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翌日、紅焔による本格的な料理の修業が始まった。
音光達は横一列に並ばされ、即席の調理台の上で米の研ぎ方・包丁の持ち方・野菜の切り方・料理のさしすせそ・そのほか、基本となるものを一日かけて真剣に教わった。どこから持ってきたのか木製の枠でできた黒板に味噌汁や肉じゃが、カレー、炒飯、等の基本料理から肉の焼き方、更には料理の分類やらなんやら本格的なものまで教わった。
そして音光達は思った。
これ、そこら辺にある普通の料理教室だ―――と。
「はい。というわけで、初心者Aコースで私が教えられるのはここまでです。Bコースではお菓子作りの基本とかたぬきクッキーをお教えします。皆さんは一泊二日コースなので今回は教えられませんが、また、夏休みにでもいらしてくださいね」
先生のお話に、生徒達は「はーい」と声を揃えて返事をした。
そうして音光達は紅焔に別れを告げると、藤十郎の用意した自家用ジェットに乗って隣町まで帰って行った。あっという間の二日間ではあったが、彼らにとっては途方もなく長い時間のように思えたという。
「しっかし貴重な体験だったわ」
うんうんと満足そうな七海。
「なにが貴重な体験よ、人に散々心配かけといてっ」
隣の羅々里亜が、ジロっと七海を睨む。
「あら、アタシのこと心配してくれたんだ。可愛いとこあるじゃない」
七海はからかうようにニイっと笑う。
「べ、別に心配はしてないわよ! ただ、ただ、そうよ千優ちゃんが死にそうな顔してたからっ」
「西條さんも心配してたよー」
あはは、と千優は笑う。
羅々里亜は耳まで真っ赤になって、「あー、もう! そうよ少しは心配してやったわよ! ありがたく思いなさいよねっ」開き直ってふんぞり返った。そんな三人を、藤十郎は、満足そうに眺めていた。
「けどアンタ、夢遊病なんて、ちゃんと病院行きなさいよ?」
「わかってるわよ」
七海は素直にそう言って、小さくため息をついた。
「はっはっは! まあ、あんまり気にすることないと思うよ。人はそれぞれ抱えている者が違うからね、だからその分、歩く速度も生き方も違うのさ」
藤十郎は笑って、そして、何故か万屋を見る。
「だいたい見てみなよ、万屋君を」
「あ?」
万屋は訝しげに己を指差す。
「はっはっは! 万屋君なんて五歳の頃に目の前で父親が母親を刺殺して、その後、万屋君も殺されそうになったんだけど、命からがら逃げだして近所の人に助けてもらったんだよ? しかもその後親戚中をたらいまわしにされた揚句に施設に放り込まれて、でもその施設が刑務所脱走した父親の放火で全焼して万屋君だけ生き残っちゃってさ、更に別の施設で暮らした後、働きながら大学通ったのに、そこで付き合った彼女が友達と浮気しちゃってさ、しかも五年後にいきなりその彼女戻って来たと思ったら赤ん坊子供預けてトンズラ、仕方なく育ててたら五年後に突然また戻ってきて子供奪ってトンズラ! あっはっは、人生って色々だよねえ! うんうん、だから楽しいんだよ」
にこにこ笑顔で満足そうに頷く藤十郎。
万屋は怒りのあまり青筋を浮かべ、拳を握りしめてわなわなと震えている。
「おい理事長……なんでそんなこと知ってるんですかね」
「うん? ああ、学校の職員の過去は、何から何まで全部調べてあるからね。あっはっは!」
藤十郎は笑うが、あまりに悲惨すぎる過去を聞きたくもないのに聞かされた音光達は肉体的に疲れ切った体に更なる疲れを感じてしまった。だが藤十郎は一人、楽しそうに笑っている。
その後、二日間の疲れのせいか、機内では皆、泥のように眠ってしまった。
☆
その晩、家に帰ると、七海は大急ぎで風呂に入った。
続いて音光も、今回ばかりは珍しく大急ぎで風呂に飛び込んだ。
風呂から上がると二人は畳の上に転がってバラエティ番組を見ながら、アイスを食べた。
窓から吹き込む夜風が心地いい。
昨日の出来事がまるで嘘のように、今夜はとても静かである。
「千ちゃーん、七海ちゃーん」
と千優の呼ぶ声がして、二人はほふく前進で窓に向かった。
そして疲れ切った体をなんとか起こして窓から顔を覗かせる。
「んもー、なんて顔してるの二人とも、だらしないよ」
「ちぃちゃんは元気そうね。疲れてないの?」
「疲れてるよ。明日寝坊しちゃいそうだよ。って、そうそう、さっき西條さんから電話があってね―――」
「丸太から? どうせロクなことじゃないわね」
「お前が言うなよ……」
音光は、ぼそっと呟いた。
「そ、そんなことないよ。とっても楽しそうなお知らせだよ?」
「楽しそうって、一体どんなこと?」
「うん、あのね。なんか今度理事長先生が紅焔先生と鳥山さんを招いてお屋敷でパーティー開いてくれるんだって。お客さんはこないだのメンバーだけみたいだけど」
七海は少し嫌そうな顔をした。
「藤一郎は仕事で来ないんじゃないのか?」
「だったらいいけど……」
七海はなんだか少し拗ねたような顔をして、ズルズルと窓の下にさがっていく。
「藤一郎、って七海ちゃんのお父さん?」
「ええ、そうよ」
「えーっと。てことは、理事長のお兄さん、かな?」
「ええ、そうよ」
七海は窓から消えたまま浮上せず、嫌そうな声で返事する。
