゆく。

「今沸かしてるとこ」

 コンロに鍋をかけていた姉が、皿に軽く取って味見しながら言った。

「おっ、珍しく鍋なんか出して、何作ってんの?」

「おでん。なんとなく食べたかったのよ」

「どーせスーパーのセット売りでしょ」

 案の定、鍋の隣にかなりでっかいスチロールトレーと、「おでんのだし」のパッケージ。

 袋から出す、材料と水を入れる、火をつける、この3ステップ以上かかる料理を姉が作るのは、見た事がない。

「あー、父さんからだけど、今日は…」

「遅くなる、ってんでしょ?三日連続で。なんで公務員がこんな忙しいの?」

「公務員も色々あんのよ。特にキャリア組はね」

「行政改革と戦って、勝ち目あんのかしら…んで、いつからそれ、煮込んでるの?」

 たずねるかなみに、ほどよく煮えてアメ色になったダイコンを、小皿に盛って差し出した。

「食べてみれば?煮込み済みの奴だけど」

「…後でもらうわ…」

 色の割には全然煮崩れせずに、角までぴしっと立ったダイコンを見て、かなみがげんなりとして言った。




「ふ~…やっと終わったって感じ…」

 湯気がただよう大きな湯船に、肩までどっぷり浸かりながら、かなみが大きく息を吐いた。

 開けっ放しの窓から夜の涼しい風が流れ込み、ほてった肌をひんやりと心地好く冷やす。

 ここの所暑い日が続いていて、最近の一番のお気に入りの場所だ。

 だけど、今日の疲れはいつものとはわけが違う。

 思い起こせば、今日は散々な一日だった。

「ぬぁ~にが魔法少女よ…言ってみりゃあでっち上げかい…」

 首を二、三回ぐきぐきっ、と鳴らしながら、かなみがぼやいた。

 朝っぱらから胡散臭いネコに魔法少女になってくれ、なんて言われ、昼にはいきなり敵の来襲。

 だからって死ぬ気でやってみれば、実は悪役までぜーんぶお膳立ての、見事なでっち上げだったのだ。

 なんでも、今では魔法少女がする事なんてほとんどないから、取り敢えず形だけは戦ってる様にする為に、いつも悪役を立ててやっているのだという。

 かなみが今朝がたネコに脅迫紛いの勧誘を受けていた時、和美も別の場所で鉤からスカウトを受けていたそうで、かなみが魔法少女に指名されたのを知って、自分もその役目を引き受けたとか。

「あー…なんでこー世の中って、面白くない事ばっかしなんだろ」

 じたばたするように、ばっしゃばっしゃと水面を足で叩く。

 ん…でも、魔法なんて初めて使ったけど、あんな感じなんだ…

 そういえば、あのなんとも言えない、水の中にいるような感覚。

 お湯の中で、軽く右手を煽ってみる。

 まとわり付くような抵抗、そして振り抜いた右手から流れ出す「流れ」が、軽く水面を盛り上げて波になる。

 やっぱり、似てるなぁ…

 あの時は、そこにイメージ的な物を重ねて、即興で刃や炎を作り出した。

 指輪型のマジックアイテムを鉤に返した時に聞いた話だと、いわゆる「呪文」はマジックアイテムを起動するコマンドで、実力がある場合はそういう物に頼らず、イメージと手のモーションだけで流れを整え、魔法とするんだそうだ。

 かなみの場合、強い適応力があるということで、不意の暴発防止の為にマジックアイテムの修正が必要になったのだが、ついでにこっそり、呪文を使わないタイプの魔法も使えるようにしてくれる事になっている。

「バトンが完成したら、あたしも一応は魔法使いの一人、か…」

 ま、それだけでも儲けもんか。こーんな風に…

 お湯の中で手のひらをあわせ、そのまま腰の横まで引いて。

「…波動拳っ!」

 ばっしゃぁっ!

 魔法の代わりにお湯が弾け、あたりに湯気を巻き散らした。




「おーい、進んでるかぁ?」

 風呂から上がり、やたら味の濃いおでんの夕食を食べ終えたかなみが、二階の自分の部屋に戻ってきた。

「さっき鉤さんから連絡があって、バトンの準備、終わったって」

 何やら六法全書みたいに分厚い、革表紙の本を読んでいたネコが、ぱたんとその本を閉じた。

「おーし、時間はあと十五分ほど余裕あるし、ちゃんと間に合ったじゃない」

 ぽんぽん、と縞の頭を叩いてやる。

「…いや、全部間に合ったわけじゃないけど…あと五分でなんとかなるはずだよ」

「…?まーいいわ。じゃあ、始めてちょーだい!」

「じゃあ、まずは部屋の真ん中…回り二mに何も置かないで立って」

 言われた通りに、部屋の真ん中にあったこたつ兼用のテーブルをどかし、かなみが部屋の真ん中に立った。

 縞が後ろ足で立ち、倒れたままの本に前足をかざす。

 ゆっくりと、縞が浮かび上がる。本もそれに合わせ、立ち上がり、本の表紙をかなみに向けたまま浮かび上がる。

「汝、全能なる異界の女王の名に於いて、契約の是非を問う」

 縞の言葉に合わせるように、本が開かれる。そこには、文字であろう細かい模様が、びっしりと書き込まれている。

 いくらかなみが目を凝らしても、文字の形すらわからないほどだ。

「これより契約の儀を行わんとするが、同意するか。異議なき時は沈黙を以って答えよ」

 真剣な瞳で、かなみが静かに時を待つ。

 すると、第一頁の下にあった空白に、日本語で文字が記されてゆく。

 …あたしの名前だ!

「契約はなされた。汝、いざ魔を司り地球の守護者とならん!」

 途端、本から吹雪のように紙が吹き出してきた。

 いくつもの頁が紙となり、かなみの周囲をびっしりと取り囲んでゆく。

 見えない力が、次々とかなみの名前を書き込む。

 名前を書き込まれた紙が光を放ち、空間に魔法陣のような図形を描き出し、ピラミッド状の空間を作り出した。

 何度も何度も光が駆け巡り、光と共に紙が本へ収まる。

 やがて…

 ぴーっ、ぴーっ、ぴーっ…

 とーとつに軽いアラームが鳴って、魔法陣が消えたかと思うと、一枚の紙を残して残りが一気に本へと戻ってゆく。

 え…これで終わり?

