第15話 爺と香辛料
※脱字を修正しました。
衛兵たちの後ろから進み出た男は茶色のローブに見を包み、背丈ほどの杖を手にし立派な髭をたくわえた老人であった。
「いらぬお世話でしたかな?」
空いた手で髭をしごきながら隊長らしき男に話しかける。
「ラウロ師! いえいえ、お陰で怪我人も出さずにすみました。助かりましたよ」
隊長は右拳を鳩尾に当てる礼をし軽く頭を下げる。
それならば良かったのですがと魔法使いも軽く頭を下げると去っていった。
ジンは初めて見る魔法に興奮していたが同時に困惑していた。
まず、魔法に使われた言葉が人族の言葉と違ったこと。それと、イルはしっかりと翻訳していたことだ。
「イルってこの世界の言葉は全部翻訳できたりするの?」
〈全部ではありません。ゴブリンが使用していた言語は未知のものでした。人族が使う言語にしても、地域特有の言い回しなどはデータが足りませんので不完全です。現在所持している言語データは神聖語、力ある言葉、人族語、妖精語です。これらならおおよそ翻訳が可能です〉
「この世界はル・アトが調査済みってことかな」
〈大気圏外よりスキャン調査を定期的に行っております。その際、アストラル層に原語データがありましたのでそちらを参照し翻訳しております。
また、この世界の管理者と接触できていないため、直接地上での調査は行われておりません。そのため、微細なデータまでは揃っておりません〉
「成層圏にデータがあったの?」
〈はい。アストラル層と呼ばれる大気層は一種の情報の集積場所と考えられます。
高次元生命体が新たに世界を構築する際、特殊な物理法則を実装する場合に用いられる手段として、似たような手法が見受けられます〉
そんなことになってるのね、と納得したところでお腹の虫が鳴り出す。
「腹が減った。店を探そう」
どこかの孤独なビジネスマンみたいなことを言い出すと、光学迷彩を解除しあたりを見回す。
さっきまでの騒動はどこへやら、広場は日常の風景を取り戻していた。
ジンが見て回った限りだと、この世界にレストランや定食屋、喫茶店といった飲食専門店は無い。あっても宿屋の食堂か酒場ぐらいで、酒場は夕方からしかやっていない。
なので、外食しようと思ったら屋台を探すしかない。そのかわり屋台の数は充実している。
羊肉の串焼き、鶏肉の串焼き、豚肉の串焼き、兔肉の串焼き、鹿肉の串焼き……肉を焼いたものしかない。
お昼時もとうに過ぎ、腹が減りすぎていたジンには肉の誘惑に抗うすべがない。
強烈な香りに引きつけられて、鶏モモ肉の香草焼きを見つけて購入。
一本三〇スーを小銀貨一枚で支払いお釣りに大銅貨を七枚もらう。
バナナの葉のような広い葉っぱが包み紙代わりになっており、足首部分を持って豪快に齧り付く。
香草焼きと謳っていたがハーブの香りといっても、若干甘い香りがするだけだ。ほとんどニンニクと塩コショウ、いわゆるガーリックチキンである。
「胡椒あるじゃん!」
思わず日本語で叫んでいた。慌てて取り繕いお店の人に、おいしい とても おいしいと、身振りを交えて伝える。お店のおじさんは嬉しそうに微笑んでくれたので取り繕えたであろう。
ぺろりと平らげるとこの体は燃費がいいのか、一本でお腹いっぱいだ。
しかし、野菜が欲しい。なにかいい野菜の食べ方がないものか、ヒントを求めて広場を見て回る。
結果は残念なものだった。ニンジンを皮を剥かずに丸かじりである。最初はそんな人もいるよね、と思っていたが二人三人と見かけると、それが文化と分かる。
野菜を売っている屋台を見つけてニンジンを五本、タマネギを五個購入。しめて二〇スーを大銅貨二枚で支払う。
一先ずニンジンを一本、丸齧りに挑戦してみる。ボリッと噛り付いたその瞬間、ガツンと鼻を抜ける青臭さ。やはり皮付きはニンジン上級者でなければ無理だ。こっそりクラフターで皮をむいてもらうと、もう一口噛り付いてみる。今度はかなり青臭さが減って食べやすい。それにしても香りが強烈だ。地球で食べていたニンジンとは比べ物にならないほど味が濃い。品種の違いだろうかと思いながら、なんとか一本を食べ終えた。
ニンジンもタマネギもどちらも日持ちがしそうなので食べ方は後で考えることにして、ついでに香辛料も仕入れておこうと屋台を探す。
ほどなくして見つけた香辛料の屋台にはハーブ類が束になって逆さ吊りに屋根から吊られ、種子類の香辛料が台に並べてある。
タイムやらセージやらローリエやら名前は知っているが、どんな形でどんな料理に合うかなどの知識がジンには全く無い。この男、得意料理はインスタントとレトルトである。かろうじて米は炊ける程度のレベルであった。そんな男にハーブの判別などハードルが高すぎる。
「こしょう?」
胡椒ならこれだよと、指をさされた先には乾燥したイモムシのようなものが積まれていた。
ファンタジーやでぇ、などと考えていたがこれは長胡椒と呼ばれるもので、地球でも使われている。しかしそんな知識のないジンはコチニールカイガラムシだって着色料にあるし、などと考えていた。無駄な知識だけは持っている。
胡椒六〇グラム二〇〇スー、ニンニクも売っていたので三玉買って二四スー、しめて二二四スー。
支払いに中銀貨一枚と小銅貨四枚を出す。お釣に小銀貨二枚、大銅貨八枚が返ってきた。
一通り買い物を済ませると宿を探してぶらつく。まだこの世界に来て宿に泊まるという経験はない。快適スーツのおかげで野宿も気にならない。しかし、ここは街中だ。野宿は許されないだろう。
そんなことを考えながら歩いていると、周囲から店が減り住宅街へと入り込んでいた。集合住宅の立ち並ぶ区画を通り過ぎると、今度は一軒家が多くみられる区画へと入り込んでしまった。
大通りへ戻ろうかと思案していたところへ声をかけられる。
「失礼。そなた妖精族の方かな?」
昼に見た魔法使いのラウロと呼ばれていた男だ。
「申し訳ない。見慣れぬ装束に、妖精族には見られぬ丸い耳、好奇心を抑えられずに声をかけてしまいもうした。ワシは隠居しておる魔道士でラウロと申します」
ジンはぽかんと見上げていたが、丁寧に挨拶され我に返る。
「わたしのなまえはジンです。 アースぞく ほしのたみ」
「ジン殿ですな。アース族とは初めて耳にしました。それに星とは……、おお、これはいけない。かようなところで立ち話も失礼ですな、もしお時間がよろしければお茶などご一緒にいかがですかな?」
声掛け事案発生である。しかし、ジンは魔法に並々ならぬ興味を抱いていた。
「おひる みた まほう」
「おお、昼の騒動を見られておったか、魔法は初めて見られたのかな?」
うんうんと頷く。
「ほほっ、では、爺の話し相手になってくださいますかな」
ラウロに案内されすぐ近くにあるという彼の自宅へとお邪魔することになった。
中世ではニンジンは紫色だったようです。品種改良を重ねて現在のようなオレンジ色になったようですね。
現在でも紫ニンジンは手に入るようですが、中世の頃の品種と同じかはわかりません。しかしこの紫ニンジン、糖度が高く甘いらしいです。ファンタジー映画などでニンジンをボリボリ食べてるシーンとかありますけど、ひょっとしたら果物感覚で食べていたのかもしれないですね。