「まあ、あの人はどうせ仕事でしょうけど。呼ばれたってそんなお遊びのパーティーに顔出したりしないわよ」
「ならいいじゃねーか、心配することないだろ」
「わかってるわよっ!」
七海はぷんすか怒って、押入れに飛び込んでピシャっと扉を閉めてしまった。
「せ、千ちゃん。なにかマズイこと行っちゃったかな私」
「気にすんな。ガキなだけだよ」
「ええ、でも」
「いいから、もう寝ろ。そろそろ十二時だぞ」
「うわ、ほんとだ! 遅刻しちゃうよっ! おやすみ、千ちゃん七海ちゃんっ」
千優は慌てて窓とカーテンを閉め切った。直後、ふっと部屋の明かりが消えた。
音光も窓を閉め、押入れに背中を向けて座った。
「なあ、前に話したっけか」
「なにがよ」
「千優の父親のこと」
「……聞いてないけど」
「アイツの親父は火事で死んだ。真冬のある日、アパートの住民の寝たばこが原因で火事が起こってアイツはまだ小さかった千優を助けようとして死んだんだ」
「まさか。アンタのその体の傷って」
「たまたま一緒に飲みに行った帰りで、一緒にアパートまで来てたんだよ。もう夜も十二時をまわっててな、みんな寝てて火事に気付かなかったんだ。気づいた時には火の手が回ってて、千優の母親は一酸化炭素中毒で意識を失ってた。大地……千優の父親は二人を助けるために火の中に飛び込んだが、正直もう、絶望的な状況だったよ。アイツ一人で二人も助けられるわけねえ、俺も消防隊員の制止を振り切って中に飛び込んだが、まるで地獄みたいに火の手が行く手を阻んでてな。それでも大地は必死に千優を抱えて瓦礫の隙間から無理やりに体を出して、小さな千優を俺に託したんだ。俺はその時、思ったんだよ。ああコイツは大地の忘れ形見で、俺が一生、護らなきゃならねえって。大地の代わりにはなれなくても、コイツの側にいなきゃならねえってな。まあそんなこと考えてたら天井が崩れて、俺もがれきの下敷きになっちまったわけだけど。幸い入り口に近い場所だったんですぐに消防隊員に助けられたが、大地はもう、無理だったよ。母親だけは窓から助け出されて無事だったが、大地は、全て燃え尽きた後にやっと瓦礫の中から見つかった。ただ人の形をした黒い塊、それが大地だった」
音光は服の上から胸の傷を押えた。
「藤十郎と俺と大地はガキの頃からずっと一緒でな、きっとじーさんになるまで一緒だろうなんて思ってたんだ。それが、まさか、あんな形で別れることになるなんて誰も想像もしなかったよ。別れなんていつも突然だ。明日か明後日か、何が起こるかわからねえ」
「……アイツは大丈夫よ、長生きするわ」
「大地だって自他ともに認める健康優良児だったよ。怪我の治りも早けりゃ風邪もひかない、健康そのものって感じの男だったんだよ。千優はいつも笑ってるけど、父親が死んでから一年ぐらいは夜泣きが酷かったんだぜ。何度も夜中に眼を覚ましちゃ、お父さんはどこって泣いて、火が恐いって泣いてな」
「……」
「それでもアイツは今、笑顔だ。いつまでも泣いてたら天国の大地が悲しむって、ガキのくせにいっちょまえにそんなこと考えて涙をのみ込んだんだよ」
「なによ。ちぃちゃんに比べたらアタシはまだ幸せな方だって言うの。まあ、そりゃそうでしょうけど」
「千優に比べたら、か」
と音光は立ち上がり、乱暴に襖を開ける。
「人の不幸を平等に計れる天秤なんてこの世にあるわけねえけどよ、人の想いを知る術はいくらでもあるだろ。言いたいことがあるなら、どんな言葉でもいい、ぶつけろ。ムカつくならムカつく、嫌いなら嫌い、言いたいことあるなら吐き出せばいいんだよ。だいたい親子げんかの正しいやり方なんてねーぞ」
「なによ偉そうに。仕方ないじゃない、アタシは、あの人とケンカなんかしたことないんだものっ」
「出逢って数日のオッサンに食いつく度胸あるなら大丈夫だろ。あとな、感情ってのはウンコだろ」
「きったないわね」
「溜めてても体に毒なんだよ」
「便秘でいいわよ」
「便秘で人は死ぬんだぞ」
「マジで」
「まあ、藤一郎は昔から頭が固かったし、父親も厳しい人だったのは俺も知ってるしな。アイツも可哀想なんだよ、初瀬財閥の跡取りって道しか与えられてなかったしな。その点、次男坊の藤十郎は好き勝手に学校建てて半ば趣味で理事長やってんだから、まあ藤一郎には同情しかできねえわな」
「……あの人が不器用なことぐらい、アタシだって知ってるわよ」
七海は膝を抱えて蹲る。
「でもアタシはそんなアイツの娘なのよ。不器用な人間が不器用に人間育てて素直な人間が育つと思う? まあ私はもっぱら乳母に育てられたよーなもんだけど。あと藤十郎叔父様……」
「確かに。お前は藤一郎の娘だな、そっくりだよ」
「嫌味ね」
「褒めてんだよ」
「嘘つき」
「ほらもう寝るぞ。それともそこで寝るつもりか」
「嫌よ、蒸し暑いじゃないっ」
「だったら出て来いよ……」
しかし七海は意地でも出てくるつもりはないらしく、むくれた顔で背中を向けたまま動こうともしない。なので音光は諦めて、扉をしめて畳に転がった。
「……俺も、偉そうなこと言うようになったな」
音光は、教師でありながら人に説教するのは苦手だった。
それに加えてもう長い間、他人とのかかわりを避けてきた。