「あっちゃー…やっぱりあったか…」

 縞が舌打ち一つして、残った紙を落ちてきた本の上に置いて、丹念に調べ始めた。

「…何があったの?」

「記入ミス。だから時間が必要だって言ったのに」

 一つ一つ項目を調べている縞の隣で、かなみがその紙を覗きこむ。

「…あのさ…これって…『免責条項』って読めるんだけど…」

「そーだよ」

 いともあっさり言い放つ。

「そーだよ、って…」

 読み進めていたかなみが、その内容に絶句する。

 なんかびっしり書いてあるなぁ、って思ったら、全部日本語で「これこれこういう状態になっても責任は持ちませんよ」的な事がびっしりと書いてあるのだ。

「契約の儀って、ほんとの契約かいっ!」

「そーだよ。最初にここのページで契約するか、って聞いたよね」

 縞がぺらっ、と本の表紙をめくった。

 その第一頁を、かなみが読む。

「…この本にある契約書へ、無条件に同意します…」

 そこにしっかり、自分の名前が記されている。

「昔はこのページがなくってさ、書類にサインするだけでまる一日かかったんだよ。もっともその時は親権者代理、ってことで俺達がサインしたんだけど」

「はぁ…あのさぁ…ふつーこーゆーのって、女王様から魔法のバトンかかなんかもらって、『頑張ってね』で終わりじゃないの?」

「お役所に文句言っても始らないよ。それに女王って、人の名前じゃなくて役職だよ。ちゃんと就業規則だってあるんだから」

「じょ…女王様の就業規則って…あーた…」

 そこで、きらきらしたおねーさまがパートのおばちゃんに混ざって、電子部品の組み立てラインで働いている様を想像しても誰が責められようか。

「よっし、修正終わり。じゃ、もう一回やるからまた立って」

 なんかくらくらしそうな頭でなんとか立ったかなみの前に、再び「契約書一式」が綴じられた本が広がった。

 なんつーか…めっちゃ気分悪…

 再び繰り広げられる「山のような自分が預かり知らぬ契約書に、自分の名前が勝手に書き込まれてゆく」とゆー作業に、常人なら誰もが感じるであろう、後悔にも似た感覚が、どっと押し寄せてきたかなみだった。




 ぴりりりり…

 どこぞの異世界のどっかの事務机に放置された、一台の携帯電話が着信音を鳴らす。

 それを、後ろの小さな四角いテーブルに陣取っていた女性が、手を伸ばして取った。

「はい、魅亜です。…あぁ、ご苦労様です。はい、はい、はーい、わかりました。ええ、そのように」

 ぴっ。

「社長、どちらから?」

 電話を切った魅亜に、彼女と同じテーブル、ちょうど向かいに座っていた女性が聞いた。

「役所からよ。魔法少女審査の書類が着いたから、確認の電話」

「今頃?予定じゃ昼間じゃ?」

「縞も鉤も、今度の配置は初めてなんだから、何かトラブルでもあったんでしょ」

「困るな…トラブルはすぐに報告してもらわんと」

 魅亜の左手、手を伸ばせばすぐ届くような場所に座っていた男が、不服そうに言った。

「あんたも監督責任あるんだから、報告待ってないで随時管理しときなさい。器具が合わないから作りなおすって、鉤から連絡あったわよ」

「あ、それで鉤さん帰ってきてたんだ」

「それより、ツモ順社長ですよ。ほら、ドラ切りリーチかかってますよ」

 こんこん、と手元の牌で机を叩きながら、魅亜の上家に座っていた男が言った。

「ほーっ、そーきたか。ポンっ!」

「やだーっ!なんてもん切ってるのよぉっ!」

「へっへっへっ、ハネ満確定のポンじゃっ!女王就任にご祝儀つけちゃる!」

 仕事も終わった午後七時。

 某異世界にある魔法少女支援会社「アースプランニング」は、いつもの如く雀荘と化していた。

 例え、卓を囲んでいるいつものメンツが、今や本物の女王だったとしても。




「…終わった…の?」

 ようやく最後の一枚も消え、人生における精神的疲労がピークに達しようとしていたかなみが、つぶやくように聞いた。

「これで全部、終わったね。あとはバトンだけ」

 ぱたん、と本の表紙が閉じられた。

 縞がかなみの勉強机の上に飛び乗り、充電器にセットしてあった携帯電話を持ち上げた。

「何…してんの?」

「鉤さんに連絡して、バトン送ってもらわないと。時間があれば書類を完全に作って、タイムテーブル作ってぴったりのタイミングで送ってもらえたんだ」

 空中に浮び上がった携帯電話に、ぴぽぴぴぱぴぽと番号が打ち込まれる。

 とぅるるるるる…

『はい』

「鉤さん?」

『ああ、縞か。終わったのか?』

「ぎりぎりセーフ、ってとこ」

『わかった、すぐ送る。今から丁度二分後だ』

 ぷちっ、ぷー、ぷー…

「今送るって」

「…今の電話代、誰が払うの…」

 かなみの文句をさりげなく無視して、縞が机から飛び降りた。

「まず、この本どっかに仕舞っておいて。大事な契約書だからね。暇があったら読んでみるといいよ」

「読む気になるかい、こんな電話帳より分厚い契約書なんか…」

 ぶちぶちいいつつ、勉強机の隣の本棚、辞書が入っているあたりに本を押し込んだ。

「…もうすぐ時間かな。じゃ、両手を体の前に …そう、賞状受け取るような感じで」

 なんかロボットみたいな間抜けなポーズをして、更に一分。

 突然目の前がフラッシュし、手の平の上にステッキ状の物体が現れた。

「なんてゆーかさ…ありがたみもなんもないわね…」

「今までの手続きをミスもなく、タイムラグもなしにやれば、きちんとカッコはつくんだよ」

 言われてみりゃ、それもそーね。

 なんとなく納得して、かなみが手元にあるバトンをしげしげと見た。

 …なんつーか、蛍光ピンクの柄に金縁装飾、露骨な赤い宝石をこれでもかってぐらいにちりばめ、先端は無意味にでっかい、タマネギを逆さにしたような王冠ともなんともつかない物体が乗っかっている。

