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そうして週末、土曜日に一同は隣町にある万福山へと向かった。
そこは地元の小学生なら一度は遠足で訪れたことはあるだろう、かなりメジャーな山である。とは言え、遠足で訪れるのはせいぜいその麓付近までで、頂上まで登るには大人の足でも三日はかかると言われている。もちろん車道なんかない。あるのはけもの道だけである。ハイキングコースとして整備された一部の場所から外れると、まるでそこは、人の立ち入りを拒むかのように有刺鉄線と巨大な鉄柵で覆われているのだ。だから、誰だって、そこがどれだけ危険な場所かすぐに気づく。地元の人間もハイキングコース以外は絶対に立ち入ろうとはしないし、子供達に言い聞かせている。だが南雲は当然のような顔で、その鉄柵を足で蹴り飛ばして破壊し、道を作った。
「さあ、行くぞ」
「行くぞ、じゃないわよっ? なんなのよ、なんでこんな危険そうな場所に行かなきゃならないのっ?」
自分で提案したくせに、七海が半泣きで訴える。
皆、背中にそれぞれ大量の食材とテントを背負い、その重みだけで体力を半分以上消耗している状態である。なのに、その上、このよくわからない鬱蒼と草木の生い茂る怪しげなけもの道を行けと言うのか。もはや鬼の所業である。
「あ、あの先生。さすがにココは危険なんじゃ……」
おずおずと千優が訴える。
「星はよく見えそうだがな」
と万屋は空を見上げ、疲れたような顔で言う。
「俺らが星になりました、てオチじゃねーだろな」
音光はうんさりした様子で、ため息を吐く。
「安心しろ。出てもせいぜい熊ぐらいだ」
しれっとそんな恐ろしいことを言い、南雲はけもの道を突き進んでいく。
「だ、大丈夫よきっと。熊なんて料理しちゃえばいいのよ」
羅々里亜が両手を腰に当ててふんぞり返る。が、その足は、見事にカクカク震えてしまっている。
「丸太、アンタ足、震えてるわよ」
「う、うるっさいわねっ! 準備運動よっ」
と怒りながら、羅々里亜は南雲について行く。
音光達は全く気乗りしなかったが、ここまで来た以上、勝手に引き返すわけにもいかず仕方なく南雲について行った。
やがて南雲を先頭に小一時間ほどけもの道を突き進んだ頃、一番最初に七海が根を上げた。「もう歩けない、疲れた」と近くの切り株に腰をおろして足を延ばし、それに続いて千優も近くのベンチに腰かけた。
「南雲先生、ちょっと休んでもいいですか? さすがに疲れちゃいましたよぉ」
千優が言うと、南雲はチラと彼女を振り返り、そしてスっと指で示した―――彼女を、いや、彼女の座っているベンチを。なんだろう、と一同がソレを見ると、それはゆっくりと動き、そして、突然、立ち上がった。
千優は放り出されて地面を転がり、慌てて音光が彼女を抱えてその場を飛び退いた。
熊である。熊が、立っているのだ。そう彼女が座ったベンチとは、昼寝していた熊だったらしい。
七海も羅々里亜も声も出ないくらいに驚き、その場に尻餅をつく。
と熊がそれに気づき、歓喜の声を上げながら両腕を振り上げた。まるで「いただきまーす」とでも言うかのように。
「い、いやああああああああああああああああ!」
七海と羅々里亜が同時に悲鳴を上げる。
食われる。
そう思った次の瞬間・熊は、吹き飛んでいた。
彼女達の目の前にいるのは南雲。拳を天高くつきあげ右手に出刃包丁を持ったその姿、それは、まさしく戦う料理人と言うべき姿である。
どん、と重々しい音を立てて熊が地面に落下すると、その瞬間に彼は俊敏な動きで駆け出し、躊躇いもなく熊の腹の上に飛び乗った。そして腰に携えた革製の包丁入れから手早く肉切り包丁を取り出し、構える。どうやらその場でさばくつもりらしい。
だが、さすがに、襲われそうになったとはいえ目の前で動物が殺されるのを見て平気でいられるはずもなく、羅々里亜と七海と千優は思わず「だめええええ!」と半ば悲鳴染みた声を上げていた。
「ふん。この世は弱肉強食なのだ。弱い者は食われ、強い者は食う」
「わ、わかったから! ってか、目の前で哺乳類の解体ショー見せられて平気な人間なんているわきゃないでしょっ! それとも庶民には日常のことなのっ?」
七海は半泣きになりながら怒る。
「ふむ。そうか。ならばわかった、今回は見逃してやるとしよう」
南雲は熊の腹から飛び降りると、起き上がろうとする熊の腕を掴んで振り上げ、全力で茂みの中へ放り込んだ。
熊はあっという間に遠ざかり、はるか向こうの方で、何かに激突する音と共に土煙が上がるのが見えた。どうにか無事でいてくれればいいのだが、と七海たちは心の中で祈った。
「滅茶苦茶な奴だな」
と万屋は呆れた顔をする。
「これが食の現実だ。いいな、貴様も、この山に入った以上は食うか食われるかなのだ。心しておけ」
南雲は腰の左右に携えたお手製の皮の包丁ホルダーに肉切り包丁をしまうと、さっさと歩き出した。
なんとしてでも生きて帰らなければ――音光はその時、皆の心が一つになるのを感じた。