 高校三年のかなみがあと十歳若ければ、かなり喜んだかもしれない。

「こ…これ持って魔法少女やれ、ってか…」

「ん~、普通は俺が持ってて敵が来た時に渡すんだけど、…どーする?これがないと、魔法は使えないよ」

 うーむ…

 鉤が修正の為に戻る時、小細工して昼間に使った指輪と同じ魔法も使えるようにする、とは言っていたけど…

 …常にこれを持て、ってか?!

「あ、そうだ。こうすればいいんだ。もう一回契約書持ってきて」

 かなみが本棚から契約書を出し、縞が手も触れずにすごい勢いで頁をめくってゆく。

「えーと…この書類か。ここに名前を追加して、と」

 開かれた契約書に、小さくかなみの名前が記される。

「これでいいよ。じゃ、もうしまって」

「これで何が変わるの?」

 契約書を再び本棚に戻したかなみが、縞に聞いた。

「かなり変わるよ。じゃあ、バトンを探してみて」

 へ?探すって、さっき机の上に…

 だが、机の上には縞、ただ一匹。

「あ、あれ?ない!」

「そんな事はないよ。だいたい、手に持ってるじゃないか」

「え?!」

 言われて初めて気がついた。

 今、両手で本棚に本を収めたはずなのに、右手にしっかり、あのド派手なバトンが握られている。

「ど、どーなってんの?!」

「バトンをしまっておく為の契約書に、かなみの名前も追加しといたんだ。よく俺達がやるように、何もないところからバトンを出す、って事ができるよ」

「はー…まるで手品ね…」

 ほんの意識のスイッチ一つで、手の中にバトンが現れたり消えたりしている。

 そっか、こいつならうまく使えば…

 かなみが空になった手を後ろに振りかぶり、

「せぃっ!」

 投げ付けるようなモーションに合わせ、必要になったほんの一瞬だけバトンが現れ、放たれた気配がかなみの部屋のカーテンを揺らした。

「へぇ、やるじゃん」

「へへっ、まぁね」

「バトンてゆーより凶器だね。ますます魔法少女らしくなくなったね」

「うっさいっ!よっし、後は変身だけ…」

 がちゃ。

「かなみ、さっきからうっさいわよ。落ち着いて勉強もできないじゃない」

「あっ?!あ、それは…」

 突然ドアを開けて顔を出した姉に、かなみがうろたえる。

「あ、あれ君の姉さん?」

「しゃべんなぁっ!」

 すぱかんっ!

 いきなり喋り出した縞の頭を、かなみが平手でぶったたく。

「…かなみ、何かヘンなもんでも使った?」

 いぶかしそうな顔をする姉に、かなみがきょとんとする。

「とにかく、妙な独り言で騒がないでよね。ただでさえ最近変人が多いんだから」

 ぱたん、とドアが閉まり、ぼーぜんと縞を見つめる。

「大事な事言い忘れてた…俺達の姿ってね、普通の人には見えないし、声も聞こえないんだ。だから昼間も、誰も見つかってなかったんだよ。昼間の指輪つけても同じ様になるから、かなみが空飛んだり魔法使ってたところも、誰にも見られてないよ」

「…そなの…?それであんまし大きな騒ぎになってなかったんだ」

「こっちもバカじゃないから」

 がちゃ。

 再びドアが開き、また姉が顔を出す。

「ん、何?」

「ところで今日、バイトでしょ?時間、いいの?」

 …

 ちらっ、と壁にかけてあった時計を見た。

 時刻は六時四十五分。予定時間を十分以上過ぎている。

 …

「…今行くわよ」

 …がちゃ。

 姉が引っ込んだ瞬間、もはや遅刻リーチとなったかなみが慌てて着替え始めた。




「グリルチキンと和風セット、お飲み物はコーヒーで…以上でよろしいですね?ありがとうございます」

 ウェイトレス姿のかなみが、ぺこんとおじぎしてメニューを抱え、料理を運ぶウェイターとすれ違いながらバックヤードへ引っ込んで行く。

 ぴよよっ、ぴよよっ…

 POS端末に突っ込み、他のテーブルのお冷やを手際よくトレーに並べていた時、またもやテーブルコールがかかった。

 壁にかかったナンバーボードには、十二、十四、二十八の数字。十四と二十八は手配済み、十二は…追加オーダーか。

 状況を見切り、お冷やを予定していたテーブルに配達する。

「では、ご注文がお決まりになりましたら、そちらのボタンを押してください」

「えと…」

 すぐに注文するのか、中年のお客がメニューを開く。

 が、悠長にメニューを読破するのに付き合ってる暇なんぞない。かなみの見切り時間はコンマ5秒。

「あの、このチリハンバーグっていうのは…?」

 十秒も吟味して顔を上げても、もうそこには誰もいなくて。

「はい、ソフトいちごパフェですね。少々お待ち下さい」

 二つ隣のテーブルで注文を取ったかなみが、ようやく戻ってくるところだった。

 午後七時台のファミリーレストランは、さながら戦場である。

「だーっ…今日は特に忙しいわねぇ」

 下げ膳を厨房に運んだかなみが、ステンレス製の大型食器洗浄機の脇にある流しで水を汲んで一気飲みする。

「ムラのない客商売なんてないよ。山あれば谷あり、かな」

 レジ打ちから戻ってきた若い男が言った。

「あれ、店長。いつの間に出てたんですか?」

 かなみの言葉に、フフンと笑って。

「なんとなく、ね。十年も働いてると、客のリズムがわかるようになってくるんだよ。これで一山終わっただろうから、僕はこれでもう、戻るよ」

「あっ、ご苦労様です」

 バックヤードの事務室へ戻る店長に一礼して、かなみが空盆持って店内を回る。

 確かに店長の言った通り、下げ膳を回収して三、四回戻る頃には、テーブルコールや来客はほとんどなくなっていた。

 からこーん。

「いらっしゃいませぇ、お客様は何名…」

 ドアチェックのベルに、丁度カウンターそばにいたかなみが応対に出た。

「お疲れさん。今日は二名、ね」

 和美に続いて、一人のスーツ姿の男が入ってきた。

「よぉ。こんなところで仕事してたのか」

 聞き覚えのある声と、見覚えのある顔。

「あ…あれ?もしかして…鉤さん?」

「ああ。わからなかったか?」

「ふつー、あっちの人がこーゆーとこに堂々と来る?まぁいいけど、仕事の邪魔しないでね」

 かなみに案内され、奥の喫煙テーブルへと二人が座った。

「ご注文は?」

「あたしはいちごのマウンテンパイと紅茶。同時にね」

「ねぎとろ定食な。久々の日本の飯だ、うまいとこ頼むよ」

「ここ、ファミレスなんだから、いつどこで頼んでも一緒よ」

 ぴぴぽっ、と端末に注文を打ち込む。

「細かい話はバイト終わってからね。じゃ、メニューお下げします」

「はーい」

 営業スマイルと丁寧な口調でメニューを下げたかなみに、和美が笑いを押し殺す。

「新城、レジ頼む!」

「はーい!」

 厨房からのヘルプにかなみが応え、メニューを置いて入り口そばのレジへ向かう。

 そしてレジを処理している最中、再びお客が入ってきたのかドアチェックのベルが鳴る。

 かーっ、また山でも来たのかな…?

 しかし、ドアは少し開いたかと思うと、そのまま閉まってしまった。

 子供…かな?

 レジを済ませた客が背を向け、店から出て行く。

「ありがとうございましたぁ…っ…」

 客を送り出し、頭を上げたかなみが硬直した。

 かなみの目の前に、どこから入り込んだのか一匹の黒猫。

「やっ。職場訪問に来たよ」

 縞が日本語でしゃべり、右手を持ち上げ挨拶した。



「へーっ、かなみのバイトって、ファミレスだったんだぁ。いやいや意外意外」

 足元にまとわりつく縞が、ファミレスの制服姿のかなみを見上げて心底意外そうに言う。

「悪かったわね。いくら姿と声が見えないからって、店に来ないでよ!」

 まわりに気付かれないように、顔は向けずに小声でつぶやく。

 見えないと解っていても、さすがに少し気まずいので、バックヤードへとかなみが引っ込む。

「じゃあ、俺は勝手に店内うろついてよっかな?おっ、いーねーちゃん!」

 なんか好色そーな声を出して、今し方バックヤードからハンバーグランチを持って出たウエイトレスに釘付けになる。

 ただでさえエプロンが胸元強調気味に作ってある制服だが、なんつーか、料理と一緒に「胸」も運んでるよーな感じさえする。

「そーれに比べてかなみときたら、胸だけ魔法少女だし」

 ちゃきっ。

 いきなり縞の鼻先に、突然かなみの手元に現れた魔法のバトンが突きつけられた。

「あんまりセクハラ用語連発すると、この場で燃やすわよ」

「は…はひ…」

「ところで、どーせ待ち合わせかなんかで来たんでしょ?鉤さんと和美なら九番テーブルよ」

 ビビったような声を出した縞に、かなみがバトンを消して言った。

「きゅ、九番って…どこの?」

「外周側のレジ横から数えて九番目のボックス、ここからだと左奥の窓際席よ」

「あ、いたいた。ところでかなみのバイトって、何時までだっけ?」

 かなみが店の時計を見て、

「十時まで。あと二時間ちょっとよ」

「げ、かなりあるなぁ…この時間にすんのって、鉤さんが決めたのに。…あ、そうだ」

 カウンターに飛び乗り、店内へ出ようとした縞が振り返った。

「俺の分のキゥイムースと紅茶、ポットで。伝票はテーブルにツケといて」

「…はいはい」

 縞を見送りながら、レジに追加オーダーを打ち込んだ。



「こんばんわっす」

「よっす、何とか間に合ったな」

 ねぎとろ定食の味噌汁をすすっていた鉤が、テーブルに飛び乗ってきた縞に向かって言った。

「だけど、まだバトン渡しただけですよ」

「ねぇ、ほんとにこれって、他の人には見えてないの?」

 いちごのマウンテンパイをパクついていた和美が、縞を見ながら聞いた。

「慣れないうちは戸惑うだろうな。…ちょっと目を閉じてみな」

 言われて、和美が目を閉じる。

 すると、フシンな気配が前の方からする。

 目を開けば、そこには縞がいるだけ。

「…気配がすると、見えてないわけ?」

「そーゆー事だ。お前もできるけど、いきなりここではするんじゃないぞ」

「はーい」

「んで、予定通り…やるんですか?」

「ああ、もちろん。大体、まだまともに魔法少女同士の対決、してないだろ?」

「それもそっすけど…」

「なぁにこんなとこで密談してんの?」

 そこへかなみが、縞が頼んだキゥイのムースケーキと紅茶を持ってやってきた。

「え?いやぁ、何でもないよ。久しぶりの地球だし、少しはだべり話ぐらいいいだろ?」

 縞の前にケーキの皿を置いてゆく。縞の姿が見えないはたからすれば、お客さんから離れたところに置いていっているわけだが。

「止めはしないけど、今日の勘定って誰持つのよ」

「あ、あたしが立て替えとく、ってことになってるわ」

「和美が?めっずらしい…」

 和美が平らげたパイ皿を下げ、かなみが言って戻って行く。

「ま、どうせ払う気もないけどな。じゃ、そろそろ始めるか」

「りょーかい」

 言って、和美が立ち上がってトイレへと向かった。

「じゃあ、俺も行ってきます」

 慌ててケーキをぱくついて紅茶をガブ飲みして、縞がテーブルから飛び降りた。

「あぁ、今度はしっかり頼むぞ」

 そして縞が立ち去り…鉤が、急いでねぎとろ定食の残りを片付け始めた。



 …?

 レジ回りでバラけていたメニューを片付けていたかなみが、和美の動きに怪訝そうな顔をする。

 いまし方トイレに入って行ったのだが、何故かドアに足を挟んで閉じないようにしている。

 そして、そのまますり抜けるように出てきたのだ。

「…和美、どしたの?」

「しっ!」

 かなみの言葉を遮り、和美が入り口の横に立って何かを待っている。

 それに、今の和美は、何かフシンな気配がする。

 …何だっけ…この気配、どっかで感じたような…

 からこーん。

 来客があり、ドアが開いた。

 かなみがそれに受け答えする間、閉まりかけたドアから和美が外に出て行ってしまった。

 あらかさまにフシンな行動だが、客がいる手前、止める事もできない。

 が。

 …あの気配、もしかして、魔法の…!

 シュゥウヴォォンッ!!!!

 かなみが気付いた時、突然表の路上から巨大な火柱が立ち上がった。



「なっ、なんだぁ?!」

「ガス爆発?!」

 店内の客が、いっせいに窓に駆け寄る。

 本通りに面した広い駐車場の中央、ちょうど通路のあたりから、空高くまでこうこうと燃え上がる真っ赤な火柱が立ち上がっているのだ。

 大きく伸び上がった火柱が、急によじれ、大きくしなり始めた。

 そしてその先端が見る見る地面へと近づき、道路を舐めように暴れ始めた。

 それは、さながら炎の竜のようでもあった。

「あれ…おい、火の中に、誰かいるぞ!」

 誰かの声そのままに、炎の先端から一人の少女が現れ、あたかも炎を導くかのように飛び始めた。

 その姿は、あたかも水竜と戦うピーターパンのようでもあったが、問題なのはここは地上であり、なおかつ、なぜだかちんちくりんの水着みたいに露出度の高い黒い服。

「ちょっと…どーなってんのよこれ…」

 と、その場所とは少し離れた場所。

「なっ…何って…わ、悪い魔法少女が暴れてるから…ね…」

「あたしが聞いてるのは、タイミングの問題よ」

 近づいてきた縞をかなみがひっつかんで便所に飛び込み、便所の壁に縞を押し付けて尋問中。

「どぉしてあたしの都合を考えてもらえないのかしらねぇ?最初の約束じゃあなかったっけぇ?」

 かなりごりごりした口調でかなみが詰め寄る。

「あ、あはは…今日、バイトが何時に終わるか聞き忘れちゃってて…こっ、今度からちゃんと予定聞いてから組み立てるよ…」

 謝る縞に、かなみがようやくその手を解いた。

「まぁ、やっちゃったもんはしょうがないわ…で、あたしがあれを片付ければいいわけね」

 ずぅん…

 鈍い音がして、地面ごと店が揺れた。そして大きな悲鳴。

「…和美ちゃん、術の制御、誤ったかな…」

「…とっとと済ませるわよ!このままにしといたら、ほんとにトップ記事になるじゃない!」

 どーやらどっかにぶつかったかもしれない和美に、焦るかなみがバトンを発生させた。

「で?!変身ってどーやんの?!踊るの?!歌うの?!」

「そーゆーのはなし!」

 はっ、良かったっ!

「そのタイプのバトンだったら、ヘッドに大きなショックを与えれば発動するよ」

「つまり、こう?!」

 言うが早いか、バトンの先端を洗面台に叩きつける。

 がきんっ!バシィインッ!

 途端、視界が真っ白になって軽いめまいに襲われた。

「ちょっと強すぎ。一瞬で終わったけどね」

「…そゆことは先に言ってよね…で、変身するとどーなるわけ?」

「鏡を見ての通りだよ。魔法少女のお約束なんだしさ」

 立ち上がったかなみが、洗面台の鏡を見た。

「…なるほど…」

 鏡には、かなみの上半身どころか、胸の上ぐらいまでしか映っていない。

 そこには、小学生ぐらいの大きさになった自分の姿が映っていた。

 問題なのは、その格好。

「で、なんで服が変わってないわけ?」

 何故か小学生サイズまで小さくなってるウェイトレスの制服をつまみ、かなみが言った。

「変わった方が良かった?そのバトンとお似合いの服に。配慮したつもりだよ」

 うっ…

 言われてバトンに目が行った。

 この目立つ事のみを狙った蛍光ピンクの、ヘッドの作りが実売価格四千円台に乗らんかという、いかにも魔法少女的なバトンと、お似合いの服…

 さすがにかなみは十七歳。一瞬、寒気がした。

「んじゃ、行くわよ!」

「おう!」

 かなみが便所のドアを開けようとした時。

 ずごしゃぁあんっ。

 今度は上の方から、かなり派手な音。

「…今度は屋根にぶつかったかな…」

「いっ、行くわよ!」

 そして慌てて二人が外へと飛び出した。



「たーっ、またやっちゃったっ!」

 郊外の夜空で豪快に炎の尾を引きながら、和美が変身した魔法少女が飛び回る。

 さっきは地面すれすれを飛行中、高度をミスって地面に激突、今度は上空から下方開花の積もりで曲がり損ね、ファミレスの屋根を五mばかし引き裂いた。

 術の扱い方は鉤から聞いたとはいえ、制御なんぞすぐに習得できるものではない。

 これって保険で降りるんだっけかなぁ…

 考えつつも、再びファミレスの斜め上方から、駐車場へと一気に降下する。

 見る見るうちに車が迫り、イメージに添って舐めるように…

 がすっ!「わたっ?!」

 イメージより五十センチも低いところを駆け抜け、偶然止まっていた食材運搬とおぼしきトラックを引っ掛け、空中でぐるんと一回転。

 和美にケガはないとはいえ、今のでトラックもごとんと横転。

 あっちゃー、またやっちゃった!でも、だいぶいいセンで飛べるようになってきたっ!

 と、その時だった。

「ディープフリーズ!」

 少女の掛け声が響き渡った途端、ぐんっ!と何かに背中を引っ張られた。

 長く伸びた炎の尾が、後ろの方から青く鈍い光へと変わり、消滅してゆく。

 キャンセル技…!

 やがて背中の魔法が消滅し、再び制御を取り戻す。

「カミーラ!ようやく見つけたぞ!」

 続いて子供っぽい声。

 えと…あ、あたしがカミーラか。

 ゆっくりと和美が後ろを振り向き、そして見下ろす。

「ふん、やっぱりあん…ぷふっ!」

 ねっちり言おうとした言葉が、吹き出し笑いでふっとんだ。

 地上から自分を見据えている、妖精役の縞と魔法少女となったかなみ…なのだが。

 小学校低学年ぐらいのちんちくりんの身長に、ミニチュアメイドみたいなファミレスの制服、ついでにどんなにきつい表情したってかわゆく見える、ちんまりとしたほっぺ。

 やっ、やだぁっ!ほんっとに子供の頃そっくしぃ!かっわいーっ!

 思わず抱きしめてみたくなるのをなんとかこらえ、けほ、けほなんぞと咳払いでごまかして。

 …えと…

「フフン、まさか引っ越すと同時にあんたまでついてくるなんて、こっちもヤキがまわったのかしら?」

「以前の世界じゃあ逃がしたけれど、今度こそ許さないぞ!ジュルネ、行くぞ!」

 へっ…?あ、あたしか…

 いきなり縞に呼び掛けられ、かなみが戸惑う。

 そこへ、縞が肩に飛び乗ってきた。

「今日から公開だよ!みんな見てるから動き止めちゃ駄目!」

「ちょ、ちょっと!せめてなんか打ち合わせぐらい…」

「する前に飛び出したんじゃないかっ!」

 ごちゃごちゃ言っている間に、上空の和美が不意にバトンを取り出した。

 さすがに悪役担当だけに、バトンのベースはホワイト&ブラック、装飾はシルバーに青の宝石。

 個人的な話、格好以外はあっちの方がまし、というもの。

 そして、バトンを体の正面に構えた。

「コン・プレス!」

 その言葉に応え、バトンから重圧にも等しい音波が発せられた。

 …ぐらぐらっ!

 空気の歪みのような風が地面にぶつかり、アスファルト舗装の駐車場を一気に一m近く陥没させてゆく。

 その進行方向は、かなみ!

「わぁっ?!」

「逃げちゃ駄目!とにかくなんかモーション起こしてなんか呪文っぽい事言って!」

 へ?!

 引きかけた足を踏み変え、右手を後ろにテイクバックさせ、

「でっ、デスペルっ!」

 同時に、縞が何か小声でつぶやく。

 すると、地面に振り向けたバトンが発光し、白い輝きが地面を這うように迫る「力」向かって飛んで行く。

 しゅばっ!

 蒸発するような音がして、光と力がぶつかりあって消滅する。

「…どーなってんの…」

「ここったへんは設計通りだよ。あっちが使う魔法には、ちゃんと解除する魔法も作ってある。合図したら、次は『リザレクト』って言ってみて」

 そして、縞が和美に向かって、

「去年と同じだと思ったら大間違いだよ!さぁ!」

 そこで、ぽん、とかなみの肩を叩いた。

「リザレクト!」

 あっ、モーションしてないっ!

 かなみの不安をよそに、手に持ったバトンから柔らかい光が発せられる。

 それがふわりと浮かび、陥没していた路面へと吸い込まれて行く。

 もこ…もこっ…

 かなり離れているとはいえ、周囲のどよめきが確かに聞こえた。

 今し方和美が陥没させた路面が、光を吸い込んで元の形へと戻って行く。

「へーっ、すごいじゃない!」

「いくつかはちゃんと可逆性にしてあるよ。後で色々あるのもまずいし」

「じゃあ、店の屋根もこれで…」

「あ、あれは今、鉤さんがちまちま直してるよ。和美ちゃんが体当たりで壊したから、一発じゃ直らないんだ」

「あ…そなの…」

 そーいえば、時折ファミレスの屋根の方から、気配が変化してゆくのが感じられる。

 思い起こせば、今日の昼も、体育館の壁やガラスをかなみがぶっ壊している。

 …大変なんだなぁ。

「くっ…そうまでして、あたしを消し去りたいわけ?いいわ。やってやろうじゃないの!とことんまでっ!」

 言って和美が宙を蹴って、空高く舞い上がる。

「…後はアドリブ、とにかく派手にね。だいたい五分ぐらいでいったん分けて着地。音声以外は録画されるから、殺陣は動きながらやって!」

「はいはい、随分いーかげんな殺陣だこと!」

 縞が肩から姿を消し、かなみがその場に屈みこむ。

 溜まる溜まる、力が溜まる!

 圧縮された気配をバネに、かなみの体が一気に空中へと舞い上がる。

 あっという間に地面が遠退き、下界に夜景が広がってゆく。

「和美ぃ!しばらくアドリブなんだってぇ!」

 夜風に髪をたなびかせ、かなみがバトンを右手に構えた。

 途端に右手に雷光が宿る。

「五分だっけかぁ?!そいじゃま、地面に落とさないように派手にやっちゃおっ!」

 持ち上げるように広げた手に炎が宿り、引火するかのように和美の周囲を取り巻いた。

『じゃっ!』

 空中で二人が別れ、互いが生み出した力が空中で激しくぶつかった。




 どんっ、ずぅーん…

「おーっ、随分と派手だなぁ」

 屋根の修復作業を続けていた鉤が、手を休めて上空の様子を見上げる。

 派手な光が飛び交い、おそらく和美なのだろう、黒い夜空に巨大な炎の尾を引いている。

「鉤さん、修理、どうです?」

 そこへ、さっきかなみの肩から消えた縞がやってきた。

「なぁに、瓦屋根に比べりゃ楽なもんだ。お前と違って、下積みでよくやらされたしな」

 屋根縁の割れたタイルを手にとり、軽く念じる。

 すると、鉤の指にあった小振りの指輪が反応し、割れて欠けた部分が一つ一つ現れ、パズルのように埋まってゆく。

「後はこいつを元に、もう一回修復すれば終わり。な?簡単なもんだろ」

 修復が終わったタイルを、積み上げてあったタイルの山に重ねた。

「こーゆーの、一発で直せないもんですかねぇ」

「もうちょっと、処理の速いユニットがあればなぁ…あの社長だし、『壊しっぱなしにしときなさい』って言いかねないだろ」

 再び割れたタイルを手にとり、同じ作業を繰り返す。

「かといって、はいそうですかって壊しっぱなしにしといたら、新城達に迷惑もかかるし、仕方ないだろ。それより縞、今アドリブ任せて暇なんだろ?ちょっと手伝ってけ。アドリブは五分と指示してあるから、その間に直し切るぞ」

「げ、は~い…」

 空の上で激しいドンパチが繰り広げられる中、鉤と縞が黙々とタイルの修復作業を続けていた。



「かなみ、右側行くわよ!」

 和美が背中でまとめ上げた炎を、かなみに向かって投げ渡す。

「はいよっ!」

 大きく風を仰ぎ、気配をまとめて迎えるように叩きつける。

 炎の中をかなみが放った気配が突き抜け、風に引き裂かれるように炎が巻き散らされる。

「もっかい雷撃、次は十連打!」

 すかさず和美が動きを止め、かなみのモーションを待つ。

 かなみが広げた両手の間で、激しいスパークが飛び交う。

 下界に十分見せつけ、両手を和美に向けた。

「行って!」

 反撃&マーカー代わりに和美が再び炎を発生させ、それを保ったまま右へすっ飛ぶ。

 それを追いかけるようにかなみが次々と雷光を放つ。

 七、八、九…十!

 どんどん距離を詰めた和美が、きっちり十発目を撃ったかなみ向かってまっすぐ突っ込む。

「いい感じじゃない!」

「いけるいける、おっもしろーいっ!」

 巻き込まれる寸前に一緒に速度を合わせ、かなみと和美が取っ組み合いのようになりながら飛行する。

「そうだ、和美、さっきからあの炎後ろにくっつける奴、あれってどーやってんの?」

「あ、あれ?バトンに組み込んであるんだって。キーワードが『スローフレア』よ」

「えーと、んじゃ…スローフレア!」

 しゅばぼぉっ!

 かなみがキーワードを唱えると、かなみの飛行する軌跡を追うように、長い炎が広がった。

 この近さなら、モニターされていたとしてもどっちの炎かはわかるまい。

「へーっ、こんな風になるんだ」

「あ、かなみ!もう時間!」

 和美がかなみに腕時計を見せた。

「…あたし、飛び上がった時の時間、見てない…」

「まぁ、いいわ。とにかく時間だから、もう降りないと」

「はーい。あ、消す時ってどーすんの?」

「『カット』で全部消えるってさ」

「カット!」

 しゅぱっ!

 まるで燃料でも尽きたかのように、一瞬にして炎が消える。

「じゃ、また地上で!」

 かなみが振り払うように和美を引き離し、離れて行く。

 …が、一度は離れた和美が、思い返したように戻ってきた。

「…あのさ、かなみ…言いにくいんだけど…台詞、忘れた…」

「…げ…」

 ここは上空、アドバイザーは誰もいない。

「どーしよ?!今日はどういう風に終わっておけばいーんだっけ?!」

「あたしだって知らないわよ!ぜんっぜん、なーんの話も聞いてないのよっ!」

「戻って聞きたいけど、十秒以上光を絶やすな、って言われてるし…」

「ンなこと言われてたの?!」

 戦闘をやめてから、もうすぐ十秒が経つ。

「和美、とにかく一発打ち上げるわよ!離れて!」

 和美が慌てて離れ、炎を準備する。

 時間稼ぎの光をかなみがスタンバイし、和美に向かって解き放つ。

 続いてかわした和美が、かなみの近くに向かって炎を投げ付ける。

 だけど、こんな事をやっていても、終わりの始末ができない。

 下に降りるまでに、どうやっても七秒以上はかかる。それから台詞を聞き直せば、怪しむには十分な空白時間が生まれる。

「じゃあ、戦いながら下に一度降りるってのは…?」

 再び組み合った和美が言った。

「その間、あたしは何してりゃあいいのよ?!一応、和美のこと探さないとなんないんだから!」

「え~っ?!」

 くっそ~、こーゆー時に縞がいれば…あ、そうかっ!

「和美、やっぱ下に降りるわ!店の方に逃げて!」

「えっ?!でも、そっからどーすんのよ!」

「店の方には降りないで、そのまま攻撃続けながらどっかに逃げて!」

「わかったわ!」

 和美が一気にファミレスめがけて下降してゆく。

 かなみが、それを追う。



「…あれ、鉤さん…かなみ達、こっちに来ますよ?!」

「えっ?!」

 縞の言葉に最後の修復を終えた鉤が空を振り仰げば、こっちへ一直線に向かってくる弾丸二発。

「おいっ!直したばっかりだぞっ!こっちに来るなぁっ!!!」

 がちゃばりぃんっ!!!

 言うも空しく、再び和美が派手に屋根を削りとり、ついでに路上で弾かれて再び空へと舞い上がる。

 その直後、ほぼ同じコースでかなみが飛びぬける。

 おいおい…またやり直しだよ…

「…縞ぁ…もう一回だ…」

 放心状態で鉤がつぶやくが、何の返事も返ってこない。

 振り返っても、そこに縞の姿はなかった。



「…~~~~~~~!!!」

 突然かなみに首根っこを引っ掴まれ、暴走フライトに巻き込まれた縞が、声にならない悲鳴を上げる。

「なっ、なんだよっ!」

「あんたの仕事って、あたしの手助けでしょ?ちょっと聞くけど、今日ってどーやって終わっておけばいいの?和美が台詞、忘れちゃったのよ」

「え…あ、和美ちゃんの方はお約束の逃げパターンがあるんだ。和美ちゃんは一度ダウン状態で下に降りて、かなみが必殺技みたいなのを出して、それを食らってそのまま消えるんだ」

「りょーかいっ!和美ぃ!内容聞いたわ!こっちに来て!」

 かなみに呼ばれ、貯えた炎を持ったまま、和美がこちらに向かって飛んできた。

 そして内容を伝える。

「あぁあぁ、思い出した思い出した!」

「とゆーわけだから、こっちから一度撃つから、多少拡散気味に受けて。そーすりゃ食らったように見えるから」

「だったら必要ないわ。こーすんのよ!」

 言った途端、和美の手元にあった炎が、突然かなみが使っていた白い光と入れ代わった。

「じゃあ、今度こそ地上で!」

 きゅばぼんっ!!

 そして和美の手元で、その白い光が激しい爆発を起こした。




 しゅたっ!

 魔法少女のかなみが、地面に再び着地する。

 遅れて少し離れた場所に、同じく魔法少女の和美が着地する。

 が、一瞬膝が崩れ、そのまま膝をつく。

「さぁ、今だ!あの魔法を使うんだ!ミストラルシュートを!」

 かなみの肩で、ネコの姿をした縞が白々しく叫ぶ。

「…ポーズは?」

「なんでもいいけど、最初の『ミスト』で発光が始まるから、後は適当なモーションで、最後にヘッドを相手に向けて動きを止めて」

 ひそひそ声のやりとりが終わり、かなみが片手で持ったバトンをたいまつのように掲げた。

「ミストラル・シュートっ!」

 体の後ろを一回転させるようなモーションに続いて、光があふれ出すヘッドを和美に向けた。

 すると、突然バトンの先端にあった王冠の、金縁装飾の部分が分解して大きく広がった。

 そしてそのサイズの数十倍の光が広がる!

「くっ…!」

 光でほとんど見えないが、和美の周囲に一瞬、闇が発生する。

 やがて光が収まると、もはや和美の姿はなかった。

「逃げられたか…」

 かなみの肩で、縞が苦々しげにつぶやく。

「これで、終わり?」

「まぁね」

 ようやく、かなみが肩の力を抜いた。

 …ぱち、ぱちぱちぱち…

 どこからともなく、拍手が始まった。

「…誰よ、こんな時に拍手するのは…」

「二、三箇所で拍手すれば、みんなするもんだよ。うちの社員もけっこー混ざってるし」「あ、そなの…」

 げんなりとしたかなみが、ふと大事な事を思い出した。

「ところで、あたしってどーやってここから帰るの…?」

「消えればいいんだよ」

「消えるって、どーやって?」

「意識を集中して、目のピントをずらして自分自身を見るように。そうすると消えるよ」

 自分を見るようにぃ?ンなもんどーやって…

 疲れた頭で考えようとした時、ふっと自分の体が浮き上がるような感覚にとらわれた。

 同時に、周囲からどよめきが漏れた。

「なんだ、やればできるじゃない」

「え…?」

 かなみが自分の体を見回すが、別に何も変化もしていない。

「じゃあ、輪の外側にまわって。そこで変身を解いたら、今日の仕事はおしまい!」

「ほ、ほんとーに、これで見えてないの?!」

「そだよ。だいたい、みんなかなみの事、見失ってるじゃない」

 確かに見回せば、かなみの姿を探すようにみんながきょろきょろしている。

 だけどその時、いきなり人の輪を飛び越えて、誰かがかなみの前に飛んできた。

「和美…!」

 高校三年生のいつもの姿で戻ってきた和美に、かなみがおたおたする。

「大丈夫大丈夫、あたしも見えてないわよ」

「やっぱしなんかヤ…」

 見えてないと思いつつも、周囲の目を気にしながら二人と一匹が人の輪を飛び越える。 そして店の裏手側、住宅街の一角へと入り込み、無人の路地でかなみが変身を解いた。

「はーっ…やっと終わった…」

「上出来上出来!これならこれからもやれるって」

「もぉ、今度からちゃんと先に打ち合わせ、してよね!」

「わかったわかった」

「おう、ここにいたのか」

 そこへ、二人を追ってきた鉤がやってきた。

「すみません…さっき直してたとこ、また壊して…」

 和美がここからも見えるファミレスを見て、すまなそうに言った。

 最初に和美がぶつけた所とほとんど同じ場所が、今度はかなり深くえぐられたままになっている。

「まぁ…仕方ないか…どうせ社長も黙認する方だから、気にしなくていいよ。それより、また明日もどこかで仕事するわけだから、これからどっか、別のレストランで打ち合わせでもするか?」

「さんせーっ!」

「…あ…」

 両手を上げて賛成する和美に、何か思い出したように絶句するかなみ。

「どした?何か都合でも…」

 言いかけて、鉤も気がついた。

 かなみの今の格好は、ファミレスの制服のまま。

「…あたし、店に出てたから…」

「…あそこに確実にいた、ってことだから…」

『点呼取ってる!』

 二人が同時に狼狽する。

「あたし、すぐ戻る!ここでいなかったら、マジに疑われる!」

 ああっ、神様っ!点呼なんか取れる状態じゃない事を祈りますっ!

 かなみが慌てて店の方へと駆け戻る。

「やっぱ、バイト中はまずかったなぁ…」

「そりゃそーよ。だけどさ…」

 縞の言葉を継ぐように、和美が言った。

 そして、遠くから響いてきたいくつものサイレン。

「…あの店、営業再開なんてできないわよね…」

「…かなり、悪い事、しちまったな…」

 次々とパトカーや救急車が駆けつける中、和美と鉤がしみじみと言った。


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